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2015/07/19

『ペール・ギュント』(2015/7/18)

『ペール・ギュント』
日時:2015年7月18日(土)13時
会場:神奈川芸術劇場(KAAT)
作/ヘンリック・イプセン
構成・演出/白井晃
翻訳・上演台本/谷賢一
音楽・演奏/スガダイロー
【出演】
内博貴
藤井美菜 加藤和樹 堀部圭亮 橋本淳 三上市朗
河内大和 小山萌子 桑原裕子 辰巳智秋 瑛蓮
宮菜穂子 皆本麻帆 荒木健太朗 青山郁代
益山寛司 高木健 チョウヨンホ 間瀬奈都美
大胡愛恵 薬丸翔 石森愛望
前田美波里

「ペール・ギュント」は、ヘンリック・イプセンが1867年に作った戯曲で、自由奔放なペール・ギュントが旅に出て年老いて帰ってくるまでの物語。
イプセンの依頼でこの戯曲にエドヴァルド・グリーグが曲をつけて上演されたが、今ではグリーグの曲の方が有名なのではなかろうか。私も大好きな曲で、深い悲しみに包まれた「オーゼの死」、爽やかな早朝をイメージさせる「朝」、エキゾチックな「アニトラの踊り」、切なさがこみ上げてくる「ソルヴェイグの歌」と、みなすばらしい。
一度芝居を見たいと思っていたので、今回観劇することにした。

ストーリー。
時代は19世紀初めから約60年間の物語。
落ちぶれた豪農の息子で空想と野望で頭がいっぱいの男ペール・ギュントは、かつての恋人イングリを結婚式から奪取して逃亡する。イングリに飽きると彼女を捨て、身分を偽りトロル王女と婚礼寸前まで行くが逃げ出す。純真な女ソルヴェイと恋に落ちるが、母オーゼの死を機に彼女を待たせたまま放浪の旅に出る。山師のようなことをやって金を儲けては無一文になったり、精神病院で皇帝になったり遍歴し、乗船していた船が嵐で沈没し海に投げ出される。漂流して命は助かるが、落ちぶれた老いた姿で帰郷する。
死を意識しながら故郷を散策していると、ボタン職人と出会う。彼は悪人でも善人でもない「中庸」の人間をボタンに溶かし込むのだと言う。「末路がボタン」になるのは嫌なペール・ギュントは、過去に出会った人たちを訪ね、自分がいかに悪い人間だったかを証明して貰おうと駆けずり回るが、誰も証明してくれない。
彼は最後の証人として会ったソルヴェイに子守唄を歌ってもらいながら、彼女の膝の上で永眠する。

この戯曲、有名な割には日本での上演回数が少ないのは、上演時間が長い、面白くない、分かりづらいという欠点からだろうか。
この日も土曜日の昼にも拘らず空席が目立っていた。
劇場のサイトでは、
【常に「自分自身であるとは何か?」を問い、放浪する主人公ペール・ギュントを喜劇的に描いたこの作品は、一種の「自分探し」という今日的な主題を奏でていることから、1876年の初演より現在までに、名だたる演出家による斬新な上演が続けられています。世界中を遍歴し、富と知識を身につけてなお、いかに生き、いかに死んでいくべきなのかと問うペール。その問いかけは100年の時を経てもなお、現在を生きる私たちの心に響きます。】
と書かれている。
しかし、私の眼には腰の定まらぬチャラオが、一攫千金を夢見てあちこちに手を出すが全て失敗したあげく老いさらばえて故郷に戻り、愛する妻に抱かれて眠ることが本当の幸せなんだと気付く、そんな物語に映る。
「自分探し」なんて、やったことも、やりたいと思ったこともない私にとっては、なんのことやら。
そんなわけで、主人公のペール・ギュントに感情移入ができなかった。
むしろソルヴェイの一途な純粋さには心を打たれたが、これも男から見た身勝手な理想像かも。
きっと原作ではもっと高尚な内容を暗示しているのだろうが、凡庸な当方には理解できなかったようだ。
この戯曲はグリーグの名曲と共に味わうのが本当のようだ。

主人公役の内博貴は熱演、舞台装置はよく工夫されていた。

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