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2015/01/31

MMJ『悪』(2015/1/30)

MMJ主催『悪』
日時:2015年1月30日(金)14時
会場:紀伊国屋ホール
■脚本・演出  岡本貴也
■出演
高岡奏輔 陳内将 西丸優子
川上ジュリア 青柳塁斗 羽場裕一

結論からいえばここ数年に観た芝居の中で最も訳の分からぬものだった。
舞台は近未来の日本の大学、ある研究室で分子生物学上画期的な発明が行われた。合成した分子に「神の一撃」を与えると生物に変化するというもの。大学教授の指導のもと、若くて美貌の女性研究者のアイディアにより成功したものだ。記者会見が開かれ科学的な質問に混じって週刊誌記者から女性研究者への個人的な質問が飛ぶ。
ここまで書けば、理研のSTAP細胞騒動を誰もが想起するだろう。
教授は女性研究者への思いが募り地位や名誉と引き換えに関係を迫るが、これを週刊誌記者にかぎつけられ金を脅し取られる。にも拘らずスキャンダル記事が公表され、教授は地位を追われ後任に女性研究者が就く。ここからこの二人を中心に研究室の助手や学生、その恋人、先の記者らの人間関係が交差する。
女性研究者への復讐に燃える元教授は個人で研究を進め、「神の一撃」技術を使ってクローン人間を作ることに成功する。目的はそのクローン人間を操り女性研究者を殺害することだ。
結局、殺人は成功するのだが、愛憎が複雑に入り乱れるている人間関係の中で、一体誰が本当の「悪」なのかを問うというもの。
ストーリーとしては破綻が無いように見えるが、登場人物たちに生命が吹き込まれていない。全員が「そんな分けないだろう」と思える程、思考や行動が薄っぺらなのだ。もっと言えば「クローン人間並み」なのだ。そのために観ていて感情移入ができない。
ドラマだから致し方ないかも知れないが、教授が作り出したクローン人間は「クローン」ではなく、むしろ「フランケンシュタイン」ではなかろうか。それとこの技術でもしクローン人間が出来るなら死者を蘇えさせる事も出来るはずで、劇中の説明と矛盾してくる。
そんな難しい理屈抜きにして楽しめれば良いのかも知れないが、私は楽しめなかった。

公演は2月8日まで。

2015/01/29

四派の若手競演(2015/1/28)

「すっとこどっこい てやんでぃ こんこんちきの べらんめぇ」
日時:2015年1月28日(水)19時
会場:深川江戸資料館小劇場
<  番組  >
前座・三遊亭わん丈『看板のピン』
桂宮治『二番煎じ』
三遊亭萬橘『宮戸川』
~仲入り~
立川こはる『桑名船(五目講釈)』
三遊亭天どん『初天神』

落協、芸協、立川流、圓楽一門の四派の若手が顔を揃えた道楽亭主催の落語会、タイトルには特別の意味はない。
会場は6分程度で顔づけの割には入りが悪い。現役の一時期この辺りをよく飲み歩いたが、門前仲町と森下の中間にあたり当時は交通が不便だったが、大江戸線が出来てから便利になった。

前座のわん丈『看板のピン』、サブタイトルに若手5人の会とあり自分もカウントされていて感激したそうだ。この日は中央線の飛び込み自殺が多いというマクラを振っていた。アタシは子どもの頃から親に「電車への飛び込み自殺だけは絶対にするな」としつけられて来たので今日まで無事にいる。こういう家庭教育は必要かもしれない。
『看板のピン』は前座には珍しいネタといえる。まだ教わった通りにしゃべっているという段階だが、スジ(素質)は良さそうだ。

宮治『二番煎じ』、二ツ目ながら国立で定期的な独演会を開くなど既に真打並みの活躍をしているのはご存知の通り。この人のハイテンションで押しまくるという高座スタイルは前座時代から全く変わらない。『二番煎じ』のようなネタをどう演じるか注目したが、未だ荷が重いのかという印象だった。先ず、冬の寒風吹きすさぶ中で夜回りするという雰囲気が感じられない。辰っつぁんの「火の用心さっしゃりやしょう」の掛け声が全くダメ。番小屋の戻っての宴会で裸になってカッポレを踊るという趣向はムチャクチャだ。見回り役人が「煎じ薬」と出された飲み物を「これは酒だな」と言うのもおかしい。
全体に不満の残る高座だった。

萬橘『宮戸川』、ファミレスで60歳の男が年上の女性を口説いていたというマクラを振っていた。萬橘の4歳の息子の「大人のつまらないモノ」のエピソードは秀逸。後で天どんが、あれは仕込みだと言っていたが真偽のほどは分からぬが、ネタのマクラとしてはつながっている。
お花の叔母さんは男を作って今頃は沖縄に上陸しているという設定。それじゃお花の行き処はなく、半七に付いてゆくしかない。叔父さんの家の前で半七から離れろと命じられたお花は、半七が戸を叩いている間に少しずつ近づくという、まるで「達磨さんが転んだ」遊びのような動作を示すクスグリが面白かった。近くに雷が落ちてお花が半七の胸に飛び込むと、半七の全身の血液がある一カ所に集まってという表現もストレート。男性なら誰しも経験があることだろう。
天どんと比較される時があるが、決定的な違いは萬橘にはフラがあることだ。

こはる『桑名船(五目講釈)』、談春の下で長く辛抱しているだけでも偉い。よほどの根性の持ち主なんだろう。女流落語家の中で評価している数少ない中の一人だ。飲み屋で年齢確認を求められたというマクラを振ってネタに。このネタも滑舌の良さを活かして講釈を読んでいた。サメの造形も工夫されていた。

天どん『初天神』、マクラで先に出た萬橘をいじってネタへ。変わっていたのは天神様には行かず、全て長屋の中での出来事としていたことだ。元々が父親が子どもと買い物をする話だから、敢えて天神様を持ち出す必要も無いと言える。長屋の端の家で飴も、カラーひよこも、凧も売っている。この父親は飴玉の後はヒヨコを息子の口に放り込むし、凧を揚げると息子も一緒に揚げてしまうんだから、かなり乱暴。出かけて行く父子の背に母親が「切り火」を繰り返すギャグが効果的だった。改作としては成功したのではなかろうか。
二ツ目時代から何度かこの人の高座を見たが、この日が一番面白かった。

四派の若手による古典の競演、楽しめた。

2015/01/27

「吉良の仁吉」を知ってますか?

村田英雄のヒット曲『人生劇場』の3番にこういう歌詞があるが、皆さんも一度や二度は耳にしたことがあるだろう。
♪吉良の仁吉は 男じゃないか
 おれも生きたや 仁吉のように
 義理と人情の この世界♪
先日、家族に「吉良の仁吉(きらのにきち)」を知っているかと訊いたら誰も知らない。女房まで知らないと言うので驚いた。同世代の男なら殆んどの人が名前ぐらいは知ってるだろう。
吉良の仁吉は三州吉良(現・愛知県西尾市吉良町)出身の博徒で、清水次郎長の兄弟分。有名になったのは二代目広沢虎造の浪曲『清水次郎長伝』の中の『吉良の仁吉』だ。
博徒の穴太(あのう)の徳次郎が、次郎長一家が世話をしていた神戸の長吉(かんべのながきち)の縄張りであった荒神山を奪ったため、吉良の仁吉は「荒神山の血闘」に乗り込んだ。長吉側が勝利したが、仁吉は鉄砲で撃たれ死亡した。
仁吉は徳次郎の妹・お菊を妻に娶ったものの、長吉の助太刀のために徳次郎とは敵味方になるからと、事前に恋女房のお菊を離縁する。だから「吉良の仁吉は男じゃないか」「義理と人情のこの世界」と歌われているのだ。
では、この話と『人生劇場』とはどういう関係なのかというと、『人生劇場』は作家・尾崎士郎の大河小説で、吉良から上京し早稲田大学に入学した青成瓢吉が主人公の物語。瓢吉青年を助ける侠客に吉良常という人物がいるが、これが吉良の仁吉の末裔だ。だから「おれも生きたや仁吉のように」となる。
家族にとっては全て初めて聞くことばかりだったようだ。

ことの序に『赤城の子守唄』はと訊ねると、歌は知ってるという。「国定忠治」はというと、名前だけは知ってる。ではどういう物語かと訊くと誰も知らない。
赤城山に匿われていた国定忠治は、自分を密告したという罪で子分の板割の浅太郎に命じ、浅太郎の叔父にあたる御室の勘助を殺害させる。勘助は裏切りは忠治を救うためのものであったと釈明しながら、遺児の勘太郎の面倒を託して果てる。浅太郎は勘太郎を背負い勘助の首を抱えて、忠治の隠れ家に赴き事の仔細を告げる。忠治は勘太郎を連れて逃亡の旅に出るというストーリー。だから、「赤城の子守唄」となるのだ。
こちらは初代春日井梅鶯の浪曲でお馴染みだった。
『天保水滸伝』の「平手造酒(ひらてみき)」も、もちろん家族は誰も知らない。

作家の赤川次郎が書いていたが、近年の時代劇ドラマのヒーローはみな権力者側の人間が主人公になっている。「水戸黄門」「大岡越前」「暴れん坊将軍」「銭形平次」、全てそうだ。時代劇だけじゃない、ゴールデンアワーの人気ドラマも「刑事もの」「警察もの」が花盛りである。
侠客やヤクザを主人公にしたTVドラマは自主規制の対象であるらしい。
これからは、アウトローのヒーローは生まれて来ないのだろうか。
何だかツマラナイ世の中になってきた。

2015/01/24

「雲助五拾三次-雪-」(2015/1/23)

「雲助五拾三次-雪-」(2015/1/23)
らくご街道「雲助五拾三次-雪-」
日時:2015年1月23日(金)19時
会場:日本橋劇場
<  番組  >
五街道雲助『雑排(地口合せ)』/『夢金』/仲入り/
『鰍沢』

1月の雲助五拾三次のテーマは「雪」、日中は暖かかったが夕方から冷え込み季節感はピッタリだ。おまけに舞台に雪を降らせるという趣向もあり、座席でコートを羽織ってしまった。
この会は下記の要件を全て満たしており、理想的な「独演会」といえる。
1、出演者は本人だけ(前座もゲストも不要)
2、三席演じる(長講の場合は二席でも可)
3、公演時間が2時間以内(午後9時には終りたい)
4、会にテーマがある
出来れば全ての独演会はこう在りたいものだ。

雲助の1席目『雑排(地口合せ)』
番組表を見て来なかったので未確認だが、『雑排』か『地口合せ』だったか。
雲助の高座では以下の事柄がとりあげられていた。
先ず「俳句」、初雪という題で、
「初雪やこれが塩なら金もうけ」
「初雪や大坊主小坊主おぶさって転んで頭の足跡お供えかな」
以下、「地口(語呂合わせ)」では、
「蛇から血が出て、へびちで(ABCD)」”
「りん廻し」では、
「りんりんりんと咲いたる桃さくら嵐につられ花は散りりん」
「七度返し」では、
「山王の桜に去るが三下がり合の手と手と手手と手と手と」
などが次々披露される。このうち「地口」だけは『雑排』にはなく『地口合せ』の方にあるようだ。
このネタもほぼフルバージョンで聴いたのは初めてだし、雲助が演ると一段と面白くなる。やはり語りの確かさとセリフの「間」の取り方が巧みなのだ。

雲助の2席目『夢金』
「雪」に因んだ噺といえば先ずこれと、後から演じる『鰍沢』が代表的。雲助は他には思いつかないと言っていたが、『雪とん』『雪の瀬川』『橋場の雪』などのネタもあると思うのだが。
この噺、客はどうせ夢だと知っているだけに、演者はリアルな描写が求められる。熊が雪の中で体を凍えさせながら船を漕ぐ場面、客の侍から「一服やれ」と言われて熊が笠を取り、蓑を脱いで雪を払ってから屋根船の中に入る場面(雲助は羽織を脱いでの所作)などが丁寧に描かれる。侍に娘を殺すのを手伝えといわれて震える熊だが、相手が泳げないと知ると途端に強気になって居直る。この立場の逆転が、熊の一声で侍が先に中洲へ飛び入るという結果を招くのだ。
娘を店に連れ戻した礼金が200両、喜びさけぶ熊に船宿の主が声をかけてサゲ。
本来のサゲは、熊が思わず金を握りしめた瞬間「痛い!」、夢から覚めると熊はおのれのキンを握っていたというもの。「金」と「キン」を掛けたサゲだが品が無いので雲助は変えたのだろう。

雲助の3席目『鰍沢』
このネタは圓生が極め付け、というより圓生以外の高座では満足出来るものが無いと言った方が正確だ。
眼目はお熊と旅人との間の微妙な変化が表現されているかどうかだと思う。
当初、旅人は凍死する可能性もあったがお熊が家に招き入れ囲炉裏の火で温めてくれたお蔭で命拾いをする。いわば命の恩人としてかしこまっているのだが、お熊がかつて吉原の花魁でしかも自分の敵娼(あいかた)に出ていたことが分かると、旅人の心理に変化が生まれる。二人きりで相手は美女、それも一度は肌を合わせたことのある女なのだ。身の上話から玉子酒まで勧められては、旅人の邪念が少しは首をもたげて来ようというもの。この変化を圓生は巧みに表現していて、これは他の演者では見られない特徴だ。旅人が心を許したからこそ、胴巻きから2両だけ取り出すという不用心な事をしてしまい、お熊から狙われる羽目になるのだ。だからこの場面でのお熊と旅人との相対的な変化は欠かせない所だ。
さて雲助はどうだったか、旅人がお熊にいつまでも美しさが変らないと褒めた後で「ご亭主が羨ましい」という言葉を付け加えていた。これはかなり際どい表現で(ウソだと思ったらよその奥さんに言って見て下さい)、ここで旅人の「男」が顔を出した。
サゲは例の「お題目のお蔭で」ではなく、芝居噺のセリフで見得を切って終演。
納得の1席。

今回もいつもながらの充実の高座を見せてくれた。

2015/01/23

「雀々・菊之丞 二人会」(2015/1/22)

みなと毎月落語会「雀々・菊之丞 二人会」
日時:2015年1月22日(木)19時
会場:赤坂区民センター
<  番組  >
前座・立川らく人『花色木綿(出来心)』
古今亭菊之丞『芝浜』
~仲入り~
桂雀々『いたりきたり』
桂雀々『くっしゃみ講釈』
雀々と菊之丞とは妙な取り合わせだと思ったら初顔とのこと。
雀々は2011年から本拠地を大阪から東京に移し精力的に自分の会を開いているようだ。「落語市場」のマーケットサイズを考えたら大阪より東京の方がずっと大きいからだろう。

前座の立川らく人、近く二ツ目に昇進するそうだが、落語の語りで最も大事な「間」が取れていない。

この落語会での二人会は通常一人2席ずつだが、この日の菊之丞は仲入り前の1席だけだった。ネタは『芝浜』。ドラマに初出演したというマクラを振って演目へ。
20日に一之輔の高座を聴いたばかりだが、演出は対照的だ。菊之丞の高座は良く言えば丁寧、悪く言えば装飾が多すぎる。例えば魚勝が芝の浜で沖を眺めているときに、日の出とともに舟の描写がある。魚勝が断酒して得意先を回るとき、客が刺身を食べて明日からの出入りを許す。その客がまた他の人に魚勝を紹介する。魚勝は余った魚は煮つけにして売り、夜は板前として働く。こうして3年後には裏通りではあるが店を一軒持ち奉公人を二人抱える主となる。大晦日には女房は髪を結い畳を変えて亭主を迎える。女房が夢と偽って謝ったあと、亭主に妊娠している事を告げる。最後に酒を勧める時も亭主の好きな肴も用意している、などなど。ここまで来るとこれは一人芝居の世界だ。
先日の文我の会での枝雀の言葉、「落語家はデッサンで、色を塗るのは客」「落語を一人芝居にしてはいけない」を思い出す。
菊之丞の高座は色を塗り過ぎている。

雀々の1席目『いたりきたり』
枝雀に入門した当時の思い出や、習った小咄を紹介。雀々のいう様に枝雀の作った小咄は一風変わっていて、発想の奇抜さに感心させられる。やはり天才肌の人だったんだと改めて思う。
このネタも枝雀の作。男が友人宅を訪れると、ペットショップには売っていない小動物を飼っているという。どんな動物かというと、穴に出たり入ったりする「いたりきたり」や、トンネルの中を行ったり来たりする「でたりはいったり」で、小さなイタチの様な生き物だという。男が名前が逆ではないかと問うと、専門家が名付けたものだと言う。他にも水槽の中で寝たり起きたりしている「ねたりおきたり」などもいる。友人はそうした生き物を見ていると人生観まで影響を受け性格も変わって来たと言う。
とりわけストーリーがあるわけではなく二人の不思議な会話だけが聞かせ所だが、何となく可笑しい。

続けて、雀々の2席目『くっしゃみ講釈』
こちらは雀々節満開で、男が店先で「のぞきカラクリ」を語る時のオーバーアクションと八百屋の主の困惑ぶりや、唐辛子の煙でいぶされた講釈師が顔を歪めてくしゃみをする場面で、場内は爆笑。
雀々というと動きに目がいきがちだが、面白さは語りがしっかりしているからだ。胡椒を買いに行くアホな男の描写をさせたら雀々の右に出る者はおるまい。

久々の雀々、期待通りだった。

2015/01/21

鈴本演芸場二之席・昼・楽日(2015/1/20)

「鈴本演芸場正月二之席昼の部・楽日」
前座・春風亭朝太郎『道灌』
<  番組  >
春風亭朝之助『幇間腹』
伊藤夢葉『奇術』  
橘家半蔵『代書屋』
古今亭菊之丞『元犬』
大空遊平・かほり『漫才』
橘家文左衛門『桃太郎』
金原亭馬の助『かつぎや/百面相』
林家二楽『紙切り』  
柳家喜多八『短命』
~仲入り~
ストレート松浦『ジャグリング』 
三遊亭歌武蔵『漫談』
古今亭文菊『出来心』
三遊亭小円歌『三味線漫談/踊り』  
春風亭一之輔『芝浜』

先週に引き続き鈴本演芸場正月二之席へ。今回は昼の部で20日は楽日、正月興行の最終日となる。休演・代演がゼロということもあって出向いたが、客席は一杯の入り。やはり客席が埋まっていると高座にも活気が感じられる。普段あまり寄席に来ていないお客が多かったと思われ受けていたことも活気を与える要因だったと思う。
前座の朝太郎『道灌』、近ごろの(男の)前座は上手いのが多い。既に噺家のしゃべりになっている。一朝一門には人材が集まっているようだ。
朝之助『幇間腹』、死んだ猫を座敷に持ち込むというのは趣味が悪い。座敷に上がる前の幇間のセリフ回しが職人に聞こえる。それ以外は良かった。
夢葉『奇術』、最後に正月用マジックを見せて。
半蔵『代書屋』、小咄を続けていたがネタに入る。最近の東京落語の『代書屋』は権太楼が手本になっているようだ。時間が半分以下の短縮版だったが面白く聴かせていた。サゲが良く工夫されていた。
菊之丞『元犬』、軽く十八番を。
遊平・かほり『漫才』、今日のお客には受けていた。
文左衛門『桃太郎』、このネタは前座から大看板までが演じていて、筋は同じでも演じ方に演者ごとの細かな工夫がある。文左衛門が描く少年は、成人したらどんな大人になるか楽しみなような恐いような。
馬の助『かつぎや/百面相』、正月らしいネタの後は御目出度い百面相。近ごろでは珍しい古風な高座で何か懐かしさを感じる。
二楽『紙切り』、リクエストで「ひな祭り」と「土俵入り」を。  
喜多八『短命』、この人の中トリのネタは『短命』と『小言念仏』に当たる機会が多い。本人も何かの対談で寄席のネタは三つか四つあればと語っていたっけ。
ストレート松浦『ジャグリング』、いつ見ても鮮やか。
歌武蔵『漫談』、寄席にはこういう息抜きも必要だ。
文菊『出来心』、この人が演じると泥棒まで上品に見える。
小円歌『三味線漫談/踊り』、正月らしい唄と踊り、結構でした。
一之輔『芝浜』、正月明けに『芝浜』とは珍しいネタ選びだ。師匠の一朝のこのネタは聴いたことがないが、魚屋の名前が熊五郎で、腕の良い商人だったのが次第に酒におぼれ商売を疎かにしてゆく過程が前段にあるので、先代馬生-権太楼の流れかと推察する。芝の浜で財布を拾う場面はカットし、家に戻ってから経緯を女房に話すという筋立て。3代目三木助流の抒情を排し、3年後の大晦日になっても熊五郎は相変わらずの棒手振りのままという設定。断酒して商売一筋、良い品を届けて客に喜んで貰うのが何よりの喜びと語る熊に、女房は3年前の真実を語る。ここもお涙頂戴に流されずサラリと演じた。
このネタを演じるにあたりやたら大ネタ扱いしたり、泣かせる演出にしたりする向きがあるが、元々がそれ程の演目ではない。
一之輔のように肩の力を抜いてサラリと演じるのが正解なのだ。
ネタに対する解釈の仕方や纏め方にこの人のセンスを感じる。これは天性のものだ。
二之席のトリに起用されるわけだ。

夜の部に比べ全体として華やかで、色物を含め充実した二之席となっていた。

2015/01/19

「amazonのカスタマーレビュー」読まずに書評を書くなかれ

amazonでは主に書籍を購入しているが、その際にカスタマーレビューを参考にすることが多い。五つ星で評価されているのだが、やはり星の数の多い本に着目する。
しかし最近気になるのは、投稿者がその本を読んでいないのが明らかであるにも拘らずカスターレビューを書いているのが散見されることだ。そうした投稿はほぼ例外なく「読む価値がない」等と書かれ、星一つの評価が下されている。
amazonの場合、書籍だと「内容紹介」という欄で要旨が書かれており、著者名などからその本の概要が分かる。また既にいくつかレビューが掲載されていれば、より詳細に著者の主張点も知ることができる。そこで読んだふりをして書評を書くことも可能ではある。
では、なぜこの様な投稿がなされるのか。それはその書籍の内容が気に食わず、頭から内容を貶し否定し、レビューを読んだ人の買う気をなくさせるためだろうと推察される。
典型的な例としていわゆる「従軍慰安婦」関係の書籍を調べてみた。比較的良く売れていると思われるある本のレビューを見ると、評価が真っ二つに分かれている。高い評価がある一方、全く価値のない本であるという評価がいくつか寄せられ、なかには高い評価をしている人は中国人か韓国人であるという断定すら行われている。もちろん★一つという評価である。
amazonではレビューの後に
【このレビューは参考になりましたか?  はい いいえ】
を選択するようになっているが、これらのレビューに対しては多数の「はい」の回答が寄せられ、レビューの掲載順位も上位に並んでいる。
レビューの内容は本の批判というより、自己の主張を並べ立ててこの書籍は間違ったことを書いているというものだ。
この中のある人物を採りあげ、過去のレビューを調べてみると10冊近くの「従軍慰安婦」本にいずれも否定的なレビューを書いているのだが、どの著書に対しても自己の主張を一方的に述べていて★一つの評価、しかもその文章はどれも似たりよったりなのだ。読まずに書いているのは明白であろう。
「従軍慰安婦」問題については様々な意見があり、それをそれぞれの立場で主張することは自由だ。
しかしamazonのようなサイトのカスタマーレビューを利用し、特定の書籍を貶めるというやり方はルール違反であり、商品価値を下げることを意図しているなら営業妨害ともいえる。

amazonのカスタマーレビューに関しては書籍ばかりでなく他の商品についても問題になったことがある。自分が気に入らないタレントがCMに起用されていることを理由に、その企業の商品の評価を下げるために集中的な投稿が行われた例もあった。
辞書によれば、
【カスタマー【customer】:商品を購入した人。製品やサービスを利用している人。顧客。得意先。】
とある。
amazonに提案だが、カスタマーレビューを投稿できるのは購入者のみとして欲しい。
公正を保つためにはこうした規制も止むをえまい.

ネットでは自身のサイトでは何をどう主張しようと自由だが、他人のサイトや掲示板などに投稿する場合はある程度の節度が求められると、私はそう考えるし、そう心掛けている心算である。

2015/01/17

桂文我の珍しい噺三席(2015/1/16)

「桂文我 新春二夜連続落語会」第二夜
【日時】2015/1/16(金)18:00開演
【会場】お江戸日本橋亭
<  番組  >
開口一番・雷門音助『浮世床』
桂文我『七草』
笑福亭里光『近日息子』
桂文我『迷い子政談』
~中入~
桂文我『吉野狐』

桂文我が二夜にわたり新春や真冬にふさわしいネタを6席集めての公演、その二夜目に出向く。なかにはかなり落語に詳しい人でも聴いたことがない珍しいネタが含まれているという。高座に掛からない珍しいネタというのは大概はつまらないか、時代に合わなくなってきたかのいずれかだが、そこは演者の腕の見せどころでもある。
文我は3席それぞれに枕を振っていたが、いくつかを紹介する。
淡路島での結婚式の引き出物に大きな鯛の塩焼きが出て、文我が次の仕事があるというのに強引に持たされた。列車に乗っていてもとにかく臭うので覚悟を決めて新幹線の座席で全て食べたら、近くの席の人が感心していた。もう鯛は二度と食いたくないと思った、と。
引き出物とかお返しっていうのは迷惑なことがある。私も以前に告別式が2軒重なった時があり、前の式で出たお返しが大きな風呂敷に包まれた品物で、そのまま次の式場に持っていくのが憚れて、駅の大きなゴミ箱(かつては駅のホームに必ず置いてあった)に捨ててきたことがある。駅の人には迷惑だったろうが、葬儀のハシゴがミエミエっていうのも避けたかったのでね。
引き出物だのお返しなんて風習は止めた方がいい。

この日ゲストで出た笑福亭里光(芸協の真打)は、落語家として最初に入門したのは文我だった。但し「この師匠は自分には合わん」と4日で辞めてしまった。破門ということだ。その後、東京に出て鶴光の弟子になり今日に至る。里光の真打昇進披露の際は、鶴光と文我という新旧二人の師匠が口上で並ぶという前代未聞の光景であったよし。両師匠の人柄を物語っている。
文我は春団治に憧れていたが、たまたま落語会で、それも何かの事情で出番が変っていて、枝雀の高座『かぜうどん』を聴いて、この人に入門しようと決めた、と。
師匠・枝雀の人柄に触れ、他の噺家の悪い事は言わず良い事は言っていた。例えば自分より後輩の鶴光の高座を見て感心し、自分の今までの修行はなんだったのかと思ったという。他には右朝や正雀の高座を褒めていた。
枝雀から厳しく言われたのは、落語は一人芝居になったらいけない。噺家は高座ではデッサンを描き、お客が自分で色を塗るもの。噺家が色まで塗ってはいけない、と。
深イイ話ですね。

福島の原発の近い所に行ってきた話題も出て、除染作業や原発に近づくと線量が一気に上がるという体験を披露した。福島の方々は辛抱強く、あまり怒りを表に出さないようだとも。ここは橋下大阪市長に福島へ行って貰って東電に大声で怒鳴って貰いたい。そうすれば福島の人も喜び、橋下がいなくなった大阪の人も喜ぶ。客席も喜んでいました。

前座の音助『浮世床』、見るのは2回目だが、語りも動きも東京落語らしい風情が出ていて良い。期待できる。
里光『近日息子』、このネタの笑わせ所は2カ所あり、一つは父親が亡くなったと聞いた長屋の衆が「私思いますに、こらイチコロやと」「そら、あんたトンコロ(コレラ)でっしゃろ」「そうそう、そのコロそのコロ」とやりとりしているうちに、話が言葉の言い間違いのことに脱線して喧嘩になる場面。もう一つは弔問に行くことになるが、行ってみれば父親は元気で座ってタバコを吸っている。悔やみの挨拶を言おうと構えていた長屋の人たちは狼狽し、親子の家を出たり入ったりする場面だ。
里光は会話の「間」が上手く取れていないため、面白さが伝わらない。手元に桂文華のDVDがあるが、「間」の取り方が雲泥の差だ。

桂文我の1席目『七草』
正月の七草になると昔は一家の主が「七草なずな唐土の鳥が日本の土地に渡らぬうちに」と唄いながら七草を包丁で刻むという風習があった。私もこの唄の文句だけは知っている。これに因んだネタ。
大阪は新町の芸妓、器量は良く三味線や踊りの腕も達者だが客がウラを返しに来ない。主が理由を確かめるとどうやら客の食べ物をつまみ食いするらしい、呼んで説教するとそれからしばらくは癖が直り常客も付くようになる。処が七草に日に、客が手水にたった隙に客の膳にあった「ほうぼう」をつまい食いし、骨が喉につかえてしまう。驚いた客が二本の箸で首を叩きながら、冒頭の唄を地口で唄うというサゲ。
他愛ない噺だが、七草に因んだ季節感を味わうという趣向。

文我『迷い子政談』
元は講釈ネタのようで名奉行のお裁きもの。
天神祭りの日に、大店の奥さんが迷子になっていた男の子を連れて帰って来る。祭り見物をしているうちに母親と手が離れてしまい迷子になったという。親子は大和から出てきたばかりで家の場所も分からない。いずれ探しに来るだろうと思っていたが来ず、そのまま丁稚として奉公させる。
それから十数年経ち、今ではその子も成人し手代になっていた。以前の奥さんは既に他界し、主は後添えを貰ったがこれが性悪女で、出入りの医者を間男にしていた。二人の間が世間の口に上るようになり、女が200両の金を店から持ち出し医者と駆け落ちを図る。途中で医者の態度が変わり、女に金を寄こせと迫る。拒む女に懐剣をふるうが、そこに手代が現れ医者に向かって切りつける。刃は木の幹に刺さるが暗闇だったので手代は人を刺殺したと信じ逃げて行く。後に残った医者は女に切りつけ、200両奪ってとどめを刺す。
手代が雪の中を逃げているうちに道に迷い、一軒の家に泊めて貰うが、身の上話を聞くうちに分かれた実の母親であることが分かる。妹もいた。しかし自分は人殺しの罪人、名乗ることも叶わず、翌朝番屋に出頭し、人を殺したと名乗り出る。確かめれば店の後添えの遺体が発見され手代は牢につながれる。
そこでお裁きとなるが、奉行が調べれば調べるほど本人の自供と現場の状況が合わない。やがて後添えの乱行や間男の件も露わになり、真犯人は医者であることをつきとめる。
無罪釈放となった手代が店に帰るとそこには実の母親がいる。主人が手配してくれていたのだ。手代は主人の娘と結婚し、母親らと幸せに暮らした。
細部まで丁寧に演じたらかなりの長尺物になると思われ、時間の関係からか端折ってしまった点が惜しまれるが、主役の手代とその実母、店の主、後添えと医者といった登場人物がしっかりと演じ分けられていて引き込まれた。文我の技量が十分に味わえた1席。

文我『吉野狐』
道楽して勘当された若旦那が身投げしようとするのを夜鳴きうどん屋が助け、養子にする。若旦那は義父の手伝いをし二人で夜鳴きうどんの商売に励む。そこへかつての馴染みで若旦那とは将来を交わした芸妓が現れ、金が貯まったので一緒になろうと言う。義父も大喜びで夫婦養子とする。大家に相談すると、それならいつまでも屋台商売ではなく店を持ったらと店舗を紹介してくれる。芸妓の持参した金でうどん店を開くと、美人が給仕してくれると評判になり大変な繁盛ぶり。
あるとき若旦那が昔の馴染に再開し世間話をしている内に芸妓のことが話題になり、あの子なら今別の旦那と一緒に芝居見物に来ていると告げる。中に入って確かめると間違いなくあの芸妓だ。では、自分の妻の正体は? 取って帰った若旦那、妻に問い詰めると狐の正体を現し、昔若旦那や芸妓らが吉野の野を訪れ狐の餌を置いていったことがあった。その餌のお蔭で狐の家族が救われたので、恩返しに芸妓に化けて妻になったのだと告白。サゲはうどんの符牒で付けていた。
前半は先代の今輔が十八番としていた『ラーメン屋』を思わせ(向こうが参考にしたのだろう)、後半は『天神山』や『猫忠』を連想させるストーリーで、面白かった。
前半の人情噺風、後半の怪談噺風という切り分けも鮮やかに、こちらも文我の芸を堪能させてくれた。

内容の割に客の入りが少なかったのが残念だったが、マクラもネタも大変結構でした。

2015/01/14

鈴本演芸場二之席・夜(2015/1/13)

「鈴本演芸場正月二之席・夜の部」
日時:2015年1月13日(火)17時30分

前座・三遊亭ふう丈『初天神』
<  番組  >
柳家喬之進『仏馬』
鏡味仙三郎社中『太神楽曲芸』代  
五明楼玉の輔『紙入れ』代
柳家喬志郎『短命』
林家あずみ『三味線漫談』  
春風亭百栄『コンビニ強盗』
桃月庵白酒『茗荷宿』
~仲入り~
ダーク広和『奇術』  
宝井琴調『誉れの梅花』代
ホームラン『漫才』
柳家喬太郎『禁酒番屋』

寄席は1月20日までが正月だが、初席が終り3連休明けともなるとさすがに正月気分は抜ける。この日なら空いているだろうと予想はしていたがガラガラで、二ツ目が上がる段階で最前列が一人、2列目が二人といった按配。後半になって少し入り始めたが、それでも4分ほどの入りだったか。小屋の入り口で女性客が顔づけの看板をを見て「有名な人いないわね」と言っていたが、それ程では。正朝と扇遊が休演だったので、若手ばかりに偏ってしまった感はあるけど。
こういう日は高座も客席もノンビリと、ね。

ふう丈『初天神』、声が大きくよく透る。師匠の円丈のサイトでは弟子一人一人に愛情あふれた言葉が書かれている。きっと優しい良い師匠なんだろう。
喬之進『仏馬』、来春の真打昇進が決まった。さん喬一門は今や一大勢力になった。空席が多くやりにくそうな所で、兄弟子・喬太郎が掘り起こした珍しいネタを。
檀家周りを終えて寺に帰る途中の二人の坊さん、一人が重い荷物を持たされて困っていたら、馬が繋がれているのを発見。兄貴分の坊さんである弁長の指示で、若い坊さんはその馬に荷物を載せて寺に戻る。住職には馬を盗んだとはいえないので、親切な檀家がお布施でくれたのだと説明する。
残された弁長はかなり酔っていたので、酔いを醒ますために馬を繋いでいた綱を自分に結わいて横になっていたら、そのまま寝てしまう。
やがて馬の持ち主が戻ってくると、咄嗟の機転で弁長は自分は仏罰により馬になり修行していたが、それが許されてまた人間の姿に戻ったのだと誤魔化し、寺に帰る。
翌日、住職は馬は飼えないから売って来るように弁長に命じる。弁長は酒を馬にも飲ませながら市場に連れて行って馬を売る。
その後、元の馬の持ち主が現れて自分の馬だと判るのだが、弁長がまた馬にされたのだと思い、「こりゃあ弁長さん、弁長さんだろ? また仏罰に当たったか?」と馬の耳元にささやく。馬は大きく「ちがうちがう」とかぶりを振ると「酒臭いので判るよ」。
最後のサゲは喬太郎の場合は、「とぼけたって無駄だ。その、左耳の付け根の差し毛がなによりの証拠」としていたが、分かりにくいので喬之進が変えたのだろう。
あまり笑いの取れない儲からぬネタだが、この日の客席には向いていたか。
玉の輔『紙入れ』、キャリアから言えば既に若手のリーダー格になっていなくてはいけない位置にいるのだが、そういう気配を感じない。老舗の落語会や名人会に滅多に名前を見ることがない。
いつ聴いても同じマクラで軽い噺で引き上げて行く。器用な印象だし決して下手ではないのだが、このまま終わるつもりなんだろうか。大きなお世話か。
喬志郎『短命』、近ごろの寄席では誰かがこのネタを掛けるというケースが多い。安易な傾向で感心しない。この人の一風変わったリズムは面白いとは思ったが。
あずみ『三味線漫談』、正式に協会に加入したようだ。音曲芸人として成長して欲しい所だが、さて?
後から上がった百栄が、あんなに似てない物真似を高座にかける度胸に感心していたが、同感。まあ、長い目で見て行きましょう。
百栄『コンビニ強盗』、コンビニ強盗が店員のトンチンカンな対応で調子を狂わせ、買い物をして帰って行くという他愛ない新作。この人のたどたどしい喋りが活きていた。
白酒『茗荷宿』、珍しいネタだが白酒の高座では何度か聴いている。江戸時代に三度飛脚というのがあり、江戸~京、大阪を月に三度往復していたそうだ。片道5日間位でで江戸から大阪まで走り切るのだから、当時の道路事情からすれば驚異的だ。挟み箱に100両の金を入れて走ってきた飛脚が足をくじいてしまい近くのボロ宿に一夜泊まることになる。宿の夫婦は飛脚の持っていた100両に目をつけ、食事を全て茗荷づくしにして、荷物を忘れさせようと謀る。翌朝、予想通り荷物を忘れて出発した飛脚だが、途中で思い出して取りに帰ってくる。はて、忘れ物は?宿賃を払うのを忘れて出て行った。
白酒は茗荷のフルコースを食べる場面を中心に面白可笑しく演じて、受けていた。
ダーク広和『奇術』、この人のいかにも趣味で手品をやってますという風情がいい。毎回ネタを工夫してくるが、その割には客席の反応は今ひとつ。でもメゲナイね。
ホームラン『漫才』、気が付けば協会の漫才師の中心にいる。元々の芸がしっかりしてるからね。
喬太郎『禁酒番屋』、この日はマクラを含めて先代小さん譲りの柳家のお家芸で締め。古典を真っ直ぐの、喬太郎のこういう高座もいい。

ノンビリ、ユッタリの夜席、これも想定内。

2015/01/13

古典芸能の入門書にも『桂吉坊がきく 藝』

桂吉坊(著)『桂吉坊がきく 藝』(ちくま文庫 2013/06/10初版)
Photo以前に佐平次さんのサイト「梟通信~ホンの戯言」で紹介されていたもので、遅ればせながら読了。
タイトルにあるように上方落語の若手・桂吉坊が、各分野の大御所たちに芸の神髄を聞くという対談集だ。
対談の顔ぶれは次の通りで各界のトップクラスが名を連ねている。この対談から数年経て、既に数名の方が鬼籍に入ってしまった。そういう意味では貴重な著作である。
小沢昭一(俳優)
茂山千作(狂言師)
市川團十郎(歌舞伎俳優)
竹本住大夫(文楽大夫)
立川談志(落語家)
喜味こいし(漫才師)
宝生閑(能楽師)
坂田藤十郎(歌舞伎俳優)
伊東四朗(喜劇役者)
桂米朝(落語家)

桂吉坊、師匠は故桂吉朝で、桂米朝の孫弟子にあたる。数年前に一度高座を見たきりだが、童顔で少年のような風貌だった。本書中に対談した方々とのツーショットが掲載されているが、まるで祖父と孫のようだ。
吉坊はそうした外見にかかわらず、古典芸能の各分野にかなり精通していることが本書から窺える。落語は歌舞伎はもちろん、能や狂言、浄瑠璃(義太夫)などから題材を得た演目も多い。従って古典落語をきちんと演ろうとすれば、そうした様々な分野の素養が求められる。
しかし現実はどうだろう、そうした努力を意識的に続けている落語家は少ないのではなかろうか。吉坊がここ数年でいくつかの賞を受賞しているのは鍛錬の成果だろう。

本書を読んで先ず驚くのは、大御所たちが孫ほど年が違う若手落語家に対し、実に丁寧に応対していることだ。やはり一流の人物というのは人間的にも優れていることを改めて感じる。
対談の中でまだバイト時代の伊東四朗が脚本を書いて、2代目尾上松緑を訪ねて歌舞伎座の楽屋に押し掛けたところ、入り口で番頭さんに追い返されそうになっていた。そこへ奥から松緑が出てきて部屋に上げ、台本を見て女形の部分を他の役者をよんで読ませたりと、丁重に扱ってくれたというエピソードが紹介されている。伊東自身も自分が松緑だったらああいう真似は出来ないと言っているが、戦後を代表する歌舞伎役者の偉大さを物語っている。

團十郎や藤十郎との対談では、東西の歌舞伎の違い、江戸は型(成田屋や音羽屋といった伝統の)を重視
するが、上方は型より役者本人の工夫で演じるという。演出も上方はリアルで、忠臣蔵の6段目で猟から戻った勘平が東京では衣装を着替えるが、上方ではそのままの衣装でいる。勘平の腹切りも東京では正面を向いて切るが、上方では部屋の隅で背中を向けて切るといった違いがあるようだ。
團十郎を襲名してからやはり大名跡に相応しい演技をと心がけていたら、あるとき楽屋から出たら知らないおばさんが立っていて、「あなたは自分で縛っているんじゃないですか」と声をかけられ、ハッと気が付いたと述べている。世の中には凄いファンもいるものだ。

竹本住大夫は浄瑠璃を語って66年、ほとんど休演したことがないと。「少々、熱が出ようが、下痢しようが、休んだらあきまへん。悪いコンディションの時に舞台に出て、そこを抜けつくぐりつ、声の使い方を勉強してきまんねん」。落語家の中には、今日は風邪気味だの高熱が出たのと言い訳をするのがいるが、プロだったら住大夫の言葉を噛みしめて欲しい。
談志が軽い噺ほど難しいと語り、究極の落語は『あくび指南』だと。米朝は『つる』という噺に落語の基本が全て入っているという。逆に『たちきれ線香』なんて誰でも出来ると、これは米朝も談志も一致した意見のようだ。この辺りは聴き手と演者とでは違いがあるのかな。

かくのごとく、それぞれの分野の超一流の人たちが、吉坊相手に懇切丁寧に芸談を語っているので、古典芸能への恰好の入門書ともなっている。
関心のある方へはお薦めの一冊だ。

2015/01/11

スターリン粛清の背景をえぐる『スターリン秘史』

不破哲三(著)『スターリン秘史―巨悪の成立と展開〈1〉統一戦線・大テロル』(新日本出版社 2014/11/1初版)
Photoこの本のサブタイトルに「巨悪」とあるが、まさしくスターリンはその綽名にふさわしい人物だ。
彼が行った「粛清」や「独ソ戦」「ヤルタ協定」などを中心とした書籍は数多く出版されていて、その何点かは読んでいる。いずれも優れた著作ではあったが、スターリンの粛清と彼の外交政策との関連にもうひとつ納得のいく説明に当たらなかった。
本書に着目したのは、スターリンの粛清(本書では「大テロル」)と彼の内政及び外交政策が表裏一体のものだという論旨に魅かれたからだ。
著者はスターリのソ連共産党の大会や中央委員会などでの発言、盟友でありコミンテルンの書記長でもあったディミトロフの日記、当時の裁判記録、1956年のフルシチョフによるスターリン批判の秘密演説などの資料を丹念にあさり、スターリンの悪行の全貌に迫っている。

本書の前半ではドイツにおけるナチスの権力奪取までの過程が記述されている。当時のドイツでは社会民主党と共産党の議席を合せればナチス党を上回り過半数に達していたにもかかわらず、なぜ易々とヒトラー独裁体制を敷かれてしまったのか。その要因のひとつとして、当時のコミンテルンが社会民主主義を社会ファシストとよんで、彼らに主要な打撃を与えることを最大任務にしていたという事情があった。もちろん、この理論はスターリンが主導したものだ。スターリンはドイツでの事態を目の当たりにして自らの主張を手直しするため、ナチスに国会放火事件の主犯として逮捕され、裁判で無罪を勝ち取ったディミトロフをモスクワに招き、コミンテルンの書記長に据える。ここまでが1920年代後半から1930年代の前半にかけての時期にあたる。
1935年に開かれたコミンテルン第7回大会では、初めて反ファシズム統一戦線のスローガンが掲げられ新しい路線へと転換していく。

しかし、大会準備の真っ最中の1934年に、ソ連共産党の最高幹部の一人であったキーロフが暗殺されるという事件が起きる。この事件は今日ではスターリンが仕組んだ謀略であることがはっきりしているが、これがその後の「大テロル」の引き金になってゆく。スターリンは事件を理由にして直ちに次の非常措置を発令する。
1、テロリスト事件の取り調べは10日以内に終了すること
2、審理は原告、被告抜きに行うこと
3、控訴や恩赦の嘆願は許されない
4、銃殺刑判決は宣告後ただちに執行すること
これが1938年まで続けられ、大テロルに発展してゆく。
スターリンはソ連の周囲は敵国に囲まれていて、ソ連の社会主義が発展すればするほど反革命の陰謀も増大するという理論を打ち出す。とにかく怪しいと思われる人間は片っ端から捕まえて処刑していくわけで、理由は何とでもつけられる。
尋問にあたっては法は完全に無視され、密告、脅迫、説得、取り引き(刑を軽くする代わりに仲間の名前を言わせる)、肉体的虐待などの不法手段が利用された。
この結果、1934年のソ連共産党17回大会で選出された中央委員ら139名のうち70%が処刑され、大会代議員1008人のうち過半数が処刑。これが各地方組織にまで及んでいた。大テロルは文化芸術の分野から自然科学の分野にまでにも及び、特筆すべきは軍もまた例外ではなかった。
元帥は5人のうち3人、軍司令官は16人中15人、軍団司令官は67人中60人、師団司令官は199人中136人が処刑された。つまりスターリンは赤軍中枢部を壊滅させてしまった。この事が後の独ソ戦でソ連軍が思わぬ敗北を喫する要因ともなるのだが。

大テロルの対象はソ連国内にとどまらない。コミンテルンの役員や職員、海外からの亡命者、海外で活動していた共産主義者にまで及んでいく。特にポーランド共産党が狙い撃ちされ、推定では1万人近い人たちが犠牲になりポーランドの党は壊滅する。他にはバルト3国の共産党も大きな打撃を受け、やはり壊滅状態になる。日本人関係者からも3名の犠牲が出ている。
数十万、あるいは数百万人ともいわれる多大な犠牲者を出した「大テロル」だが、1938年11月にスターリンによる一片の指示で終結する。
これら一連の大テロルは、スターリンの指揮のもとNKVD(内務人民委員会)という組織が執行していたが、終結と共にNKVDの責任者らも逮捕され銃殺されてしまう。明らかな口封じである。

なぜスターリンはこれほどの大テロルを行ったのだろうか。著者はその理由の第一として「世代の絶滅」をあげている。
レーニンの死後、スターリンが党の中心となって行くのだが、必ずしも彼の思い通りには運んでいなかった。例えばスターリンは国内政策において重工業発展を優先させ、そのために農業の集団化を強行し農民からの収奪でその原資を確保するという方針を打ち出したが、中央委員会では反対の意見が強かった。
このようにレーニン時代からの幹部が残っているうちは自分の自由にならない。場合によっては自分に対抗するような動きも出かねない。そのためにレーニン世代を一掃し、幹部は全てスターリンの息のかかった人間に置き換えるというものだ。
これを端的に表しているのが大テロル終結の翌年に開かれた第18回党大会の代議員の構成で、1570名の代議員のうち革命前に入党した人はわずか2%になっていた。

もう一つの理由として著者があげているのが、スターリンの大国主義、覇権主義との関係だ。
スターリンは予てからツァーリの時代は何一つ良いことはなかったが、たった一つ良かったのはツァーリによるロシアの領土拡張で、我々はその遺産を受け継いでいかねばならないとしていた。
当時のロシアの領土は革命前に比べ狭くなっていて、スターリンは何とかこれを前の状態に戻したいと欲していた。具体的にはポーランド東部とバルト三国の併合である。
そう考えると大テロルに乗じて、ポーランドとバルト三国の共産党を壊滅させた理由がよく分かる。併合には彼らは邪魔な存在だったからだ。
この後、スターリンは1939年になって「反ファシズム」の旗を投げ捨ててヒトラーと手を結び、ヨーロッパの領土分割を密約した独ソ不可侵条約を締結して目的を果たそうとする。この条約に関してスターリンは一言も党の機関や政府に諮ることなく独断で行ってしまう。彼の中では大テロルは思い通りの効果をあげていたのだ。

フルシチョフのスターリン批判以後、現在に至るまでスターリンについては批判が尽くされている様に見えるが、彼の大国主義、覇権主義に関してはいまだにロシアはその尾を引きずっている。
秘密警察の親玉が大統領に就いているロシアの現状を見るとき、未だスターリン思想は完全には克服されていないように思える。

本書は類書に比べ、さらに踏み込んだスターリン批判の書となっており、読みごたえがあった。
なお『スターリン秘史』はこの1巻に続き、全6巻まで刊行される予定のようだ。全て読み切るかどうかは迷う所ではあるけど。

2015/01/09

漱石の『坊ちゃん』は、「痛快な物語」か?「敗北の文学」か?

夏目漱石の著作で最初の読んだものといえば大概の人は『坊ちゃん』と答えるだろう。漱石の作品で子ども向けの出版物に収められているのは『坊ちゃん』ぐらいだから。
私も小学校5,6年生の時に読んだが、とにかく痛快で面白かった。大人になってから読み返してはいないので、作品の印象はその時のままだ。
しかしこの小説は、そんな単純な読み方ではいけないらしい。
月刊誌「図書」2014年9月号の斎藤美奈子「文庫解説を読む」によれば、『坊ちゃん』を「悲劇の文学」あるいは「敗北の文学」(ミヤケンの論文のタイトルみたいだね)という見方もあるらしい。
「新潮文庫」の江藤淳の解説によれば、こう書かれている。
元は旗本だと啖呵を切る旧幕臣の出の「坊ちゃん」と、朝敵の汚名を着せられた会津っぽの末裔である「山嵐」。【このように一見勝者と見える坊ちゃんと山嵐が、実は敗者にほかならないという一点において、一見ユーモアにみち溢れているように見える『坊ちゃん』全編の行間には、実は限りない寂しさがただよっている。】
明治に敗れる江戸。
赤シャツに破れる坊ちゃん。
そして留学先のロンドンで敗れ「神経衰弱」に陥った漱石。
かくして『坊ちゃん』=「敗北の文学」となるのだそうだ。
ホウ、そんなに深い話だったのか、『坊ちゃん』は!
もうひとつは、「岩波文庫」の平岡敏夫の解説。
平岡の解説では、坊ちゃんと山嵐の出自が旧武士階級というだけではない「佐幕派」、すなわち戊辰戦争で負けた側の影を見出している。
【明治維新以後、薩長幕藩政治に冷遇され、時代の陰にあった佐幕派系の人たちの、国であれ地方であれ中学校であれ、ひとしく体制に対する反逆という文脈のなかで『坊ちゃん』を読むことができ】るのだそうだ。
江藤淳と平岡敏夫の視点に共通しているのは、戊辰戦争の勝者vs.敗者という構図を『坊ちゃん』に見出していることだ。
コリャ、とても小学生の読解力じゃ無理だわな。

しかし、こうした悲劇性とは正反対の見方も存在しているようだ。
斎藤美奈子が例としてあげているのは「小学館文庫」の夏川草介の解説だ。
夏川は言う。
【訳知り顔で「『坊ちゃん』は、実は悲しい物語なのだ」などと述べる行為は、落語を楽しんでいる聴衆を捕まえてきて、君の楽しみ方は間違っている、と頼んでもいないのに講釈を垂れるようなものである。】
【まったく不思議なことに、私の見る坊ちゃん像は、孤独や悲哀とは無縁である。】
確かに坊ちゃんは教職を失い東京に戻るのだが【悠々と教職を棄てて街鉄の技手をこなしている。それを坊ちゃんの敗北とすることは、いささか筋違いというものであろう。】
ウーン、何だか江藤や平岡の解説よりピンと来るなぁ。こっちの方がポジティブだしね。
さらに夏川は言う。
坊ちゃんが背を向けた松山を【坊ちゃんと一緒になって「不浄の地」として笑うことは、読者の側には許されない】のだそうだ。なぜなら、この「不浄の地」こそ我々が住む現実世界だから。
【我々は坊ちゃんとともに松山を去るのではない。岸壁に立って去りゆく坊ちゃんを見送る側なのである。】
こう書かれると、ガツンと一発殴られたような気分になりますね。

斎藤美奈子の見解はこうだ。
『坊ちゃん』悲劇説に立つ解説者たちは概ね大学人で、つまり江戸ではなく明治、坊ちゃんではなく赤シャツ、近代の勝者に入る人たちだ。その視点で見れば、学校を去った坊ちゃんは哀れむべき敗者だ。
だが夏川が指摘するように庶民にとって、その程度のことは武勇伝のネタにこそなれ、敗北でもなんでもない。むしろ学校を辞めたからこそ坊ちゃんはヒーローになった。
『坊ちゃん』を悲劇的な物語と見るか、痛快な物語と見るかは、読者の立場によって分かれるということだ。
さて、泉下の漱石先生はどう考えているのだろうか。

2015/01/08

NHKは「番宣」をやめろ

NHKは毎年恒例のように年末になると「紅白歌合戦」の番組宣伝をくりひろげる。大晦日が近づくにつれてその量は増し、当日は朝から放送直前まで繰り返される。ニュース番組の中でさえ行うのだから呆れるしかない。
そしてその「紅白歌合戦」自体が他のNHK番組の「番宣番組」と化している。NHK連続テレビ小説や大河ドラマの出演者を司会や審査員に起用し、おかげで下手な司会やくだらないコントに視聴者は付きあわされる羽目になる。NHK最大の看板番組の司会にわざわざ素人を起用する神経を疑う。
その結果は歌番組だかバラエティだか分からぬような中途半端な内容になってしまった。
それもこれも、NHKが「番宣」に拘っているからだ。

番組宣伝とは、特定の番組の視聴率・聴取率を上げるために行う宣伝、広告活動である。
民放の場合は広告収入で経営を維持せねばならないので、視聴率が局の収入に直結する番組の宣伝・広報活動を行うことは理解できる。
しかしNHKは事情が全く異なる。半ば強制的に受信料を聴取しているので、視聴率と局の収入とは無関係だ。毎年「紅白」の視聴率が何パーセントだったという数字が出ているが、それでNHKの収入が左右されたという話は聞いたことがない。
問題は逆で、他の民放と違って視聴率に惑わされず放送すべきことを放送できるのがNHKの特質ではないか。その公共性を認めているから視聴者はイヤイヤながら受信料を支払っているのだ。
そこをはき違えている。
あの「番宣番組」の制作料も我々の受信料から支出されている。なんの意味もないムダな費用を使うのなら、その分受信料を引き下げて欲しい。

お笑いコンビの爆笑問題がラジオ番組内で、NHKのお笑い番組に出演したさいに、事前に用意した政治ネタをボツにされていた事を明らかにしたとある。放送前に番組関係者に対し事前に「ネタ見せ」をしたところ、政治家のネタについては全て放送できないと言われてそうだ。太田光は「これは政治的圧力でなく局側の自粛だ」と語っているが、それが怖いのだ。
報道する側が自粛する、あるいは自粛せざるを得ない状況に追い込んでおけば、別に圧力なんぞかける必要がなくなる。
最近のNHKのニュース番組を見ていても、安倍首相の「お友だち」らを会長や理事に送りこんだ効果が次第に顕著になりつつある印象を受けている。
安倍政権への「番宣」だけはゴメンだぜ。

2015/01/06

警察も検察もウソをつく!「殺人犯はそこにいる」

清水潔(著)「殺人犯はそこにいる-隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件」(新潮社 2013/12/18初版)
Photo警察はウソをつく。いや警察だけではない、検察もウソをつく。そして刑事事件ではほぼ100%に近い確率で裁判所は有罪判決を出す。新聞など大手メディアは独自の取材をすることなく、そのまま報道する。これが冤罪事件を生む構図であり、恐らくはこれからも正される事は無いだろう。
「足利事件」で犯人とされた菅家利和は、裁判になればきっと大岡越前守のような人は現れて自分は無罪になると信じていたそうだが、最高裁で無期懲役が確定し刑務所に服役、釈放されたのは再審決定した17年後だった。DNA再鑑定の結果、菅家は犯人では有り得ないという結論になったにもかかわらず、現在も足利県警の警察官の間では「あいつがやった」と言われているのだそうだ。
「免田事件」で死刑判決が確定し、その後の再審で無罪判決を勝ち取った免田栄が釈放されたのは逮捕から34年後だった。免田の場合も周囲の偏見から地元にいられず他地域に引っ越している。
このように警察や検察から一度犯人とされてしまうと、仮に無罪となった場合でも安穏に暮らせないという不条理な状況が生まれている。
1年以上前に出版され評判をよんだ本だが、娘から勧められてようやく読了したのだが、本書を読んで先ず感じたのは、そうした怖ろしさだ。

著者の清水潔はかつて「桶川ストーカー殺人事件」の報道で真犯人に迫り、捜査を渋っていた警察もようやく動き出して犯人を逮捕した。この時なぜ警察の腰が重たかったかというと、事件が起こる以前に被害者やその家族に対するたび重なる脅迫行為に対し警察に告訴状を提出していたにも拘らず、警察はこの内容を改ざんし被害者に対して告訴状そのものを取り下げるよう要求していた。警察はこうした不正や不手際が明らかになるのを恐れて捜査を渋っていたことが後に判明する。
その清水潔が日テレの報道記者として挑んだのが「北関東連続幼女誘拐殺人事件」だ。栃木県を群馬県との県境付近の直線距離でいけばわずか20㎞の範囲で起きた幼女ばかり狙った誘拐殺人事件だ。
1979年 栃木県足利市 福島万弥ちゃん  5歳 殺害
1984年 栃木県足利市 長谷部由美ちゃん 5歳 殺害
1987年 群馬県尾島町 大沢朋子ちゃん  8歳 殺害
1990年 栃木県足利市 松田真美ちゃん  4歳 殺害
1996年 群馬県太田市 横山ゆかりちゃん 4歳 行方不明
この5件には次のような共通項がある。
・幼女を狙った犯罪である
・3件の誘拐現場はパチンコ店
・3件の遺体発見現場は河川敷の葦の中
・事件のほとんどは週末などの休日に発生
・どの現場でも泣く子どもの姿h目撃されていない
以上のことから、清水記者は同一犯による連続殺人事件という見立てを行った。

ところが、この仮説には重大な欠陥があった。1990年の松田真美ちゃんの事件では既に犯人として菅家利和の無期懲役が確定していたのだ。決め手は「DNA型鑑定」の一致と「自供」である。しかし菅家は一貫して無罪を主張していて再審請求も行っていた。自供は強制されたものであり、DNA型については再鑑定を主張していたのだ。
真実はどうなんだろうと、著者は裁判資料を取り寄せて中身を検討するとともに、何度も事件現場や遺体発見現場に足を運び、遺族や周辺の人たちにインタビューしていく中で、次第に警察の捜査に疑問を抱くようになる。
先ず科警研による「DNA型鑑定」だが、当時の鑑定方法は不十分な点が多いことが判明しており、菅家受刑者が主張している再鑑定には根拠がある。「自供」に基づき現場での再現実験を行ったところ、自供通りに犯行を行うことは極めて困難であることが確認できた。さらに事件当日の目撃証言の中で有力と思われる二人の証言では犯人は菅家とは別人であることを示唆していて、なぜか警察はこの証言を切り捨てていた。 
また警察は菅家の逮捕時に、「無職」で「隠れ家」を持ち「ロリコンビデオ」を多数保有と公表していたが、菅家は幼稚園の送迎バスの運転手をしていたが警察が園に聞き込みにいったため解雇されて「無職」になっていたこと、仕事のために実家を出てアパートを借りていたのを「隠れ家」とされたこと、「ロリコンビデオ」にいたっては1本も持っていなかった事も確認された。無理に犯人に仕立てるためには、警察はこういうウソも平気で付くのだ。

こうしたなかで、遂に菅家の再審請求が認められ、決め手となったDNA型の再鑑定が行われて被害者に付着していたものと菅家のDNA型が異なることが判明し、自供も警察の誘導であると判定されて裁判で無罪が確定する。ただこの期に及んでも警察と検察は逮捕時のDNA型鑑定の誤りを認めず、あくまで新しい(技術的に進歩した)鑑定法で差異が認められたという立場に固執する。
では、真犯人は誰なのかという、「北関東連続幼女誘拐殺人事件」としては降り出しに戻ったわけだ。実は著者らがいわゆる「足利事件」の調査を行っていた段階で、有力な犯人像が浮かんでくる。その「ルパン3世」に似た男について行動観察や周囲の証言から犯人である可能性が高いと見た著者らは、この男のDNA型の検査を専門家に依頼すると、「足利事件」の付着物とピタリと一致した。
警察にこの情報を提供し、国会でもとり上げられ首相や大臣らから捜査に前向きの答弁を引き出すが、警察も検察も動かない。真犯人の捜査より自分たちのメンツを優先させているのだ。これは「桶川ストーカー殺人事件」と全く同じ構図である。
もう一つの大きな理由としては、「足利事件」と同様に無罪を主張し、DNA型の再鑑定による再審を請求していながら、既に死刑が執行されてしまった「飯塚事件」の存在だ。処刑された久間三千年(みちとし)も有罪の決め手は「足利事件」と時と同じ方法による科警研のDNA型鑑定だった。万一、DNA型の再鑑定により冤罪であることが判明した場合には、無罪の人間に対し国家が殺人を犯したことになり、これだけは絶対に避けたいのだ。
これらの理由により「北関東連続幼女誘拐殺人事件」の真犯人に対する捜査は未だに行われていない。
本書からは著者の怒りが溢れ出ている。

刑事事件の捜査の在り方や司法の現状を考えるために、ご一読を薦めたい。
(文中敬称略)

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