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2015/08/06

「もとの黙阿弥」(2015/8/5)

「もとの黙阿弥」~浅草七軒町界隈~
日時:2015年8月5日(水)16時30分
会場:新橋演舞場
作 :井上ひさし
演出:栗山民也

本作品は井上ひさしが初めて大劇場での商業演劇用に書いた作品。井上によると800本の歌舞伎台本と河竹黙阿弥全集を3回読み直した結果、狂言の作劇の基本は「ナンノダレソレ、実はナンノダレガシ」にある事を見出した。つまり登場人物のはそれぞれ一身のうちに嘘(仮の姿)と実(本来の姿)の二つを合わせ持っていて、たがいに嘘を実(まこと)と信じ込み、悲劇と喜劇を織りなしてゆくと言うのだ。
確かに歌舞伎や能、狂言といった古典芸能の世界ではそうした作劇方法が多い。
井上によればギリシア悲劇もシェイクスピアもモリエールも同じ手法で戯曲を書いているとのこと。
この芝居の登場人物は嘘と実がない交ぜになっていて、さらに劇中劇で別の人物を演じると言う二重三重構造となっていることが特長だ。

ストーリーは。
時は文明開化の明治。所は浅草七軒町。黙阿弥の新作まがいの芝居を上演して興行停止の処分を受けてしまった芝居小屋・大和座の座頭である坂東飛鶴(波乃久里子)と番頭格の坂東飛太郎(大沢健)は、しかたなく「よろず稽古指南所」を開き、日々の糧を得る日々。今日も野菜売りの安吉(浜中文一)たちや女子衆が「かっぽれ」を習いに来ている。  
そこへ男爵家の跡取りの河辺隆次(片岡愛之助)と、その書生の久松菊雄(早乙女太一)が訪れる。隆次は姉の賀津子(床嶋佳子)が勝手に決めた縁談の相手と舞踏会で踊らねばならず、久松のすすめで飛鶴に西洋舞踊を習うことにした。  
二人と入れ違いに現れたのは新興財閥の長崎屋新五郎(渡辺哲)。良縁が舞い込んだ娘のお琴に西洋舞踊を仕込んでほしいと飛鶴に頼む。
翌日、やってきた長崎屋お琴(貫地谷しほり)は女中のお繁(真飛聖)と入れ替わって相手に会い、その人柄を確かめたいと言う。  
ところが隆次と久松も同じような事情で二人が入れ替わって相手を観察することにしたから、面倒なことに。入れ替わった二組はそれぞれ別の人物に成り切ろうとするが四苦八苦。
瓢箪から駒で、二組は会話しているうちに隆次(実は菊雄)お琴(実はお繁)、菊雄(実は隆次)とお繁(実はお琴)それぞれが相手に恋心を抱いてしまう。
嘘がばれたら双方ともに破談になりかねない。最初からこの事情を知らされていた飛鶴は、全てを丸く収めるために一計を案じるが・・・。

お定まりのストーリーだが、井上作品らしく唄あり、踊りあり、生演奏あり、おまけに劇中劇では珍しい「おマンマの立ち回り」まで披露というサービス満点。
人気役者たちの華やかでコミカルな演技と、おもちゃ箱をひっくり返した様な筋書で観客を楽しませていた。
しかし井上作品として他と比較した場合は、出来が良いとは言えまい。全てが予定調和過ぎている。
劇そのものより、役者を観に行く芝居だといえよう。

主役の片岡愛之助は初見だったが、色気と愛嬌がありいかにも歌舞伎役者らしい。口跡も良い。
お琴役の貫地谷しほりは可憐で愛らしい。精一杯舞台を努めていたのが良く分かった。
飛鶴役の波乃久里子が圧倒的な存在感を見せていて、この人が出て来ると他が霞んでしまうほどだ。
女中のお繁を演じた真飛聖のコミカルな演技が光る。お琴に成りすました時の不器用さが良い。
ワキでは、国事探偵を演じた酒向芳の軽妙な演技が印象的だった。

東京公演は25日まで。
9月1日より大阪松竹座で公演。

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