『ハンナ・アーレント[DVD]』をみて考えたこと
『ハンナ・アーレント』
監督: マルガレーテ・フォン・トロッタ
出演: バルバラ・スコヴァ, アクセル・ミルベルク, ジャネット・マクティア, ユリア・イェンチ, ウルリッヒ・ノエテン
(2013年10月岩波ホールで上映、2014年8月DVD化。)
ハンナ・アーレント(Hannah Arendt, 1906年10月14日 - 1975年12月4日)は、ドイツ出身のアメリカ合衆国の哲学者、思想家。主に政治哲学の分野で活躍した。
ドイツでナチスによるユダヤ人迫害が起きフランスに亡命、フランスがドイツに降伏しユダヤ人への迫害に協力するようになりアメリカに亡命する。
映画では彼女の生涯を描かず、アイヒマン裁判を傍聴し、その記事を雑誌に発表して大論争に巻き込まれるまでの間を描いている。
アドルフ・アイヒマンはナチスのユダヤ人追放のスペシャリスト、ドイツが降伏するまでユダヤ人移送の最高責任者だった。その後、バチカン発行のビザでアルゼンチンへ逃亡、1960年にイスラエル諜報部に拉致されイスラエルで裁判にかけられ、1962年に絞首刑に処せられた。この裁判は日本でも大きな話題となり、私の記憶にも残っている。
多くのユダヤ人からすればアイヒマンは数百万人のユダヤ人を虐殺した悪魔のような人間を想像していたが、ハンナが法廷で見た男はごく平凡な男で、ユダヤ人迫害や移送についても信念からではなく上からの命令で実行してきたと答弁していた。
ハンナはこの事実をニューヨーカー誌に連載記事として載せた。タイトルは『イェルサレムのアイヒマン』。この記事でハンナはさらに、ユダヤ人自治組織(ユダヤ人評議会)がユダヤ人移送に手を貸していた事実も書き、内外のユダヤ人から激しい攻撃を受ける。映画の中では彼女が脅迫を受けたり、永年の友人たちが彼女と絶交して行き、大学からは教授を辞めるよう迫られる様子が描かれている。
しかしハンナは怯まなかった。
彼女が提起した「悪の凡庸さ」とは、悪は狂信者や変質者から生まれるのではなく、普通に生きていると思い込んでいる凡庸な一般人によって引き起こされるような事態を指している。アイヒマンのような小役人が思考を停止し、上からの命令に無条件に従う官僚組織の歯車になることで、ホロコーストのような巨悪に加担してしまうのだと彼女は主張した。
映画のクライマックスでハンナは聴衆を前にしてこう講義する。「考えないことが一番の悪だ。この悪は我々ひとりひとりの中にもいる。それこそが悪の凡庸さだ」と。
映画は冒頭でハンナの夫の不倫について友人と語るシーンから始まり、ハンナの回想シーンでは一転して若き日の彼女が哲学者ハイデッカーと不倫していたことが明らかにされる。
同胞や友人からの非難や抽象に傷つきながらも、夫の支えで生き続けられる等身大の女性として描かれていて、それだけらこそ最終シーンでの彼女の演説に心打たれるのだ。
自分たちの過去の誤りを率直に認めたり語ったりすると周囲からパッシングを受けるというのは、今の日本でも日常的に起きている。
思考を停止し、上からの指示や命令に従い時流に流されていけば、いずれ人間は残酷な事でも平気で行うようになるという「悪の凡庸さ」は、現在の私たちへの大きな警告と捉えるべきだろう。
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コメント
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学生時代、スペンサー・トレーシーなどが出た映画「ニュルンベルグ裁判」を観て、関係ないという市民にも責任があることを教えられて興奮しました。
アートシアターだったかな。
投稿: 佐平次 | 2015/02/04 10:27
佐平次様
ユダヤ人に対する差別や迫害はキリスト教国の多くで行われていて、とりわけドイツに降伏した国(例えばフランス)ではホロコーストに協力していた面もありました。そうした事を含めた反省は不十分だと思っています。
投稿: ほめ・く | 2015/02/04 11:43