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2015/09/27

ザ・柳家権太楼Ⅱ(2015/9/26)

大手町独演会「ザ・柳家権太楼 其の二」
日時:2015年9月26日(土)13:00
会場:よみうり大手町ホール
<  番組  >
開口一番・柳家さん光は、聞きそびれてしまった
柳家権太楼『不動坊』
柳家権太楼『たちきり』
~仲入り~
柳家権太楼『二番煎じ』
柳家権太楼『心眼』
(権太楼は全てネタ出し)

この会は、開口一番を別にすれば一人で4席、休憩時間を含め約3時間の口演という珍しい企画だ。出演者は権太楼、さん喬、白酒で既に第1回目が終り、権太楼は今回が第2回。
独演会というからには独りで演じるのが基本だろうが、4席を高座にかけ、それも番組を見て分かる通り全て寄席ではトリで演じる様なネタばかりだ。
人間の能力を縦軸に、年齢を横軸にとると概ね緩やかな放物線運動が描かれる。初めは上昇し、ピークを打ち、その後は低下に向かう。これが運動能力だとピークは若い時に打つし、古典芸能だとピークは高齢になる。
では落語家の場合はどうかというと個人差があるが、概ね60代だと考えている。70代に入るとどうしても気力や体力が低下し始めのが一般的傾向だと思う。
先に亡くなった桂米朝のDVDを年代順に比較すると、やはり60代の時が最も充実し、70代に入ると声が擦れてくるといった様な低下傾向が認められる。
もっとも、早咲きの人もいれば遅咲きの人もいて、一概にはいえないのだが、目安としては凡そ上記の様な傾向にあると考える。
「いま聴くべき噺家」なんていうタイトルを眼にするが、この伝でいけば権太楼、さん喬、雲助といった辺りが該当することになる。
その意味で白酒を別にすれば、権太楼、さん喬をタップリ聴かせるという企画は時宜にかなっていると思う。
会場入り口で配られたプログラムに権太楼本人がネタの聴きどころを述べているので、それを含めていつもの短い感想を記す。

権太楼の1席目『不動坊』、本人はこう語っている。「私の心の準備やいろんな節目、節目に必ずやろうと決めている噺なんです」。節目について特に解説は無かったが、寄席でも度々高座に掛けている演目だ。このネタや『居残り佐平次』『百年目』『らくだ』といった所がこの人のベストと思われる。
以前から吉兵衛が思いを募らせていたお滝さんを嫁に貰うことなって有頂天。あまりの嬉しさに風呂屋で弾けるが、ついつい他にヤモメの悪口をしゃべってしまう。この弾け方はいつもより抑え気味に映った。悪口を言われた3人のヤモメは面白くない。恐らくは密かに狙っていたお滝さんを取られた恨みもあったんだろう。万年前座を幽霊に仕立てて、婚礼の晩に嫌がらせに行く。準備不足と勘違いでドタバタになる所が見せ場。屋根の上の4人の演じ分けは手慣れたもので、良い出来だった。

権太楼の2席目『たちきり』、本人によれば「(自分は爆笑モノを生業としていこうと思ったので)おさらい会は別にして、今でも寄席には掛けません。今回はザ・権太楼という括りですので是非と思っておりました」。アタシはこの噺の勘所は前半での番頭が示す貫録だと思っている。大番頭といえども奉公人の分際で跡取りの大事な若旦那を100日も蔵に閉じ込めてしまうのだから。それだけ信用が厚く、大旦那を含めて周囲から信頼されているという事だ。その事を端的に表しているのは、放蕩の若旦那が店に帰ってきて大声で喚きだした時に、これを鎮める番頭の貫録だ。権太楼の高座ではこの部分が物足りなかった。
後半の泣かせ所では、登場人物が泣き過ぎるように思えた。もっと抑えた方が客は感情移入できるのでは。
このネタはさん喬が一枚上かな。

権太楼の3席目『二番煎じ』、質問者が「謡いの黒川先生と辰つぁんの活躍場面が多いように記憶していますが」という問いに対して、権太楼は「話し始めると意図しないのに、なぜかこの二人が勝手に動き躍動しちゃう」と答えている。確かに権太楼の高座では二人の活躍が目立つ。
ただアタシの好みでいくと、周囲を憚って低い声で密かな宴会を開くという趣きの8代目三笑亭可楽が本寸法だと思う。笑いの要素の多い権太楼の高座は、これはこれで良いのかも知れないが、権太楼に限らず最近の人の演じる宴会は盛大になり過ぎてリアリティに欠けるように思えるのだが、どうだろうか。

権太楼の4席目『心眼』、本人の弁では「実は演ってみたいと思っているのですが、迷っている噺です。(中略)人間にとって多くを知ることや分かることが、果たして幸せなのかどうか、ということを諭してくれる、今の時代だからこそ聴いて頂きたい、いい噺なんです」。
圓朝の原作をほとんど改作といって良いほど手を入れ完成させた名人文楽の十八番中の十八番。現在に至るまで演者は文楽の型を忠実になぞっている。
盲人・梅喜の有名なサゲのセリフで「目が見えねぇってなぁ、妙なものだ。寝ているうちだけ、よぉく見える・・・」、梅喜が見たものは何だったのか。アタシは本人の持っていた密かな欲望ではないかと解釈している。惨めな生活から抜け出したいという願いの一方、芸者・小春から思いを寄せられているのは自覚していた筈だ。それが夢の中で形として現れてしまった。貞淑な女房・お竹に対するなんという裏切りか、梅喜の一言はシニカルというか自嘲というか、そうした複雑な思いがこめられているのだと思う。文楽にあって権太楼にないものが、それ。

終わってみて感じたのは満腹感。腹八分目といわれるが、もうちょっと食べたい、で止めておくのが丁度良いのかも知れない。

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コメント

今夜は落語研究会で「猫の災難」、さてどんな酔っぱらいが登場するか。

佐平次様
いつもの権太楼節が炸裂するでしょう。この日は演目が重かった様に感じました。

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