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2015/07/11

安藤忠雄さん、卑怯だぞ!(続報)

「ダイヤモンドオンライン」の2015年7月11日付の記事「新国立競技場2520億円をゴリ押ししたのは誰か」で、新国立競技場のデザインが決まるまでの過程が詳しく書かれているので、長くなるが以下紹介する。

【二〇一二年三月、各分野十四人のメンバーからなる『国立競技場将来構想有識者会議』が設立された。発足当時は「八万人収容」「開閉式の屋根」「可動式観客席の導入」等々の方針が決められた。問題となる国際デザインコンクール――、いわゆるコンペの実施を発表したのがその年の七月だ。審査委員長には建築家の安藤忠雄氏が就任するが、このときから新国立競技場建設をめぐる迷走が始まるのである。
コンペの発表が七月。応募の締め切りが九月二五日という異例のスケジュールが組まれた。オリンピックのメインスタジアムにして日本の国立競技場を決めるコンペなのに、応募期間がわずかに二ヵ月しかないというのは、実に不可解と言わざるを得ない。
不可解なこのコンペには、応募資格まで設けられた。首を傾げたのは東京電機大学の今川憲英教授だ。
「コンペの応募資格が、収容人数一万五〇〇〇人以上のスタジアム設計経験者と、国際的な建築賞を受賞したことのある人物に限定されており、そのこと自体かなり異例です」
応募は、海外から三十四点、国内から十二点の計四十六点があった。これをブラインドで一次審査にかけ、二次審査には十一点(海外七・国内四)が残った。二次審査は、各委員(日本人八・海外二)が良いものから順に三点を選ぶ方式が取り入れられたが、不可解なのは、この後の審査過程だ。
「ザハ案(今回採用された女性建築家)以外、豪州と日本の設計事務所の案が残りました。ここから安藤さんの意向で日本案が外され、最後は二案になる“決選投票”となったのです」(スポーツ紙デスク)
今回の審査委員には外国人建築家が二人、名を連ねていたが、何とも不可解なことに、彼らは一度も来日せず、一次審査にも投票しなかった。ではどうしたかというと、二次審査に残った作品をJSC職員が現地まで持参し、順位とコメントを聞き取り、審査に反映させたという。だから、外国人審査員の最終決選においての発言はない。
「決選投票は四対四で割れてしまい、その後もめいめいが意見を述べましたが、いったん休憩しようということになった。で、皆が席を離れた後、ひとりの委員が安藤さんに『こういうときは委員長が決めるべきでしょう』と話しかけたのです。実際、それ以上繰り返しても結果は変わりそうになく、安藤さんも『わかりました』と応じていました」
安藤忠雄氏は、さきの有識者会議のメンバーでもある。
「だから他の委員が詳しく知り得ない“上の意向”にも通じていたのでしょう。一時間ほどの休憩をはさみ、再び委員が席に着くと、安藤さんは『日本はいま、たいへんな困難の中にある。非常につらいムードを払拭し、未来の日本人全体の希望になるような建物にしたい』という趣旨のことを口にし、ザハ案を推したのです。そこで安藤さんは全員に向かって『全会一致ということでよろしいですか』と念を押し、誰も異論がなかったので、そのまま決まりました」
皆さんもザハ・ハディド氏がデザインした新国立競技場のイメージ像はご存じだろう。安藤氏曰く、あれが『未来の日本人全体の希望』だそうだ。呵々大笑。どーでもいいけど、安藤忠雄という建築家は、ぜんぜん使えない東急東横みなとみらい線の渋谷駅を設計した人です。乗り換えるのに五分も十分も歩かされる不便駅です。
「専門家が見れば、予算の範囲でつくれないのは審査段階でわかります。だいいち、建物の一部が敷地外に飛び出しており、本来ならば失格の作品を最優秀賞に選んでしまった。せめて招致が決まった段階で、ザハ案が違反であると公表し、十分な条件によるコンペを開いて仕切り直すべきでした。それをしなかったのは、安藤さんの責任でしょう」(今回、二次審査まで残った建築家の渡辺邦夫氏)
ザハ氏の作品は、昆虫の触角のように伸びたスロープがJR線をまたぎ、施設の高さも制限をオーバーしていた。応募条件から大きく逸脱していたにもかかわらず、安藤忠雄氏はコンペの優勝者としたのである。ホワイ?
ついでながら言えば、ザハ案は床面積を四分の三に縮小、高さも低く抑えるなど修正が必要だったのだが、どーいうわけか安藤さんはザハ案を選んだ理由のいっさいを説明しようとはせず、メディアにも口をつぐんだままだ。ホワイ?】

やっぱり、そうだったのか。
かくして不透明な会議で、不可解なデザインが決定したのだ。
安藤忠雄さん、Why? Why?

【週刊新潮の記者さんが、ザハ案を採用した安藤忠雄氏を自宅近くで直撃している。
「いや、ちょっと、私わからない。またね」
食い下がる記者さんに、安藤氏はキレたそうだ。
「いいから、来んといてくれや。はい、さいなら……、ええ加減にせえや! もう帰れよ!」】

キレたいのはこっちだよ。
安藤さんも政権や森喜朗の意を汲んで粛々と進めたんだろうから、本当に悪いのはそっちだけど。
こうなったら、もう一度建設計画を見直して一から再スタートするしかないでしょう。

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コメント

安藤に責任転嫁(責任はありますが)して過ごそうという悪どもに腹が立ちます。

佐平次様
この計画を森喜朗がゴリ押ししているのは、五輪の前年2019年にラグビーのW杯があり、これに新国立を使うために急がせているんです。又してもシンキロウの亡霊が。

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