東京大空襲と学童疎開
今日3月10日は東京大空襲から70年にあたる。実際は東京は何度も空襲を受けているのだが、とりわけ昭和20年3月10日は、下町を中心に死者10万人といわれる大規模な被害を出した。
中野区の新井小学高6年生だった私の兄は、他の生徒たちと共に昭和19年の春から福島県に学童疎開していた。処が、本土への空襲が激しくなった昭和20年1月に東京に戻されていた。不思議に思って後年、その理由を訊いてみたらこういう事だった。
当時の軍部は最終的には本土決戦を唱えていて、そのためには中学生以上の全ての日本人男子は戦闘に参加するという方針だった。昭和20年4月に中学生になる兄たちは、本土決戦要員として疎開先から東京に戻されたのだ。
私と母は、母の実家のあった神奈川県に疎開していたので、取り敢えず兄は私たち家族の元へ引き取られたが、生徒によってはそのまま東京に留まり、空襲の被害にあった人もいたものと思われる。
非道い話だ。
沖縄戦では、中学生以上の男子は学徒隊に組織され、男子は鉄血勤皇隊、女子は従軍看護婦隊として中学校単位で部隊に配備され、その中から沢山の犠牲者を出している。
もし軍部が主張していた本土決戦が実現していたら、どれだけ多数の日本人が死んで行ったか想像もつかない。
そうした惨禍を二度と繰り返すまいという反省に立って戦後の日本は出発したはずだ。
それがいま安倍政権の下で次々と覆されつつある。
東京大空襲70周年にあたり、私たちは本来の日本の姿を取り戻す決意を固めねばなるまい。
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