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2014/10/30

一之輔・真一文字の会(2014/10/29)

「真一文字の会~春風亭一之輔勉強会」
日時:2014年10月29日(水)19時30分
会場:内幸町ホール
<  番組  >
春風亭一之輔『天狗裁き』
春風亭朝之助『幇間腹』
春風亭一之輔『味噌蔵』
~仲入り~
春風亭一之輔『妾馬』

一之輔がマクラで触れていたが、弟弟子の春風亭朝也が今年度のNHK新人落語大賞大賞を受賞した。順当な結果だと思うし、この人はもう少し早く選ばれても良かった。
一朝門下は優秀な弟子が育っている。師匠の指導力が良いのか、はたまた弟子を選ぶ眼力が優れているのか。いずれにしても目出度い。
この会、以前から一度来たかったが、発売日に電話したら「最後に1枚ありました」という返事でようやくチケットが取れた。まるで『富久』だね。
チケットが転売されるほどだと配られたチラシに書いてあった。行けなくなったので譲りたいというは分かるけど、「ネットダフ屋」はやめて欲しい。談志じゃないが「そいつ捕まえて殺せ」と言いたくなる気持ちも分かる。
タイトルに勉強会とあるので、演目はネタ出しが中心なんだろうか。そう思って聴いていた。

朝之助『幇間腹』
このネタ、志ん生と3代目柳好が得意としていたが、今はほとんどが志ん生流をベースにして演じている。軽いし笑いが取れるからだ。幇間のペーソス溢れる柳好流も良いと思うのだが、後継者が見当たらない。
朝之助は話し方に独特のクセというかリズムがある。悪くなかったが、針をさしたら猫が死んでしまい、その死体をお茶屋の二階に持ってきて一八に見せるというのは悪趣味だ。

一之輔『天狗裁き』
初っ端だったせいか今っ一つ気持ちが乗り切れないままスタートしたような印象で、出来も荒削り。
この噺も志ん生をベースにしているのが一般的だ。ただ最近の人たちは熊公が天狗から団扇を奪い空中を漂ってから、大店のお嬢さんの婿になるという部分をカットしている。この部分を抜かしてしまうとこの噺のスケールが小さくなってしまうと思うのだが、どうだろうか。

一之輔『味噌蔵』
小三冶の演じ方を基本にしていたと思われる。旦那の留守に奉公人が宴会を開く場面では独自の工夫がされていた。可もなし不可もなしといった具合。

一之輔『妾馬』
このネタを演じていなかったとしたら不思議なくらいだ。一之輔にはピッタリだと思うのだが。
全体は笑いの多い志ん生流。この八五郎はやたら威勢がいい。口やかましい田中三太夫にを叱りつけたり、殿の御前で酒が出ると浴びるように吞みご老女を婆さん呼ばわりするわ、若い御殿女中をからかうわ。終いには殿に都々逸を披露し「どうでえ殿公」と言い出す。
八のおっかさんが、初孫なのに孫の顔を見られないから、自分が代りに見て行くと言いながら泣きだすという場面もあり、八は泣き上戸でもあったか。
ひとつ気になったのは、大家の家で正装した八がいったん自宅に帰っておっかさんに挨拶してから大名の屋敷に向かうのだが、この意味が分からない。もし後半につなげるなら、ここでおっかさんが八に初孫うんぬんを伝言するのが自然だと思った。あと、八が妹の鶴におっかさんが孫が出来たと嬉しくて近所中に触れ回っていると語っていたが、それなら八が大家に呼ばれた時には既に鶴が出産したことを知ってなくてはいけなくなる。
一之輔にこのネタがニンなのか、終始気分良さそうに演じていた。

この日は勉強会ということで、後は明日の独演会を楽しみに。

2014/10/29

「喬太郎エージ」が集う鈴本10月下席・夜(2014/10/28)

鈴本演芸場10月下席夜の部は「喬太郎ネガティブキャンペーン『笑えない喬太郎』」という企画で、どうやら喬太郎がトリで滑稽噺以外のネタをかけているようだ。もっとも滑稽噺をしても笑えない落語家もいるけどね。27,28日は三遊亭圓朝作『錦の舞衣(にしきのまいぎぬ)』を上下に分けて口演、「下」の28日に出向く。
会場は一杯の入り。出演者によると3割は前の日からのお客とか。そういえば客席前方には「喬太郎エージ」と思しき女性が多数を占めていた。
「喬太郎エージ」とは私が勝手につくった造語で、定義としては喬太郎が真打に昇進した2000年頃から寄席や落語会に足を運ぶようになった女性客をさす。
2000年に落語協会はたい平と喬太郎を同時に真打に昇進させた。その鈴本での披露興行で喬太郎がトリを取った日に見に行ったのだが、前方の席が若い女性客で埋まっていたのに驚いた。そして高座に上がった喬太郎とその女性客との間の空気が、まるでアイドルとファンの間柄のように感じた。本人もまだ自分のことを「キョンキョン」なんて呼んでたしね。
その時に、これからの寄席、あるいは落語そのものも変わって行くのかなという印象を持った。落語は大衆芸能だから客の好みに敏感だ。客層が変れば演じ手も変わる。
興行面からすれば人気=集客力だ。女性客に人気がないと興行が成りたたない、落語界もそういう時代になってきた。
かくして「喬太郎エージ」がその後の落語ブームの先駆けとなり、今も落語人気を支えている。
2000年代の落語界が柳家喬太郎を抜きにしては語れないと思う由縁だ。

10月28日の出演者と演目は次の通り。

前座・柳家圭花『道灌』
<  番組  >
柳家右太楼『金明竹』
林家正楽『紙切り』
三遊亭歌奴『初天神』
橘家文左衛門『手紙無筆』(*代演)
ホンキートンク『漫才』
柳家三三『浮世床~将棋』
柳亭燕路『猿後家』
~仲入り~
ダーク広和『奇術』
宝井琴調『赤垣源蔵徳利の別れ』
柳家小菊『粋曲』
柳家喬太郎『錦の舞衣・下』

全体に良い夜席だったが、長くなるのでトリネタのみの解説にする。
正直にいうと、このネタについては全くの無知。そのため先人のサイト「落語の舞台を歩く」を参考にさせて頂いた。
先ず三遊亭圓朝作『錦の舞衣』についての引用。
【19世紀末ヨーロッパで大変な評判を得ていた、 ヴィクトリアン・サルドゥー書き下ろしの戯曲「ラ・トスカ」。 これを1890年にプッチーニがミラノで観劇し、台本をもらい下げ、オペラ「トスカ」として新たに世に誕生させた。一方、日本ではその約10年前、ジャーナリストとして渡欧していた福地桜痴からサルドゥーの「ラ・トスカ」の話をきいた、落語の中興の祖と言われる、三遊亭圓朝が明治22年(1889)にこれを翻案し、人物の名前も原作の人物名を巧く邦名に変え、江戸を舞台として、人情噺として世に送り出した。】
戯曲『ラ・トスカ』のパリでの初演が1887年だから、その2年後に圓朝は落語にしてしまったということになる。オペラ化より10年も早く。明治の人の情報収集力っていうのは凄かったんだな。
オリジナルの主人公の女優トスカは踊りの名人「お須賀」に、原作の舞台となっているナポ レオン軍とミラノ王朝軍が1800年に交戦した「マレンゴの戦い」は1837年に起きた「大塩平八郎の乱」に、それぞれ置き換えているとのことだ。

落語の『錦の舞衣』だが、柳家小満んが口演したことがあるようだが、現在は喬太郎しか演じていないようだ。
ストーリーだが、「上」は聴いていないので、これはサイト「落語雑録2005」を参考にさせて頂き、ざっと粗筋を紹介する。
江戸の商人・近江屋は芸人や今でいう文化人の面倒を見るのが好きな人物。その中の一人である絵師で末は名人かと噂されている狩野毬信(まりのぶ)が「いくら精進しても、好きな女とも添えないようでは、私ももうやめたい」と言い出す。相手はとたずねると、踊りの師匠でこれまた末は名人の呼び声高い坂東須賀だという。さっそく近江屋はお須賀の元へ使いをやり、意向を探らせる。
お須賀は毬信描くところの自分の舞姿の画を持ってこさせる。その絵の左手にやにわに墨を塗り、こんな手は私の踊りにはない。名人を目指すならもっと精進をと言って、使いにその画を返す。首尾を聞いた毬信は感に堪えて、修業のために大坂に発つ。以来六年、画業に励み、江戸に戻った毬信とお須賀は夫婦となる。

ここからは当日の喬太郎の口演「下」のストーリー紹介。
絵の名人・狩野毬信と踊りの名人・坂東須賀の二人は結婚するが、お互いの芸道に障ってはいけぬと別居生活をしていた。
そんなある日、毬信のもとへ上方での修行時代に世話になった宮脇家の子息・宮脇数馬が来宅した。大坂で起きた大塩平八郎の乱の残党として宮脇の父は切腹、数馬も追われる身だ。数馬は江戸にいる母へ父から預かった手紙を届けたいという。毬信は世話になった恩返しにと数馬をかくまう。
しかし吟味与力・金谷東太郎の手下が嗅ぎつけ、窮地を察した数馬は自ら腹を切って命を絶ってしまう。謀反に加わった残党をかくまったとして、毬信が捕らえられた。その取り調べは苛烈でお須賀は裏から手を回して嘆願したが無駄で、毬信への拷問は厳しさを増すばかりだった。
実は与力・金谷東太郎は以前からお須賀に岡惚れしていて、お須賀を何とか自分のものにしたくてその下心から一番大事な夫を奪ったのだ。
夫を牢から出そうと奔走するお須賀に金谷の手下が近づき、ここは与力に身をまかせても力を借りた方が良いと言う。後日、須賀は船宿へ来いと金谷に呼ばれ、しぶしぶ船宿へ行った。
差し向かいでお須賀と酒を酌み交わす金谷、関係を迫るがなかなかウンと言わないお須賀。そこで手下が部屋の隅にお須賀を呼び、ここは大事な夫の命を助けるために操を捨てて操を立てろと迫る。金谷から単に遊ばれるのではと訝るお須賀に、今夜金谷が腰にさしている脇差は家宝の正宗、この脇差をお須賀に預けるようなら本心で遊びではないという証拠だと諭される。
お須賀の求めに応じて金谷は家宝の脇差をお須賀に預け、お須賀は金谷と一夜枕を交わす。
だが何日たっても夫は釈放されず、やがて狩野毬信は獄中にて酷く責められ、志半ばにして絶命してしまう。鞠信の遺体は大坂送りのところ谷中南泉寺にかろうじて埋葬される。
悲しみに打ちひしがれる須賀に、以前より懇意にしていた道具屋が訪れた。須賀は信頼できる道具屋に金谷から預かった脇差しの目利きをしてもらう。すると道具屋は、この脇差は真っ赤なニセモノ、刃先を畳に押しつけると曲がってしまう村松町でも一番の安物だと断言する。
騙されたと知ったお須賀は、夫の無念を晴らす決心をする。贔屓にしている根岸の料理屋で世話になった人達を呼び、一世一代の「巴御前」を舞う。お客たちから喝采を浴び、お須賀はその場に来ていた近江屋の主人に母親の面倒を頼む。そして翌日使う寮を女将に頼んでおいた。
次の日、お須賀の方から寮へ金谷を呼び出し酒を勧める。上機嫌になった金谷に前に預かった脇差の話を始める。これはニセモノと断じ、刀を抜いて刃先を強く畳に押しつけると折れてしまった。
嘘であったことがバレて焦る金谷の脇腹を懐に入れていた匕首で切りつける。さらに倒れた金谷の首を切り落とし、生首を風呂敷に何重にも包みそれを愛する毬信の墓前へ供える。「操を守りきれず、申し訳ございませんでした。これで本当の供養ができました」と毬信に語りかけ、須賀はしごきを取ってヒザを硬く縛り、懐に入れてきた匕首で自分の命を絶ってしまった。
調べていくと金谷の悪事が露見、金谷家は断絶。須賀は鞠信の墓に入れられた。
「これにて圓朝作『名人競べ錦の舞衣。板東須賀、狩野鞠信』のお噺、読み終わりでございます。」

ストーリーを読んでお分かりのように、全体が地味で興味がそそられるような場面もなく、陰惨な印象だけが残ってしまう。早くいえばツマラナイ。圓朝の作品といえども滅多に高座に掛からぬ理由はそこだろう。作品自体に問題があるのかも知れない。
喬太郎はマクラ抜きで本題に入り、ほとんどクスグリも入れず語り切った。この手の噺を飽きることなく緊張感を持って聴けたというのは、やはり喬太郎の話芸の力だと思う。
お須賀の揺れ動く心理が細やかに描かれ(踊りの師匠としては艶が欠けるが)、金谷東太郎とその手下の悪党ぶりが際立っていた。どうも圓朝の作品というのは悪党が上手く演じられるかどうかで仕上がりが左右されるようだ。喬太郎の悪役ぶりは板に付いている。
新作を古典の二足のワラジで、その古典も滑稽噺からこうした人情噺まで幅広くこなせる落語家は、そういるもんじゃない。
柳家喬太郎、やはり東京の落語界はこの人抜きには語れないのだ。

2014/10/28

猿之助一座「十月花形歌舞伎」(2014/4/26夜)

市川猿之助奮闘連続公演「十月花形歌舞伎」夜の部
三代猿之助四十八撰の内
鶴屋南北・作『通し狂言 獨道中五十三驛(ひとりたびごじゅうさんつぎ)』
京三條大橋より江戸日本橋まで
浄瑠璃お半長吉「写書東驛路」(うつしがきあずまのうまやじ)
市川猿之助十八役早替りならびに宙乗り相勤め申し候
日時:2014年10月26日(土)16時30分
会場:新橋演舞場
<  配役  >   
役者澤瀉屋  
丹波与八郎  
由留木馬之助  
由留木調之助  
与八郎妹お松  
お三実は猫の怪  
江戸兵衛  
信濃屋丁稚長吉  
同娘お半
芸者雪野  
長吉許婚お関  
弁天小僧菊之助  
土手の道哲  
長右衛門女房お絹  
鳶頭亀吉  
雷  
船頭熨斗七  
江戸兵衛女房お六
/以上18役 猿之助  
石井半次郎/ 門之助
赤堀水右衛門/ 右近
重の井姫/ 笑也
弥次郎兵衛/ 猿弥
喜多八/ 弘太郎
おはぎ/ 笑三郎
芝居茶屋女房おきち/ 春 猿
赤羽屋次郎作、赤星十三郎/ 寿猿
由井民部之助/ 隼人
お袖/ 米吉
奴逸平/ 亀鶴
赤堀官太夫/ 男女蔵
小屋頭おなみ/ 竹三郎
鶴屋南北/ 錦之助

新橋演舞場での10月花形歌舞伎夜の部は『通し狂言 獨道中五十三驛』、26日の”e+(イー・プラス)”観劇会へ。タイトルにある「猿之助一座」は通称で、「澤瀉屋(おもだかや)」市川猿之助を中心とした歌舞伎俳優が出演していた。妻が猿之助歌舞伎のファンで、今回もその付き合い。私も決して嫌いじゃないし。
ストーリーは。家宝をめぐってのお家騒動という歌舞伎定番で、敵味方が追いつ追われつ、東海道五十三次の宿々を舞台に大阪から終着点の江戸日本橋までを駆けめぐり、見事本懐を果たすというもの。
登場人物には弥次喜多あり、白波五人男あり、お半長あり、由井正雪ありと時代考証もなにもあったもんじゃない。
そんな事より、要は主役の猿之助の化け猫の怪異、宙乗り、水中での立廻り、早替りの踊りなど、様々な見せ場が売り物。なにせ一人18役で42回の早替わりっていうんだから、もの凄い。
後半の12役早替わりでは、男女の逢引シーンを一人で演じたり、舞台の袖に引っこんんだかと思うと花道から、あるいはセリから登場するなど変幻自在。時には衣装だけでなくメイクまで変えるんだから驚きだ。
化け猫での立ち回りでは、体操選手並みの動きも見せる。
宙乗りでは3階席の高さまであがる。
滝壺のシーンでは、全員が水浸しになりながらの立ち回りを見せる。客席まで水がかかるので、水よけのビニールシートが配られる。
要は演技あり、踊りあり、イリュージョンあり、アクロバットありのエンターテイメントなのだ。
難しい理屈抜きに楽しめるというのが猿之助歌舞伎の特長だ。
一部には、あれが歌舞伎かという声もあるようだが、歌舞伎です。

文化庁の「国指定文化財等データベース」によれば、「歌舞伎の解説文」にはこう書かれている。
【歌舞伎は、江戸時代に育成された日本演劇の一形態で、能楽、人形浄瑠璃と並んで、わが国の三大国劇と呼ばれる。先行および並行の諸芸能―田楽・能・狂言・民俗舞踊など―を摂取し、これを様式化、庶民化した総合的な芸能である。その内容は、女歌舞伎以来の歌舞の伝統を継承する「舞踊劇」、人形浄瑠璃の戯曲と演出法を導入した「義太夫狂言」、歌舞伎の演劇的要素の発展した「科白【せりふ】劇」などがある。歌舞伎は時代とともにしだいに洗練を重ね、大成されたが、明治に入ってからは古典化の道をたどり、高度に芸術化されていった。歌舞伎は、芸術上高度の価値を有するばかりでなく、わが国の芸能史上において重要な地位を占めるものである。なお、重要無形文化財としての歌舞伎の内容を明確にするために演者、演目、演技、演出について、指定の要件を規定している。】
今回の舞台でも舞踊劇、義太夫狂言、科白劇と全ての要素が含まれている。

江戸時代に一日に千両の商いが3カ所あった。
「日千両 散る山吹は 江戸の花」
「日に三箱 鼻の上下 ヘソの下」
という川柳にもある通り、吉原、魚河岸、そして芝居には日に千両の金が落ちたという。当時の芝居といえば歌舞伎だったわけで、今と違って庶民が気楽に楽しめるような娯楽性の高いものだったに違いない。
ところが上記のように、「明治に入ってからは古典化の道をたどり、高度に芸術化されていった」ため、なんだか難しそうな芸能と捉えられるようになってしまった。
3代目猿之助が創出した「スーパー歌舞伎」は、むしろ歌舞伎の原形に戻る試みだったと思う。
この日も周囲の客席からは「面白かった」「楽しかった」という声がきかれた。「生まれて初めて歌舞伎を観たけどこんなに面白いもんだなんて知らなかった」と語る女性客もいた。
歌舞伎は大衆芸能だ。高いお金を出してもお客が堪能してくれればそれで十分なのだ。

2014/10/26

#34三田落語会「さん喬・一之輔」(2014/10/25夜)

第34回三田落語会・夜席「柳家さん喬・春風亭一之輔」
日時:2014年10月25日(土)18時
会場:仏教伝道センタービル8F
<  番組  >
前座・林家つる子『のめる』
柳家さん喬『転宅』
春風亭一之輔『富久』(ネタ出し)
~仲入り~
春風亭一之輔『ガマの油』
柳家さん喬『文違い』(ネタ出し)

春風亭一之輔、36歳、10年に一人の逸材だ。2010年代にこの人を超える新人は出現すまい。二ツ目の頃からモノの違いを見せつけていたが、真打に昇進後も進撃は止まらない。この先どこまで進化するのか、あまりに進化し過ぎて心配になるほどだ。
って、褒めすぎですかね。
ともかくも彼が優れた技量の持ち主であることは衆目の一致するところだ。
さん喬が1席目のマクラで一之輔を持ち上げ、今日は自分は添え物だと言っていたが、半分は本音だろう(権太楼だったらなんて言うかな)。さん喬のようなベテランにとって、一之輔との二人会は嬉しくはなかろう。噺家の世界は座布団の上にすわれば師弟もなにもない、皆がライバルだとも語っていたが、それはさん喬自身の立場とも重なるんだろう。落語界全体をゼロサム社会とすれば、誰かがノシテくればそのぶん他がヘコム。
さん喬は、今日のトリは自分だがメインは一之輔と宣言していたようだ。
では、そのメインから。

一之輔の1席目『富久』
近ごろは神棚がある家って少ないでしょうね。アタシの家もない。実家にはあって、大晦日になるとしめ縄や榊を新しくしお札(ふだ)を取り換え、元旦にはお神酒や水、ご飯をあげて家族揃って柏手を打ち、それからおせち料理を頂くというのが習わしだった。50年前の話だ。当時は暮に文楽の『富久』を聴いてもピンときていた。今や隔世の感がある。
一之輔はマクラで自宅に神棚を祀ったエピソードから入った。
『富久』というネタには大きく二つの流れがある。
一つは、3代目三遊亭円馬-8代目桂文楽
もう一つは、初代三遊亭円右-5代目古今亭志ん生
の流れだ。筋は同じだが後者の方が笑いの要素が多い。
近年では古今亭志ん朝が父志ん生の流れを基本に、久蔵が火事見舞いの客を応接する場面では文楽流を採りいれた演出にし、完成度の高い作品に仕上げている。
一之輔の高座は志ん朝の演出をベースにしていたように見えた。久蔵の長屋は浅草三間町、旦那の家は芝久保町、富は杉の森神社という設定だ。
旦那をしくじり仕事はないわ借金で首が回らないわという暮しを送っていた幇間の久蔵。富くじを自分から買おうと言い出すのは志ん生流。売った相手も番号を帳面に控える。
帰りに酒を買い一杯やって寝込む久蔵。火事をみとめた長屋の衆が火元が芝久保町だということで久蔵を起こす。この辺りは長屋の住人同士がお互いの暮しを隅々まで知っていて、相手のことを思ってくれていた当時の生活を偲ばせる。
真冬の夕方、寒風吹きすさぶなかを浅草から芝まで駆けるんだから、相当大変だったろう。一之輔はここはあっさり目。
ともかく駆けつけた久蔵に旦那から出入りを許される。ホッとする久蔵。
旦那の家に着いたときは既に鎮火しており、久蔵が家具を担ぐ場面は無し。
旦那の親類や取引先から火事見舞いが次々と訪れるので、その帳付けを久蔵に頼む。久蔵は相手にお礼を言いながら再び出入りがかなった事をしっかりPRする。この時の久蔵の嬉しそうな表情。
旦那の実家からお見舞いの酒が届くと、とたんに久蔵の気がそぞろに。1本は燗、1本は冷やだが、燗が冷めてしまうのが気になって仕方ない。帳付けもそこそこに、旦那に「このお酒どうしましょうか?」と何度も訊く。旦那も、それなら飲めとお許しがでて、久蔵は女中を相手に飲みはじめる。最初は陽気だったが次第に周囲の奉公人にもカラミ出す。元々酒でしくじったくらいだから本性が出たのだ。
この場面は一之輔の工夫だと思う。
旦那の「いい加減に寝ろ」のひと声で久蔵は床につく。さすがの久蔵も今は旦那には逆らえないのだ。
一寝入りした頃にまた火事の知らせ、今度は浅草三間町ということで久蔵を起こす。旦那は「万一家が焼けたら、どこへも行かずに真っ直ぐにここへ来るんだぞ」という言葉を背に受けて、久蔵は自宅に向かう。
「火事のハシゴなんて冗談じゃねぇや」と駆けつけるが、既に全焼と知ってそのまま旦那の家に引き返す。
しばらく旦那の家にやっかいになり、衣食住に小遣いまで貰う暮しだが、借金の事は気になる。ある日ぶらりと外を歩いていると、人がおおぜい歩いている。そうか、今日は杉の森神社の富の日だ。
ここで富に当たったらどうしようかと話す人たちの描写があるが、ここは志ん生あるいは志ん朝流。久蔵が一番富に当たって腰を抜かし、周囲の人間が担いで事務所まで送る所も同じ。
くじ売りの人も来ていて、一緒に当選を喜ぶが、肝心の富くじが久蔵の手元にない。火事で焼けてしまったのだ。「千両とはいわない、5百両、3百両、百両、50両、10両、5両、1両でも」とすがる久蔵、これだけ追い詰められたいたという切迫感が伝わってくる。
ボンヤリ歩いていると、馴染みの頭(かしら)に出会う。お前んとこの鍋釜を出してやったんだぜと言われても、久蔵はつっけんどんな返事ばかり。処が神棚も出していて頭の家に保管してあると聞いた久蔵は、いきなり頭の襟もとへしがみつく。
頭の家で神棚を見つけ、中を開けるとそこには当りくじが。久蔵は喜びを爆発させると同時に、周囲への感謝の念も湧いてくる。
この噺はまるでジェットコースターのように久蔵の失望と喜びが繰り返される。一之輔はその度ごとの久蔵の表情変化を巧みに表現していた。
とりわけ久蔵が帳付けをしながら酒を気にする時の仕種や、飲みはじめてからの崩れ方に工夫が見られ、最近では出色の『富久』となった。
この若さでこれだけの『富久』を演じる人はいま他におるまい。

一之輔の2席目『ガマの油』
ガマの油売りの口上は常法通りだったが、酔ってからの口上は通常とは違い独自の工夫が見られた。
刀の刃にガマの油を塗って切れ味を試して見せるが、深酔いしてるので、自分の腕を本当に切ってしまう。傷が深いようで手拭いでふいてもふいても血が拭き取れない。強引にガマの油を塗りたくるが血は拡がるばかり。こりゃあ血止めぐらいじゃ治まらない。「お立会いの中に医者はいないか」でサゲ。
従来の古典に何かひと工夫しないと気が済まないらしい一之輔の高座、楽しませてくれた。
酔ってる時の出血は止まりにくいので、皆さまもくれぐれもご用心のほどを。

さん喬の1席目『転宅』
さん喬の2席目『文違い』
詳細は省くが、共通して感じた点をいくつか。
さん喬の優れた点は登場人物の心理描写だ。
『転宅』では、お菊が泥棒を見つけた時の瞬間の驚きから度胸を入れ直してゆく過程の変化や、翌日の泥棒の膨らむ期待が絶望に変る時の心理変化の表現などに見られる。
『文違い』では花魁が相手の客の性格を見て対応の仕方をガラリと変えるところや、20両騙し取られたと分かるまでの表情の変化などもそうで、さん喬の特徴が良く出ていた。
反面、会話の中で同じセリフを繰り返す場面が多く、演者としては必然性があるのかも知れないが、聴き手としては正直ダレテしまう。
全体に間延びした印象は否めず、口演時間も含めてもう少し刈り込んで欲しいと思った。
例えば『文違い』を約45分かけていたが、寄席ではおそらく30分ほどであげていたと思う。その位の時間でちょうど良いのでは。

前座が注意事項を繰り返していると思ったら、昼席で録音をしていた客がいたらしい。
ルールを守れない客は出禁にすべきだ。

2014/10/25

青春文学にして傑作ミステリー「沈黙を破る者」

メヒティルト・ボルマン(著)赤坂桃子(訳)「沈黙を破る者」(河出書房新社 2014/5/22初版)
Jpg1997年ドイツのハンブルグに住む医師が、実業家であった父親の遺品を整理しているうちに、ナチス親衛隊員の身分証明者と美しい女性の写真を見つける。いずれも身元が分からない。父の過去とどんなつながりがあるのか興味を抱いた医師は調査を始める。手がかりは写真に書かれた写真館の名前だ。
調べを進めるとその写真館はドイツとオランダの国境近くであるニーダーライン地方のクラーネンブルグの村にたどりつく。親衛隊の身分証明書と若い女性の写真の謎は、やがて第二次大戦中にこの村で起きた事件へと発展していく。

1939年、クラーネンブルグに住む高校生6人(男女3人ずつ)は幼い頃からの親友同士で、何か悩み事や問題があれば全員が協力して相談に乗る間柄だったし、永遠にそうした友情を育んでいこうと誓い合う仲だった。
しかしナチス政権のもと、戦争が近づいてくると次第に6人の間には微妙な亀裂が入り始まる。
女子の一人の父親はリベラルな医師でナチスに批判的だったことから親衛隊に拘引されて拷問を受け、医者の仕事も妨害され一家は住居まで追われてしまう。その一方で親衛隊に入隊した男子は村人を監視する役割を負わされる。
友情や恋愛感情との間で葛藤する若者たち。戦争の激化と敗戦という現実のなかでさらに大きな悲劇が生まれる。
親衛隊の身分証明書と女性の写真の謎が、やがて50年の時空を超えて6人の若者たちの運命に結びついて行く。

トリックもなければ優れた刑事の推理もない。あるのは静かな悲しみだけだ。
読後感は青春のホロ苦い想い出。
傑作ミステリーであり清冽な青春小説でもあるこの作品は、愛の物語でもある。

2014/10/24

「通ごのみ~扇辰・白酒二人会~」(2014/10/23)

「通ごのみ~扇辰・白酒二人会~」
日時:2014年10月23日(木)18:45
会場:日本橋劇場
<  番組  >
前座:林家つる子『のめる』
桃月庵白酒『茗荷宿』
入船亭扇辰『五人廻し』
~仲入り~
入船亭扇辰『一眼国』
桃月庵白酒『死神』

今回から会場が日本橋劇場へ移り少し広めになった。客の入りが良いせいだろう。この日も1階は満席だった。
プログラムが無くなってしまったのは感心できない。主催者の手抜きかな。
白酒がマクラで相変わらず落語家の入門者が多いと語っていたが、女性の入門だけは制限して欲しい。こればかりは男女機会均等とは意味が違う。何度もいうが落語家だけは女性に向かない。落語会や独演会の初っ端に前座の下手は噺を聴かされるのには閉口しているが、特に女流は迷惑だ。
時節柄、二人ともに安倍政権閣僚のスキャンダルをとりあげていた。明治座だワインだウチワだカレンダーだで、今度はSMバーですか。噺家のネタには困らないだろうが、自民党の現状は嘆かわしい。もっとも白酒のいうように、それを受け入れてきた国民にも問題はあるのだが。

白酒『茗荷宿』
この噺は古典で、東京と上方両方で演じられていて、東京では10代目金原亭馬生が持ちネタにしていたようだ。茗荷を食べると物忘れするという言い伝えから出た話し。
江戸と大坂を往復する飛脚が道中で足をくじいてしまい、近くに宿を取る。めったに客の来ない宿屋で名前は『茗荷屋』。飛脚は挟み箱を宿の主人に預けるとズシリと重い。きけば中身は50両小判。そこで宿の主人夫婦は飛脚に茗荷づくしの食事を与えれば、金を預けたことを忘れて出発してしまうと期待し、それを実行する。飛脚も茗荷は好物といって良く食べて、残りは宿の女房がたいらげる。
翌朝宿を出た飛脚は予想どおり挟み箱を忘れていった。大金が手に入ったと喜ぶ宿の夫婦。
そこへ飛脚が戻ってきて、忘れ物の挟み箱を受け取ると一目散に走り去った。
「何か忘れていった物は無いかね」
「あぁ、宿賃もらうのを忘れた」
白酒は献立に「茗荷の刺身」や「茗荷の開き」を出して笑うを誘う。
いかにもこの人らしい快調なテンポで笑いを誘っていた。古今亭の珍しいネタを継承する白酒の努力は賞賛に値する。

扇辰『五人廻し』
扇辰がこのネタを、ほー、興味津々。
最初の男、二階の若い衆に「廓の法」を説かれると、怒りにまかせて「吉原縁起の言い立て」をまくし立てるのだが、ここが最大の見せ場。ここはある程度演者の狂気が求められる。ベストは談志。扇辰は胸のすくような啖呵を切って拍手を浴びていた。
第二の客は官吏のようだ、四隣沈沈、空空寂寂、閨中寂寞とやたら漢語を並び立てる。妻が病で夫の要求に応えられない。見かねた妻が吉原に送り出してくれたのに、女が来ないとは何事だと、遂には泣きだす。この狂気ぶりも良い。
第三の男は田舎者、まるで『百川』の百兵衛のような喋り方。無粋だねぇ。
第四の客は通人風。オネエ言葉でしゃべるのだがこれが嫌味ばかり、しまいには若い衆の背中に灼け火箸を押し付けると脅す始末。
4人が4人とも、尋常でない客ばかり。
やっとの思いで喜瀬川おいらんを捜し当てると田舎大尽の杢兵衛だんなの部屋に居続け・・・。
今回のような「弾けた扇辰」を見たのは久々だ。これが扇辰の最大の魅力であり、扇橋門下でも異彩を放つ由縁でもある。

扇辰『一眼国』
確かネタおろしは昨年だったと思うが、今ではすっかり扇辰の十八番になっている。

白酒『死神』
人間の死亡率は100%だ、誰もが最後は死ぬわけで、してみると誰もが死神に憑りつかれているわけだ。死神は進んで人を死に追いやるという役割ではなく、むしろ人の運命(さだめ)をみつめる神なのかも知れない。
白酒の描く死神はやたら明るい。そりゃそうだろう、死にたいと思っていた人を励まし、生きる希望を与えるのだから。病人の足元に死神がいれば呪文を唱えれば追い出すことが出来て、病人は全快すると教えられた男。すっかり名医の評判を取り、往診を受けたい人が朝から行列を作る始末。仕方ないのでオークション形式で診察料の高い客を優先して往診する。ところが金使いが荒いので直ぐに稼ぎは消えてしまう。
江戸きっての金持ちの病人宅へ出向くと、死神は枕元に座っている。直せば1万両という金に目がくらみ男は一計を案じる。病人の布団の四隅に力の強い男を配置し、「かごめかごめ」を始める。死神があっけにとられている隙に「後ろの正面だぁれ」で気が付けば死神は足元に。男が直ぐに呪文を唱えると死神は退散。まんまと1万両にありつけるが、以前に出会った死神が現れ、約束が違うと叱られ洞窟に連れていかれる。そこには全ての人間の寿命を示す蝋燭が立てられていて、男の蝋燭は風前の灯。なんとか新しい蝋燭に灯をつないだまでは良かったが、嬉しくなって蝋燭を持ったまま表に出て、明るいからと、ふーっと吹き消してしまう。やはり自分の運命には逆らえなかったのだ。
通常の『死神』を改変した作品、白酒の明るい個性が生かされていて成功したと言える。こういう演じ方もあるんだ。

この日の4席を聴いても、この会の人気の理由が分かる。

2014/10/22

日本が「監視社会」に

【盗撮】当人に知られないように,撮影すること。ぬすみどり。(「大辞林」より)

都市部に暮らしている人たちは日々「防犯カメラ」によって監視されているといっても過言ではない。いったい日本で何台ぐらいの監視カメラが設置されているのかさえ分かっていない。推計では2010年で約300万台ともいわれていて、しかも毎年38万台ずつ増えているという試算もある。街中に限らずコンビニ、オフィス、鉄道、公共施設など、様々な場所に監視カメラが置かれている。
監視カメラの先進国はイギリスで推定400万台が設置されているという。ロンドン市民は一日に300回撮影されているというのはよく引き合いに出されるが、東京など都市部に限ればそのロンドンに勝るとも劣らぬ監視社会になっているようだ。
防犯カメラと称しているが、実際には犯罪防止に効果が確認されていない。
これらのほとんどは私たちが知らずに撮影されているわけで、「盗撮」である。
一般に女性の下着姿などが小型カメラで撮影される盗撮被害が問題になり「盗撮法」を作る動きもあるが、こうした法律を制定しようと思うと監視カメラの撮影も問題になることから難しいと判断されている。

防犯カメラの映像はしばしば犯罪捜査に使われ、時にはカメラの映像を公開することにより容疑者が捕まることがある。
しかし防犯カメラで撮影されるのは犯人だけではない、私たちの行動も常に撮影されていることも忘れてはならない。
こうした映像がどう利用されているか、実態が不明なのだ。警察から提出の要請があれば、映像データを提出するのが一般的だ。入手した映像データはそのまま警察に蓄積される。問題はその先で、「情報業者」とよばれる人たちが入手しているケースがあるということだ。
月刊誌「選択」2014年7月号によれば、こうした「情報屋」はギブアンドテイクや金銭授受などにより警察から情報を得ているとしている。ある情報屋は、「国家機密、軍事機密以外で手に入らない情報はない」と豪語している。
彼らが入手しているのは映像データだけではない。携帯電話の通話記録、企業の顧客データ、銀行の取引データまで、ありとあらゆる情報が手に入るという。
もちろん非合法なので時に捕まる人間も出るがイタチゴッコになっているのが実情のようだ。
ニーズがあるところに商売は成り立つわけだ。

ではインターネットのデータはどうかというと、こちらはさらに完全な監視が行われている。
2011年の法改正で日本国内のプロバイダーは通信に関して3カ月のログ保存が義務付けられた。内容は発信者、受信者、経路の記録である。通信内容は対象外だが、事業者は保存し活用している可能性は大だ。
私たちがネットで買い物をすると、他のサイトを見ている時にいきなり購入した商品に関連した商品の宣伝が表示されることがある。これなど活用例といって良い。
自動車では公安委員会のNシステムは全国で約1500か所設置されており、自動速度違反取締装置は500か所ある。他に交通量読み取り装置であるTシステムがあり、本来は捜査には使われないことになっているが実際には犯人逮捕で使われた例があるという。

映像処理技術の進歩はめざましく、今では顔認証や歩行認証システムの開発など日進月歩だ。
問題は、監視カメラの運用ひとつをとりあげても、規制やガイドラインが整備されていないことだ。日弁連ではいくつか提言をしているが実現にいたっていない。
今や日本は「監視社会」「監視大国」になった。
自分の行動が常に他人から見られているという社会であることに注意せねばなるまい。

2014/10/21

明治座と団扇で首が二つ飛び

明治座と団扇で大臣が辞任とは、実にオソマツな話しだ。昨10月20日、安倍政権の改造人事の目玉だった小渕優子経産相は明治座観劇会などでの政治資金のデタラメが表面化したことで、うちわ配布問題で追及されている松島みどり法相は「国会審議への影響を避けたい」との理由から、それぞれ辞任したものだ。
二人の辞任会見をみていると、映像はウソをつかないなぁと感じる。
Photo
小渕優子の方はひたすら謝るという姿勢を見せて、信頼する会計責任者に任せておいて自分は知らなかったという責任逃れに終始した。「私自身、分からないことが多すぎる。何でこうなったか疑念を持っている」「大きな疑念があると言わざるを得ない」と、まるで他人事のような言い方だ。社員が不祥事を起こした企業のトップが会見でこんなことを言えば袋だたきだ。
これに呼応するかのように小渕の元秘書で会計責任者の群馬・中之条町の折田謙一郎町長が町議会に辞表を提出した。折田は報道陣の質問に、私設秘書として関連政治団体の収支報告書を作成した責任者であることを認めていた。殿の代りに腹を切る覚悟、まさに忠臣である。

もう一方の松島みどりの方は、いちおう謝罪の言葉はあったが、顔は謝っていない。時折り笑顔さえ浮かべていた。
会見では「法相という重職として、安倍内閣の足を引っ張ることができないと判断した。これからは一議員として内閣を支えたい」とも述べた。ただ、「法に触れる行為をしたとは考えていない」と強弁していた。
問題となった「うちわ」の配布についても「有価物ではない」とくり返していたが、この件で民主党から公選法違反で告発状が提出されていて、20日には東京地検特捜部が受理している。こうなると法相にとどまるわけにはいかない。うちわを討議資料だと言ってたが、討議資料の場合は不特定多数に無差別に配布できないはずだ。法務大臣でありながら初歩的な法律の知識も持ち合わせていなかったからには、辞任は当然だろう。
「団扇(うちわ)」が「内輪(うちわ)」の話では済まなくなったというわけ。
「うちわ外!」。

国会議員には歳費や手当などの議員報酬の他に、国会議員定数に応じて政党助成金まで支給されている。まさに「至れり尽くせり」なのだ(国民からすれば「踏んだり蹴ったり」)。いうなれば税金丸抱えだ。従って活動費用は公明正大でなくてはならず、法に照らして厳密でなくてはならぬ。
小渕も松島も、そうした当たり前のことが出来ていないわけで、大臣はおろか国会議員としての資質も欠けていると言わざるを得ない。
二人とも、議員辞職が相当だ。

20日には、大阪市の橋下徹市長と「在日特権を許さない市民の会」(在特会)の桜井誠会長との面談という催し物もあった。動画サイトをのぞいたが、ひどいもんだね。
桜井「あんた」
橋下「『あんた』じゃねぇだろ」
桜井「『お前』でいいのか?」
橋下「お前なぁ」
桜井「『お前』って言うなよ」
橋下「うるせぇな、お前」
まるでチンピラの口喧嘩だ。
映像で見るかぎりでは、桜井っていうのは駄々っ子だね。あんなのが会長やってんだ。チンピラVS駄々っ子の争い。
なんていうことはない、二人揃って天下に恥を晒したわけで、まさに「兄たり難く弟たり難し」。
(敬称略)

2014/10/20

ノーベル賞・中村修二氏「研究費の半分は軍から」

高校3年3学期の化学の最後の授業で、学科主任の教師は私たち生徒にこう訴えた。「戦争中は多くの化学者が戦争に協力した。君たちがもし化学の道に進むならそういう化学者には絶対になるな」と。それまでは保守的な教師という印象だったのでこの言葉に驚き、今でも強く記憶に残っている。

さて、今年のノーベル物理学賞受賞者の中村修二米カルフォルニア大学教授のインタビューが、10月18日付朝日新聞に掲載されている。
中村氏の主な主張は以下の通りだ。
①特許の権利を会社のものにするという政府の方針については猛反対だ。自分の裁判を通じて企業の研究者や技術者の待遇がよくなってきたのに、それをまた大企業のいう事をきいて会社に帰属させるのはとんでもない。
②米国ではベンチャー企業の起業が盛んで、科学者もみなベンチャー起業でお金を稼いでいる。ベンチャーの報酬の支払いは株なので、上場すれば何十億、何百億円という金になる。だから優秀な人はベンチャーに移り、出来の悪いのが大企業に残る。日本にはそうしたシステムがないから大企業からベンチャーにこない。
③米国の工学部の教授だったら皆コンサルティングやベンチャーをやっている。日本は規制が多くそれができない。
④日本はグローバリゼーションに失敗している。
⑤日本の教育制度について、小さい時からどんなものが好きかを見て個性を伸ばす教育をした方が良い。第一言語を英語、第二言語を日本語にするくらいの大改革をやらないといけない。
⑥米国の大学教授の仕事はお金を集めること。自分のところでは年間1億円くらいかかる。半分は軍からくる。軍の研究費は機密だから米国人でないと貰えない。米国で教授をして生きるなら米国籍を取得せねばならない。

要約すれば、”中村修二氏のように優秀な研究者は、日本では自由な研究ができず、実績に見合った報酬も受け取れない。それに対してアメリカでは科学者も自由にベンチャー企業を起業化でき、莫大な収入が得られる。日本もノーベル賞級の研究を行うとするなら、米国のような環境に整備すべきだ。そのためには教育を含めいっそうグローバリゼーションを推進せなばならない。”という事。

成功者は強い、何を言っても許される。
アメリカン・ドリーム。
しかしアメリカの研究者誰もが中村氏のいうように自由な研究ができ莫大な収入を得ているかというと、そうでもないようだ。むしろ少数であり、大半の研究者(中村氏の言う「出来の悪い」研究者たち)はそうした境遇とは無縁のようである。
中村氏の主張するグローバリゼーション=アメリカ化には賛成しかねる。
それより気になったのは、中村氏の研究費が年間1億円くらいで、その半分は軍から支給されていると述べている点だ。研究内容なむろん軍事利用であり、だからこそ守秘義務があるので米国籍が必要なのだ。
軍から毎年5千万円くらいの補助を貰わないと教授として生きられないという実態について、さらにはそのために研究成果が軍事利用される恐れについては、中村氏はどのように考えているのだろうか。
ノーベル賞創設の経緯からみて、いかがなものか。

2014/10/19

桂文我、他「東の旅・往路~通し」(2014/10/18昼)

「桂文我独演会特番『東の旅・往路』通し口演」
日時:2014年10月18日(土)13:30開演
会場:紀尾井小ホール
<   番組   >
『東の旅発端』桂小鯛
『奈良名所』桂文我
『野辺~煮売屋』桂しん吉
『七度狐』桂米平
『軽業』笑福亭生喬
『うんつく酒』桂文我
~中入り~
『常大夫儀大夫』桂米平
『鯉津栄之助』桂文我
『三人旅』桂しん吉
『浮かれの尼買い』笑福亭生喬
『間の山お杉お玉~宮巡り』桂文我

祝!阪神タイガース日本シリーズ進出決定!
まさかCSを無敗で勝ち上がる、とりわけ後楽園ドームで巨人に4連勝するとは思わなかった。シーズン中はあと一歩まで巨人を追い詰めながら首位に立てなかったウサを晴らした格好だ。
CSファイナルではクリンナップや先発、抑えの活躍に眼が行きがちだが、陰の殊勲者は中継ぎの投手陣だ。彼らの仕事を抜きにしてはCSを勝ち上がることは出来なかった。福原、安藤、高宮、そして松田らに大きな拍手を贈りたい。
ここまで来たら、ぜひ日本一の夢をかなえて欲しい。

上方落語には旅の噺が多い。もちろん東京の落語にもあるが、その多くは上方から移したものだ。
当時の観光地の中心は大半が西日本で、京都、奈良、伊勢、金毘羅などへ行くにも大阪は地の利が良い。旅の噺が多いのはそのためだろう。旅先が龍宮や地獄もあるくらいだから、旅好きというお国柄もあるのかな。
今回のテーマ「東の旅」は、大阪から奈良を通りお伊勢詣りをして、帰路は京都を経て大阪に戻るというコースだ。
「桂文我独演会特番『東の旅』通し口演」は、昼夜に分けて全編を口演するという意欲的な企画だ。その昼の部「往路」に出向く。
会場の紀尾井ホールは外堀の対面、上智大学とHニューオオタニの間に位置するホールで、落語会には似つかわしくない会場とも思える。せっかくの企画だったが、入りは4分程度と寂しい。
休憩を除いて3時間以上という長講だったが、ざっとあらすじを以下に紹介する。

『東の旅発端』
「ようよう上がりました私が初席一番叟で御座います」と開口一番の小拍子と張扇を用いての口上から始まる。「たたき」と言われるこの発端部分は前座修行のスタートでもあり、ここで発声やリズム、間の取り方を徹底的に仕込まれるんだそうだ。
喜六と清八が伊勢参りに出かける。大坂から出立し東へ向かう。
『奈良名所』
奈良の名所案内が行われる。当時の大阪でも伊勢参りに行ける人は少数だっただろうし、このネタはそうした観客への観光ガイドでもあったのだろう。
大仏の開眼で、大仏の中に落ちてしまった眼を直そうと子供が大仏の中に入って眼を入れて、鼻から出て来る、という小噺が入る。
『野辺~煮売屋』
野辺へ出てくると、伊勢参りからの帰りの一行とすれ違う。喜六と清八が煮売屋で休息するが、これが変な店で・・・。
『七度狐』
往路のハイライトともいうべき部分で、投げた石が狐に当たってしまい二人が何度も化かされて散々な目に遭う。
『軽業』
二人は祭りの見せ物小屋のインチキ興行でひどい目にあう。おの後は軽業興行を見物するが、綱渡りを演者が指二本と扇子で模写をする芸が見どころ。
『うんつく酒』
造り酒屋で酒を断られた二人が暴言を吐くと、怒った酒屋の主人が奉公人たちを集め袋叩きにしようとするが、清八の機転で危うく切り抜ける。
『常大夫儀大夫』
博打に負けてスッテンテンになってしまった二人。仕方なく義太夫語りに扮してひと稼ぎしようと企むが、女乞食からからかわれて・・・。
『鯉津栄之助』
大和三本松の鹿高の関で、領主の倅の名「鯉津栄之助」に通じる「こいつぁええ」と言う言葉を禁じられる。ところが喜六はその禁句を言ってしまい縛られるところを、清八が機転を利かせて・・・。
『三人旅』
なぜかこの場面だけ源兵衛を加わっての三人旅、馬子との軽妙な掛け合いある。
『浮かれの尼買い』
伊勢明星の宿に宿泊し女郎を買う事になるが、喜六が尼さんに当たってしまう騒動。
『間の山お杉お玉~宮巡り』
伊勢間の山にいた女芸人に、喜六が仙台銭を投げつけるが投げ返される。
いよいよ最終目的地の伊勢参り。ここでは伊勢神宮の宮参り、名所巡りが紹介される。お参りの帰りに喜六に乗った駕籠が他の一団に紛れてしまい、宿に着けずに堂々巡り。

上記のように「東の旅」は一貫した物語ではなくひとつひとつのエピソードは独立していて、喜六と清八という二人が主人公の短編集の形式となっている。そのいくつかは単独のネタとして口演されている。東京にも移されていて、『二人旅』『三人旅』『七度狐』『萬金丹』『長者番付』『夜店風景』(あるいは『一眼国』のマクラ)『蝦蟇の油』などの演目でお馴染みだ。オリジナルはこういう話だったのかと思いながら聴いていた。
江戸時代の旅は神信心が中心だ。しかし当時の旅人は男世界であり、自然と旅の楽しみは酒と女性ということになる。有名な神社の近くに必ずといって良いほど色街や歓楽街があるのはそのためだ。旅の物語はまた「酒と女」の物語でもあり、落語のテーマとしてはもってこいなのだ。
男の旅の楽しみというのは今でもあまり変わらず、アジア方面の団体ツアーでは、かつては「JALパック」ならぬ「やるパック」(スミマセン、下品で)が有名だったし、今でもツアーの男性グループの中には観光は口実で買春が目的という人たちとぶつかる事がある。60代、70代の元気なオジサンたちが、奥さんには内緒で大っぴらに買春して帰って行く。「業の肯定」、男ってものはいつまでも変わらない。断わっておくけど、アタシはしてませんよ。
落語がいつまでも色褪せないのは、そのためだろう。

この日のネタはいずれも賑やかな下座(お囃子)が鳴り響き、上方落語のエンタテイメント性を感じさせてくれた。
桂文我は三重県松坂出身ということもあり、「東の旅」には特別の思いがあるようだ。最後の『宮参り』は文我は掘り起こしたものだそうだ。この日の出演者である米平と一緒にこのコースを6泊7日かけて歩いてみたそうだ。そうした思い入れは客席にも伝わった。出来れば文我一人の通し口演を聴きたいと思った。
他では生喬の芸達者ぶりが印象に残った。

2014/10/17

「ブレス・オブ・ライフ」(2014/10/16)

「『ブレス・オブ・ライフ』~女の肖像~」
”シリーズ「二人芝居─対話する力─」Vol. 1”
日時:2014年10月16日(木)14時
会場:新国立劇場 小劇場 THE PIT

作=デイヴィッド・ヘア 
翻訳=鴇澤麻由子 
演出=蓬莱竜太
<  キャスト  >
マデリン=若村麻由美 
フランシス=久世星佳

舞台はイングランドの南端ワイト島にあるマデリン宅の書斎、潮騒の音が鳴り響き、窓を開ければ海岸からの風がカーテンを揺らす。そのテラスハウスにフランシスが訪ねてくる。
芝居は終始、この部屋での二人の会話だけ。
フランシスにはマーティンという弁護士の夫がいたが、夫は若い女の元へ走り離婚、今は子どもと一緒に生活している。以前は主婦だったが現在は流行作家だ。
マデリンの方はマーティンと不倫関係にあったが今は切れている。以前は博物館の研究者だったが、今では書斎に閉じ籠って、本人によれば色々なものの「起源」を調べている。
つまりこの物語は、ある男の元妻が元愛人の家に訪ねてきたという設定だ。
妻が愛人の元へ怒鳴り込んでの修羅場なら毎度ドラマでお馴染みだが、二人とも「元」なのだ。元妻は作家として成功もしている。
いったい何しに来たんだろうとマデリンが戸惑うのも無理はない。
やがてフランシスは夫との昔話を始める。夫マーティンに対しなぜマデリンに惹かれているのか、その理由を問い詰めた時のことだ。夫は日々家事や育児に追われる妻の仕事を否定し、マデリンの生き方に共鳴し魅力を感じていると語る。この時フランシスはそれまでの抑制的態度をふりすて、激しい口調でマデリンに感情をぶつける。
後半で、フランシスはマデリンのデスクの上に立ててある写真を見つける。そこには1960年代の頃の若いマデリンとマーティン二人が写っていた。フランシスは二人の馴れ初めを訊ねると、マデリンは1960年代に二人は知り合ったが彼女の方から離れてゆきそのままになっていた。ところが70年代になって偶然再会し、灼けぼっくいに火が付いてしまったのだ。マーティンは「君がもしあの時に僕から離れなかったら、今のような状況にはならなかった」と言われてことを告げると、そこでフランシスは怒りを爆発させる。
二人の間の長い会話から浮かびあがってくる、マーティンという男の真の姿。
ここに至って、フランシスの「決着(かた)を付けに来た」という目的は達せられたかのようだ。そして二人のマーティンに対する思いもまた。

芝居は休憩前の前半は淡々としていて退屈だったが、後半になってから一気にドラマチックになった。
明け方に窓辺に腰かけてフランシスがタバコを吸う場面や、マデリンがマーティンとの馴れ初めを語る際にマデリンは客席に対し正面を向き、フランシスは背中を向けて対話するシーンなどが特に印象に残った。
ただ元妻が元愛人宅に訪ねてくるというシチュエーションというのは分かりづらいかな。あまり必然性を感じないもんね。セリフのちょいと哲学的で理解できない所もあったし、客席の反応も今ひとつだったと思う。
二人の状況に感情移入できるかどうかで、この芝居の評価が違ってくるのでは。

若村麻由美と久世星佳は揃って熱演だったが、久世の低音の抑制したセリフ回しが効果的で、後半の感情の爆発を強く印象付けた。演技も上手く、若村を食っていた。

公演は10月26日まで

2014/10/15

「談笑・三三 二人会」(2014/10/14)

みなと毎月落語会「談笑・三三 二人会」
日時:2014年10月14日(火)19時
会場:赤坂区民センター区民ホール
<  番組  >
立川吉笑『道灌』
柳家三三『呼び継ぎ』
立川談笑『饅頭こわい』
~仲入り~
立川談笑『堀の内』
柳家三三『錦の袈裟』

列島を縦断した台風19号が一過、東京は強めの吹き返しのなか青空が広がった。
談笑は久々だ。集中的に聴いていた時期があったが、飽きがきたのと、この人の時おり見せるアジア人蔑視風なクスグリに嫌気がさしてしばらく遠ざかっていた。
三三との二人会というのは珍しいのでは。二人の落語家としてのキャリアはほぼ同じだそうだ。

吉笑『道灌』、いかにも談笑の弟子らしい芸風。

三三『呼び継ぎ』、珍しい噺で調べたら、柳家小満んの30年以上前の新作。”呼び継ぎ”というのは、骨董品などで欠けた部位を他の材料で補修することを言うらしい。こういうタイトルの付け方が小満んらしい。
男Aが男Bの養女を嫁にもらう。目はパッチリ鼻は高く歯並びが良いし胸も大きいという器量良しだ。
Aは新婚旅行に行った京都でお土産に高価な骨董品である徳利を買って帰りBに渡す。
後日AはB宅を訪れると酒をふるまわれるが、なぜかお土産に渡した徳利が出てこない。
理由を訊くと、Bは言いにくいことだが徳利の口が最初から欠けていたので修理に出しという。徳利の口が”呼び継ぎ”だったのだ。
するとAは言いにくいことだが、嫁の歯が差し歯だったと告げる。
こんな具合にBはお土産の徳利の欠点をあげつらねると、Aは嫁にした娘が鼻は整形で目はコンタクトでつけまつげ、胸も・・・と次々と欠点と並べる。
骨董品も娘もお互い”呼び継ぎ”だらけだったという話。
最近の三三は2席演じると、1席は新作というケースが多い。若いうちだから色々チャレンジするのは良いことだ。このネタを古典落語のように演じて味わいがあった。

<訂正10/16>
記事で『呼び継ぎ』を小満ん作としていましたが、「りつこ」さんより下記のコメントが寄せられたのでご紹介します。
【呼び継ぎはもともと随筆で、小満ん師匠が面白いと思って作者に連絡を取って落語にしても良いですか?と聞いたら、作者が私が落語に書きましょうと書いてくださったとおっしゃってました。】

談笑『饅頭こわい』、いつものように出囃子にのって早足で高座に上がり、TVレポーターの仕事についての長めのマクラからネタへ。
中身は、蛇が怖いという男だが、長いものは何でも怖いのだ。訊くと幼いころに親から鎖に繋がれていた記憶のトラウマらしい。大きな「改」はこの辺だけで、他は嫌いな虫の種類が通常と異なることと、出てくる饅頭が現代風である所ぐらい。ほぼ古典に沿ったものだった。

談笑『堀の内』、粗忽な男が堀の内にお参りに行くが、反対方向へ行ってしまい隅田川のほとりに出る。ここで弁当を広げると、中は女房の腰巻にくるんだ枕。いったん家に戻ると女房が男の顔に「わたしは堀の内へ行きます」と書いてしまう。これなら間違いはない。ようやく堀の内に着いて再び弁当を広げると、既視感がある。家に帰ると、子どもを連れて風呂に行ってくれと頼まれる。子どもは「とおちゃんと風呂に行くくらいなら死んだ方がましだ」と泣くと、「お前は朝鮮人か」と叱られる(やっぱり出た!)。
子どもをおぶって風呂に行くが、最初は間違えてソープへ。「かあさんには内緒だぞ」。次は煙突を目指していくと火葬場。ようやく風呂屋にたどりつくが失敗ばかり。子ども背中を洗うつもりが風呂屋の羽目板からさらに上にあがり・・・。
談笑らしさが出た一席。

三三『錦の袈裟』、通常通りの筋の運びで、与太郎と寺の和尚とのヤリトリに三三らしさが出ていた。時おり前の談笑の高座を受けたクスグリを入れながらテンポ良く聴かせてくれた。

2014/10/14

笑福亭福笑独演会(2014/10/13)

「笑福亭福笑独演会」
日時:2014年10月13日(月)14:00
会場:横浜にぎわい座芸能ホール
<  番組  >
前座・三遊亭わん丈『国隠し』
笑福亭たま『漫談家の幽霊』
笑福亭福笑『千早ふる』
~仲入り~
清水宏『スタンダップコメディ』
笑福亭福笑『狼の挽歌』

10月に入って2週続けての大型台風の上陸って、このところ日本列島はいったいどうなってるんだろう。福笑が言ってたが、地球全体の歴史の中でほんのわずかな歴史しか持たない人間が、やれ「地球にやさしい」なぞと抜かすのは「おこがましい」のかも知れない。休火山だの死火山だの、人間が勝手に名づけているだけ。山からすればそんなこと関係なく噴火する、とも。
自然の美しさに感嘆すると同時に自然への畏怖の気持ちを忘れてはいけないのだろう。
「笑福亭福笑」、上から読んでも下から読んでも同じ回文式芸名だ。アタシはお初。
6代目松鶴の3番弟子、もしかして東京の落語ファンには「たま」の師匠の方が通りがいいかも。たまの「上下(かみしも)」を振らないしゃべりは師匠譲りだった、という事をこの日発見した。
笑福亭福笑を紹介する記事をみると、上方落語会きっての「爆笑派」とか、メディアに出ることは少ないが過激な高座で大阪には熱狂的ファンがいるとか、古典と新作(自作)の両刀使いであると書かれている。
この日の高座を見る限りでは全てその通り。
会場を見渡すと、東京でも熱狂的ファンがいるようだ。

前座・わん丈『国隠し』、滋賀県出身ということで自虐的な新作だった。江戸落語を目指すようだが、「地」のしゃべりに関西のイントネーションが抜けていない。

たま『漫談家の幽霊』、末広亭の芸協の芝居にゲスト出演するなど、すっかり東京の落語ファンにもお馴染みになった。
マクラで上方落語の怪談噺について語っていたが、東京と同様に客席を暗転させ白い着物の幽霊を出していたそうだ。幽霊が冷たいコンニャクで女性客の頬をなぜるというのは上方流、そこまでやるか。
ネタは集まった男たちが順に怪談話を披露し合うというもの、これがちっとも怖くないばかりか、脇にいる人間がオチをつけて小咄にしてしまう。この辺りは、たまのギャグ満載だ。相変わらず切れ味とテンポの良い高座。この人はやがて上方落語を背負う一人になるだろう。

福笑『千早ふる』、冒頭に書いたようなマクラをふりながら客席をしっかりツカムあたりは、さすが。
見台に向かって前かがみでしゃべる独特の姿勢、カミシモを振らないので常に客席へ向かって語りかけるようなスタイル。
このオッサンはいきなり百人一首の歌の意味をききにくる。作者の名前さえまともに読めないのに。相手の男もまたチンプンカンプン。「この千早って、なんだや思う?」「人の名前でっか」「そう、人、島原の花魁の名前や」ってな感じで解釈が進む。「からくれない」もオッサンが「豆腐のオカラをくれないか」とヒントを出す。通常の訪ねてきた男の疑問に片方の男が一方的に解説するという形ではなく、二人で話し合いながら解釈をする。こういう演じ方もアリか。

清水宏『スタンダップコメディ』、客席に拍手や声援を求める割には、本人のネタは大したことない。良さが分からない。

福笑『狼の挽歌』、新作で代表作の一つのようだ。二人のヤクザが相手の組の事務所に殴り込みをかけ、警察に追われる途中でタクシーの運転手を人質に取り逃走する。この運転手も変わっている。二人が片手に拳銃、もう片手に日本刀を持って逃げてくるのをドアを開けて拾ったんだから。ヤクザ二人は運転手を脅し、空き倉庫に逃げ込む。この辺りから様相がかわり、運転手が二人に説教を始める。やがて倉庫の周囲を警官が包囲し投降を呼びかけると、運転手は怯えるヤクザから銃を取り上げ、二人を叱咤激励しながら警察に向かって発砲し始める・・・。
ヤクザと人質の立場が次第に逆転していく面白さがミソ。ちょいと『らくだ』を思わせる。
こうした落語になりにくい題材を使って新作に仕上げるところがこの人の特長なんだろう。それも福笑のパーソナリティが生きていえばこそで、他の演者では難しかろう。

一口にいうと「癖になりそな」噺家で、魅力を文章では表現しづらい。実物を見て貰うしかない。福笑はそういう人だ。

2014/10/12

ノーベル賞・中村修二氏の発言への疑問

今年のノーベル物理学賞は青色発光ダイオード(LED)を発明した名城大学の赤崎勇教授、名古屋大学の天野浩教授の日本人2名と、米国人で米カリフォルニア大学教授の中村修二教授の3名が受賞した。
赤崎氏と天野氏は、青色発光ダイオードの原材料となる窒化ガリウムの結晶を作ることに成功し、青色発光ダイオードを世界で初めて開発した。だが当初は輝度が十分ではなく実用には耐えなかったが、中村氏は製法を改良し、より明るい青色発光ダイオードの量産化にメドを付けたものだ。
この中で受賞を受けての会見で中村修二氏は「すべてのモチベーションは(日本に対する)怒りだった」と述べた。この怒りの矛先は、かつて所属していた日亜化学工業社と日本の司法制度に向けられたものと推定される。

経歴をみると中村氏は1979年に日亜化学工業(以下、日亜と略す)に技術者として入社し半導体の開発に10年間携わった。その後、青色LEDの製造装置に関する技術開発に成功、実用化につなげたとある。
日亜は1993年に世界で初めて青色LEDの製品化を発表、企業の業績を伸ばすこととなったが、当時中村氏が受け取った報奨金は2万円だった。
中村氏は1999年に日亜を退社し、2年後の2001年に職務発明の対価をめぐって訴訟を起こした。1審では日亜側に200億円の支払いが命じられたが、2005年に高裁判決で和解し、中村氏には約8億円が支払われたという。
8億円は職務発明の対価としては巨額と思えるのだが、中村氏は和解成立後の会見で「日本の司法制度は腐っている」と不満を露わにしていた。

これに対する日亜の見解だが、中村氏との和解に至った判断として「今後、中村氏との間で起こるであろう紛争が一気に解決され、それに要する役員・従業員の労力を当社の本来的業務に注ぐことができる点や、将来の訴訟費用を負担しなくて済む点を考慮した」と説明していた。
和解成立時に発表された社長のコメントには「特に青色LED発明が一人でなく、多くの人々の努力・工夫の賜物である事をご理解いただけた点は、大きな成果と考えます」としていた。
同社は今回の中村氏の受賞に際して次のコメントを発表している。
「日本人がノーベル賞を受賞したことは大変喜ばしいことです。とりわけ受賞理由が、中村氏を含む多くの日亜化学社員と企業努力によって実現した青色LEDであることは、光関連技術の日亜化学にとっても誇らしいことです。今後とも関係者各位のご活躍をお祈り申し上げます」
つまり青色LEDには多くの従業員が係わっていて、それらの総合的な力によって工業化が成功したと主張しているわけだ。

一般的に企業の研究開発テーマは会社側が決める。なかには研究者からのテーマアップもあるが、採用するかどうかを決定するのは企業だ。なぜなら研究開発に必要なモノ、ヒト、カネは全て会社が負担するからだ。
企業の研究開発の中で工業化に成功するのはわずか数%といわれている。研究に失敗しても担当者の責任が追及されたり、かかった費用の弁済を求められることはない。成功すれば評価され、それなりの表彰や報奨が与えられ、時には昇進に結びつくこともある。
つまり企業の研究者はノーリスクなのだ。であれば、成功した時の報酬も一定の限界があるのは止むを得ぬことだろう。
もし企業が開発に成功した際に担当者の一人だけに数億円の対価を支払うようになれば、他のスタッフや他部署の協力が得られなくなる。
世の中は利益とリスクのバランスによって成り立っている。巨大な利益を求めるなら自らリスクを負わねばならない。と、私は思っている。リスクをおかさずに大きな利益を手に入れたい、そんなオイシイ話はこの世の中には転がっていない。

中村氏は、当時の日亜社長だった小川信雄氏に青色LEDの開発を直談判し、開発費の支出と米国留学の許可を取り付けた。それによって青色LEDの製造装置に関する技術開発に道を拓いたようだ。
もちろん、中村氏の優れた能力と開発への情熱があったればこそだが、企業の研究者としてはかなり恵まれていると言っていいだろう。
その結果、中村氏はノーベル賞を受賞し、日亜は企業業績をのばしたとすれば、お互い大いにハッピーな結果になったわけだ。
それでもなお「怒りだった」と語るのは、ご本人の性格上の問題ではなかろうか。
その「怒り」が仕事の推進力になっていたとしたら、それはそれで結果オーライだっとというべきか。

2014/10/10

「桂吉弥独演会」(2014/10/9)

噺家生活20周年「桂吉弥独演会」
日時:2014年10月9日(木)18時30分
会場:国立劇場小劇場
<  番組  >
桂塩鯛『二人癖(のめる)』
桂吉弥『高津の富』
ゲスト・柳家喬太郎『ハンバーグのできるまで』
~仲入り~
桂吉弥『地獄八景亡者戯』

歌手などではよく芸能生活00周年コンサートと銘打って公演をしているが、東京の落語家ではあまり見られない。この日の桂吉弥の独演会は噺家になってから20周年を記念したもので、通常は毎年国立演芸場で開いているが、今回は特別ということで国立小劇場での開催だ。ゲストの喬太郎とは1998年のNHK新人演芸大賞決勝で顔を会わせて以来の付き合いらしい。その時の優勝者・喬太郎の『午後の保健室』は衝撃的だったと吉弥は語っていた。
最初に指摘しておきたいのは、終演時間が予定より40分ほどオーバーしていた点だ。落語会だから多少のズレは仕方ないが、後の予定があるお客もいるんだから終演が大幅に延びるのは感心しない。

喬太郎『ハンバーグのできるまで』
自分の会じゃないと気が楽だと語っていたが、この日はマクラから弾けていた。客席は喬太郎のファンも多かったようだ。このネタは5度目ぐらいかな、もっと多いかも知れない。彼の新作の中でも完成度が高く、そのせいでしばしば高座に掛けるんだろう。別れた妻が訪ねてきて、彼の好物であるハンバーグを料理してくれるというストーリー。
前半の商店街の人々が、食材を買い求める彼の姿を自殺でもするんじゃないかと心配し合うという笑いの場面から、後半は一転して元妻が再婚を報告するために彼を訪れたと分かる切ない幕切れという構成になっている。元妻の告白する時の表情と、それを受け止める彼の表情との対比がよく描かれている。
男女の切ないラブストーリーというのは以前の新作落語には無かったもので、この分野については喬太郎が切り拓いたと言っていいだろう。
出来も良くタップリ感もあったが、内容、口演時間ともに主役を食ってしまった感は否めない。

吉弥の1席目『高津の富』
東京では『宿屋の富』として演じられるこのネタは、いつの頃からか2番富を当てると妄想する男にスポットライトをあてる演出が主流となっている。吉弥も同様だった。
緊張していたのか、滑り出しは良くなかった。特に因州から来たお大尽というふれ込みの客の人物像が不出来だ。あれではいくら大法螺を吹いても宿の主人は信用しない。
高津の富の抽選会に移ったあたりから調子が出だし、2番富の男の妄想ぶりは良かった。
泊り客の男が抽選の張り紙を確認するシーンでは、以前から疑問に思っていたのだが、当選したら直ぐに高津神社の富の会場へ行って手続きしなくてはならないのに、なぜ泊り客は真っ直ぐに宿へ戻ってしまうのだろうと。
吉弥は、ここの所は当選を届け出た後に金は本人宅に届けられるという設定にしていた。これなら宿へ間直ぐに戻った理由も納得できる。
1番富に当たった男と宿の主人の歓喜もよく表現されていて、中盤以後は良く出来ていた。

吉弥の2席目『地獄八景亡者戯』
短く『ばっけい』とも称される上方落語の大ネタで、かつては桂米朝の十八番だったが今では米朝門下の人たちが多く手掛けている。特に枝雀、吉朝の口演が有名で他に桂文珍らがいる。吉弥としては大師匠、師匠の芸を継ぐわけだ。
落語としてはとても変わっていて主人公がいない。場面の転換とともに登場人物も次々入れ替わる。『源平』のように時事ネタ、ギャグ満載の落語だ。見る落語でもある。
吉弥の演出は以下の通り。
サバの刺身を食べて食当たりで死んだ男が冥土への旅路で伊勢屋のご隠居と再会するところ、道楽者の若旦那がこの世の楽しみに尽きて冥土への旅と洒落こみ芸者幇間一同を引き連れて冥土にやってくるまでの場面までは米朝と同じ。
三途の川岸のお茶屋の娘が三途河(しょうづか)の婆について語る場面では、婆を「STOP細胞」を開発しその後問題を起こした小保方晴子に見立てていた。
三途の川の渡し舟では、船頭の鬼がスマホを操作したり、エボラ出血熱で病死した人を登場させていた。
六道の辻には地獄の目抜き通り「冥途筋」の場面では、芝居小屋や寄席に冥土の人となった名人上手たちの名が登場するのは通常通り。初代と二代目春団治の親子会があったという所で「3代目はまだか」。
念仏屋の場面はほぼ米朝の通りだが、買い物シーンはカット。
閻魔の庁へ向かう途中に見える「紙の橋」はカット。
閻魔大王が出る場面では、閻魔の怖ろしい顔を作って見せた。
閻魔の庁での一芸披露大会では、先日亡くなった「やしきたかじん」を登場させ、ヒット曲を披露。替え歌で自己PRも。
地獄に送られた軽業師たちが人呑鬼を困らせる場面とサゲは米朝と同じ。
長講を飽きさせずに最後まで楽しませていたのは吉弥の実力を示すものだ。
ただ「やしきたかじん」に扮して歌う場面は頂けない。全体の流れからこのシーンだけ間延びし、その影響からか終盤がややダレテしまった。それと「やしきたかじん」は東京の人にはあまり馴染みがなく、物真似も似てるだか似てないんだか分からない。
吉弥としてはサワリの場だったのだろうが、東京公演として相応しいか疑問だ。

2014/10/09

「江戸の四季」

以前、俗曲「京の四季」につてい書きましたが、「江戸の四季」という唄がありますので紹介します。
この唄は、2代目柳家紫朝(小菊姐さんの師匠)が6代目三遊亭圓生から教わったものだそうです。
歌詞に出て来る「海晏寺」は南品川にある曹洞宗の寺院で、江戸時代は桜の名所として浮世絵にも残されています。

大津絵『江戸の四季』

是はお江戸の四季の景 
花は上野か向島
暮れて艶めく色里の 
梅は名主か臥龍梅
堀切の花菖蒲 
関屋の里の幾重ね
菊は染井のお手細工 
夕陽に紅葉は海晏寺
不忍の池のほとりに雪見酒
待乳の山の夜の大雨
橋場今戸の朝けむり

もう一つ江戸の四季に因んだ唄で「縁かいな」を紹介します。こちらは寄席の音曲でもお馴染みですね。

『縁かいな』

花の盛りは向島
そぞろ歩きの人と人
おつな年増と思い差し
花がとりもつ縁かいな

夏の涼みは両国の
出船入船屋形船
揚がる流星 星くだり
玉屋がとりもつ縁かいな

秋の夜長をながながと
痴話が昂じて背と背
晴れて差し込む丸窓に
月がとりもつ縁かいな

冬の寒さに置きごたつ
屏風が恋の仲立ちで
つもる話は寝てとける
雪がとりもつ縁かいな

アーア、こういう唄にあるような「ご縁」はついぞ経験しなかったなぁ。

2014/10/08

「アベノミクス」は何をもたらしたか

国際通貨基金(IMF)は10月7日発表した最新の世界経済見通しで、今年の日本の経済成長率予想を0.9%とし、7月時点から0.7ポイント引き下げた。先進国の中で最も大きな下方修正となった。
3日前に自転車を買いかえたが、近くの自転車屋の主人が言うには、この9月の落ち込みは50年間商売をしている中で最悪だったそうだ。この店主は東京の自転車組合の役員をしているが他店も同様で、他の業種も似たりよったりだと言っていた。当初は消費税増税のせいかと思っていたが、これは違うと。

毎月勤労統計調査(毎勤統計)でみた実質賃金は、昨年7月から前年同月比で1-2%前後のマイナスを続けていたが、ことし4月に3.4%のマイナスと一気に低下幅が拡大した。5月も3.8%、6月も3.8%と低下を続けていて、この丸1年連続して実質賃金は低下したことになる。
国税庁は9月末に、2013年分の「民間給与実態統計」を発表した。民間企業の従業員が1年間に得た平均給与は413万6000円で、これは1989年の水準とほぼ同じ。平均給与はこの四半世紀ほとんど変化なしなのだ。
総務省が9月30日発表した8月の3人以上世帯の家計調査によると、1世帯当たりの消費支出は28万2124円となり、物価変動を除いた実質で前年同月比4.7%減となった。消費税率が引き上げられた4月以降、5カ月連続のマイナスだ。依然として消費の回復が遅れていることが鮮明になった。
給与が下がってるんだから消費が落ちるのは当たり前のことで、「アベノミクス」のメッキが剥がれてきたことを示すものだ。

安倍政権はもっとも気にしているのは株価の行方にあると言われている。
今年4月に内閣府が「これまでのアベノミクスの成果について」という文書を出していたが、この成果の第一番に上げたのが株価の上昇だった。「日経平均株価は、アベノミクスの効果が着実に現れる中で、大幅に上昇」と書かれている。確かに安倍政権が発足した2012年12月から2014年4月の間に平均株価は約50%上がっている。同時期の米国のそれと比べても2倍の上昇率だ。
これが実態経済を反映したものであれば結構なことだが、実際には日銀の大幅な金融緩和と円安誘導によるものだ。
さらには日銀による株式の買い支えという露骨な手法も一因である。
例えば日銀は、8月第一週だけで924億円分の株を買い入れた。アベノミクスの失敗が取り沙汰されて株が下落した時期で、日銀が買い支えなければ株価はもっと下がったと思われる。
かくして日銀は、東証の株式の時価総額の1.5%にあたる7兆円分を保有し最大の日本株保有者となった。
総裁を黒田にすえかえ、安倍のいう通りに動かしている効果だ。
安倍政権は日銀だけでなく、国民年金基金にも株式を買う割合を増やすよう命じ、株価のテコ入れに余念がない。

「アベノミクス」変じて「カブノミクス」である。

しかし株価は生き物だ。実態経済が伴なっていなければいずれは下落することは過去の例が示している。
「山高ければ谷深し」で上昇が急なほど下落も早い。
儲かった儲かったと皆が浮かれていたバブル期、崩壊したとたん高値で売り抜けた一部を除くほとんどの人が大損したのは記憶に新しい。
大幅な下落に見舞われた時は、年金基金の危機を招く。
「円安誘導」も当初は輸出が増えて景気が上昇するはずだった。ところが製造業の海外移転により効果は現れず、逆に輸入価格の値上がりが貿易収支の悪化を招いている。
財政出動の大盤ぶるまいで、これ以上赤字を増やせない法定財政上限に達している。
民主党政権の時は、何かというと財源の裏付けを求めていたメディアも、今は音なしの構え。安倍政権になってから、それまでの財政再建の話はどこ吹く風だ。

かくして「アベノミクス」は円を弱くし、日本の財政再建を遠のかせ、国民生活を悪化させてしまった。

2014/10/06

【書評】「ニクソンとキッシンジャー」

大嶽秀夫(著)「ニクソンとキッシンジャー - 現実主義外交とは何か」(中公新書 2013/12/19刊)
Photo今日は国立劇場で歌舞伎をみる予定だったが、台風で電車が運休して行けずじまい。アーア。
ここで紹介する本は、お薦め本ではない。
以前から日本人の中にケネディを神格化する向きがあるのと、その一方映画やドラマの影響からかニクソンを悪玉扱いしているのを疑問に思っていた。
確かにニクソンといえば「ウォーターゲート事件」を誰もが思い起こす。ちょうど田中角栄といえば「ロッキード事件」を連想するように。
しかし政治家としての評価は、その人物がとった政策の是非にあると思う。
ケネディ政権が始めたヴェトナム戦争を終結させたのはニクソン政権だ。
この他にリチャード・ニクソン大統領とヘンリー・キッシンジャー特別補佐官・国務長官の二人が行った主な外交政策としては、
・米ソのデタント:戦略兵器やミサイル制限条約の締結などによる米ソ両国の緊張緩和
・米中和解
がある。
後者についてはちょっとした思い出があり、40年ほど前にまだ子どもが幼かった頃、夏休みに軽井沢へ1泊したことがある。翌朝、周辺の別荘地帯を散策していたら、すごい数の警官があちこちに配置されていて驚いた。そのうちヘリコプターが1機飛んできて近くに着陸した。後で分かったことだが、日本の頭越しに中国を電撃訪問したキッシンジャーが帰りに日本に立ち寄り、直ぐそばの万平ホテルで会談をしていたのだ。あのヘリは時間的にみて、キッシンジャーが乗ってきたと見られる。
閑話休題

ニクソンといえば、骨の髄から反共主義者だ。盟友キッシンジャーでさえニクソンを「赤狩り屋」と呼んでいたのだから間違いはない(ケネディも上院議員時代は赤狩りに手を貸していたが)。
性格的には猜疑心、嫉妬心が強く、おまけに陰謀好きという人物だ。
しかしニクソンは大統領に就任すると自らの思想・信条は封印し、いまアメリカにとって何をなすべきかという基準だけで政策を進める「現実主義者」に変貌する。そうしたニクソンの意向を受けて、ある場合にはニクソンの思惑をも飛び越え、これらの政策を実現させたのがキッシャンジャーだった。
この二人は決して仲の良い友達ではない。
キッシャンジャーはニクソンについて、控え目にいっても人間的に問題があり「人間的な心の動きでは狭量な欠点だらけ」と評している。
ニクソンはキッシンジャーのことを過度にプライドが強い自惚れ屋で、自分の誤りを認めない「子どもみたいなやつ」で、精神分析へ行くことをすすめていた。
我が国の首相のように「お友だち」だけで周囲を固めるより、こういう方がかえって上手く行くのかも知れない。

ニクソンが米ソデタントに向かったのは、一つには際限のない軍備拡張はやがて核戦争による「人類滅亡」を導くという危険性をきわめて身近に感じていたこと。これはニクソンが朝鮮戦争当時の副大統領だったという経験から生じたものだ。
二つ目は、ソ連を単なる悪の帝国と見るのではなく勢力拡張を目指す国としてとらえ、そこから相互抑制、勢力均衡という発想にいたった。
もちろん、ヴェトナム戦争の終結のためにもソ連との関係修復は急務であった。
相手のソ連だが、経済的に行きづまっていて権威が低下し、その一方で中国との関係が軍事衝突を起こすまで悪化していた。そういう相手の事情も把握した上での交渉だったから、上手く運んだといえる。

米中和解については、カルフォルニア出身のニクソンにとっては大西洋より太平洋に強い関心があり、中国のような大国を国際的に孤立させておくことが出来ないと考えた。こうした考えは当時のアメリカでは極めて少数意見であり、右翼のニクソンだからこそ大きな反対にもあわず実現できた。
相手の中国は当時、文革の真っ最中で、対米強硬論が主流であった。しかし周恩来らの実務者は、それとは全く違った考えであった。
彼らは中国の安全にとり最大の脅威はソ連にあると考えていた。ソ連が中国に核攻撃を加えるという現実的な恐れさえ抱いていた(現にソ連はそう公言していた)。第二の脅威は日本の軍国主義化だ。そうした事情から米国と手を結ぶのが得策と考えたわけだ。
訪中したキッシンジャーは周恩来らに、米軍が日本に駐留しているから日本の軍事化を防いでいるのだと言明し、中国首脳も米軍が日本の暴発を防ぐ「ビンのフタ」になることを期待した。
その後に訪中したニクソンも日本の軍事大国化の危険性を指摘し、米中和解の意義を強調している。
この辺りについては、私たち日本人からすると見当違いの感がある。
しかしケネディ=フルシチョフの平和共存時代のソ連が、ソ連にとって第一の脅威はドイツ(当時は西ドイツ)の軍事大国化であり、第二の脅威として日本の軍国主義復活をあげていたことと類似する。
日本が周辺国からどのように見られているかということは、常に頭に入れておく必要があるだろう。

ヴェトナム戦争の終結については、もし興味があればこの本を読んで頂くことにして、ニクソンとしては勝つ見込みのない戦争から手を引くこと、膨らんだ軍事費を削減するためにも米軍をヴェトナムから撤退させる必要があったこと、アメリカ国内のヴェトナム反戦運動を抑えたかったことなどの理由があげられる。
そのために、徴兵制を停止し志願兵制に切り替えたのもニクソン政権だ。
これとても、右翼のニクソンだからこそ実現できたことだった。

ニクソンを賛美する気にはならないし、キッシンジャーと二人三脚で行っていた政策を支持するものでもない。人間的には嫌悪感さえ感じる。
ただ特に外交政策においては、彼が自らのイデオロギーを封印して現実主義的な政策を積み上げた業績だけは認めるし、現在の日本にとっても参考になり得ると思われる。

2014/10/05

三遊亭萬橘独演会(2014/10/4)

第1回「四季の萬会」
日時:2014年10月4日(土)14:00
会場:浅草見番
<  番組  >
前座・瀧川鯉○『松竹梅』
三遊亭萬橘『宗論』
ゲスト・柳家喜多八『七度狐』
~仲入り~
三遊亭萬橘『井戸の茶碗』

萬橘の魅力は「どことなく可笑しい」ことだ。座ってるだけで可笑しい。しゃべり出すとまた可笑しい。こういうのを「ふら」とでも言おうか。
噺は上手いかといえば、決して上手いとは言えない。「ぞろっぺい」という表現に近いかな。だけど客を惹きつけるものがある。
言い間違い、それも噺の山場での言い間違いを2回見てるが、それを責める気になれない。
人徳だろうね、きっと。
普通の人の第一声は「エー」が圧倒的に多いが、萬橘は「ウー」だ。高座でしばらく「ウー」と唸っているので最初は具合でも悪いのかと思ったら、違った。
そしてこの度、いよいよ雲助の向こうをはって浅草見番にて定期独演会を開催する運びとなった。この日が第1回で、既に2回目の日程も決まってる。
開演前に並んでいたら、近くの女性たちが「今日は喜多八さんよね」「そうそう」なんて会話してたが、もしかしてお目当てはそっちか。油断なりませんぞ。
家に帰って女房から「今日は誰だったの?」ときかれ「萬橘だよ」と答えたら、「誰を満喫したの?」と言われてしまった。知名度はまだまだか。

萬橘の1席目『宗論』
通常と異なり、主の指示で奉公人が年末の大掃除をしている所から始まる。定吉が仏壇を掃除していてあやまって阿弥陀様の仏像を落とし、壊してしまう。いま思ったが、これは仲入り後の『井戸茶』つながりを意識したのかな。主が怒って定吉に阿弥陀様の尊さを説くと、定吉は居眠り。みな信仰心が薄いんだ。
そのドタバタの最中に息子が戻ってくる。雨の中を帰ってきても「ハレルヤ」。ここから先はほぼ通常通りだが、この息子は自分ばかりか父親にまで勝手に洗礼名(イボンヌだっけ?)を付けて呼ぶ始末。何かというと「ジーザス・クライスト」と叫ぶ。親父も黙ってない、「なに、爺さんが暗いだと。お前の爺さんは明るかったぞ」と切り返す。
息子は讃美歌を歌うと、途中で歌詞を忘れる。襖の陰では定吉がハモっている。親父も3日前に真言から浄土真宗に宗旨がえしたばかり。
この父にしてこの子あり。
やたら面白かった一席。
クリスチャンをここまでコケにして、全国キリスト教連合(なんて組織があるのかどうか知らないが)からクレームが来ないかしらん。

ゲストの喜多八『七度狐』
冒頭で喜多八は、夏になるとどうして『青菜』を演りたがるんだろうと。あの噺は上方でしょう、船場辺りの大店の主に似合う噺だと言っていた。
マクラで演じた小咄、なんていうんだろう。『からかさ』かな『唐傘のお化け』かな。はたし合いで手傷を負った侍が社に逃げ込む。そこには先客が一人、若く美しい女性だ。暗闇の中で寂しいだの寒いだのと言って侍を誘う。侍もその気になって手を伸ばすとピシャリとやられる。そのくせ又寒いから抱いてなどと誘い、その気になった侍に叩くやら引っ掻くやら。侍は呆れて寝入り、朝になると唐傘が一本。やがて中天高く舞い上がり・・・。「どうりで、させそうで、させなかった」。バレ噺かな。
こんなリラックスした感じからネタに入る。
オリジナルは上方落語の『東の旅』の中の一編、大阪から奈良を通ってお伊勢参りし、帰りは京都を見て大阪に戻るというコース。
因みに10月18日に桂文我独演会特番「東の旅」完全通し口演が昼夜で行われる。ご希望の方はどうぞ。
上方の『七度狐』は前半で二人の旅人がさんざん狐に化かされ、ようやく尼寺に辿りつくのだが、喜多八はその後半からスタートした。
尼寺の本堂にムリヤリ泊めてもらった二人の男だが、尼から深夜になると墓場の骸骨が相撲を取るとか、若い女の幽霊が赤ん坊をあやして子守唄を歌うとか、賑やかになると脅かす。その上、尼は隣村に葬儀があるからと出かけてしまい、残された二人は・・・。
初めのうちは尼さんをどっちが取るかジャンケンしよう等と助平なことを言ってた二人だが、幽霊に脅されて「かっぽれ」を歌わせられる始末。
喜多八はまるで自分の独演会のように楽しんでいた。

萬橘の2席目『井戸の茶碗』
冒頭で、正直者というのは他の誰かに迷惑をかけていると言っていた。このネタもそうだ。
このネタについては奇をてらわず、全体的に通常通りの演出だった。
違いは、
・くず屋の清兵衛のことを細川家の侍・高木佐太夫が終始「ごみ屋」と呼んだこと。
・高木が買った仏像から50両の金が出て、清兵衛が千代田卜斎宅へ返しにいくと受けとれない受け取っての押し問答。しまいには卜斎が娘に「刀を持て」と命じると、清兵衛が「刀を持ってるんだったら、それを売りなさい」という場面。
・仕方なく高木の元へ50両持ち帰ると、今度は高木が中間の良助に「槍を持て」と命じる場面。
ぐらいか。
登場人物は全員が正直もの。お蔭で千代田卜斎と高木佐太夫は幸せになりましたとさ。
でも清兵衛はどうなんだろう。命がけの思いまでして、しばらく仕事にならず、あまり恩恵に与かっていない。お礼に10両貰ったが、割に合ったのかな。
とにあれ、萬橘の手にかかると、このネタも軽くて楽しい噺になってしまう。

2014/10/03

【書評】「ローラ・フェイとの最後の会話」

トマス H.クック(著),村松潔(翻訳)『ローラ・フェイとの最後の会話(ハヤカワ・ミステリ文庫 2013/8/5刊)
Photoセントルイスの街の、とあるホテル内のレストランに二人の男女が向かい合って酒をくみかわし、食事をしながら語り合う。女は40代後半、男はその一回りほど年下。美女でも美男でもない二人の中年が昔話にふける数時間。
この作品はこの光景が全てという珍しいミステリーだ。
男の名はルーク、ある事件をきっかけに生まれ故郷を捨て大都会の一流大学に進むが、今は夢破れて二流の学者となっている。その事件というのは、20年前にルークの父親が殺されたというもので、犯人は父親が経営していた店の女店員の元夫、父親と女店員との仲を疑い犯行に及んだもの。その女店員こそレストランのテーブルに向かい合せで座っている女、名前はローラ・フェイ。
そんな因縁のあるローラ・フェイが、20年後になぜわざわざルークの元を訪ねてきたのか。
二人の会話から、昔の事件をめぐる事実、それぞれの思い違いや秘密が少しずつ明らかになり、事件の核心に迫ってゆく。
あっと驚くトリックもなければ、驚異のどんでん返しもない。
ミステリーという形式をとっているが、これは家族の、男女の愛憎物語りだ。
父と子、夫と妻、一緒に暮らしているからこそ生じるすれ違う思い。とりわけ父親と息子の葛藤を軸とした心理劇だ。

二人の会話の中に出てくる様々な映画やTVドラマ、その名場面や名セリフの数々も読者の楽しみだ。
例えば、ルークがローラ・フェイにどんな人生を送っていたのかをきくと、彼女はこう答える。「私は橋の下を沢山の水が流れていくのを見てきたわ」。原文は、
"A lot of water under the bridge."
で、「いろんなことがあったわ」という意味だが、これは映画『カサブランカ』で使われている名セリフだ。流れ去った水は二度と元へは戻れない。つまり、もう取り返しがつかないという意味でもあり、この一言で彼女の人生を窺わせる。

「記憶」シリーズで、日本のミステリーファンにもすっかりお馴染みになったトマス H.クックの最新作。この作者の巧みな文章にひきずられ、久々に一日で読み切ってしまった。
二人芝居で劇化したら面白い舞台になると思うが、どなたか手がけてくれませんか?

2014/10/02

三三「鰍沢」談春「紺屋高尾」(2014/10/1)

「どうらく息子」落語会
日時:2014年10月1日(水)18時
会場:よみうりホール
<  番組  >
尾瀬あきら / 立川談春 / 柳家三三『トーク』
柳家三三『鰍沢』
~仲入り~
立川談春『紺屋高尾』

御嶽山の噴火により亡くなられた方は47人にのぼり、火山活動による被害では戦後最悪となった。
日々このニュースに接し、切ない気持ちで一杯だ。ご冥福をお祈りし、ご遺族の方々には心よりお見舞い申し上げます。
私たちの住む日本列島は気候や地形に恵まれている一方、地震、津波、噴火などの自然災害と常に向き合っていかねばならない厳しい環境に置かれている。ありふれた表現になるが、自然との調和なくしては生きていけない国土だということを心せねばなるまい。

『どうらく息子』というコミックの連載100回&単行本第10集発売記念の落語会。作者の尾瀬あきらと監修者の三三が企画し、談春に声をかけてこういう形に会にしたようだ。作品を読んだこともないし興味もないが、ネタ出しされていた2席は本人たちのを聴いていなかったので出向いたもの。
尾瀬あきらは、どうやら私とは同世代ではないかと思われ、ラジオの落語で育ち高校時代には落研(今はオチケンと呼ばれているが当初はラッケン)に所属してとのこと。そうした縁で落語家を主人公にした漫画を描こうという事になったとのこと。但し、落語界のことは知識がないので、その部分は三三に監修をしてもらっている。
談春が、「ラジオで聴いた落語って面白かったのか」と作者にたずねていた。こういう訊き方は「ホントは面白くなかったんでしょ」という主張の裏返しだ。面白かったよ、全てじゃないけど。戦後は娯楽が少なかったし、ラジオに出演した噺家たちはそれぞれの局の専属で人気落語家たちだったから。
尾瀬あきらは柳家三亀松の名をあげていたが、渋い。アタシも嫌いじゃなかったが、寄席での手抜きは感心しなかった。晩年に痩せて目だけ大きくなった彼を人形町末広で観たときは良かったね。一緒に行った女房がブルブルってふるえたそうだ。

三三『鰍沢』
三三の高座はマクラを含めてほぼ圓生の演出通り。このネタは圓生に尽きる。その圓生にしても出来不出来があり、手元に3枚のCDがあるが、昭和45年2月の落語研究会の高座が素晴らしいが、他はちょいと落ちる。それくらい難しいネタだといえる。
三三の高座は熱演だし丁寧で良かったが、やはり物足りない。
先ず、旅人とお熊との会話に緩急がなく淡々と運んでいる。セリフの「間」も、ここの所は長くここは短めという工夫が必要だと思った。
人物像でいえば、お熊にはもう少し凄みが欲しい。それと不必要なクスグリはリズムを損ねる。例えば旅人のセリフで「どちらにしても器量に良い方はお得でござんすね。」の後に「そうでない方は・・・」を加えた箇所。
良かったのは玉子酒の飲みっぷり。旅人とお熊の亭主とでは飲み方を変えていた。こういう所は大事だ。
もちろん、現役の演者の中では相対的に高いレベルだとは思うが、他ならぬ三三なんだからより高みを目指して欲しい。

談春『紺屋高尾』
談春という人はきっと我がままなんだろう。独演会向きで、共演者があるような落語会は概して出来が悪い。
朝日の記事によれば、専属の音響や照明のスタッフを抱えていて、独演会では彼らが先乗りして高座の見え具合、音響などを全てチェックし準備するのだそうだ。完成度の高さはそうした陰の努力によっても支えられているわけだ。他の会となると、そういかない。神経質な面もあるようで、そうした環境の違いが高座の出来に影響するようだ。
この日に限っていえば、出来は悪くなかった。トリということもあり、しっかりと演じていた印象を受けた。
通常の演出と異なり、久蔵が初めて吉原の大門をくぐり、たまたま見物した花魁道中の高尾の惚れてしまい、店に帰って親方の吉兵衛に高尾と夫婦になると宣言する。親方はそんな馬鹿なことは考えるなと一蹴するが、久蔵は恋煩いで寝込んでしまう。このままじゃ命にかかわると心配した親方の女房は親方に、とにかく一所懸命働きお金をためたら高尾に逢わせてやると言えと勧める。女房が言うには、その間に本人も夢から醒めるだろうと。親方も納得して、3年間働き15両貯めたら高尾に逢わせてやると久蔵に約束する。
この辺りの親方夫婦の心配りは丁寧に描かれ、久蔵に対して決して適当なことを言ったわけではなく、それなりの見通しがあっての事としている。
しかし3年後の久蔵は夢からは醒めなかった、初志貫徹で、約束通り高尾に逢わせろと親方にせがむ。親方が、やがてお前を養子にむかえ、ゆくゆくは跡継ぎにしてやると説得しても久蔵は考えを曲げない。
親方はきっと固い人なんだろう、吉原の作法を知らないからと、幇間(おたいこ)医者の薮井先生に世話を一任する。
薮井は、とにかく紺屋の職人では相手にされないから久蔵を野田の醤油問屋の若旦那に仕立てる。この支度は近所の人たちが総出で手伝ってくれるのだから、久蔵という男はよほど可愛がられていたんだろう。この愛すべき人物像が、後半の伏線になっている。
吉原に着いて茶屋にあがると、薮井は女将に敵娼(あいかた)に高尾を指名するよう頼む。吉原ではすっかり顔である薮井の依頼ということと、高尾がたまたまその日に身体が空いていたという幸運に恵まれ、久蔵は高尾に逢うことになる。
初会にしてお床入りというのは出来過ぎの感があるが、翌朝、高尾が次はいつ来てくれるかと久蔵にたずねると、3年後だという。あやしむ高尾に、久蔵はウソを謝り、高尾に思いを伝える。この部分は長すぎ、臭すぎに感じた。ダレた。
私見だが、高尾は大名や大金持ちの遊び道具という身分に飽き飽きしていたのでは。花魁という仕事にも。間もなく年季が明けて自由の身になる時に、自分の身の振り方として堅気の女房になることを考えていた。そこに真面目で一途な職人が現れ、この人に賭けてみようと思ったのではなかろうか。昔から、いわゆる風俗関係の女性で堅気の奥さんになるケースは決して少なくない。また男の側も、そういう女性を望んで妻にする人もいる。
とにかく、高尾は久蔵の思いを真剣に受け止め、来年の3月15日にネンが明けたら夫婦になると約束し、その言葉通り二人は所帯を持って、紺屋の店を繁盛させたという物語。
談春の高座は全体に説得力があり、この演目に新たな息吹を行きこんでいたように思う。
いくつか気付きをいうと、セリフで相手が何かいうと、「はぁ!」っという返事を多用しすぎる。
途中2回ほど、前席の三三の高座についてチャリを入れていたが、あまり感心できない。なんだろう、一息入れたかったんだろうか。
談春には珍しい言い間違いが散見された。
近ごろはドラマだけでなくバラエチィ番組にも出演するなどTVの露出を増やした談春、これからどう進もうとしているのだろうか。

2014/10/01

【文庫解説】歴史は二度くりかえす

月刊誌「図書」8月号から、斎藤美奈子の「文庫解説を読む」の連載が始まった。私は、彼女は文芸評論家だが知的な匂いのしないところが好きで(知的で無いという意味ではない)、ファンの一人だ。
今回のテーマは、文庫本の巻末に必ず置かれる「解説」についての論評だ。
冒頭で、文庫に「解説」が要るのだろうかとか、下手な解説はかえって「書物が書物として持っているべき自律性を失ってしまう」といった問題提起のあと、それでも古典や翻訳ものについては解説は必要だとしている。
古典的書物に求められる解説の要素として3点あげている。
①テキストの書誌、著者の経歴、本が書かれた時代背景などの「基礎情報」
②本の特徴、要点、魅力など読書の指針となる「アシスト情報」
③以上を踏まえたうえで、その本をいま読む意義を述べた「効能情報」
ウン、確かにおおかたの文庫の解説はこういう風に書かれていますね。

斎藤女史が始めに持ってきたのは、「カール・マルクス『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』」という本で、いまさらマルクスかいとも思えるのだが。といっても、この著書の中の次の文章だけは心当たりがあるでしょう。
「ヘーゲルはどこかで述べている、すべての世界史的な大事件や大人物はいわば二度あらわれるものだ。一度目は悲劇として、二度目は茶番として、と」
人口に膾炙されている「歴史は二度くりかえす、一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」という箴言は、元はヘーゲルだったのか、ヘェー。やっぱり哲学書は読んでおかにゃ。

で、この本は何について書かれたのかというと、要約すればこうなるらしい。
「ルイ・ボナパルト(有名なナポレオンの甥です)のクーデター、フランス第二共和国滅亡史というべきもので、1848年2月革命によって成立した第二共和国が、1851年12月2日のボナパルトのクーデターによって壊滅するまでの歴史を述べたもの」
この著書のポイントは、ルイ・ボナパルトのクーデターと、それに続く独裁権力が可能になったのが、普通選挙によるものだったいう点にある。150年以上前に書かれたこの本の内容が、いまだに色褪せないのはそのためだ。
平凡社版の巻末の柄谷行人の解説には、こう書かれている。
「ヒトラー政権はワイマール体制の内部から、その理想的な代表制のなかから出現した。(中略)日本の天皇制ファシズムも1925年に法制化された普通選挙の後にはじめてあらわれたのである。」
つまり歴史は二度も三度も繰り返すということだ。
もうひとつ付け加えると、ナポレオンの甥という以外に何のアピールポイントもなかったボナパルトだが、彼は
「メディアによって形成されるイメージが現実を形成することを意識的に実践した最初の政治家だといってもよい」
とある。解説は1996年に書かれている。
「ナポレオンの甥」の部分を「岸信介の孫」に置き換えれば、ナンダ、今の日本そのままじゃん。
こういう解説に出会うと、ちょっとこの本も読んでみたくなるね。

斎藤美奈子がもう一つとりあげているのは、「エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ『自発的隷従論』」。初めて聞く名前だ。
本文にはこう書かれている。
「ここで私は、これほど多くの人、村、町、そして国が、しばしばだだ一人の圧制者に耐え忍ぶなどということがありうるのはどのようなわけか、ということを理解したいだけである。(中略)その者が人々を害することができるのは、みながそれを好んで耐え忍んでいるからに他ならない」
「人はまず最初に、力によって強制されたり、うち負かされたりして隷従する。だが、のちに現れる人びとは、悔いもなく隷従するし、先人たちが強制されてなしたことを、進んで行うようになる」
ね、なんだかこれも今の日本のことを言われているようでしょ。
これを受けた西谷修の解説は、こうだ。
「これが稀な『親米国家』形成とその持続の秘密ではないのか」

やや強引な「解説」ではあるが、落語じゃないが「古典を現代に」導くものとしては有効な気がしてくる。
斎藤美奈子の【文庫解説】シリーズは、これからも時機をみて紹介したいと思う。

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