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2015/07/11

入船亭扇橋の死去

入船亭扇橋(本名橋本光永)が7月10日、呼吸不全のため死去した。享年84歳だった。
主な経歴は次の通り。
1957年 3代目桂三木助に入門
1958年 桂木久八で初高座。
1961年 師匠三木助死後、5代目柳家小さん門下に移籍。
1961年 二つ目昇進し柳家さん八と改名。
1970年 真打に昇進し9代目入船亭扇橋を襲名。
1981年 映画『の・ようなもの』に「出船亭扇橋」役で出演。
1982年 文化庁芸術祭大賞。
1983年 芸術選奨新人賞。

二ツ目の柳家さん八の頃から兄弟弟子の柳家さん冶(当代柳家小三冶)と共に将来を嘱望されていた。
若い頃はいかにも江戸っ子らしいイナセな高座姿が印象的だった。恐らくは最初の師匠・三木助の影響だったと思われる。次第に後の師匠・小さんの影響からか丸みをおびた表現が加わり、いわゆる「入船亭」の芸風を確立した。現在では弟子の扇遊や扇辰らにその芸が継承されている。
当ブログを始めた2005年頃までは寄席のトリを取っていたが次第に出番が少なくなり、病気療養中だと聞いて心配していた。
本格派の古典落語家であったが、時にはマクラの間に歌を挟む「歌う落語家」という一面も持っていた。そうした飄々とした姿もこの人の特長の一つであったように思う。
俳句を嗜み「光石」の俳号を持つ俳人でもあり「東京やなぎ句会」の宗匠でもあった。会の名の「やなぎ」は、柳家さん八の亭号から取ったものだ。会の規則で句友の女に手を出した者は即刻除名という厳しい掟だったが、除名になった者は一人も出なかったそうだ。

心より哀悼の意を表します。

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寄席・落語」カテゴリの記事

コメント

亡くなりましたか。まだ寄席に出ておられた頃の、良く聴き取れないながらも飄々とした雰囲気と、何とも言えない可笑しみが忘れられません。羽織を楽屋口に投げる仕草なども、他の噺家さんではあまり見た記憶がありません。
お若く元気だった頃にもっと聞いておきたかったです。
ご冥福をお祈りします。

投稿: YOO | 2015/07/12 01:00

YOO様
あの何ともまろやかな、そして粋な高座姿は忘れられません。3代目三木助の芸を継ぐ唯一の人だっただけに残念です。

投稿: ほめ・く | 2015/07/12 09:51

蛸の歌、もう一度聴きたかったです。
さいごは支離滅裂でしたが楽しかった。
小三治讃歌もよく聴きました。
せんじつ落語研究会で小三治がトリをやっていたころはもう亡くなっていたのかなあ。

投稿: 佐平次 | 2015/07/12 09:59

佐平次様
あの「蛸八」の歌が「厭戦歌」であるのを知らない人も多いでしょうね。
病床を見舞った小三冶が「もう死なせてやれよ」と付き添っていた弟子に言ったというのを聞きました。友人として見ていられなかったんでしょうね。そういう心情も分かる気がします。

投稿: ほめ・く | 2015/07/12 10:51

扇橋は「道具屋」を新宿で聴きました。
どうぐやお月さん何見て・・・
「蛸の歌」もシメで出ました。

NHKのTV番組の「家事息子」。
そのすばらしさに胸打たれました。
女房「まあ、あなた、捨てるくらいならあげてもいいじゃありませんか」(泣きながら)
主人「わからないヒトだねえ、捨てるフリをしてあげてやんなってんだよ」
父親が臥煙の倅にむやみに優しくしないのです。

名手を失って残念です。

投稿: 福 | 2015/07/13 06:54

福様
私が最後に見たトリの高座は新宿で『麻のれん』でした。枝豆の食いっぷりの見事さに拍手が起きてました。浅草のお盆興行では短い出番で、マクラから童謡を1曲歌って下りましたが、ああいう事を許されるのも扇橋の人柄だったと思います。
好きな噺家だったので残念です。

投稿: ほめ・く | 2015/07/13 08:23

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