「桂文我 新春二夜連続落語会」第二夜
【日時】2015/1/16(金)18:00開演
【会場】お江戸日本橋亭
< 番組 >
開口一番・雷門音助『浮世床』
桂文我『七草』
笑福亭里光『近日息子』
桂文我『迷い子政談』
~中入~
桂文我『吉野狐』
桂文我が二夜にわたり新春や真冬にふさわしいネタを6席集めての公演、その二夜目に出向く。なかにはかなり落語に詳しい人でも聴いたことがない珍しいネタが含まれているという。高座に掛からない珍しいネタというのは大概はつまらないか、時代に合わなくなってきたかのいずれかだが、そこは演者の腕の見せどころでもある。
文我は3席それぞれに枕を振っていたが、いくつかを紹介する。
淡路島での結婚式の引き出物に大きな鯛の塩焼きが出て、文我が次の仕事があるというのに強引に持たされた。列車に乗っていてもとにかく臭うので覚悟を決めて新幹線の座席で全て食べたら、近くの席の人が感心していた。もう鯛は二度と食いたくないと思った、と。
引き出物とかお返しっていうのは迷惑なことがある。私も以前に告別式が2軒重なった時があり、前の式で出たお返しが大きな風呂敷に包まれた品物で、そのまま次の式場に持っていくのが憚れて、駅の大きなゴミ箱(かつては駅のホームに必ず置いてあった)に捨ててきたことがある。駅の人には迷惑だったろうが、葬儀のハシゴがミエミエっていうのも避けたかったのでね。
引き出物だのお返しなんて風習は止めた方がいい。
この日ゲストで出た笑福亭里光(芸協の真打)は、落語家として最初に入門したのは文我だった。但し「この師匠は自分には合わん」と4日で辞めてしまった。破門ということだ。その後、東京に出て鶴光の弟子になり今日に至る。里光の真打昇進披露の際は、鶴光と文我という新旧二人の師匠が口上で並ぶという前代未聞の光景であったよし。両師匠の人柄を物語っている。
文我は春団治に憧れていたが、たまたま落語会で、それも何かの事情で出番が変っていて、枝雀の高座『かぜうどん』を聴いて、この人に入門しようと決めた、と。
師匠・枝雀の人柄に触れ、他の噺家の悪い事は言わず良い事は言っていた。例えば自分より後輩の鶴光の高座を見て感心し、自分の今までの修行はなんだったのかと思ったという。他には右朝や正雀の高座を褒めていた。
枝雀から厳しく言われたのは、落語は一人芝居になったらいけない。噺家は高座ではデッサンを描き、お客が自分で色を塗るもの。噺家が色まで塗ってはいけない、と。
深イイ話ですね。
福島の原発の近い所に行ってきた話題も出て、除染作業や原発に近づくと線量が一気に上がるという体験を披露した。福島の方々は辛抱強く、あまり怒りを表に出さないようだとも。ここは橋下大阪市長に福島へ行って貰って東電に大声で怒鳴って貰いたい。そうすれば福島の人も喜び、橋下がいなくなった大阪の人も喜ぶ。客席も喜んでいました。
前座の音助『浮世床』、見るのは2回目だが、語りも動きも東京落語らしい風情が出ていて良い。期待できる。
里光『近日息子』、このネタの笑わせ所は2カ所あり、一つは父親が亡くなったと聞いた長屋の衆が「私思いますに、こらイチコロやと」「そら、あんたトンコロ(コレラ)でっしゃろ」「そうそう、そのコロそのコロ」とやりとりしているうちに、話が言葉の言い間違いのことに脱線して喧嘩になる場面。もう一つは弔問に行くことになるが、行ってみれば父親は元気で座ってタバコを吸っている。悔やみの挨拶を言おうと構えていた長屋の人たちは狼狽し、親子の家を出たり入ったりする場面だ。
里光は会話の「間」が上手く取れていないため、面白さが伝わらない。手元に桂文華のDVDがあるが、「間」の取り方が雲泥の差だ。
桂文我の1席目『七草』
正月の七草になると昔は一家の主が「七草なずな唐土の鳥が日本の土地に渡らぬうちに」と唄いながら七草を包丁で刻むという風習があった。私もこの唄の文句だけは知っている。これに因んだネタ。
大阪は新町の芸妓、器量は良く三味線や踊りの腕も達者だが客がウラを返しに来ない。主が理由を確かめるとどうやら客の食べ物をつまみ食いするらしい、呼んで説教するとそれからしばらくは癖が直り常客も付くようになる。処が七草に日に、客が手水にたった隙に客の膳にあった「ほうぼう」をつまい食いし、骨が喉につかえてしまう。驚いた客が二本の箸で首を叩きながら、冒頭の唄を地口で唄うというサゲ。
他愛ない噺だが、七草に因んだ季節感を味わうという趣向。
文我『迷い子政談』
元は講釈ネタのようで名奉行のお裁きもの。
天神祭りの日に、大店の奥さんが迷子になっていた男の子を連れて帰って来る。祭り見物をしているうちに母親と手が離れてしまい迷子になったという。親子は大和から出てきたばかりで家の場所も分からない。いずれ探しに来るだろうと思っていたが来ず、そのまま丁稚として奉公させる。
それから十数年経ち、今ではその子も成人し手代になっていた。以前の奥さんは既に他界し、主は後添えを貰ったがこれが性悪女で、出入りの医者を間男にしていた。二人の間が世間の口に上るようになり、女が200両の金を店から持ち出し医者と駆け落ちを図る。途中で医者の態度が変わり、女に金を寄こせと迫る。拒む女に懐剣をふるうが、そこに手代が現れ医者に向かって切りつける。刃は木の幹に刺さるが暗闇だったので手代は人を刺殺したと信じ逃げて行く。後に残った医者は女に切りつけ、200両奪ってとどめを刺す。
手代が雪の中を逃げているうちに道に迷い、一軒の家に泊めて貰うが、身の上話を聞くうちに分かれた実の母親であることが分かる。妹もいた。しかし自分は人殺しの罪人、名乗ることも叶わず、翌朝番屋に出頭し、人を殺したと名乗り出る。確かめれば店の後添えの遺体が発見され手代は牢につながれる。
そこでお裁きとなるが、奉行が調べれば調べるほど本人の自供と現場の状況が合わない。やがて後添えの乱行や間男の件も露わになり、真犯人は医者であることをつきとめる。
無罪釈放となった手代が店に帰るとそこには実の母親がいる。主人が手配してくれていたのだ。手代は主人の娘と結婚し、母親らと幸せに暮らした。
細部まで丁寧に演じたらかなりの長尺物になると思われ、時間の関係からか端折ってしまった点が惜しまれるが、主役の手代とその実母、店の主、後添えと医者といった登場人物がしっかりと演じ分けられていて引き込まれた。文我の技量が十分に味わえた1席。
文我『吉野狐』
道楽して勘当された若旦那が身投げしようとするのを夜鳴きうどん屋が助け、養子にする。若旦那は義父の手伝いをし二人で夜鳴きうどんの商売に励む。そこへかつての馴染みで若旦那とは将来を交わした芸妓が現れ、金が貯まったので一緒になろうと言う。義父も大喜びで夫婦養子とする。大家に相談すると、それならいつまでも屋台商売ではなく店を持ったらと店舗を紹介してくれる。芸妓の持参した金でうどん店を開くと、美人が給仕してくれると評判になり大変な繁盛ぶり。
あるとき若旦那が昔の馴染に再開し世間話をしている内に芸妓のことが話題になり、あの子なら今別の旦那と一緒に芝居見物に来ていると告げる。中に入って確かめると間違いなくあの芸妓だ。では、自分の妻の正体は? 取って帰った若旦那、妻に問い詰めると狐の正体を現し、昔若旦那や芸妓らが吉野の野を訪れ狐の餌を置いていったことがあった。その餌のお蔭で狐の家族が救われたので、恩返しに芸妓に化けて妻になったのだと告白。サゲはうどんの符牒で付けていた。
前半は先代の今輔が十八番としていた『ラーメン屋』を思わせ(向こうが参考にしたのだろう)、後半は『天神山』や『猫忠』を連想させるストーリーで、面白かった。
前半の人情噺風、後半の怪談噺風という切り分けも鮮やかに、こちらも文我の芸を堪能させてくれた。
内容の割に客の入りが少なかったのが残念だったが、マクラもネタも大変結構でした。
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