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2015/02/10

東西俊英の競演「吉坊・一之輔」(2015/2/9)

第4回「吉坊・一之輔 二人会」
日時:2015年2月9日(月)19時
会場:日本橋劇場
<  番組  >
前座・柳家圭花『一目上り』
春風亭一之輔『初天神』
桂吉坊『猫の忠信』
~仲入り~
桂吉坊『厄祓い』
春風亭一之輔『井戸の茶碗』

冷え込みの厳しかった9日、「吉坊・一之輔 二人会」へ。サブタイトルに「東西若手注目株が・・・」とあるが、吉坊については上方落語界でどういう位置にいるか知らないが、一之輔については今や「若手注目株」という表現は当るまい。高座姿でみるとベテランの域に達していると言っても可笑しくない。そこで当方のサブタイトルは「東西俊英」とした。
吉坊が吉朝門下であれば一之輔は一朝門下と、ともに優れた師匠を頂いている。
お目当ての吉坊は数年前に一度聴いているが、その時は開口一番で出ていたのであまり印象にない。従って実質今回が初といってよい。一之輔より3年年下だが入門は2年早く吉坊の方が先輩になる。

この会に限った事ではないが、毎度感じるのはこうした落語会に前座を出演させる意味がどこにあるんだろうか。この日も仲入り後の時間が押していて、後半は演者がかなり急いていた。観客はこの二人の高座を聴きに来ているのであって、それなら前座をカットして二人の口演時間を確保すべきだろう。
前にも書いた事だが、一昔前の歌手のコンサートは先ず司会者が出てきて何かしゃべり、次いで前座歌手というのが出て、それから本人が歌うというスタイルだった。ここ数年に何度か行ったコンサートではいわゆる前座歌手というのはお目にかかった事がない。
落語会だけが依然として旧態を引きずっているようで、改善すべきではなかろうか。

一之輔『初天神』、冒頭でネタが分かったようで客席から笑いが漏れていたが、一之輔ファンにとっては毎度お馴染みのネタだ。金坊はさらにパワーアップしており、飴を買ってくれと土下座までする。串団子をねだる時は「買ってくれないとお父さんを嫌いになっちゃう」と脅す。父親が無視して横を向いて口笛を吹いていると、周囲に「人さらいです!」と騒ぎ立てる。
こんな子どもを持った日にゃ手が付けられないね。

吉坊『猫の忠信』、東京では『猫忠』というタイトルで演じられるが筋はほぼ同じ。若い美人の義太夫の師匠の元へ通う男たち、芸はどうでも何とか師匠をモノにしたいという下心。六さんからその師匠が常吉といい仲になっていると聞かされた次郎吉。早速師匠の家に行って座敷を覗くと、師匠と常吉が並んで「温い造り(刺身を常吉がいっぺん口に入れてから師匠に口移しで食べさせる)」の真っ最中。怒った次郎吉は常吉の家に向かい、嫉妬深い女房に告げ口をする。処が肝心の常吉は奥で休んでいて却って叱られる。引っ込みがつかなくなった次郎吉は女房を連れて師匠の座敷を覗かせると、間違いなくそこには常吉と師匠が並んで「温い造り」をしていた。家に戻って二人がそのことを常吉に告げると、それはきっと魔性のものだと断じ、今度は常吉と次郎吉の二人が師匠の家に行く。次郎吉が二人の座敷に入ってそこにいた常吉から盃を貰うフリをして腕を掴むと、指先が割れていない。妖怪であることが分かって本物の常吉が打ち据えると、ついに正体を現す。それは猫の化物で、師匠が持っている三味線がその猫の両親の皮で作られていると言う。「わたくしはあの三味線の子でございます」と泣く。
「兄貴、今度のおさらいは『千本桜』の掛け合いだろう。狐忠信てのはあるが、猫がただ酒をのんだから、猫がただのむ(=猫の忠信)だ。あっしが駿河屋次郎吉で駿河の次郎。兄貴が吉野屋の常さんで吉常(義経)。千本桜ができたね」
「肝心の静御前がいねえ」
「師匠の名が静だから静御前」
師匠が「あたしみたいな者に、静御前が似合うかね」と言うと、
傍で猫が「にゃあう(似合う)」。
吉坊の高座は登場人物である次郎吉、吉野屋の常吉、常吉の女房、六さん、稽古屋のお静、そして化け猫とそれぞれの造形がしっかり出来ており、特に常吉の兄貴分らしい貫録と、一度は嫉妬に狂いながら冷静さを取り戻して針仕事を続ける女房の健気さが丁寧に演じられていた。猫の所作やセリフも芝居がかりになっていて吉坊の力量を十分に示していた。欲をいえば師匠にもっと色気が欲しかった。

吉坊『厄祓い』、手元にある大師匠・米朝のCDに比べるとかなりの短縮版になっていた。時間が無くて急いたのか、あるいはこれが吉坊の演出なのかは分からないが、余計な部分を削ぎ落していて私にはむしろこちらの方が面白く感じた。
甚兵衛さんから無理やりに厄祓いをさせられたアホな男と、厄祓いを頼んだ店の番頭との掛け合いが楽しく、当時の節分の雰囲気がよく出ていたように思う。
こういう軽い噺も吉坊は上手い。

一之輔『井戸の茶碗』、こちらも時間が急いていたのか、かなり端折った高座になっていた。ただこの噺は、この日に一之輔が演じた様に軽く飛ばした方が正解だと思う。演者によっては人情噺風にみっちり演るケースもあるが感心しない。それでも手裏剣だの鎖鎌だのが出てきて、ここら辺りは一之輔らしさが発揮されていた。最後に千代田卜斎の娘を高木作左衛門に嫁がせたらと屑屋が提案すると、傍にいた娘が頬を赤らめるというのは独自の演出か。
最近の一之輔の高座を見ていると、緩急の付け方が巧みになってきたなという印象を受ける。最初にベテランの領域にウンヌンと書いたのは、この事を指す。

一之輔に感心し、お目当ての吉坊の高座には満足した。

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コメント

いつもご高説、勉強させていただいております。「前座の要・不要」を述べられておりましたが、先日の「大手町独演会・ザ桃月庵白酒」では、前座も色物も、ゲストもなしで白酒さん一人が4席を演じられました。お嬢様も感じられたようですが、とても充実したいい独演会でした。4席は初経験でしたので、あきるかなとか、ダレルかななどと思っておりましたが、とんでもない、白酒さんもいつもより張りきっているように見受けました。独演会は、その人が目当てなのですから、本当の独演でいいと思います。
前座の勉強のためなら、開場から開演までの時間を使うほうが適切と思います。まだまだ半人前なのですから、ブザーが鳴って客が話を聞く態勢で話すのは本人のためにもならないでしょう。

投稿: 川瀬勝彦 | 2015/02/10 23:06

川瀬勝彦様
過分なお褒めの言葉恐縮です。
前座を使わない落語会や独演会もいくつか経験しておりますが、その分出演者がたっぷり時間を掛けられるか、公演時間が短縮されるか、いずれにしろ観客にとっては良い事ばかりです。ご指摘のようにどうしてもと言いう事なら、寄席の様に開演前に上げれば宜しいかと思います。

投稿: ほめ・く | 2015/02/11 06:39

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