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2015/01/09

漱石の『坊ちゃん』は、「痛快な物語」か?「敗北の文学」か?

夏目漱石の著作で最初の読んだものといえば大概の人は『坊ちゃん』と答えるだろう。漱石の作品で子ども向けの出版物に収められているのは『坊ちゃん』ぐらいだから。
私も小学校5,6年生の時に読んだが、とにかく痛快で面白かった。大人になってから読み返してはいないので、作品の印象はその時のままだ。
しかしこの小説は、そんな単純な読み方ではいけないらしい。
月刊誌「図書」2014年9月号の斎藤美奈子「文庫解説を読む」によれば、『坊ちゃん』を「悲劇の文学」あるいは「敗北の文学」(ミヤケンの論文のタイトルみたいだね)という見方もあるらしい。
「新潮文庫」の江藤淳の解説によれば、こう書かれている。
元は旗本だと啖呵を切る旧幕臣の出の「坊ちゃん」と、朝敵の汚名を着せられた会津っぽの末裔である「山嵐」。【このように一見勝者と見える坊ちゃんと山嵐が、実は敗者にほかならないという一点において、一見ユーモアにみち溢れているように見える『坊ちゃん』全編の行間には、実は限りない寂しさがただよっている。】
明治に敗れる江戸。
赤シャツに破れる坊ちゃん。
そして留学先のロンドンで敗れ「神経衰弱」に陥った漱石。
かくして『坊ちゃん』=「敗北の文学」となるのだそうだ。
ホウ、そんなに深い話だったのか、『坊ちゃん』は!
もうひとつは、「岩波文庫」の平岡敏夫の解説。
平岡の解説では、坊ちゃんと山嵐の出自が旧武士階級というだけではない「佐幕派」、すなわち戊辰戦争で負けた側の影を見出している。
【明治維新以後、薩長幕藩政治に冷遇され、時代の陰にあった佐幕派系の人たちの、国であれ地方であれ中学校であれ、ひとしく体制に対する反逆という文脈のなかで『坊ちゃん』を読むことができ】るのだそうだ。
江藤淳と平岡敏夫の視点に共通しているのは、戊辰戦争の勝者vs.敗者という構図を『坊ちゃん』に見出していることだ。
コリャ、とても小学生の読解力じゃ無理だわな。

しかし、こうした悲劇性とは正反対の見方も存在しているようだ。
斎藤美奈子が例としてあげているのは「小学館文庫」の夏川草介の解説だ。
夏川は言う。
【訳知り顔で「『坊ちゃん』は、実は悲しい物語なのだ」などと述べる行為は、落語を楽しんでいる聴衆を捕まえてきて、君の楽しみ方は間違っている、と頼んでもいないのに講釈を垂れるようなものである。】
【まったく不思議なことに、私の見る坊ちゃん像は、孤独や悲哀とは無縁である。】
確かに坊ちゃんは教職を失い東京に戻るのだが【悠々と教職を棄てて街鉄の技手をこなしている。それを坊ちゃんの敗北とすることは、いささか筋違いというものであろう。】
ウーン、何だか江藤や平岡の解説よりピンと来るなぁ。こっちの方がポジティブだしね。
さらに夏川は言う。
坊ちゃんが背を向けた松山を【坊ちゃんと一緒になって「不浄の地」として笑うことは、読者の側には許されない】のだそうだ。なぜなら、この「不浄の地」こそ我々が住む現実世界だから。
【我々は坊ちゃんとともに松山を去るのではない。岸壁に立って去りゆく坊ちゃんを見送る側なのである。】
こう書かれると、ガツンと一発殴られたような気分になりますね。

斎藤美奈子の見解はこうだ。
『坊ちゃん』悲劇説に立つ解説者たちは概ね大学人で、つまり江戸ではなく明治、坊ちゃんではなく赤シャツ、近代の勝者に入る人たちだ。その視点で見れば、学校を去った坊ちゃんは哀れむべき敗者だ。
だが夏川が指摘するように庶民にとって、その程度のことは武勇伝のネタにこそなれ、敗北でもなんでもない。むしろ学校を辞めたからこそ坊ちゃんはヒーローになった。
『坊ちゃん』を悲劇的な物語と見るか、痛快な物語と見るかは、読者の立場によって分かれるということだ。
さて、泉下の漱石先生はどう考えているのだろうか。

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コメント

うーむ、勝ち負けを超えたのが坊ちゃん、清がついてるし。

佐平次様
悲劇とか敗北は感じなかったが、坊ちゃんの孤独は感じました。ただ一人の理解者であった清の死は相当に堪えたと思います。

不器用なゆえに新時代とその追随者に適応できず、敗北していく主人公。
明治の文学にはこういう人物がさかんに描かれています。
漱石の場合、落語好きだったせいもあって、からっと書いているんですが・・・

余談ですが、TV番組で、漱石の代表作は?→「   」ちゃん、
というクイズが出た時、「猫ちゃん」と答えたタレントがいたそうです。

福様
『坊ちゃん』には漱石のロンドン留学とその挫折が色濃く反映していると思います。これも後から考えたことで小学坊主には分からなかった。文体には落語の影響も感じられますね。『猫ちゃん』は傑作で漱石も苦笑しているでしょう。

私も、最初に中学時代に読んだ時は、そんな深い(?)ことは考えなかったですね。
しかし、今思うのは、イギリス留学で自分が体験した異文化体験が、日本においてもありえるということを題材にして、その内容を落語趣味の可笑しさで味付けしたような、そんな気がします。

小言幸兵衛様
私も入社して初めて1ケ月の工場出張を経験した時に、東京との違いの大きさに戸惑いました。まして明治時代の海外とのギャップは想像以上であったと思われます。
このことは『三四郎』の作品にも反映されています。急速な近代化に戸惑う人たちの心情が描かれているのでしょう。

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