「戦後レジーム」を語る資格があるのか
先日の党首討論で、共産党の志位委員長の質問に対し安倍首相がポツダム宣言の内容についてまだ詳らかに読んでいないという発言したことが話題となっている。戦後レジームからの脱却を唱えている安倍首相が、戦後レジームの原点とも言うべきポツダム宣言もきちんと読んでいなかったのかという疑惑が持たれている。当日のヤリトリをビデオで見る限りでは、読んでいないか或いは読んでいても頭に入っていないのか、そのいずれかなという印象を持った。
安倍首相は再三「戦後レジームからの脱却」を主張している。その戦後レジームとは何かだが、一般に第二次世界大戦後の世界の枠組みを決めたヤルタ・ポツダム体制(YP体制)と考えられているようだ。具体的には「ヤルタ会談」と「ポツダム宣言(会談)」を指すのだろうが、これだけでは不十分だ。
大戦中に連合国側は多くの会議や会談を行っているが、この中で特に日本にとって重要なのは
・戦後のアジアの枠組みを協議した「カイロ会談(宣言)」
・ソ連の対日参戦を決めた「ヤルタ会談」
・日本軍の無条件降伏を求めた「ポツダム会談(宣言)」
の3つだ。
これらの会談の結論や協定、宣言も大事だが、会談の過程でどのような議論がなされたかという点も見逃せない。
例えば「カイロ宣言」は、中国の国民党政権(蒋介石)が日本と単独講和を結ぼうとしていたのを、米国が連合国側に引き戻すために行った側面が強い。
「ヤルタ会談」では対独戦の勝利するために当初は渋っていたソ連を米英が説得し、対日参戦を約束させていた。
「ポツダム宣言」では日本の無条件降伏と解釈している方が多いが、最終的には日本の「国体護持」などの要求が受け容れられている。
協定や宣言の文書はもちろんのこと、そうした中身を理解せずに「戦後レジーム」は語れないのだ。
日本の戦後レジームでもう一つ重要なことは、昭和天皇とマッカーサーの会見である。占領期に昭和天皇と連合国最高司令官であるマッカーサー(後期はリッジウェイ)との会談は18回に及んでいる。これまで正式の会見記録として明らかになっているのは第1,3,4回(4回は一部のみ)だけだが、会見の通訳を務めた松井明による「天皇の通訳」(以下、松井文書)により、会見の全貌がほぼ明らかになっている。残念ながらその全文は非公開で、一部の研究者のみが閲覧できているといった程度にとどまっている。
松井文書は「昭和天皇が占領期に果たされた役割について後世の人たちに知って貰うために」まとめられたもので、それこそ戦後レジームを検証する際には欠かせない文書だ。
詳細は省くが、戦後日本の政治体制-東京裁判、安保条約、サンフランシスコ講和条約、沖縄の軍事基地化など-の根幹のほとんどは、この「昭和天皇・マッカーサー会見」で決まっていた事が分かる。
戦後レジームを否定するのであれば、先ず両者の会見で決められた事こそ問題視せねばなるまい。
今回の件で、「戦後レジームからの脱却」論者の底の浅さを露呈した感がある。
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