『百年目』の大旦那の厳しさ
落語『百年目』はファンにはお馴染みだろう。店にあっては下の奉公人に厳しく接する謹厳実直な番頭が、裏では芸者、幇間らを引き連れて屋形船を仕立てて豪勢な花見に出かける。最初は周囲を警戒していた番頭だが、酒が入るとついつい気が大きくなり、土手に上がって芸者たちと戯れ始める。
そこへ知人と花見に来ていた大旦那とばったり顔を会わせてしまう。この大失態で店に戻った番頭は夜逃げまで考えて一晩中眠ることもできず、翌朝を迎える。
そして遂に大旦那から呼び出しがきて、厳重に注意されたうえ解雇されることまで覚悟していた番頭に対し、意外にも大旦那は寛大な措置を取り、却って番頭を励ますというストーリーだ。
聴き手はこの大旦那の寛容さ、思いやりに感動するのだが、最後の場面の大旦那の言葉を改めて聞いてみると、決して寛大なだけではない、厳しい一面を感じるのだ。
先ず、大勢のお供を引き連れて派手な遊びをしていた番頭を見つけた時に、旦那は何を感じたろうか。あいつにもこんな面があったのかと認識を改め驚いたわけではないのだ。最初に頭をよぎったのは番頭が店の金を使い込んでいるのではという疑念だったに違いない。誰が見ても番頭の給料や小遣いの範囲で賄える遊びではないのは明白だからだ。番頭の方も、旦那がきっと自分を疑うだろうと思ったからこそ、一時は夜逃げまで覚悟した。
ただ、番頭は店の金には手を付けていなかった。自分の才覚で稼いだ金で遊んでいた。しかしその事は旦那の了承を得ていたわけではないので、お咎めがあっても止むを得ないと考えた。
店に戻った旦那は一睡もせずに帳簿を改めたが、そこには何ひとつとして穴が見つからなかった。これで番頭個人の才覚で稼いだ金だということは分かった。
さて、どうしよう?
今回は見逃すが今後はこういう事は一切許さないという態度で臨むか、店の経営に支障がない限りにおいては番頭個人の商いを認めるか、旦那は悩んだに違いない。
結論は後者にした。これには番頭を近いうちに暖簾分けさせて独立させようという腹もあったのだろう。
だから、旦那の説教は一方で心理的圧力をかけつつ、もう一方で寛容な態度を見せるという、手のこんだ内容になっている。
最後のシーンで、旦那が番頭の次兵衛に対してどういう言葉をかけていたのか、いつも参考にさせて頂いているサイト「世紀末亭」の中の桂米朝『百年目』(1989/03/07口演)から見てみたい。
翌朝、旦那が丁稚に言いつけて、帳場にいる番頭を呼びに行かせる。
丁稚「行てきました」
旦那「番頭どん、どぉ言ぅてなさったな?」
丁稚「今行くちゅうとけ」
旦那「何を……、何ちゅう口の利き方や。たとえ番頭どんがそぉ言ぅたにせよ、そちはここへ来たら手を付いて「番頭さん、ただ今ここへお越しになります」と、なぜ丁寧に言わん……。何じゃその顔は?ちょっと小言を言ぅたらじきにふくれ面して、米の飯が天辺へ登ったとは、きさまのことじゃ!」
むろん、番頭に怒鳴り声が届くのは計算づくである。
「誰やいな、そこでペコペコしてるのは? 番頭どんやないかいな、こっち入っとぉくれ。お座布当てなはれ、遠慮せぇでもえぇ、当てさせよ思て出した座布団じゃ。うちで遠慮は要らん、遠慮といぅものは、外でするもんや。」
昨日の花見でも番頭の行動をチクリと皮肉り、諭している。
前段で、「旦那」の語源として赤栴檀(しゃくせんだん)と難莚草(なんえんそう)の例え話をしてから。
「が、店へ出たら、今度は番頭どん、お前さんが赤栴檀、店の若い連中が難莚草じゃ。店の赤栴檀はえらい馬力じゃが、店の難莚草がちょっとグンニャリしてへんかなぁ? いやまぁ、これはわしの見損ないじゃろぉがな……
もしもやで、店の難莚草が枯れるてなことがあったら、店の赤栴檀のこんたが枯れる。こなたといぅ難莚草に枯れられたら、わしといぅこの赤栴檀ひとたまりもない。我が身可愛さに言ぅと思うか知らんがなぁ、まぁお互いのこっちゃで、店の難莚草にも露を下ろしてやってくだされ。わたしもできるだけ露を下ろそぉと思ぉてます。」
奉公人たちに対し厳しいばかりではなく、時には露を下ろしてやってくれと番頭に諭している。旦那自身もまた番頭に出来る限り露を下ろすと、ここで初めて寛容な態度を見せる。
「二桁の寄せ算覚えるのに半年かかった。二ぁつ用事言ぃ付けたら、一つは必ず忘れる。買い物に行かしたら、お釣り落として泣いて戻る。まぁ世にも不細工な子ぉやったのに、きのうの手つきの器用なこと、どぉじゃい……。
あれ、あの”なんた~ら”ちゅうとこじゃったなぁ、孫の太鼓がある、これ叩くさかいひとつ踊って」
ここはかなり強烈な皮肉。
「しかし、番頭どん。まぁ、気ぃ悪してくれては困るがなぁ。実は夕べ、帳面調べさしてもろた。あんなところを見してもろたんで、ヒョッと無理でもでけてやせんかと、夜通しかかってあらまし帳面を見さしてもろたんじゃが、こんたは偉い人じゃなぁ。帳面にはこっから先の無理もない。」
昨夜は一晩かけて旦那は、番頭が店の金を使い込んではいないか、帳簿に不正がないか調べたのだ。不正はなかったと言いながら、もし不正があれば見抜くことは出来るぞと知らしめている。
「甲斐性で稼いで甲斐性で使いなさる。はぁ、立派なもんじゃ。沈香も焚かず屁もこかずてな言葉があるが、そんなもんには大きな金儲ぉけはできやん。使うときはビックリするほど使こぉてこそ、またビックリするよぉな商いもでけますのじゃ。
やんなされ、やんなされ。わしもなぁ、老い朽ちた歳やないで、また誘そてや、付き合うさかい。割り前出そやないかいな。た、頼むで……。」
旦那はここで番頭の金儲けの才覚をほめ、大いに儲けて大いに使えと励ます。ただ前のパラグラフで、帳簿には目を光らせると一本釘を刺していることに注意。
この大旦那はとても優秀な経営者なのだろう。
« 「南光・南天 ふたり会」(2015/7/12) | トップページ | 国民の声より「米国への忠誠」 »
「寄席・落語」カテゴリの記事
- 談春の「これからの芝浜」(2023.03.26)
- 「極め付き」の落語と演者(2023.03.05)
- 落語家とバラエティー番組(2023.02.06)
- 噺家の死、そして失われる出囃子(2023.01.29)
- この演者にはこの噺(2023.01.26)
コメント