スターリン粛清の背景をえぐる『スターリン秘史』
不破哲三(著)『スターリン秘史―巨悪の成立と展開〈1〉統一戦線・大テロル』(新日本出版社 2014/11/1初版)
この本のサブタイトルに「巨悪」とあるが、まさしくスターリンはその綽名にふさわしい人物だ。
彼が行った「粛清」や「独ソ戦」「ヤルタ協定」などを中心とした書籍は数多く出版されていて、その何点かは読んでいる。いずれも優れた著作ではあったが、スターリンの粛清と彼の外交政策との関連にもうひとつ納得のいく説明に当たらなかった。
本書に着目したのは、スターリンの粛清(本書では「大テロル」)と彼の内政及び外交政策が表裏一体のものだという論旨に魅かれたからだ。
著者はスターリのソ連共産党の大会や中央委員会などでの発言、盟友でありコミンテルンの書記長でもあったディミトロフの日記、当時の裁判記録、1956年のフルシチョフによるスターリン批判の秘密演説などの資料を丹念にあさり、スターリンの悪行の全貌に迫っている。
本書の前半ではドイツにおけるナチスの権力奪取までの過程が記述されている。当時のドイツでは社会民主党と共産党の議席を合せればナチス党を上回り過半数に達していたにもかかわらず、なぜ易々とヒトラー独裁体制を敷かれてしまったのか。その要因のひとつとして、当時のコミンテルンが社会民主主義を社会ファシストとよんで、彼らに主要な打撃を与えることを最大任務にしていたという事情があった。もちろん、この理論はスターリンが主導したものだ。スターリンはドイツでの事態を目の当たりにして自らの主張を手直しするため、ナチスに国会放火事件の主犯として逮捕され、裁判で無罪を勝ち取ったディミトロフをモスクワに招き、コミンテルンの書記長に据える。ここまでが1920年代後半から1930年代の前半にかけての時期にあたる。
1935年に開かれたコミンテルン第7回大会では、初めて反ファシズム統一戦線のスローガンが掲げられ新しい路線へと転換していく。
しかし、大会準備の真っ最中の1934年に、ソ連共産党の最高幹部の一人であったキーロフが暗殺されるという事件が起きる。この事件は今日ではスターリンが仕組んだ謀略であることがはっきりしているが、これがその後の「大テロル」の引き金になってゆく。スターリンは事件を理由にして直ちに次の非常措置を発令する。
1、テロリスト事件の取り調べは10日以内に終了すること
2、審理は原告、被告抜きに行うこと
3、控訴や恩赦の嘆願は許されない
4、銃殺刑判決は宣告後ただちに執行すること
これが1938年まで続けられ、大テロルに発展してゆく。
スターリンはソ連の周囲は敵国に囲まれていて、ソ連の社会主義が発展すればするほど反革命の陰謀も増大するという理論を打ち出す。とにかく怪しいと思われる人間は片っ端から捕まえて処刑していくわけで、理由は何とでもつけられる。
尋問にあたっては法は完全に無視され、密告、脅迫、説得、取り引き(刑を軽くする代わりに仲間の名前を言わせる)、肉体的虐待などの不法手段が利用された。
この結果、1934年のソ連共産党17回大会で選出された中央委員ら139名のうち70%が処刑され、大会代議員1008人のうち過半数が処刑。これが各地方組織にまで及んでいた。大テロルは文化芸術の分野から自然科学の分野にまでにも及び、特筆すべきは軍もまた例外ではなかった。
元帥は5人のうち3人、軍司令官は16人中15人、軍団司令官は67人中60人、師団司令官は199人中136人が処刑された。つまりスターリンは赤軍中枢部を壊滅させてしまった。この事が後の独ソ戦でソ連軍が思わぬ敗北を喫する要因ともなるのだが。
大テロルの対象はソ連国内にとどまらない。コミンテルンの役員や職員、海外からの亡命者、海外で活動していた共産主義者にまで及んでいく。特にポーランド共産党が狙い撃ちされ、推定では1万人近い人たちが犠牲になりポーランドの党は壊滅する。他にはバルト3国の共産党も大きな打撃を受け、やはり壊滅状態になる。日本人関係者からも3名の犠牲が出ている。
数十万、あるいは数百万人ともいわれる多大な犠牲者を出した「大テロル」だが、1938年11月にスターリンによる一片の指示で終結する。
これら一連の大テロルは、スターリンの指揮のもとNKVD(内務人民委員会)という組織が執行していたが、終結と共にNKVDの責任者らも逮捕され銃殺されてしまう。明らかな口封じである。
なぜスターリンはこれほどの大テロルを行ったのだろうか。著者はその理由の第一として「世代の絶滅」をあげている。
レーニンの死後、スターリンが党の中心となって行くのだが、必ずしも彼の思い通りには運んでいなかった。例えばスターリンは国内政策において重工業発展を優先させ、そのために農業の集団化を強行し農民からの収奪でその原資を確保するという方針を打ち出したが、中央委員会では反対の意見が強かった。
このようにレーニン時代からの幹部が残っているうちは自分の自由にならない。場合によっては自分に対抗するような動きも出かねない。そのためにレーニン世代を一掃し、幹部は全てスターリンの息のかかった人間に置き換えるというものだ。
これを端的に表しているのが大テロル終結の翌年に開かれた第18回党大会の代議員の構成で、1570名の代議員のうち革命前に入党した人はわずか2%になっていた。
もう一つの理由として著者があげているのが、スターリンの大国主義、覇権主義との関係だ。
スターリンは予てからツァーリの時代は何一つ良いことはなかったが、たった一つ良かったのはツァーリによるロシアの領土拡張で、我々はその遺産を受け継いでいかねばならないとしていた。
当時のロシアの領土は革命前に比べ狭くなっていて、スターリンは何とかこれを前の状態に戻したいと欲していた。具体的にはポーランド東部とバルト三国の併合である。
そう考えると大テロルに乗じて、ポーランドとバルト三国の共産党を壊滅させた理由がよく分かる。併合には彼らは邪魔な存在だったからだ。
この後、スターリンは1939年になって「反ファシズム」の旗を投げ捨ててヒトラーと手を結び、ヨーロッパの領土分割を密約した独ソ不可侵条約を締結して目的を果たそうとする。この条約に関してスターリンは一言も党の機関や政府に諮ることなく独断で行ってしまう。彼の中では大テロルは思い通りの効果をあげていたのだ。
フルシチョフのスターリン批判以後、現在に至るまでスターリンについては批判が尽くされている様に見えるが、彼の大国主義、覇権主義に関してはいまだにロシアはその尾を引きずっている。
秘密警察の親玉が大統領に就いているロシアの現状を見るとき、未だスターリン思想は完全には克服されていないように思える。
本書は類書に比べ、さらに踏み込んだスターリン批判の書となっており、読みごたえがあった。
なお『スターリン秘史』はこの1巻に続き、全6巻まで刊行される予定のようだ。全て読み切るかどうかは迷う所ではあるけど。
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コメント
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独ソ不可侵条約は世界の反ファシズム思想家にも大きな影響を与えたようです。
読みごたえがありそう、チャレンジしてみようかな。
投稿: 佐平次 | 2015/01/12 11:12
佐平次様
今までの著書ではスターリン粛清は彼の異常な猜疑心など精神的欠陥に原因を求めたものが多いようですが、この著書を見る限りでは彼は極めて冷静に、計算しながら行っています。それだけに余計に怖ろしさを感じてしまいます。
投稿: ほめ・く | 2015/01/12 11:30