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2015/04/23

【書評】『熱風の日本史』(1回目)

井上亮(著)『熱風の日本史』(日本経済新聞社刊 2014/11/20初版)
本書は日経新聞に連載されて記事を本にまとめたものであり、著者は日経の記者で現在は社会部編集委員。
本書は日本が近代化を果たした明治維新から現在までの近代の歴史の中でおきた様々な「熱風」(同調)現象を時代系列に採りあげ、そのことで日本人の自画像を浮かび上がらせようと試みたものだ。
近ごろ過去を美化し今の社会を否定するような言説がはびこっているが、著者によればこうした風潮は先人の改革・改革の成果への敬意を欠いたものだという。人間の歴史は美醜ない交ぜになったもので、清らかな成功体験が後世のアダとなり、醜き体験こそが有益な教訓となるとしている。
本書に紹介されているエピソードのほとんどは「暗部」といってよい。自画像を正視できるのが成熟した人間であり国家である、美しき日本だけしか見たくないというならそれはピーターパン国家でしかない、というのが著者の見解だ。
本書に描かれた日本人の自画像について特に印象に残った点を2回にわたって紹介したいと思う。

「欧化という熱病」では明治初めの日本人が西洋人に対し異常な憧れを抱いていたという事が明らかにされている。庶民の間にも英語熱が高まり、商店の小僧でも夕方に暇を貰って英語の私塾に通うようになるほどだったとある。英語崇拝のあまり、英語を国語にしようと主張する人まで現れる。当時の文部大臣であった森有礼(ありのり)も日本語の不備を説いて英語を国語にせよと主張していた。
この辺りは現在の日本の教育でもやれ国際化だとかグローバルだとかいうと、先ずは英語教育が主張される点が酷似している。
こうした熱病はやがて、劣等民族である日本人は優等民族である西洋人と積極的に国際結婚することにより優れた子孫を残すべしという、「人種改良論」が主張されるようになる。代表的な論者は時事新報の記者だった高橋義雄で、日本人は「人力をもって淘汰の作用を施し」優等民族とならあねばあならぬと説いた。
実は、高橋は福沢諭吉門下だった。福沢諭吉というと人間は平等であると主張した人物と思われがちだが実際は「人種改良」論者で、「(人間の)優劣は既に先天に定まりて決して動かざるものなり」と書いている。そして「体質の弱くして愚なる者には結婚を禁ずる」か避妊させ、「繁殖を防ぐべき」と説いた。
こうした行き過ぎた欧化熱はやがてアジア諸国に対する蔑視思想や、西洋崇拝への反動としての「国粋主義」を生んでいく。
この点も現在とあまり変わらないようだ。

「恐露病と露探の幻影」では、明治24年に来日中のロシア・ニコライ皇太子が日本人の巡査に襲われ重傷を負うという事件が発生する。これを契機にロシアが怒って日本に攻めてくるという風聞がひろがる。また日清戦争後の三国干渉でロシア憎しの感情が爆発してロシアを恐れる「恐露病」が国内に蔓延するようになる。時を同じくして「露探(ロシアのスパイ)狩り」が始まり、本来はロシアとは何にも関係の無いニコライ堂襲撃やニコライ主教の暗殺計画などが発覚する。
「露探」は本国のロシア人以上に憎しみをかっていた。
これも最近のネットの世界などで、日本政府を批判すると直ぐに「反日」「在日」「工作員」などと罵られる風潮と似ている。

次は今年の教科書検定でも問題にされた関東大震災における朝鮮人虐殺問題である。
「関東大震災、人間性の焦土」でこの件が採りあげられている。
大震災の発生直後からの流言飛語と自警団や軍隊による過剰警備による暴走により朝鮮人、中国人、社会主義者らが、ゆえなく殺害された。
仏文学者で当時一高生だった田辺貞之助の証言によると「四、五百坪の空き地に、裸体に等しい約二百五十体の朝鮮人の遺骸が遺棄されていた」「なんという残酷さ、あのときほど、ぼくは日本人であることを恥ずかしく思ったことはなかった」と語っている。
墨田区と葛飾区の間を流れる荒川付近での浅岡茂蔵の証言では「10人ぐらいずつ朝鮮人を縛って並べ、軍隊が機関銃で撃ち殺したんです。まだ死んでない人間を、トロッコの線路上に並べて石油をかけて焼いたですね」と述べている。
兵士の証言もある。「将校は抜剣して列車の内外を調べ回った。朝鮮人はみな引きずりおろされた。そして、白刃と銃剣下に次々と倒れていった。」
作家の保坂正康は父親の思い出としてこう語っている。当時横浜の中学生だった保坂の父が「がれきの下敷きになっていた中国人が『水をください』と懇願していたので、水をやろうとしていたところ、自警団の男たちに『なんでこんな奴に水をやる』と棒で殴打され、右耳が聞こえなくなった。その中国人は父の目の前で惨殺された」。
被害は朝鮮人や中国人だけではなかった。千葉県野田市では香川県から来た行商人の一行が朝鮮人と間違われ、女性や幼児を含む9人が惨殺されている。このように朝鮮人と間違われ殺害された日本人は57人に達したという。
社会主義者の関係では、大杉栄と内縁の妻伊藤野枝、大杉の甥橘宗一の3名が憲兵隊により殺害されている「甘粕事件」。
また「亀戸事件」では川合義虎、平沢計七ら10名が亀戸警察署の中で習志野騎兵第13連隊によって刺殺された。これとは別に同じ亀戸で、警察に反抗的な自警団員4名が軍に殺されている。

これら一連の事件は大震災の混乱という事態があったにせよ、ここまで拡大した背景が存在すると考えるべきだろう。
大震災の4年前の1919年に朝鮮で初めての人民蜂起「三・一独立運動」が起きる。これを日本の新聞は「不逞鮮人」という名で恐怖心と憎しみを煽っていた。日韓併合後の土地政策により耕作地を奪われた朝鮮の零細農民が労働者として日本へ流入しており、1923年の震災発生時には約8万人の朝鮮人が日本に在住していたと見られる。これが一つ。
もう一つは、大震災時の治安の最高責任者が、「三・一独立運動」当時に朝鮮総督府の政務長官であった水野錬太郎内相と、同じく警務局長だった赤池濃(あつし)警視総監だった事も大きく影響したものと思われる。
二人は震災の混乱の中で朝鮮人と社会主義者が革命や暴動を起こすことを恐れていた。彼らの建言により大震災の2日後に戒厳令が施行されるのだが、これによって流言飛語が「お墨付き」を得てしまった。
この結果、被害のなかった関東各県にも虐殺事件が飛び火した。後に虐殺に参加した人々は、「一人でも多く殺せば国のためになる」などと証言している。
政府や軍、警察などによる隠蔽工作で正確な被害者の数が明確になっていないが、朝鮮人は少なくとも2600人以上、6000人という説もある。中国人も700人以上殺害されたと見られている。
この項は山岸秀の次の言葉で結ばれている。
「事実を事実として正視しない人間に誇りはない。過去を正視することを自虐として否定することは、現在の自分や国家や民族にまだ自信の持てない人たちの卑屈な態度である」。
まさにその通り。

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