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2014/11/11

昭和天皇と沖縄

現在、沖縄県知事選が戦われているが、昭和天皇と沖縄との係わりあいについて考えてみたい。
2014年9月9日に公開された「昭和天皇実録」で、アメリカ軍が沖縄の軍事占領を継続することを昭和天皇が望んだとされる「沖縄メッセージ」について直接触れず、アメリカ側の資料を紹介するにとどめている。
「沖縄メッセージ」とは、終戦から2年後の1947年9月19日、昭和天皇が側近の寺崎英成を通じて、GHQ外交局長のウィリアム・ジョセフ・シーボルト氏に伝えたとされるもので、1979年にアメリカ国立公文書館で見つかったものだ。1947年当時、天皇がアメリカによる琉球諸島の軍事占領継続を望んでいたことや、沖縄占領は日米双方に利益をもたらし、共産主義勢力の増大を懸念する日本国民の賛同も得られるなどと述べていたことが記されていた。

昭和天皇実録での記述は次のようだ。
【午前、内廷庁舎御政務室において宮内府御用掛寺崎英成の拝謁をお受けになる。なお、この日午後、寺崎は対日理事会議長兼連合国最高司令部外交局長ウィリアム・ジョセフ・シーボルトを訪問する。シーボルトは、この時寺崎から聞いた内容を連合国最高司令官及び米国国務長官に報告する。
この報告には、天皇は米国が沖縄及び他の琉球諸島の軍事占領を継続することを希望されており、その占領は米国の利益となり、また日本を保護することにもなるとのお考えである旨、さらに、米国による沖縄等の軍事占領は、日本に主権を残しつつ、長期貸与の形をとるべきであると感じておられる旨、この占領方式であれば、米国が琉球諸島に対する恒久的な意図を何ら持たず、また他の諸国、とりわけソ連と中国が類似の権利を要求し得ないことを日本国民に確信させるであろうとのお考えに基づくものである旨などが記される。】

では、実際の「沖縄メッセージ」はどうなっているかだが、以下の通り。
【標題:将来の琉球列島に関する天皇の考え
マッカーサー宛メモ
天皇の顧問の寺崎英成が、将来の沖縄に関しての天皇の構想を私(シーボルト)に伝えるため訪れた。
寺崎は、天皇が米国が沖縄や琉球列島の島に軍事占領を継続することを希望していると述べた。 
天皇の考えは、そのような占領は、米国にとっても有益であり、日本にも防護をもたらすことになるだろうというもの。 
天皇は、そのような行動は、広く日本国民に受け入れられると感じている。国民の間では、ロシアの脅威があり、また、占領が終わった後に、左翼や右翼のグループの台頭もあり、かれらが事変を起こしかねないし、それをロシアが日本の内政干渉のために利用する可能性もある。 
天皇が更に考えるには、沖縄の占領(他の島の占領も必要かもしれない)が、日本の主権は残した状態で、25年や50年間、いや、更に長期間の賃借の形態に基づくものになるであろうということである。
天皇は、このような占領政策によって、日本人にアメリカが琉球列島に関して恒久的な意図が無いように思わせるのであり、他の国、例えば、特にソ連や中国が同様な権利を要求することをそれによって止めさせることになるという。
手続きに関して寺崎が思うには、沖縄や琉球列島内の他の島における軍事基地の権利獲得については、日本と連合国の講和条約の一部にする方法よりも、むしろ日米間の二国間の条約によるべきであるとする。
寺崎が思うには、連合国との講和条約の一部にする場合は、かなり強制的な平和条約の様相になることが察しられ、将来、日本人のことを同情的に解するなど危機的になるだろうと。
W.J.シーボルト】
昭和天皇が日本の主権を残したまま、米国による沖縄占領を25-50年間にわたり継続することを希望していたことは、その後のサンフランシスコ講和条約とそれに続く日米安保条約にも反映されたようである。

「沖縄メッセージ」について宮内庁は、内容が記された資料が確認されていないことから、「沖縄の軍事的占領を希望していると話されたことについて、事実とは認定していない」と説明。ただし、国会で議論され、社会的影響もあったことから、米国側の資料の内容を実録に記載したという。
一方で、「沖縄メッセージ」を発見した進藤栄一筑波大学大学院名誉教授によれば、昭和天皇は翌年の1948年2月にも沖縄の長期占領を、寺崎を通してGHQに伝えているとし、事実は確認されているとしている。

昭和天皇が米軍の長期駐留をのぞみ、時には政権の頭越しに「二重外交」を試みたことは、連合軍最高司令官であるマッカーサーやリッジウエーとの会見記録や米側外交資料によっても明らかになっている。
この点については講和条約と日米安保条約(旧安保)締結後も変わっていない。
1988年5月26日付毎日新聞は「天皇陛下 駐屯軍撤退は不可なり 昭和30年訪米説明 重光元外相、日記に記述」と報じた。同時期に発刊された中央公論社「続重光葵手記」の内容を特報した記事だった。
昭和30年当時、鳩山一郎首相は憲法を改正し自衛軍を整備、駐留米軍の逐次撤退とソ連との国交回復を掲げていた。外相重光葵は昭和30年8月に訪米しダレス国務長官と米軍撤退を含む日米安保条約改定などに関し会談する予定だった。ところが出発3日前の8月20日、那須御用邸に赴き内奏したところ昭和天皇から重大な発言がなされた。重光の日記にはこうある。
「渡米の使命に付て縷々内奏、陛下より日米協力反共の必要、駐屯軍の撤退は不可なり」
実際に訪米した重光外相はダレス国務長官に米軍撤退の話は持ち出さなかったとされ、天皇の「下命」が影響した可能性が高い。

憲法第4条には天皇の政治関与を禁止しているが、このように昭和天皇は時々の重大な局面で「超法規的言動」を残していたと見られる。重光日記にあるような「内奏」「下命」が行われていたとするならば、日本は未だ民主主義国家とは言えなかったとなりはすまいか

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コメント

すべて、の個人に保障されているはずの人権をもたない人が象徴なんですから。

投稿: 佐平次 | 2014/11/11 10:58

佐平次様
戦後、鳩山一郎首相の時代に一度だけ日本から米軍を撤退させるという政策を打ち出しました。もし昭和天皇の「下命」がこれを断念させたとしたら、天皇の意向で日本の進路が大きく変えられたことになります。
この事はもっと歴史学者に深い研究をして欲しいところです。

投稿: ほめ・く | 2014/11/11 16:33

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