先日『ハンナ・アーレント』を見てから『ニュールンベルグ裁判』の映画を思い出しDVDを注文した。
この映画は1961年に日本でも公開され大きな反響を呼んだ。私は劇場公開時点では見ていなかったが、その後に名画座でリバイバル上映されて時に見て感動したものだ。
監督は社会派の巨匠・スタンリー・クレイマーで、出演者はスペンサー・トレイシーを始めとした当時の20世紀FOXのオールスターキャストが顔を揃えた大作だった。
およそ半世紀ぶりにDVDで見たが当時の感動が蘇ってきた。それほど素晴らしい名画だ。
ストーリーは以下のように展開していく。
1945年にナチスが倒れドイツが降伏すると、ドイツは米ソ英仏の4カ国による分割統治となる。それぞれの地域でナチスの高官や軍人、あるいは協力した人たちに対する裁判が行われた。この点は連合国による裁判となった「東京裁判」とは事情が異なる。
米軍の軍政下にあったニュールンベルグではアメリカによる裁判が行われたが、この映画ではそのうちの裁判官に対する裁判を扱っている。
彼らの罪状はドイツ国の法律を無視し、ユダヤ人や反ナチスの活動家に対してナチスの意向に沿った不当な判決を下し、その結果罪の無い人々が処刑されたというものだ。
裁判長は米国の地方判事であるダン・ヘイウッド(スペンサー・トレイシー)で、検事は米軍将校のローソン大佐(リチャード・ウィドマーク)、弁護人はドイツ人のハンス・ロルフ(マクシミリアン・シェル)。一方の被告はエルンスト・ヤニング(バート・ランカスター)を始めとする4人の法律家(裁判官)である。
検察側は当時の記録から罪を告発するが、弁護人は証拠を求める。
そこで証人として、父親が共産党員だったからという理由で裁判で断種手術を命じられた男性ルドルフ・ピーターセン(モンゴメリー・クリフト)が証言台に立つ。これに対して弁護側はこの男性が精神科の治療を受けていたことを挙げ、戦前のドイツでは精神異常者に対しては断種手術が認められていたと反論する。
次に、被告のヤニング裁判官による不当な判決により少女時代にユダヤ人家主と親しかったという理由だけで本人は2年間収監され、相手は死刑に処せられたという主婦イレーネ・ホフマン・ウォルナー(ジュディ・ガーランド)が法廷に立つ。しかし弁護人はこのユダヤ人家主に清掃婦をして雇われていた女性に証言させ、少女と家主が不適切な関係にあった事を暗示させる証言を引き出す。
とにかくこのドイツ人弁護人は精力的かつ優秀で、検察の主張と真っ向から対立する。
状況が不利とみた検察側は、法廷で強制収容所でのユダヤ人大量虐殺のフィルムを上映し被告らを糾弾する。
ここで被告のヤニングが自ら証言台に立つことを申し出て、ユダヤ人家主と少女の裁判ではナチスの意向に沿って最初から結論が決まっていたと述べる。ユダヤ人虐殺についてもうすうす感づいていたが詳細を知ることを恐れていた。結果としてヒトラーに協力していたわけで自分は有罪だと主張する。
これに対して弁護人はこう反論する。
人道上の点が問題になるなら米国の原爆投下により数十万人の人が殺害されたことはどうなのかと。
ヒトラーに対する協力が罪であるなら、ヒトラーの意志を知りながら不可侵条約を結んだソ連の罪は? ヒトラーを偉大な指導者と呼んだ英国のチャーチル首相の罪は? そのナチスドイツに武器を売り利益を上げていたアメリカの経営者たちの罪は? どこが違うのかと迫る。
この弁護人の迫力は画面を通してこちらに伝わって来る。この役を演じたマクシミリアン・シェルはアカデミー賞主演男優賞を受けるが、それも当然と思える熱演だ。
それ以上に驚くのは、1960年という冷戦真っ最中の時期に、米国による原爆投下や米国企業のナチスへの武器の販売という事実を告発している点だ。アメリカ映画人の良心を見る思いだ。
こうした法廷内のヤリトリとは別の動きがこの裁判に次第に影を落とす。それは米ソの冷戦が開始されてことだ。ドイツを米ソどちらが取るかは今後のヨーロッパの運命を決めかねない。米国としてはここでドイツ国民を敵に回したくない。その為には裁判の判決を出来るだけ穏便に済ませたい。そうした圧力が裁判官や検察側に対し日に日に増してくる。
そして判決。裁判長は正義と真実と人命の重さに基づき、4名の被告全員に有罪、終身刑の判決を下す。
しかし映画のエンディングで、ニュールンベルグ裁判で有罪判決を受けた人間で、現在(1960年時点)収監されている者は一人もいない事が明かされる。
この裁判の結果とその後の結末をどう捉えるかは、観客ひとりひとりが判断することになる。
この映画は卓越したストーリー展開や息詰まる法廷シーンの他に、様々な趣向が凝らされている。
例えばドイツ軍将校(捕虜虐待の罪で既に絞首刑になっている)夫人としてマレーネ・ディートリッヒが登場するが、彼女は大戦中は祖国ドイツから売国奴呼ばわりされながら、ドイツを戦う連合軍の慰問に専念していた。まさに正反対の役どころを務めている。
モンゴメリー・クリフとは一時期ハリウッドを代表するような二枚目俳優だったにも拘らずアルコールやドラッグ中毒で事故を起こし、その美貌まで奪われていった。本作では精神障害を負っている男性を演じている。
少女俳優として一世を風靡したジュディ・ガーランドだったが、その後はアルコール中毒もあって不幸な私生活を送り、かつての栄光を失った女優だ。その彼女に少女時代に年配の男性と不適切な関係を疑わせる役を演じさせている。
こうした「楽屋落ち」風なキャスティングの妙も、この映画の楽しみ方の一つである。
さて省みて我が国の「東京裁判」はどうだっただろうか。あの裁判は結局、国体護持(天皇制の維持)を目指した日本政府と、天皇を利用して(通して)占領を円滑にし日本を支配しようとした米国政府との妥協の産物であり、そのための政治ショーだったと思う。
ただ裁判を通して明らかにされたいくつかの重要な事実は戦前の国民には知る由もなかったもので、そういう意味では意義のある裁判だったと言える。
それやこれやで、この映画を未だ見ていないという方には是非お薦めしたい名作である。
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