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2015/03/31

【書評】スターリンとヒトラーとの同盟「強盗同士の領土分割」

不破哲三(著)『スターリン秘史―巨悪の成立と展開〈2〉転換・ヒトラーとの同盟へ』(新日本出版社2015/2/20初版)
Photo1939年8月23日にドイツとソ連の間に締結された「独ソ不可侵条約」は、犬猿の仲と思われていたヒトラーとスターリンが手を結んだこととして世界中に衝撃を与えた。
特に日本は、日独伊防共協定を結びドイツやイタリアと共にソ連に対峙していただけに衝撃は大きく、この年の1月に発足したばかりの平沼騏一郎内閣がこの報をきき、「欧州の天地は複雑怪奇」という声明を出して総辞職したほどだ。もっともこの条約で内閣が総辞職したなんて国は日本だけで、その外交音痴ぶりを天下に晒してしまったのだが。
不破哲三『スターリン秘史―巨悪の成立と展開』第2巻は、「粛清」という名の大テロルをソ連国内で行った巨悪スターリンの外交政策を論じたもので、前半はフランス人民戦線やスペイン内戦、中国の国共合作への介入をとりあげ、後半はナチス・ヒトラーとの同盟について論じている。
前半での特に中国抗日運動に関して、ソ連が国民党の蒋介石との間で秘密軍事協定を結ぼうとしていたという事実や、その関係からかスターリンが蒋介石にシンパシーを感じていて、中国共産党のやりかたに不満を抱いていたことなどが記されている。中ソの溝はこの当時から生じていたのだ。とにかくスターリンという男は自分の意に従うかどうかだけを判断基準にしていたフシがある。

本論のスターリンとヒトラーとの同盟についてだが、なぜ世界が驚いたのかといえばソ連は社会主義の国であり反ファシズムを掲げていた国として、ナチスドイツはファシズムの国であり反共産主義を掲げる国であるという見方が一般的だったからだ。しかしスターリンとヒトラーが「同じ穴の狢」と見ればこの両者が手を結んだとしてもなんの不思議もないわけだ。不破は「凶悪で貪欲な二人の強盗の政治同盟」と断じている。
当時のヨーロッパの状況を概説すると、イギリスやフランスのナチス宥和政策に乗じてドイツはオーストリアを併合し、次いでチェコスロヴァキアを支配下に置いていた。彼らの次のターゲットはポーランドだった。これに対して英仏ソ三国は対抗措置をとるべく協議を開始していた。ヒトラーとしては英仏は手を出しては来ないと見ていたが問題はソ連の動向だ。ポーランドはソ連と国境を接しており、歴史的結びつきからもソ連が軍事行動に打って出ることが予測されていた。

さて、本来対立すべき独ソが接近し始めたきっかけについて、本書ではこう見てる
スターリンが政敵を次々と処刑していった口実として使っていたのは「ドイツに内通したスパイ」であった。もちろん事実無根だったのだから本来ならドイツ側から抗議があって然るべきだが、実際にはそうした抗議は無かった。ソ連側からすればこれをドイツからのサインとして受け止めた。
一方、スターリンが赤軍の最高幹部たちを大量に処刑し、その結果軍部が大幅に弱体化していた。ヒトラーからすれば、当面ソ連はドイツとの軍事対決をする気は無いなと判断した。
独ソ両国の接近の口火を切ったのはドイツで、1938年にソ連から燃料を買い付けたいと申し入れして、経済関係から交渉をスタートさせた。経済交渉を通じて両者の肚のさぐりあいが続き、やがてスターリンは「我々は『あらゆる国』と実務的関係強化の立場に立つ」と言明するようになる。
一方のドイツ側ではリッベントロップ外相がドイツの大使に「共産主義はもはやソ連には存在しない。(中略)従って独ソ間にはイデオロギー上の障害はない」というソ連感を述べる。
呼応するかのようにソ連のモロトフ外相はドイツ大使に、これ以上の両国の経済交渉の進展を望むなら「政治的基礎」を築く必要があると言明する。つまり独ソ両国間の政治的関係をも発展させようというソ連の意志表示がなされたのだ。
これ以降、独ソ間でポーランドとバルト問題(フィンランドとバルト三国)の取り扱いについての協議が行われるようになって行く。

今度はヒトラーが動き出す。1939年8月にリッベントロップ外相をモスクワに派遣し、ヒトラーの声明をスターリンに伝える。主な内容は次の通り。
1.独ソ両国の間で利害は衝突しない。
2.バルト海から黒海までの間の地域における諸問題は両国間の相互協力によってのみ解決できる。
3.ナチスドイツとソ連にとって資本主義的西側民主主義国家こそが容赦のない敵である。
4.ドイツ=ポーランド危機は英仏の同盟によって生み出されたものである。
この時期には英仏ソ三国間でナチスドイツのポーランド侵攻に対してどのように軍事的対抗をするかという協議がモスクワで行われていた。ソ連は様々な難癖をつけてこの交渉を決裂させ、その原因は英仏に誠意がなかったからと決めつけることになる。この三国交渉はスターリンにとって決して不毛なものではなく、後で決める独ソ間の条約を正当化するための口実に使うことになる。
1939年8月15日にドイツのリッベントロップ外相がモスクワを電撃訪問し、ソ連のモロトフ外相と数度の交渉を行う、むろん両外相とも全権委任を受けていた。
特徴的なのはこの交渉でドイツはソ連にかなりの譲歩をしていることだ。これには理由があり、ドイツのポーランド侵攻は9月からと決めており、ドイツとしてはそれまでに交渉をまとめる必要があったからだ。
8月23日から2日間の会談ではスターリンも出席した。この中で興味深いのはドイツ外相が日独伊防共協定について、あれはソ連に向けたものではなく西側民主主義諸国に向けられたものだと説明していることだ。ドイツは日ソ間の調整にいつでも協力する用意があるとも語っている。この点は当時の日本政府の見解とは根本的に異なるものだ。
会談はスターリンがヒトラーを、リッベントロップがスターリンを、それぞれ祝して乾杯した。

かくして独ソ不可侵条約が締結されたのだが、重要なのは条約そのものではなく付属する「秘密議定書」の方だ。
条約と付属書の全文が本書に載っているので、興味のある方はそちらを読んで頂きたいのだが、要旨はバルト海諸国と東ヨーロッパ、ヨーロッパ東南部をドイツとソ連がそれぞれどう分けるかという取り決めが行われたという点だ。
「秘密議定書」の対象とされた国はフィンランド、リトアニア、ラトビア、エストニア、ポーランド、ルーマニアに及び、それぞれの国や地域をどちらが取るかを取り決めたものだ。
特に問題なのは、ポーランド国家そのものを抹殺し西部はドイツ、東部はソ連により分割統治することを決めたことだ。さらにポーランドが独立運動を起こした際には共同で弾圧する申し合わせまでしている。これが単に紙の上の合意ではなかったことは、3年後のソ連によるポーランド軍人の大量虐殺「カチンの森」事件で明らかになる。
こうした取り決めは第一次世界大戦以前の帝国主義時代にもなかったことであり、独ソ不可侵条約は不破が「二人の強盗の勢力圏分割協定」であると断じているのは正鵠を得ている。
以後ソ連は、ヒトラー政権打倒のために戦争することは無意味であるばかりでなく有害であるという立場を鮮明にして、ドイツファシズムを擁護する立場に転換していく。

スターリンの政策の本質は、ロシア皇帝時代の領土回復のための大国主義、覇権主義であり、そのためには手段を選ばないというものだ。
20世紀最大の巨悪、スターリンとヒトラーが手を結ぶまでの経緯とその結果について、本書は明解に解説している。
なお、両者の個人的結びつきについては、アラン・ブロック著『対比列伝・ヒトラーとスターリン』上中下3巻(草思社刊)が詳しく、興味のある方にはお薦めである。

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コメント

サイクス・ピコ協定も悪人どものライオンズシエア協定とは言えませんか。
いまだに続いている悪党どもの。

佐平次様
戦闘の帰趨が明らかになった段階か、あるいは終戦後に分け前を取り決めるというのが一般的ですが、独ソ条約の場合は事前に決めておいたという点に特徴があります。今日に至るまでの影響力では「サイクス・ピコ協定」の方がより悪質かも知れませんね。

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