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2015/06/30

2015年上半期佳作選

恒例により、今年の1-6月に聴いた落語の中で優れたと思われる高座を下記に紹介する。
演者、演目、月日、会の名称の順となっている

桂文我『吉野狐』1/16「桂文我新春二夜連続落語会」
春風亭一之輔『芝浜』1/20「鈴本演芸場正月二之席」
三遊亭萬窓『花見小僧』2/5『第28回四人廻しの会』
桂吉坊『猫の忠信』2/9「第4回吉坊・一之輔二人会」
桂かい枝『胴乱の幸助』2/13「第21回西のかい枝・東の兼好」
春風亭一朝『包丁』2/21「第36回三田落語会」
桂梅團冶『鴻池の犬』3/3「第18回文我・梅團冶二人会」
五街道雲助『お直し』3/6「雲助蔵出しぞろぞろ」
桃月庵白酒『子別れ(上)強飯の女郎買い』4/3「第43回白酒ひとり」
露の新治『中村仲蔵』4/24「まいどおおきに露の新治です」
柳家権太楼『らくだ』5/1「鈴本演芸場5月上席」
桂雀々『鶴満寺』5/6「雀々・生志・兼好 密会」
桂枝光『紙屑屋』5/9「第45回上方落語会」
入船亭扇辰『団子坂奇談』5/21「扇辰・白酒二人会」
露の新治『紙入れ』6/27「第38回三田落語会」

上方が半数を占めたのが特徴的だ。噺の中に唄や踊り、芝居の所作を取り込んだネタが多くタップリ感があり、満足度が高くなるからだろう。
東京では、権太楼、雲助、一朝といったベテラン勢の活躍が目立った。

2015/06/28

新治主義と白酒ナリズム「三田落語会・夜」(2015/6/27)

第38回三田落語会・夜席「露の新治・桃月庵白酒」
日時:2015年6月27日(土)18時
会場:仏教伝道センタービル8F
<  番組  >
前座・入船亭ゆう京『堀の内』
露の新治『紙入れ』
桃月庵白酒『お化け長屋』
~仲入り~
桃月庵白酒『茗荷宿』
露の新治『船弁慶』

ゆう京『堀の内』、ミスはあったがテンポが良くいい出来だった。独自のクスグリも入れて前座のこのネタとしては高水準。

新治『紙入れ』、育毛剤に今まで40万円ほどつぎこんんでいるが効果がないという話をマクラに。筆で塗っていたら、髪より先に筆の毛が抜けてしまったで、会場の爆笑を誘う。相変わらずツカミが巧み。
間男の新吉は貸本屋だ。私が小学生の頃までは東京にも貸本屋があった、2種類あり、一つは店舗を構えていて客が本を借りに来るタイプ、もう一つは注文を取って期日に貸本を届けてくれるタイプだ。新吉は後者のタイプで、得意先である主人の元へ通っていた。しかしヒョンな所から奥方と深い仲になり、今日も今日とて亭主が仕事で泊りになるからと奥方からの誘いの手紙が来る。こうなると女性の方は大胆かつ積極的になる。二人で盃を酌み交わし、後は御約束のお床入り。
東京の落語家の演出と違って、新治の高座では奥方の誘いが濃密だ。新吉に拗ねて甘えて、彼が酒を呑む時に顔をじっと見つめるのだが、その表情の物欲しそうなこと。着物と帯を次々と脱ぎ捨て肌襦袢1枚になって今度は寝化粧、その際の期待感に満ちた表情のアップ。
ストーリーは毎度お馴染みなのだが、こうした細部の描写が丁寧だ。
翌朝に新吉が主を訪ねてくる時も、主の煙草の吸い方が堂に入っている。鷹揚だが間抜けな亭主と目端が利く女房との対比も鮮やかに、上出来の高座だった。

白酒『お化け長屋』、現在行われている神楽坂祭りを話題にマクラにふる。白酒が地元だとは知らなかった。神楽坂も人通りは増えたが、その分落ち着きのない街になってしまった。
長屋に一軒空き家があり、周囲の住人は物置代わりに使って便利にしていたが、大家に見つかり叱られる。長屋が全て埋まってしまうと大家が強気になるし、何とか空き家をそのままにしておきたい。そこで長屋の長老・古狸の杢兵衛が長屋の差配ということにして、空き店を借りに来る人間を怪談話で脅して追い返そうと企む。最初に来た男は気が弱く上手く追い返したが、次に来た威勢のいい男は気が短く、かつ杢兵衛の語る怪談話の矛盾を突いてくるという性分だから、手に負えない。あの家に住んでいたのは27,8の後家さんと言えば、27なのか28なのかはっきりしろいと言われる。後家って亭主は死に別れか、なんで死んだんだと訊かれ、杢兵衛は老衰だと答えてしまう。泥棒が寝入っている後家さんの寝乱れ姿を見てついムラムラとして懐に手を入れ・・・と言えば、俺だったらそういう風にはしないなどといちいち混ぜ返される。男のツッコミに杢兵衛が次第に追い詰められる所を見せ場にして、いつもの白酒ナリズムの高座で客席を沸かしていた。

桃月庵白酒『茗荷宿』、江戸時代の飛脚の話をマクラに、十八番のネタへ。泊り客の早飛脚が、茗荷のフルコースを次第にウンザリしながら食べる仕草がよい。

新治『船弁慶』、新治が言っていたが上方でも滅多に高座にかけないという大ネタだ。能の『船(舟)弁慶』を題材にしている。能の舞台は一度観たことがあるが、能にしては動きが激しく、しかも分かり易い。庶民もこの舞台だけは親しみが持てたのではなかろうか。
武蔵坊弁慶とは直接関わりはなく、他人のお供ばかりする人間、つまり他人の奢りでご馳走になるような人間を、花柳界の隠語で「弁慶」と称したようで、これが後半のパロディとサゲに通じている。
この噺は大きく分けると前半の長屋の場面と、後半の船上での宴席の場面に分かれる。
粗筋は。
喜六の住む長屋へ友だちの清八が訪ねてきて、一人3円の割り前で舟遊びをしようと誘いに売る。馴染みの芸子も呼ぶという。喜六は、いつもは他人の奢りで飲み食いしているので芸子たちから「弁慶はん」と呼ばれているから嫌だと渋る。清八は、それならもし宴席で喜六のことを「弁慶」と呼ぶ人間がいたら、割り前は自分が払うからと説得し、喜六も同意する。そこへ喜六の女房・お松が帰宅する。このお松はやたら気が強く、しかも怖ろしい女だ。そこで清八は友達同士の喧嘩の仲裁のためと偽って喜六を連れ出す。
船に着くと既に宴会が始まっていて、喜六は誰かが「弁慶」と呼べば割り前を払わずに済みので待っていたが、清八が手を廻していて誰も「弁慶」とは呼ばない。諦めた喜六は盛んに飲み食いし、酔っぱらってしまう。酔った勢いで赤褌一丁になって踊り出すと、清八は白褌でこれに応える(ここは赤白、つまり源平の見立て)。
一方、仲間と夕涼みに難波橋にやって来たお松は、船上で踊り狂う亭主を見つけ、渡し船に乗って亭主らの乗った船に上がってくる。
お松は「あんた。こんなとこで何してなはンねん」と叫ぶなり喜六の顔をひっかく。喜六は驚くが、「何さらすんじゃ」と言い返すなり、お松を川の中へ突き落としてしまう。川は腰までの浅さであったため、お松はすぐに立ち上がり、流れてきた竹竿を手にし、「そもそもこれは、桓武天皇九代の後胤、平知盛、幽霊なり」と能の『船弁慶』おける知盛の霊を演じはじめる。
今度は喜六が、「その時喜六は少しも騒がず、数珠をさらさらと、押し揉んで」と言いつつシゴキを輪にして大きな数珠に見立てて、「東方降三世夜叉明王、南方軍荼利夜叉明王」と弁慶を演じて応じる。
これを難波橋の上から見ていた連中が、「あれ何だすねん」「えらい喧嘩でんな」「いや夫婦喧嘩と見せかけて、『船弁慶』の俄(にわか)やってまんねやがな。こら、ほめたらなあきまへんで」「川の中の知盛はんもええけども、船の上の弁慶はんも秀逸秀逸。よう!よう! 船の上の弁慶はん! 弁慶はん!」。
それを聞いた喜六は、「何い、『弁慶』やと。今日は、3円の割り前じゃい!」でサゲ。

このネタは、最初の喜六と清八の遊びの誘いをめぐる会話の場面、妻・お松の登場と喜六がどれほどお松が怖ろしい女かを語る場面(「焼き豆腐」のエピソードは秀逸)、華やかな大川での船遊びの場面と喜六夫婦の喧嘩の場面からなる大作。登場人物の漫才のようなユーモラスなやりとりあり、はめものを用いた動きのある演技あり、能のパロディありで、演者には相当な体力と技量が必要だ。
新治は途中少し疲れを感じたものの、切れ目なく快適なテンポでこの大ネタを演じ切った。
せっかく東京で上方落語を聴くのだから、やはりこうした上方でしか聴けないような演目が望ましい。新治の出る会ではいつも1席はハメモノを使った賑やかなネタを選び、私たち東京の落語ファンを楽しませてくれる。
こうした新治主義が、東京でも多くのファンを獲得している要因だと思う。

期待通りの二人会、真に結構でした。

2015/06/27

鈴本演芸場6月下席(2015/6/26)

6月26日、「鈴本演芸場6月下席」へ。

前座・三遊亭ふう丈『転失気』
<   番組   >
月の家鏡太『近日息子』
鏡味仙三郎社中『太神楽』
古今亭菊丸『豆屋』
隅田川馬石『たらちね』(代演)
ホンキートンク『漫才』
春風亭一朝『やかん泥』
宝井琴調『浅妻船』
江戸家小猫『動物ものまね』
橘家圓太郎『へっつい幽霊』
─仲入り─
アサダ二世『奇術』
橘家文左衛門『道灌』
三遊亭歌武蔵『漫談』
柳家小菊『粋曲』
桂藤兵衛『短命』

いつもの寸評。
鏡太『近日息子』、初見。真打昇進が近いんだろう落ち着いた高座だったが、成人の息子が子どもに見えた。
菊丸『豆屋』、物売りの声をマクラに本題へ。気の弱い豆売りと強面の客との対比を面白く描く。この人が演るとネタがみな上品に映る。
馬石『たらちね』、八の所へ嫁入りする娘、さる京都のお屋敷の箱入り娘だったようだが、貧乏長屋に嫁いできたのは、どうやら言葉が丁寧過ぎて婚期を逸したもようだ。言葉が丁寧というよりは「音読み」を多用してるんだけどね。こういう前座噺をさせても馬石クラスが演ると一段と面白い。進境著しく、師匠の芸風に最も近い。
一朝『やかん泥』、数ある泥棒ネタの中では面白味に欠けるのか、寄席の高座にかかる機会が少ない。泥棒の親分が家に忍び込み台所用品だけを盗むという設定が時代を会わなくなってきたのかも知れない。一朝の丁寧な高座にかかわらず客席の反応が鈍かった。
琴調『浅妻船』、朝妻船(あさづまぶね)とは、滋賀県琵琶湖畔・朝妻(米原市朝妻筑摩)と大津と間での航行された渡船。元禄期の絵師・英一蝶(はなぶさ・いっちょう)が浅妻船を描いた絵画が、絵で将軍綱吉と柳沢吉保を風刺したと解釈され、咎人として三宅島へ流されてしまう。直前に出会った友人の俳諧師・宝井其角(たからい・きかく)に、地元で加工する干物にある印を付けておくので、それが自分の無事を示すサインだと思ってくれと話す。其角は一蝶の老母の面倒を見ながら、干物に付けられた印を探し、その無事を確かめるという、二人の友情の物語。
講釈としては地味なストーリーで、観客に分かりづらかったかな。
小猫『動物ものまね』、この人の祖父や父親の高座を見ているが、彼が一番研究熱心だと思う。トークの技を磨けば祖父や父を乗り越えるのでは。
圓太郎『へっつい幽霊』、通常の筋書と異なる演出だった。主な相違点は以下の通り。
①道具屋から3両でカマドを買った客がその晩のうちにカマドを引き取ってくれと頼み込み、道具屋の主は1両2分で買い戻すのだが、圓太郎の高座では最初の客が3両でカマドから幽霊が出ると話してしまう。以後道具屋は幽霊が出るのを承知で次々とカマドを客に売りつける事になる。
②幽霊話の噂が町内に拡がり客足が途絶えた道具屋は、博打打の熊に引き取って貰うのだが、通常は3両付けるのを圓太郎では1両と少ない。
③熊が引き受けたカマドを通常は隣家の徳さんを誘って二人で自宅に運び込むのだが、圓太郎は熊一人で運び入れる。
④通常は二人で運びこむ途中で徳がつまずき、その弾みでカマドから3百両が転がり出る。二人はそれを折半してそれぞれ一日で使い切りスッテンテンとなるという筋だ。圓太郎の演じ方では、幽霊が熊に指示してカマドに塗り込んであった3百両を取り出す。従って普通は熊が徳の親から3百両を用立てて貰うのだが、その場面はカットされる。
恐らく圓太郎は短い時間で済ませるためにストーリーの改変を行ったと思われるが、初めてこのネタを聴いた人には何も違和感は無かっただろう。こういう演出もアリかな。
熊と幽霊の珍妙な会話や、幽霊が変な手つきで賽子を振るシーンを見せ場に楽しく聞かせてくれた。圓太郎の高座は常に全力投球なので気持ちいい。
文左衛門『道灌』と歌武蔵『漫談』は予想していた通り。トリの前の高座なので仕方ないかも知れないが、手抜き感が一杯。
小菊『粋曲』、相変わらず美声だし、抽斗が多いのに感心する。唄の合間に三味線の調子を合わせながら、鼻から息を吐き出す様にしゃべるのが色っぽい。
藤兵衛『短命』、この人らしい上手さは感じたのだが、トリでこのネタはどうなんだろう。それと最初に上がった鏡太の『近日息子』とでは、同じ「悔み」の話で付いてしまった。現に「ほら、何とか言いますね、ああ、嫌み」「そりゃお前さん、悔みだろう」というセリフもかぶっていた。
せっかく楽しみで行ったのに肩透かしを食ったような感じだった。

仲入りを挟んで後半に調子が落ちてしまったかな。

戦争法案と言論統制

今ではドイツのヒトラーやナチスは、独裁者、ファシストと誰もが認めているが、その当時のドイツ人の多くはそした見方をしていなかった。大半のドイツ国民は彼らの本質に気付いていなかった事が明らかになっている。この点は後日機会をみて記事にするつもりだ。
なぜこういう事を書いたかというと、今の日本、あるいはこれから先の日本は果たして大丈夫だろうかという疑念が湧いてきたからだ。

新聞報道によれば、6月25日に開かれた自民党文化芸術懇話会で、次のような発言がなされたとある。
大西英男衆院議員「マスコミを懲らしめるには、広告料収入がなくなるのが一番。政治家には言えないことで、安倍晋三首相も言えないことだが、不買運動じゃないが、日本を過つ企業に広告料を支払うなんてとんでもないと、経団連などに働きかけしてほしい」
井上貴博衆院議員「福岡の青年会議所理事長の時、マスコミをたたいたことがある。日本全体でやらなきゃいけないことだが、スポンサーにならないことが一番(マスコミは)こたえることが分かった」
長尾敬衆院議員「沖縄の特殊なメディア構造をつくったのは戦後保守の堕落だ。先生なら沖縄のゆがんだ世論を正しい方向に持っていくために、どのようなアクションを起こすか。左翼勢力に完全に乗っ取られている」
百田尚樹(作家)「本当に沖縄の二つの新聞社は絶対つぶさなあかん。沖縄県人がどう目を覚ますか。あってはいけないことだが、沖縄のどっかの島でも中国にとられてしまえば目を覚ますはずだ」

彼らの言論統制への意図は極めて明確だ。
注目せねばならないのは会議は自民党本部で開かれ安倍首相の側近も出席していたことで、上記の発言も安倍首相に近い議員や「お友だち」から出ていることだ。
本人たちはその後やれ非公式だったとか雑談だったとかと言い訳をしているようだが、逆にみればそれだからこそ本音が出ていたとも言える。
現在国会で審議中の安保法制には多くの批判の声が上がっている。これら法案を通す上でも、さらに成立した法律を施行する上でも、彼らから見た「雑音」は極力排除せねばならないのだ。
彼らの発言について「権力(政権)のおごり」と評している向きもあるが、その批判は本質から外れているように思う。
戦争法案と言論統制は車の両輪であり、その先に憲法改正を見据えているのだろう。
今回の自民党文化芸術懇話会におけるいくつかの発言は、安倍政権の「衣の下の鎧」を見せてしまったことになる。

2015/06/24

東海道四谷怪談(2015/6/23)

「東海道四谷怪談」
日時:2015年6月23日(火)13時
会場:新国立劇場 中劇場

作:鶴屋南北
演出:森新太郎
上演台本:フジノサツコ
【出演者】
内野聖陽、秋山菜津子、平岳大、山本亨、大鷹明良、木下浩之、有薗芳記、木村靖司、下総源太朗、
陳内将、谷山知宏、酒向芳、北川勝博、采澤靖起、今國雅彦、稲葉俊一、わっしょい後藤、森野憲一、
頼田昂治、花王おさむ、小野武彦
【ストーリー】
元塩冶藩士、四谷左門の娘・岩(秋山菜津子)は夫である民谷伊右衛門(内野聖陽)の不行状を理由に実家に連れ戻されていた。伊右衛門は左門に岩との復縁を迫るが、過去の悪事を指摘され、辻斬りの仕業に見せかけ左門を殺害。ちょうどそこへ岩と袖(陳内将)がやってきて、左門の死体を見つける。嘆く2人に伊右衛門は仇を討ってやると言いくるめる。
伊右衛門と岩は復縁し岩は出産するが産後の肥立ちが悪く、病がちになったため、伊右衛門は岩を厭うようになる。高師直の家臣伊藤喜兵衛(小野武彦)の孫・梅(有薗芳記)は伊右衛門に恋をし、喜兵衛も伊右衛門を婿に望む。高家への仕官を条件に承諾した伊右衛門は、按摩の宅悦(木下浩之)を脅して岩と不義密通をはたらかせ、それを口実に離縁しようと画策する。喜兵衛から贈られた薬のために容貌が崩れた岩を見て脅えた宅悦は伊右衛門の計画を岩に暴露する。岩は悶え苦しみ、置いてあった刀が首に刺さって死ぬ。伊右衛門は家宝の薬を盗んだとがで捕らえていた小仏小平(谷山知宏)を惨殺。伊右衛門の手下は岩と小平の死体を戸板にくくりつけ、川に流す。
伊右衛門と梅は祝言をあげるが、婚礼の晩に伊右衛門は岩の幽霊を見て錯乱し、梅と喜兵衛を殺害、逃亡する。
伊右衛門が気晴らしに釣りをしていると、岩と小平の死体を打ちつけた戸板が流れてきて、二人の幽霊から責められる。
伊右衛門はなお高家への仕官を画策するがその度に岩の亡霊に邪魔され、殺害を重ねてゆく。
岩の形見の簪を妹の袖が見つけ、通りかかった宅悦から岩が殺された経緯と真相を聞かされ、夫の佐藤与茂七(平岳大)に姉の仇討ちを頼む。
蛇山の庵室で伊右衛門は岩の幽霊と鼠に苦しめられて狂乱する。そこへ真相を知った与茂七が来て、舅と義姉の敵である伊右衛門を討つ。
(原作では岩の妹・袖と直助との悲劇が織り込まれているが、この舞台ではカットしている。そのため後半の筋書は書き換えられている。)

ネットでは既にいくつかの劇評が掲載されているが、概して評判は芳しくない。新聞などの劇評も大概は甘口に書かれる事が多いが、朝日紙上などではコテンパンだった。
しかし、私はこの作品を評価したい。
もちろんツッコミ所は満載だ。直助が登場しない。女優は秋山菜津子一人だけで他は全て男優だけだ。その女形が「形」を成していないので客席から度々失笑がもれる。最後の伊右衛門の立ち回りに時間をかけ過ぎている、・・・等々。
それでもなおこの作品を評価するのは、先ずは原作の良さだ。
よく知られるように、「東海道四谷怪談」は忠臣蔵の外伝という形で書かれたもので、初演は「仮名手本忠臣蔵」と同時に上演されている。
忠臣蔵に出てくる赤穂浪士たちは主君の仇を討つために一身を投げ出し、最後は本懐を遂げて切腹を命じられ死んで行く。でも、そうした浪士は少数で、他の多数の浪士たちは伝手をたどって再就職、つまい別の藩に仕官する道を選んだのだろう。家名を保ち妻子を養うためにはそれ以外の道は無かったのだ。
「東海道四谷怪談」では主人公の伊右衛門が舅の主君の仇である高家への仕官を図るが果たせず、破滅の道を歩んで行くというストーリーだ。この物語は「アンチ忠臣蔵」だ。その一方、最後は佐藤与茂七が舅と義姉の敵である伊右衛門を討つという、もう一つの仇討物語となっている。
この舞台ではその肝心の部分を分かりやすく描いていたと思う。

この舞台の特長は、溢れんばかりの伊右衛門の「生きる」事への執着と、それに対する岩の怨念の深さ、その両者のぶつかり合いに焦点を当てたことだ。袖と直助のサイドストーリーを敢えてカットしたのもそのためだろう。
芝居や映画では伊右衛門は色悪として描かれることが多いが、この作品の彼はとにかく生きたいのだ。岩の幽霊の悩まされながらも最後まで仕官の道を諦めずにひたすら生きようともがき続ける。これは現代人にも通じる姿だ。
一方の岩は、父親の仇討ちだけを願って伊右衛門に尽くすが裏切られ、騙されて毒薬を飲まされ顔の形まで崩され憤死してゆく。その怨念により伊右衛門を破滅させ、自らが願っていた親の仇討ちを成就させる。この芝居のお岩は決して運命に翻弄されるだけの弱い女性ではなく、死してなお本懐を遂げようとする強い女性として描かれている。
最終シーンの決闘の場も、最後まで生きることに拘る伊右衛門の姿を象徴的に描きながら、雪の中での仇討という「忠臣蔵」との対比を鮮やかに演出したものと解釈する。

床に白いシートを敷き、背景は白のパネルだけという簡素な舞台装置も効果的だった。
出演者では、先ずはお岩役の秋山菜津子の演技が素晴らしかった。岩の哀れさと強さが巧みに表現されていた。特に顔面が崩れた後で化粧台の前で鉄漿(おはぐろ)を塗るシーンは見ていてゾクゾクしてきた。
伊右衛門役の内野聖陽は熱演だった。いわゆる色悪ではない、なりふり構わず必死に生きようとする新しい伊右衛門像を作りあげた。
この作品は二人の芝居だ。

公演は28日まで。

2015/06/20

「バルト三国旅行記」掲載のご案内

だたいま「ほめ・く 別館」にで「バルト三国旅行記」を連載しています。ご興味のある方はのぞいて見て下さい。

余談ですが、6月3日にラトビアの首都リガの国会や大統領府周辺を観光していたら、人だかりが出来ていました。ガイドから様子をきくと、現在ラトビア大統領選挙の真っ最中で、第1回投票で過半数に達した候補者がいなかったので、この日二人による決選投票が行われたとの事でした(大統領は議員による選挙)。その開票結果を待って国営放送が取材に来ていました。
やはりこうしたニュースはベテランアナウンサーが担当するのでしょう。
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女性アナウンサーに近づきカメラを向けたら笑顔を返してくれました。
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こういう場面に出会えるのも旅の楽しみの一つです。

帰国して日本のニュースを見たら、下記の記事が掲載されていました。
【ラトビアの新大統領の選出
バルト3国の一つ、ラトビアからの報道によると、ラトビア議会は6月3日、次期大統領に国防相のライモンツ・ベーヨニス氏(48)を選出した。任期は4年。現職ベルジンシ大統領は家庭の事情を理由に1期目の任期満了で退任する。】
うちのあの首相も、早く退任してくれませんかね。

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