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2014/12/31

12月のアクセス数ランキング

2014年12月のアクセス数ランキングのTOP10は以下の通りでした。

1.「さん喬一門会」(2014/11/30昼)
2.「雲助蔵出し ぞろぞろ」(2014/12/6)
3. 落語睦会「扇遊・鯉昇・喜多八」(2014/12/2)
4.「柳家小三冶独演会」(2014/12/16)
5.「人形町らくだ亭」(2014/12/25)
6.「#28大手町落語会」(2014/12/27)
7.『伊賀越道中双六』(2014/12/5)
8. 菅原文太の死去を悼む
9.【ツアーな人々】消えた添乗員
10.【街角で出会った美女】ボスニア・ヘルツェゴビナ編

当サイトにアクセスする方は、大きく分けて四つのタイプに分かれます。
1、サイトを訪れ記事を全て読む
2、サイトを訪れ興味のある記事のみ読む
3、他のサイトのリンクから訪れて記事を読む
4、グーグルやヤフーなど検索サイトからキーワード検索して記事を読む
この内、1と3は少数で、2が多く、次いで4という順位になると思われます。
よく読まれる記事のジャンルは落語で、2のタイプの方が多数を占めています。次に多いジャンルは旅行で、こちらは検索サイトから訪れるケースが圧倒的で上記ランキングでいえば9位と10位が該当します。3番目のジャンルは演劇で2と4のタイプが半々といった所です。今月のランキングでは7位が該当します。
当サイトへの訪問者数(アクセス数)ですが、1日に400-600人程度という結果になっています。

1年間ご愛読ありがとうございます。今年はこれで最後となります。
新年は10日頃から再開の予定です。
どうぞ皆様、良いお年を!

2014/12/30

2014年「My演芸大賞」

この1年間、75回の各種落語会や寄席に行き、およそ400席ほどの高座を鑑賞した。
この中で特に優れた高座から大賞と優秀賞を下記の通り選んだ。

2014年「My演芸大賞」
■大賞
春風亭一之輔『富久』10/25「第34回三田落語会」
■優秀賞
古今亭志ん輔『居残り佐平次』2/22「第30回三田落語会」
五街道雲助『花見の仇討』4/5「雲助蔵出しぞろぞろ」
桃月庵白酒『つるつる』6/28「第32回三田落語会」
蜃気楼龍玉『真景累ヶ淵~通し』7/28「蜃気楼龍玉独演会」
露の新治『胴乱の幸助』8/23「第33回三田落語会」
柳家小満ん『寝床』9/26「第124回柳家小満んの会」
■企画賞
「桂文我独演会特番『東の旅』通し口演」10/18
【出演】桂文我 笑福亭生喬 桂米平 桂しん吉 桂小鯛

大賞の一之輔だが、目覚ましい活躍ぶりは衆目の一致するところだろう。常に新しいネタに挑戦しながら自分の物にしていくという才能は驚くばかりだ。受賞作では主人公の幇間の久蔵が、旦那の家に駆けつけた後で火事見舞いに頂いた酒を呑み酔うと周囲の奉公人にカラミ出すという酒癖の悪い男の「業」を見せる演出で、最近では出色の『富久』に仕上げていた。また『文七元結』ではネタおろしと思えない程の完成度の高さを示していた。若手でも人気が出ると寄席を疎かにする者が多い中で寄席を大事にしている姿勢も評価したい。

優勝賞の志ん輔『居残り佐平次』、このネタは近年では志ん朝がベストだと思うが、志ん輔の高座は随所に独自の工夫を重ねその師匠を乗り越えて行こうという意欲が感じられた。
雲助についてはいくつもの優れた高座があり選定に迷ったが、桜の開花の真っ盛りの時期に実に気分良さそうに演じた『花見の仇討』が強く印象に残った。
白酒については『首ったけ』も良かったが、先代文楽や志ん生以後に演じられる人がいないと思われた『つるつる』を、あそこまで仕上げた努力を買いたい。廓噺では今の若手ではこの人が第一人者と言って良いだろう。
龍玉の進境が著しい。『真景累ヶ淵~通し』という難しい課題に取り組み、全体を手際よくまとめた手腕を評価したい。雲助一門が続いてしまったが、それだけこの一門の充実ぶりを物語っている。
ここ数年、上方落語の魅力を東京の落語ファンに伝えている新治だが、今年も『胴乱の幸助』でその楽しさを味あわせてくれた。
かつては『寝床』といえば名人文楽と相場が決まっていたが正当な継承者が見当たらない中で、小満んの高座で黒門町の芸が蘇ったような感銘を受けた。

桂文我を始めとした5人の上方落語家による「『東の旅』通し口演」に今回企画賞を設けた。一日かけて往路と復路両方を全て演じるという意欲的な企画だった。このネタは大阪から伊勢神宮までの旅の話しで、文我らは実際にそのルートを歩いて見たそうだ。私は前半の往路のみ鑑賞したが、これが落語のネタの宝庫であることを改めて感じた。貴重な経験だった。

2014/12/29

「2014年下半期佳作選」

2014年7月1日~12月末までに各種落語会や寄席で聴いた高座の中で優れていたものを以下に列記する。

五街道雲助『中村仲蔵』7/5「雲助蔵出しぞろぞろ」
蜃気楼龍玉『真景累ヶ淵~通し』7/28「蜃気楼龍玉独演会」
五街道雲助『怪談牡丹燈籠~関口屋』8/4「雲助五拾三次~強請」
露の新治『胴乱の幸助』8/23「第23回三田落語会」
露の新治『まめだ』9/21「まいどおおきに露の新治です」
柳家小満ん『寝床』9/26「第124回柳家小満んの会」
三遊亭萬橘『宗論』10/4「三遊亭萬橘独演会」
入船亭扇辰『五人廻し』10/23「通ごのみ~扇辰・白酒二人会~」
春風亭一之輔『富久』10/25「第34回三田落語会」
春風亭一之輔『文七元結』10/31「2014落語一之輔 一夜」
桃月庵白酒『首ったけ』11/6「菊之丞・白酒二人会」
柳家喬太郎『拾い犬』11/30「さん喬一門会」
柳家喜多八『睨み返し』11/2「落語睦会」
五街道雲助『掛取万歳』12/6「雲助蔵出しぞろぞろ」
桂九雀『土橋万歳』12/25「第57回人形町らくだ亭」

参考までに「2014年上半期佳作選」の結果は次の通りだった。

桂米紫『堪忍袋』2/5「米紫・吉弥ふたり会」
古今亭志ん輔『居残り佐平次』2/22「三田落語会」
柳家喬太郎『真景累ヶ淵~宗悦殺し』3/1「喬太郎・一之輔二人会」
春風亭一之輔『ねずみ穴』3/2「三三・一之輔二人会」
五街道雲助『花見の仇討』4/5「雲助蔵出しぞろぞろ」
五街道雲助『反対俥~干物箱』4/5「雲助蔵出しぞろぞろ」
蜃気楼龍玉『大坂屋花鳥』4/9「五街道雲助一門会」
三遊亭萬橘『抜け雀』4/26「花形演芸会」
隅田川馬石『中村仲蔵』4/29「三人吉座」
柳家小満ん『猫の災難』5/14「小三治・小満ん・小里ん三人会」
柳家左龍『三人旅~おしくら』5/17「五代目小さん・孫弟子七人会」
柳家小里ん『髪結新三~富吉町新三宅まで』5/20「雲助五十三次」
三遊亭兼好『陸奥間違い』6/23「兼好・萬橘二人会」
桃月庵白酒『つるつる』6/28「三田落語会」
春風亭一朝『一分茶番』6/28「三田落語会」←見直しで追加した

以上の中から、2014年「My演芸大賞」として大賞を1点(該当ナシもある)、優秀賞を数点、明日30日に発表する予定。

2014/12/28

#28大手町落語会(2014/12/27)

第28回「大手町落語会」
日時:2014年12月27日(土)13時30分
会場:日経ホール
<  番組  >
桂宮治『看板のピン』
昔昔亭桃太郎『春雨宿』
柳家権太楼『言い訳座頭』
~仲入り~
瀧川鯉昇『蒟蒻問答』
柳家さん喬『芝浜』

今年最後の落語会ということで豪華な顔づけの「大手町落語会」へ。
宮治『看板のピン』、高座に上がったとたん、客席から無粋な掛け声が飛ぶ。歌舞伎でも落語でもそうだが、掛け声は粋にかけて欲し。
昨年にNHK新人演芸大賞を制し、国立演芸場で定期的に独演会を開くなど意欲的な活動が続く。実力は誰しも認めるところだろうが、アタシはあのアクの強さ(特にマクラでの)が好きになれない。江戸落語には「粋」が欠かせないと思うからだ。

桃太郎『春雨宿』、マクラで弟子は必ずしも師匠を好きではないと語っていた。まあ、そうなんだろう。憧れて入門しても、師匠の私生活をみてガッカリすることも多いだろうし、芸人の世界では人格的に尊敬できるような人は稀だろうから。10代目文治が前座のころ、2代目桂小文治と5代目古今亭今輔と一緒に北海道を回った時、自分の荷物と二人の師匠の荷物に加え、小文治が途中で買ったウスまで担いで大変な思いをしたそうだ。小文治の綽名が「ナス」(「ヘタなり」の洒落)だったので、文治はナスがウスを買ったと言っていたとか。2代目小文治は長く芸協の副会長をつとめた大看板だったが、落語は上手いとは思わなかった。ただ踊りは絶品だった。「奴さん」の姐さんなぞは子ども心にも上手いなぁと思った。
演目の『春雨宿』、旅人二人が予定していた温泉宿まで山道で8里あるというので、仕方なく近くの宿を取る。女中たちが田舎出で言葉が通じず、風呂に入ろうとしたら8里先の温泉に行ってくれと言われる。味噌汁を飲めば変な味がして、バケツで足を洗った後の水を使ったとか、散々な目にあう。
新作かと思ったら古典落語らしい。円丈にいわせると「中典」。
あまり面白さを感じなかったし、この日の高座の流れを中断させていたように思う。

権太楼『言い訳座頭』、大晦日の掛取り撃退噺といえば、『掛取万歳』『睨み返し』とこのネタだ。前者に比べ高座にかかる機会は少ないのは盲人が主人公のせいか。
借金がたまって年を越せない長屋の夫婦、長屋の口の上手い座頭に頼んで掛取を撃退して貰えという女房の忠告に従って、甚兵衛が1円持参して座頭に頼みに行く。
座頭は快く引き受けてくれて、家で待つより商人の店へ乗り込んで話をつけるという。話は全て座頭がするので甚兵衛には黙っているように指示する。
二人はまず米屋に出かけていく。座頭がが頼み込むと、米屋は今日の夕方に払う約束を取っているのでと応じない。座頭は居直って「こうなったら、ウンというまで帰らねえ」と、店先に座り込み。
米屋は仕方なく来春まで待つことを承知させられた。
次は薪屋で、座頭はお宅の薪を使ったら火がはねて畳を焦がしたと因縁をつけ、甚兵衛の借金を待ってくれと頼む。しかし頑固者の薪屋はその脅しに乗らず、却って態度を硬化させる。
座頭は「どうしても待てないというなら、頼まれた甚さんに申し訳が立たないから、あたしこここで殺せ、さあ殺しゃあがれ」と、往来に向かってわめく。薪屋も外聞が悪いのでしぶしぶ承諾する。
今度は魚屋で、座頭は実は甚兵衛さんが貧乏で飢え死にしかかっているが、魚屋への借金が気ががりでこれを返さなければ死んでも死にきれないと、今度は泣き落とし。これも上手くいく。
そうこうするうちに除夜の鐘。座頭は「すまないが、あたしはこれで帰るから」と言い出す。甚兵衛が「まだ三軒ばかりあるよ」というと、「そうしちゃあいられねえんだ。これから家へ帰って自分の言い訳をしなくちゃならねえ」。
3代目柳家小さんの作だそうで、柳家のお家芸といえる。
権太楼は座頭と商人との丁々発止と、その間に立ってオロオロする甚兵衛が姿を描いて好演。こういうネタを演じさせると権太楼は上手い。

鯉昇『蒟蒻問答』、このネタは彦六の正蔵と5代目春風亭柳朝師弟にとどめをさす。何しろ問答に来た雲水をいざとなれば塔婆で殴り倒し、頭から熱湯をかけて殺してしまえばいいなんて相談する位だから、蒟蒻屋の六兵衛と八五郎は鉄火の稼業の出なのだ。鯉昇の高座はそうした荒々しさはなく、むしろ六兵衛は好々爺に見えるほどなので、問答の後の怒りとのギャップを感じてしまった。
その点を別にすれば鯉昇らしいテンポの良さで面白く聴かせてくれた。

さん喬『芝浜』、出る前から嫌な予感がしていた。というのは数年前のこの12月の会でさん喬がトリを取り、出し物が『芝浜』だったのを思い出したからだ。アタシはこの噺が苦手で、なぜ年末になると多くの噺家が大ネタ扱いで『芝浜』を演じたがるのか理解できない。
演るのなら絶品といわれた3代目三木助の演り方をなぞっておけば良いものを、後からの演者はひねってみたくなるようだ。しかし志ん生、志ん朝親子のは良くないし、談志は理屈っぽい、権太楼は力が入り過ぎる。
ここ20年ほどで良いと思ったのは、サラリと演じた春風亭小朝の高座ぐらいだ。
さん喬の演出は一口でいうとクサイ。3年後の魚屋の座敷で勝五郎の女房が真実を打ち明ける場面で、女房が泣き過ぎる。あれでは聴き手が白けてしまう。勝五郎が赤ん坊をあやす場面も蛇足だ。

顔づけの割には満足度の低い会だった。

2014/12/26

人形町らくだ亭(2014/12/25)

第57回「人形町らくだ亭」
後時:2014年12月25日(木)18時50分
会場:日本橋劇場
<  番組  >
前座・瀧川鯉○『馬大家』
三笑亭夢吉『思ひ出』
桂九雀『土橋万歳』
五街道雲助『くしゃみ講釈』
~仲入り~
柳家小満ん『権兵衛狸』
柳家喜多八『睨み返し』
(前座以外は全員ネタ出し)

「人形町らくだ亭」は57回ということだが実は初参加だ。ホームページが更新されず古い案内がそのまま残されていて、主催者のヤル気が感じられないからだ。今回もたまたまピアで知ってチケットを取った。行ってみて分かったのだが、会場で次回の開催案内があるので、常連の人たちは不自由しないのだろう。

前座の鯉○『馬大家』、来年の二ツ目昇進が決まっているそうで、しゃべりはしっかりしている。このネタは午年に因んだものなので、賞味期限ギリギリだった。
午年生まれの馬好きの大家、家を貸すのにも馬好きの人でなければいけない。これを知った男は何でも「馬」尽くしで答える。地名や名前、職業に至るまで全て「馬」が付く。大家はすっかりいい気持ちになって、男が馬の話をするたびに家賃を下げてゆく。
2代目三遊亭円歌の録音が残されているくらいで珍しいネタだ。歳の瀬にこういう干支に因んだネタを演じるのは気が利いている。

夢吉『思ひ出』、来年の真打昇進が正式に発表された。芸協のHPを見ると3人となっている。夢吉の昇進は当然として、同期の橘ノ 圓満が昇進から外されたのはどういうことだろうか。実力では今回の昇進者に決して引け劣らないのに。というより圓満は以前から既に真打の実力を備えていた。どうもスッキリしない決定だ。
この演目は5代目古今亭今輔の持ちネタで、作者は鈴木みちをとのこと。
古着屋が未亡人の家に着物の買い付けに行くと、古着に疵がある。その分値段が安くなることを告げると、その度に未亡人が亡き主人との思い出話しを始めて・・・。
夢吉は未亡人が思い出話しから次第に興奮してくる所をしっかりと描き良い出来だった。

九雀『土橋万歳』、初見、この日のお目当ての一人。ネタもタイトルは知っていたが、聴くのは初めて。
船場の大店・播磨屋の離れ座敷では、遊び好きの若旦那・作次郎が外出するのを丁稚の定吉が見張っている。そこで若旦那は定吉にお土産とお小遣いで買収し、布団をまるめて自分が寝込んでいるような姿にして遊びに出かけてしまう。
一方、番頭が風邪で寝ている主の代わりに葬式へ参列しようと定吉を供にして、代わりに亀吉を見張り番にするが、実は既に若旦那は家を抜け出していた。
その帰り道、定吉の言動がおかしい事に気付いた番頭は、すでに若旦那が逃亡したことに気付き定吉を誘導尋問して若旦那の居場所を聞き出す。
番頭が難波の一方亭という料理屋へ行ってみると大宴会の最中で、無理やり二階に上げさせられた番頭は若旦那に説教するが、逆切れされて階段から突き落とされてしまう。
その後、若旦那一行は南に繰り出すが、その途中にある土橋にさしかかると、覆面の男が飛び出してきて「追剥じゃー」と叫ぶ。
びっくりした芸子や幇間は若旦那を放り出して逃げてしまう。一人で震える若旦那に追剥が覆面を取るとこれが番頭。
なんとか若旦那を改心させようとする説得する番頭だが、逆上した若旦那は聞き入れようとしない。
それどころか履いていた雪駄を脱いで番頭の顔を殴り額を傷つけてしまう。憤る番頭の手が腰に差していた『葬礼差し』に伸び、あわてて手をひっこめたが、その様子を見て若旦那が「お前に殺されるなら本望じゃ、さぁ斬れ!! 」と掴みかかってきた。
二人がもみ合ううち、たまたま鞘走ったが葬礼差しが若旦那を傷つけてしまう。もうこれ以上生かしておけば店のためにならないと思いつめた番頭は、若旦那にとどめの刃を振り下ろす。
実際には番頭と若旦那が同じ夢を見ていた事が分かり、若旦那は改心する決心をする。
サゲは主殺しは重罪と、番頭の父親が大和で万歳という地口オチ。

お店の情景から茶屋遊び、そして凄惨な殺しの場まであって堪能した。よほど力量がないと演じられないネタだろうと思う。九雀の高座はそれぞれの人物の演じ分けが出来ており、遊び人の若旦那と生真面目な番頭との対比も明瞭に描かれていた。
刀で切りつけるシーンでは、歌舞伎のダンマリの形も決まっていた(ツケ打ちが外していたのは惜しまれる)。
上方落語界の底力を感じた一席。

ここまで長くなったので、後は簡単に。

雲助『くしゃみ講釈』、乾物屋の店先で「のぞきカラクリ」の口上を語る場面は軽快。講釈は雲助はあまり得意ではないように見えた。「難波戦記」を語りながら唐辛子の煙に咽び、顔を歪めながらくしゃみを連発する場面は良く出来ていて場内は爆笑。

小満ん『権兵衛狸』、あまり演じたことがないと断りを入れてネタに入る。権兵衛が元々床屋だったという設定は説得力がある。民話風の語りで結構な高座だった。

喜多八『睨み返し』、このネタに関しては今や喜多八が第一人者といっても良いだろう。あの目で睨まれたら相手は怖いというより気持ち悪くなって退散してしまう。

珍しいネタも聴けたし、熱演好演が続き年末にふさわしい充実した落語会となった。

2014/12/25

【街角で出会った美女】セルビア編(3)

いささか時期遅れになってしまったが、先の衆院総選挙について感想を述べたい。
先ず投票日の翌日の全国紙の見出しだが、いずれも与党が主語で、読売と産経が「圧勝」、朝日が「大勝」、毎日と日経が「現状維持」と打っていた。それぞれの新聞社の主張が現れている。その中で朝日の見出しだけがオヤ?っと思わせたが、朝日は例のバッシング以来すっかり腰が引けているのでこういう見出しになったんだろう。政権の思惑通りにことが運んでいるというわけだ。
自公を合わせてほぼ解散前の議席を維持したのだから圧勝というのは言い過ぎだろう。
「大義なき選挙」といわれ投票率も最低を更新するなど、選挙を行うこと自体に疑問が持たれたが、いくつか注目すべき点はあった。
最も大きな特徴はいわゆる第三局の後退だ。「みんなの党」は選挙前に解党してしまい、「維新の党」はかろうじて現状をほぼ維持したものの前回のような勢いは無く、「次世代の党」に至っては壊滅的ともいえるほどの敗退だった。特に先の都知事選で小さなブームを起こし同党の目玉の一人であった田母神俊雄が、選挙区で共産党候補にも及ばず最下位に沈んだのは象徴的だった。
これら第三局の党は野党ではあるが基本政策において自民党と大差なく、それなら離合集散を繰り返す不安定な党より自民党や他の野党へと票が流れてしまった。
党首落選という事で負け戦と見られがちだが、ともかく民主党は議席増を果たした。
共産党の躍進が目立った。倍以上に議席を増やし議員提案権を獲得したのは大きい。ソ連の崩壊に引き続きユーロコミュニズムが瓦解して以後、先進国では共産党という党名すら名乗れぬ状況が生まれている中で国政に議席を保っているのは奇跡的ともいえる。そうした愚直さがかえって評価され、安倍政権に対して批判的な有権者の支持を得たものと思われる。
安倍首相としては憲法改正など次の段階に進むにあたり、本当は与党から公明党を外して次世代などの第三局を組むのが理想的だったのだろうが、その道は当面閉ざされた感がある。
何も変わらなかったかに見えた今回の総選挙だったが、変化は生まれていた。

さて「街角で出会った美女」セルビア編の3回目は、首都ベオグラードで出会った女性たちの画像を紹介します。
中心部にある繁華街のクネズ・ミハイロ通りはホコテンで様々なパフォーマンスが行われていて、道化師を見ていた若いママの笑顔です。
Photo

レストランでグラスにワインを注いでくれたウエイトレスです。
Photo_2

朝の通勤風景ですが、日本ではこういう恰好はお目にかかれません。
Photo_3

アメリカ軍とNATO軍による空爆で1000人もの犠牲者が出たベオグラードですが、今では街の姿も市民の生活も元の通りのなったようです。

2014/12/24

「はい」と「いいえ」の双子の心

試験ならOかXか、クイズなら「はい」か「いいえ」か、裁判なら白か黒か、私たちの生活において二者択一を求められることが非常に多い。確かにどちらかを選択しないことには前に進めないという事情もあるのは事実だ。
会社や学校では常に「はい」という返事を求められてきた気がする。
しかし実際の人生においては、二者択一で割り切れないことが殆んどだ。
そんな事を思っていたら、ピッタリの詩に出会った。工藤直子さんの『双子の心』である。
そうだよな、「泣き」と「笑い」の間だってそうだし、「絶望」と「希望」の間だってそうだ。
そうして何度もウンウンとうなずきながら読んだ。

『双子の心』 工藤直子

「はい」といったら ウソになってしまう
「いいえ」といっても ほんとうではない
「はい」と「いいえ」のあいだに
100万の虹色の 答えがある
  それが「こころ」っていうもんさ
  「はい」と「いいえ」の双子の心

「おお笑い」のおくに 悲しみの泉がわき
「おお泣き」のはてに 希望のカケラが浮かぶ
「おお泣き」と「おお笑い」のあいだに
100万の虹色の 人生がある
  それが「こころ」っていうもんさ
  「わらい」と「なき」の双子の心

2014/12/23

書評『その女アレックス』

『その女アレックス』ピエール・ルメートル(著) 橘明美 (翻訳)、文春文庫 2014/9/2初版
Photoとにかく面白い。今年読んだミステリーではこれがベスト・ワンで、ここ数年で読んだミステリーの中でも五指に入る作品である。
舞台はパリ。事件は若く美人の女性が中年男から誘拐され監禁されるところから始まる。男は女を木の檻に入れ、「お前を死ぬのが見たい」と言って幽閉してしまう。女の名はアレックス、衰弱して死の直前までいくが脱出に成功する。しかしこれは序章にすぎなかった。
その一方、男が鈍器で殴られ意識を失ったところで口の中に濃硫酸を流しこまれて殺害されるという、無差別と思える連続殺人事件が発生する。どうやら犯人は若くて魅力的なアレックスのようだ。
果たしてこの二つの事件にはつながりがあるのだろうか。
捜査を担当するのがパリ市警のカミーユ・ヴェールヴェン警部、身長が145㎝というからミステリー史上最短身の警察官といえる。母親は既に故人となっている有名な画家で、愛妻は誘拐されてその母親のアトリエで殺される。心に大きな傷を負ったカミーユは入院していて、復帰後の仕事として上記の大事件を担当する。
上司はカミーユと正反対の大男にして、同じ女性と結婚と離婚を繰り返すという趣味の持ち主であるジャン・ル・グエン部長。カミーユの部下は二人で、一人は金持ちのルイ・マリアーニ、もう一人は貧乏で倹約家であるアルマン。
物語は誘拐の被害者にして殺人鬼のアレックスの視点と、それを追う捜査官たちの視点が交互に描かれる。やがて二つの視点が交差しアレックスの秘密が解き明かされるとき、物語は大きく転換してゆく。
警察官同士の会話の中にはいかにもフランス人らしいエスプリが利いており、最後には感動的な場面が待ち受けていて、思わず涙してしまった。
作者には何度も裏切られながら、一気に読破した。第一級のミステリー小説だ。

2014/12/22

圓生の艶笑噺

今年もいよいよ押し詰まってきました。先週末の三田落語会が風邪気味で行かれず、年内もあと2回の落語会を残すのみとなりました。
年末には恒例の「My演芸大賞2014」を発表し締めくくる予定です。
今回は趣向を変えて、三遊亭圓生の艶笑噺を一席。

お釈迦様は3年と3月、母の胎内にいたそうですが、これで驚いちゃいけない。唐土の老子という人は80年胎内にいたってゆうんだから驚きます。いた方も大変だろうが、いられた方も草臥れたでしょうね。もう生まれまいと思っていたら出て来た。
何しろあなた、生まれた時はもう白髪頭でバクバクのお爺さん。とりあげ婆さんの方が23歳若かったってゆうんですから。
この老子という人は先生になりまして、あるとき生徒から「先生、母親の胎内というのはどんな所だったんでしょうか」と訊かれた。老子は「母の胎内というのは暑くなく寒くなく、まことに気分の良い所で、季節でいえば、まあ秋のようだ」と答えた。
「その秋のようだというのは、どういうわけで?」と訊かれると、「時おり、下からマツタケがはえてきた」。
長くいると、そういう事も分かってきたんでしょう。
(三遊亭圓生『二十四孝』のマクラより)

弘法様が通りかかると、一軒の家で女房が豆を煮ていた。弘法様は女房に、その豆を恵んでくださらんかと頼んだが、女房は「この豆は馬に食べさせるものだから上げらない」と断った。
しばらくすると家の亭主が帰ってきてその豆を食べたところ、全身が馬に変ってしまった。
驚いた女房は弘法様にとりすがり、どうか亭主を元の姿にしてやって下さいと頼んだ。
弘法様が持っていた杖で馬になった亭主の頭を叩くと人間の頭に、手を叩くと人間の手に、胴を叩くと人間の胴に、足を叩くと人間の足に戻る。
最後に足の間にあるものを叩こうとすると、女房は弘法様の杖を押え「そこだけは、そのままにしておいて」。
(三遊亭圓生『夜店風景』より)

2014/12/20

「柳家小三冶独演会」(2014/12/16)

「柳家小三冶独演会」
日時:2014年12月16日(火)18時30分
会場:銀座ブロッサム
<  番組  >
柳家三三『転宅』
柳家小三冶『時そば』
~仲入り~
柳家小三冶『蒟蒻問答』

記事を書くのが遅れてしまった12月16日の「柳家小三冶独演会」、東京音協主催公演としては今回が最後となるようだ。
先ず三三が自分でメクリをめくって登場してきて場内が沸く。この独演会では小三冶の弟子の真打が前座替わりをつとめ、あと本人が2席というのが通例のようだ。
三三の『転宅』だが、何度聴いたか憶えていないほどの回数になる。よほどこのネタが好きなのか得意なのか知らないが、いささか食傷気味ではある。似たような噺に「なめる」があり、落語としてはこちらの方が良く出来ていると思うのだが演じ手が少ないのは残念。
鈴本演芸場の初席第3部のトリが今年から小三冶から三三にバトンタッチされたが、来春は初席第1部のトリに菊之丞が起用され、二之席の昼の部のトリが一之輔になるなど、このところ代替わりが続く。世代交代の時期に差しかかっているのだろう。

小三冶の1席目『時そば』
マクラで物売りを話題にしていて、戦後、小学生か中学生ぐらいの少年が納豆売りをしていたと言っていたが、アタシにはその記憶がない。憶えているのは高校生か大学生のアルバイトが早朝から納豆売りをしていたことだ。小三冶はか細い声で売り歩いていると、ついついそういう子から買いたくなると語っていた。大概はワラずっぽうに入っていたが、なかには経木にくるんだ物もあり、頼むと端っこに辛子を付けてくれた。
「二八そば」は16文が相場だったようで、今の物価に直すと6-7百円相当にあたるらしい。「夜鷹そば」とも呼ばれていたが、両方とも深夜に稼ぐというのが共通点だ。夜鷹の相場は24文だったとある所から「ふたつやって、みっつ食い」なんてぇ川柳が生まれたのだろう。小学生の最大公約数の問題みたいだね。
このネタは6代目春風亭柳橋が得意としていて、客席から「時そば!」と声がかかるほどだった。6代目柳橋は評論家たちの評価が低いが、このネタや『粗忽の釘』『花見酒』は他の追随を許さなかった。
ソバを食べる仕草をリアルに演じるようにしたのは5代目柳家小さんで、今ではほとんどの人が小さんの形で演じている。小三冶も当然のことながら小さんの形で、ソバの食い方が上手い。翌晩のそば屋の屋号が、的に屋が2本当たっていて「やや」だった。
なお「九つ」は午前0時、「四つ」は午後10時なので、翌晩の男は焦って2時間早めになっていたという事になる。

小三冶の2席目『蒟蒻問答』
第一声が「選挙に行きましたよ」で、そこから選挙の話題へ。奥さんが足の具合で投票所まで行けなかったそうで、小三冶は投票所の係員に、そういう事情の人はどうすれば良いのか訊いたそうだ。処が20分ほど待たされて返ってきた言葉が「今から選挙管理委員会に問い合わせます」というものだった。そこで初めて投票所にいる係員は選挙管理委員のアルバイトみたいな人たちなんだと分かった。問い合わせの結果は、投票の受け付け用紙に同封されている書類に書いてありますという回答。それなら最初からそう言えばいいのに、20分も待たせてと。この辺り、いかにも小三冶らしい。
「最高裁判官国民審査」というのも変だと。やめさせたいという人だけ×をつけるというのは不合理だ。それにどんな人なんだか判断できないじゃないか。普段からニュースなどでこの人はこういう人物でこんな事をしていますって紹介してくれていないと判断ができないと。
この指摘も正にその通りで、落語家多しといえどもこうしたテーマを正面から採りあげるのは小三冶だけだろう。
「笑点」の話題から大喜利について、談志が「謎がけ」で、客席から「葬儀屋」という問題が出たら「ホトトギス」と解いた、そのココロは「鳴く鳴く(泣く泣く)梅に(埋めに)行く」と答えたという。あれは実に見事だったねぇ。私はある意味談志を尊敬している、ある意味ですけどねと。
昭和の名人たちは「大喜利の上手い人は落語は下手」と言ってたそうで、これが言いたかったのかな。
大喜利の問答つながりからネタに入る。
マクラに時間を割いたせいか、演目でのミスが目立つ。もちろん、このネタの主要な所はきちんと押えていて楽しめたが。「ミスもまた良し」と鷹揚に構えられるかどうかによって、現在の小三冶の高座に対する評価が変ってくるだろう。
全盛期の小三冶を知る者にとっては少々つらいかも。

2014/12/16

お断わり

今週はバタバタしていて記事の更新ができません。
再開は21日の予定です。

2014/12/13

投票に行こう

近ごろ目立つのは自民党のTV広告だ。その度に安倍晋三の顔のアップが映し出されて、気分は悪くなるわ飯は不味くなるわ。腹が立つのはあの広告料というのは我々の税金から出ていることだ。冗談じゃない、自民党になんて1円の金も出したくないのに、計算では毎年自民党に100円ほど献金している勘定になる。こんな馬鹿げた法律がまかり通っている日本の政治、何とか変えなくてはいけない。第一、自分が支持していない政党に国家が強制的に献金させる制度は民主主主義とはあいいれず、思想信条の自由に反する。

増税するなら先ず国会議員が身を切るべきという議論があるが、その通りだ。その最も手っ取り早くかつ効果的なのは政党助成金(政党交付金)を廃止することだ。議員定数削減を主張している党もあるが、これが意外に効果が小さい。
政党助成金をなくせば年間320億円が削減できる。
一方、国会議員一人当たりにかかる費用というのは色々な計算方法があるが、ざっと一人年間7000万円ほどと思われる。
極端な例として衆議院議員をゼロにしてみても、削減できる金額は約332億円となる。
つまり政党助成金の廃止は衆議院の廃止に見合うほどの予算削減効果があるわけだ。
政党助成金はまた政治腐敗の温床にもなっている。助成金を受け取っておきながら消滅した政党は30を超える。だが返金した政党は皆無だそうだ。まるで助成金詐欺だが、捕まった人間は誰もいない。欠陥だらけの法律なのだ。

選挙になっても投票に行かない人が少なくない。気持ちは分かる。
本来は有権者は等しく一人1票のはずが、定数是正がいっこうに行われないため、住んでいる地域によってはこれが0.5票だったり0.3票だったりしている。参政権という基本さえ守られていない。
小選挙区制が導入されてから死票が増えた。何人立候補しても当選は一人だけだから、投票しても落選してしまう確率が高いのだ。
ムリヤリ定数1にしているため有権者の多い地域は細分化され、私のいる選挙区では区議会選挙より国会議員選挙の方が地域が狭い。
亡くなった土井たか子が晩年、自分が衆院議長の時に小選挙区制度を導入したことを悔いていたそうだが、後悔先に立たずだ。
今の選挙制度は、有権者が投票に行きたくなくなるようにしているとしか思えない。だからといって棄権したら、それこそ相手の思うツボだ。
棄権するということは現状を認めるということだ。
とにかく投票には行こう。投票しないことには何も変わらないのだから。

2014/12/12

『海をゆく者』(2014/12/11)

『海をゆく者』
日時:2014年12月11日(木)14時
会場:パルコ劇場

作:コナー・マクファーソン
翻訳:小田島恒志
演出:栗山民也
<   キャスト   >
吉田鋼太郎:「リチャード・ハーキン」イブの少し前に頭を打ち眼が見えない。風呂が嫌い。酒はアイリッシュウィスキー”パワーズ”
平田満:「ジェームス・”シャーキー”ハーキン」リチャードの弟でイブの数日前に帰ってきた。運転手などをしていたが今は無職。酒乱のために禁酒中。
浅野和之:「アイヴァン・カリー」ハーキン兄弟の古くからの友人で妻子あり。ど近眼。酒は”ハープ・ビール”とアイリッシュウィスキー。
大谷亮介:「ニッキー・ギブリン」リチャードの友人。シャーキーと以前付き合っていた女性といい仲。酒は”ミラー・ビール”
小日向文世:「ミスター・ロックハート」ニッキーの知人。裕福そうな紳士だが謎めいた所もある。

アイルランドの劇作家・コナー・マクファーソンの戯曲『海をゆく者』は2006年のロンドン初演以来、イギリス各地やブロードウェイなどで上演されてきた。日本での初演は2009年で、今回は演出もキャストも同じメンバーでの再演となる。
ストーリーは。
舞台はアイルランド北部の郊外にある海岸線に沿った町、バルドイル。その町にある一軒の家にリチャードが暮らす。リチャードは少し前から目が不自由になり介添えがないと生活できない。そこに弟のシャーキーが帰ってきて兄の面倒を見始める。兄弟の友人アイヴァンはイブから飲み続けていて、そのままこの家に泊ってしまった。
クリスマスの挨拶にニッキーが訪問してきて、知人という裕福そうな紳士・ロックハートを伴っている。酒で面倒を起こして禁酒中のシャーキーを除いた4人は乾杯をくりかえし泥酔状態。
たまたまシャーキーとロックハートの二人が部屋に残った僅かな時間に、ロックハートがシャーキーに対し、これからトランプゲームを行い自分が勝ったらシャーキーを壁の穴を通って地獄に導くと宣言する。動揺するシャーキーだが、結局は5人でテーブルを囲み酒を飲みながらポーカーが始まるが・・・。

作者による作品解説によると、この作品はアイルランドの民話、例えば以下の「ヘルファア・クラブ」の話が元になっているようだ。
ある嵐の夜、ヘルファイアの人々が人里離れた隠れ家で酒盛りとポーカーを楽しんでいたら、見知らぬ男が嵐を避けるためにこの家を訪れ一緒にポーカーゲームに加わった。仲間の一人がたまたま下に落ちたカードを拾おうとして男の足を見ると、蹄が割れていた。驚き怯える人びとに、見られた事を知った男は雷鳴にと共に姿を消した。彼の正体は「悪魔」だった。

この作品を理解する上でもうひとつ大事なことは、アイルランド気質(かたぎ)があるようだ。
明るくユーモアがあってフレンドリー、何より会話が好き。酒好きで朝までパブでなんて珍しくない。友人を大事にするが時間には少々ルーズ。カードゲームが好きで、食事が終わると家族でカードに興じることが多い。
以上の点を頭に入れておくと、この芝居がより理解しやすいだろう。


不思議な芝居だ。休憩含め約4時間の舞台は5人の中年男たちがひたすら飲み、騒ぎ、ポーカーに興じる姿が描かれる。なにか事件が起きるでもなく、特に面白いことがあるわけでもない。
それでも飽きることなく最後まで楽しめたのは作品そのものもあるが、翻訳が良くこなれていたことと、常に俳優を動かして見せた栗山民也の演出に負うところが大だ。
出演者も揃って好演。短気で喧嘩早くいつも大声を張り上げているが実は心優しい兄を演じた吉田鋼太郎、鬱屈した人生を送るが最後に希望を見出す弟を演じた平田満、呑気で要領良く生きているようだが陰の部分を持っているアイヴァンを演じた浅野和之、アイルランドの男ってきっとこんなんだなと感じさせたニッキー役の大谷亮介。そして表面上はいかにもスマートな紳士に見えて不気味な雰囲気を醸し出しているロックハート役を演じた小日向文世が舞台を締めた。

芝居を見終って、一度アイルランドに行きたくなったのは確かだ。

東京公演は12月28日まで。

2014/12/10

シス・カンパニー「鼬(いたち)」(2014/12/9)

シス・カンパニー公演『鼬(いたち)』
日時:2014年12月9日(火)14時 マチネ
会場:世田谷パブリックシアター
作: 真船豊
演出:長塚圭史
<   キャスト   >
高橋克実/「だるま屋」当主・萬三郎
江口のりこ/妹・おしま
白石加代子/母親・おかじ
鈴木京香/叔母・おとり
峯村リエ/債権者・伊勢金のおかみ
山本龍二/ 同 ・山影先生
佐藤直子/ 同 ・古町のかかさま
赤堀雅秋/仲介人・喜平
塚本幸男/馬車ひき・弥五

本戯曲は劇作家・真船豊のデビュー作で、戦前戦後から現在にいたるまで多くの劇団によって上演されてきた。初演は1934年(昭和9年)で、真船豊の故郷である福島県会津地方の農村を舞台に、没落した旧家をめぐって肉親同士が骨肉の争いを繰り広げる様を赤裸々に描いている。
ストーリーは。
昭和初期の東北地方の旧街道に沿った村で、元は家老の定宿であった「だるま屋」が舞台。今ではすっかり落ちぶれ、家屋敷は抵当に入っている。当主の萬三郎はひと山当てに南方へ行ったきり、家は老母のおかじが一人で守っている。そこへ亭主がヤクザで服役中という娘おしまが子ども二人を連れて家に戻ってくるが日長一日酒浸りの有り様だ。
遂には家屋敷の処分が決まり、債権者である伊勢金のおかみや馬医者の山影先生、古町のかかさまが集まって取り分をめぐって腹の探り合いが始まる。
そこへ先代の娘でおかじの義妹にあたるおとりが現れる。おとりは若い頃さんざん悪事と不義理をはたらき家は勘当され村から出奔した過去を持つ。悪知恵ひとつで各地を渡り歩き、今では上州で織物工場を経営するまでに出世している。おとりの金満ぶりに村人たちの態度も変わってくる。
そんな折り、萬三郎が南方から帰国してくるが、金を稼ぐどころか借財まで背負ってくる始末。泣きつかれたおとりは家屋敷の借金と萬三郎の借財を立て替え、債権者に支払う。この事は二人の内緒で、外聞は萬三郎が稼いだ金で返したことになっている。そんな事情を知らないおかじは、おとりに向かって「この泥棒鼬!」と罵る。
しかし、おとりには萬三郎の借財を立て替えた代りに家屋敷を自分の名義に変えて乗っ取るという計略があった。近くに鉄道が通れば、ここの土地は一変すると踏んでいたのだ。事情を知らぬ萬三郎を騙し、山影先生を抱き込んで登記変更の手続きを進める。
萬三郎が再び南方へ出稼ぎに行くと、おかじはおとりに家を出て行くように迫る。ここに至っておとりは借金返済を自分が行い、この家屋敷も自分のものになる事をおかじに告げる。絶望の果てに憤死するおかじ、それをじっとみつめるおとり・・・。

主人公のおとりは着の身着のまま家を飛び出し、女工や女中奉公をしながら経営者の妾になり、その旦那が死去すると(世間では毒殺という噂も)財産の分配を得て資金とし、折からの人絹ブームに乗っかって織物工場を立ち上げる。周辺の農家の貧しい少女を集め、衣食住を与えるだけでタダ働きさせる。使い物にならなくなれば解雇し、また他から新しい少女を雇う。こうして蓄財を重ねてきた。
しかし彼女の最後の居場所は、やはり故郷の地に求めた。
こう書くと、80年前に『鼬』が描いた世界は今もそう大きな違いはなさそうな感じがする。農村部のドロドロした人間関係は今でも残っているだろう。
そして何より、人間の要望というのは全く変わっていない。遺産相続や金銭貸借に関する骨肉の争いは今も日常茶飯事だ。
この芝居が、現在も繰り返し上演されている理由はそのためだろう。

出演者では老母を演じた白石加代子が圧倒的な存在感を示していた。おとりに真実を打ち明けられた後の絶望感と悲しみが、後向きの背中に溢れていた。
主役のおとりを演じた鈴木京香は、涼しい顔をして悪知恵を働かせる強欲な女を好演。最近、世情を騒がせている「毒婦」もかくやと思わせる。強いて欠点をあげるなら、役柄からすると美し過ぎることか。大竹しのぶが演じたらどんな舞台になったろうかと、ふと思った。
高橋克実を始め芸達者な出演者が揃い、緊張感のある舞台を盛り上げていた。

公演は28日まで。

2014/12/07

「雲助蔵出し ぞろぞろ」(2014/12/6)

「雲助蔵出し ぞろぞろ」
日時:2014年12月6日(土)14時
会場:浅草見番
<  番組  >
林家つる子『たらちね』
古今亭志ん吉『短命』
五街道雲助『辰巳の辻占』
五街道雲助『禁酒番屋』(馬生版)
~仲入り~
五街道雲助『掛取万歳』

今年最後の「雲助蔵出し ぞろぞろ」、常連客が多いせいかあちらこちらで話の輪ができる。こういう和やかな雰囲気の会はいい。

志ん吉、語りが良い。将来性ありと見た。でも、なんでこのネタ? 近ごろやたら若手で『短命』を掛ける人が多いが感心しないね。せっかく雲助の会に呼ばれたんなら、もっと他にネタはあっただろうに。

雲助の1席目『辰巳の辻占』
師匠の10代目馬生が得意としていてCDも市販されている。『星野屋』にも似ている噺だが、高座にかかる機会は少ない。
ムジンで大金を得た男が、いずれ所帯を持つという約束を交わした辰巳の花魁からお金を預かると言われる。怪しんだ男の叔父が、女の真意を計るべく一計を授ける。
男が花魁に逢いにゆき、「酒の上の喧嘩で友だち二人を殺してしまった。もう生きていけないから一緒に大川に身を投げて死のう」という。女は渋々同意し、二人は吾妻橋へ。南無阿弥陀仏と手をあわせ、ひぃふぅみぃで飛び込むという約束をするが、女は身代りに石を川へ投げ込む。本当に飛び込んでしまったと驚き動揺した男は、近くにあった石を川の中へ。
「あの馬鹿、本当に飛び込んじゃったわ。音を聞けば、石か人か解りそうなものなのに。やれやれ…」とばかり女は店へ。一方男も後味の悪いまま忘れ物を取りに店に戻る。二人は店の前でバッタリ。
「あっ、お前!」
「あらぁ、お久しぶり!」
「この野郎! 何が『お久しぶり』だ」
「だって…娑婆で会ったばかりじゃないか」
雲助も語っていたが、先代馬生に比べ滑稽味の強い噺に仕立てていた。
『品川心中』『星野屋』にも通じる当時の女性たちのしたたかさが窺われる一席。

雲助の2席目『禁酒番屋』(馬生版)
このネタは柳家のお家芸で、たいがいの演者は柳の型で演じるのだが、敢えて先代馬生版での高座。雲助によると残された録音はあまり出来が良くなく、少し手を入れたとのこと。元は上方から移された噺だが、馬生版はそのオリジナルに近いようだとのこと。
柳家版との違いは以下の通り。
・酒飲みの武士は酒屋で5合あけ、寝酒に屋敷まで1升届けるよう番頭に命じ、小判を置いて行く。
・最初の小僧はカステラをくりぬき5合徳利2本に酒を詰め、さらに上からカステラをかぶせて持参する。番屋の侍から徳利を取り出され詰問されると「カステラ水」だと言い逃れしようとする。番屋の侍にバレテ飲まれてしまう。
・2番目の奉公人は庭職人の恰好で、肥料の「油かす」のビンに酒を詰めて持参するが、やはりバレテ飲まれてしまう。
・実は、番屋の二人の侍は酒好きで、酒屋にもツケが溜まっていた。番頭としてはそういう経緯から大目に見てくれるのではという期待があったのだが、裏切られた形となって怒る。1升ビンの小便を詰めるとき、便所に入ろうとしていた女中を呼び止め、ビンの上に「漏斗(じょうご)」を付けてそこへ女中に小便をさせる。よほど溜まっていたとみえて1升ビンから溢れ出る。番頭はそのビンをさげて番屋に向かい、「小便です」と差し出す。番屋の侍の「むぅ、この正直者め!」のサゲは同じ。
特に女中が1升ビンに小便をするのを番頭が後ろから見ていると言った描写は柳家版とは大きく異なる(10代目文治は一部採りいれているが)。少々下品ではあるが、これはこれで面白かった。
こういう試みは、この会ならでは。

雲助の3席目『掛取万歳』
マクラで、毎年一門の忘年会は師匠のオゴリだったが、もう既に弟子3人ともトリが取れる真打に達したし、それもこれも師匠のお蔭ではないかと話したところ、今年から師匠を招待する形式になったとか。何でも言ってみるもんだと。
年末恒例のネタである『掛取万歳』だが、これをフルバージョンで演じられる噺家が少ない。後半の義太夫、芝居、三河万歳が全て出来ないと高座に掛けられないからだ。だから最近では途中で切って、『掛取り』のタイトルで演じられるケースが多い。しかしこのネタは、掛取りの撃退だけで終わらせるのではなく、最後の三河万歳で正月の目出度い気分につなげてゆくことが眼目だ。
雲助の本寸法の『掛取万歳』で、最後は目出度くお開き。

2014/12/06

『伊賀越道中双六』(2014/12/5)

『通し狂言伊賀越道中双六(いがごえどうちゅうすごろく)』五幕六場
近松半二ほか=作
国立劇場文芸研究会=補綴
序 幕 相州鎌倉 和田行家屋敷の場
二幕目 大和郡山 誉田家城中の場
三幕目 三州藤川 新関の場 同裏手竹藪の場
四幕目 三州岡崎 山田幸兵衛住家の場
大 詰 伊賀上野 敵討の場
<  配役  >
中村吉右衛門:唐木政右衛門
中村歌六:山田幸兵衛
中村又五郎:誉田大内記/奴助平
尾上菊之助:和田志津馬
中村歌昇:捕手頭稲垣半七郎
中村種之助:石留武助
中村米吉:幸兵衛娘お袖
中村隼人:池添孫八
嵐橘三郎:和田行家/夜回り時六
大谷桂三:桜田林左衛門
中村錦之助:沢井股五郎
中村芝雀:政右衛門妻お谷
中村東蔵:幸兵衛妻おつや
ほか

12月5日、国立劇場で行われた『通し狂言伊賀越道中双六』を観劇。
この狂言は昨年11月に同じ国立劇場で上演されたばかりだが、今回は四幕目「三州岡崎 山田幸兵衛住家の場」を全体のクライマックスとして44年ぶりの上演としたことが特長だ。
物語の背景については、以下に昨年11月の記事をそのまま再録する。
この芝居は「日本三大仇討」と呼ばれる,曽我兄弟の仇討,赤穂浪士の討入り,伊賀上野の敵討、の中の伊賀上野の仇討を素材として書かれたものだ。
昔から初夢に見ると縁起が良いとされるものに「一富士二鷹三茄子」という言葉があるが、一説によれば「一に富士,二に鷹の羽の打ち違い,三に名を成す伊賀の仇討」といって三大仇討を指すのだそうだ。一富士は曽我兄弟が仇を討った“富士の裾野”を,二鷹は赤穂浪士の主君・浅野内匠頭の“丸に違い鷹の羽の家紋”を,三は“伊賀上野鍵屋の辻の敵討”で名をあげた荒木又右衛門のことで,「名を成す」は成すと茄子の掛け言葉になっているのだという。
この伊賀上野の仇討というのは他と違った大きな特色がある。当時の仇討というのは尊属、つまり主君や親など目上の者に対すると限定されていた。しかしこの仇討だけは兄が弟の仇を討つという、通常では有り得ないケースだ。本来は同僚同士の刃傷沙汰だったものが、なぜここまで大きな事件となったかというと、そこには複雑な事情があったからだ。
ことの起こりは高崎藩主・安藤重信の家臣だった河合半左衛門が同僚に切りつけたことが発端で、半左衛門は脱藩して備前岡山藩主・池田忠雄の家臣となる。ここで譜代の安藤家と外様の池田家の間に軋轢が生まれる。
時は移り、今度は半左衛門の息子・河合又五郎が岡山藩内で同僚の渡辺源太夫を殺害する事件が起きる。河合又五郎は逐電し、直参旗本・安藤次左衛門に匿われるのだが、この旗本が高崎藩主・安藤重信の縁戚関係にあった。
事件は譜代大名と外様大名、直参旗本の三者が入り乱れて対立するという大事件に発展してしまう。
岡山藩主・池田忠雄は若死にするが遺言で源太夫の兄・渡辺数馬に対し河合又五郎を討つよう命じる。ここで「上意討ち」という大義名分が生まれてわけだ。
幕府はこの件に限り数馬と又五郎の決闘を許可し、数馬が姉婿の荒木又右衛門の助太刀により,寛永11年(1634)に伊賀上野の鍵屋の辻で又五郎一行を討ち果たす。
芝居の『伊賀越道中双六』は,天明3年(1783)に大阪で初演された。当時は実在の人物をそのまま芝居に登場させることは禁止されていたため,時代を室町時代に置き換えている。岡山藩を鎌倉の上杉家に,登場人物も荒木又右衛門を唐木政右衛門,渡辺数馬を和田志津馬,河合又五郎を沢井股五郎としている。題名の由来にもなっているように,鎌倉を振り出しにして,道中双六のように東海道を西へ上っていくように物語が展開させていく。

あらすじは。
上杉家の家老・和田行家が家中の沢井股五郎に殺される「行家屋敷」から始まり、続く「誉田家城中」では唐木政右衛門が御前試合でわざと負け、主君・誉田大内記の不興を買って浪人する。敵討ちの旅に出立するためと見抜いた大内記は政右衛門に志津馬を対面させた上出立させる。
「藤川新関」では、かつて政右衛門に剣の手ほどきをした山田幸兵衛の娘・お袖と志津馬が出会います。お袖に恋慕している沢井家の奴・助平は、その粗忽ぶりが災いして志津馬に通行切手と書状を奪われ、政右衛門の関所破りを助けることになる。
「岡崎」では、志津馬は奪った書状を証拠に沢井股五郎に成りすまし幸兵衛に匿われる。股五郎に味方する幸兵衛は十五年ぶりに再会した弟子が唐木政右衛門であるとに知らず股五郎への助太刀を頼む。政右衛門は素性を隠すため逢いにみた妻・お谷を追い返し、お谷が抱いてきた最愛の一子を手に掛けてしまう。幸兵衛は政右衛門の眼中の涙に気付き彼の正体と覚悟を知るに及びます。すでに志津馬の正体にも感付いていた幸兵衛は二人に股五郎の行方を教えるの。政右衛門が雪中のお谷を屋内に入れず莨(たばこ)の葉を刻んで苦衷に堪える場面は通称「莨切り」と呼ばれる。大詰の伊賀上野の「敵討」で、政右衛門は志津馬に本懐を遂げさせる。

昨年の上演では狂言回し役として呉服屋十兵衛を登場させ世話物風な筋立てだったのに対し、今回は政右衛門とその妻子との情愛と悲劇を中心に置いている。「岡崎」の幕は緊張感に溢れ演者も揃って熱演だった。しかしいかに本懐のためとは言え、雪道に倒れ込んだ妻を放置したのはともかく、子供まで刺殺してしまうというのは「そこまでやるか」の感をぬぐえない。現在の観客にどこまで共感を得られただろうか。戦後2回しか上演されなかった理由はこの辺りにあったのでは。

政右衛門役の吉右衛門だが「岡崎」の場を中心にして熱演だったが、一部セリフが不明瞭に聞こえた。特に幸兵衛と昔話をする際に言葉が乱れたように感じたのは気のせいだろうか。
志津馬役の菊之助は口跡が良く立ち振る舞いが颯爽としている。お袖を誘惑する時の色気も十分。
誉田大内記役で又五郎が気品を見せ、一転して奴助平役ではコミカルな演技を見せ好演。
幸兵衛役の歌六は「岡崎」で肚を見せ、お袖役の米吉が若い娘の愛らしさと大胆さを表現していた。

2014/12/03

落語睦会「扇遊・鯉昇・喜多八」(2014/11/2)

噺小屋「落語睦会~冬薔薇のゼントルマン」
日時:2014年11月2日(火)18時30分
会場:国立演芸場
<  番組  >
三遊亭ぬう生『定年ホスト』
入船亭扇遊『棒鱈』
~仲入り~
柳家喜多八『にらみ返し』
瀧川鯉昇『宿屋の富』

この会は東京音協主催の「噺小屋」シリーズの催しとして行われてきたが、音協の事業再編で落語会から撤退することが決まったようで、次回からは音協の担当者が引き継ぐ別の組織の主催となるそうだ。
元々「音協」というのは「労音」に対抗するために財界の後押しでできた組織だったから、その潰すべき相手が弱体化した今日、もはや存在意義を失ったのかな。よく分からない。
ともかく、今後も別の形で継続はされるとのことだ。
会のタイトルは毎回季語に因んだ言葉が使われているんだそうで、今回は「冬薔薇」、冬に咲くバラのことで「ふゆそうび」と読む。「ゼントルマン」という表記も古いですね。ひと昔前の日本人は「ジェ」という発音が難しかったようで、会社でも入社した当時は「プロゼクト」なんて言ってたね。「ビルディング」は「ビルヂング」だった。「ゼントルマン」、漢字で書くと「銭取人」。

ぬう生『定年ホスト』、主催者から新作ということで声がかかったようだ。定年になったサラリーマンがアルバイトでホストをやるという話だが、それだけでヒネリがない。

扇遊『棒鱈』
マクラで今年の流行語大賞の話題。「集団的自衛権」は知っていたが「ダメよ~ダメダメ」は知らなかったそうだ。アタシと一緒。あれってホントに流行っていたの。試しにユーチューブで見たけど面白くもなんともない。もしかして「集団的自衛権はダメよダメダメ」という意味なのかな。
あと、師匠の扇橋が酒が呑めないので、一門の忘年会は「句会」なんだそうだ。俳句の苦手の人は苦痛だろうね。「句会」じゃなくて「苦界」だね。
酔ってロレツガ回らなかった男が、いきなり胸のすくような啖呵を切るなんざぁ、よほどこの江戸っ子は田舎侍が腹に据えかねたとみえる。扇遊らしい真っ直ぐな高座。

喜多八『にらみ返し』
マクラで、行きつけの店が閉店してしまいやることが無くて仕方なく落語の稽古をしている。これじゃまるで落語好きな素人みたいだと言っていた。
年末らしい掛取り撃退のネタ。掛取りに来たのを睨んで返すという筋なので、このネタは目の大きい人でないと映えない。8代目三笑亭可楽が十八番としていたが、眼の演技が上手い喜多八にはピッタリの演目だ。

鯉昇『宿屋の富』
マクラで今年のノーベル物理学賞受賞者の一人が同郷で学校も同じ、子どもの頃から変わっていたという。何が変ってたのかというと、授業中にいつも起きていたとか。
安宿に宿泊した男が宿の主人相手に大法螺を吹くのだが、庭に富士山や琵琶湖があると聞いた段階でたいがいホラに気付きそうなもんだ。上沼恵美子じゃあるまいし。
以前なにかで読んだことがあるが、本当の大金持ちというのは途方もないんだそうだ。熱海に住むある資産家を訪れたら広大な庭があり静寂を極める。お静かですねというと、「でも近ごろは庭に隅に新幹線が通るよになって、少しうるさくなりました」と答えたという。こういう人もいるのだ。
2番富に当たると信じている男の妄想と、泊り客が千両富の当りを確認して茫然自失する場面を中心に描き、年末らしく目出度い結末でお開き。鯉昇のとぼけた味が活きていた。

この会はレギュラー3人に二ツ目一人という構成だが、過去のネタ帳をみるといずれも古典だ。今回新作を選んだのは異質な感がある。

2014/12/02

菅原文太の死去を悼む

映画俳優の菅原文太が11月28日に亡くなった。享年81歳だった。
先に行われた沖縄県知事選では翁長支持の集会に参加し、元気な姿を見せていたと報じられていたのだが、それから1ヶ月もしない間の死去だった。
映画俳優としては決して順調な道を歩んだわけではない。新東宝に入社し、いわゆる二流三流の映画に何本か主演したが、新東宝が倒産。一時期、松竹に移るが端役ばかりでパッとせず東映に移籍する。東映は任侠映画の最盛期だったが、ここでも脇役ばかり。
頭角を現したのはむしろ任侠映画が下火になった1970年代になってからで、「まむしの兄弟」シリーズに主演した頃からだった。

菅原文太が東映のトップスターの地位を確保したのは何といっても「仁義なき戦い」シリーズだ。「実録」ものの代表作だ。
第1作を映画館で初めてみた時は衝撃を受けた。それまでの任侠映画で美化されたヤクザと異なり、そこには等身大のヤクザの姿があった。第1作は戦争直後の広島を描いていたが、敗戦後の日本人の大半は多くのものを失い、補償もなければ賠償もない。とにかく日々生きるだけが精一杯だった。その姿がヤクザ社会を通して描かれていたのだ。ハンドカメラを駆使したドキュメンタリー風な画面、ザラついた映像、不安をかきたてるような音楽。そして何より出演者たちの熱狂がスクリーンを通して伝わってきた。
撮影中にガラス窓を突き破って外へ飛び出すという危険な場面があって、撮影スタッフが大部屋の俳優たちに「誰かヤル気のある奴はいないか?」とたずねると、そこにいた30人以上の俳優全員が「はい」と手をあげたというエピソードが残されている。そうした生きるために必死の姿がそのまま映像の反映されていたわけだ。その頂点に立っていたのが菅原だった。
原作が週刊誌に連載中から映画化されたら主演を希望していた菅原文太は主役の広能昌三を演じたが、この映画の成功は菅原抜きでは語れないと思われるほどの適役だった。
結局、私はこの「仁義なき戦い」シリーズ5本、「新」シリーズ3本、「続」を加えて9本全てを観たことになるが、このようなシリーズ全ての作品を映画館で観たのは後にも先にも「仁義なき戦い」だけだ。

50歳を過ぎてから菅原文太は身寄りのない在日韓国人、朝鮮人の老人ホーム建設に取り組み、後年は自然保護運動を通じて反原発、秘密保護法の撤廃について積極的な発言を行っていた。
沖縄県知事選での翁長雄志支援集会では、「政治の役割は二つ、国民を飢えさせないことと、絶対に戦争をしないこと」と語っていたとある。
以下は妻・菅原文子さんのコメントである。
【七年前に膀胱がんを発症して以来、以前の人生とは違う学びの時間を持ち「朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり」の心境で日々を過ごしてきたと察しております。
「落花は枝に還らず」と申しますが、小さな種を蒔いて去りました。一つは、先進諸国に比べて格段に生産量の少ない無農薬有機農業を広めること。もう一粒の種は、日本が再び戦争をしないという願いが立ち枯れ、荒野に戻ってしまわないよう、共に声を上げることでした。すでに祖霊の一人となった今も、生者とともにあって、これらを願い続けているだろうと思います。
恩義ある方々に、何の別れも告げずに旅立ちましたことを、ここにお詫び申し上げます。】

菅原文太さん、ありがとう。
心よりご冥福をお祈りします。

2014/12/01

喬太郎の秀作『拾い犬』でハネた「さん喬一門会」(2014/11/30昼)

「師匠と弟子四人寄れば一門の智恵~柳家さん喬一門師弟五人会」昼の部
日時:2014年11月30日(日)13時
会場:よみうり大手町ホール
<  番組  >
前座・林家つる子『手紙無筆』
柳家喬之助『短命』
柳家さん喬『夢の酒』
柳亭左龍『妾馬』
~仲入り~
柳家喬太郎『幇間腹』
柳家さん喬『時そば』
柳家喬太郎『拾い犬』

よみうり大手町ホールで行われた柳家さん喬と弟子の真打4人による一門会は昼夜公演だったが、その昼の部へ。一門は来年になると更に二人真打昇進となる。
さん喬から、喬太郎が初の弟子を取ったとの報告、高座名は「たろきち(字は不明)」とか。遂にかという感があり、どんな弟子か見てみたいね。
仲入り後は、喬太郎-さん喬-喬太郎でハネだったが、出番の順がいかにもこの一門らしい(夜の部は違っていたのだろう)。

喬之助が前座に女性が入ると楽屋が華やかになると言ってたが、それで落語会の前座に女流が多いのか。確かにオジサンばかりの中に若い女性がいると和むのかも知れないが、そんな事情で下手な落語を聞かせられる客の方はいいツラの皮だ。
喬之助『短命』、古典落語のネタにも流行り廃りがあるようで、この『短命(長命)』という噺は以前はあまり高座に掛からなかったが、近ごろはやたら多い。艶笑噺なので容易に客に受けるからだろうが、乱発する傾向は感心できない。特に若手が爽やかに演じるのを聴くと、ちょっと違うんじゃないのと思ってしまう。
さん喬『夢の酒』、マクラで弟子を評して、喬太郎は前ばかり見えて周囲が見えず、左龍は周囲は見えるが前が見えず、喬之助は両方が見えないと言っていた。
以前、立川談春が朝日紙上で、落語家の上手い下手はその人の能力で決まるが、落語家としての魅力は本人の努力で向上することが出来るといった趣旨の発言をしていた。確かに語りの「間」の取り方などは天性で、若手でも上手い人もいれば、ベテランになってもサッパリ上達しない人もいる。
さん喬の高座は、若旦那の夢の話をきいた女房が過呼吸になるほど逆上する過程を中心に描いた。この噺の教訓は、男が淫らな夢を見たときは、正直に妻に話てはいけないということ。
次にくだんの女性の所へ大旦那が夢で訪れる場面では、先代文楽は大旦那自身が酒の燗を催促するのだが、さん喬の方は女性が女中に燗の催促をさせていた。サゲの関係からいうと文楽流が自然のように思う。
左龍『妾馬』、一歩一歩階段をのぼるように着実に力をつけている左龍。様々な演じ方があるネタだが、全体として志ん生の演出に近いと思われた。いかにも江戸っ子らしく威勢のいい、口は悪いが実は母親思い妹思いの優しさを持つ男としての八五郎の造形が良かった。殿様もそうした八五郎の器量を見込んで士分に取り立てたのだろう。上出来の高座。

喬太郎『幇間腹』、遊郭が無くなり花柳界が寂れつつある今日、古典落語の舞台も演者自身が経験していないわけで苦労も多いんだろう。もっとも客も知らないんだから、その点は楽か。
この人の十八番の一つ、いつもより針をうたれる猫の描写が丁寧だったのは、2席目の伏線か。
さん喬『時そば』、ソバ代を客がそば屋に、ひぃ、ふぅ、みぃ、よぉと数えて渡す速度がユックリで、あれではそば屋が1文掠られるのが気付いてしまうのではと思った。ソバやツユのすすり方はお見事。

喬太郎『拾い犬』、新作で、それも11月にネタおろししたばかりのようだ。筋は、貧しい長屋の二人の少年が白犬を拾ってきて飼いたいと言うが、人間さえ食うに困ってる状況から無理だと親から言われてしまう。それならと大家に頼み込むが、大家もこんな長屋よりもっと豊かな家で飼って貰った方が犬にとっても幸せだと少年たちを説得し、大店の家に引き取ってもらう。その店のお嬢さんが白犬を可愛がり遊んでいる姿を眼にした少年の一人が毎日のように店の前に立つのを見て不憫に思い、主人が少年を小僧として雇う。
少年は懸命に働き、やがて手代になり、お嬢さんに思いを寄せるようになる。そんなある日、主人から呼ばれて一つは白犬が姿を見せなくなったこと、これは老いを自覚した犬が死に場所を求めて姿を消したんだろう。もう一つはお嬢さんに縁談が持ち上がっている事を告げられる。若者はお嬢さんへの思いは断ち切れないものの、釣り合わぬは不縁の元と諦めかける。
そんな折り、かつて白犬を拾った時の少年時代に親友だった男がすっかりワルになって若者に逢いに来る。彼は二人でお嬢さんをかどわかし、遊郭に売って金を山分けしようと誘いに来たのだ。若者が断ると男はドスを取り出して刺そうとするが、後から袖を引くものがある。振り向くとあの白犬が袖に食いついていた。それを見た男は諦めて去って行く。
この一部始終を見ていたお嬢さんは、縁談を断り若者と一緒の人生を歩む決意を固める。
今なお去っていったかつての親友の行く末を案じる若者に、お嬢さんは「去る(猿)者は追わずよ」と諭し、どうりで白犬とは犬猿の仲で、サゲ。
所々にクスグリを入れたり犬の物真似が入ったりしていたが、全体としては古典落語の人情噺風に仕上げた秀作。本人も手応えがあったからこそ、一門会の最後に持ってきたのだろう。
登場人物それぞれの描写に優れ、何よりセリフの「間」の取り方が絶妙。
喬太郎の新作落語では会心の高座と言っていい。

一門会の昼の部は喬太郎と左龍がさらった。

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