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2015/04/26

#37三田落語会「志ん輔・正蔵」(2015/4/25昼)

第37回三田落語会・昼席「古今亭志ん輔・林家正蔵」
日時:2015年4月25日(土)13時30分
<   番組   >
前座・柳家さん坊『饅頭こわい』
古今亭志ん輔『替り目』
林家正蔵『一文笛』
~仲入り~
林家正蔵『雛鍔』
古今亭志ん輔『三枚起請』

4月中旬までの寒さがウソのようになった様な暖かさで、T-シャツの若い人も見られる今日この頃、皆さまはいかがお過ごしでしょうか、って、オレはさん喬か。
昼席は次回の整理券を正午から配布するが、少し前に行くと行列の最後尾が6階や7階になることもある。階段で待つのは辛いのでせめて1階のロビーでと思い1時間前に着いたらヤッパリ階段になってしまった。皆さんはいつごろから来てるんだろう。用意の良い人は折り畳み椅子を持参していた。
アタシ同様に次回のチケット欲しさにこの会に来た人もいたんだろうと推測する。

さん坊『饅頭こわい』、今年二ツ目に昇進の予定とか。達者そうだし若い頃の喬太郎に語り口が似ているが、アタシにはどうもピンと来ない。この辺りは好みの問題かも。

志ん輔『替り目』、マクラで触れてたが、例の官邸屋上へのドローン落下、世間の人は結構面白がってる所もあるのでは。まあカメラ付きの飛行物体が自由に上空を飛んでいるというのも気持ちの悪い面もあることはあるのだが。
漫才の「昭和 こいる」が幼少時にバイオリンを習っていたという。ヘエー、良いとこのボンボンだったんだ。
これもマクラの話題だが、近ごろ立ち飲み屋に女性客が増えたとか。
そう言えばアタシの娘も勤め帰りに立ち飲み屋に寄ることがあると言っていた。親父の血を引いてか酒飲みで困ったもんだ。二人の孫も揃って好物がアタリメ、それもゲソが好きというんだから酒好きになるんだろうね。こうなりゃ、孫娘と一緒に酒を呑むのを楽しみに長生きしようっと。
志ん輔は酔態の描写、特に目付きが上手い。このネタの亭主は女房に「真綿で包むような」応対を要求する。それに対して女房の方は「真綿で首を絞めるような」言葉づかい。その対比が面白い。

正蔵『一文笛』、マクラでスリの親分に会って話を聞いた経験を紹介、風貌が喜多八みたいだったとか。腕の良いスリは掏った財布から現金だけを取り出し、財布を元に戻すのだそうだ。
ネタは亡くなった桂米朝の創作だが、今では古典並みの扱いになった。冒頭の金持ち風の旦那とスリとの軽妙な掛け合い、このスリが貧しい子供を見かねて店から一文笛を抜き取りその子に与えた事による悲劇、そして最後はスリが病気になっていた子供を救う人情噺だ。正蔵の高座はそれぞれの人物像をしっかりと演じ分けていて良い出来だった。

正蔵『雛鍔』、3代目金馬が得意としていて、これを継いだ志ん朝の名演が印象に残っている。正蔵は志ん朝の型を基本に演じていたようだ。上昇志向の強い植木職人とその女房、そして小生意気な8歳の男の子が主役だ。仕事先の武家の屋敷で偶然見かけた息子と同じ8歳の若君、拾った硬貨がお金であるのを知らず、「お雛様の刀の鍔」だという。その奥ゆかしさにすっかり感心した植木職人、家に勝ってからこのエピソードを女房に話し、我が家の息子もこう育てたいと言い出す。しかし現実主義の女房は若君は周囲の家来が遊ばせてくれるが家の子はお金が遊ばせてくれるのだから事情が違うと反論する。
そうこうしている内に父親の代から出入りしている商家の大旦那が植木屋の家を訪ね、商家の屋敷の庭の手入れに行き違いがあり、植木屋の誤解を与えた詫びを言って謝る。一見、本筋とは関係が無いこの場面を挟む事によりネタの奥行きが出てくる。大旦那に出す茶菓子の羊羹の出し方に職人は細かな注文を付けるのだが、このヤリトリを通して植木屋夫婦の性格の違いを際立たせる。8歳の息子は見栄っ張りな父親の意向を素早く汲んだのだろう、硬貨を手にして「こんなもの拾った」と言いながら家に戻り「これはお雛様の刀の鍔かな」と若様と同じセリフをはく。戸惑う父親に対し、これを見た商家の大旦那はすっかり感心して、ご褒美に手習い道具一式を提供すると申し出る。見栄っ張りの職人は大喜び、息子に「そんな不浄なもの捨てちまえ」と命じると、息子は「やだい、これで焼き芋を買って食うんだい」でサゲ。
「付け焼刃は剥げ易い」という教訓的な噺だが、武士、商家、職人といった様々な階層の人間を出し、その職人一家にしても亭主と女房との間の違いや、子供ながらに父親の意図を汲んで行動する息子を対比させている実に良く出来た演目だと思う。
正蔵の高座では職人の息子が上手く描かれていた。
当代の正蔵については今も色々な批判の声を聞くが、こぶ平時代を知っている者としてよくここまで修練したなという感慨の方が深い。名跡襲名を機にステップアップした典型例としてとらえるべきかと思う。

志ん輔『三枚起請』、マクラで起請文についての説明があり、特に熊野三山の牛王宝印(熊野牛王符)がよく用いられ、熊野の牛王宝印に書いた起請文の約束を破ると熊野の神使であるカラスが三羽死に地獄に堕ちると信じられていた。この事と高杉晋作が作ったといわれる都々逸「三千世界の鴉を殺し、主と添寝(朝寝)がしてみたい」の両方を知らないと、このネタのサゲが分からない。
浪花節のひとつに、篠田実の「紺屋高尾」の歌い出しに「遊女は客に惚れたと言い、客は来もせでまた来るという、嘘と嘘との色里で」というのがあるが、色里は遊女と客の騙し合いの世界だ。そう承知して楽しんでくればいいんだが、えてして客である男たちが騙されるケースが多い。
この演目に出て来る花魁は同時に3枚の起請文を男3人に渡していたのだから相当な者だ。だから男たちが集まって懲らしめてやろうと一計を案じてもビクともせず、開き直って啖呵を切る始末。
志ん輔の高座は人の良い男たちと厚顔の女郎との対比が巧みに描かれていた。

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コメント

こぶ平時代には父親譲りの小噺(不忍池の亀に50円玉を投げている老婆を注意したら、「看板に亀のエサ50円って書いてあるよ」)を聴いたことがあります。
正蔵は小朝に従いて古典を習ったことが奏功しているんですかね。人物の描き分けができている、なんていうのはすごいもんです。


福様
こぶ平の正蔵襲名が決まった辺りから見ていますが(襲名前日の「こぶ平」最後の高座も見ている)、古典に本格的に打ち込んでいました。襲名を機に飛躍した、最近では数少ない例だと思います。

6月の三田会、コンビニで買おうと思いますが、取れるかなあ。

佐平次様
次回は昼夜共に人気の番組になってますので、発売日に速攻で取らないと難しいかも知れません。

正蔵さんは、以前緑林門松竹のおすわ殺しを聴いたことがあります。

あの愛嬌のある顔が、悪党が頑是無い子供の首をはねる場面で、ものすごく怖い表情になるのに驚きました。

なんでも雲助師匠に習ったようです。

なかとみ様
『緑林門松竹』は先代正蔵の持ちネタの一つですが、当代も高座に掛けていましたか。未だに「こぶ平」時代のイメージを抱いている落語ファンもおられるのですが、とにかく彼は努力していると思います。

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