「吉良の仁吉」を知ってますか?
村田英雄のヒット曲『人生劇場』の3番にこういう歌詞があるが、皆さんも一度や二度は耳にしたことがあるだろう。
♪吉良の仁吉は 男じゃないか
おれも生きたや 仁吉のように
義理と人情の この世界♪
先日、家族に「吉良の仁吉(きらのにきち)」を知っているかと訊いたら誰も知らない。女房まで知らないと言うので驚いた。同世代の男なら殆んどの人が名前ぐらいは知ってるだろう。
吉良の仁吉は三州吉良(現・愛知県西尾市吉良町)出身の博徒で、清水次郎長の兄弟分。有名になったのは二代目広沢虎造の浪曲『清水次郎長伝』の中の『吉良の仁吉』だ。
博徒の穴太(あのう)の徳次郎が、次郎長一家が世話をしていた神戸の長吉(かんべのながきち)の縄張りであった荒神山を奪ったため、吉良の仁吉は「荒神山の血闘」に乗り込んだ。長吉側が勝利したが、仁吉は鉄砲で撃たれ死亡した。
仁吉は徳次郎の妹・お菊を妻に娶ったものの、長吉の助太刀のために徳次郎とは敵味方になるからと、事前に恋女房のお菊を離縁する。だから「吉良の仁吉は男じゃないか」「義理と人情のこの世界」と歌われているのだ。
では、この話と『人生劇場』とはどういう関係なのかというと、『人生劇場』は作家・尾崎士郎の大河小説で、吉良から上京し早稲田大学に入学した青成瓢吉が主人公の物語。瓢吉青年を助ける侠客に吉良常という人物がいるが、これが吉良の仁吉の末裔だ。だから「おれも生きたや仁吉のように」となる。
家族にとっては全て初めて聞くことばかりだったようだ。
ことの序に『赤城の子守唄』はと訊ねると、歌は知ってるという。「国定忠治」はというと、名前だけは知ってる。ではどういう物語かと訊くと誰も知らない。
赤城山に匿われていた国定忠治は、自分を密告したという罪で子分の板割の浅太郎に命じ、浅太郎の叔父にあたる御室の勘助を殺害させる。勘助は裏切りは忠治を救うためのものであったと釈明しながら、遺児の勘太郎の面倒を託して果てる。浅太郎は勘太郎を背負い勘助の首を抱えて、忠治の隠れ家に赴き事の仔細を告げる。忠治は勘太郎を連れて逃亡の旅に出るというストーリー。だから、「赤城の子守唄」となるのだ。
こちらは初代春日井梅鶯の浪曲でお馴染みだった。
『天保水滸伝』の「平手造酒(ひらてみき)」も、もちろん家族は誰も知らない。
作家の赤川次郎が書いていたが、近年の時代劇ドラマのヒーローはみな権力者側の人間が主人公になっている。「水戸黄門」「大岡越前」「暴れん坊将軍」「銭形平次」、全てそうだ。時代劇だけじゃない、ゴールデンアワーの人気ドラマも「刑事もの」「警察もの」が花盛りである。
侠客やヤクザを主人公にしたTVドラマは自主規制の対象であるらしい。
これからは、アウトローのヒーローは生まれて来ないのだろうか。
何だかツマラナイ世の中になってきた。
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吉良の仁吉、赤城の子守唄、いずれも知っていたことはありますが、今は細部を忘れています。
血肉となってなかったのだなあ。
投稿: 佐平次 | 2015/01/28 11:07
佐平次様
ラジオの寄席と浪曲番組で育ったもんで、こういう事だけ詳しくなりました。およそ世の中の役には立たない知識ですが。
投稿: ほめ・く | 2015/01/28 12:02