« 2015年2月 | トップページ | 2015年4月 »

2015/03/31

【書評】スターリンとヒトラーとの同盟「強盗同士の領土分割」

不破哲三(著)『スターリン秘史―巨悪の成立と展開〈2〉転換・ヒトラーとの同盟へ』(新日本出版社2015/2/20初版)
Photo1939年8月23日にドイツとソ連の間に締結された「独ソ不可侵条約」は、犬猿の仲と思われていたヒトラーとスターリンが手を結んだこととして世界中に衝撃を与えた。
特に日本は、日独伊防共協定を結びドイツやイタリアと共にソ連に対峙していただけに衝撃は大きく、この年の1月に発足したばかりの平沼騏一郎内閣がこの報をきき、「欧州の天地は複雑怪奇」という声明を出して総辞職したほどだ。もっともこの条約で内閣が総辞職したなんて国は日本だけで、その外交音痴ぶりを天下に晒してしまったのだが。
不破哲三『スターリン秘史―巨悪の成立と展開』第2巻は、「粛清」という名の大テロルをソ連国内で行った巨悪スターリンの外交政策を論じたもので、前半はフランス人民戦線やスペイン内戦、中国の国共合作への介入をとりあげ、後半はナチス・ヒトラーとの同盟について論じている。
前半での特に中国抗日運動に関して、ソ連が国民党の蒋介石との間で秘密軍事協定を結ぼうとしていたという事実や、その関係からかスターリンが蒋介石にシンパシーを感じていて、中国共産党のやりかたに不満を抱いていたことなどが記されている。中ソの溝はこの当時から生じていたのだ。とにかくスターリンという男は自分の意に従うかどうかだけを判断基準にしていたフシがある。

本論のスターリンとヒトラーとの同盟についてだが、なぜ世界が驚いたのかといえばソ連は社会主義の国であり反ファシズムを掲げていた国として、ナチスドイツはファシズムの国であり反共産主義を掲げる国であるという見方が一般的だったからだ。しかしスターリンとヒトラーが「同じ穴の狢」と見ればこの両者が手を結んだとしてもなんの不思議もないわけだ。不破は「凶悪で貪欲な二人の強盗の政治同盟」と断じている。
当時のヨーロッパの状況を概説すると、イギリスやフランスのナチス宥和政策に乗じてドイツはオーストリアを併合し、次いでチェコスロヴァキアを支配下に置いていた。彼らの次のターゲットはポーランドだった。これに対して英仏ソ三国は対抗措置をとるべく協議を開始していた。ヒトラーとしては英仏は手を出しては来ないと見ていたが問題はソ連の動向だ。ポーランドはソ連と国境を接しており、歴史的結びつきからもソ連が軍事行動に打って出ることが予測されていた。

さて、本来対立すべき独ソが接近し始めたきっかけについて、本書ではこう見てる
スターリンが政敵を次々と処刑していった口実として使っていたのは「ドイツに内通したスパイ」であった。もちろん事実無根だったのだから本来ならドイツ側から抗議があって然るべきだが、実際にはそうした抗議は無かった。ソ連側からすればこれをドイツからのサインとして受け止めた。
一方、スターリンが赤軍の最高幹部たちを大量に処刑し、その結果軍部が大幅に弱体化していた。ヒトラーからすれば、当面ソ連はドイツとの軍事対決をする気は無いなと判断した。
独ソ両国の接近の口火を切ったのはドイツで、1938年にソ連から燃料を買い付けたいと申し入れして、経済関係から交渉をスタートさせた。経済交渉を通じて両者の肚のさぐりあいが続き、やがてスターリンは「我々は『あらゆる国』と実務的関係強化の立場に立つ」と言明するようになる。
一方のドイツ側ではリッベントロップ外相がドイツの大使に「共産主義はもはやソ連には存在しない。(中略)従って独ソ間にはイデオロギー上の障害はない」というソ連感を述べる。
呼応するかのようにソ連のモロトフ外相はドイツ大使に、これ以上の両国の経済交渉の進展を望むなら「政治的基礎」を築く必要があると言明する。つまり独ソ両国間の政治的関係をも発展させようというソ連の意志表示がなされたのだ。
これ以降、独ソ間でポーランドとバルト問題(フィンランドとバルト三国)の取り扱いについての協議が行われるようになって行く。

今度はヒトラーが動き出す。1939年8月にリッベントロップ外相をモスクワに派遣し、ヒトラーの声明をスターリンに伝える。主な内容は次の通り。
1.独ソ両国の間で利害は衝突しない。
2.バルト海から黒海までの間の地域における諸問題は両国間の相互協力によってのみ解決できる。
3.ナチスドイツとソ連にとって資本主義的西側民主主義国家こそが容赦のない敵である。
4.ドイツ=ポーランド危機は英仏の同盟によって生み出されたものである。
この時期には英仏ソ三国間でナチスドイツのポーランド侵攻に対してどのように軍事的対抗をするかという協議がモスクワで行われていた。ソ連は様々な難癖をつけてこの交渉を決裂させ、その原因は英仏に誠意がなかったからと決めつけることになる。この三国交渉はスターリンにとって決して不毛なものではなく、後で決める独ソ間の条約を正当化するための口実に使うことになる。
1939年8月15日にドイツのリッベントロップ外相がモスクワを電撃訪問し、ソ連のモロトフ外相と数度の交渉を行う、むろん両外相とも全権委任を受けていた。
特徴的なのはこの交渉でドイツはソ連にかなりの譲歩をしていることだ。これには理由があり、ドイツのポーランド侵攻は9月からと決めており、ドイツとしてはそれまでに交渉をまとめる必要があったからだ。
8月23日から2日間の会談ではスターリンも出席した。この中で興味深いのはドイツ外相が日独伊防共協定について、あれはソ連に向けたものではなく西側民主主義諸国に向けられたものだと説明していることだ。ドイツは日ソ間の調整にいつでも協力する用意があるとも語っている。この点は当時の日本政府の見解とは根本的に異なるものだ。
会談はスターリンがヒトラーを、リッベントロップがスターリンを、それぞれ祝して乾杯した。

かくして独ソ不可侵条約が締結されたのだが、重要なのは条約そのものではなく付属する「秘密議定書」の方だ。
条約と付属書の全文が本書に載っているので、興味のある方はそちらを読んで頂きたいのだが、要旨はバルト海諸国と東ヨーロッパ、ヨーロッパ東南部をドイツとソ連がそれぞれどう分けるかという取り決めが行われたという点だ。
「秘密議定書」の対象とされた国はフィンランド、リトアニア、ラトビア、エストニア、ポーランド、ルーマニアに及び、それぞれの国や地域をどちらが取るかを取り決めたものだ。
特に問題なのは、ポーランド国家そのものを抹殺し西部はドイツ、東部はソ連により分割統治することを決めたことだ。さらにポーランドが独立運動を起こした際には共同で弾圧する申し合わせまでしている。これが単に紙の上の合意ではなかったことは、3年後のソ連によるポーランド軍人の大量虐殺「カチンの森」事件で明らかになる。
こうした取り決めは第一次世界大戦以前の帝国主義時代にもなかったことであり、独ソ不可侵条約は不破が「二人の強盗の勢力圏分割協定」であると断じているのは正鵠を得ている。
以後ソ連は、ヒトラー政権打倒のために戦争することは無意味であるばかりでなく有害であるという立場を鮮明にして、ドイツファシズムを擁護する立場に転換していく。

スターリンの政策の本質は、ロシア皇帝時代の領土回復のための大国主義、覇権主義であり、そのためには手段を選ばないというものだ。
20世紀最大の巨悪、スターリンとヒトラーが手を結ぶまでの経緯とその結果について、本書は明解に解説している。
なお、両者の個人的結びつきについては、アラン・ブロック著『対比列伝・ヒトラーとスターリン』上中下3巻(草思社刊)が詳しく、興味のある方にはお薦めである。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2015/03/29

阪神タイガース、早くもVの予感

今春のプロ野球キャンプで最も注目度の低かったのはタイガースだった。新戦力の補強はなし、ドラフト入団選手も話題性には乏しかった。キャンプへの報道陣の数も少なく、その分よけいな取材を受けずに済んだという。
しかしリーグ戦開幕前の評論家の予想では、セ・リーグの優勝チームに巨人とならび阪神の名をあげる人が多かった。理由は安定した総合力だ。
先ずは投手力だが、先発にはメッセンジャー、藤浪、能見、岩田の4本柱に加え5,6番手として岩崎、岩本(タイガースには「岩」の付く投手が多いね)、あるいは新人の石崎といった名前がならび、先発6人体制のメドがつきつつある。中継ぎ、抑えともにコマは揃っていて、セ・リーグ随一の陣容といって良いだろう。
守備力は2塁の上本にやや不安はあるが、ショートの鳥谷、中堅の大和とセンターラインがしっかりしている。弱点はレフトのマートンの肩だが、これは打撃重視で致し方ない。
攻撃ではゴメス、マートンの両外国選手を軸に、前後を西岡、福留で固め、1,2番を鳥谷、上本がつとめるという布陣は巨人に比べても決して見劣りしない。
好・走・守にバランスが取れているのが阪神の強みだ。
課題は主力が故障などで離脱した際に控え選手とのキャップが大きい事、控えの層の薄さが気がかりだが、これは他のチームでも事情は似通っている。

阪神は開幕戦で中日に2連勝した。この結果より勝ち方に注目したい。
2選ともに劣勢をはねかえして延長にもつれこみサヨナラ勝ちしたが、開幕から2試合連続サヨナラ勝ちを収めたのは球団史上初だ。
勝利投手となったのはいずれも松田で、阪神の投手の開幕2戦2勝は1953年の藤村隆男以来、62年ぶりだ(藤村隆男はミスタータイガースの藤村富美男の実弟で、エースだった)。当時の藤村は3月28日に完投、4月4日にまた完投で連勝したもので、2日連続となると松田が球団史上初のケースとなる。
球団創立80周年の出だしにこうした記録が生まれたのも何か運命を感じるのだ。
阪神タイガースのは、この勢いで節目の今年こそ是非優勝、そして日本一を勝ち取って欲しい。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2015/03/27

三遊亭遊馬の会(2015/3/26)

お江戸日本橋亭定席「三遊亭遊馬の会」
日時:2015年3月26日(木)17:30
会場:お江戸日本橋亭
<  番組  >
前座・瀧川鯉佐久『新聞記事』
前座・桂たか治『芋俵』
前座・瀧川鯉〇『松山鏡』
三笑亭夢吉『疝気の虫』
古今亭今輔『雑学刑事』
桂竹丸『漫談』
~仲入り~
三遊亭遊馬『長屋の花見』
林家花『紙切り』
三遊亭遊馬『粗忽の使者』

三遊亭遊馬、知る人ぞ知る、知らない人は知らない。数年前に初めて見てから何度か高座に接していて、その将来性に注目していた。だから遊馬が、平成26年度文化庁芸術祭賞大衆芸能部門の大賞を受賞したことは喜ばしい。
落語芸術協会は新宿、浅草、池袋3カ所の定席に加え、お江戸広小路亭とお江戸日本橋亭で定期公演を行っている。この日はお江戸日本橋亭定席での「三遊亭遊馬の会」だった。
驚いたのは会場が満席だったことだ。私も初めての事だが、出演者もこんなに一杯入ったのは初めて見たと言っていた。それだけ人気が出て来たということだろう。

前座が3人続いて登場、後の二人はいわゆる前座噺ではなかった。『芋俵』は先代小さんの、『松山鏡』は先代文楽の十八番だ。この中では桂たか治が面白いと思った。風貌が師匠・文治によく似てる。
夢吉『疝気の虫』。先日、真打昇進の記者会見も終りいよいよ5月上席から披露興行が始まる。特にこの人は2代夢丸の襲名も兼ねているので大変だろう。
このネタは志ん生の十八番で、談志、志らくへと継承されている。疝気というのは男性の下半身全般の病気の総称で、この虫は大のソバ好き。苦手なのはトウガラシで、これが来ると疝気の虫は男性の別荘(睾丸ですな)に逃げ込むしかない。ある男が疝気で苦しんでいたので、医者は男の女房にソバを食わせてその息を男に吹きかける。疝気の虫はソバの匂いにひかれて女房の身体に移る。その後で女房にトウガラシを飲ませると、疝気の虫はいつものように別荘に行こうとするが・・・。「どこだ?どこだ?」と言いながら高座を下りるというのが夢吉のサゲだった。
バレ噺で小さなお子さんが会場にいたが、分かったかな?
今輔『雑学刑事』、以前にTVのクイズ番組に出場したことがあり、その裏話をマクラに振っていた。番組には予選があり、筆記試験と面接があるそうだ。出場者には明るさも求められるらしい。優勝賞金の使い道なども選考の対象にされるとのこと。
ネタは、雑学に詳しい刑事が銀行強盗をクイズで追い詰めて行くというストーリー。得意分野だけあって生き生きとした高座。
竹丸『漫談』、敢えてテーマをあげるなら「師匠と弟子」か。弟子を持って初めて分かる師匠の苦労などを面白く語っていた。竹丸の師匠は米丸(最高齢の現役記録を塗り替え中)だが、その米丸が5代目今輔に入門した際に、自作の新作を全て米丸に譲ったとのこと。周囲が今輔に注意すると、また新しく作れば良いと答えたそうだ。今輔は自分の弟子にも全て「さん」付けで呼んでいたというエピソードが残されていて、独特の哲学を持っていたのだろう。
まともにネタをやらず漫談で済ませるのを嫌う人もいるが、こういう寄席では客席の息抜きを兼ねて漫談を演じることは悪いことではない。竹丸はトークが達者なので楽しめた。

遊馬『長屋の花見』、季節感のあるネタで5代目小さんの十八番だった。店賃の催促かと思って長屋の衆が恐る恐る大家の家に集まる所から、お花見ときいて喜んだものの、酒はお茶、蒲鉾は大根、卵焼きは沢庵、毛氈は筵と分かりガッカリする。花見のドタバタから「長屋中 歯を食いしばる 花見かな」でサゲるまでオーソドックスな運びだったが、語りがしっかりしているので客席を沸かせていた。
膝の花『紙切り』では、「大塚家具」というお題に対し「本社ビル」の形を切って切り抜けていた。
遊馬『粗忽の使者』、こちらも5代目小さんの十八番。使者にされた粗忽武士、使者の口上を受ける側の家臣・田中三太夫、大工の留、それぞれの演じ分け出来ていた。特に武骨で正直者だがやたらそそっかしい地武太治部右衛門の粗忽ぶりがよく描かれていて好演、楽しませてくれた。
遊馬の2席の高座はいずれも古典の本寸法、結構でした。

芸協の前座から二ツ目、若手真打が、志ん生や小さんといった昭和の名人上手の十八番に果敢に挑戦したのが印象的だった。
新作の今輔を含め、それぞれ将来性が期待される。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015/03/25

鈴本「真打昇進披露興行」(2015/3/24)

鈴本演芸場3月下席夜の部「真打昇進披露興行」
<   番組   >
翁家社中『太神楽曲芸』  
柳家小里ん『子ほめ』
林家正蔵『小咄』
松旭斎美智・美登『マジック』
三遊亭歌司『親子酒』
鈴々舎馬風『漫談』
ホームラン『漫才』
柳家喬太郎『綿医者』
三遊亭金馬『紙入れ』
柳家さん喬『長短』
~仲入り~
『真打昇進披露口上』下手より司会・喬太郎、権太楼、馬風、海舟、小里ん、さん喬、金馬、市馬
すず風にゃん子・金魚『漫才』
柳亭市馬『狸賽』
柳家権太楼『代書屋』
林家正楽『紙切り』花見、咸臨丸、海舟
(麟太郎改メ)
柳家海舟『盃の殿様』

鈴本演芸場3月下席夜の部は落語協会の真打昇進披露興行。二ツ目の頃からお馴染みの人も何人かいたが日程が合わず4日目の麟太郎改メ柳家海舟の昇進披露に出向く。
落語協会の新真打披露は定席で合計40日間、国立を加えると50日間となる。今回は10人一緒の昇進なので出番は10日間のうち1日だけとなる。スタートの鈴本では全員が初日を迎えるわけだ。
この間、披露口上は毎日行われるが、やはり早い時期の方が本人の感激もひとしおだろう。
真打昇進披露口上で権太楼が言ってたが、口上でこれだけの豪華メンバーが揃うというのは珍しい。協会会長、前々会長、日本演芸家連合会長に柳家の大看板が顔を揃えた。57歳で真打昇進という昭和以降では最高齢記録となった海舟を押し立てていこうという気配りか。
以下、色物を除き手短に。

師匠の小里んが前座噺の『子ほめ』を軽く演じたあと、正蔵が上がって客席を温めようと小咄をいくつか。
歌司『親子酒』、この人も久々だった。親父が最初は遠慮がちで次第に大胆に酒を呑み酔っぱらっていく姿が上手い。
喬太郎『綿医者』、この人が発掘した古典で、患者の内臓を手術した医者が替わりに腹の中へ綿を詰める。すっかり身体が軽くなった患者がお祝いに強い酒を呑んだ後にタバコを吸ったところ火玉を飲み込んでしまい身体が火事に。急いで水を飲んでジューと消した。「どうした?」「胸が焼けたんで」でサゲというナンセンスもの。喬太郎はマクラで自身の口内炎治療でエライ目にあったという実話からネタにつなげて、さすがの高座だった。
金馬『紙入れ』、膝が悪いというので釈台を置いての高座だったが未だカクシャクとしている。間男しているお上さんに色気があった。小金馬の頃はあまり上手い人ではなかったが、金馬になってからガラリと変わった。先日の落語会で隣の席の人が「小三冶より金馬の方が上ですよ」と言ってたが、そういう見方もあるのか。
さん喬『長短』、短七さんのイライラぶりが真に迫っていて好演、この人はこうした軽めの噺の方が出来が良い。

『真打昇進披露口上』では全員がそれぞれ高齢で真打に昇進したことに触れていた。なにせ会長の市馬より年上なんだから。師匠の小里んが語っていたが、最初42歳で入門しに来て無理だと思ったが、本人がどうしてもと言うので1年間だけ前座修行をさせるという約束で弟子に取った。そうしたら大師匠の先代小さんが続けさせたらと勧めてくれ今日に至った。二ツ目の名前が麟太郎だった事から「勝」家とご縁が出来て海舟という名も「勝」家から許可を得ている。とにかく自分よりは長生きしてくれと、優しい師匠ですね。本人は感激してか落涙。

市馬『狸賽』、お馴染みの狸がサイコロに化けるネタを、短縮版ながらサゲまで。
権太楼『代書屋』、時間の関係で途中で切ったがこの日一番笑いを取っていた。今や東京で『代書屋』といえば権ちゃんですね。
海舟『盃の殿様』、渋いネタを選んだ。江戸にいる時に吉原の花魁に入れあげた西国の殿様。参勤交代でお国入りせねばならなくなり、家宝の盃で酒を酌み交わし別れを惜しむ。領地に戻っても花魁が忘れられず、300里を10日で走るという家中で一番足の速い足軽に命じ、吉原の花魁に盃を届け「返盃」をもらってくるよう言いつける。花魁は盃を一気に飲み干し、今度は殿様からの返盃を所望。こうして300里の道を往復してるうちにある大名の供先を切ってしまう。死罪になるところを事情を話すとその大名はいたく感激し、「大名の遊びはさもありたし。そちの主人にあやかりたい」と、盃を借りて一気に干した。足軽が国許に戻りこの話しを伝えると殿様はいたく感嘆し、「もう一献と申してこい」と足軽に命ずる。処がどこの大名だか聞き忘れてしまったので、日本中を駆け巡り探し歩くことになった。とうとう見つけられずに、やがてその足軽は佐川急便を興した、でサゲ。
口跡が良く語りもしっかりしている。活躍できる期間は限られているわけだが、名前負けせずに頑張って欲しい。
最後はマイクを握りCD発売したという勝海舟の唄を披露し終演。

行って良かった。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2015/03/22

#17らくご古金亭(2015/3/21)

「第17回らくご古金亭」
日時:2015年3月21日(土)17:30
会場:湯島天神参集殿
<  番組  >
前座・金原亭駒松『から抜け』
金原亭馬治『天狗裁き』
三遊亭遊雀『寝床』(ゲスト)
柳亭小燕枝『三人旅』(ゲスト)
金原亭馬生『うどん屋』
~仲入り~
五街道雲助『千早振る』
桃月庵白酒『文違い』
(前座以外は全員ネタ出し)

10代目馬生の7番弟子の雲助と9番弟子の当代馬生の二人をメインに、志ん生と馬生二人が演じたネタだけを演じるというこの会。従来は馬生と雲助が交互にトリを務めてきたが、今回初めて弟子世代の白酒がトリを取る。馬生の弟子から3月21日より二人一挙に新真打に昇進となり、そのうちの馬治がこの会で昇進後の初高座となる。趣向の多い「第17回らくご古金亭」となった。

馬治『天狗裁き』、いま鈴本演芸場で落協の新真打昇進披露興行が行われているが、数日前に前売りを調べたら馬冶の日だけ完売になっていた。人気があるんですね。師匠の前名なので、行く行くはこの人が馬生を継ぐのだろうか。志ん生から先代馬生に継承されたネタなので古今亭のお家芸と言っても良い。初めに夢のことで熊とお光が夫婦喧嘩するが、お光がやたら強く熊がのされてしまう。ここのお光は腕力が強いんだね。天狗が団扇を持っている所を見て熊が「法務大臣か?」というクスグリを入れていた。テンポの良い高座だった。

遊雀『寝床』、志ん生流ではなく先代文楽流を基本にした演出だった。そういえばこの人は他にも『船徳』や『明烏』、『干物箱』など文楽の十八番を演じることが多い。
旦那が繁蔵に「お前は丈夫なのか?」と訊くと、繁蔵が「他の人の事は考えてきたが、自分の事は考えてこなかった」と嘆く所は独自の演り方。怒りでふて寝していた旦那を宥めるのに繁蔵ではなく一番番頭にしたのは説得力がある。大番頭だから「先ほどは繁蔵が失礼なことを申しまして」と取り成せるのだ。何とか義太夫を語ってくれと頼む番頭に旦那が断るが、番頭が部屋から下がりかかると旦那が「どうしてここでもうひと押ししない、空気が読めないヤツだ」と言って引き留める演出が良い。番頭は旦那の手の内をとっくに読んでいたのだ。後半を簡略化したのもスピーディで良かった。

小燕枝『三人旅』、春先の箱根路を馬で越す旅人を描いた季節感のあるユッタリとした高座だった。特に古今亭に縁のあるネタではないが、懐かしさを感じる1席。

馬生『うどん屋』、5代目小さんが十八番としていて、現役の人たちも小さんの演出に拠る者が多いが馬生の演じ方は異なる。大きな違いは小さん型では酔っ払いがクダをまいた後「うどんは嫌いだ」と帰ってしまうが、馬生型では取っ払いは渋々うどんを食べる事になるが上から胡椒をかけ過ぎて結局食わずに帰って行く。オリジナルである上方の「風邪うどん」とも異なり、むしろ上方の「親子酒」で息子がうどんを喰うシーンに近いか。馬生らしい手堅い高座。

雲助『千早振る』、こういう軽い滑稽噺も雲助の手にかかると一段と面白くなる。歌の意味を問われた兄いが困惑しながら、どう言いくるめようか思案する表情が良い。女乞食が実は千早太夫の成れの果てという部分を抜かすミスはあったが、テンポ良くそんなもの吹き飛ばしてしまう様な勢い。

白酒『文違い』、顔が赤かったのは上気していたのか、それとも飲み過ぎか。二人の男を騙し金を巻き上げた新宿の遊郭の女郎・お杉だが、その金をイロに騙されて巻き上げられるというストーリで、相手に手紙を読まれてしまい事実が明らかになる。今でもメールを読まれて浮気がばれるなんてぇ事があるようだからリアリティのある話しなのだ。このネタには3人の男が登場する。お杉がベタ惚れしている芳次郎、自分こそお杉の間夫だと早合点してる半公、お杉から邪険にされたうえ金を取られるお人好しの角蔵。この3人の演じ分けと、お杉のそれぞれに対する態度の変化が見せ所だが、白酒はしっかりと描いていた。
この噺は、回り回った金を最終的に手に入れる小筆(芸者と思われる)だけが勝者となるが、もしかするとその小筆も別の男に騙されているのかも知れない。金は天下の回り物。

『寝床』で寝込んでいた番頭が旦那が起こされ、寝ぼけ眼で「上手い!」と声を掛ける場面がある。隣席の客が『寝床』が始まると終わるまで居眠りをしていて、終わって遊雀がお辞儀した時に目を醒まし盛大な拍手を送っていたが、これじゃあの番頭と一緒だと可笑しくなってしまった。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2015/03/21

『死と乙女』(2015/3/20)

『死と乙女』
日時:2015年3月20日(金)14時
会場:シアタークリエ

作:アリエル・ドーフマン
翻訳:青井陽治
演出:谷賢一
<  キャスト  >
大空祐飛/ポーリナ・サラス
豊原功補/ジェラルドー・エスコバル(夫で弁護士)
風間杜夫/ロベルト・ミランダ(医師)

タイトルの『死と乙女』はシューベルト作曲「弦楽四重奏曲第4番」を指している。但し『死と乙女』という曲名はシューベルトがつけたものではない。4楽章全てが短調で書かれていて淋しさや陰気さを漂わせている曲だ。
物語は南米のある国-具体的にはチリを想定していると思われる-が軍事独裁政権の時代に、学生運動に参加していてポーリナ・サラスが治安部隊により誘拐・監禁され拷問を受けた。その際にある医師が『死と乙女』の曲をかけながら彼女を拷問し、仲間と共にレイプした。ポーリナはその時の記憶を抱えて苦しみ、怯える生活を送っている。
軍事政権が崩壊し民政を回復した現在、ポリーナの夫であるジェラルドーは前政権下で行われた殺人などの不法行為を調査、告発するための政府機関のメンバーに選ばれている。
夫妻はは海辺の別荘に滞在している。
ある日、そのジェラルドーが車がパンクし立ち往生していた時に親切な医師ロベルトが彼を拾って別荘まで送り届けてくれた。二人は意気投合して酒を酌み交わし、ロベルトはそのまま別荘に泊まることになる。しかしポリーナはロベルトの声を聞くうちに、彼こそが自分を拷問した医師である事を確信する。彼女は就寝中のロベルトを襲い、椅子に縛り上げて銃で脅し、告白を迫る。目隠しをされていたので目視はしていないが、あの声、あの匂い、あの肌触り、どれをとってもあの時の医師に間違いないとポリーナは確信を深める。
人違いだと主張するロベルト、こうしたやり方は不法だと抗議する夫ジェラルドー、に対し妻ポリーナは10数年自分を苦しめた過去に決着をつけるのだと主張する。
夫妻は話し合いの結果、ロベルトが真実を告白すれば彼を解放すると約束する。ジェラルドーがこの線で妥協するようロベルトを説得するが、彼は身に憶えのないことは告白できないと言う。困ったジェラルドーはポリーナから当時どのような扱いを受けたのか具体的に聞き出してロベルトに伝え、それに従ってロベルトは告白を行う。
車の修理に出かけるジェラルドー、後の残ったポリーナとロベルト。果たして真実は、ポリーナにとっての決着は・・・。

この芝居はいくつかのテーマが錯綜しているのだが、メインテーマは「復讐」だ。それも自分自身や愛する人が被害を受けた場合に、どのような態度を取れるか。
法律によって裁くというのが近代国家のルールだが、例えばチリの場合、軍政から民政に移行した後も軍部は政府に圧力をかけて過去の軍による人権侵害を処罰するような動きを牽制していた。だから新政府が軍の不法行為を調査するといっても自ずから限界があるのだ。
そのことをポリーナは知っている。彼女を拷問しレイプした連中が裁かれ処罰される可能性は極めて低い。それなら自分の手でやるしかない。そうで無ければいつまで経っても苦しみから解放されない、そう考えたのだ。
夫のジェラルドーは弁護士という立場と、これから政府が行う軍の不法行為を調査するメンバーの一人として、ポリーナの個人的復讐は認めがたい。
ロベルトが本当に加害者なのか、疑いは濃厚だが証拠はなく、もしかして人違いである可能性もある。
真実とは何か? という問いに対しても3人それぞれに答えは違ってくる。

作者がいうように、この物語は過去のチリの物語ではない。広く世界中に、広くあらゆる時代の人間性に発見できる問題だ。
こうした人権侵害は中東で、アジアで、あるいは米国のテロリスト容疑者の収容施設で、今も日常的に行われている。日本も戦前はそうだったし、これからも絶対に起きないとは断言できない。
「私だったらどうする?」「あなたならどうする?」が突き付けられる演劇である。

出演者ではやはり風間杜夫の演技が光る。善人なのか悪人なのか、どちらの顔も見せる。
主役の大空祐飛は熱演だったがどうもセリフ回しに「ヅカ」が出る。性を感じさせないが、この役柄はもっとネットリしているのではなかろうか。前回の舞台は余貴美子が主役を演じたようだが、そっちを観たかった。

公演は28日まで。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2015/03/20

桂米朝の死去を悼む

上方落語界の重鎮・桂米朝が3月19日に肺炎のため死去した。89歳だった
私は残念ながら米朝のナマの高座を観たのは一度だけで、およそ20年前の国立演芸場の高座だった。当日売りだったが最前列の中央の席(今では想像もつかないが)が取れたので、目の前で見たわけだ。
年齢が70歳近かったと思われもちろん既に大御所だったのだが、高座の中身より「色気と愛嬌」を強く印象づけられた。東京の落語家にはいないタイプだとそのとき思った。

桂米朝には3つの功績がある。
一つ目は、戦後の上方落語界を再建させた功績だ。絶滅寸前だった上方落語を復興させた立役者で、もし米朝という存在がなければ今日に隆盛は得られなかっただろう。
二つ目は、当然のことながら落語家としての功績だ。話芸という点では間違いなく第一人者であり、とりわけ上方落語を全国区にした功績は大きい。品のあるソフトな語り口は江戸落語になじんだ人にも十分に受け容れられた。
三つ目は、落語研究者としての功績だ。元々が研究者から出発したせいもあるのか、廃れかけた、あるいは廃れてしまった古い噺を発掘し、今の観客に分かるように編集して高座にかけた。今では古典の代表作といわれるネタも米朝が作り上げたものが少なくない。
こうした研究成果は米朝落語全集や「上方落語ノート」などの著作として出版されている。
これらの業績面からも、東京の落語家には類例がないと言ってよい。

落語界の巨星の死去に、心より哀悼の意を表します。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2015/03/19

おいてけ堀落語会「金時&ひな太郎」(2015/03/18)

「第106回そばの里みつまさ おいてけ堀落語会」
日時:2015年3月18日(水)18時
会場:そばの里みつまさ
<  番組  >
桂ひな太郎『幇間腹』
三遊亭金時『そば清』
三遊亭金時『寝床』
桂ひな太郎『締め込み』

先日の亀戸に続き今度は錦糸町。ここの江東楽天地にも昔はよく来ていた。映画館、飲食店、そして怪しげな店まであった今で言うアミューズメント・スポット。駅前はすっかり整備されかつての面影はない。南口の歩道橋を降りてすぐに「そばの里みつまさ」店があり、ここが会場。
年4回開催で第106回というから地域寄席としては老舗といえよう。三遊亭金時をメインに毎回ゲストを招いて2席ずつ、終わってから酒orビールに手打ちソバが付く。抽選でお土産まである大サービス。常連さんが大半なようで、テーブルを囲んで話の花が咲いている。

ひな太郎『幇間腹』、今年誕生日を迎えると63歳で、先日結婚式を挙げたそうだ。司会をしたという金時が「ハネムーンがフルムーン」と言ってたがとにかく目出度い話だ。
幇間の一八が扇子をふりながら若旦那に「よう、よう、よう、よう!」とリズミカルに声をかける辺りに志ん朝の風を感じる。針を打つと言われた一八が「いつです?やはり吉日を選んで?」と返す所や、それじゃ踵に打ってという一八に若旦那が「俺は柔らかいとこに打ちたい」と答える所が可笑しい。
一八が腹を出して小唄かなんか唄いながら針を待つという仕草もこの人らしい演出。
このネタの最も肝心な幇間の造形が良く出来ていて好演。

金時『そば清』、この会場に最も相応しいネタを選んだ。いくらソバ好きな「そば清」でもさすが50枚は無理だった。頼みにした大蛇の消化薬は実は人間を溶かす薬だったので、これを舐めた清兵衛は自分が溶けてしまったというサゲ。実際の情景を思いうかべるとまるでホラーだ。
このネタを得意にしているさん喬に比べると、随分とアッサリとした高座だ。

金時『寝床』、後の打ち上げによれば、20日に行われる自身の独演会で『寝床』をネタ出ししており、その稽古を兼ていたようだ。金時は義太夫を習った事があり、覚えたら人前で演ってみたくなる気持ちは分かると言っていた。先代文楽の演出をベースにしておりあまり余計なクスグリを挟まず真っ直ぐな高座だった。旦那が番頭に説得されて義太夫を語ると言い出すまでのタメがもっと欲しい。

ひな太郎『締め込み』、空き巣に入られた家の女房はきっと小股の切れ上がったいい女なんだろう。所帯を持った当時には亭主が仕事にも行かず、針仕事をしている女房を見上げて「弁天様のようだ」と言ってたほどだ。だから風呂敷包みを見た亭主が、女房が間男と駆け落ちするつもりだと早合点してしまう。女房の方は亭主が酒を呑むと女を口説く癖があるので、女に金をやるつもりだろうと怒る。結局この夫婦は仲が良過ぎるので互い嫉妬心が強いだけなのだ。床下でこの夫婦喧嘩を聞いていた泥棒が、こうした事情を呑み込んで仲裁に入り仲直りさせる。この人が演じると泥棒まで粋に見えてくる。
男が女に結婚を迫る際に、先代文楽では出刃包丁を取り出し「ウンか出刃か、ウン出刃か」と言うのだが、ひな太郎の高座では亭主が大工なので商売道具のノミを取り出し「ウンかノミか、ウンノミか」と迫る。師匠・志ん朝の型だろうか。
春風のような軽快な高座、結構でした。

休憩なしで4席、約1時間半。打ち上げを含めて2時間、夜の落語会はこれ位が丁度いい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015/03/17

「談志30歳」を聴く

キントトレコードから「談志30歳」というCDが発売された。
談志の年表によれば
1936年 東京の小石川生まれ
1952年 5代目小さんに入門 前座名「小よし」
1954年 二ツ目昇進「小ゑん」に改名
1963年 真打昇進「立川談志」を襲名
とある。
今回CDに収録された高座はいずれも1966年、つまり談志30歳の時のものだ。既に「小ゑん」時代からマスメディアで冠番組を持っていたほどの売れっ子で、30歳の頃にはTVの「笑点」の司会をつとめ、著書の「現代落語論」がベストセラーになっていた。今の噺家で30歳といえば前座から二ツ目に昇進する前後の年齢であり、当時とは入門者の学歴が違うことを考慮したとしても談志の能才ぶりが偲ばれる。
今回の音源は談志の残したテープから草柳俊一氏が発掘したもので、いずれも1966年の「東宝名人会」からの録音だ。
収録された7席の演目と口演時間(分:秒)は次の通り。
『源平盛衰記』24:19
『らくだ』28:49
『芝浜』24:39
『野ざらし』17:07
『目黒のさんま』17:32
『蒟蒻問答』24:51
『ずっこけ』18:10

『源平盛衰記』は談志の代表作といっても良いだろう、初代三平から教わったものだが原形をとどめぬほど内容は大きく変えている。元々地噺の代表的作品で、ストーリーより中に入れ込むクスグリや地口、時事放談などが聞かせどころの演目だが、短い時間の中で粗筋や主なエピソードが手際よく紹介されている。
同時に談志独自の見方も示されていて、平清盛が血も情けもある立派な武将だったとか、常盤御前は自らの意思で清盛に近づいたとかいった解釈を行っている。幼かった義経を奥州藤原が受け入れたのは、源氏と平家が戦い勝利した方を背後から討ち、やがて藤原が天下を取ることを狙った布石だと推測している。頼朝が北条時政の長女・政子を妻にしたのは、北条家の財政援助を期待したからだという。確かに挙兵のためには莫大な金が要り、流人の頼朝に身の上では資金が乏しかっただろう。
こうしたメインストーリーを語ると同時に、時事問題やダジャレを機関銃のようにポンポンと入れ込み、壇ノ浦の戦いの場面は講釈風の語りで当時人気の講釈師であった一龍斎貞丈や神田松鯉らの物真似を披露するなど才人ぶりを発揮している。同時代にこのネタを演じた初代三平や10代目文治の高座には見られない特長だ。
後年のこのネタの録音を聴いても、30歳の時の高座が既に完成形であった事が分かる。

『らくだ』は前半で切っているが、ラクダの兄いを「丁の目の半次」と呼び、より粗暴な男として性格づけている。屑屋が酔うにつけ、らくだからの屈辱的扱いを思い出して次第に腹を立てる場面を丁寧に描いている。酔った屑屋が半次に「こんな芋を肴に酒が呑めるか、魚屋に行ってブツを貰って来い」と命じ、半次が断られたらどうしようとグズグズ言ってると、「かんかんのうを躍らせると、そう言え」でサゲ。

『芝浜』は、3代目三木助の演出を基本にしながら、魚屋夫婦の会話により多くの時間を割いている。後年の高座に比べサラリと演じていて、私はこの方が好ましい。

『野ざらし』は、8代目柳枝から教わったもので柳枝の演出通りの語りだが、後半になると尊敬していた3代目柳好の物真似を入れて楽しい高座にしている。ただバレ噺風の表現が多いのは感心できないが。

『目黒のさんま』、「このネタは馬生に限る」と語っていたそうで、全体としては10代目馬生の演出に沿ったものだが、殿様のエピソードを語る部分に3代目金馬の影響を感じる。

『蒟蒻問答』は、マクラで職人同士が問答をする小咄を振っているので志ん生の型と思われる。このCDの中ではこのネタだけがあまり良い出来とは言えないが、それでも十分に水準には達している。

『ずっこけ』は、3代目金馬や8代目柳枝が得意としていて、音源は残っていないようだがラジオで志ん生のを聴いた覚えがある。談志は柳枝から教わったと言っているが、友人が泥酔した寅を連れ帰る時に本人を置いてきて着物だけ持ってくるという部分を変えていて、サゲも談志独自のものにしている。

30歳の談志に比肩しうるとしたら、先ず思い浮かぶのは24歳にして真打になっていた志ん朝だが、どうも30歳の頃の録音は市販されていないようだ。残念ながら比較できない。
もうひとり上方の桂枝雀については、30歳頃の「小米」時代の音源が市販されているが、未だ師匠・米朝の高座通りに演じており、後年の枝雀落語の域にはほど遠い。
「30歳の談志」を聴いて驚くのは、そこに師匠・5代目小さんの影が全く窺えないことだ。そこにこの人の特異な才能を感じてしまう。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2015/03/15

映画『ジョン・ラーベ 〜南京のシンドラー〜』

日時:2015年3月14日(土)17時30分
会場:カメリアホール
『ジョン・ラーベ 〜南京のシンドラー〜』(原題:John Rabe)は、2009年公開のドイツ・フランス・中華人民共和国合作による映画。
監督:フローリアン・ガレンベルガー
脚本:フローリアン・ガレンベルガー
<  キャスト  >
ウルリッヒ・トゥクル:ジョン・ラーベ
ダニエル・ブリュール:ゲオルク・ローゼン博士
スティーヴ・ブシェミ:ロバート・ウィルソン博士
アンヌ・コンシニ:ヴァレリー・デュプレ
ダグマー・マンツェル:ドーラ・ラーベ
マティアス・ヘルマン:ヴェルナー・フリース
チャン・チンチュー(張静初):琅書
香川照之:朝香宮鳩彦王
杉本哲太:中島今朝吾中将
柄本明:松井石根大将
ARATA:小瀬少佐

映画をみるのも久々だが会場のある亀戸駅に降りるのも久々だ。もう何十年ぶりだろう。現役当時の一時期、本部ビルが豊洲にあったので錦糸町から亀戸あたりまでよく飲み歩いたもんだ。この辺りはいかにも下町の場末という雰囲気で値段も安かった。日本酒を頼んだらジョッキで出て来たのも確か亀戸の飲み屋だったなぁ。

さて、この日に上映される映画を見に来る気になったのは、ジョン・ラーベというドイツ人を主人公にドイツ映画人が南京事件をどの様に描いたのか興味があったからだ。
ジョン・ラーベ(1882年11月23日 - 1950年1月5日)は、ドイツ人商社員でシーメンス社の中国支社総責任者として約30年にわたり中国に滞在。日中戦争の南京攻略戦時には民間人の保護活動に尽力した。国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)南京支部副支部長。南京安全区国際委員会委員長。ナチス党員でありながら南京の多くの民間人を救った人物だ。
この映画はジョン・ラーベの日記をもとにしたものだが、原作からは大幅に脚色されているそうだ。
ドイツ映画賞で主演男優賞・作品賞・美術賞・衣装賞を受賞、バイエルン映画賞では最優秀男優賞・最優秀作品賞を受賞している。
おそらく南京事件を扱ったことが原因と思われるが日本では未公開だったが、昨年に初めて公開され、今年が2回目の公開となった。

ストーリーは。
日中戦争が始まって間もない1937年12月。日本軍は上海攻略に続き中華民国の首都・南京へ侵攻し陥落させた。首都機能と中国軍の主力はすでに重慶へ移転しており、数十万の市民と中国兵士、そして十数人の欧米人が南京に残留した。残った欧米人たちは、迫りくる日本軍から市民を保護する為、南京安全区国際委員会を設立、その委員長に選ばれたのがシーメンス南京支社長のジョン・ラーベだった。彼が選ばれたのは日本の同盟国であるドイツ人なので、日本軍への交渉力を期待されたものだ。
南京安全地区は各国大使館や外国企業、病院、学校などの施設があり、当初はそうした施設の人々や従業員の中国人を保護することが目的だったが、ジョン・ラーベらの尽力により兵士以外の民間人も多数(映画では20万人とされる)保護することになった。これは南京陥落後に日本軍による捕虜の処刑や民間人への殺害が起きたため、一人でも多くの中国人を助けたかったからだ。
しかし中国人の兵士の中には武器を捨て保護区に逃げてくる人もいて、捜査を目的として日本兵が区内に立ち入り捕虜として連行し、殺害するような事も頻発する。
ジョン・ラーベらはそれらの行為が国際法に反するという事で日本軍に申し入れるが、受け容れられない。保護区への食糧や医薬品への搬入も妨害され、区内の人たちは困窮していく。
やがて日本軍は保護区の閉鎖を決め、それに抗議する中国人たちが区の正門に並んで立ちはだかる。司令官は一斉射撃を命じるが・・・。

ドラマとして良く出来ている。単に善玉対悪玉という図式にとどめす、保護区の中のドイツ人と英国人との対立や和解、同じナチスの中でも中国人の対して同情的な立場の人間と差別主義者との対比、ユダヤ人の血を引くために冷遇されるドイツ外交官の姿や、日本軍の内部における軍紀を守らせようとする松井大将と捕虜の殺害を指示する朝香宮中将との対立やその間で苦悩する部下の将校などが描かれている。
主演のウルリッヒ・トゥクルは適役で、主人公の包容力を感じさせる演技だった。アンヌ・コンシニが常に毅然とした正義感溢れる女性を熱演、張静初の凛とした姿が印象に残った。
香川照之以下の日本人出演者も揃って好演だった。

南京における捕虜や民間人への殺害について、その規模に関しては諸説あるが事実としては否定できまい。南京ではないが、私は中国人捕虜を度胸試しとして殺害を命じられた人から直接話を聞いたことがあり、一生忘れられないと語っていた。その人が所属していた部隊では新兵全員がやらされたそうで、恐らく他の部隊でも同様だったと思われるとのことだった。
こうした残虐行為は日本軍に限ったことではないが、だからといって免罪されるべきではない。
日本にとって不利な事は全て無かった事にしようという様な風潮があるなか、こうした映画が公開される意義は大きい。

この映画に関して一部の評者から、良きドイツ国民の姿を積極的に描こうとする明らかなナショナルな傾向にある作品であるとの評価があることを付言しておく。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015/03/13

日本演芸若手研精会#422弥生公演(2015/3/11)

日本演芸若手研精会「第422回弥生公演~稲葉守治七回忌追善公演~」
日時:2015年3月11日(水)18:30
会場:日本橋社会教育会館
<  番組  >
前座・柳亭市助『真田小僧』
入船亭小辰『一目上り』
柳亭市楽『表札』
桂宮治『禁酒番屋』
柳亭こみち『豊竹屋』
三笑亭夢吉『辰巳の辻占』
~仲入り~
春風亭昇々『最終試験』
春風亭正太郎『にかわ泥』
入船亭遊一『浜野矩随』

今月の「日本演芸若手研精会」は稲葉守治さんの七回忌追善公演だ。稲葉さんは30年以上にわたり二ツ目を育成するために尽力された方で、本格派の古典落語を演じる人を育てるという明確な意思を持っていた。この会はその精神を受け継いでいる。現在のレギュラー9人全員がそれに相応しいかどうかは異論があるかも知れないが、そこを目指して欲しいという期待を持たれているのは事実だろう。今回はそのうち8人が出演した。特別の会ということもあってか立見の出る盛況ぶりだった。

前座の市助『真田小僧』、若いのに落ち着いた高座で、このまま行けば今年中には二ツ目に昇進し、この会のメンバーになるのだろう。

小辰『一目上り』、前座の頃から見ているが、上手いし手堅い。本格派の古典というこの会の趣旨にピッタリの噺家だ。

市楽『表札』、このネタは古典ではないし5代目古今亭今輔作というから新作とも呼び難い。中古かな。
大学に留年し続けていると偽って親から仕送りを受けていた男、実際には所帯持ちで5人の子供もいる。父親が上京してくるというので慌てて隣の部屋に住み独り者の家を借り表札を入れ替える。訪ねてきた父親がそろそろ就職しろと言うと、既に会社の名刺まで持っている。結婚したらと言うと嫁さんが、孫の顔を見たいといえば赤ん坊が・・・。昭和前半の古き良き時代の物語。
市楽も前座の頃から見ているが、二ツ目になってからあまり進歩が見られない。足踏み状態に映る。滑舌の悪さという欠点も克服しないといけない。

宮治『禁酒番屋』、解説不要の噺家だ。品の無いのが欠点だが、とにかく面白い。このネタの通常の1.5倍速位のスピードで語っていたが、ツボは外さない。二人目の奉公人が油を持参する際に上からコルクを押し込むと、番屋の侍はワインオプナーを出してきて栓抜きをするというクスグリを入れて快演。

こみち『豊竹屋』、ウ~ン、こういうネタに挑戦する努力は買うが、あの語りは義太夫には聞こえない。女流として頑張ってる所は評価している。

夢吉『辰巳の辻占』、いよいよこの5月から新真打昇進と2代夢丸襲名の披露興行が始まる。師匠が高座で口上を述べられなくなったのはさぞかし残念だったろう。
本人曰く、女性が出て来る噺はやや苦手とのことで、この日のようなネタはあまり高座に掛けて来なかった。でもこれからは、こうした演目にも挑戦して行くと語っていた。
辰巳芸者に金をせびられた男、叔父さんの助言で芸者の本心を試すために心中話を持ちかける。男の申し出に芸者は渋々大川の橋の上に来るが・・・。よく似た噺に『星野屋』があるが、こちらの方が単純。
夢吉の高座は芸者の造形は今ひとつだったが、男が茶屋で「辻占菓子」を食べながら辻占をする場面からサゲまで快適なテンポで運ぶ。

昇々『最終試験』、就職試験の面接でガチガチに緊張した学生を試験官の話。会場では結構笑いを取っていたがアタシにはどこが面白いんだか分からなかった。ネタの選定も感心しなかった。
師匠の昇太の事が話題に出ていたが、彼は古典もちゃんと出来る。『花筏』や『権助魚』については昇太がベストと思ってるほどだ。落語家である以上、やはり古典が基本になるのだ。

正太郎『にかわ泥』、こネタは初見。上方落語では『仏師屋盗人』という題で演じられる。
仏師具屋へ入った泥棒が1両2分を受け取り誤って唐紙を空けてしまい、そこに立っていた羅漢像を怪物と間違えて首を切り落とす。これを修理中だった主人は怒り、泥棒にニカワで首を継ぐ仕事の手伝いをさせるという噺。盗人が10両盗むと首が落ちると、仏像の首が落ちるとを掛けたものだ。
正太郎のトボケタ味わいが生きていて良い出来だった。この人は確実に上手くなっている。

遊一『浜野矩随』、こちらも今春の新真打昇進披露を控えていて、高座も熱演であったが、この噺がどうしても好きになれないのだ。全体に陰鬱だし、能力もない努力もしない職人が、母の一念だけでいきなり立派な彫刻を完成させるというストーリーが余りに安易だからだ。最後まで白けた気持ちで聴いてしまった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015/03/10

#43白酒ひとり(2015/3/9)

第43回「白酒ひとり」
日時:2015年3月9日(月)18時50分
会場:国立演芸場
<  番組  >
前座・柳家さん坊『道灌』
桃月庵白酒『真田小僧』
「とうげつアンサー」
桃月庵白酒『子別れ(上)強飯の女郎買い』
~仲入り~
桃月庵白酒『井戸の茶碗』

3月に入ってから寒さが戻ったようで雨も多い。やはり彼岸過ぎないと春めいてこないのか。
この会は前座を別にすれば白酒ひとりだけの独演会で、間にお客から寄せられた質問に白酒が答える「とうげつアンサー」のコーナーが設けられているのが特長。この日の質問では、高座に上がって客席を見てからお辞儀をするかどうかを訊ねられていたが、白酒は見ないでお辞儀をすると答えていた。
落語家の出にはそれぞれ特徴があり、上方落語家には高座に上がり一礼してから座布団に座りお辞儀をする人が多いが、東京では少数で代表は花緑。高座への上がり方も様々で急いで上がる人もいればユックリ上がる人もいる。3代目柳好は末広亭で楽屋から上がる時に扇子で一つ高座をトンと叩いて上がっていた記憶がある。初代三平は走って上がってきて座布団にドサッと座るような感じだった。綺麗だったのは先代馬生で舞を舞うような格好で上がった。志ん朝も粋な姿で上がっていた。現役では文菊が綺麗な上りを見せる。反対に無造作なのは百栄でスタスタと歩いてくる。落し物を探すように下を向きながら出るのはさん喬、スキップの様に跳んで出て来るのが談笑。
座布団への座り方も癖があり、扇辰のように足の指先で位置を直してから座る人がいる。
お辞儀の仕方も様々で、軽く頭を下げる人もいれば平伏するように低くお辞儀する人もいる。権太楼は両手を拡げ首を傾けながらのお辞儀だ。
白酒のように下を向いたままお辞儀してから顔を上げるタイプもいれば、正面に顔を向けてからお辞儀するタイプの人もいる。正面しか向かない人、一度客席を見回す人と、これも様々。
噺家がしゃべり出す前の姿を観察するのも寄席の楽しみの一つだ。

白酒の1席目『真田小僧』、こういう前座噺のネタも白酒クラスが演じると一段と面白い。志ん朝なんか絶品だった。逆に前座噺が上手い人は本当に上手い。だから下手な真打は前座噺を掛けない。

白酒『強飯の女郎買い』、長講の『子別れの上』にあたる。志ん生が得意としていたので古今亭のお家芸と言っても良いだろう。葬式で酔いつぶれた大工の熊、この男は酔うと手が付けられずおまけに女郎買い好き。周囲が止めるのも聞かず、知り合いの神屑屋を引き連れて吉原に。
この後、女房と息子を追い出し女郎を妻にするが、これが朝寝朝酒、おまけに男を作って出て行ってしまう。これが『子別れの中』。
そして熊と別れた妻子が再開し元の鞘に納まるのが『子別れの下』で通称『子は鎹』。
白酒の言う通りで、この噺は上中を演じて初めて下が生きる。処がなぜか寄席では専ら下だけが頻繁に演じられ、しかもトリネタとして高座に掛かるケースが多い。こんな湿っぽい話を人情噺風にネチネチ聴かされたんじゃ堪ったもんじゃない。演るのなら上から入って、時間が無ければ中は粗筋だけにして、下はサラリと演じて欲しい。白酒の指摘は正解である。
自分でも得意と言ってるだけに、熊の人物像、神屑屋との軽妙なヤリトリ、吉原の牛太郎との掛け合い、いずれも良く出来ていた。このネタに関しては現役では白酒が第一人者ではあるまいか。

白酒『井戸の茶碗』、白酒独自の演出が組み込まれていて、大家が千代田卜斎から預かった茶碗を高木に届ける時に千代田の娘を伴って行く。二人はそこで顔を会わせて、双方ともに相手に好意を抱くという設定にしている。この前段があるので、千代田が自分の娘と高木との縁談を清兵衛に持ちかけた時に唐突な印象がなく、話もスムースに運ぶのだ。清兵衛に縁談を「嫌ならやめましょうか」と言われて高木が慌てるシーンも加えて大団円。
目出度くお開き。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

東京大空襲と学童疎開

今日3月10日は東京大空襲から70年にあたる。実際は東京は何度も空襲を受けているのだが、とりわけ昭和20年3月10日は、下町を中心に死者10万人といわれる大規模な被害を出した。
中野区の新井小学高6年生だった私の兄は、他の生徒たちと共に昭和19年の春から福島県に学童疎開していた。処が、本土への空襲が激しくなった昭和20年1月に東京に戻されていた。不思議に思って後年、その理由を訊いてみたらこういう事だった。
当時の軍部は最終的には本土決戦を唱えていて、そのためには中学生以上の全ての日本人男子は戦闘に参加するという方針だった。昭和20年4月に中学生になる兄たちは、本土決戦要員として疎開先から東京に戻されたのだ。
私と母は、母の実家のあった神奈川県に疎開していたので、取り敢えず兄は私たち家族の元へ引き取られたが、生徒によってはそのまま東京に留まり、空襲の被害にあった人もいたものと思われる。
非道い話だ。
沖縄戦では、中学生以上の男子は学徒隊に組織され、男子は鉄血勤皇隊、女子は従軍看護婦隊として中学校単位で部隊に配備され、その中から沢山の犠牲者を出している。
もし軍部が主張していた本土決戦が実現していたら、どれだけ多数の日本人が死んで行ったか想像もつかない。

そうした惨禍を二度と繰り返すまいという反省に立って戦後の日本は出発したはずだ。
それがいま安倍政権の下で次々と覆されつつある。
東京大空襲70周年にあたり、私たちは本来の日本の姿を取り戻す決意を固めねばなるまい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015/03/08

雲助蔵出し(2015/3/6)

「雲助蔵出し ぞろぞろ」
日時:2015年3月6日(土)14時
会場:浅草見番
<  番組  >
前座・林家なな子『寄合酒』
柳亭市楽『四段目』
五街道雲助『粗忽の釘』/『明烏』
~仲入り~
五街道雲助『お直し』

今日3月8日のプロ野球オープン戦、阪神-巨人戦は「永久欠番メモリアルディ」としてタイガースの選手全員が背番号10番をつけてプレーするそうだ。もちろんミスタータイガースこと、藤村富美男の背番号である。タイガース創生期からのスター選手で、王選手に抜かれるまではホームラン記録の保持者だった。物干ざおと呼ばれた長いバットを振り回す豪快な打法と、派手なプレースタイルが売り物だった。エピソードには事欠かず、3塁から飛び出して相手投手が3塁に投球し万事窮すと思われたら、藤村がいきなり大声で投手を指さし「ボーク、ボーク!」と叫び、相手が呆気にとられているうちにホームインしてしまったなんて事もあったそうだ。戦後2リーグ分裂の際に、大半のスター選手がパリーグの毎日オリオンズに引き抜かれた後も阪神に残った。そういう姿も大阪のファンのハートを掴んだのだろう。

さて昨日は浅草見番での「雲助蔵出し ぞろぞろ」、満員の入りだった。この会での雲助は特別だ、という事は他の会で雲助を聴くと実感できる。まるで自宅にいるような気楽な姿でいながら、常に100%の力を出している。最高の雲助を聴きたければ、ここに来るしかない。

なな子『寄合酒』、あそこの前座っていうのは必ず「わたくしは林家正蔵の0番弟子の林家00でございます」と自己紹介するのだが、なんの意味があるのか。「だから、どうした」と言いたくなる。ムダなお喋りはやめた方がいい。

市楽『四段目』、こういうネタに挑戦するのは良いが、それなら芝居の場面を丁寧に演じて欲しい。この手のネタはそこが肝要。

雲助『粗忽の釘』、マクラで雲助が入門当時の年寄りの噺家たちのエピソードを。ツル禿の噺家が湯船に入っていると、後からもう一人がその頭の上に自分のイチモツの乗せて「チョンマゲ」なんて。その手の話を楽屋でしていて雲助が思わず吹き出すと、「お前、年寄りをバカにしたな」と叱られた。今ではその自分が67歳の年寄りになったと。
粗忽者の大工が壁にかわらクギを打ち込んで隣家に謝りに行くのだが、女房から「お前さんも落ち着けば一人前」と言われたもんだから、隣家の部屋に上がり込み、落ち着いて世間話を始める。やがて大工は女房との馴れ初めを語るのだが、雲助のは夜店で女に腰巻を3枚買ってやって家に連れ帰る。女が台所で洗い物を始めると。その姿についムラムラ。後ろから着物の八ツ口に手を入れ女の腋の下をコチョコチョ。「もうクスグッタイからやめて! そこは腋の下じゃない!」なんて、それで一緒になりました。嬉しそうにしゃべる大工と、呆れて「あんた、何の用で来られたんで?」と問う隣家の主の困惑顔との対比が楽しい。結局クギは阿弥陀様の股間から飛び出していて、大工が「変ってますね。お宅はここに箒を掛けるんで」でサゲ。こういう軽い滑稽噺も雲助は上手い。
処で、女性の着物の八ツ口っていうのは上記の様な用途のためにあるんだと聞いた事がありますが、ホントですか? どなたかご存知の方は教えて下さい。

雲助『明烏』、大旦那に頼まれて町内の札付きの遊び人・源兵衛と太助は、堅物の若旦那・時次郎をお稲荷様のお参りと騙して吉原へ連れて行く。女郎屋だと分かり嫌がる時次郎を脅したり宥めたりして、ようやく浦里という売れっ子の花魁の部屋に放り込む。さあこれで、と意気込んだ源兵衛と太助だが、二人とも回し部屋に入れられおまけに敵娼(あいかた)が姿を見せず最悪の状況。一方の時次郎は浦里の個室に案内され、初会にも拘らず同衾。正に吉原の天国と地獄だ。
時次郎の方は浦里の手練手管にすっかりふやけて、「花魁は、口では起きろ起きろと言いますが、あたしの身体をぐっと足で押さえて・・・」なんてノロケ出す始末。
あまりの扱いの違いと時次郎の変容にカッとした源兵衛と太助、「じゃ、坊ちゃん、おまえさんは暇なからだ、ゆっくり遊んでらっしゃい。あたしたちは先に帰りますから」
「あなた方、先へ帰れるものなら帰ってごらんなさい。大門で留められる」
でサゲ。
全体として登場人物一人一人の心理描写を丁寧に描いた8代目文楽スタイルの演出。太助が朝、振られて甘納豆をヤケ喰いする場面も文楽流。
ふと思ったのだが、この噺は吉原の入門書か。描かれているのは吉原での客の明と暗。

雲助『お直し』、前席から一転して描かれるのは花の吉原でも最下層の人々。
いくら売れっ子の女郎でも盛りを過ぎれば客がつかなくなり、上手い具合に客に落籍(ひか)されて堅気になるか、吉原で遣り手の商売替えするか、より下層の女郎に落ちるかしか道はない。
この女郎も落ち込んでいる時に店の若い衆から親切にされついつい深い仲に。しかし吉原ではこれはご法度。そこは親切な主人の計らいで二人は所帯を持ち、女は遣り手、男は牛太郎になって稼ぐ。処が金が出来てくると男は浮気やら博打やらでスッテンテン。店も不義理で夫婦ともに首になってしまい食うにも困る始末。仕方なく女は最下層のケコロと呼ばれる女郎に、男はその客引きになる。
ケコロは女が客を引き留め、男の客引きが「お直し」と叫ぶとその度に花代が上がって行くシステムだ。だからとにかく女の方は客の気を引かせねばならないから甘言を弄する。それを傍で見ている男は演技だと分かっても焼き餅を妬いてしまう。
酔っぱらった大工が店の前にきて、強引に上げてしまう。大工は女にすっかり惚れこみ、夫婦話にまでなってゆく。
「夫婦になってくれるかい?」「お直し!」
「おまえさんのためには、命はいらないよ」「お直し!」
「三十両オレが払ってやるよから、一緒になろう」「まあ嬉しいよ」「直してもらいな!」
客が帰ると、亭主は「てめえ、本当にあの野郎に気があるんだろ。えい、やめたやめた、こんな商売」
「そう、あたしだって嫌だよ。人に辛い思いばかりさせて・・・。なんだい、こん畜生」
「怒っちゃいけねえやな。何もおまえと嫌いで一緒になったんじゃねえ。おらァ生涯、おめえと離れねえ」
「そうかい、うれしいよ」と、二人は仲直り。
そこへ先ほどの酔客が戻ってきて、
「おい、直してもらいねえ」でサゲ。
若い頃はこの噺は苦手だった。段々年をとって来るにつれ良さが分かって来るようになった。
恰好ばかりで生活力のないヒモ男、それが分かっていながら惹かれ尽くしてしまう女。実際にはこういう男女というのが多いのだ。そうした普遍性があるからこそ、この噺が未だに受け容れられているのだろう。
雲助は転落してゆく女の哀れさに温かい眼を注ぎ、最下層に生きる男女の深い情愛を描いて好演。
まるで川島雄三の映画の世界を観ているようで、結構な高座だった。

次回の6月の会は都合が悪くて行けず残念!

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2015/03/06

「何代」か、「何代目」か

歌舞伎や落語などの伝統芸能の世界では、名跡が代々受け継がれる。特定の役者や噺家について述べる際に「0代目」を頭に付けるのが一般的だが(歌舞伎では「0世」とも表示される)、時には「0代」と表記されるケースもある。
例えば芸協のHPでの「平成27年真打昇進のお知らせ」では、「三笑亭夢吉 改メ 二代三笑亭夢丸」と表記されている。
これについて先年亡くなった音曲師の柳家紫朝の録音を聴いていたら、こんな話が紹介されていた。
6代目三遊亭圓生が色紙にサインするとき「六代三遊亭圓生」と書いていた。その当時「六代目」といえば「6代目尾上菊五郎」の事を指していたので、きっと圓生師匠も遠慮して「六代」と記していたのだろうと推測していた。
ある時。紫朝が図書館で歌舞伎関係の書籍を読んでいたら扉に菊五郎の自署があり、そこには「六代尾上菊五郎」と書いてあった。
そこで気が付いたのだが、存命中は「0代」と表示するのが通例なのだと。
その伝でいけば、先の芸協のお知らせで「二代三笑亭夢丸」としてあるのは正しい。

「初代」を除いて、当ブログでは亡くなった方の場合は「0代目」、存命中の方は必要に応じて「0代」又は「当代」と記すことにする。但しわざわざ「0代目」と表示せずとも特定できるようなケースは(5代目志ん生、5代目柳昇、3代目志ん朝など)省略する。
もっとも大向うの掛け声だけはやはり「0代目!」の方が響きが良い。「三代!」なんて掛けたら「何だい?」って帰ってきそうだもの。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2015/03/05

歌舞伎『菅原伝授手習鑑』(2015/3/4夜の部)

歌舞伎座の3月大歌舞伎公演は『通し狂言 菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)』。
この芝居は『仮名手本忠臣蔵』『義経千本桜』と並ぶ歌舞伎の三大名作の一つとして知られるが未見だった。特に『寺子屋』の場については多くの落語の中のセリフとして出て来るので、一度は観ておかねば先祖の助六に顔が立たぬと、このたび鑑賞。出演者は若手人気役者が中心。予算の都合で3階席だったが最前列を取れたので十分に楽しめた。
物語は今でも天神様として祀られ人気のある菅原道真(芝居では菅丞相<かんしょうじょう>)の太宰府流罪を題材にし、三つ子の舎人(牛飼い)たちを中心に、それを取り巻く人間模様を描いたもの。
但し夜の部では既に菅丞相は時平(芝居では「しへい」)に陰謀により大宰府へ流罪になっており出番はなく、専ら三兄弟の活躍が中心となっている。

四幕目『車引(くるまびき)』
菅丞相の舎人梅王丸と斎世親王の舎人桜丸は、互いの主人を追い落とした藤原時平への恨みを晴らそうと、時平の乗る牛車に立ちはだかる。これを止めに現れたのは時平の舎人松王丸。松、梅、桜の三人は実は三つ子の兄弟で、今は敵味方に分かれている。三兄弟は遺恨を残しながらもその場を後にする。
歌舞伎の様式美を見せる芝居で、この場だけ独立して演じられる事がある。

松王丸/染五郎
梅王丸/愛之助
桜丸/菊之助
藤原時平公/彌十郎

五幕目『賀の祝(がのいわい)』
三つ子の父白太夫の七十歳の賀を祝う宴に、三兄弟はそれぞれ女房を伴い集まるはずだったが桜丸だけが姿を見せない。主が敵対関係にある松王丸と梅王丸は顔を合わせるなり喧嘩をする始末。松王丸は父親に縁切りを申し出て白太夫もこれを了承する。宴が終わり八重を残して両夫婦が帰った後、悲壮な面持ちの桜丸が姿を現すと、白太夫が腹を切る刀を三宝に載せ桜丸の前に据えた。驚く八重に桜丸は自分の行いによって菅丞相が謀反の罪を着せられたので、責任を取って切腹すると告げる。桜丸は自害して果て、八重も後を追おうとするが戻ってきた梅王丸夫婦に止められる。後のことを梅王丸に頼んだ白太夫は九州の配所にいる菅丞相のもとへと旅立つ。

松王丸/染五郎
妻・千代/孝太郎
梅王丸/愛之助
妻・春/新悟    
桜丸/菊之助
妻・八重/梅枝
白太夫/左團次

六幕目『寺子屋』~寺入りよりいろは送りまで~
菅丞相に恩のある武部源蔵は妻戸浪と寺子屋を営みながら、菅丞相の子菅秀才を匿っていた。このことが時平方に発覚し、その菅秀才の首を差し出すよう命じられた源蔵。悩んだ末に、その日千代に連れられ寺入りしたばかりの小太郎という子どもの首を検分役の松王丸に差し出す。首実験した松王丸は菅秀才である事を確認する。窮地を切り抜け安堵する源蔵夫婦のもとに、小太郎の母千代が迎えに現れ、源蔵が斬りかかる。そこに最前の松王丸も姿を見せ、小太郎は自分たちの子どもである事を告げ、初めから菅秀才の身代りにするつもりだったと打ち明ける。弟たちの事を思い我が子を身代りに首を討たせた松王丸夫婦だが、源蔵夫婦と共に嘆き悲しみ、野辺の送りを行う。
余談だが、落語で聞き覚えのセリフが多く、いかにこの場が人口に膾炙していたか分かる。

武部源蔵/松緑
妻・戸浪/壱太郎
菅秀才/左近    
松王丸/染五郎
妻・千代/孝太郎
涎くり与太郎/廣太郎
春藤玄蕃/亀鶴

全体の印象としてさすが当り狂言だけあって良く出来ている。様式美溢れる荒事あり、親子兄弟の別離あり、主のための腹切りあり、大事な人の身代りに自分の子どもを討たせる愁嘆場あり。立ち回りシーンからお笑いシーンまで、ザッツ・エンターテイメントだ。休憩を挟んでの4時間飽きさせない。
しかし、主のために切腹する桜丸はともかくとして、兄弟のために自分の子を討たせる松王丸の所業だが、些か理解に苦しむのだ。この芝居に限らず、主君のため恩人のために自分の子を殺したり、あるいは殺されるのを受容する場面というのは歌舞伎には多い。こうした芝居が盛んに上演されていた江戸時代に、果たして実際に起きていたのだろうか。むしろ事実と離れ、ただ理想の姿としてイデオロギー的に残されていたのではあるまいか。
近代国家になった明治以後は、相次ぐ戦争で息子を亡くした父母やその兄弟、父を失った子供たちが悲しみの中にも、お国の為、天皇陛下の為と自らを慰めてきた、そういう思想的役割を負ってきたのではあるまいか。
こうした芝居がこれからの観客にどれだけ受け容れられ、共感を呼ぶことが出来るのか、疑問である。

出演者は若手中心だけに動きが俊敏でセリフも良く通っていた。特に菊之助は口跡が良いので3階席までビンビンと聞こえた。
他に白太夫役の左團次 武部源蔵役の松緑が好演。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015/03/04

#18「文我・梅團冶二人会」(2015/3/3)

第18回「桂文我・桂梅團冶 二人会」
日時:2015年3月3日(火)18時30分
会場:国立演芸場
<  番組  >
開口一番・桂小梅『犬の目』
桂梅團冶『黄金の大黒』
桂文我『鹿政談』
~仲入り~
文我・梅團冶『爆笑対談』
桂文我『試し酒』
桂梅團冶『鴻池の犬』

ひな祭りのこの日、国立での「文我・梅團冶二人会」へ。毎年1回という開催で18回目を迎えるというこの会、続いたのは文我の慈悲と梅團冶の忍耐だそうだ。入門は文我が1年早いがほぼ同期、今年で35年という経歴だ。
同じ桂の亭号だが文我が米朝一門であるに対し梅團冶の師匠は3代春団治だ。芸風も文我がスマートな印象に対し梅團冶は泥臭い。
趣味も文我が古書店を漁り映画のポスターなどを集めているのに対して梅團冶は自他ともに認める撮鉄でこの日も早朝からカシオペアを撮りに行って来たとか。

小梅『犬の目』、梅團冶の息子、顔がよく似てる。入門4年目だそうだが子どもの頃から落語を演っているとあって高座馴れしてしている。

梅團冶『黄金の大黒』、顔と声が典型的な上方落語家だ。大家から呼び出された店子たち。どうせ小言だろうと心当たりを探すと、もしかして大家の猫を食った件か? イヤ違うようだ。それなら犬を食った件か? それも違う。それなら小鳥を食った件か? ここの住人は動物なら何でも食うようだ。
結局、大家の倅と長屋の子どもたちが遊んでいるうちに、土の中から黄金の大黒が出て来たのでその祝いに店子たちが招かれたと分かる。宴席へご招待となれば羽織が要るのだが、長屋に1枚しかない。それを皆がとっかえひっかえしながら一人一人挨拶に行くと、見かねた大家は気にせずに部屋へ上がれと言う。後は無礼講。大家が倅がイタズラしたら遠慮なく注意してくれと言うと、一人が、この前あんまりヒドイ事をしたので殴ってやりましたよと答える。「拳固でか?」「なぁに金槌で」。
東京に比べてオリジナルの上方が笑いの要素が多い。
大家と店子の珍妙なヤリトリから愛すべき長屋の連中を描いた、梅團冶の好演。サゲも簡潔に工夫されていた。

文我『鹿政談』、江戸、京、大阪の名物の紹介から奈良の名物「大仏に、鹿の巻筆、霰(あられ)酒、春日灯篭、町の早起き」に入り、大仏の「目から鼻に抜ける」のエピソードをマクラに振って、ほぼ大師匠の米朝の演出に沿ったもの。
白洲での奉行と鹿の守役との息づまる攻防を中心に、文我の歯切れの良い語りが活きていた高座だった。
ただこのネタでは数年前に聴いて笑福亭三喬の高座の方がスケールが大きく優れていたように思う。

文我・梅團冶『爆笑対談』、文我が神保町の古書店で買った映画のポスターが紹介されたが、それがなんと若尾文子主演の大映映画『悶え』。文我によればファンだった9代目文治(留さん文治、ケチの文治)の落語の中でこの映画について語っていたものがあり、以前から探していて漸く見つけたとのこと。
そう言えば9代目文治はよく映画について語っていた。『砂の女』を観てきて、あの岸田今日子ってスケベたらしくて、ああいう映画はアタシは大好き、なんてしゃべっていたっけ。どうやら文治は嫌らしい映画が好みだったようだ。

文我『試し酒』、時事問題をマクラに。国会が近いので言わせて貰うと、最近の大臣たちの補助金交付先からの寄付、そういうことを止めようと政党助成金制度が出来たんじゃなかったのかと鋭いツッコミ。安倍首相がヤジを飛ばした問題から、下村文科相の疑惑まで採りあげ、あれが道徳を説く総元締めかと批判。同感です。子ども達には道徳教育をと言いながら、自らは法律に違反さえしなければ問題は無いと言い逃れしてるんだから呆れるほかない。
初代快楽亭ブラックの作をされるこのネタ、近年では5代目小さんが絶品だった。とにかく権助の飲みっぷりが豪快で、その息遣いまで細かに描写されていた。
文我の演出は上方型なのだろうか、全体にテンポが早く、小さんの高座に比べて物足りなさを感じてしまう。しかし盃を重ねるごとに酔態を変えていく過程はよく描かれていて楽しませてくれた。

梅團冶『鴻池の犬』、せっかくの上方落語の会なので、こうした東京では高座に掛からないネタを聴きたい。
船場のある商家の前に3匹の子犬の兄弟が捨てられていて、それを見つけた丁稚は、その犬を飼いたいと旦那さんに頼む。 子犬たちは丁稚らにかわいがられ、すっかりこの家の一員に。そんな矢先、兄弟のうちの一匹、クロをもらいたいという人物が現れる。「手前は今橋に住む鴻池善右衛門の手代で、坊ちゃんの飼っていた犬が死んでしまったため、死んだ犬にそっくりのクロをもらいたい」と言う。相手が豪商・鴻池の手代だと知った旦那は快諾し、クロは鴻池家にもらわれていく。
大きなたくましい犬に成長したクロは喧嘩も強く、やがて大阪一の犬の大将になる。そんなある日、見かけない犬が船場にやってくる。見るからに病気ということが分かるほど衰えたその犬こそ、クロの弟だった。その犬に事情を聞くと、かわいがられて育ったものの、途中で悪さをすることを覚え、そのうち病気にかかったため捨てられてしまったと身の上を話す。クロはご主人から「コイコイコイ」と呼ばれると走っていき、もらったごちそうを弟に食べさせる。散々ご馳走を食べた弟の犬に、次は吸い物を貰ってくると言うクロ。再びご主人から「コイコイコイ」という声がかかり、近寄ったクロはひと声「おワン」。
話の前半は商家の人間同士の会話だが、後半は一転して犬がしゃべり出すという構成。しかも犬の会話は任侠の世界だ。
梅團冶の高座は前半では沢山の土産を持ってクロを貰いにきた鴻池の手代に対し、「犬一匹にこれほどの手みやげを渡されては逆に迷惑」と肚を見せる船場の主人場面が良く出来ていた。
後半の犬たちの会話、特に大親分に出世したクロの貫録と、病に罹った弟への愛情表現が見事で、この人の実力を見せつけていた。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2015/03/02

「和食」が無形文化遺産に登録された理由(わけ)

月刊誌「図書」2015年1月号に「美味しいの、なんでやろ?」というタイトルで、日本料理の村田吉弘氏と地球科学の巽好幸氏の対談が載っている。この中で村田氏が「和食」をユネスコの無形文化遺産登録に尽力したとある。
私は日本料理が特に美味いから、世界的に流行ってるからという理由で文化遺産になったと思っていたが、村田氏によるとそれは全然違うのだそうだ。
我々は山紫水明に国に住んでいて北海度から沖縄まで飲めるような軟水が豊富にある。その水に浸かった稲が米になり、その米を水で炊いてご飯にする。米と水と大豆と、そこに昔からの発酵菌で醤油や味噌をつくる。四海流が流れていて世界一魚種が豊富な国で、魚獲って、野菜食べて、米食べて、それを発酵調味料で調理していたら、外国から買うもんなんかないと村田氏は主張する。うちらはうちらの国だけでやって行こうと思ったらちゃんとできるのだ。
処が米の消費量は落ちる一方、肉の消費量は20年間で5倍になった。食料自給率は39%まで落ちてしまった。
このままでは和食は滅んでしまう。そうした危機感から無形文化財に登録して保護せねばならない。これが登録した理由だと村田氏は語っている。

日本料理の特色は「旨み」が中心となっている。
この結果、懐石料理は65品目で1000キロカロリーしかない。フランス料理のフルコースでは23品目で2500キロカロリー、イタリア料理のフルコースでは19品目で2500キロカロリーだ。
旨みを中心に置くことにより、多品目の食材を使いながら低カロリーに抑えることができる。
和食の基本は「軟水」にあることを日本人は忘れている。硬水では旨みは出ない。だから海外での和食イベントでは必ずボルヴィックを使う。
ほうれん草を日本の水で湯がくとグリーンになるが、フランスの水ではグリーンにならない。
逆に日本でイタリア料理を作るときは、水に石灰を加えて硬水にしなくてはならない。
日本国内で関東と関西とでは水質が違う。関東の水で昆布の出汁(だし)を取ると昆布が膜をこしらえてしまい上手くいかない。そのため関東では出汁が鰹節中心になったという。

対談では日本料理の精神性にも触れている。
料理を食べる前に手を合わせるというのはどこの国でも一緒だが、例えばキリスト教徒の場合なら神に手を合わせる。しかし日本人は違う。我々は食べ物と食べられる物、料理を作った人に手を合わせる。このものの持っている命を自分の命として「頂きます」という。
食事の最後に「ご馳走さま」という民族も世界で日本人だけだと。

このままでは日本料理は絶滅危惧種になりかねない、という危機感は理解できた。
だからTPP交渉なんてトンデモナイのだ。
安倍さん、分かるかな?

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2015年2月 | トップページ | 2015年4月 »