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2015/02/11

「ネタ出し」の変更はカンベンしてよ(2015/2/10)

「昔昔亭桃太郎落語会~千早振る~」
日時:2015年2月10日(火)18:45
会場:日本橋劇場
<  番組  >
前座・柳亭市助『真田小僧』
入船亭小辰『不動坊』
三笑亭夢吉『ぜんざい公社』
春風亭一之輔『寝床』
~仲入り~
昔昔亭桃太郎『千早振る』

この会は桃太郎の十八番を若手3人が演じ、桃太郎自身は『千早振る』をネタおろしするという企画。
先ず初めに苦言を呈したい。
それは一之輔の演目が事前に『お見立て』とネタ出しされていたのが、当日になって『寝床』に変更になっていたことだ。実はこの一之輔『お見立て』を聴くために足を運んだので、この変更は拍子抜けだった。『お見立て』は志ん朝が亡くなってから満足すべき高座にお目にかかっていない。これを一之輔がどう演じるのか楽しみにしていたのだ。『寝床』と分かっていたら行かなかっただろう。
さらに言えば、ネタの変更について一之輔から釈明が無かったのは納得できない。理由が本人なのか主催者との手違いなのかは不明だが、観客に対しては変更の理由について説明があって然るべきだ。
この会の主催は「オフィスエムズ」で常に客を大切にし良心的な運営をしている会社だけに残念である。

小辰『不動坊』、「桃太郎古典への道」の第3作目にあたるそうだ。上方のネタを3代目小さんが東京に移植したもので、5代目小さんが十八番にしていた。9代目文治も持ちネタにしていたが、お滝さんの夫が講釈師ではなく亡くなったのも函館など細部が異なるのと、後半の幽霊話はカットしていた。小辰の高座もほぼ小さんの演出に沿ったものだ。吉公が湯船の中で妄想する場面は結構弾けていた。湯船の中で他の3人の独り者の悪口を言うシーンをカットし、その内容は3人が集まった時に徳さんの方から話すという演り方はすっきりして良い。3人と幽霊役の万年前座(ってどういう噺家なんだろう?)が屋根に上がってからのヤリトリは少しダレていて、もうちょっと刈り込んだ方が良いと思った。
全体としては良い出来だったと思う。

夢吉『ぜんざい公社』、この日ただ一人新作を掛けた。もっとも新作とはいえ元は戦前に上方で作られたものだから中古作かな。東京でも多くの噺家が手掛けているが、やはり独特のリズム感で演じられる桃太郎がベストだろう。夢吉によると当初の主催者からのリクエストは『勘定板』だったそうだが、あまりに短いのでこのネタに変えたとのこと。
夢吉の高座は終始ハイテンションで全身を使っての熱演。いよいよ今年は師匠の名跡・夢丸を継ぎ真打に昇進する夢吉、披露公演には必ず行きますよ。

一之輔『寝床』、私見だが、この噺のキモは、義太夫好きな旦那の上機嫌-不機嫌-怒り-キレル-寝込む-機嫌直し-上機嫌-不機嫌という気分変化をいかに表現するかに尽きる。この点でいけば8代目文楽にとどめをさす。特に伏せていた旦那が番頭に説得されて徐々に機嫌を直して行く過程の表現は他者の追随を許さない。この噺に笑いの要素を大きく持ち込んだのが志ん生で、その双方の長所を巧みに結び合わせてまとめたのが志ん朝の高座だったと思う。現役の噺家が志ん朝の型をベースにしているのは肯ける。
さて一之輔の高座だが、肝心の旦那の気分変化の描き方が雑に思えた。旦那の機嫌直しに三毛猫を登場させたのはアイディアではあるが、作り過ぎの感が強くこの噺の良さを壊していたと思う。会場は受けていたが、一之輔の実力からすれば満足のいく高座だったとは言い難い。

桃太郎『千早振る』、落語家で一番難しいのは師弟関係だというマクラからネタへ。これはサラリーマンだって一緒で、一番苦労するのが上司との関係だ。いずこも同じ秋の夕暮。
通常の古典を演じた後、果たしてこの解説が子どもに分かるかという疑問を投げつける。そうだよな、この父親は家に戻ってから娘に「相撲取りの竜田川が花魁の千早太夫に振られて・・・」なんて解説できないでしょう。この古典は間違っているとツッコミを入れて、ここから独自の解説が始まる。
豊島区の千早町にある団地に住んでいた三遊亭白鳥が女に振られ・・・、なんて話からこの歌を解説するのだが、よく考えればこっちも子どもに話せる内容じゃない。
チラシには「本寸法」という触れこみだったが、終わってみればヤッパリ桃太郎流。

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寄席・落語」カテゴリの記事

コメント

いつもブログ、楽しく拝見しております。
ネタ出しされていたのが説明もなく変更されたのはあまりいい事ではないですね。
ましてやそれを目当てに行ったのでしたらなおさらです。
いろいろな理由で変更せざるをえない場合もあるかもしれませんが
変更の理由についての説明はしなくてはいけないと思います。

『お見立て』ですが、わたしはわりとポピュラーな演目だと思うのですが、あまり生で遭遇したことがありません。
ただ3年ほど前に「岐阜落語を聴く会」という落語会での金原亭馬の助師匠の『お見立て』は非常に楽しめました。
茶がらのあたりの件りは大笑いしました。
金原亭馬の助師匠というと寄席では『権兵衛狸』と百面相ばかりの印象がありますが本気をだすとなかなかの実力派だと思いました。

nansemi様
落語の世界ですから出演者の代演やネタの変更もやむを得ないと思うのですが、やはりその理由を一言説明して欲しいと思います。
クラシックのコンサートで、「運命」の予定が当日になって説明無しに「未完成」に変わっていたら観客は納得しないでしょう。

「寝床」について書かれたこと、仰るとおりです。
黒門町が芸惜しみということばにほだされるくだりは見事だと思います。
以前も書きましたが、小満んの本に「三平はどうした?」「ど~もすみません」
なんていうのがありました。

福様
旦那が機嫌直しに至る場面は文楽にとどめをさします。現役では小満んです。
志ん朝も若い頃の録音より亡くなる数年前に聴いた高座の方が優れていました。枝雀の録音でも後年のものの方が良い出来です。ある程度の年齢に達しないと難しいネタなのかも知れません。

nansemi様
レスの追加になりますが、『お見立て』について志ん朝の高座ですと田舎大尽に対して哀れさを感じるのです。喜助の律義さも際立っており、この辺りが他の演者には真似が出来ない所ではないでしょうか。

そうですね、わたしもCDでしか志ん朝の『お見立て』を聴いたことはありませんが、たしかに素晴らしいです。『お見立て』に限らず志ん朝の音源を聴くと言い方は変ですが、総天然色で情景が目に浮かびます。

nansemi様
志ん朝の高座に何度か接することが出来た事は私にとって宝だと思っています。噺ももちろんですが高座姿も美しかったんです。

ぜんざい公社っていうのは
古典じゃないんでしょうか?

そもそも
古典と新作という垣根をつくっている事
自体不思議なのですが

落語は落語なのではないのですか?

(コメントされる時は出来るだけお名前を付けて下さい。そうしないと誰宛のレスか分からなくなります。)
「ぜんざい公社」はオリジナルの「御前しるこ」を改作したもので、作られた時期からすると新作に分類されるのかと。
古典と新作をいちいち分けなくともという説はありますが、当方は通例に従っています。

名前は忘れましたが
どこかのマスコミ関係の方が
誰かの落語家の落語を
「古典落語」という名前で
売り出したくてその分類をしたと
聞いています

だいたい
古典と言われてるはなしだって
はじめは新作という事になったと思うのですが

作られた時期で分類するのもどうなのかなと思いますが

ありがとうございます
大変勉強になりました

ぜんざいの件様
現在古典と称される落語の多くは中国や日本の説話や伝承を基にして作られているので「古典落語」です。対して昭和以降に新たに創作されたものは「新作落語」とされています。問題はその中間にあるネタで、どちらに分類するか明確な基準はありません。
ただ特定の人物が最初に分類を提唱したという事実は無いと思います。

分類を提唱したのでなく
ある噺家を売り出すのに
新聞上で
古典落語という文句をつかって
それが一般にひろまったというのを
聞いた事があります
それに対し新作だという言い方もして

ほめく先生なら
詳しくご存知かと思ったのですが
失礼いたしました

古典のエッセンスだから
古典落語という気持ちは
とてもよくわかりますが
どうも素人の勝手な分類な気がしてなりません

ちなみに
設定が平成で
古典のオチを利用した場合は
古典になるのでしょうか

逆に
設定が江戸やら明治で
新しい基軸のオチを生み出したら
それはどうなるんでしょう

何もしらないものの
素朴な疑問なのですが
お暇な時にお教え頂けたら幸いです

ぜんざいの件様
特定の落語家を売り出すために「古典落語」という言葉を使い始めたという説は聞いたことがありません。有り得ない様に思いますが。古典落語といっても時代を経る毎に改良が行われ、今ではオリジナルのまま演じられることが殆ど無いと思います。それが大衆的な伝統芸能たる由縁です。
設定が平成で古典のオチに採用しても古典にはなりません。設定が江戸時代であっても最近になって作られたのであれば新作です。
前のレスでも申し上げた通り、あまり分類に拘る必要も無いかと考えますけど。

本文で新作だと明記されてたのと
違いを細かに説明されてた事から
そいう部分も
こだわって御覧になってらっしゃる方かと
思ってましたが
ありがとうございます

売り出すための話は
落語家だというひとが言ってた
事なのですが
そのひとが嘘でもついてたんですね
御丁寧にお答え下さり
本当にありがとうございます
また、ブログ楽しみに拝見します

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