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2014/12/02

菅原文太の死去を悼む

映画俳優の菅原文太が11月28日に亡くなった。享年81歳だった。
先に行われた沖縄県知事選では翁長支持の集会に参加し、元気な姿を見せていたと報じられていたのだが、それから1ヶ月もしない間の死去だった。
映画俳優としては決して順調な道を歩んだわけではない。新東宝に入社し、いわゆる二流三流の映画に何本か主演したが、新東宝が倒産。一時期、松竹に移るが端役ばかりでパッとせず東映に移籍する。東映は任侠映画の最盛期だったが、ここでも脇役ばかり。
頭角を現したのはむしろ任侠映画が下火になった1970年代になってからで、「まむしの兄弟」シリーズに主演した頃からだった。

菅原文太が東映のトップスターの地位を確保したのは何といっても「仁義なき戦い」シリーズだ。「実録」ものの代表作だ。
第1作を映画館で初めてみた時は衝撃を受けた。それまでの任侠映画で美化されたヤクザと異なり、そこには等身大のヤクザの姿があった。第1作は戦争直後の広島を描いていたが、敗戦後の日本人の大半は多くのものを失い、補償もなければ賠償もない。とにかく日々生きるだけが精一杯だった。その姿がヤクザ社会を通して描かれていたのだ。ハンドカメラを駆使したドキュメンタリー風な画面、ザラついた映像、不安をかきたてるような音楽。そして何より出演者たちの熱狂がスクリーンを通して伝わってきた。
撮影中にガラス窓を突き破って外へ飛び出すという危険な場面があって、撮影スタッフが大部屋の俳優たちに「誰かヤル気のある奴はいないか?」とたずねると、そこにいた30人以上の俳優全員が「はい」と手をあげたというエピソードが残されている。そうした生きるために必死の姿がそのまま映像の反映されていたわけだ。その頂点に立っていたのが菅原だった。
原作が週刊誌に連載中から映画化されたら主演を希望していた菅原文太は主役の広能昌三を演じたが、この映画の成功は菅原抜きでは語れないと思われるほどの適役だった。
結局、私はこの「仁義なき戦い」シリーズ5本、「新」シリーズ3本、「続」を加えて9本全てを観たことになるが、このようなシリーズ全ての作品を映画館で観たのは後にも先にも「仁義なき戦い」だけだ。

50歳を過ぎてから菅原文太は身寄りのない在日韓国人、朝鮮人の老人ホーム建設に取り組み、後年は自然保護運動を通じて反原発、秘密保護法の撤廃について積極的な発言を行っていた。
沖縄県知事選での翁長雄志支援集会では、「政治の役割は二つ、国民を飢えさせないことと、絶対に戦争をしないこと」と語っていたとある。
以下は妻・菅原文子さんのコメントである。
【七年前に膀胱がんを発症して以来、以前の人生とは違う学びの時間を持ち「朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり」の心境で日々を過ごしてきたと察しております。
「落花は枝に還らず」と申しますが、小さな種を蒔いて去りました。一つは、先進諸国に比べて格段に生産量の少ない無農薬有機農業を広めること。もう一粒の種は、日本が再び戦争をしないという願いが立ち枯れ、荒野に戻ってしまわないよう、共に声を上げることでした。すでに祖霊の一人となった今も、生者とともにあって、これらを願い続けているだろうと思います。
恩義ある方々に、何の別れも告げずに旅立ちましたことを、ここにお詫び申し上げます。】

菅原文太さん、ありがとう。
心よりご冥福をお祈りします。

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コメント

素晴らしい晩年でもあったのですね。

佐平次様
こういう晩年を送りたいものです。

「トラック野郎」の精悍な顔つきが印象に残っています。
人情に厚くて、義侠心があって・・・
ほめ・く様が紹介して下さった晩年のご尽力には感銘を受けました。

菅原文太といえば、20数年前にシアターコクーンで観たスティングが印象に残っています。共演の錦織一清以上にかっこよかったです。

福様
菅原文太は井上ひさしの高校の1年先輩で、ボードレールを愛読し古書店主を悩ませるほどの読書家だったそうですから、後年の活動もそうした裏付けに基づいたものだったと思われます。

ぱたぱた様
スティングに出ていたのは知りませんでした。恰好良かったでしょうね。元々はモデル出身で新東宝では二枚目スターでしたから。

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