名作浪曲の歌い出し(外題付け)
戦後の娯楽といえばラジオだ。最初はNHKだけだったが1951年から民間放送が始まると、落語や漫才、浪曲(浪花節)などの大衆芸能が電波にのって家庭に流される。なかでも浪曲は今では想像もつかない程の人気で、子どもでも虎造の清水次郎長伝の一節ぐらいは唸ることが出来た。銭湯に行けばどこかのお兄さんやオジサンが湯船で浪曲を唸る声が聞こえていた、そんな時代だった。
当時、一世を風靡した名作の歌い出し(外題付け)を以下に紹介する。
2代目広沢虎造「清水次郎長伝~森の石松」
浪曲師として決して美声とはいえないし何より声が小さいという欠点がありながら、独特の「虎造節」と清水次郎長伝で大当たりした。浪曲といえば虎造であり、虎造を1ヶ月呼んで興行を打てばその興行師は家が一軒建つといわれた程の人気者。私もラジオの連続口演(「虎造アワー」)を熱心に聴いたものだ。
旅ゆけば駿河の国に茶の香り
名題なるかな東海道
名所古蹟の多いとこ
なかに知られる羽衣の
松とならんでその名を残す
街道一の親分は清水港の次郎長の
数多(あたま)身内のある中で
四天王の一人で乱暴者といわれたる
遠州森の石松の苦心談のお粗末を
悪声ながらもつとめましょう。
2代目玉川勝太郎「天保水滸伝」
虎造と人気を二分した浪曲師で「玉勝」の愛称で知られていた。平手造酒(ひらてみき)というヒーローを生んだ名作。
利根の川風袂に入れて
月に棹さす高瀬舟
人目関の戸たたくは川の
水にせかれる水鶏鳥(くいなどり)
恋の八月大利根月夜
佐原囃子の音も冴え渡り
葭(よし)の葉末に露おく頃は
飛ぶや螢のそこかしこ
潮来あやめの懐しさ
私しゃ九十九里荒浜育ち
というて鰯の子ではない
寿々木米若「佐渡情話」
人情浪曲の代表作。美声でしたね。
佐渡へ佐渡へと草木もなびく
佐渡はいよいか住みよいか
歌で知られた佐渡が島
寄せては返す波の音
立つやかもめの群れ千鳥
浜の小岩にたたずむは
若き男女の語り合い
浪花亭綾太郎「壷坂霊験記」
演者が盲人であり、盲人の話を語るので文字通り紅涙を絞る演題だった。ライブで観たことがあるが、曲師の奥さんに手を引かれて舞台に上がっていたのが印象的だった。
妻は夫をいたわりつ
夫は妻を慕いつつ
頃は六月なかのころ
夏とはいえど片田舎
木立の森のいと涼し
小田の早苗も青々と
蛙のなく声ここかしこ
三門博「唄入り観音経」
浪曲師というより演歌師に近いような発声だったが、ウットリするような美声だった。レコードが200万枚売れたというから当時としては驚異的な大ヒットだった。
遠くチラチラ灯りがゆれる
あれは言問こちらを見れば
たれを待乳(まつち)のもやい船
月にひと声雁が鳴く
秋の夜更けの吾妻橋
初代春日井梅鴬「赤城の子守唄」
野太い声で唸る独特の梅鴬節で絶大な人気を博していた。いまでも上方の芸人が浪花節の物真似をする時はこの「梅鴬節」が多く使われている。
満つれば欠くる月の影
昨日の淵は今日の瀬と
移り変わるも人の世の
定めとあれば是非も無く
飛ぶ鳥落とす勢いの
国定忠治も情けなや
今じゃ十手に追い込まれ
明日をも知らぬその命
初代相模太郎「灰神楽三太郎」
この人もライブで観たが愛嬌のある人だった。コミカルな浪曲で、 昭和30年代の大人気ラジオ番組「浪曲天狗道場」の審判を務め「ちょいと待ったぁ」という掛け声でも有名であった。
毎度みなさまお馴染の
あの次郎長に子分はあるが
強いのばっかりそろっちゃいない
なかにゃとぼけた奴もある
ドジでマヌケでデタラメで
その上寝坊でおっちょこちょい
付けたあだ名が灰神楽とて
本当の名前が三太郎
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ところどころ思いだします。
懐かしい、あの貧しかったラジオの置いてある部屋、ながら勉強をしてました。
投稿: 佐平次 | 2015/04/22 21:52