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2015/07/31

2015年7月人気記事ランキング

当ブログの2015年7月人気記事ランキングTOP10は以下の通り。
1 入船亭扇橋の死去
2 【ツアーな人々】消えた添乗員
3 安藤忠雄さん、卑怯だぞ!
4 志の輔『牡丹灯籠(通し)』(2014/7/31)
5 安藤忠雄さん、卑怯だぞ!(続報)
6 立川談春『もとのその一』(2015/7/23)
7 『かがみのかなたはたなかのなかに』(2015/7/9)
8 四の日昼席(2015/07/04)
9 【ツアーな人々】団体ツアーは添乗員しだい
10 国立演芸場7月中席・楽日(2015/7/20)

今月は例月にくらべアクセス数が3割近く多かったため、通常の月ならランクインしたであろう記事が圏外に落ちている。
10位までを分野別でみると、落語関係が5本、時事問題と旅行関係が各2本ずつ、劇評が1本となった。
1位は扇橋の追悼記事で、短い文章であったにも拘らず多くのアクセスを集めたのは、扇橋を慕っていた方が沢山おられたという証拠だろう。ああいう粋で味のある噺家がどんどん世を去ってゆく。
4位の志の輔の高座はちょうど1年前に書いたもので、6月に続きランクインした。幽霊だから夏に出るのかも知れないが、「牡丹灯籠」全体の粗筋を要領よくまとめた点が評価されたのかも知れない。
他は談春独演会、地域寄席、国立の寄席がランクインした。
3,5位は新国立競技場にかかわるテーマで、アクセスが集まったのはタイムリーだったからだろう。新国立競技場の建設に関しては、あまりのデタラメぶりが世の批判をよび白紙撤回となった。ただ五輪にかかわる他の施設でも当初予算をはるかに超えるケースが続出している。五輪招致のためにムリヤリ低めの予算を設定したいたことが原因だ。つまり「粉飾予算」だったということ。今では五輪返上の声まで上がっているのは当然である。世界の安藤忠雄もすっかり男を下げてしまった。
旅行関連の記事はいずれも数年前に書いたものだが、そのうちの何本かは毎月コンスタントにアクセスを集めている。
劇評では『かがみのかなたはたなかのなかに』にアクセスが多かったのは意外だった。作品としてはあまり評価してないのだが、なぜだろう?

なお、8月は半ば頃からしばらく休載する予定でいます。

2015/07/30

反対デモへの卑劣な嫌がらせが活発化している

安全保障関連法案に対する反対デモが増加する中で、デモに対する嫌がらせも増している事が「LITERA」のサイトに掲載されている。
大学生グループ「SEALDs(シールズ 自由と民主主義のための学生緊急行動)」が国会前で大規模なデモを実施し注目を集めているが、ネット上では「反体制活動は進路に影響する」という噂が流れているようだ。
その典型は、福岡県行橋市の小坪慎也市議が7月26日に投稿した「#SEALDsの皆さんへ 就職できなくて#ふるえる」と題するブログ記事だ。デモの参加者を「腐った蜜柑」と表現し、多くが就職活動で「不本意な結果」に終わると指摘した。また、デモの参加者が大学のブランド価値を毀損するとして、「同じ箱に入った、腐ってない蜜柑も一緒に廃棄されます」としている。つまり参加者のいる大学の学生は企業から「全員シャットダウン」されてしまうというわけだ。
この小坪市議は無所属ではあるものの、自民党とは深い関係があると見られる。小坪氏が行橋市議に初当選した3年前の選挙で、県外から応援演説にかけつけたのが自民党・現衆議院議員の木原稔氏だ。木原議員といえば、安倍チルドレン議員が集まって「マスコミをこらしめる」発言が飛びかった自民党若手勉強会「文化芸術懇話会」の代表を務めていた人物だ。
日本国憲法は「思想・良心の自由」と「集会・結社の自由」を保障している。デモに参加したことを理由に、企業が学生の採用を拒絶するのは完全に違憲行為なのだ。
その本来はやってはいけない就職差別を逆利用して、学生にデモに参加しないよう脅迫しているのだから、この男は最低の政治家と言わざるを得ない。

他にも7月22日に、政務調査会の調査役という要職にある自民党職員・田村重信氏がこんなツイートをした。
〈SEALDsは民青 過激派 在日 チンピラの連合軍〉
どこかのヨタ記事をそのまま転載したようだが、内容の酷さもともかく不勉強も甚だしい。民青と過激派は昔から互いに不倶戴天の間柄であり、両者が連合するなんて事はあり得ないのだ。
この程度の男が自民党の幹部なんだから、他は推して知るべしだ。

次はお馴染みの「公安」の蠢動だ。
デモ行進に参加した方なら誰もが経験している公安によるデモの撮影。
デモ隊は信号では短く寸断される。さらに大きく曲がる交叉点では隊列がばらける。例えばよくデモ行進に使われる外堀通りから虎の門交叉点で右折するコースでは、交叉点付近が絶好の撮影ポイントになる。数名の公安が歩道に並んで盛んにシャッターを切る姿が目撃される。
彼らはこうして集めた情報を使って企業に情報を提供したり註*)、微罪逮捕やでっち上げ逮捕の材料を探したり、親に内緒で活動している学生や就職が内定している学生を脅したりする。
註*)大手企業には必ずといっていいほど、警察出身者が嘱託などで雇用されている。彼らの仕事の一つは警察が持っている個人情報の入手だ。

憲法で保障されている「思想・良心の自由」や「集会・結社の自由」にのっとって行動している市民を犯罪者扱いし、嫌がらせと弾圧を加える。これが公安の手口であり、官邸がデモの動きに神経質になっている今、その意を受けてさらに動きを強めていると見て良いだろう。

2015/07/29

「アドルフに告ぐ」(2015/7/28)

スタジオライフ公演・紀伊國屋書店提携「アドルフに告ぐ」(日本編)
日時:2015年7月28日(火)18時30分
会場:紀伊国屋ホール
原作:手塚治虫
脚本・演出:倉田淳
<  主なキャスト  >
アドルフ・カウフマン/ 山本芳樹
アドルフ・カミル/ 奥田努
峠草平/ 曽世海司
米山刑事/ 牧島進
ヴォルフガング・カウフマン/ 船戸慎士
由季江/ 宇佐見輝
エリザ・ゲルトハイマー/ 久保優二
本多大佐/ 牧島進一
本多芳男/ 仲原裕之
小城先生/ 鈴木智久
赤羽刑事/ 大村浩司
アセチレン・ランプ/ 倉本徹

ストーリー。
この物語には3人のアドルフが登場する。一人はナチス総統のアドルフ・ヒトラー(日本編では映像のみ)、もう一人はドイツ人と日本人の混血でドイツ国籍のアドルフ・カウフマン、その友人でユダヤ人のアドルフ・カミルである。この芝居の狂言回しとして登場するのが新聞記者の峠草平で、彼の回想として物語は進行してゆく。
時代は1930年代のドイツで、ヒトラーが権力を奪取し独裁政治を始め、ユダヤ人に対する弾圧を強めた
時期だ。
1936年、ベルリンオリンピックの取材でドイツへ渡った峠草平は留学中の弟を何者かに殺される。調べていくと弟がヒットラーに関する重大な秘密を知ったことにより口封じで殺され、さらにその秘密の文書が日本へ向けて送られたことを知る。
その秘密文書とは、ヒトラーの祖父が実はユダヤ人だったっという文書が見つかり、これが明らかになればナチスの支配が根底から崩れてしまう。
日本の神戸ではドイツの総領事館員のカウフマンも本国からの指令を受け、文書の行方を追っていた。熱心なナチス党員である彼は、一人息子のアドルフを国粋主義者として育てようとするが、アドルフは強く反発する。同じ名を持つ親友のアドルフ・カミルが、ナチスドイツの忌み嫌うユダヤ人だったからだ。二人は固い友情で結ばれていたが、やがてアドルフ・カウフマンはドイツに送られ、アドルフ・ヒットラー・シューレの生徒となってナチスを信奉するようになり、ユダヤ人を殺害してゆく人物に変貌する。その一方でユダヤ人娘のエリザに恋心を抱き、収容所送りから逃れるために日本へ逃がす手はずを整え、神戸のアドルフ・カミルに匿って貰うよう頼む。
一方、日本の神戸ではドイツの秘密文書を隠すために奮闘する人たちがいて、それにアドルフ・カミルも巻き込まれてしまう。
秘密文書を入手すすようドイツの上官から命令されたアドルフ・カウフマンは神戸に着き、カミルに会いに行くと、カミルはエリザと婚約していた。激怒したカウフマンはエリザを騙して自宅に招き犯してしまう。この事からカミルとカウフマンという二人のアドルフは決裂、互いに憎みあうようになる。
カウフマンは日本の特高と協力し合って関係者を次々と拷問にかけ、遂に秘密文書を手に入れるが、その時は既にドイツが降伏し、ヒトラーは死亡。努力はなんの役にも立たなかった。
峠草平は共産主義者のシンパと見做されて記者を首になり。特高から監視されて職を転々とした挙げ句、カウフマンの母・由季江(夫は死亡)が経営するレストランの雇われ、その縁で二人は結婚する。しかし神戸の大空襲で由季江は重傷を負い、死亡する。
時は流れて戦後にイスラエルに渡ったアドルフ・カミルはパレスチナ人たちを弾圧する側になる。
アドルフ・カウフマンの方はムスリムの女性と結婚し、今はパレスチナに住んでいる。カミルはパレスチナ掃討作戦の中でカウフマンの家族を射殺してしまう。怒りに燃えたカウフマンは「アドルフに告ぐ」と書いたビラをまき、遂に二人は決闘することになるが・・・。

大河小説のような原作を2時間10分に圧縮して舞台化したもので、脚本にするのはさぞかし大変だっただろう。戦前のドイツと日本の政治状況と多数の登場人物が複雑に絡み合っていて、それを短いカットと素早い場面転換で見せるので、観る側としては筋を追うのが精一杯といった所。私の場合は原作を読んでいないので余計にそうだったのかも知れないが。
個々の人物像が深く掘り下げられていないので、せっかくの熱演も今ひとつ観客の心に響かなかったのではなかろうか。
二人のアドルフの友情が暗黒の歴史の波に翻弄され、悲劇的結末を迎えるというメインテーマは良く理解できた。
現代劇には珍しい男優が女形を演じるという試みは成功していたように思う。

公演は8月2日まで。

2015/07/28

安倍政権は日本を「人治国家」にするつもりか

参院で現在審議されている安全保障関連法案に関し、私は法案の中身そのももに反対だが、この法案が成立することにより日本が法治国家から人治国家に変質する惧れを強く感じている。
それが決して杞憂でないことは、礒崎陽輔首相補佐官の発言にも表れている。
以下は産経新聞の記事から引用だ。

【礒崎陽輔首相補佐官が安全保障関連法案に関し、法的安定性確保を軽視していると受け取られる発言をしていたことが27日分かり、波紋を呼んでいる。礒崎氏は26日の大分市での講演で「法的安定性は関係ない。わが国を守るために(集団的自衛権行使が)必要かどうかが基準だ」と述べた。
自民党の谷垣禎一幹事長が27日の記者会見で礒崎氏の発言について「字義通りの発言だとすると極めて配慮に欠けたことだ」と不快感を示した。民主党の枝野幸男幹事長は同日、安倍晋三首相に礒崎氏の解任を求める考えを明らかにした。
参院平和安全法制特別委員会の鴻池祥肇委員長も同日の理事懇談会で、発言の真意などについて28日の理事会で報告するよう自民党理事に求めた。
礒崎氏は27日、憲法が認める必要最小限度の武力行使は国際情勢によって変化するとの意図だと釈明し、「報道は(発言を)短く切って書かれた」と述べた。菅義偉官房長官は会見で「誤解されるような発言は慎まなければならない」とし、解任の必要はないとの認識を示した。】

礒崎氏の発言はついつい本音が出たのだろうが、決して唐突なものでなく、安倍政権の一貫した立場だといえる。
安倍首相は7月10日、自民党のインターネット放送に出演し、「『憲法学者が反対しているから私も反対だ』という政治家は、責任を憲法学者に丸投げしている」とし、「憲法学者の役割や責任と私たち政治家の責任は違う」と指摘した。 また「国民の生命を守り、国を守る責任は政治家にある」とし、安全保障法案に反対する民主党を批判した。憲法学者への敵意むき出しである。
こうした主張は国会の答弁でも再三繰り返していて、要は憲法学者が何を言おうと(言い換えれば、憲法に抵触していようといまいと)、責任をもって判断するのは私たち(政府)だという主張だ。政府の方針というのはその時々の政権によって変わってくるわけで、憲法や法律を守るという歯止めをなくせば、法治国家は崩壊してしまう。
各国の歴史が示すように、「人治国家」の先にあるのは「独裁国家」への道だ。
安保関連法案を通すかどうかは、我が国の民主主義の分水嶺となる。

2015/07/26

大阪市東住吉区の「模擬原爆追悼式」

1945年7月26日に大阪市東住吉区田辺に米軍の大型爆弾が投下された。この爆弾によって、死者7人、重軽傷者73人、被災者は2000人弱にのぼったとされる。めったに空襲がなかったこの地に突如落とされた爆弾について、当時、地元では「1トン爆弾が落とされた」などと言われていた。
今から20年ほど前、愛知県春日井市の市民団体の方々が終戦50年後に公開された米軍資料から、国内に49発もの模擬原爆を投下したという資料を見つけ公表した。
広島・長崎に原子爆弾を落とす前後に、米軍が試験的に同じ大きさの爆弾を投下し、その後すぐに旋回するための訓練だったといわれている。
後にそれが全国紙で報道され、その中に地元である「田辺」の地名が記されていた。
ラジオ大阪で制作報道の仕事に携わるなどしている東住吉区に住む吉村直樹さん(68)は、「地元でこんなことがあったんか。これは調べな」と思ったと言う。
調査の結果、当時を知る人の証言などが集められ、被害の詳しい状況が明らかになってきた。

模擬原爆は1945年7月26日午前9時26分、米軍の爆撃機「B29」が同区の田辺小学校北側付近にあった料亭「金剛荘」に大型爆弾を投下したとされている。
当時、国民学校教諭として爆心地近くの工場へ学徒動員の生徒20人を引率していた同区在住の龍野繁子さん(90)は、「金剛荘から西へ150メートルの地点にいて、私がいた隣の部屋に大人が両手で抱えきれないほどの石が落ちてきて屋根と2階、1階の床を突き破りました。もし私が隣にいたらと思うとゾッとしました」と当時を振り返った。「金剛荘にはきれいな日本庭園があり、そこにあった石が150メートルも宙を舞い、工場へ落ちてきたと思う」と語った。
「模擬原爆」投下70周年の今日、爆心地近くで追悼式が行われ、当時を知る地元の人や小・中学生らが集まり、犠牲者の冥福を祈った。当時を知る女性らは「できる限り当時のことを伝えていきたい」と話した。

不勉強で「模擬原爆」の事は全く知らなかった。
米軍は原爆投下の予行演習のために、日本各地49カ所に大型爆弾を落とす訓練をしていたのだ。それもわざわざ人が住んでいる土地を使って訓練していた。
日本が戦争をしない国から戦争をする国へ大きく舵を切りつつある今日、戦争になれば人間はどんな非情な事でも出来てしまうという事を改めて肝に銘ずべきだろう。

すべては家庭平和のため

昨日のことだ。
ある落語会のチケットが販売開始となり、昼席・夜席と別れているのだが両方とも顔ぶれが良いのでそれぞれ予約した。電話が終わってその会のチラシを眺めていたら、妻が怪訝な顔で近づいてきた。
「これって、何枚取ったの?」
「1枚ずつだけど」
「あなたねぇ、私のことを考えて2枚取ろうとは思わなかったの?」
実はまったく頭になかったので、虚をつかれてしまった。
だが、ここで狼狽えてはいけない。落ち着け落ち着け。
「いや、昼と夜を取っただろう。二人でどっちか行けばいいと思ったんだ。」
「ああ、そうなの。だったら2枚は要らないわね。わたし〇〇とXXは初めてだから、昼にするわ。」
「じゃ、オレは夜ね。」
と、すっかりご機嫌を直した妻に(泣く泣く)昼席を譲るハメになった。

これは数日前のこと。
芝居の特等席のチケットを手に入れたのが、妻の眼にとまってしまった。
「何枚買ったの?」
「1枚だけど」
「どうして私の分を買わなかったの?」
しまった! 井上ひさしの芝居に行きたいって前から言ってたっけ。
ここで動揺してはいけない。毅然としなくっちゃ。
「これ、君のために買ったんだよ。ほら、桟敷席だろう。こんな席で芝居を観られるなんてメッタにないだろう。」
「あら嬉しい、今から楽しみだわ。」
と、妻は大喜び。
禍福は糾える縄の如し。

己を戒め、相手を立てる。
これぞ我が家の「平和安全保障政策」。

2015/07/25

【ツアーな人々】不快な自慢話し

人間は自慢するために生きているのか、と思えるほど団体ツアーに参加していると山のように聞かされるのが自慢話し。
「自慢高慢馬鹿のうち」という諺があるが、私は自慢話しが大嫌いで、普段はそういうヤツとは一切付きあわない。だから友人は例外なく「自虐性」のある連中だ(オット、これも自慢か?)。
でも団体ツアーのような場では嫌でも数日間は行動を共にせねばならないので、こうした話にも付きあわされる。
有名大学を出ていた、超一流企業に勤務していた、役員をしていた、海外駐在をしていた、会社を経営していた、などを実にさりげなくひけらかすのは男性に多い。現役時代の栄光が忘れられないのだ。そんなモノは捨てて旅行に来てるんじゃないのか。
こちらが感心したりするとツケアガルので、生返事しながら聞き流すことにしている。なかには大仰に「そうですか、それはスゴイですね」と相槌を打つ人もいて相手を喜ばせている。お前は幇間かと言いたくなる。
他には別荘を持ってる、子どもが海外勤務(又は留学)してるとか、こういう話題は女性に多い。
孫がいつもファーストクラスを利用していると自慢していた老婦人がいたが、そいつはよっぽど悪いことをしてるんだろう。
ツアーだからそれぞれの旅行の経験談を交わすのは当然のことだが、「ビジネスに一度乗ってしまうと、エコノミーになんか乗れませんわよね」なんて言われると、どうリアクションしていいか分からない。

近ごろ多いのは儲かったという話題。
世間では実質賃金が下がる続けてるし、年金の手取り額も年々減る一方だ。アンケートで「生活が苦しくなった」と回答した人が過去最高になったという報道もあった。
だが海外旅行に来ている人の中には「アベノミクス」の恩恵を受けている人もいるようで、株で儲かった、為替相場(FXかな?)で儲かったなどと自慢する人に頻繁に出会う。数百万円儲けたという人も珍しくなく、地元の税務署に通報してやろうかと思ってしまう。
本人たちは嬉しくて仕方なくしゃべるんだろうが、聞かされる方はあまり愉快じゃない。日々経済情報をチェックしてるらしく、朝から昨日の日経平均株価はいくらだったとか、1ドルが何円だったとか、そんな話題を振ってくる。それほど気になるなら、旅行なんぞに来ずに日本にいたらと言いたくなる。
イライラでずに、どうせ一期一会、短い間なんだから相手に合わせて和気藹々としていれば良いのだろうが、性格が悪いので我慢ができない。

定年過ぎれば誰もがノーサイド。世間の瑣事を忘れてリフレッシュするために旅行に来てるんだから、自慢話しは控えて欲しいものだ。

2015/07/24

立川談春『もとのその一』(2015/7/23)

立川談春三十周年記念落語会『もとのその一』-THE FINAL-追加公演
日時:2015年7月23日(木)18時30分
会場:めぐろパーシモンホール 大ホール
<  番組  >
春風亭正太郎『権助魚』
立川談春『たがや』
立川談春『小猿七之助』
~仲入り~
立川談春『居残り佐平次』

久々の談春。いま東京の落語家で、常に1000人規模のホールを一人で満員にするという人は数えるほどだ。TVなどのメディアで名前が売れてるなら別だが、高座の魅力だけでこの域に達している人は更に少数だ。談春はその一人。「落語は談春」という熱烈な固定ファンをつかんでいるのが大きい。反面、いわゆる落語通の人たちからの評価はあまり高いとは言えない様に思う。
以前に読んだ記事によれば、談春は照明と音響の専門スタッフを抱えていて、彼らに会場の隅々までチェックさせているとあった。そういう工夫も大ホールでの公演を支えているんだろう。
師匠の談志が亡くなってから、談春はメディアに積極的に出るようにしているようだ。これからの落語界の一端を支えていこうと意志表示にも見える。
少し前までは最もチケットが取りづらい落語家などと評されていたが、最近はそうでもない。当日売りも出ているし、この日も2階席には空席があった。
”立川談春三十周年記念落語会『もとのその一』-THE FINAL-追加公演”とは長いタイトルだが、全国公演のシメをBUNKAMURAで行うのだが、それに先がけてこの日に追加公演を行った。
なお『もとのその一』とは、千利休が残したとされる和歌「利休百首」にある「稽古とは一より習ひ 十を知り 十よりかへる もとのその一」という一首から引用し、「初心に帰る」という強い決意を込めたものだそうだ。

正太郎『権助魚』、大ホールの開口一番でアガリ気味だったが、ネタに入ってからは権助のとぼけた味が出ていて好演。

談春『たがや』、師匠譲りの、最後は旗本の一閃でたがやの首が飛び、周囲が「たがや」と掛け声を掛けるというもの。この方がオリジナル。だがこの噺は江戸の夏の永代橋の情景、花火風景、そして威張り腐った侍に職人のたがやが胸のすくような啖呵を切って、最後は侍たちを切り捨てるという爽快さが魅力なのだ。なんだか理屈っぽく暑苦しい高座だった。

続いて談春『小猿七之助』、この噺は五代目神田伯龍のレコードに惚れ込んだ立川談志が落語にしたもので、全体が講釈調なのはそのためか。
ストーリーは、以前に当ブログで書いた記事をそのまま以下に再録する。
通称を小猿と呼ばれた七之助と、売れっ子芸者・お滝の二人が大川を船で浅草に向かう。
途中永代橋から身投げの男を助け船に上げる。
事情を聞くと、その男は酒問屋の手代で、集金の30両を渡し船の中の博打ですってしまい死のうとしたと言う。さらに話の続きを聞くとイカサマ博打で取られと分かり、七之助はそれなら俺が取り返してやると、そのイカサマ師の名前を訊くと、深川相川町の「網打ちの七蔵」だと言う。
途端に七之助の態度が変わり、今度は手代を大川に突き落とす。
その七蔵こそ、七之助の実の父親だったのだ。
一部始終を聞いていた芸者お滝に、匕首を持った七之助がお滝の命を奪おうと迫るが・・・。
船に一人船頭に一人芸者はご法度、というルールがポイント。このルールは『船徳』の元になった『お初徳兵衛浮名桟橋』にも重要なシーンで使われている。
談春の長所である口跡の良さ、淀みのない語りが活かされていて上出来だった。このネタは2回目だが、今回の方が遥かに出来が良かった。
談春は終りに、歌舞伎の河竹黙阿弥作『網模様灯籠菊桐(あみもようとうろのきくきり)』の中の七之助が奥女中滝川を脅す場面の声色で締めた。この演出も気が利いている。

談春『居残り佐平次』、私たちが普段耳にしいる『居残り』とはいくつかの点で異なる。
①通常は佐平次が自分の友達を品川に誘うのだが、この高座では新橋の居酒屋で偶然に知り合った4人を佐平次が誘う。
②通常は貸し座敷の前で佐平次と牛太郎とのヤリトリがあるが、この高座ではいきなり引き付けでオバサンとの交渉が始まる。佐平次は自分は家来で4人が主役だと紹介する。
③通常は佐平次の部屋で1円ずつの割り前を取った佐平次が自分の1円を足して仲間に渡し、これを母親に届けてくれと頼む。この高座では佐平次は割り前を受け取ってしまいこむ。
④全体的にこの高座の佐平次は言葉が荒く、強面。
⑤客の勝つぁんから小遣いを貰った時に、佐平次は今度はもっと大きなご祝儀をとねだる。
⑥旦那が佐平次に高跳びの50両に着物まで与えたことに、若い衆が文句を言う場面を加えている。
⑦サゲが、佐平次を裏(口)から返すと「裏を返す」のシャレにしている。
このネタの佐平次というのは厚かましい小悪人ながら、どこか憎めないという人物像に描かれるのが普通だが、談春の佐平次はよりアクドイ人物に仕立てている。
どちらが良いのかは好みの問題だが、アタシは前者を好む。
東京落語の特長は「粋」にあると思う。談春の『居残り佐平次』にはその「粋」が欠けているように感じた。

コッテリした3席、タップリ感は味わえた。

2015/07/23

安倍首相の愚にもつかない例え話

安倍首相はここのところ自民党のサイトやTV番組に出演して、安全保障関連法案の解説を行っているらしい。世論調査で法案への反対が多いことに危機感を抱き、自ら国民に分かり易く説明しようというものだ。
例え話にするのが手っ取り早いとでも思ったんだろうが、その例え話がピント外れなのだ。
先ずは「安全保障関連法案は、泥棒からの戸締まりの強化だ」という「戸締り論」、もう年十年も使い古した例え話で新味がない。
他には、「友達のアソウさんと一緒に帰り、3人ぐらい不良が出てきて、いきなりアソウさんに殴りかかった。私もアソウさんを守る。今度の法制でできることだ」。
アソウさんをアメリカ、私を日本に例えたんだろうが、ベトナム、アフガン、イラクとの戦争を見れば、先に殴りかかるのは常にアソウさんの方だ。例えが逆である。
今度は模型を使っての例え話。アメリカの大きな家と、同じ敷地内にある「離れ」、道路を挟んで建っているのが日の丸の家。先ずアメリカの家が火事になり、それが「離れ」に燃え移り、さらに日の丸の家にまで類焼が及びそうになる。そこで日本の消防士が、日本の家を守るためにアメリカの「離れ」の消火を手伝うというお話。
「離れ」に延焼するほどのアメリカの火事って、何を想定してるんだろう。中国がアメリカ本土にミサイル攻撃を開始するとか?、それこそ安倍首相の大好きな言い方を真似れば、「完全に阻止できます」。いくら例え話といっても、もっと気の利いたのがあるだろうに。
いずれも出来が悪いところを見ると、首相本人が考案したものだろう。
安倍首相は「国民に分かり易く」という意味をはき違えている。
こんな子ども騙しのような例え話を持ち出しても、世間の笑い者になるだけだ。

2015/07/22

「東芝」社長の反省なき謝罪会見

東芝の不正会計問題というのは、ホントは損しているのに儲かったように見せかけるために、大旦那の指示で番頭が帳簿を「どがちゃがどがちゃが」しちゃたという、実に簡単明瞭なことだ。

東芝は7月21日、不正会計問題をめぐって記者会見を開いた。会見はネットで生中継されていたので見ていた。映像というのは恐ろしいもので、表情の中で本音が見え隠れするのが分かってしまう。
会見で、田中久雄社長、佐々木則夫副会長、西田厚聡相談役の歴代3社長が同日付で辞任したと発表した。室町正志会長が社長職を兼務する。
会見では、田中社長が「かかる事態を生じさせたことを厳粛に受けとめ、株主をはじめ、すべてのステークホルダーに心よりおわび申し上げます」と謝罪した。
また、信頼が失われたことについて、「140年の歴史の中で最大ともいえるブランドイメージの毀損があった。一朝一夕では回復できない」「20万人の従業員が一丸となり、全力で取り組む姿を皆様にご理解いただくしかないと思う。時間がかかってもやり遂げなければならない」と述べた。

この後の記者との質疑応答では、自らの経営責任を回避するような発言が目立った。
――不適切会計の原因をどう見ているか。
田中氏「利益を追い求めることは非常に重要だが、適正かつ厳正な会計処理が大前提で、今回はそこがずれていた」
第三者委員会の報告書では、不適切な会計処理については、経営トップ・社内カンパニーのトップらが組織的な関与をしていたことを認定している。田中社長はそれを「そこがずれていた」と、まるで他人事のような口ぶりだった。

――部下に不正を迫ったという認識はあるか。
田中氏「直接的な指示をしたという認識はない。ただ、『プレッシャーがあるから不適切な会計処理が許される』という意識が社内に少しでもあったのならば、深く反省しなければならない」
「プレッシャーがあるから不適切な会計処理が許される」という意識が社内に少しでもあったのならば、という発言も他人事のようだ。実際は「プレッシャーをかけて不正な会計処理を行わせた」が正しい。

――不適切会計ではなく「粉飾」ではないか。
田中氏「第三者委の報告書では『不適切な会計』と記載されている。それ以上の回答は控える」
粉飾決算とは、会社が不正な会計処理を行い、内容虚偽の財務諸表を作成し、収支を偽装して行われる虚偽の決算報告を指す。
今回の東芝の会計処理は、ズバリ粉飾決算そのものだ。田中社長はなんでこれを認めなかったのか理解できない。

――なぜコーポレートガバナンス(企業統治)が不徹底だったのか。
室町氏「企業風土の醸成は課題だ。専門家の意見を聞き対応したい。社外取締役の人数を過半にするなど、内部統制の機能をもっと上げていく」
この点は大いに疑問だ。なぜなら東芝は以前から委員会設置会社として知られていたからだ。具体的には取締役会や執行役を監視する「監査委員会」、取締り役の候補を選ぶ「指名委員会」、役員報酬を決める「報酬委員会」をそれぞれ設置し、各委員会ともに過半数を社外出身者とすることを義務付けていた。だから形式上は先進的な企業だった。
今回の件で明らかになったように、これらの委員会組織が全く役に立っていなかったのだ。
特に「社外」というのが曲者で、単なるお飾りにすぎず、むしろ高級官僚の天下りの宝庫と化しているのが実態だ。

長いサラリーマン生活の実感からいえば、会社というのは社長(会長という場合もあるが)と、それ以外の従業員に分けられる。副社長だ専務だといっても所詮は、それ以外の従業員の中のエライ人に過ぎない。社長だけが絶対で、誰も逆らえない。おそらくは日本の大多数の企業は、そうした企業風土だろう。
社長に直接物申すことが出来るのは少数の側近だけだ。
だから役員が何人いようと、社外の人間が加わろうと、それで会社を動かすことはできない。
今回のように社長自身の指示で粉飾が行われたのなら、防ぐことは不可能だといえる。

2015/07/21

国立演芸場7月中席・楽日(2015/7/20)

梅雨が明けて猛暑が続く今日このごろ、皆さまにはお変わりなき事と存じます、ってまるで暑中見舞いだ。そういやぁ暑中見舞いって最近来なくなりましたね。こっちも出さないけど。
7月20日、国立の顔づけがちょいと地味目だが、しばらく見ていない人も多かったので出向く。客の入りはそこそこだった。

前座・入船亭辰まき『子ほめ』
<  番組  >
柳家わさび『動物園』
古今亭志ん陽『粗忽の釘』
ホームラン『漫才』
柳亭燕路『だくだく』
林家正雀『紙屑屋』*代演
―仲入り―
マギー隆司『奇術』
金原亭世之介『お菊の皿』
ペペ桜井『ギター漫談』*代演
むかし家今松『五貫裁き』

いつも通りに短い感想を。
辰まき『子ほめ』、語りがしっかりしている。師匠の仕込みがいいのかな。
話は変りますが、師匠というのはどういう基準で弟子を取るんだろう。企業なら実務能力や将来性を評価した上で採用を決めるんだが、落語家の場合はなんで判定するんだろう。というのは、師匠によっては少数精鋭で弟子が揃って出来が良いケースもあれば、その反対のケースもあるからだ。
以前、大阪で飲んでいたら隣の客から「知り合いに桂〇〇というのがおるんで、ひとつ贔屓にしてくれないか」と語りかけられた。文枝(その当時は三枝)の10数番目の弟子で、今は師匠の車の運転手をしていると言っていた。人気噺家ともなれば付け人やマネージャー、運転手など周りで世話をする人が必要だ。給料を払っていたら大変だけど、弟子ならタダだもんね。もしかして、そういう事情もあるのかなと。
東京の噺家でも二桁の弟子を取っている人、一人の人、大看板でも弟子を取らない人、なかには弟子が来ない人、色々だ。いったん入門さえしちゃえば、一定年数がくれば誰でも真打になれるんだから、バラツキがでるのも仕方ないか。

わさび『動物園』、しゃべり急ぐクセがある。そうすると言葉が乱れる。もしかしてアガリ症か?
志ん陽『粗忽の釘』、オカミさんに怒鳴られて困惑する亭主の表情がいい。隣家へ行ってノロケ話を始めて、夫婦で行水をしているうちに底が抜けてチンチン電車で下りていた。

ホームラン『漫才』、このコンビは一応たにしがボケ、勘太郎がツッコミとなっているが、そうでない時も結構ある。この日は前半が勘太郎のヒーロー物の薀蓄、対するたにしが藤木孝の思い出を語る。
藤木孝、おそらく60代後半以上の方なら憶えておいでだろう。1960年頃のトップアイドルで、セクシーなダンスが売りものだった。「ツイストNO.1」「アダムとイブ」「24000のキス」「ワンモアチャンス」などのヒットで知られたが、人気絶頂の1962年に突如、歌手を引退してしまった。以後は俳優として活躍していて、芝居を見ていたら彼がワキで出ていて驚いたことがある。
たにしの家では母親も藤木のファンで、彼のダンスに合わせて家族揃って踊ったという話題を振ったのだが、たにしの藤木のダンス物真似が上手かった。ついでにAdriano Celentanoの物真似も披露していたが、帰ってネットで確認したところこれも雰囲気が良く似ていた。
こういう芸が抽斗に入っている所に、このコンビの実力が表れている。

燕路『だくだく』、家具が全て絵だと気付いた泥棒が「つもり」になって風呂敷に荷物を詰め込んで担ぎ出すのを、住人の男が槍で突く「つもり」に至るリズムが良い。
正雀『紙屑屋』、マクラで浪花千栄子についてしゃべっていた。渋い脇役で活躍していたのと、オロナイン軟膏の看板で印象に残っているが、彼女の本名が「南口 キクノ(なんこう きくの)」だったからというのは初めて聞いた。この日はオタクネタが多いね。
このネタはストーリーそのものより、噺の合間に披露する小唄、都々逸、清元、義太夫が聴かせ所だ。だから音曲の素養が無くてはこのネタはできない。こういう噺をさせると正雀は上手い。

マギー隆司『奇術』、手品のネタは全部デパートで買うと言ってたが、この人が言うと本当に聞こえる。
世之介『お菊の皿』、この人はきっと多芸多趣味で器用なんだろう。それが何となく高座に出てくる。器用な落語家は大成しないというのがアタシの持論だが、当たるかな?
ペペ桜井『ギター漫談』、小菊姐さんの声が聴けなくて残念だったが、この人のトークも味があって良い。
今松『五貫裁き』、風貌がますます師匠に似てきた。マクラで今日は周辺が静かと言いながら、最高裁がちゃんとした憲法判断をしないからこういう混乱が起きているなどと硬派の意見、ごもっとも。今の裁判所がだらしないから大岡政談ものが好まれると、ここでネタに入る。吝嗇な質屋が一文の金を惜しんだばかりに百両損するという痛快な物語。裁きの場面で奉行の言葉が詰まったのが惜しまれるが、八五郎と長屋の家主、質屋の主と番頭、奉行と手下の役人らそれぞれの人物をくっきりと描き分けていた。

2015/07/19

『ペール・ギュント』(2015/7/18)

『ペール・ギュント』
日時:2015年7月18日(土)13時
会場:神奈川芸術劇場(KAAT)
作/ヘンリック・イプセン
構成・演出/白井晃
翻訳・上演台本/谷賢一
音楽・演奏/スガダイロー
【出演】
内博貴
藤井美菜 加藤和樹 堀部圭亮 橋本淳 三上市朗
河内大和 小山萌子 桑原裕子 辰巳智秋 瑛蓮
宮菜穂子 皆本麻帆 荒木健太朗 青山郁代
益山寛司 高木健 チョウヨンホ 間瀬奈都美
大胡愛恵 薬丸翔 石森愛望
前田美波里

「ペール・ギュント」は、ヘンリック・イプセンが1867年に作った戯曲で、自由奔放なペール・ギュントが旅に出て年老いて帰ってくるまでの物語。
イプセンの依頼でこの戯曲にエドヴァルド・グリーグが曲をつけて上演されたが、今ではグリーグの曲の方が有名なのではなかろうか。私も大好きな曲で、深い悲しみに包まれた「オーゼの死」、爽やかな早朝をイメージさせる「朝」、エキゾチックな「アニトラの踊り」、切なさがこみ上げてくる「ソルヴェイグの歌」と、みなすばらしい。
一度芝居を見たいと思っていたので、今回観劇することにした。

ストーリー。
時代は19世紀初めから約60年間の物語。
落ちぶれた豪農の息子で空想と野望で頭がいっぱいの男ペール・ギュントは、かつての恋人イングリを結婚式から奪取して逃亡する。イングリに飽きると彼女を捨て、身分を偽りトロル王女と婚礼寸前まで行くが逃げ出す。純真な女ソルヴェイと恋に落ちるが、母オーゼの死を機に彼女を待たせたまま放浪の旅に出る。山師のようなことをやって金を儲けては無一文になったり、精神病院で皇帝になったり遍歴し、乗船していた船が嵐で沈没し海に投げ出される。漂流して命は助かるが、落ちぶれた老いた姿で帰郷する。
死を意識しながら故郷を散策していると、ボタン職人と出会う。彼は悪人でも善人でもない「中庸」の人間をボタンに溶かし込むのだと言う。「末路がボタン」になるのは嫌なペール・ギュントは、過去に出会った人たちを訪ね、自分がいかに悪い人間だったかを証明して貰おうと駆けずり回るが、誰も証明してくれない。
彼は最後の証人として会ったソルヴェイに子守唄を歌ってもらいながら、彼女の膝の上で永眠する。

この戯曲、有名な割には日本での上演回数が少ないのは、上演時間が長い、面白くない、分かりづらいという欠点からだろうか。
この日も土曜日の昼にも拘らず空席が目立っていた。
劇場のサイトでは、
【常に「自分自身であるとは何か?」を問い、放浪する主人公ペール・ギュントを喜劇的に描いたこの作品は、一種の「自分探し」という今日的な主題を奏でていることから、1876年の初演より現在までに、名だたる演出家による斬新な上演が続けられています。世界中を遍歴し、富と知識を身につけてなお、いかに生き、いかに死んでいくべきなのかと問うペール。その問いかけは100年の時を経てもなお、現在を生きる私たちの心に響きます。】
と書かれている。
しかし、私の眼には腰の定まらぬチャラオが、一攫千金を夢見てあちこちに手を出すが全て失敗したあげく老いさらばえて故郷に戻り、愛する妻に抱かれて眠ることが本当の幸せなんだと気付く、そんな物語に映る。
「自分探し」なんて、やったことも、やりたいと思ったこともない私にとっては、なんのことやら。
そんなわけで、主人公のペール・ギュントに感情移入ができなかった。
むしろソルヴェイの一途な純粋さには心を打たれたが、これも男から見た身勝手な理想像かも。
きっと原作ではもっと高尚な内容を暗示しているのだろうが、凡庸な当方には理解できなかったようだ。
この戯曲はグリーグの名曲と共に味わうのが本当のようだ。

主人公役の内博貴は熱演、舞台装置はよく工夫されていた。

2015/07/18

【新国立競技場見直し】「施主は国民」である事を忘れたツケ

遅きに失した感もあるが、ともかく新国立競技場の計画が白紙撤回され、ゼロから見直しとなった。安倍首相をはじめ政府首脳が一貫して見直しを否定してきたにも拘らず、ここへきて態度を豹変させたのは内閣支持率低下の危機感からだろう。
建物の工事の発注者を「施主」というが、施主はその建物の使用者であると同時に工事費用の負担者でもある。だから施主の立場は常に1円でも安く、そして良い建物を建ててほしいと願うのだ。
新国立競技場の施主は国民だ。費用は最終的にはひとりひとりの国民が負担することになる。
ところが建設計画をたてた日本スポーツ振興センター(JSC)も有識者会議も、全くその視点が抜けていた。安倍首相や森喜朗の顔色ばかりうかがって、国民には目が向いていなかったというのが、今回のドタバタの原因だ。
計画の白紙撤回に伴って先ずやるべきことは、国立競技場将来構想有識者会議のメンバーの総入れ替えだ。かれらが7月7日の会議で現在の建設計画を決定したのだから、辞任は当然だ。混乱を招いた責任もある。
政府側からは文科相と五輪担当相の辞任は避けられないだろう。
第一、彼らが「どのツラ下げて」新たな建設計画に参加するのか、今さらそれは出来まい。
先ずはメンバーを一新して、国民の視点に立てる人たちを新しい有識者として選び直すしかない。

2015/07/17

新国立競技場の施工会社は、大丈夫ですか?

日本スポーツ振興センター(JSC)は昨年の10月31日、2020年の東京五輪の主会場となる新国立競技場の施工予定者として、竹中工務店と大成建設を選んだと発表した。今のところ、この計画に変更はないようだ。
特に独創的デザインのアーチ型屋根については竹中工務店の技術が活かされるようだ。竹中は優れた建築技術を持っており、特に神社や寺院の施工実績が多いことで知られている。
ただ、私の現役時代の印象は極めて悪いのだ。
竹中工務店は1997年の東京オペラシティ・新国立劇場の施工会社(竹中工務店JV)だが、工事期間中に当時私が扱っていた商品を採用して貰えないか、施工現場事務所の所長と面談した。むろん竹中工務店の社員だ。
こちらの商品のプレゼンが終わると、所長の第一声はこうだった。
「新国立劇場に材料を使って貰えることはとても名誉なことだから、タダでもいいから使って欲しいという企業は沢山ある。劇場のシート(座席)を納入するA社(設備の大手メーカー、実名だった)は、商品の半分を無料にしてくれた。」
驚きましたね、価格を値切られる事は多々あったが、タダにしろと言われたのは初めてだった。事実ならA社も随分と思い切ったことをしたもんだ。
さらに続く。
「なかにはお金を出しても使って欲しいという企業もある」、そう言ってニヤッと笑ったのだ。公然たるワイロの要求かと見たので、私は一緒に行った同僚と顔を見合わせてその場を辞した。
仕事柄、多くのゼネコンとのお付き合いがあり、時にはイヤな思いもしたが、この時の竹中の印象だけは強烈だった。
非上場企業とはいえ、竹中は日本を代表するスーパーゼネコンだし、こうした国立の大規模な工事の建設現場所長ともなれば可成りのキャリアを持った社員だったに違いない。
こんな調子で業者を叩いていたなら、この現場で竹中は相当な利益を上げただろう。

新国立競技場の工事はまだ流動的で、最終的にどうなるか分からないが、決められた期限で決められた仕様の建物を造るには建設会社の技術に頼るしかない。
もし竹中が受注したなら、その時はタダにしろとか業者をイジメないように、ね。

2015/07/15

国民の声より「米国への忠誠」

集団的自衛権行使の解禁を柱とする安全保障関連法案は7月15日午後、衆院の特別委員会で自民、公明両党の賛成により強行採決され、可決された。安倍晋三首相自身が、採決に先立つ締めくくり質疑で「国民に十分な理解を得られていない」と認めていたにも拘らずだ。
では、なぜこうまでして安倍政権は安保法制を今国会で通したいのかというと、その理由は「アメリカへの忠誠」だ。

安倍首相は今年4月に米連邦議会の上下両院合同会議で演説した際に、太平洋からインド洋にかけての海を「自由で、法の支配が貫徹する平和の海」にするため、日米両国には同盟を強化する責任があると語った。日本は世界の平和と安定にこれまで以上に責任を果たしていくため、「必要な法案の成立を、この夏までに、必ず実現する」と言明した。
つまり安保法案の法制化を今夏に行うとアメリカに約束してきたのだ。アメリカ議会で演説するのがやたら嬉しくてついつい「ご主人に尻尾を振ってみせた」のだが、約束は守らねばメンツが潰れる。

安倍政権がなぜ今回の法案を出したのかという事を考えるにあたって、鍵となるのが「第3次アーミテージ・ナイレポート」である。このレポートは2012年8月15日(奇しくも終戦記念日だ)、米国のアーミテージ元国務副長官及びジョセフ・ナイ元国務次官補(現ハーバード大学教授)を中心とした超党派の外交・安全保障研究グループが、日米同盟に関する報告書 “The U.S-Japan Alliance ANCHORING STABILITY IN ASIA”(日米同盟-アジアの安定を繋ぎ止める-)として公表したものだ。
以下は、「海上自衛隊幹部学校」サイトに掲載された『第3次アーミテージ・ナイレポート』(コラム033 2012/08/28)より、抜粋・引用する。
「報告書の概要」の中で特に注目されるのは次の記述だ。
【日本の「信頼性」についても言及されており、特に自衛隊は日本で最も信頼に足る組織であるとの評価を明言する一方、「時代遅れの抑制」を解消することで、アジア太平洋地域における海洋安全保障上の戦略的均衡の要になり得るとの評価をしている。】

報告書では「提言事項」として27項目が提起されており、うち日本への提言は以下の9項目である。
「日本への提言(9項目)」
(1)原子力発電の慎重な再開が日本にとって正しくかつ責任ある第一歩である。(後略)
(2)日本は、海賊対処、ペルシャ湾の船舶交通の保護、シーレーンの保護、さらにイランの核開発プログラムのような地域の平和への脅威に対する多国間での努力に、積極的かつ継続的に関与すべきである。
(3)環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)交渉参加に加え、経済・エネルギー・安全保障包括的協定(CEESA)など、より野心的かつ包括的な(枠組み)交渉への参加も考慮すべきである。
(4)日本は、韓国との関係を複雑にしている「歴史問題」を直視すべきである。(中略)日米韓3か国の軍事的関与を継続すべきである。
(5)日本は、インド、オーストラリア、フィリピンや台湾等の民主主義のパートナーとともに、地域フォーラムへの関与を継続すべきである。
(6)新しい役割と任務に鑑み、日本は自国の防衛と、米国と共同で行う地域の防衛を含め、自身に課せられた責任に対する範囲を拡大すべきである。同盟には、より強固で、均等に配分された、相互運用性のある情報・監視・偵察(ISR)能力と活動が、日本の領域を超えて必要となる。平時(peacetime)、緊張(tension)、危機(crisis)、戦時(war)といった安全保障上の段階を通じて、米軍と自衛隊の全面的な協力を認めることは、日本の責任ある権限の一部である。
(7)イランがホルムズ海峡を封鎖する意図もしくは兆候を最初に言葉で示した際には、日本は単独で掃海艇を同海峡に派遣すべきである。また、日本は「航行の自由」を確立するため、米国との共同による南シナ海における監視活動にあたるべきである。
(8)日本は、日米2国間の、あるいは日本が保有する国家機密の保全にかかる、防衛省の法律に基づく能力の向上を図るべきである。
(9)国連平和維持活動(PKO)へのさらなる参加のため、日本は自国PKO要員が、文民の他、他国のPKO要員、さらに要すれば部隊を防護することができるよう、法的権限の範囲を拡大すべきである。

上記を読んで頂ければ明白なように、安倍政権は3年前に出されたこのレポートで指示されたことを実に忠実に実行してきた。とりわけ安倍首相がバカの一つ覚えのように繰り返している「ホルムズ海峡の封鎖」問題も、彼はテキスト通りにしゃべっていることが分かる。
全てはアメリカの言いなりなのだ。

安倍政権が今回の安保法案について唯一の拠り所としている「砂川判決」については、既に本ブログの記事”「砂川判決」を下した売国の裁判官”で明らかにしたように、アメリカ政府の主張をそのまま受け容れたものだ。
本判決の裁判長を務めた田中耕太郎最高裁長官は、判決のおよそ1ヶ月前にアメリカ大使を面談し、判決の要旨や日程、評議内容まで伝え米国側の了承を得ていたことが分かっている。
裁判所法に明らかに違反した判決であることが今日では明白になっているにも拘らず、この判決だけにしがみつく姿は、安倍政権の対米追従ぶりを示している。

アメリカへの忠誠と自分のメンツを守るために国を売る、それが安倍政治の本質だと言えよう。

2015/07/14

『百年目』の大旦那の厳しさ

落語『百年目』はファンにはお馴染みだろう。店にあっては下の奉公人に厳しく接する謹厳実直な番頭が、裏では芸者、幇間らを引き連れて屋形船を仕立てて豪勢な花見に出かける。最初は周囲を警戒していた番頭だが、酒が入るとついつい気が大きくなり、土手に上がって芸者たちと戯れ始める。
そこへ知人と花見に来ていた大旦那とばったり顔を会わせてしまう。この大失態で店に戻った番頭は夜逃げまで考えて一晩中眠ることもできず、翌朝を迎える。
そして遂に大旦那から呼び出しがきて、厳重に注意されたうえ解雇されることまで覚悟していた番頭に対し、意外にも大旦那は寛大な措置を取り、却って番頭を励ますというストーリーだ。
聴き手はこの大旦那の寛容さ、思いやりに感動するのだが、最後の場面の大旦那の言葉を改めて聞いてみると、決して寛大なだけではない、厳しい一面を感じるのだ。

先ず、大勢のお供を引き連れて派手な遊びをしていた番頭を見つけた時に、旦那は何を感じたろうか。あいつにもこんな面があったのかと認識を改め驚いたわけではないのだ。最初に頭をよぎったのは番頭が店の金を使い込んでいるのではという疑念だったに違いない。誰が見ても番頭の給料や小遣いの範囲で賄える遊びではないのは明白だからだ。番頭の方も、旦那がきっと自分を疑うだろうと思ったからこそ、一時は夜逃げまで覚悟した。
ただ、番頭は店の金には手を付けていなかった。自分の才覚で稼いだ金で遊んでいた。しかしその事は旦那の了承を得ていたわけではないので、お咎めがあっても止むを得ないと考えた。
店に戻った旦那は一睡もせずに帳簿を改めたが、そこには何ひとつとして穴が見つからなかった。これで番頭個人の才覚で稼いだ金だということは分かった。
さて、どうしよう?
今回は見逃すが今後はこういう事は一切許さないという態度で臨むか、店の経営に支障がない限りにおいては番頭個人の商いを認めるか、旦那は悩んだに違いない。
結論は後者にした。これには番頭を近いうちに暖簾分けさせて独立させようという腹もあったのだろう。
だから、旦那の説教は一方で心理的圧力をかけつつ、もう一方で寛容な態度を見せるという、手のこんだ内容になっている。

最後のシーンで、旦那が番頭の次兵衛に対してどういう言葉をかけていたのか、いつも参考にさせて頂いているサイト「世紀末亭」の中の桂米朝『百年目』(1989/03/07口演)から見てみたい。

翌朝、旦那が丁稚に言いつけて、帳場にいる番頭を呼びに行かせる。
丁稚「行てきました」
旦那「番頭どん、どぉ言ぅてなさったな?」
丁稚「今行くちゅうとけ」
旦那「何を……、何ちゅう口の利き方や。たとえ番頭どんがそぉ言ぅたにせよ、そちはここへ来たら手を付いて「番頭さん、ただ今ここへお越しになります」と、なぜ丁寧に言わん……。何じゃその顔は?ちょっと小言を言ぅたらじきにふくれ面して、米の飯が天辺へ登ったとは、きさまのことじゃ!」
むろん、番頭に怒鳴り声が届くのは計算づくである。

「誰やいな、そこでペコペコしてるのは? 番頭どんやないかいな、こっち入っとぉくれ。お座布当てなはれ、遠慮せぇでもえぇ、当てさせよ思て出した座布団じゃ。うちで遠慮は要らん、遠慮といぅものは、外でするもんや。」
昨日の花見でも番頭の行動をチクリと皮肉り、諭している。

前段で、「旦那」の語源として赤栴檀(しゃくせんだん)と難莚草(なんえんそう)の例え話をしてから。
「が、店へ出たら、今度は番頭どん、お前さんが赤栴檀、店の若い連中が難莚草じゃ。店の赤栴檀はえらい馬力じゃが、店の難莚草がちょっとグンニャリしてへんかなぁ? いやまぁ、これはわしの見損ないじゃろぉがな……
もしもやで、店の難莚草が枯れるてなことがあったら、店の赤栴檀のこんたが枯れる。こなたといぅ難莚草に枯れられたら、わしといぅこの赤栴檀ひとたまりもない。我が身可愛さに言ぅと思うか知らんがなぁ、まぁお互いのこっちゃで、店の難莚草にも露を下ろしてやってくだされ。わたしもできるだけ露を下ろそぉと思ぉてます。」

奉公人たちに対し厳しいばかりではなく、時には露を下ろしてやってくれと番頭に諭している。旦那自身もまた番頭に出来る限り露を下ろすと、ここで初めて寛容な態度を見せる。

「二桁の寄せ算覚えるのに半年かかった。二ぁつ用事言ぃ付けたら、一つは必ず忘れる。買い物に行かしたら、お釣り落として泣いて戻る。まぁ世にも不細工な子ぉやったのに、きのうの手つきの器用なこと、どぉじゃい……。
あれ、あの”なんた~ら”ちゅうとこじゃったなぁ、孫の太鼓がある、これ叩くさかいひとつ踊って」

ここはかなり強烈な皮肉。

「しかし、番頭どん。まぁ、気ぃ悪してくれては困るがなぁ。実は夕べ、帳面調べさしてもろた。あんなところを見してもろたんで、ヒョッと無理でもでけてやせんかと、夜通しかかってあらまし帳面を見さしてもろたんじゃが、こんたは偉い人じゃなぁ。帳面にはこっから先の無理もない。」
昨夜は一晩かけて旦那は、番頭が店の金を使い込んではいないか、帳簿に不正がないか調べたのだ。不正はなかったと言いながら、もし不正があれば見抜くことは出来るぞと知らしめている。

「甲斐性で稼いで甲斐性で使いなさる。はぁ、立派なもんじゃ。沈香も焚かず屁もこかずてな言葉があるが、そんなもんには大きな金儲ぉけはできやん。使うときはビックリするほど使こぉてこそ、またビックリするよぉな商いもでけますのじゃ。
やんなされ、やんなされ。わしもなぁ、老い朽ちた歳やないで、また誘そてや、付き合うさかい。割り前出そやないかいな。た、頼むで……。」

旦那はここで番頭の金儲けの才覚をほめ、大いに儲けて大いに使えと励ます。ただ前のパラグラフで、帳簿には目を光らせると一本釘を刺していることに注意。

この大旦那はとても優秀な経営者なのだろう。

2015/07/13

「南光・南天 ふたり会」(2015/7/12)

「南光・南天 ふたり会」
日時:2015年7月12日(日)14時
会場:横浜にぎわい座 芸能ホール
<  番組  >
南光、南天『御挨拶』
桂南天『遊山船』
桂南光『抜け雀』
~仲入り~
桂南天『夢八』
桂南光『百年目』

この会は今回が3回目だそうで、毎回お客が増えこの日は2階席にも客が入っていた。小さな子どもさんの姿も目についた。『百年目』、理解できたかな?
落語のマーケットサイズという点から見れば、関西より首都圏の方が圧倒的に大きいだろうから、地域の壁をこえて今後も上方落語家の東京公演は増え続けるだろう。

この会の恒例で最初に二人の『御挨拶』がある。内容は放談、それも大半が南光の放談だが、これが毎回楽しい。今回は先ごろ亡くなった大師匠の米朝を偲ぶというのがテーマだったが、笑い話がメイン。米朝は弟子や孫弟子に対しても自分の演じた通りに演らないと機嫌が悪かったとか。
エピソードで面白かったのは、米朝の行きつけのスナックで、南光がべかこの時代にたまたま居合わせたユーミンのリクエストでカウンターの上で全裸で踊っていたところ、米朝が入ってきて叱られ出入り禁止になったとのこと。その縁で南光がパーソナリティをつとめるラジオ番組に何度かユーミンが出演してくれたそうだ。

南天『遊山船』、夏のネタだが東京では演じられないのでと選んだ理由を語っていた。こういうのは大歓迎だ。せっかく上方から来て口演するのだから、東京では聴かれないネタが好ましい。桂ざこばから教わったとのこと。
大川に夕涼みに来た長屋に住む二人連れ、喜六と清八が、浪花橋の上から大川を見ると、行きかう夕涼みの船で賑わっている。橋の上から船上の人たちをからかっていると、そこへ稽古屋の連中を乗せた船が通りかかり、見ると碇(いかり)の模様のお揃いの浴衣を着て派手に騒いでいる。清八が橋の上から「さてもきれいな碇の模様」と声をかけると、船の上の女が「風が吹いても流れんように」としゃれて返してきた。感心した清八は喜六に向かって、お前の嫁さんはあんなイキなことは言えないだろという。悔しがる喜六は長屋に帰り、女房に去年の祭りの時に着たきたない浴衣を引っ張りだし、女房はこれを着てたらいの中に入る。喜六がこの様子を見て屋根の天窓から褒めようとするが、その姿に思わず「さても、きたない碇の浴衣」。女房が「質に置いても流れんように」でサゲ。
ストーリーそのものより、舟遊びに興ずる人々の描写や、喜六と清八の上方漫才を思わせる掛け合いが聴かせどころ。情景が眼に浮かんでくるようで、、良い出来だった。

南光『抜け雀』、元は上方ネタだが今では志ん生の演出を一部取り入れた型で米朝が演じていた。南光の高座も米朝を基本にしながらいくつか独自の工夫をしている。
一つは、小田原の宿の話なのに宿の夫婦が大阪弁というのは不自然であるが、南光は亭主が大阪出身で文無しでこの宿に泊まりそのまま養子になったため、女房もいつしか大阪弁になってしまったという説明にしていた。
もう一つは例のサゲを変え、父親の絵師に鳥籠の代りに杉の梢を描かせておいて、
「わからんか、亭主。鞍馬の杉の梢。天狗になるなということじゃ」
でサゲていた。「駕籠かき」「籠かかせ」というサゲが今の人には分かりづらくなっているので変えたものとみえるが、「鞍馬天狗」も分からない人が多いかも。

南天『夢八』、これも東京落語には移されていないネタで、首吊りや怪猫が出てくるので怪談めいたこの季節の噺だ。南天の2席はいずれもグッドチョイス。
何をやってても直ぐに眠くなり夢を見てしまうという夢八、仕事が永続きしないから食うに困る生活。そこへ現れた甚兵衛がいい仕事があるからと言うと、夢八は二つ返事で引き受ける。一晩、ツリの晩さえしてくれたら弁当と手当てが付くという。
小屋の中で一晩中眠らぬように割木を叩いていれば良いと言われた夢八、その通りにしていると目の前に筵が下がっていて、その陰に人が見える。良く見ると足が宙に浮いている。ここで「首吊りの番」だという事が分かり、恐怖に怯える夢八。
小屋の屋根を歩いていた古猫が夢八の臆病をからかってやろうと、死体に息をフウーと吹きかけると、首吊り死体が喋り出した。伊勢音頭を歌えと言われた夢八は、「伊勢は津で持つ、津は伊勢で持つ、尾張名古屋は城で持つ・・・」と歌い始める。首吊りが合いの手を入れて体を揺すったものだから綱がプツンと切れ、夢中で歌っている夢八の前に落っこちてきた。夢八は目を回してしまった。
翌朝、甚兵衛が小屋に入ると、夢八が首吊りを抱いて寝ている。夢八を揺り起こすと、
夢八「歌います、歌います、伊勢は津で持つ・・・」
甚兵衛さん「今度は伊勢参りの夢を見とる」でサゲ。
夢八が割木を叩きながら必死に「伊勢音頭」を歌うと、首吊りがぶら下がったまま合の手を入れる場面がやたら可笑しい。前名の桂こごろう時代から今回で4度目だと思うが、南天は明るい高座と歯切れの良い語りが特長で、楽しみな存在だ。

南光『百年目』、結論から言うと、南光には失礼かも知れないが予想以上の出来だった。謹厳実直な番頭が酒が入り周囲に眼がないと放埓に変身してしまう所に、人間の持つ二面性を感じさせる。気の緩みの恐ろしさというのは我々日常でもあることだ。番頭が失敗したとして苦しむ姿に、失笑すると同時に同情心もわいてくるのは、自分にも多少の憶えがあるからだろう。
それは店の大旦那にも言えることで、一晩かかって帳簿を調べたのは経営者としての自己の責任を感じたからだ。専務の失態は社長の失態でもあるのだ。翌朝に番頭を諭す時も厳しさと思いやりの両面を見せている。
こうした細かな心理描写を南光はしっかいと描いていた。
この噺が今日まで多くに人を惹きつけるのは、物語に普遍性を有しているからだろう。

4席ともに結構でした。

【記事の修正】7/14
myonさんより喜六と清八が逆とのご指摘を受けましたので、記事中の二人の名前を入れ替えました。

2015/07/12

こまつ座「父と暮せば」(2015/7/11)

こまつ座公演・紀伊國屋書店提携「父と暮せば」
日時:2015年7月11日(土)17時
会場:紀伊国屋サザンシアター
作 :井上ひさし
演出:鵜山仁
<  キャスト  >
辻萬長 :福吉竹造
栗田桃子:娘・福吉美津江

ストーリー。
原爆が投下されて3年が経とうとする1948年7月の広島、被爆者である美津江は市立図書館に勤めながら一人で静かに暮らしている。母を幼い頃に亡くし、男手ひとつで育ててくれた父は、あの日被爆で亡くなってしまった。
ある日、美津江の前に木下という青年が現れる。岩手の出身だが原爆の惨状を見て、被爆の遺品を集めているという。下宿に置くと大家が嫌がるので図書館に保管できないかという相談だった。美津江は米軍ににらまれるから出来ないと断るのだが、一途なこの青年にほのかな恋心を抱くようになる。
そんな美津江の前に突然、亡くなった父が現れる。娘の幸せを願い必死に恋を実らせようと説得する父に対し、「自分は幸せにになんかなってはいけない」と考えて恋心を押えようとする美津江。
美津江の心には大きなわだかまりがあるのだ。一つは学業もスポーツも人間性もあらゆる点で自分より優っていた親友が爆死してしまったこと。親友の母親に会いに行くと、瀕死の母親は「なんで、あんたが助かり娘が死んでしまったの」と言い残し息を引き取ってしまった。
もう一つは、原爆投下の直後に急ぎ自宅に戻った美津江が眼にしたのは、壊れた家の下敷きになっていた父・竹造の姿だった。必死に助けようとするが重い材木がのしかかっていて動かすことが出来ず、一方火の手は迫ってくる。「お前だけでも助かれ」という父の言葉に泣く泣く現場を離れた美津江には父を見放してしまったという罪悪感が消えない。
その娘に対して父はこう言う。「人間のかなしいかったこと、たのしいかったこと、それを伝えるんがおまいの仕事じゃろうが」「そいがお前に分からんようなら・・・・ほかの誰かをかわりに出してくれいや・・・・わしの孫じゃが、わしのひ孫じゃが」。
そうした父の言葉に背中を押され、一歩一歩前に進もうとする美津江の姿を描いて終幕。

広島の原爆投下により、一瞬にしておよそ30万人もの命が奪われた。助かった人もいて、それはいくつかの偶然が重なり生死を分けた。亡くなった人間の無念さと、生き残った人の罪悪感。これが本作品のテーマだ。残された人たちもその後に次々と発生する被爆の症状に悩まされる。加えて、当時の周囲は必ずしも被爆者に同情的ではなかったという事情も重なる。もちろん被爆の実態を隠そうとしていたアメリカ占領軍の意向もあった。
本作品はそれらの諸事情全てを、福吉父娘の会話だけで再現させようとしたものだ。その試みは大成功だと言える。観る者に戦争の悲惨さ、核兵器使用の残酷さを訴え、改めて怒りと悲しみがこみ上げてくる。
戦争法案が強行されようとしている今、一人でも多くの方に観てもらうことを願っている。

この芝居は元々が、初演に出演した”すまけい”と、梅沢昌代に当て書きした作品だそうだが、今回の辻萬長と栗田桃子の演技を見ていると正にはまり役と言ってよい。
そして、是非ハンカチのご用意を忘れずに。

東京公演は20日まで。その後全国各地で10月2日まで巡演。

2015/07/11

入船亭扇橋の死去

入船亭扇橋(本名橋本光永)が7月10日、呼吸不全のため死去した。享年84歳だった。
主な経歴は次の通り。
1957年 3代目桂三木助に入門
1958年 桂木久八で初高座。
1961年 師匠三木助死後、5代目柳家小さん門下に移籍。
1961年 二つ目昇進し柳家さん八と改名。
1970年 真打に昇進し9代目入船亭扇橋を襲名。
1981年 映画『の・ようなもの』に「出船亭扇橋」役で出演。
1982年 文化庁芸術祭大賞。
1983年 芸術選奨新人賞。

二ツ目の柳家さん八の頃から兄弟弟子の柳家さん冶(当代柳家小三冶)と共に将来を嘱望されていた。
若い頃はいかにも江戸っ子らしいイナセな高座姿が印象的だった。恐らくは最初の師匠・三木助の影響だったと思われる。次第に後の師匠・小さんの影響からか丸みをおびた表現が加わり、いわゆる「入船亭」の芸風を確立した。現在では弟子の扇遊や扇辰らにその芸が継承されている。
当ブログを始めた2005年頃までは寄席のトリを取っていたが次第に出番が少なくなり、病気療養中だと聞いて心配していた。
本格派の古典落語家であったが、時にはマクラの間に歌を挟む「歌う落語家」という一面も持っていた。そうした飄々とした姿もこの人の特長の一つであったように思う。
俳句を嗜み「光石」の俳号を持つ俳人でもあり「東京やなぎ句会」の宗匠でもあった。会の名の「やなぎ」は、柳家さん八の亭号から取ったものだ。会の規則で句友の女に手を出した者は即刻除名という厳しい掟だったが、除名になった者は一人も出なかったそうだ。

心より哀悼の意を表します。

安藤忠雄さん、卑怯だぞ!(続報)

「ダイヤモンドオンライン」の2015年7月11日付の記事「新国立競技場2520億円をゴリ押ししたのは誰か」で、新国立競技場のデザインが決まるまでの過程が詳しく書かれているので、長くなるが以下紹介する。

【二〇一二年三月、各分野十四人のメンバーからなる『国立競技場将来構想有識者会議』が設立された。発足当時は「八万人収容」「開閉式の屋根」「可動式観客席の導入」等々の方針が決められた。問題となる国際デザインコンクール――、いわゆるコンペの実施を発表したのがその年の七月だ。審査委員長には建築家の安藤忠雄氏が就任するが、このときから新国立競技場建設をめぐる迷走が始まるのである。
コンペの発表が七月。応募の締め切りが九月二五日という異例のスケジュールが組まれた。オリンピックのメインスタジアムにして日本の国立競技場を決めるコンペなのに、応募期間がわずかに二ヵ月しかないというのは、実に不可解と言わざるを得ない。
不可解なこのコンペには、応募資格まで設けられた。首を傾げたのは東京電機大学の今川憲英教授だ。
「コンペの応募資格が、収容人数一万五〇〇〇人以上のスタジアム設計経験者と、国際的な建築賞を受賞したことのある人物に限定されており、そのこと自体かなり異例です」
応募は、海外から三十四点、国内から十二点の計四十六点があった。これをブラインドで一次審査にかけ、二次審査には十一点(海外七・国内四)が残った。二次審査は、各委員(日本人八・海外二)が良いものから順に三点を選ぶ方式が取り入れられたが、不可解なのは、この後の審査過程だ。
「ザハ案(今回採用された女性建築家)以外、豪州と日本の設計事務所の案が残りました。ここから安藤さんの意向で日本案が外され、最後は二案になる“決選投票”となったのです」(スポーツ紙デスク)
今回の審査委員には外国人建築家が二人、名を連ねていたが、何とも不可解なことに、彼らは一度も来日せず、一次審査にも投票しなかった。ではどうしたかというと、二次審査に残った作品をJSC職員が現地まで持参し、順位とコメントを聞き取り、審査に反映させたという。だから、外国人審査員の最終決選においての発言はない。
「決選投票は四対四で割れてしまい、その後もめいめいが意見を述べましたが、いったん休憩しようということになった。で、皆が席を離れた後、ひとりの委員が安藤さんに『こういうときは委員長が決めるべきでしょう』と話しかけたのです。実際、それ以上繰り返しても結果は変わりそうになく、安藤さんも『わかりました』と応じていました」
安藤忠雄氏は、さきの有識者会議のメンバーでもある。
「だから他の委員が詳しく知り得ない“上の意向”にも通じていたのでしょう。一時間ほどの休憩をはさみ、再び委員が席に着くと、安藤さんは『日本はいま、たいへんな困難の中にある。非常につらいムードを払拭し、未来の日本人全体の希望になるような建物にしたい』という趣旨のことを口にし、ザハ案を推したのです。そこで安藤さんは全員に向かって『全会一致ということでよろしいですか』と念を押し、誰も異論がなかったので、そのまま決まりました」
皆さんもザハ・ハディド氏がデザインした新国立競技場のイメージ像はご存じだろう。安藤氏曰く、あれが『未来の日本人全体の希望』だそうだ。呵々大笑。どーでもいいけど、安藤忠雄という建築家は、ぜんぜん使えない東急東横みなとみらい線の渋谷駅を設計した人です。乗り換えるのに五分も十分も歩かされる不便駅です。
「専門家が見れば、予算の範囲でつくれないのは審査段階でわかります。だいいち、建物の一部が敷地外に飛び出しており、本来ならば失格の作品を最優秀賞に選んでしまった。せめて招致が決まった段階で、ザハ案が違反であると公表し、十分な条件によるコンペを開いて仕切り直すべきでした。それをしなかったのは、安藤さんの責任でしょう」(今回、二次審査まで残った建築家の渡辺邦夫氏)
ザハ氏の作品は、昆虫の触角のように伸びたスロープがJR線をまたぎ、施設の高さも制限をオーバーしていた。応募条件から大きく逸脱していたにもかかわらず、安藤忠雄氏はコンペの優勝者としたのである。ホワイ?
ついでながら言えば、ザハ案は床面積を四分の三に縮小、高さも低く抑えるなど修正が必要だったのだが、どーいうわけか安藤さんはザハ案を選んだ理由のいっさいを説明しようとはせず、メディアにも口をつぐんだままだ。ホワイ?】

やっぱり、そうだったのか。
かくして不透明な会議で、不可解なデザインが決定したのだ。
安藤忠雄さん、Why? Why?

【週刊新潮の記者さんが、ザハ案を採用した安藤忠雄氏を自宅近くで直撃している。
「いや、ちょっと、私わからない。またね」
食い下がる記者さんに、安藤氏はキレたそうだ。
「いいから、来んといてくれや。はい、さいなら……、ええ加減にせえや! もう帰れよ!」】

キレたいのはこっちだよ。
安藤さんも政権や森喜朗の意を汲んで粛々と進めたんだろうから、本当に悪いのはそっちだけど。
こうなったら、もう一度建設計画を見直して一から再スタートするしかないでしょう。

2015/07/10

『かがみのかなたはたなかのなかに』(2015/7/9)

『かがみのかなたはたなかのなかに』~未来のおとなと、かつての子どもたちへ~
日時:2015年7月9日(木)14時30分
会場:新国立劇場 小劇場 THE PIT
<スタッフ>
作・演出=長塚圭史 振付=近藤良平
<キャスト>
近藤良平 首藤康之 長塚圭史 松たか子

ストーリーは。
季節は夏、兵隊であるタナカが海辺の家に戻る。独り暮しで出立までは間がある。
退屈して部屋を動き回っていると、反対側にタナカと対称形で同じ動きをするそっくりな男を見つける。鏡の向こうにいるカナタだ。タナカが話しかけると、語順を逆にしてカナタが答える。二人とも孤独なので慰め合うようになる。
ある日、タナカは鏡に向こうに素敵な女性を見つける、ケイコだ。タナカはケイコに恋をする。するとカナタもケイコに恋をするようになる。カナタがケイコに近づくと、タナカはコイケに近づいてしまう。コイケは鏡に映ったケイコなのだが、見かけは全く別人。
タナカはケイコには恋するがコイケは嫌う。タナカとカナタの両方がケイコを取り合うようになると、最初は自分に自信が持てなかったケイコも次第に嬉しくなる。
鏡をはさんでタナカとカナタ、ケイコとコイケは行ったり来たり。
やがてタナカとカナタは邪魔なコイケを消そうとするが・・・・。

劇場のHPには「子どももおとなも一緒に楽しめるお芝居を「鏡」をモチーフにお届けします。」とあり、「鏡」をモチーフにした親子が一緒に楽しめるファンタジーという事になろう。
感想は、帰りがけに近くにいた年配の女性の一言「なかなか面白かったけどねぇ・・・」に集約される。この「ねぇ・・・」の先は観客それぞれによって異なるだろうが、私の場合は「作者が何を言いたいのか分からなかった」である。
タナカとカナタ二人が演じるパントマイムの様な左右対称の動き、それも複雑でかなり激しい動きだが良くシンクロしていた。ケイコを巡るラブストーリーやダンスの様な動きも見ていて楽しい。しかし見終ってから、何も残らない。
おとなはそれで良いとしても、果たして子どもは楽しめるだろうか。

お目当ての松たか子は相変わらず美しい。女優の中でも舞台で映える人、まあまあの人、見映えの劣る人と様々だが、松たか子は舞台映えする典型だ。やはり血は争えない。

公演は7月26日まで。

2015/07/09

安藤忠雄さん、卑怯だぞ!

新国立競技場の建設問題が迷走している。
新国立競技場はもともと、約1300億円の整備費で建設されることになっていたが、コンペで選ばれたザハ・ハティド氏の案では3000億円以上かかることが明らかになり、2014年にJSCが大幅に規模を縮小し、1625億円規模の修正案を公開。しかし資材高騰などが影響し2520億円がかかることが判明したが、結局、このまま建設されることが決まっている。2520億円以上かかるという予測もある。
しかも屋根がない。
最終的には開閉式の屋根を付ける予定だが、建設費はさらに数百億円上積みされるのは避けられまい。
建設費が高くなればその後の維持費もあがる。
こうした公共施設の建設では、一定の金額が政治家に上納される仕組みになっているから、彼らは建設費が高い方が歓迎なのだ。
7月7日の有識者会議では総工費2529億円にのぼる建設計画を了承したが、恩恵にあずかる人間たちが集まって決めるんだから、そりゃ異論は出ないさ。
財源については色々説明しているが、結局は全て国民が負担することになる。

とりわけ問題なのは、デザイン案を強く推した建築家の安藤忠雄氏が、7日の有識者会議を欠席したことだ。選定にかかわった責任者として、一言も説明がないのは無責任というしかない。
現行計画は安藤氏が審査委員長を務めた審査委員会が最優秀に選んだ英国の建築家ザハ・ハディド氏のデザインが基になっている。審査委員会内部ではこの計画に異論も出されたが、安藤氏が押し切っていた。
このデザインで建設すれば、それが1000億なのか、2000億なのか、3000億かかるのか、建築家ならおよその見当はついた筈だ。世界的建築家の安藤氏なら容易だったろう。
この期におよんで逃げ回るとは卑怯千万。
あるいは以前から指摘されていた、安藤氏は実は政府の御用建築家だったことがバレルのが怖かったのだろうか。

2015/07/08

【街角で出会った美女】フィンランド編

今年6月にバルト三国へのツアーに参加した際、ヘルシンキ経由だったのでおよそ一日市内を観光しました。
フィンランドの首都ヘルシンキは9年前に一度訪れ観光していた筈ですが、添乗員の後にくっ付いて歩いていたせいかキレイに忘れていました。こうして全て忘れていると何ごとも新鮮でいいですね。1ヶ所だけ憶えていたのはテンペリアウキオ教会で、自然の岩屋を利用して作ったというこの教会だけは他に例があまりないでしょうから、記憶に残っていました。
今回は半日ですが自由時間があり、地図を片手に自分でトラム(路面電車)を乗り継いで歩いたので街の様子がよく分かりました。ヘルシンキは公共交通機関が発達していて、トラムやバスを利用すれば殆んどの観光スポットを訪れることが出来ます。8ユーロ(約1050円前後)でチケットを買うと24時間(一日ではなく24時間使える)市内のトラムもバスも、市内の島しょに行く船まで全て自由に使えてこれは便利。
市内観光では出来る限り鉄道駅を見ることを心掛けています。日本と違って海外の多くの駅は改札口が無いので、切符を買うことなく列車の近くへ行けるし、車内に入ることも可能です。今回はヘルシンキ中央駅を1時間ほど見て回りました。遠距離から近郊まで全ての列車がここを発着しており、地下鉄の乗り換えも出来ます。朝の通勤時だったので、大勢の乗降客が眼の前を通り過ぎて行きました。
そんな中のスナップの1枚で、典型的な北欧美女です。
Photo

2015/07/07

「世界遺産」の乱造

月刊誌「選択」2015年6月号に、元文化庁文化部長で現京都造形芸大教授の寺脇研氏が、「ありがたがるな世界遺産」というタイトルで編集部のインタビューに答えている。
要旨は次の通り。

1.今回の「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産登録に関して、明らかに安倍首相の地元である山口県を含めようとした政治色の強いもので、そんな経緯で選ばれた遺産について一喜一憂する国民もメディアも滑稽でしかない。
2.世界遺産は元々ユネスコ、欧州から始まったもので、欧州では遺産登録が飽和状態になっている。そこで他地域の歴史的遺物でも遺産に「認めてやろう」という意識が確実にある。
3.日本には未だに欧米から認めてもらいたいという明治時代からの発想が抜けきらない。なぜ富士山の素晴らしさを伝えるのに世界遺産というお墨付きを頂く必要があるのか、理解できない。
4.今では文化庁に専門職員がいて、日本中からの陳情を受け付け、国内の候補を選んでユネスコに要望するというように登録がノミネートのノルマ化、システム化しており、流れ作業にように世界遺産を産みだしている。
5.挙げ句のはてに最近では地域おこし、観光振興という邪な目的が加わり、世界遺産が政治家の道具にまで成り下がっている。
6.日本人が守るべきだと考える遺産なら、自らの手で後世に残していくべきであり、この国の文化レベルが問われる問題だ。日本人の文化水準は高いが、政策面では極めてお粗末。文化予算でみると欧州各国はおろか韓国より劣っている。
7.そうした問題を見つめ直す意味からも、「もう世界遺産はいらない」という所から始めるべきだ。

大事なことは日本の大事な遺産は自らが守るべきであり、世界遺産を増やして世界から認めて貰おうなどという卑屈な態度は改めるべきだということ。
本来の目的をはき違え、観光の道具や政治の道具に成り下がっているのなら、「もう世界遺産はいらない」。

2015/07/06

「砂川判決」を下した売国の裁判官

集団的自衛権の行使容認のための安全保障法制の審議が現在国会で行われているが、安倍首相や自民党幹部らは集団的自衛権の行使容認の論拠として、1959年の「砂川事件」判決を持ち出している。
その「砂川判決」とは一体どういうものだったのか。

その元となった「砂川基地」事件とは、1955~57年に東京都北多摩郡砂川町(現立川市)における米軍立川飛行場拡張反対闘争をめぐる事件を指す。当時の政府が防衛分担金削減を条件に米空軍基地拡張要求をのみ、1955年地元に接収の意向を伝えるが、砂川町ではただちに基地拡張反対同盟を結成し、町をあげての反対闘争体制を整えた。当時、日本国内各地で起きていた基地闘争の天王山といわれた。
1956年10月の強制測量は武装警官2000人余、反対派6000人余が衝突する闘争の峠となり、政府は測量中止を発表する。その後の1957年7月に、基地拡張に反対するデモ隊のうちの7名が基地内に1時間、4.5mほど立ち入ったとして、「安保条約3条に基づく行政協定に伴う刑事特別法」違反で起訴された。

この裁判では、安保条約による米軍の駐留は憲法9条2項の「戦力」として違憲になるかが争点になった。
この訴訟で59年3月30日東京地方裁判所は、9条の解釈は憲法の理念を十分考慮してなされなければならないとし、「安保条約締結の事情その他から現実的に考慮すれば…、かかる米軍の駐留を日本政府が許容していることは、指揮権の有無・出動義務の有無にかかわらず、9条2項前段の戦力不保持に違反し、米軍駐留は憲法上その存在を許すべからざるものである。」と判示した。
この判決は裁判長の名前をとって「伊達判決」と呼ばれる。

この判決は、翌年の1960年に安保条約を改定する準備を進めていた日米両政府にとって大きな打撃となった。そのため政府は、高裁を飛び越して最高裁に異例の飛躍上告を行い、最高裁もスピード判決でこれに応じた。
最高裁判所(大法廷、裁判長・田中耕太郎長官)は、1959年12月16日、「憲法第9条は日本が主権国として持つ固有の自衛権を否定しておらず、同条が禁止する戦力とは日本国が指揮・管理できる戦力のことであるから、外国の軍隊は戦力にあたらない。したがって、アメリカ軍の駐留は憲法及び前文の趣旨に反しない。他方で、日米安全保障条約のように高度な政治性をもつ条約については、一見してきわめて明白に違憲無効と認められない限り、その内容について違憲かどうかの法的判断を下すことはできない」として原判決を破棄し地裁に差し戻した(63年12月有罪確定)。
これを受けて、1960年1月には、日米両政府によって新安保条約が調印された。
この時の最高裁判決が今日「砂川判決」と呼ばれている。

しかし、その後に機密指定を解除されたアメリカ側公文書を日本側の研究者やジャーナリストが分析したことにより、「砂川判決」がどのような背景と経緯から作成されたのかが、2008年から2013年にかけて新たな事実が次々に判明している。
以下に、WiKipediaから該当箇所を引用する。

【東京地裁の「米軍駐留は憲法違反」との判決を受けて当時の駐日大使ダグラス・マッカーサー2世が、同判決の破棄を狙って外務大臣藤山愛一郎に最高裁への跳躍上告を促す外交圧力をかけたり、最高裁長官・田中と密談したりするなどの介入を行なっていた。跳躍上告を促したのは、通常の控訴では訴訟が長引き、1960年に予定されていた条約改定(日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約から日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約へ)に反対する社会党などの「非武装中立を唱える左翼勢力を益するだけ」という理由からだった。そのため、1959年中に(米軍合憲の)判決を出させるよう要求したのである。これについて、同事件の元被告人の一人が、日本側における関連情報の開示を最高裁・外務省・内閣府の3者に対し請求したが、3者はいずれも「記録が残されていない」などとして非開示決定。不服申立に対し外務省は「関連文書」の存在を認め、2010年4月2日、藤山外相とマッカーサー大使が1959年4月におこなった会談についての文書を公開した。

また田中自身が、マッカーサー大使と面会した際に「伊達判決は全くの誤り」と一審判決破棄・差し戻しを示唆していたこと、上告審日程やこの結論方針をアメリカ側に漏らしていたことが明らかになった。ジャーナリストの末浪靖司がアメリカ国立公文書記録管理局で公文書分析をして得た結論によれば、この田中判決はジョン・B・ハワード国務長官特別補佐官による“日本国以外によって維持され使用される軍事基地の存在は、日本国憲法第9条の範囲内であって、日本の軍隊または「戦力」の保持にはあたらない”という理論により導き出されたものだという。当該文書によれば、田中は駐日首席公使ウィリアム・レンハートに対し、「結審後の評議は、実質的な全員一致を生み出し、世論を揺さぶるもとになる少数意見を回避するやり方で運ばれることを願っている」と話したとされ、最高裁大法廷が早期に全員一致で米軍基地の存在を「合憲」とする判決が出ることを望んでいたアメリカ側の意向に沿う発言をした。田中は砂川事件上告審判決において、「かりに…それ(駐留)が違憲であるとしても、とにかく駐留という事実が現に存在する以上は、その事実を尊重し、これに対し適当な保護の途を講ずることは、立法政策上十分是認できる」、あるいは「既定事実を尊重し法的安定性を保つのが法の建前である」との補足意見を述べている。古川純専修大学名誉教授は、田中の上記補足意見に対して、「このような現実政治追随的見解は論外」と断じており、また、憲法学者で早稲田大学教授の水島朝穂は、判決が既定の方針だったことや日程が漏らされていたことに「司法権の独立を揺るがすもの。ここまで対米追従がされていたかと唖然とする」とコメントしている。】

「砂川判決」の裁判長だった田中耕太郎は戦後に文部大臣を務め、閣僚経験者が最高裁判所裁判官になった唯一の例である。
上の文書のも出ている田中長官とマッカーサー大使との密談で特に重要なのは判決の前月に行われたもので、内容はマ大使から国務長官宛の公用書簡により明らかになっている。
田中長官より米国大使への説明の概要は以下の通り。
①判決を出すタイムリミットを来年の初めまでと通報。
②評議において15人の裁判官の観点が手続上、法律上、憲法上の三つに分かれていることを通報。
③東京地裁の「伊達判決」をくつがえすという通報。
④その逆転判決は15人の裁判官の全員一致が望ましいという見解。
⑤「米軍駐留は合憲」というお墨付きを与える判決にすることへの示唆。
⑥「伊達判決」への敵意の表明。
そして判決は田中の言う通りになった。
最高裁長官が裁判の一方の当事者といえるアメリカの大使に、判決の事前にこうした事を報告していたのだ。
あまり軽々に「売国奴」という言葉は使いたくないが、田中耕太郎こそ「売国の裁判官」と言うしかない。
この田中長官の言動はまた、裁判所法第75条「評議の秘密」に明らかに違反している。憲法の番人たる最高裁のトップにあるまじき行為として糾弾されねばならない。

こうした売国の「砂川判決」にしがみつくしか自己を正当化できないのが現在の安倍政権であるのは、象徴的だと言える。

2015/07/05

四の日昼席(2015/07/04)

日時:2015年7月4日(土)13時
会場:スタジオフォー

久々の地域寄席だ。初めての会場なので少しイントロダクションを。
場所は巣鴨で、とげぬき地蔵から徒歩で10分ほど。都営三田線の西巣鴨駅か、都電荒川線の新庚申塚駅からは数分の場所。定期的にジャズライブなどが行われていて、
毎週水曜日の13時から「すがも巣ごもり寄席」が開かれている。毎回二ツ目が4名出演するようだ。
他に毎月4の日に「四の日昼席」が13時より開催される。メンバーは固定で次の通り。
初音家左橋 / 隅田川馬石 / 古今亭文菊 / 桂やまと / 古今亭駒次
(いま気が付いたのだが、メンバーは全員古今亭(金原亭)一門)
入場料が1500円で、キャッチコピーは日本一コスパの良い落語会とうたっている。
会場は50名ほどの広さだが、驚くのは不定期だがここで立川志の輔の独演会が開かれることだ。
7月4日の「四の日昼席」の番組は以下の通りで、常連客が多いようで和やかな雰囲気だった。
<  番組  >
初音家左橋『お菊の皿』
*春風亭一左『唖の釣り』
古今亭文菊『鰻の幇間』
~仲入り~
隅田川馬石『風呂敷』
古今亭駒次『旅姿浮世駅弁』
(*桂やまとの代演)

左橋『お菊の皿』、意外だが(多分)初見。陽気な高座スタイルで、お菊さんのテーマソングを「ユーレイ、ユーレイ、ユーレイホ」と唄い、これでお菊さんが「ヨーデル」なんてぇクスグリを挟んで楽しく聴かせていた。落語の他にTVドラマや芝居も演るようで、高座の所作にもそれらしい動きが感じられた。
一左『唖の釣り』、身体障碍者をからかう様な内容のため、高座にかかる機会が少ない。一左の演じ方は聾唖者というよりはジェスチャアーの動きに近く、不快感がなかった。表情が硬いのが気になり、もっと高座では柔和な表情を作るようにした方が良い。
文菊『鰻の幇間』 、若手の中で艶っぽさを最も感じるのが文菊で、この日のネタも幇間(たいこもち)の一八の描き方に活かされていた。一八が男と出会う場面で通常は一八の方が男を見つけるのだが、文菊のは男が一八に先に声を掛けて戸惑わせるという演じ方だ。この先のストーリーを考えればこの演出の方が自然だし、この男が当初から幇間をひっかけようとしていた意図が明白になる。鰻屋の2階に上がった一八が部屋の汚さを表す時の眼の動きが良い。料理を運んできた女性の奉公人に一八が「綺麗だね」と声を掛けるのも、後半との対比で効果的だ。一八が出された酒やお新香、鰻をいかにも不味そうに食べる仕草も良く出来ていた。男がはばかりに下りて一人になった一八が妄想を膨らませる場面、一転して男の逃げられたと知った時の場面との落差が鮮やか。
一八が女性の奉公人に部屋や料理の愚痴をいう時に「こっちを向きなさいよ」と合いの手を入れるのはリアリティがある。きっと相手はソッポを向いていたのだろう。「言いたいことは未だある」とか「これが最後だけど」というセリフも一八の怒りを感じさせる。
襟に縫い付けてあった10円札を取り出して一八が拡げると丸まってしまう描写を繰り返し、取られる10円への未練を強調した演出も効果的だ。
面白うて、やがて切ない文菊の一席、実に結構でした。
馬石『風呂敷』、古今亭のお家芸とも言うべきネタ、アッサリと感じたのは、相談に来た女房に兄いが「女三階に家無し」「おでんに靴を履かず」といった訓示を垂れる志ん生のギャグを省いたためか。今ひとつ気分の乗らない高座だったようだ。まあ、こういう日もあるでしょう。
駒次『旅姿浮世駅弁』、ローカル線の旅に出た新婚夫婦が、駅弁の権利の乗っ取り話に巻き込まれるが、視察に来ていた鉄道会社の社長一行(水戸黄門のパクリ)に救われるというストーリー。後ろの席の男性が、このネタを聴くのは3度目だけど毎回変えていると語っていた。新作はそれだけ苦労があるのだろう。以前にこの人の高座を聴いた時も鉄道ものの新作だった。「鉄道」というテーマに絞って面白い作品を生み出すのは制約があるんでしょうね。その辺りが課題か。

2015/07/04

「維新同体」

維新の党の柿沢未途幹事長は6月3日、安全保障関連法案への対案を自民、公明、民主各党にそれぞれ提示し、協議を始めた。自民党はこれに対し、高村正彦副総裁が「(国会に)できるだけ早く出していただき、国民の前で一緒に議論できる状況を作りたい」と応じ、歓迎の意を表した。
安倍首相は3日の特別委員会で、対案を提起した同党・下地幹郎議員に「この委員会でまさに並んで、(内閣と維新の)どちらの法律がいいか、議論いただけたらと思う」と歓迎した。
維新の党の対案に対する是非は別にして、与党が現在審議中の安全保障法案を7月中旬に採決することを明言しているこの時期に、こうした対案を出すことがどういう結果になるかは火を見るより明らかだ。
と言うより、法案の採決を助けるために敢えてこの時期に対案を提出したのだろう。維新の党の対案が与党案とは隔たりがあるにも拘らず、自民党首脳が歓迎しているのはそのためだ。
結局、維新の党というのは自民党の別働隊であることが鮮明になった。
安倍政権とは「維新伝心」(「以心伝心」)と以前から言われていたが、今や「維新同体」(「一心同体」)である。

【維新同体】(意味)自民党と維新の党が心を一つにして、あたかも一つの党のように固く結びつくこと。

2015/07/03

夢吉改メ三笑亭夢丸襲名・真打昇進披露(2015/7/2)

今春の芸協の真打披露興行に行くつもりだったのが日程が合わずにきてしまったが、ようやく7月2日の国立演芸場7月上席・初日に滑りこみ。この日は夢吉改メ「二代三笑亭夢丸襲名・真打昇進披露」で、お目当て通りとなった。

前座・柳亭楽ちん『子ほめ』
<  番組  >
三笑亭可女次『初天神』
桂枝太郎『松山鏡』
東京太・ゆめ子『漫才』
桂歌助『青菜』
三遊亭小遊三『船徳』
~仲入り~
『真打昇進披露口上』
三笑亭夢花『ドクトル』
瀧川鯉昇『ちりとてちん』
やなぎ南玉『曲独楽』
三笑亭夢丸『井戸の茶碗』

可女次『初天神』、年季のいった二ツ目だと思ったら経歴を見て納得した。
平成6年 先代古今亭志ん馬に入門し「志ん吉」に没後小笠原諸島父島でウミガメの調査を経て
平成14年 九代目三笑亭可楽に入門し「可女次」に
平成19年 二ツ目昇進
先代志ん馬にという事は6代目(8代目)を指すのだろうが、そうすると入門して間もなく師匠が亡くなったことになる。身体は細いが声が大きく威勢のいい師匠で人気があったが急逝してしまった。そういえば7代目(9代目)も癌で亡くなった。
今秋か来春には真打に昇進するだろうから頑張って欲しい。
枝太郎『松山鏡』、当代は3代で、師匠は歌丸。2代目枝太郎は新作落語専門で、漂々とした高座スタイルが印象に残っている(言う事ぁ古いね)。
マクラから客席を笑わせ、ネタに入ると随所にクスグリを入れて、サゲも改変していた。名人文楽の十八番とは全く別物の『松山鏡』にしていたが、この人のセンスの良さを感じさせた。
京太・ゆめ子『漫才』、特別のネタを振るわけではなく会話の可笑しさだけで笑わせる芸で、ほのぼのとした夫婦(めおと)漫才の典型だ。
終わりのフレーズ「母ちゃん、もう帰ろうよ!」は、師匠の松鶴家千代若・千代菊の漫才を決めゼリフを受け継いでいる。
歌助『青菜』、季節感のあるネタを本寸法で。屋敷の主人のどっしりとした感じが出ていた。
小遊三『船徳』、ここ数年で聴いた小遊三の高座ではこの日が一番。頼りない若旦那、船宿の主、二人の客、それぞれの人物像が明確で、船が大川へ出てからのリズムが良い。この人の本領を示した一席。
真打昇進披露口上』は、高座下手から司会の夢花、枝太郎、歌助、夢丸、鯉昇、小遊三の順で並び、口上とご祝儀。
夢花『ドクトル』、自作の新作落語と思われるが、スジは奇病にかかった二人の患者が医師を訪れ、間違った薬を飲まされて余計に症状が重くなるというもの。奇声や動作の可笑しさで笑いを取ろうとしたのだろうが客席の反応は鈍かった。
当代夢丸の兄弟子であり、先代が亡くなった今では師匠替りの出演だったと思う。そうした立場からこのネタの選定はいかがなものか。
鯉昇『ちりとてちん』、例によって脱力感溢れるマクラで客席を沸かし、そのままネタへ。寅さんが珍味の「ちりとてちん」を喉へ流し込んで悶絶する場面を見せ場に、この日一番ウケていた。
南玉『曲独楽』、座ったままの妙技の披露は、お見事としか言いようがない。
夢丸『井戸の茶碗』、この人の良さは、明るさと勢いだ。反面、技術的は未だ未だの所もあり、裏返せばそれだけ伸びしろがあると言える。このネタでは従来の弱点だった人物の演じ分けもしっかり出来ていた。ただ、言葉づかいには一考の余地があるように見えた。
襲名と真打昇進を機に、さらに一回り大きく成長した夢丸に、これからも期待したい。

今の芸協の充実ぶりを示した定席だった。

2015/07/01

2015年6月記事別アクセスランキング

6月25日の自民党勉強会で、「マスコミを懲らしめるには、広告料収入をなくせばいい」と発言し、党に厳重注意処分を受けたばかりの大西英男衆院議員が6月30日、衆院本会議後の取材に再び報道に圧力をかける発言をした。
大西英男は政治的圧力は否定しているが、こうした発言を繰り返すことがマスコミへの圧力や牽制になることが分かっていない。いや、分かっていてこうした発言を繰り返していると見るべきだ。本人としては政権の意向を代弁している気でいるんだろう。

6月30日付毎日新聞の配信によれば、毎日新聞が新聞各社と通信社に議員らの発言への見解を選択式で尋ねたところ、在京6紙と2通信社のうち「問題がある」としたのは毎日を含め4社にとどまり、濃淡が出たとして、次のように報じている。
在京6紙(毎日、朝日、東京、読売、日経、産経)のうち、「問題がある」としたのは毎日新聞と朝日新聞だった。他の4紙は問題があるかどうかの質問に直接答えなかった。このうち読売新聞、日本経済新聞は26日朝刊で勉強会を報じたものの「圧力発言」には触れなかった。産経新聞は26日に百田尚樹の発言を報じ、27日にこの件についての与野党の対応をまとめた。
東京新聞と日経新聞は、その後それぞれ社説で批判する記事を書いている。
読売新聞は社説で、米軍普天間飛行場の移設を巡り、「沖縄2紙の論調には疑問も多い」とした上で「百田氏の批判は、やや行き過ぎと言えるのではないか」とした。
産経新聞は29日まで社説を掲載していない。26日に百田氏の発言を報じ、28日には百田の「一言だけ取り出すのは卑劣」との反論を載せた。
通信2社(共同、時事)は、いずれも「発言は問題がある」とした。

「言論統制」というと権力側が政治的圧力で報道を制限することと思われがちだが、もっと怖いのは報道する側が自主的に規制し、政権の意向に沿った報道だけを行うようになることだ。
上記の毎日の記事を見ると、いくつかのメディアは既にそうした状況になっている。

さて、6月のアクセスランキングのTOP10は以下の通り。

1 【ツアーな人々】消えた添乗員
2 【ツアーな人々】団体ツアーは添乗員しだい
3 【ツアーな人々】当世海外買春事情
4 新治主義と白酒ナリズム「三田落語会・夜」(2015/6/27)
5 そもそも空港での「液体物持込」検査が無意味だ
6 客をナメチャいけません-「六代目柳家小さん襲名披露公演」
7 志の輔『牡丹灯籠(通し)』(2014/7/31)
8「扇辰・白酒 二人会」(2015/5/21)
9 鈴本演芸場6月下席(2015/6/26)
10 東海道四谷怪談(2015/6/23)

6月は大半が休業状態で新規投稿は数本だったため、以前に書いたもので長期にわたって読まれているロングセラー記事がランクインしている。1,2,3,5位はいずれも旅行に関する記事で、当ブログの固定読者には旅好きの方が多いことが窺われる。
7位の志の輔の記事は昨年アップしたものだが、今年また同じ企画で公演を行うようで、その下調べとしてアクセスが多かったものとみえる。
4,9,10位は6月にアップした記事がランクインした。

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