「産めよ殖やせよ」は誤用 (書評『熱風の日本史』2回目)
井上亮(著)『熱風の日本史』(日本経済新聞社刊 2014/11/20初版)
書評の1回目は主に明治から大正にいたる項目を採りあげたが、2回目は戦前の「優性政策」について述べる。
この本は現代史に関しても、私たちは間違ったことをそのまま認識していることに気付かされる。一例が戦前の「産めよ殖やせよ国のため」というスローガンで、ネットの事典でもこの標語が引用されている。
元のスローガンは昭和14年9月30日に厚生省が掲げた次の「結婚十訓」に書かれたものだ。
1.一生の伴侶に信頼できる人を選べ。
2.心身ともに健康な人を選べ。
3.悪い遺伝のない人を選べ。
4.お互に健康証明書を交換せよ。
5.近親結婚はなるべく避けよ。
6.晩婚を避けよ。
7.迷信や因襲に捉われるな。
8.父母長上の指導を受けて熟慮断行。
9.式は質素に届けは当日。
10.生めよ育てよ國の為。
人口に膾炙している「産めよ殖やせよ国のため」は誤りで、正しくは「生めよ育てよ國の為」だ。
この「結婚十訓」を見れば、単純にとにかく子供を作れと言ってるわけではなく、「質」を重視し国家に役立つ子供を生み育てることが奨励されていたことが分かる。
「国民の体力向上=強兵養成」という陸軍の主張を受けて昭和15年3月には「国民優性法」が成立する。この法律の第1条には「本法ハ悪質ナル遺伝性疾患ノ素質ヲ有スル者ノ増加を防遏」することが明記された。
同時に悪質なる遺伝子を持つ者への優性手術「断種」の規定が設けられた。
対象は「遺伝性精神病者、遺伝性精神薄弱、強度かつ悪質な遺伝性病的性格、遺伝性身体疾患、強度なる遺伝性奇形」とされた。
本人たちが患者でなくとも、四親等以内の上記の患者がいて子供に疾患が発生する可能性の高い場合は「断種」の対象となった。
さらに厚生省は「優性結婚」を唱え、本人や祖先に遺伝的な障害や疾患を持つ者の結婚を規制した。逆に優秀な資質と認められた者には結婚を勧め、貸付金を斡旋したり、出産奨励金などを給付した。
但し、断種手術は強制ではなく任意だったので、実際に行われたのは538件だったとされる。これは祖先を崇拝し子孫を連綿とつないでいく家族制度と断種が相容れなかったことが主な理由だったようだ。
例外はハンセン病患者で、昭和6年の「癩予防法」と昭和22年の「優性保護法」によりハンセン病患者に対しては半ば強制的な断種手術が行われた。その数は戦後だけでも1万8000件に及ぶ。
こうして見ると、戦前の出産奨励のスローガンは「産めよ、産ますな」がより正確だったといえよう。
全ては「高度国防国家ニ於ケル兵力及労力ノ必要ヲ確保スル」ために「増殖力及資質ニ於テ他国ヲ凌駕スル」(昭和16年「人口政策確立綱項」閣議決定)ことを目指していたわけだ。
現在政府が進めている少子化対策がその轍を踏まねば良いのだが。
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