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2015/02/28

「知らなければ違法行為ではない」だと!

2月27日の衆院予算委員会の集中審議では、野党側が望月、上川両氏に対する寄付について、補助金交付企業の献金問題で辞職した西川公也前農相と同じケースだとして追及した。これに対し望月環境相は「(補助金交付は)承知していなかった。適法だと思っている」と述べ、上川法相も「全く承知していなかった。しっかりと調査をして説明責任を果たしたい」と違法性を否定した。
この件に関して安倍首相は、「(補助金交付を)知らなければ違法行為ではないということは法律に明記されており、違法行為ではないということは明らかだ」と答弁した。

国の補助金を受けた企業が支給決定から1年以内に献金をすることは原則として禁止されている。
当たり前だ。
こんな事が許されるなら、企業への補助金の見返りに寄付という名目で自由にキックバックさせられる。だから法律で禁止しているのだ。
この法律自体もかなり甘いもので、「1年以内」という事は1年過ぎれば補助金を出した企業から寄付を受けるのは自由なのだ。
そこへもってきて、「知らなければ違法行為ではない」だと!
空いた口が塞がらないとはこの事だ。

下村博文文科相には、全国にある下村文科相の後援会組織「博友会」が政治団体として届け出されず、政治資金規正法違反の疑いが持たれている。
地方の博友会に支払われた会費などが下村文科相の政党支部に流れ、献金として処理されていたことが明らかになっている。
2月26日の衆院予算委員会で下村文科相は、「地方の博友会は任意団体で、収支報告の義務はない」「政治的目的を持ったものでなく、運営には一切タッチしていない」と無関係を強調していた。
しかし、これは言い逃れに過ぎない。
「中四国博友会」の代表はHPで、「下村博文さんの政治活動をさらに強力に支援していく」と明言し、規約にも「本会は、下村博文氏の政治活動を支援することを目的とする」と明記されている。
下村文科相自身も委員会終了後、報道陣に「政治団体として届け出た方がいいとの議論がされているから、そうしてもらった方がいい」と言っていた。本人も「博友会」を「政治団体」という認識を持っている何よりの証左ではないか。

知らなければ違法行為ではない。
バレたら金を返す。
見え透いた言い逃れ。
安倍政権の大臣殿はこんなのバッカリなのか。

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2015年2月アクセスランキング

1.「ネタ出し」の変更はカンベンしてよ
2. #28『四人廻しの会』
3. 曽野綾子の「人種差別」思想
4. 東西俊英の競演「吉坊・一之輔」
5.【ツアーな人々】消えた添乗員
6. 三遊亭遊雀独演会
7. 国税庁に騙されるな!e-Taxは簡単でも便利でもない
8. 名詩の超訳
9. さすがベテランの味「権太楼・一朝」
10.「西のかい枝・東の兼好」

当ブログの2月のアクセス数TOP10は上記の通り。落語関係が6、その他が4という割合だ。
1位は、一之輔のネタ出しが当日になって変更されたもので、変更は致し方ないとしても理由を一言断って欲しかったというもの。反響が大きかったのは同じ思いをされた方が多かったものと推察される。
2位の『四人廻しの会』は、小さな会だったが内容が充実していたのを記憶している。
3位の曽野綾子の人種差別思想だが、この問題は多数のサイトで採りあげられていて当初は記事にするつもりは無かった。ただ引用されていた曽野のコラムが要約されていて、やはり全文を読むべきだと思って読んでみたら、よけいに腹が立ってきた。文章全体がプロの作家が書いたものとは思えないほど雑で、内容も明らかに人種隔離を擁護するような趣旨に取れる。それで敢えて記事にした。
5位は毎月ランクインしている人気記事。
7位は毎年確定申告の時期になるとアクセスが増える記事で、数年前に国税庁のHPに騙されてe-Taxを試みたが、費用と手間がかかる割には利便性が低く1年でやめてしまった。お国のやることはそんなモンか。
8位の名詩の超訳は、記事の中で行けなかった白酒の独演会について触れたのだが、そちらの方に関心が集まったようだ。

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2015/02/26

神田連雀亭「ワンコイン寄席」(2015/2/25)

神田連雀亭「ワンコイン寄席」
日時:2015年2月25日(水)12時30分
会場:神田連雀亭
<  番組  >
三遊亭日るね『堀の内』
橘ノ圓満『火焔太鼓』
春風亭朝也『質屋庫』

神田連雀亭という二ツ目を中心とした寄席が出来たことは以前から耳にしていて、この日円満と朝也が出演するとあったので出向く。JR神田駅から徒歩で10分弱、周囲には老舗の店が並ぶ。
前座の頃はしょっちゅう眼にしていた人が二ツ目に昇進した途端に顔を見なくなってしまう。それほど二ツ目が高座をつとめる場所というのが狭き門なのだ。
アタシがまだ20代のころ、目黒の権之助坂に二ツ目専門の寄席ができ何度か観に行ったが、数か月で閉館してしまった。採算が合わなかったんだろう。協会や定席などが主催する会ならともかく、通常の民間の方が運営しようとすれば、維持はさぞかし大変だろう。
入場料の500円を払って中へ入ると正面に高座が設えていて、客席にはパイプ椅子が並ぶ。客の入りは20名程度か。公演時間はおよそ1時間で、ワンコイン寄席は出演者が3名だ。料金も時間も手軽だが、(アタシの場合)家から往復で2時間弱、交通費が約千円かかるとあって、近場の方を別にすれば常連客を掴むのはなかなか大変だろうなと推察する。

日るね『堀の内』、本人は『粗忽の釘』を演じるつもりだったようだが、どういう手違いかこのネタに入ってしまった。中身は筋を追うのが精一杯で、準備不足という点を考慮しても素人芸の域を出ない。

圓満『火焔太鼓』、芸協がなぜこの人を来春の真打昇進から外してしまったのか、未だに理解に苦しむ。芸といい風格をいい、もう立派に真打の資格を有している。
余計な部分を削ぎ落し志ん生流の演出で、違いは道具屋が屋敷の正門からではなく通用口から入る。
見せ場の300両を50両ずつの包みを6回に分けて出す場面で、道具屋の亭主も女房もその一つ一つに対してリアクションと表情が変る。300両を見せられて女房が「本当にお前さんは商売が上手だねぇ」と言うが、今までバカにしてきた亭主にここで惚れ直すのだ。夫婦の位置関係が変る瞬間。こういう箇所をきちんと演じられるかどうかで評価が決まるネタで、圓満の高座は良い出来だった。
サゲの「おじゃんになる」という言葉、アタシが子どもの頃は周囲の大人が使っていたが、近頃はとんと耳にしなくなった。知らない人も増えてきたのだろう。

朝也『質屋庫』、こちらも落協でいつ真打になっても可笑しくない位置に来ている。この噺は大きく3つの部分に分けられる。マクラで天神様の由来を説明していたのは親切だ。これがないとサゲが分からない。
①質屋の庫にお化けが出るという噂話を聞いた主人が、原因は質物に質入れした人の気が残り、それが化物となって現れるのではと推測する場面。ここでは女房がヘソクリで貯めた金で買った帯を質入れしたまま死んで行く例をあげる。
②主人が呼んだ熊が叱られると思って先回りして、店から酒や沢庵、下駄を無断で持ち出したことを白状する場面。熊はその度に「決して悪気は無かったんで」と繰り返すが全く反省していない。上方の『地獄八景』にも同様の場面がある。
③庫に出る化物を見届けに行かされた番頭と熊が怯える場面。特に熊が台所に箸を取りに行くシーンで、番頭が自分の帯と熊の帯を手拭いで結び合わせる個所。
朝也の高座は個々の場面を丁寧に演じ、人物の演じ分けも出来ていた。欲をいえば、①の場面での主人の語りはもう少しユックリしたい。このネタの最大の聴かせ所であり、質屋の主人の風格を示すシーンだからだ。

お目当ての圓満、朝也二人の高座を聴けて満足。
神田連雀亭は平日の昼間12時30分から1時間の公演という「ワンコイン寄席」と、平日の午後7時から1時間半の公演という(土日祝は午後1時から)「きゃたぴら寄席」がある。
月間予定と日々の出演者は連雀亭のHPに載っている。

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2015/02/24

「大垣署」警察はまだこんな事をしてるのか

警察は事件や事故から私たち市民を守る有りがたい存在と思われがちだが、もう一つの顔がある。それは「公安警察」で、「公共の安全と秩序」つまり治安を維持することを目的とする警察である。戦前の特高警察の流れをくんでおり、連合軍が解散命令を出したことにより組織替えしたものだ。
警察庁警備局を頂点に、警視庁公安部・各道府県警察本部警備部・所轄警察署警備課で組織される。形式的には自治体警察の一部であるが、予算は警察庁警備局が握っており国庫から支出される。
構成員だが、東京都を管轄する警視庁を例にとると約2000人の人員である。

ではその公安警察とはどんな活動をしているのか。通常は私たちの眼には触れないが、ここでは岐阜県大垣署警備課が、風力発電所の計画をめぐって、中部電力の子会社であるシーテック社(以下シー社と略す)に特定の市民の個人情報を提供していたという件をとりあげたい。
これは大垣署警備課長とシー社との打ち合わせ議事録によって明らかになった。
建設予定地である自治会の動きと、大垣署とシー社との協議の流れは以下のようである。

2013年7月28日 住民らが風力発電の勉強会を開く
   8月7日 大垣署とシー社との第1回情報交換
2014年2月2日 自治会の総集会でシー社の調査に反対を決定
   2月4日 大垣署とシー社との第2回情報交換
   5月22日 県知事、中部電力、シー社に対し自治会が反対の意向を表示
   5月26日 大垣署とシー社との第3回情報交換
   6月26日 中部電力の株主総会で風力発電に関する発言
   6月30日 大垣署とシー社との第4回情報交換

上記のように住民らの何らかの動きがあると、大垣署とシー社は直ちに情報交換していることが分かる。
では大垣署はシー社に対してどのような情報を提供していたのだろうか。
地元の養鶏家で自治会長であるAさんと住職のBさんについては、風力発電の勉強会を開いたということで大垣署から「風力発電にかかわらず、自然に手を入れる行為自体に反対する人物」とされた。勉強会の内容が警察により監視されていたのだ。
他には大垣市内の法律事務所「ぎふコラボ」が槍玉に上がっていた。同所がかつてゴルフ場建設差し止め運動を起こしたことがあり、AさんやBさんも反対運動に加わっていたため、両者が密接につながっていると見られたようだ。「ぎふコラボ」の事務局長Cさんについては、「病気のため入院中で、直ぐに次の行動に移りにくいと考えられる」と、大垣署はシー社に個人の病歴まで伝えている。
さらに中部電力の株主総会で「シーテック社の風力発電が気になりますが」と発言したDさんについて大垣署は、「風力発電事業の反対運動に本腰を入れそうである」とシー社に報告している。Dさんが東京大学を中退しているという学歴情報までシー社に伝えていた。
今回の大垣署の行為は、風力発電に反対しそうな人物を特定・監視し、その個人情報を一私企業であるシー社に伝えていたわけで、明らかに違法行為である。

今回は風力発電をめぐる公安警察の動きの一端が明らかになったが、過去には特に原発の建設に反対した人たちを狙い撃ちして監視したり行動を妨害した前科もあり、「公共の安全と秩序」の名のもとにこうした違法行為が繰り返されてきた。
改めて監視社会の恐ろしさを感じる。

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2015/02/22

さすがベテランの味「権太楼・一朝」(2015/2/21)

第36回三田落語会・夜席「権太楼・一朝 二人会」
日時:2015年2月21日(土)18時
会場:仏教伝道センタービル大ホール
<  番組  >
前座・春風亭朝太郎『寿限無』
柳家権太楼『寝床』
春風亭一朝『包丁』
~仲入り~
春風亭一朝『花見小僧(おせつ徳三郎・序)』
柳家権太楼『御神酒徳利(占い八百屋)』

前座の朝太郎『寿限無』、スジが良さそうだ。師匠の前名を貰ってるのは期待が大きいからだろう。

権太楼『寝床』、このネタは前にも書いたが大きく分けると、正統派の8代目文楽型、爆笑派の志ん生型、両者のいいとこ取りの志ん朝型となる。他に上方落語では枝雀型(意外なのは上方四天王は誰もこのネタを高座に掛けていないそうだ)がある。枝雀型では長屋の住人で女性的な親孝行息子が登場したり、旦那の義太夫をまともに受けて胸に大きな痣をこしらえて亡くなった人が登場する。最近では東京でもこの型で演じる人もいる。
権太楼の高座は志ん生型と思われ、後半は店立てをくった長屋の住人が集まって義太夫の会に参加するかどうかをは話し合いをする場面があり、前の番頭が一人で旦那の義太夫を聴かされ夜逃げするというエピソードでサゲ。志ん生型なので旦那の機嫌直しの場面や長屋の衆が義太夫を聴かされる場面はない。茂造が巧みに言い訳をしながら最後は自分が追い詰められるまでの過程を中心に楽しく聴かせてくれた。1席目なので軽く演じながら押えるべき所はきちんと押えた権太楼らしい高座だった。

一朝『包丁』、マクラで知り合いの中に、世の中には男と女と女房んも3種類があり、女房は女じゃないから浮気をするんだと語る男がいると言っていた。女は女房だけと信じているアタシにゃ信じられない。ホントですよ。
この『包丁』という噺は大好きなので、これを聴けただけで満足だ。
清元の師匠と懇ろになってヒモ生活を送る常だが、脇に若い女が出来て師匠が邪魔になった。そこで旧知の寅に頼んで、自分が留守の時に師匠の家を訪れ酒を呑みながら師匠の袖を引っ張る。そこへ常が乗り込み「間男しやがって」と脅して罪をかぶせ、師匠を芸者に売りとばしその金を二人で山分けするという算段。常は色と欲の両方が手に入るわけだ。
打ち合わせ通り寅は師匠の家に上がり込み、勝手に酒を呑みながら師匠の袖を引っ張ると、怒った師匠からポカポカと殴られて逆上、ネタを全てバラシてしまう。事実を知らされて師匠は寅の女房になり二人で常を追い返そうと申し出る。瓢箪から駒とはこの事、寅もその気になって出刃包丁を振りかざして脅す常を撃退する。小悪党がギャフンという目に遭うのだ。
見どころは寅が小唄を唄いながら師匠の袖を引く所、師匠が次第に怒り出す所と、一転して寅と所帯を持つと言い出す所だ。一朝の高座は二人の心理変化を巧みに表現していた。
また寅の小唄は「八重一重」で本寸法、難しい唄だそうだが他の唄ではダメなのだ。セリフと唄と口三味線が混じり、その傍らで師匠の袖を引く所作も入れるというのは可成りの修練が必要だろう。
一朝の芸の高さを示した1席、実に結構でした。

一朝『花見小僧』、小僧の定吉が大旦那にアメとムチで脅され、昨年の花見の様子を小出しにしゃべる姿を描いたもの。最初は嫌々ながらだったが、次第に興に乗るとお嬢さんのおせつと奉公人の徳三郎の仲を楽しそうに語り出す定吉。やはりスキャンダルを話すのは愉快なんだ。しかし大旦那にとっては穏やかじゃない、いきなり怒り出して定吉を部屋から追い出す。この二人の変化を一朝は巧みに描いていた。花見でのおせつと徳三郎、婆や、定吉それぞれの姿も手に取るよう。一足先に花見気分を味わえた。

権太楼『御神酒徳利』、この噺は二つの系統があり、一つは3代目三木助や6代目圓生の型で旅籠の番頭である善六が自分で水瓶にしまっておいた御神酒徳利を自分が占って探しだし、それが元で大阪まで行くというストーリー。もう一つは上方落語の『占い八百屋』を東京に移したもので、柳家小さんによって代々引き継がれてきた型で、こちらは八百屋がいたずらで御神酒徳利を水瓶に隠し、それを占いで探し当てると三島まで行かされるというストーリーだ。柳家の噺家でも前者の型で演じる人もいるが、権太楼は小さんの型で演じた。
自分で隠した徳利を算盤占いと称して探しあて店の主人からすっかり占いの名人呼ばわりされ舞い上がる八百屋。処が店の主人の兄の家で大事な仏像が紛失したので三島まで行って占って欲しいと言われ怖気づく。嫌々ながら三島に向かうと途中の小田原の宿で、宿屋の箪笥から50両が紛失していたという事件に出会う。強引に占いを請われた八百屋はすっかり逃げ支度するが、そこへ50両を取って稲荷に隠したという女中が現れ、ここでも八百屋は見事に占いを的中させる。権太楼の高座は八百屋の得意と失意の繰り返しを表現していて好演。ドヤ顔と困惑顔の対比も見事に権太楼節全開の高座だった。

二人のベテランの味を堪能、結構でした。

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2015/02/20

曽野綾子の「人種差別」思想

産経新聞の2月11日付朝刊に掲載された作家の曽野綾子の「労働力不足と移民」と題したコラムが大きな波紋を呼んでいる。アパルトヘイト(人種隔離)を許容する内容が含まれているとして、南アフリカのモハウ・ペコ駐日大使が同紙に抗議文を送っていた他、海外のメディアにもこの問題が採りあげられている。
こうした抗議について産経新聞は、小林毅・執行役員東京編集局長名で「当該記事は曽野綾子氏の常設コラムで、曽野氏ご本人の意見として掲載しました。コラムについてさまざまなご意見があるのは当然のことと考えております。産経新聞は、一貫してアパルトヘイトはもとより、人種差別などあらゆる差別は許されるものではないとの考えです」とのコメントを掲載した。
問題のコラムだが、全文は以下のようである。

【引用開始】
「労働力不足と移民」
最近の「イスラム国」の問題など見ていると、つくづく他民族の心情や文化を理解するのはむずかしい、と思う。一方で若い世代の人口比率が減るばかりの日本では、労働力の補充のためにも、労働移民を認めねばならないという立場に追い込まれている。
特に高齢者の介護のための人出を補充する労働移民には、今よりもっと資格だの語学力だのといった分野のバリアは、取り除かねばならない。つまり高齢者の面倒を見るのに、ある程度の日本語ができなければならないとか、衛生上の知識がなければならないとかいうことは全くないのだ。
どこの国にも、孫が祖母の面倒を見るという家族の構図はよくある。孫には衛生上の専門的な知識もない。しかし優しければそれでいいのだ。
「おばあちゃん、これ食べるか?」
という程度の日本語なら、語学の訓練など全く受けていない外国人の娘さんでも、2、3日で覚えられる。日本に出稼ぎに来たい、という近隣国の若い女性たちに来てもらって、介護の分野の困難を緩和することだ。
しかし、同時に、移民としての法的身分は厳重に守るように制度を作らねばならない。条件を納得の上で日本に出稼ぎに来た人たちに、その契約を守らせることは、何ら非人道的なことではないのである。不法滞在という状態を避けなければ、移民の受け入れも、結局のところは長続きしない。
ここまで書いてきたことと矛盾するようだが、外国人を理解するために、居住を共にするということは至難の業だ。
もう20~30年も前に南アフリカ共和国の実情を知って以来、私は、居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに分けて住むほうが良い、と思うようになった。
南アのヨハネスブルグに一軒のマンションがあった。以前それは白人だけが住んでいた集合住宅だったが、人種差別の廃止以来、黒人も住むようになった。ところがこの共同生活は間もなく破綻した。
黒人は基本的に大家族主義だ。だから彼らは買ったマンションに、どんどん一族を呼び寄せた。白人やアジア人なら常識として夫婦と子供2人くらいが住むはずの1区画に、20~30人が住みだしたのである。
住人がベッドではなく、床に寝てもそれは自由である。しかしマンションの水は1戸当たり常識的な人数の使う水量しか確保されていない。
間もなくそのマンションはいつでも水栓から水の出ない建物になってしまった。それと同時に白人は逃げ出し、住み続けているのは黒人だけになった。
爾来、私は言っている。
「人間は事業も研究も運動も何もかも一緒にやれる。しかし居住だけは別にした方が良い」
【引用終り】

先ず一読して感じるのはプロの作家としては随分と粗っぽい文章を書いたもんだという事だ。
「もう20~30年も前に南アフリカ共和国の実情を知って以来」と書いているが、曽野は南アのどんな実情を把握したというのだろうか。
南アのアパルトヘイト(人種隔離政策)が撤廃されたのは1994年の事だから、曽野がいう20~30年前とはアパルトヘイトが撤廃になった後の混乱した時期だったかと思われる。白人としての特権が失われ、今まで白人だけが住んでいた土地が黒人に分配され、白人だけが住んでいた住宅にも黒人が住むようになった。差別されたきた側にとっては平等の実現に伴い生活が改善されたのだが、差別して来た側にとってはさぞ不愉快な事も多く面白かろう筈はない。やっぱり黒人なんかと一緒にするからと不平を言い、経済力のある白人は別の土地や住宅に移って行ったであろう事は想像に難くない。事実、医師など特定の資格を持つ白人の多くがこの時期に南アからカナダなどの他国へ移住してしまった。
つまり曽野綾子が言う「南アの実情」とは、特権を失った人の嘆きであり、差別してきた側の実情なのだ。アパルトヘイト当時の黒人の居住環境がどうであったのか等といった差別を受けてきた側の人々の実情には一顧だにしていない。
そうした歪んだ視点のもとで、「居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに分けて住むほうが良い」という結論を導き出している。これこそアパルトヘイト(人種隔離)の思想である。
これでは「人種差別主義者」と批判されても致し方あるまい。
今になってチャイナタウンなどの例を持ち出しているが、噴飯ものだ。

曽野はまた、「高齢者の面倒を見るのに、ある程度の日本語ができなければならないとか、衛生上の知識がなければならないとかいうことは全くないのだ」と断定しているが、介護の現実をどこまで知って書いているのだろうか。言葉が通じず衛生上の知識もない人は介護など出来ない。
介護関係に携わっている人たちをバカにしているとしか思えない。

産経新聞社側の「曽野氏ご本人の意見として掲載しました」という言い分も首を傾げる。掲載するかどかは新聞社の編集権、判断に委ねられるし、不適切な表現には執筆者に修正を求めることもできる。この記事を掲載すべしというのは産経側の判断であったわけだ。
「産経新聞は、一貫してアパルトヘイトはもとより、人種差別などあらゆる差別は許されるものではないとの考えです」というコメントも建前としてはそうだろうが、日ごろから産経com.の記事を読む限りでは額面通りに素直には受け取れない。
これだけは言えると思うが、今回のような曽野の文章を載せるのは全国紙では産経新聞以外には考えられまい。

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2015/02/18

三遊亭遊雀独演会(2015/2/17)

第15回「遊雀式」
日時:2015年2月17日(火)19時
会場:日暮里サニーホールコンサートサロン
<  番組  >
前座・三遊亭遊かり『手紙無筆』
三遊亭遊里『家見舞』
三遊亭遊雀『うどん屋』
~仲入り~
三遊亭遊雀『崇徳院』

小雪まじりの雨が降る寒い日となった17日、久々に遊雀の独演会へ。この会は前売りや事前申し込みなしの当日売りのみというシステムだ。常連さんが殆んどなのだろう。
芸協ではあるが柳家の本寸法、元の大師匠の5代目小さんの芸を受け継いでいる。

遊かり『手紙無筆』、遊雀の弟子の女流。見たことがある着物だと思ったら師匠から譲り受けたものだった。

遊里『家見舞』、5代目小さんの十八番。小さんの演出とはいくつか異なる。
①小さんでは兄いの新居祝いだが、こちらは結婚祝い。
②小さんでは最初から水瓶を買いに行くが、こちらは道具屋で交渉中に水瓶に決まる。
③小さんでは初めに瀬戸物屋へ行き断られてから二人が道具屋で肥甕を見つけるが、こちらは道具屋が肥甕を薦める。
④小さんでは肥甕に水が張られているが、こちらは甕はむき出し。
後から遊雀は遊里のキャリアからして良い出来だったと言っていたが、アタシは感心しなかった。
先ず高座の上で大きく体を動かし過ぎる。意味のない動きが目立った。
もう一つは、二人が兄いの家に肥甕を持ち込んだ際に、一人が挨拶をしている間にもう一人が水を張るのだが、そこを抜かしていた。ここは後半につながる大事な個所なのでカットは出来ない。

遊雀『うどん屋』、マクラで炊飯器は壊れて量販店に買いに行ったら、出てきた男の店員がナヨナヨして女っぽく、「オカマが炊飯器を売っていた」。ご飯の話題からうどんのネタへ。
基本は小さんの型だが、火をあたりに来た酔客がうどん屋に3月14日のJRダイヤ改正の話をはじめるという演出。北陸新幹線が新潟を通るにも拘らず県内に停車駅が無いのでもめてるとか、常磐線が延長になり品川まで来るとか、宇都宮線と高崎線が東海道線と繋がるとか、この酔客は鉄道マニアか。大宮の人は小田原行きの電車に乗れて良いかもしれないが、気の毒なのは横浜の人。今までは東京行きだったのがこれからは籠原行きなんて電車が来て、どこへ連れて行かれるんだろうと思うだろう。余計な心配までして、この酔客はようやく知り合いに娘の婚礼の話題に入る。この客は自分に子どもが無く知人の娘を小さな頃から可愛がっていたので、まるで自分の娘を嫁にやるような気分だったんだろう。思い出してサメザメと泣き出し、自らに言い聞かせるように「おい、めでてえな」と語りかける。処が、うどん屋の返事は素っ気ないので客は怒り出す。この辺りの会話の「間」の取り方が上手い。
小さんの型に比べて客の婚礼話の繰り返しが無く、うどん屋がお冷と言うと客が水だと言い張る場面はカットされていたが、寒い中を悴んだ手を握り締め天秤棒を担いで売り歩くうどん屋の姿や、店の奉公人が一杯のうどんを美味そうに食べながら体を温めて行くシーンを丁寧に描いて良い出来だった。

遊雀『崇徳院』、3代目三木助の十八番で、現役の噺家も基本はこの型を踏襲している。
遊雀の特長の一つは目の使い方だ。これが上手い。このネタでも寝たきりの若旦那が熊さんに恋患いを告白する場面、熊さんが大旦那から無理やり娘探しを押し付けられる場面、熊さんが女房から探索を急かされる場面、熊さんが床屋で短冊を読み上げる場面、そして探していた娘の店の出入り職人を見つける場面、いずれも遊雀は「目にモノを言わせて」いた。
途中で手拭いを忘れていて楽屋に取りに戻るアクシデントもあったが、そうした中断の穴も感じさせない上出来の高座だった。

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2015/02/16

ブログ開設10周年

この2月で当ブログを開設して10周年を迎えた。当初は本人も家族もどうせ三日坊主だと思っていたのだが、我ながら良く続いたもんだと感心している。もっとも永続きしただけで中身はとうてい褒められたものではない。世の中の役に立たぬ記事をダラダラと書いてきたというのが実情だ。
ブログを始めた当時、私が親しんでいたブログの大半は既に終了している。SNSに移行した方もいるが、ネットそのものに失望してクローズした人も少なくない。その理由の一つは悪質な書き込みに嫌気がさしたというものだ。
当ブログも何度か被害にあってきたが、自分たちが気に入らない記事に対して集中的な攻撃を浴びせるという手口だ。初めの頃は誠実に対話しようと心掛けていたが、相手はハナからこちらの意見に耳を傾ける気などない事に気付いた。そして人格攻撃が伴う。「あなたは最低の人間です」「お前はバカか」なんて書かれたコメントが何日も来るようになれば、大概の人は嫌気がさしもうヤメタという事になる。彼らの狙いは自分たちに都合の悪いサイトを潰すことにある。そうした連中が現在もネットに跳梁跋扈している現実は嘆かわしい。
家族から「それでもブログを続けるというのは、よほど人間が悪くなけりゃ出来ないよね」と言われたが、その通りかも知れない。
では、なぜ続けているのかと訊かれれば惰性と答えるしかない。それと日々数百人の方々が当サイトにアクセスされているので、その期待に応えたいという気持ちもある。

さて、この10年間を振りかえってみると、政治状況は悪化の一途をたどっている。
ブログをスタートさせたのが2005年だが、その2年前の2003年にアメリカによるイラク侵攻が始まった。イラクが大量破壊兵器を保有しているというのが口実だったが、後にこれはガセだと判明する。これを当時の小泉内閣は支持し後方支援を行ったのはご存知の通り。
イラク戦争に関しては多くの専門学者が大きな混乱を引き起こすと警告していた。強権的な手法はあったにせよ、とにかくサダム・フセインはイラク国内を束ねていたのは確かなのだ。
イスラム諸国に行ってみると分かるが、フセインは善政を敷いた優れた指導者と評価されている。私はイラク開戦の3カ月前にイランを訪問したが、かつてのイラン/イラク戦争で痛い目にあった仇敵フセイン大統領(当時)であるにも拘らず、現地ガイドは彼の身の上を真剣に心配していた。
イラク国内を破壊し多くの市民を犠牲にしフセインを処刑した結果はどうなったか。アルカイダやIS(いわゆる「イスラム国」)と言われる過激派が勢力を伸ばし、今や世界各国にその影響を及ぼしている。しかし、こうした結果について米国政府も、それに追随した日本政府も未だに誤りを認めようとしない。
リビアも同様なことがいえる。以前リビアに訪れた時の印象では社会保障は充実しているし治安も良かった。経済状態も安定していて、EU加盟校であるマルタ共和国から多数の人が出稼ぎに来ていたほどだ。大佐が国の首脳なんておかしいなどと言われていたが大きなお世話である。カダフィを殺害してからのリビアの混乱を見れば分かる。
欧米型の民主主義国家(私たちもこの一員だが)の物差しでイスラム国家の良し悪しを測ろうとしてもどだい無理な話なのだ。
昨年末、安倍首相が中東を訪問しこの地域との友好関係を築くと語っていたが、別に安倍が行かずとも元々中東地域は親日だった。むしろ安倍がイスラエル首脳と並んでテロとの戦いを宣言したことが大きな問題だ。イスラエルにとってテロリストとはパレスチナの人々を指す。イスラエルの度重なるパレスチナ攻撃はイスラム諸国の怒りをかっている。あまりの蛮行に欧州の国々も距離を置いているほどだ。我が国の首相はそうした国際感覚も欠如しているようだ。
いま政府は人質事件の検証を行うようだが、それならイラク戦争への対応まで遡らねばなるまい。

その安倍政権であるが、この政権が目指すものを一口にいえば「戦争が出来る国から戦争をする国への転換」という事になろう。今は憲法の制約があるが、いずれ改憲により9条を改正し国軍を持つというのが最終目標だ。
一方で、経済政策上は新自由主義的傾向が強い。グローバル化や改革の名のもとに日本が過去に築いてきた諸制度を破壊しようとしている。安倍首相の衣の下の鎧に早く気付かねばならない。

13日にドイツのドレスデンで式典が行われた。第二次大戦末期の1945年2月に英米軍がドレスデンを無差別爆撃し、街の85%を破壊し多くの市民の犠牲を出した。今年はこの爆撃の70周年にあたる。
式典ではドイツのガウク大統領が演説し、この中で「我々は誰が戦争を始めたかを知っている。ドイツの犠牲者に思いを寄せる時も、ドイツの侵攻で命を落とした人たちのことを忘れてはならない」と語った。自国の加害責任にも目をそらせていない。
今の日本の首脳でこうした事を語れる人間は皆無だ。またこういう演説を行えば袋叩きに遭いかねない空気が存在している事も否定できない。
日本の政治は憂慮すべき状況にある。

グダグダと書いてきたが、未だしばらくはブログを続ける心算なので、宜しかったらお付き合いください。

管理人敬白

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2015/02/14

「西のかい枝・東の兼好」(2015/2/13)

第21回にぎわい倶楽部「西のかい枝・東の兼好」
日時:2015年2月13日(金)19時
会場:横浜にぎわい座
<  番組  >
前座・三遊亭けん玉『十徳』
桂かい枝『代書』*
三遊亭兼好『干物箱』*
~仲入り~
三遊亭兼好『初音の鼓』
桂かい枝『胴乱の幸助』
(*ネタ出し)

かい枝『代書』、マクラで得意の英語落語のことをネタに。いま米国のビザを取得するのは手続きが面倒になっているようだ。先ず書類を提出した後に指定日に大使館や領事館に出向き係官とインタビューせなばならないとのこと。ここである程度英語の会話力が試されるらしい。「どういう目的でアメリカに行くのか?」という質問に「日本の伝統芸能である『落語』をアメリカに紹介したい」。「その『落語』とはどういうものか?」と訊かれたので小咄を演った。周囲の係官も集まってきて、サルの交通事故の小咄を1席演じたら大受け。その結果「あなたにはビザを発行しない」と言われ驚いて聞き返すと「ジョークよ」。なんだ、向こうの方が面白かった。かい枝の英語落語は中学の教科書にも載せてるほどだから本格的だ。
演目に入って、この噺は代書屋と無筆の男二人だけの会話で成り立っていて、その珍妙なセリフと「間」だけで聴かせる噺だ。現役では当代の春団治がベスト。かい枝の高座はこの「間」の取り方が巧みで面白く聴かせていた。男の名前は伊藤博文として、賞罰はと訊かれると「天皇賞を取りました」と答える。履歴書が完成したところで、男は代書屋に差し出し、ここに勤めたいと申し出てサゲ。48歳で字が書けないとなると就職は難しいのだろう。

兼好『干物箱』、マクラで大阪出身で群馬の大学を出たというかい枝の経歴をイジッてネタに入る。
兼好が描く若旦那とその声色が得意という貸本屋の善公の人物像が同質なのだ。二人を演じ分けられてない。あと、大旦那が若旦那に扮した善公に「定吉の具合はどうか?」と訊く場面があったが、二階に謹慎していた若旦那に大旦那が奉公人について訊ねるのは不自然だろう。
全体として、あまり感心しなかった。

兼好『初音の鼓』、歌舞伎の「義経千本櫻」の内「狐忠信」のパロディで、鼓(偽物)を打つと傍にいる人間が狐に化けて「コン」と返事するというもの。軽い噺だが近ごろは演じ手が少なく、得意にしている兼好の軽さ明るさが活きた高座になっていた。殿様と三太夫、道具屋が皆仲良しでお互いウソと知りながら遊んでいる風情があって良く出来た噺だ。

かい枝『胴乱の幸助』、このネタは前半と後半がはっきり分かれていて、双方は全く関係が無い。前半で二人の男がただ酒にありつきたくて幸助の前で偽の喧嘩をする場面で、二人と幸助それぞれの性格付けがしっかり出来ている。特に幸助の一本気な性格が明瞭に示されている所が後半につながる。
後半は浄瑠璃の『桂川連理柵(かつらがわ れんりのしがらみ』、商家の娘・お半と近所の商家主人・帯屋長右衛門が不倫の果てに心中する悲劇を主題としたもので、俗に『お半長右衛門』略して『お半長』と呼ばれているが、これのパロディだ。幸助が浄瑠璃の稽古屋でたまたま『帯屋』の段、長右衛門の継母・おとせが、長右衛門の妻・お絹をいびる場面の稽古を聴いて早とちりをして、京都の帯屋に出向き仲裁を申し出る。かい枝の高座は、稽古屋の師匠と幸助、あるいは帯屋の番頭と幸助との珍妙なヤリトリ、登場人物の演じ分け、会話の「間」が巧みで、ここ数年聴いたこのネタでは出色の高座だった。
この人は上手い。
それにしても『お半長』といえば子供でも知っていたと言うから、いかに当時の上方の文化水準が高かったかだ。
そういう浄瑠璃の良さも理解出来ず、補助金を打ち切るなんていう人間が市長をしている現代とはエライ違いだ。

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2015/02/11

「ネタ出し」の変更はカンベンしてよ(2015/2/10)

「昔昔亭桃太郎落語会~千早振る~」
日時:2015年2月10日(火)18:45
会場:日本橋劇場
<  番組  >
前座・柳亭市助『真田小僧』
入船亭小辰『不動坊』
三笑亭夢吉『ぜんざい公社』
春風亭一之輔『寝床』
~仲入り~
昔昔亭桃太郎『千早振る』

この会は桃太郎の十八番を若手3人が演じ、桃太郎自身は『千早振る』をネタおろしするという企画。
先ず初めに苦言を呈したい。
それは一之輔の演目が事前に『お見立て』とネタ出しされていたのが、当日になって『寝床』に変更になっていたことだ。実はこの一之輔『お見立て』を聴くために足を運んだので、この変更は拍子抜けだった。『お見立て』は志ん朝が亡くなってから満足すべき高座にお目にかかっていない。これを一之輔がどう演じるのか楽しみにしていたのだ。『寝床』と分かっていたら行かなかっただろう。
さらに言えば、ネタの変更について一之輔から釈明が無かったのは納得できない。理由が本人なのか主催者との手違いなのかは不明だが、観客に対しては変更の理由について説明があって然るべきだ。
この会の主催は「オフィスエムズ」で常に客を大切にし良心的な運営をしている会社だけに残念である。

小辰『不動坊』、「桃太郎古典への道」の第3作目にあたるそうだ。上方のネタを3代目小さんが東京に移植したもので、5代目小さんが十八番にしていた。9代目文治も持ちネタにしていたが、お滝さんの夫が講釈師ではなく亡くなったのも函館など細部が異なるのと、後半の幽霊話はカットしていた。小辰の高座もほぼ小さんの演出に沿ったものだ。吉公が湯船の中で妄想する場面は結構弾けていた。湯船の中で他の3人の独り者の悪口を言うシーンをカットし、その内容は3人が集まった時に徳さんの方から話すという演り方はすっきりして良い。3人と幽霊役の万年前座(ってどういう噺家なんだろう?)が屋根に上がってからのヤリトリは少しダレていて、もうちょっと刈り込んだ方が良いと思った。
全体としては良い出来だったと思う。

夢吉『ぜんざい公社』、この日ただ一人新作を掛けた。もっとも新作とはいえ元は戦前に上方で作られたものだから中古作かな。東京でも多くの噺家が手掛けているが、やはり独特のリズム感で演じられる桃太郎がベストだろう。夢吉によると当初の主催者からのリクエストは『勘定板』だったそうだが、あまりに短いのでこのネタに変えたとのこと。
夢吉の高座は終始ハイテンションで全身を使っての熱演。いよいよ今年は師匠の名跡・夢丸を継ぎ真打に昇進する夢吉、披露公演には必ず行きますよ。

一之輔『寝床』、私見だが、この噺のキモは、義太夫好きな旦那の上機嫌-不機嫌-怒り-キレル-寝込む-機嫌直し-上機嫌-不機嫌という気分変化をいかに表現するかに尽きる。この点でいけば8代目文楽にとどめをさす。特に伏せていた旦那が番頭に説得されて徐々に機嫌を直して行く過程の表現は他者の追随を許さない。この噺に笑いの要素を大きく持ち込んだのが志ん生で、その双方の長所を巧みに結び合わせてまとめたのが志ん朝の高座だったと思う。現役の噺家が志ん朝の型をベースにしているのは肯ける。
さて一之輔の高座だが、肝心の旦那の気分変化の描き方が雑に思えた。旦那の機嫌直しに三毛猫を登場させたのはアイディアではあるが、作り過ぎの感が強くこの噺の良さを壊していたと思う。会場は受けていたが、一之輔の実力からすれば満足のいく高座だったとは言い難い。

桃太郎『千早振る』、落語家で一番難しいのは師弟関係だというマクラからネタへ。これはサラリーマンだって一緒で、一番苦労するのが上司との関係だ。いずこも同じ秋の夕暮。
通常の古典を演じた後、果たしてこの解説が子どもに分かるかという疑問を投げつける。そうだよな、この父親は家に戻ってから娘に「相撲取りの竜田川が花魁の千早太夫に振られて・・・」なんて解説できないでしょう。この古典は間違っているとツッコミを入れて、ここから独自の解説が始まる。
豊島区の千早町にある団地に住んでいた三遊亭白鳥が女に振られ・・・、なんて話からこの歌を解説するのだが、よく考えればこっちも子どもに話せる内容じゃない。
チラシには「本寸法」という触れこみだったが、終わってみればヤッパリ桃太郎流。

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2015/02/10

東西俊英の競演「吉坊・一之輔」(2015/2/9)

第4回「吉坊・一之輔 二人会」
日時:2015年2月9日(月)19時
会場:日本橋劇場
<  番組  >
前座・柳家圭花『一目上り』
春風亭一之輔『初天神』
桂吉坊『猫の忠信』
~仲入り~
桂吉坊『厄祓い』
春風亭一之輔『井戸の茶碗』

冷え込みの厳しかった9日、「吉坊・一之輔 二人会」へ。サブタイトルに「東西若手注目株が・・・」とあるが、吉坊については上方落語界でどういう位置にいるか知らないが、一之輔については今や「若手注目株」という表現は当るまい。高座姿でみるとベテランの域に達していると言っても可笑しくない。そこで当方のサブタイトルは「東西俊英」とした。
吉坊が吉朝門下であれば一之輔は一朝門下と、ともに優れた師匠を頂いている。
お目当ての吉坊は数年前に一度聴いているが、その時は開口一番で出ていたのであまり印象にない。従って実質今回が初といってよい。一之輔より3年年下だが入門は2年早く吉坊の方が先輩になる。

この会に限った事ではないが、毎度感じるのはこうした落語会に前座を出演させる意味がどこにあるんだろうか。この日も仲入り後の時間が押していて、後半は演者がかなり急いていた。観客はこの二人の高座を聴きに来ているのであって、それなら前座をカットして二人の口演時間を確保すべきだろう。
前にも書いた事だが、一昔前の歌手のコンサートは先ず司会者が出てきて何かしゃべり、次いで前座歌手というのが出て、それから本人が歌うというスタイルだった。ここ数年に何度か行ったコンサートではいわゆる前座歌手というのはお目にかかった事がない。
落語会だけが依然として旧態を引きずっているようで、改善すべきではなかろうか。

一之輔『初天神』、冒頭でネタが分かったようで客席から笑いが漏れていたが、一之輔ファンにとっては毎度お馴染みのネタだ。金坊はさらにパワーアップしており、飴を買ってくれと土下座までする。串団子をねだる時は「買ってくれないとお父さんを嫌いになっちゃう」と脅す。父親が無視して横を向いて口笛を吹いていると、周囲に「人さらいです!」と騒ぎ立てる。
こんな子どもを持った日にゃ手が付けられないね。

吉坊『猫の忠信』、東京では『猫忠』というタイトルで演じられるが筋はほぼ同じ。若い美人の義太夫の師匠の元へ通う男たち、芸はどうでも何とか師匠をモノにしたいという下心。六さんからその師匠が常吉といい仲になっていると聞かされた次郎吉。早速師匠の家に行って座敷を覗くと、師匠と常吉が並んで「温い造り(刺身を常吉がいっぺん口に入れてから師匠に口移しで食べさせる)」の真っ最中。怒った次郎吉は常吉の家に向かい、嫉妬深い女房に告げ口をする。処が肝心の常吉は奥で休んでいて却って叱られる。引っ込みがつかなくなった次郎吉は女房を連れて師匠の座敷を覗かせると、間違いなくそこには常吉と師匠が並んで「温い造り」をしていた。家に戻って二人がそのことを常吉に告げると、それはきっと魔性のものだと断じ、今度は常吉と次郎吉の二人が師匠の家に行く。次郎吉が二人の座敷に入ってそこにいた常吉から盃を貰うフリをして腕を掴むと、指先が割れていない。妖怪であることが分かって本物の常吉が打ち据えると、ついに正体を現す。それは猫の化物で、師匠が持っている三味線がその猫の両親の皮で作られていると言う。「わたくしはあの三味線の子でございます」と泣く。
「兄貴、今度のおさらいは『千本桜』の掛け合いだろう。狐忠信てのはあるが、猫がただ酒をのんだから、猫がただのむ(=猫の忠信)だ。あっしが駿河屋次郎吉で駿河の次郎。兄貴が吉野屋の常さんで吉常(義経)。千本桜ができたね」
「肝心の静御前がいねえ」
「師匠の名が静だから静御前」
師匠が「あたしみたいな者に、静御前が似合うかね」と言うと、
傍で猫が「にゃあう(似合う)」。
吉坊の高座は登場人物である次郎吉、吉野屋の常吉、常吉の女房、六さん、稽古屋のお静、そして化け猫とそれぞれの造形がしっかり出来ており、特に常吉の兄貴分らしい貫録と、一度は嫉妬に狂いながら冷静さを取り戻して針仕事を続ける女房の健気さが丁寧に演じられていた。猫の所作やセリフも芝居がかりになっていて吉坊の力量を十分に示していた。欲をいえば師匠にもっと色気が欲しかった。

吉坊『厄祓い』、手元にある大師匠・米朝のCDに比べるとかなりの短縮版になっていた。時間が無くて急いたのか、あるいはこれが吉坊の演出なのかは分からないが、余計な部分を削ぎ落していて私にはむしろこちらの方が面白く感じた。
甚兵衛さんから無理やりに厄祓いをさせられたアホな男と、厄祓いを頼んだ店の番頭との掛け合いが楽しく、当時の節分の雰囲気がよく出ていたように思う。
こういう軽い噺も吉坊は上手い。

一之輔『井戸の茶碗』、こちらも時間が急いていたのか、かなり端折った高座になっていた。ただこの噺は、この日に一之輔が演じた様に軽く飛ばした方が正解だと思う。演者によっては人情噺風にみっちり演るケースもあるが感心しない。それでも手裏剣だの鎖鎌だのが出てきて、ここら辺りは一之輔らしさが発揮されていた。最後に千代田卜斎の娘を高木作左衛門に嫁がせたらと屑屋が提案すると、傍にいた娘が頬を赤らめるというのは独自の演出か。
最近の一之輔の高座を見ていると、緩急の付け方が巧みになってきたなという印象を受ける。最初にベテランの領域にウンヌンと書いたのは、この事を指す。

一之輔に感心し、お目当ての吉坊の高座には満足した。

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2015/02/08

名詩の超訳

昨日はよみうり大手町ホールでの「桃月庵白酒独演会」に行く予定が野暮用で行かれず、娘に譲ってしまった。夕方娘から「すごく良かったわよ」という電話があった。1月に「桂文枝独演会」を自分で観に行って(よせばいいのに)ガッカリしてきた気分を取り返したようだ。『明烏』『芝浜』『不動坊』と後タイトルが分からなかったのを加えて4席演じたそうだが、全て良かったと言っていた。初めて聴いた白酒にすっかり感心し「将来は人間国宝かもね」と言うから、「品が無いからムリだろう」と答えてやった。

名詩の超訳としては、「サヨナラダケガ人生ダ」で夙に知られる漢詩「勧酒」の井伏鱒二訳が有名だが、同じ井伏の訳で高適の「田家春望」の名訳もある。田舎の春景色を詠ったもので立春を過ぎたこの季節にピッタリだと思う。

出門何所見
春色満平蕪
可嘆無知己
高陽一酒徒

読み下し文ではこうなる。

門を出て何の見る所ぞ
春色 平蕪に満つ
歎んず可し知己無なきを
高陽の一酒徒
(平蕪:雑草の生い茂った平地、高陽:河北省保定県内の地名、酒徒:飲んだくれ)

井伏鱒二の超訳ではこうなる。

ウチヲデテミリャアテドモナイガ
正月キブンガドコニモミエタ
トコロガ会ヒタイヒトモナク
アサガヤアタリデオホザケノンダ

「高陽の一酒徒」を「阿佐ヶ谷あたりで大酒飲んだ」とは大胆な訳だが、何となく気分は分かる。

月刊誌「図書」2015年1月号に池澤夏樹の「詩人の中のいちばんの悪党」という文章が掲載されているが、この中でフランソワ・ヴィヨンの「老婆が その青春の月日の去ったのを 惜しんで」という詩を、鈴木信太郎が訳したものを紹介している。美人が老いての嘆きを詠ったものとされる。原文は不明だが訳詩は次の通り。

すんなりとした優雅な撫(なで)肩(かた)
あの長い腕、可愛らしい手
乳房は小さく 臀(ゐさらひ)は豊かな肉附
盛上り、座りがよろしく、恋愛の
晴の勝負の道場に相応(ふさ)うた舞台
あの広い腰、がつしりとした
太腿の上に座った、小庭の奥の
筑紫つび、今はどうなってゐるか

この訳文もたいそう粋だが、その鈴木信太郎が「あまりに見事」と評した訳がある。
それはこの詩を「卒塔婆小町」と題して矢野目源一が訳したものだ。

さては優しい首すじの
肩へ流れてすんなりと
伸びた二の腕 手の白さ
可愛い乳房と撫でられる
むっちりとした餅肌は
腰のまわりの肥り膩(じし)
床上手とは誰(た)が眼にも
ふともも町の角屋敷
こんもり茂った植(うえ)込(ごみ)に
弁天様が鎮座まします

確かに見事な超訳だが、最後の3行はまるで艶笑落語に出てきそうだ。

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2015/02/06

#28『四人廻しの会』(2015/2/5)

第28回『四人廻しの会』
日時:2015年2月5日(木)19時
会場:日暮里サニーホール コンサートサロン
【   番組   】
前座・入船亭ゆう京『二人旅』
柳家三三『十徳』
桃月庵白酒『干物箱』
~仲入り~
三遊亭萬窓『花見小僧』
入船亭扇好『心眼』
(前座以外はネタ出し)

落語会といっても様々な形式がある。1000人を超えるようなホールを使いピアなどプレイガイドでチケットを販売するような大規模な会から、観客が10名程度の小規模のものまである。新聞広告を打つ会もあれば、チラシも作らず宣伝もしない(東京かわら版にも掲載しない)会もある。
この『四人廻しの会』もネットで偶然に見て申し込んだもので、知らない人も多いのだろう。会場は折り畳み椅子が100脚ほどの規模で、常連さんが多いとお見受けした。
チケットの申し込みは指定の携帯番号にかけると留守電になっていて、伝言を入れておくと会の事務局から後日こちらに確認の電話があって申し込みが成立するという、まるで秘密クラブの様なシステムだ。
積雪という天気予報だったが雪はちらつく程度で終日雨模様だった。
日暮里といえばかつて志ん生の住まいがあり、ということは馬生と志ん朝兄弟の生誕の地でもあるわけだ。黒門町と柏木と並び聖地ですね。

前座のゆう京『二人旅』、しゃべりの内容からテンポ、間の取り方まで5代目小さんの高座通り。後から三三が年寄りみたいだとイジッテいたが、今の時期に基本を磨いておけば必ず将来には役に立つ。今年二ツ目に昇進するようだが、師匠に倣って楷書の芸に進んで欲しい。

三三『十徳』、このネタも近ごろはあまり高座に掛からなくなっていた。着物の名称ととサゲが分かり難くなったせいか。
隠居が着ている着物の名前が分からず恥をかいた男が隠居を訪ねると、名称は「十徳」だという。謂れはと訊くと、「立てば衣のごとく、座れば羽織のごとく、ごとくごとくで十徳だ」と説明される。そうか足し算すれば良いのかと男は仲間の元へ戻り「十徳」の謂れを語るが、これがトンチンカン。
「ええと、立てば衣のようだ、座れば羽織のようだ、ヨウだヨウだで、やだ。可笑しいな?」
「そうじゃねえ、立てば衣みてえ、座れば羽織みてえ、みてえみてえでむてえ。ってなんで数が減ってくんだよ。」
「違った、立てば衣に似たり、座れば羽織に似たり、ニタリニタリで、うーん、これはしたり」
ダジャレの連続の軽い噺だが、それだけ演者に力量が求められるといえる。三三の高座は男と隠居、男と仲間たちとの会話の「間」が絶妙で、面白く聴かせた。やはりこの人は上手い。

白酒『干物箱』、マクラで、喫茶店では本来は他人に知られたくない話が不用心に語られていると言っていたが、私もそういうのを耳にした事がある。まさに壁に耳ありで不特定多数の人が集まる場所では注意が肝心。
名人文楽の十八番だったが、いくつか演り方がある。白酒の高座で文楽との違いは外出した若旦那が医者に出会って彼の助言で善公が若旦那の声色が上手いと教えられる箇所と、吉原に向かう若旦那に善公が馴染みの女に宜しくと言づける場面が無いことと、二階に上がった善公が抽斗から花魁から若旦那に宛てた手紙を見つけ自分の悪口が書かれているので怒り出す場面が無いこと等だ。
白酒の高座は大旦那と善公の会話のすれ違いを中心にして面白く仕上げていた。善公が次第に追い詰められていく様子が上手く描かれていた。

萬窓『花見小僧』、お花見時期になると『長屋の花見』や『花見の仇討』は頻繁に高座に掛けられるが、近頃はこの『花見小僧』や『花見酒』を聴く機会が少ないのは残念だ。特に『花見小僧』は向島の花見の情景が描かれていて価値が高いと思う。
大旦那にお灸をすえると脅されて小僧が、花見で一緒に行った一人娘のおせつと手代の徳三郎が深い仲になっている様子を小出しで喋らされる場面が丁寧に描かれていた。小僧は最初は嫌々ながらだが、次第に乗って来て語り出す。他人のスキャンダルというものは楽しいのだ。一方の大旦那の方は不安が次第に怒りに変わって行く。こうした過程も萬窓は上手に描いていた。
この人は実力の割に人気が付いていっていない印象だ。芸風が地味だからかな。もっと評価されても良い。

扇好『心眼』、こちらも黒門町の十八番。作品の完成度が高いせいか、誰が演じても文楽の高座通りになっている。扇好の高座も文楽を忠実になぞっていて、セリフや動作の細かい部分に至るまで神経が行き届いていた。
高座の評とは外れるが、最後の有名なサゲで「目が見えねえてえなあ、妙なものだ。寝ているうちだけ、よォく見える」と梅喜が呟く。この「よォく見えた」ものは、自分が密かに抱いていた欲望の浅ましさなのだろう。数ある落語のネタの中でも、これほど人間心理に深く踏み込んだものは少ない。

外の寒さを吹き飛ばすような熱演が続き、まことに結構な会だった。
こういう噺を小さな会場で聴くと、贅沢感が味わえる。

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2015/02/05

『ニュールンベルグ裁判[DVD]』はヤッパリ素晴らしい

先日『ハンナ・アーレント』を見てから『ニュールンベルグ裁判』の映画を思い出しDVDを注文した。
この映画は1961年に日本でも公開され大きな反響を呼んだ。私は劇場公開時点では見ていなかったが、その後に名画座でリバイバル上映されて時に見て感動したものだ。
監督は社会派の巨匠・スタンリー・クレイマーで、出演者はスペンサー・トレイシーを始めとした当時の20世紀FOXのオールスターキャストが顔を揃えた大作だった。
およそ半世紀ぶりにDVDで見たが当時の感動が蘇ってきた。それほど素晴らしい名画だ。
ストーリーは以下のように展開していく。

1945年にナチスが倒れドイツが降伏すると、ドイツは米ソ英仏の4カ国による分割統治となる。それぞれの地域でナチスの高官や軍人、あるいは協力した人たちに対する裁判が行われた。この点は連合国による裁判となった「東京裁判」とは事情が異なる。
米軍の軍政下にあったニュールンベルグではアメリカによる裁判が行われたが、この映画ではそのうちの裁判官に対する裁判を扱っている。
彼らの罪状はドイツ国の法律を無視し、ユダヤ人や反ナチスの活動家に対してナチスの意向に沿った不当な判決を下し、その結果罪の無い人々が処刑されたというものだ。
裁判長は米国の地方判事であるダン・ヘイウッド(スペンサー・トレイシー)で、検事は米軍将校のローソン大佐(リチャード・ウィドマーク)、弁護人はドイツ人のハンス・ロルフ(マクシミリアン・シェル)。一方の被告はエルンスト・ヤニング(バート・ランカスター)を始めとする4人の法律家(裁判官)である。

検察側は当時の記録から罪を告発するが、弁護人は証拠を求める。
そこで証人として、父親が共産党員だったからという理由で裁判で断種手術を命じられた男性ルドルフ・ピーターセン(モンゴメリー・クリフト)が証言台に立つ。これに対して弁護側はこの男性が精神科の治療を受けていたことを挙げ、戦前のドイツでは精神異常者に対しては断種手術が認められていたと反論する。
次に、被告のヤニング裁判官による不当な判決により少女時代にユダヤ人家主と親しかったという理由だけで本人は2年間収監され、相手は死刑に処せられたという主婦イレーネ・ホフマン・ウォルナー(ジュディ・ガーランド)が法廷に立つ。しかし弁護人はこのユダヤ人家主に清掃婦をして雇われていた女性に証言させ、少女と家主が不適切な関係にあった事を暗示させる証言を引き出す。
とにかくこのドイツ人弁護人は精力的かつ優秀で、検察の主張と真っ向から対立する。
状況が不利とみた検察側は、法廷で強制収容所でのユダヤ人大量虐殺のフィルムを上映し被告らを糾弾する。
ここで被告のヤニングが自ら証言台に立つことを申し出て、ユダヤ人家主と少女の裁判ではナチスの意向に沿って最初から結論が決まっていたと述べる。ユダヤ人虐殺についてもうすうす感づいていたが詳細を知ることを恐れていた。結果としてヒトラーに協力していたわけで自分は有罪だと主張する。

これに対して弁護人はこう反論する。
人道上の点が問題になるなら米国の原爆投下により数十万人の人が殺害されたことはどうなのかと。
ヒトラーに対する協力が罪であるなら、ヒトラーの意志を知りながら不可侵条約を結んだソ連の罪は? ヒトラーを偉大な指導者と呼んだ英国のチャーチル首相の罪は? そのナチスドイツに武器を売り利益を上げていたアメリカの経営者たちの罪は? どこが違うのかと迫る。
この弁護人の迫力は画面を通してこちらに伝わって来る。この役を演じたマクシミリアン・シェルはアカデミー賞主演男優賞を受けるが、それも当然と思える熱演だ。
それ以上に驚くのは、1960年という冷戦真っ最中の時期に、米国による原爆投下や米国企業のナチスへの武器の販売という事実を告発している点だ。アメリカ映画人の良心を見る思いだ。

こうした法廷内のヤリトリとは別の動きがこの裁判に次第に影を落とす。それは米ソの冷戦が開始されてことだ。ドイツを米ソどちらが取るかは今後のヨーロッパの運命を決めかねない。米国としてはここでドイツ国民を敵に回したくない。その為には裁判の判決を出来るだけ穏便に済ませたい。そうした圧力が裁判官や検察側に対し日に日に増してくる。
そして判決。裁判長は正義と真実と人命の重さに基づき、4名の被告全員に有罪、終身刑の判決を下す。
しかし映画のエンディングで、ニュールンベルグ裁判で有罪判決を受けた人間で、現在(1960年時点)収監されている者は一人もいない事が明かされる。
この裁判の結果とその後の結末をどう捉えるかは、観客ひとりひとりが判断することになる。

この映画は卓越したストーリー展開や息詰まる法廷シーンの他に、様々な趣向が凝らされている。
例えばドイツ軍将校(捕虜虐待の罪で既に絞首刑になっている)夫人としてマレーネ・ディートリッヒが登場するが、彼女は大戦中は祖国ドイツから売国奴呼ばわりされながら、ドイツを戦う連合軍の慰問に専念していた。まさに正反対の役どころを務めている。
モンゴメリー・クリフとは一時期ハリウッドを代表するような二枚目俳優だったにも拘らずアルコールやドラッグ中毒で事故を起こし、その美貌まで奪われていった。本作では精神障害を負っている男性を演じている。
少女俳優として一世を風靡したジュディ・ガーランドだったが、その後はアルコール中毒もあって不幸な私生活を送り、かつての栄光を失った女優だ。その彼女に少女時代に年配の男性と不適切な関係を疑わせる役を演じさせている。
こうした「楽屋落ち」風なキャスティングの妙も、この映画の楽しみ方の一つである。

さて省みて我が国の「東京裁判」はどうだっただろうか。あの裁判は結局、国体護持(天皇制の維持)を目指した日本政府と、天皇を利用して(通して)占領を円滑にし日本を支配しようとした米国政府との妥協の産物であり、そのための政治ショーだったと思う。
ただ裁判を通して明らかにされたいくつかの重要な事実は戦前の国民には知る由もなかったもので、そういう意味では意義のある裁判だったと言える。

それやこれやで、この映画を未だ見ていないという方には是非お薦めしたい名作である。

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2015/02/03

『ハンナ・アーレント[DVD]』をみて考えたこと

『ハンナ・アーレント』
監督: マルガレーテ・フォン・トロッタ
出演: バルバラ・スコヴァ, アクセル・ミルベルク, ジャネット・マクティア, ユリア・イェンチ, ウルリッヒ・ノエテン
(2013年10月岩波ホールで上映、2014年8月DVD化。)

ハンナ・アーレント(Hannah Arendt, 1906年10月14日 - 1975年12月4日)は、ドイツ出身のアメリカ合衆国の哲学者、思想家。主に政治哲学の分野で活躍した。
ドイツでナチスによるユダヤ人迫害が起きフランスに亡命、フランスがドイツに降伏しユダヤ人への迫害に協力するようになりアメリカに亡命する。
映画では彼女の生涯を描かず、アイヒマン裁判を傍聴し、その記事を雑誌に発表して大論争に巻き込まれるまでの間を描いている。

アドルフ・アイヒマンはナチスのユダヤ人追放のスペシャリスト、ドイツが降伏するまでユダヤ人移送の最高責任者だった。その後、バチカン発行のビザでアルゼンチンへ逃亡、1960年にイスラエル諜報部に拉致されイスラエルで裁判にかけられ、1962年に絞首刑に処せられた。この裁判は日本でも大きな話題となり、私の記憶にも残っている。
多くのユダヤ人からすればアイヒマンは数百万人のユダヤ人を虐殺した悪魔のような人間を想像していたが、ハンナが法廷で見た男はごく平凡な男で、ユダヤ人迫害や移送についても信念からではなく上からの命令で実行してきたと答弁していた。
ハンナはこの事実をニューヨーカー誌に連載記事として載せた。タイトルは『イェルサレムのアイヒマン』。この記事でハンナはさらに、ユダヤ人自治組織(ユダヤ人評議会)がユダヤ人移送に手を貸していた事実も書き、内外のユダヤ人から激しい攻撃を受ける。映画の中では彼女が脅迫を受けたり、永年の友人たちが彼女と絶交して行き、大学からは教授を辞めるよう迫られる様子が描かれている。

しかしハンナは怯まなかった。
彼女が提起した「悪の凡庸さ」とは、悪は狂信者や変質者から生まれるのではなく、普通に生きていると思い込んでいる凡庸な一般人によって引き起こされるような事態を指している。アイヒマンのような小役人が思考を停止し、上からの命令に無条件に従う官僚組織の歯車になることで、ホロコーストのような巨悪に加担してしまうのだと彼女は主張した。
映画のクライマックスでハンナは聴衆を前にしてこう講義する。「考えないことが一番の悪だ。この悪は我々ひとりひとりの中にもいる。それこそが悪の凡庸さだ」と。

映画は冒頭でハンナの夫の不倫について友人と語るシーンから始まり、ハンナの回想シーンでは一転して若き日の彼女が哲学者ハイデッカーと不倫していたことが明らかにされる。
同胞や友人からの非難や抽象に傷つきながらも、夫の支えで生き続けられる等身大の女性として描かれていて、それだけらこそ最終シーンでの彼女の演説に心打たれるのだ。

自分たちの過去の誤りを率直に認めたり語ったりすると周囲からパッシングを受けるというのは、今の日本でも日常的に起きている。
思考を停止し、上からの指示や命令に従い時流に流されていけば、いずれ人間は残酷な事でも平気で行うようになるという「悪の凡庸さ」は、現在の私たちへの大きな警告と捉えるべきだろう。

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2015/02/01

2015年1月アクセス数ランキング

2月1日未明にイスラム過激派組織「イスラム国」(IS)とみられる犯行グループが、後藤健二さんを殺害したとする動画が配信された。強い怒りを感じると共にご家族の気持ちを思うと胸が痛む。
今回の日本人人質事件は湯川遥菜さんに続き、後藤健二さんも殺害されるという最悪の結末を迎えてしまった。
今回の事件の発端は、湯川遥菜さんが民間軍事会社を立ち上げシリアに渡航したことに始まる。やがてISに捕えられ人質とされた。このことは昨年の夏の段階で政府は掌握していたにも拘らず手をこまねいているうちに、ジャーナリストである後藤健二さんが単身で救出に向かい彼もまたISに人質にされてしまう。この事実もまた政府は早くから把握していた。そして安倍首相の中東歴訪で例の「2億ドル支援」の表明があり、今回の事件とその結果につながったと見られる。安倍首相は支援はあくまで難民保護など人道的なものだと力説するが、これがイスラム諸国にどの程度まで伝わっていたのか疑問である。
こうした経緯を分析、検証して、どこに問題があったのかを明らかにすることが今後求められる。少なくとも今度は自衛隊を派遣して、といった様な短絡的な議論は避けるべきだろう。

さて、1月のアクセス数のTOP10は以下の通り。

1 鈴本演芸場二之席・夜(2015/1/13)
2 鈴本演芸場二之席・昼(2015/1/20)
3 【ツアーな人々】消えた添乗員
4 【ツアーな人々】当世海外買春事情
5 【街角で出会った美女】アルバニア編
6 NHKは「番宣」をやめろ
7 「雀々・菊之丞 二人会」(2015/1/22)
8 2014年「My演芸大賞」
9 桂文我の珍しい噺三席(2015/1/16)
10 四派の若手競演(2015/1/28)

10位までのうち寄席・落語会の記事が半数を占めた。
3,4位は常連で、なぜか当ブログのロングセラーになっている。
5位は1月にある民放TVでアルバニアを秘境と紹介した影響と見られる。TV番組の影響は大きい。
6位のNHKでの番宣批判については、紅白を中心として賛同される方が多かったようだ。NHKには公共放送の使命というものをもう一度考え直して欲しい。

この他、ランク外になったが、「古典芸能の入門書にも『桂吉坊がきく 藝』」「警察も検察もウソをつく!『殺人犯はそこにいる』」「スターリン粛清の背景をえぐる『スターリン秘史』」といった書評に予想以上のアクセスが集まった事は喜ばしい。

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