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2015/09/29

一之輔・夢丸二人会(2015/9/28)

「夢一夜~一之輔・夢丸 二人会~」
日時:2015年9月28日(月)19時
会場:日本橋社会教育会館
<  番組  >
前座・古今亭今いち『手紙は笑う』
入船亭小辰『金明竹』
三笑亭夢丸『疝気の虫』
春風亭一之輔『黄金の大黒(序)』
~仲入り~
『夢丸真打昇進口上』下手より司会の小辰。夢丸、一之輔
春風亭一之輔『蝦蟇の油』
三笑亭夢丸『蛙の子』

ちょうど満月を迎えたこの日にピッタリの会の名称「夢一夜」、今回が10回目だそうで真打が二人揃ったというのは初と、記念すべき会となった。
落語家同士でも気の合う、気の合わないというのは当然あるんだろう。この二人は本当に気の合う同士の様で、『夢丸真打昇進口上』での二人のヤリトリを聞いていてつくづく感じる。きっと「肝胆相照らす仲」でお互い何でも話せるんだろうな。そうした雰囲気は会場にも伝わり、気持ちの良い会だった。
かねがね当ブログで「10年に一人の逸材」と評価している一之輔に、最初に苦言を。
マクラやネタの中で再三再四ジジイ達の事を話題にする。この日も2回ほど出ていた。鼻先で笑う、メモを取る、ミスを指摘するという嫌なジジイ達の事だ。気持ちは分かるが、あまりクドイと嫌みになる。そういうジジイ達も客席に足を運んで来るというのは、一之輔の実力を認め高座を聴きに来ているのだ。だから非難はサラリとやって欲しい。万人に好かれる必要はないが、客に不快な気分にさせるのは得策ではない。本人が気が付いてなければ(確信犯の可能性もあるが)、周囲の誰かが注意してあげた方が良い。

前座の今いち『手紙は笑う』、声が大きい。歌舞伎座の3階席にも届きそうだ。口調も明解だ。ネタは今どき手紙を他人に書いて貰う人なんていないから、設定には無理がある。

小辰『金明竹』、師匠の若い頃によく似ている、師匠の時も将来は上手くなるだろうなと思っていたらヤッパリ上手くなったから、この人も将来きっと上手くなる。

夢丸『疝気の虫』、このネタは2回目だが、陽気な夢丸に合ってる。大好物のソバにつられて夫の身体から妻の身体に移った疝気の虫、大嫌いなトウガラシに攻められ別荘(睾丸)に逃げ込もうとするが見当たらない。疝気の虫が「(別荘は)どこだ、どこだ」とキョロキョロしながら高座を下りるのが夢丸のサゲ。志ん生の演じ方だったそうで、このサゲは今は夢丸だけかな。

一之輔『黄金の大黒(序)』、このネタは大きく分けて前半の一張羅の羽織をとっかえひっかえしながら店子たちが大家にお祝いの口上を述べるまでと、後半の宴会の場面との別れる。最近では後半部分をカットして前半で切るケースが多く、この日の一之輔もそうだった。一之輔落語の最大の特長は、特定の登場人物や事柄を極端にデフォルメさせることにある。このネタでいえば口上を述べる二人目の店子が対象で、「承りますれば・・・」という言葉が言えず、まるで外国人が片言をしゃべる様な話し方になり、大家が次第にイライラしてくる過程を面白く聴かせた。その前の店子同士の店賃や羽織をめぐるチグハグな会話も楽しく会場を沸かせていた。

一之輔『蝦蟇の油』、こちらのデフォルメの対象は、酔っぱらったガマの油売りだ。口上の冒頭の部分「遠目山越し笠のうち、物の文色(あいろ)と理方(りかた)がわからぬ」を省略する。以前から無駄だと思っていたと言い、先代文楽のようにムダは削ると言い出す。ガマの油って早く言えば「カエルの汗」だと。刀を取り出し客になんでも切って見せると言うと、客が「藤娘!」とリクエスト。途端に油売りが正楽の恰好で紙切りを始める。このネタは2回目だが、前回の時はいずれも演じられなかったギャグだ。一之輔のもう一つの大きな特長は回を重ねる毎に内容を変えて行く。それも本人の弁によると稽古を積んで工夫するのではなく、実際の高座の中で変えてゆくらしい。驚くべき才能である。客席は大爆笑だった。

夢丸『蛙の子』、『夢丸新江戸噺し』の審査員特別賞に入選したもので、むろん師匠が演じたネタだ。6歳の子が飲む打つ買うの3道楽に頭を悩ます両親。実はこの父親が大変な道楽者で母親に迷惑ばかりかけていた。それを見かねた子どもが自ら反面教師となって道楽を演じ、父親に反省させる目的だったというもの。
夢丸は小生意気な子どもの描写に優れ、良い出来だったと思う。ただこの噺に限らず、もう少しセリフの間の取り方を工夫した方が良いと思う。全般的にしゃべり急ぐ傾向が見られ、流れが平板に映る。

楽しい会で結構でした。

2015/09/27

ザ・柳家権太楼Ⅱ(2015/9/26)

大手町独演会「ザ・柳家権太楼 其の二」
日時:2015年9月26日(土)13:00
会場:よみうり大手町ホール
<  番組  >
開口一番・柳家さん光は、聞きそびれてしまった
柳家権太楼『不動坊』
柳家権太楼『たちきり』
~仲入り~
柳家権太楼『二番煎じ』
柳家権太楼『心眼』
(権太楼は全てネタ出し)

この会は、開口一番を別にすれば一人で4席、休憩時間を含め約3時間の口演という珍しい企画だ。出演者は権太楼、さん喬、白酒で既に第1回目が終り、権太楼は今回が第2回。
独演会というからには独りで演じるのが基本だろうが、4席を高座にかけ、それも番組を見て分かる通り全て寄席ではトリで演じる様なネタばかりだ。
人間の能力を縦軸に、年齢を横軸にとると概ね緩やかな放物線運動が描かれる。初めは上昇し、ピークを打ち、その後は低下に向かう。これが運動能力だとピークは若い時に打つし、古典芸能だとピークは高齢になる。
では落語家の場合はどうかというと個人差があるが、概ね60代だと考えている。70代に入るとどうしても気力や体力が低下し始めのが一般的傾向だと思う。
先に亡くなった桂米朝のDVDを年代順に比較すると、やはり60代の時が最も充実し、70代に入ると声が擦れてくるといった様な低下傾向が認められる。
もっとも、早咲きの人もいれば遅咲きの人もいて、一概にはいえないのだが、目安としては凡そ上記の様な傾向にあると考える。
「いま聴くべき噺家」なんていうタイトルを眼にするが、この伝でいけば権太楼、さん喬、雲助といった辺りが該当することになる。
その意味で白酒を別にすれば、権太楼、さん喬をタップリ聴かせるという企画は時宜にかなっていると思う。
会場入り口で配られたプログラムに権太楼本人がネタの聴きどころを述べているので、それを含めていつもの短い感想を記す。

権太楼の1席目『不動坊』、本人はこう語っている。「私の心の準備やいろんな節目、節目に必ずやろうと決めている噺なんです」。節目について特に解説は無かったが、寄席でも度々高座に掛けている演目だ。このネタや『居残り佐平次』『百年目』『らくだ』といった所がこの人のベストと思われる。
以前から吉兵衛が思いを募らせていたお滝さんを嫁に貰うことなって有頂天。あまりの嬉しさに風呂屋で弾けるが、ついつい他にヤモメの悪口をしゃべってしまう。この弾け方はいつもより抑え気味に映った。悪口を言われた3人のヤモメは面白くない。恐らくは密かに狙っていたお滝さんを取られた恨みもあったんだろう。万年前座を幽霊に仕立てて、婚礼の晩に嫌がらせに行く。準備不足と勘違いでドタバタになる所が見せ場。屋根の上の4人の演じ分けは手慣れたもので、良い出来だった。

権太楼の2席目『たちきり』、本人によれば「(自分は爆笑モノを生業としていこうと思ったので)おさらい会は別にして、今でも寄席には掛けません。今回はザ・権太楼という括りですので是非と思っておりました」。アタシはこの噺の勘所は前半での番頭が示す貫録だと思っている。大番頭といえども奉公人の分際で跡取りの大事な若旦那を100日も蔵に閉じ込めてしまうのだから。それだけ信用が厚く、大旦那を含めて周囲から信頼されているという事だ。その事を端的に表しているのは、放蕩の若旦那が店に帰ってきて大声で喚きだした時に、これを鎮める番頭の貫録だ。権太楼の高座ではこの部分が物足りなかった。
後半の泣かせ所では、登場人物が泣き過ぎるように思えた。もっと抑えた方が客は感情移入できるのでは。
このネタはさん喬が一枚上かな。

権太楼の3席目『二番煎じ』、質問者が「謡いの黒川先生と辰つぁんの活躍場面が多いように記憶していますが」という問いに対して、権太楼は「話し始めると意図しないのに、なぜかこの二人が勝手に動き躍動しちゃう」と答えている。確かに権太楼の高座では二人の活躍が目立つ。
ただアタシの好みでいくと、周囲を憚って低い声で密かな宴会を開くという趣きの8代目三笑亭可楽が本寸法だと思う。笑いの要素の多い権太楼の高座は、これはこれで良いのかも知れないが、権太楼に限らず最近の人の演じる宴会は盛大になり過ぎてリアリティに欠けるように思えるのだが、どうだろうか。

権太楼の4席目『心眼』、本人の弁では「実は演ってみたいと思っているのですが、迷っている噺です。(中略)人間にとって多くを知ることや分かることが、果たして幸せなのかどうか、ということを諭してくれる、今の時代だからこそ聴いて頂きたい、いい噺なんです」。
圓朝の原作をほとんど改作といって良いほど手を入れ完成させた名人文楽の十八番中の十八番。現在に至るまで演者は文楽の型を忠実になぞっている。
盲人・梅喜の有名なサゲのセリフで「目が見えねぇってなぁ、妙なものだ。寝ているうちだけ、よぉく見える・・・」、梅喜が見たものは何だったのか。アタシは本人の持っていた密かな欲望ではないかと解釈している。惨めな生活から抜け出したいという願いの一方、芸者・小春から思いを寄せられているのは自覚していた筈だ。それが夢の中で形として現れてしまった。貞淑な女房・お竹に対するなんという裏切りか、梅喜の一言はシニカルというか自嘲というか、そうした複雑な思いがこめられているのだと思う。文楽にあって権太楼にないものが、それ。

終わってみて感じたのは満腹感。腹八分目といわれるが、もうちょっと食べたい、で止めておくのが丁度良いのかも知れない。

2015/09/25

「出囃子」は生演奏で

落語家にとって出囃子はいわばテーマソングで、客は自分が好きな噺家の出囃子が鳴りはじめるとそれだけで気分がウキウキしてくる。
この出囃子、寄席や落語会では通常は「囃子」「下座」と呼ばれる人たちが演奏するのだが、落語会によっては録音(テープ又はCD)が使われる。小規模の会場なら仕方ないが、時には300人近い会場でも録音が使用されることがあり、興醒めする。
落語家によって出囃子は決まっているのだが、その日のネタにより曲を変えることがある。2席演じる時、最初は通常の出囃子で出て、2席目は別の曲で出ることも珍しくない。「三下り中の舞」のように出演者にかかわりなく、寄席のトリや落語会、独演会の最後の出番の時に使われる曲もある。
出囃子のテンポも一様ではない。年配の人になるとユッタリとしたテンポで演奏されたりする。会場の広さもテンポに影響する様に思う。
太鼓と三味線だけの時もあれば、笛、当り鉦が加わることもある。寄席や落語会に行く客にとって、出囃子を聴くのも楽しみの一つだ。またネタの中では囃子を使う場合もあるので、生演奏がないとネタが制限されてしまう。
だから、ある程度の規模の会なら極力生演奏でお願いしたい。

以前に『落語家の出囃子一覧』という記事を思いつくままに書いたが、今は一之輔は真打昇進時から出囃子を「さつまさ」に変えているし、志らくは「花嫁人形」を使っている。
出囃子の中で「一丁入り」は5代目古今亭志ん生が使っていたが、その後は息子の10代目金原亭馬生が晩年に使っていたぐらいで今は使用している人はいない。このままだと6代目志ん生が誕生するまでは「欠番」扱いになるのか。
他の昭和の名人では、6代目三遊亭圓生の「正札附」は現在三遊亭鳳楽が(上方では4代目林家染丸が)使っている。
8代目桂文楽の「野崎」は東京、上方を通じて「桂」の亭号の噺家により幅広く使われている。
5代目柳家小さんの「序の舞」や古今亭志ん朝の「老松」は今のとこ使用している人がいないので、「欠番」扱いになるんだろうか。
出囃子は二ツ目に昇進した段階から使えるので、本人の希望で決められるケースもあるようだ。だからといって、「一丁入り」や「老松」をリクエストするのは難しいのだろう。
出囃子に使われる曲は長唄や俗曲が多いので特に著作権は無いが、有名な曲になると使っていた本人や継承者の承諾が要るのかもしれない。その場合、「鞍馬」の様に10代目馬生と4代目三遊亭小円馬が(現在は金原亭伯楽、立川談春が使用)、「二上りカッコ」の様に10代目柳家小三治と4代目三遊亭小圓遊が、それぞれ同時期に使っていたようなケースでは、誰に承認を求めるのかという問題も生じるだろう。
名跡を継承した場合に出囃子も継承するケースもあれば(典型的なのは上方の桂文我)、出囃子は別というケースもある。「さつまさ」の様に5代目春風亭柳朝から孫弟子の一之輔に継承された例もある。

今日は出囃子のあれこれということで。

【再訂正9/27】トシ坊さんからのご指摘で、「鞍馬」に伯楽を追加しました。また「正札附」は、現在は鳳楽が出囃子で使用しているとの事なので、本文を一部訂正しました。

2015/09/24

【街角で出会った美女】リトアニア編

amazonには商品に対する利用者の評価としてカスタマーレビューという掲示板がある。商品を購入しようとする時に参考になるのだが、中にはかなりお粗末なものもあるので要注意だ。
先日もあるDVDソフト(ドイツ映画)のレビューを見ていたら、こんな記事が書かれていた。
「制作者は共産主義への郷愁を語っているが、反動的としか言いようがない。(中略)共産主義がそんなに素晴らしいものなら、制作者はいっそ北朝鮮や中国に移住したらどうか。」
しかし、作品の紹介や他の人のレビューを見る限りでは見当外れの意見のようだ。作品は東西ドイツ統一前後の東ドイツの庶民を描いたもののようで、上記のレビューにはいくつか反論も掲載されている。
それはともかく、社会主義・共産主義(双方とも同じ意味だが)に対して、こうした意見を持つ日本人は少なくない。
私は旧ソ連やソ連支配下だった国を訪れた時に、現地ガイドに「今の社会と、昔のソ連時代と、国民はどちらが良いと思っているか?」と訊くことにしている。回答はほぼ共通していて、「今の方が良いという人が多いが、ソ連時代の方が良かったという人もいる」というものだ。中国なら開放改革の前と後との比較を訊ねると、こちらも同じような答えが帰ってくる。
なぜ昔の方が良いと思っているのか訊くと、医療費や教育費など無料だった等の社会保障が充実していたことが理由として挙げられていた。他には、貧しかったが格差が無かったとか、今は要領の良い人たちだけが金を儲けている、といった様な意見もあるようだ。
一党独裁や言論統制というと共産主義の専売特許のように思われているが、シンガポールや、中東、アフリカ等でもそうした国は少なくない。
理想的な国家、社会体制はどうあるべきかという答は簡単ではない。

ソ連崩壊と同じくしてバルト三国はソ連邦から離脱し、資本主義社会に変ったが、自殺者が急増したそうだ。社会変化について行けない人や失業問題などが背景にあったようだ。また職を求めて特に若者が西側へ移住するという問題も生じた。
現在リトアニアはバイオテクノロジー分野に力を入れており、メカトロニクスやIT産業と共にこれからのリトアニアの経済発展が期待されているが、失業率は依然として増加傾向にある。
下の写真は一時期リトアニアの首都だったカナウスの展望台で撮影したもの。市街地の風景を撮っていたら、画像の端にこの女性が写っていた。後から見ると彼女はモデルの様なポーズを取っている。なおEU内は原則移動は自由なので、被写体が必ずしもその国の人とは限らない。

処で、難民受け入れを巡って日本にも応分の負担を要請する声がある。口を開けば国際貢献を叫ぶ安倍首相、果たしてどの程度の規模の難民受け入れを決断するのだろうか。

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2015/09/22

#77三三・左龍の会(2015/9/21)

第77回「三三・左龍の会」
日時:2015年9月21日(祝)19時
会場:内幸町ホール
<  番組  >
三三・左龍『挨拶』
前座・柳家小かじ『饅頭こわい(序)』
柳家三三『二十四孝』
柳亭左龍『目黒の秋刀魚』*
~仲入り~
柳亭左龍『提灯屋』
柳家三三『風呂敷』*
(*ネタ出し)

この会は初参加だったが、77回とは随分と長く続いているなと感心する。永続きするのは出演者の努力もあるだろうが、先ず主催者がしっかりしていることが大事だ(この会では「ショーキャンプ」)。加えて興行として成り立たねばならない。客が来なければ会は続かない。
左龍の事はよく分からないが、三三は他にも色々な人と二人会を持ってるし、各種落語会の常連メンバーになっている。きっと人付き合いが良いんだろう。
冒頭の二人の対談では、三三のCM(マックだったかな)出演が話題になった。かつては落語家のCMと言えば紙オムツや線香、お墓が定番だったが、世の中変ってきたね。
左龍の「顔芸」の話題もとりあげられたが、左龍本人によると意識して顔を作っているわけではないとのこと。左龍の高座は聴くものではなく観るものだと思う。

番組の順番だが、三三の『風呂敷』はトリネタには相応しくないように思う。これを前半に持ってゆき、最後は『二十四孝』で締めた方が収まりが良いのでは。同様に左龍の『目黒』も仲入り前に掛けるネタかなと、こちらも疑問だ。やはり順序を入れ替えて演じた方が良かったのではなかろうか。まあ、これは趣味の問題だけど。
例によって短い感想を。

三三の1席目『二十四孝』、このネタのポイントは親不孝の男の造形だ。手の付けられない乱暴者だが大家には頭が上がらず、単純でどこか憎めないという性格である。3代目金馬、3代目柳好、先代の柳朝が上手かった。その印象が強いので、どうも三三の描く男が優しすぎるように見えてしまう。そのためか全体が平板に感じられた。サゲは三三の工夫だろうか。
三三の2席目『風呂敷』、やたら間違った故事ことわざで教訓を垂れる兄いが良く出来ていた。酔っ払いの亭主の頭に風呂敷を巻き、その隙に押し入れに隠れていた若い衆を逃がす時の目配りも丁寧に演じていた。「伊達締め」を「伊達巻き」と言い間違えたのはご愛嬌か。
余談だが、私の親爺の頃は「風呂敷」を「ふるしき」、「お汁粉」を「おしろこ」と言っていた。

左龍の1席目『目黒の秋刀魚』、3代目金馬が得意としていて、金馬の高座では殿様にまつわる小咄を並べた長めのマクラに続いて、ネタはせいぜい7-8分で演じている。アタシはこの演じ方が好きで、先代馬生以後の演じ方はまどろっこくていけない。
左龍『提灯屋』、先代の小さんが十八番としていたネタで、今でも柳家一門の噺家が演じることが多い。見所は次々と現れては提灯をタダで持ち帰られる提灯屋の主が次第に腹を立て、最後はキレて喧嘩腰になるまでの描写。左龍の高座は最初に文盲の男たちが広告を押し付け合うという場面から、先の提灯屋の主の心の動きまでを丁寧に演じて良い出来だった。いつもの「顔芸」も効果的。惜しむらくは「提灯屋!」というべき所をつい「広告屋!」と言ってしまった。山場のミスだけに残念だった。

2015/09/20

#152朝日名人会(2015/9/19)

第152回「朝日名人会」
日時:2015年9月19日(土)14時
会場:有楽町朝日ホール
<  番組  >
前座・春風亭朝太郎『道灌』
春雨や雷太『湯屋番』
桂ひな太郎『幾代餅』
入船亭扇遊『三井の大黒』
~仲入り~
三遊亭萬窓『佐々木政談』
立川志の輔『死神』

19日の早朝に行われた安保法案の強行採決について、この日の出演者が触れていた。
一人は萬窓で、ネタの中のセリフで「相手の意見に耳を貸さず強行採決する・・・」を挿入し、会場から拍手を浴びていた。
志の輔は本会議での採決までTVで見ていて衝撃を受けたようで、マクラで今日は落語を演るような気分になれないという様な意見を述べていた。
安倍政権は口を開けば審議に十分な時間を取り議論は尽くしたと言っているが、例えば衆院特別委員会での過去の審議時間TOP5は次の通りだ。
1.日米安保条約 136時間(分以下は切り捨て)
2.消費税増税  129時間
3.沖縄返還関連 127時間
4.政治改革関連 122時間
5.郵政改革   120時間
今回の安保法案 116時間
以上の様に他の法案に比べて特別に審議時間が確保されていたわけではないことが分かる。しかも今回の安保法案は11本の法案を一括して審議したのだから、むしろ審議時間は不十分だと言える。

さて、152回朝日名人会だが、志の輔ファンには悪いが、アタシのお目当ては他の4人だ。好きな噺家だがここの所しばらく高座に会ってないという4人だからだ。
以下に簡単な感想を記す。

前座の朝太郎だが、語りがしっかりして良いと思った。師匠の前名を貰ったんだから期待が大きいんだろう。客席の反応は少なかったが、前座の内は「受け狙い」は却って芸を荒す。客席が鎮まる程度で良いのだ。「勇将の下に弱卒無し」なのか、一朝一門には優秀な人材が集まるようだ。

雷太『湯屋番』 、亭号は春雨やだが雷門一門なので師匠(雷蔵、当代は4代)同様に名前に雷が付いている。芸協期待の二ツ目の一人だ。語りが良いし所作も大きく分かり易いのと、芸風が明るい。若手噺家の3要素を備えている。弁天小僧のセリフも決まっていた。楽しみな存在だ。

ひな太郎『幾代餅』、ネタは(前の師匠の)古今亭のお家芸だ。搗き米屋の奉公人の清蔵が身分を偽っていたのを詫び正直に打ち明け話しをするのを聞いた幾代が、一筋の涙を片袖で拭う場面。年季が明けて幾代が搗き米屋を訪れ小僧に来訪を告げる場面。ひな太郎の高座は、この2カ所の見所での幾代の凛とした姿が表現されていた。若いお嫁さんを貰ったせいか若返った感じ、ウラヤマシイ~~。

扇遊『三井の大黒』、絶品だった大師匠の十八番を師匠・扇橋を経て今は扇遊の十八番だ。色々な人が高座に掛けているが、やはり扇遊がベスト。何より噺の骨格がしっかりしている。甚五郎を始め頭領の政五郎やその女房、弟子たちの人物像がくっきりと演じ分けされている。今日の出演者の中でも1枚格の差を感じさせた高座だった。

萬窓『佐々木政談』、姿かたち、しゃべり、所作、いずれを採ってもいかにも落語家らしい落語家だ。萬窓の高座は、小賢しい四郎吉の造形が優れていて、四郎吉と奉行との定番の頓智問答に客席の反応が良かったのは、セリフの「間」のせいだろう。この人、もう少し世評が高くても良いと思うのだが。

志の輔『死神』、人間の運には限度があり、運が尽きれば命も尽きるというのが志の輔の解釈だ。通常の筋と異なり男は独身、二度登場する死神はいずれも男の家で待っているという設定だ。サゲは、無事に新しいロウソクに火を移しかえた男が喜んで表に出て、周囲が明るいのでついついロウソクの火を吹き消してしまう。このネタは確か2回目だと思うが、マクラから何となく気乗りのしない様子で、志の輔の高座としては低調だった。

お目当ての4人の高座は大いに満足。

2015/09/19

安保法案に賛成した連中に1円たりとも払いたくない

昨日から未明にかけての安保法案の審議を見ていて思ったのは、この法案に賛成した連中に1円たりとも金を出したくないということだ。
現在、政党助成金(政党交付金)制度のもとで、赤ん坊から年寄りまで全ての国民一人当たり、毎年250円が各政党に分配されている。比率は国会議員の数に応じているので、大雑把にいうとその内150円位が賛成議員の政党に交付される事になる。
冗談じゃない。なぜ彼らに政治資金を払わなくてはいけないのか。
自分の考えとは正反対の政党に強制的に献金させられるというのは、憲法の思想信条の自由に反している。
もちろん、安保法案に賛成の人からすれば同様のことは言えるわけで、極めて不合理な制度だ。
政治に金がかかるというのは、その通りだろう。だったら自分たちの政策を訴え支持を獲得し、浄財を集めれば済む話しだ。現に日本共産党はそうして資金を集め、助成金の受け取りを拒否しているではないか。共産党に出来ることが、天下の自民党や公明党に出来ないはずはない。彼らは出来ないのではなく、やらないのだ。
今こそ「政党助成金」制度の廃止の声を上げるべきだろう。

もう一つは、民意と国会議員の構成との間に大きな差があるという点だ。これでは国民の声が国会に反映されない。毎度、1票の格差が何倍以下なら合憲だという議論が繰り返されているが、有権者の権利は平等であってしかるべきだ。住んでいる地域によってあなたは1票、あなたは0.2票なんて差別されるのは根本的に間違っている。
過去にそうした指摘がありながら、政権党に有利な様に選挙区の分割が行われてきた。全ての有権者が平等な権利を行使できるような選挙区の見直し、定数是正が急務だ。
民意を歪めているもう一つの要因は衆院選挙の小選挙区制度だ。私は住んでいる地域では、国会議員の選挙区が区議会議員のそれより小さい。こんな馬鹿げた制度はない。
そして当選者は一人だけだから、残りは全て死票になってしまう。これも民意を大きく歪める要因だ。

これから、今回の安保法が違憲かどうか争われることになろう。最終的な判断は最高裁になるのだが、過去の例を見ると最高裁の判決というのは時の政権の意向に左右されることが多い。
その典型は「砂川判決」で、当時の最高裁長官がアメリカ政府と日本政府双方の意向を受けて、彼らの希望した通りの判決を出していたことが今日明白になっている。
最高裁の裁判官には国民審査といういう制度があるのだが、これが全く機能していない。この方法は、投票者は罷免すべきだと思う裁判官の氏名の上の欄に×印を記入し、それ以外は何も記入してはならないとなっている。投票用紙に何か記入したかどうかが、立会人から分かるので、投票の秘密が守られないことになる。こうした不合理な投票制度を改め、〇かXを記入させる様に改めるべきだろう。

今回の安保法の採決から、民意が国会に忠実に反映されるよう制度の抜本的な見直しが求められる。

2015/09/18

【DVD】「やさしい本泥棒」

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『やさしい本泥棒』(原題: The Book Thief)
原作:マークース・ズーサック『本泥棒』
監督:ブライアン・パーシヴァル
脚本:マイケル・ペトローニ
<  キャスト  >
ジェフリー・ラッシュ:ハンス・フーバーマン/リーゼルの養父
エミリー・ワトソン:ローザ・フーバーマン/リーゼルの養母
ソフィー・ネリッセ:リーゼル・メミンガー /里子に出された本好きな少女
ベン・シュネッツァー:マックス・ファンデンベルク/フーバーマン家に逃れてきたユダヤ人の青年
ニコ・リアシュ:ルディ・シュタイナー/フーバーマン一家の隣に住む少年でリーゼルの親友

本作品はマークース・ズーサックのベストセラー小説『本泥棒』を映画化したもので、2013年制作。2015年にDVDがレンタル、発売された。劇場は未公開。
<ストーリー>
時は1938年、第二次世界大戦前夜のドイツ。ナチス政権下でユダヤ人への組織的な暴行や略奪、放火が全国に拡がった時期(水晶の夜)。赤狩りで逃亡を余儀なくされた共産主義者は、途中幼い息子を亡くしながら、娘リーゼルをミュンヘン郊外の田舎町に住み夫婦に里子に出す。養母のローザはリーゼルに対して冷たく当たるのだが、一方、養父のハンスはリーゼルを温かく迎える。リーゼルは隣家の少年リアシュに連れられ学校に通うが字の読み書きが全くできないのでバカにされる。それを知った義父のハンスは、リーゼルが弟を埋葬した際に持ってきた「墓堀人の手引き書」という本をテキストにして読み書きを教える。リーゼルは読書を通じて知識や勇気、希望を手に入れてゆく。
ナチス政権下ではナチスの意向に添わない本は全て焼き捨てる「焚書」が行われる。リーゼルはその焼け跡から一冊の本を再び盗み取るが、町長夫人が偶然にその様子を見ていた。 ローザはリーゼルに町長の家に洗濯物を届けるさせるが、町長夫人はリーゼルを図書室に招き入れ好きな様に読書をさせる。
そんなある日、収容所送りを逃れてユダヤ人青年マックスがハンス家を訪れる。 先の大戦でマックスの父親に命を救われたハンスは、その恩返しにと彼を匿う。もしバレれば家族全員が収容所送りだ。その日からリーゼル、ハンス、ローザ、そしてマックス4人の秘密の生活が始まるが・・・。  

この映画の主人公は9歳の少女だ。幼くして弟を亡くし、官憲から追われる両親から里子に出される。時代はナチス支配下のドイツで、過酷な環境が彼女を待ち受ける。しかし、どんな時にも希望を失わないのは「本」があったからだ。この作品は「本」を通して成長する少女の物語だ。
少女リーゼルを演じるソフィー・ネリッセの演技が素晴らしい。あどけなさの中に、時にドキッとするような大人の女性の顔をのぞかせる。観ていて、その輝くような瞳に吸い込まれそうになる。この映画の成功の半分は、彼女をキャスティングした事だと思う。
字が読めなかったリーゼルに読み書きを教え読書の素晴らしさに目覚めさせる養父役のジェフリー・ラッシュ、リーゼルに厳しく当りながら実は心優しい養母を演じるエミリー・ワトソン、隣人でリーゼルの同級生役を演じるニコ・リアシュ、いずれも好演だ。
ナチス支配下の田舎町の様子が「水晶の夜」や「焚書」を通じて丁寧にに描かれ、改めてファシズムの恐ろしさを感じさせる。
衝撃的なラストシーンは、涙なしには見られない。
我が国でも戦争法案が強行されようとしている今、一人でも多くの方に見て欲しい作品だ。

2015/09/16

扇辰・白酒二人会(2015/9/15)

「通ごのみ~扇辰・白酒二人会~」
日時:2015年9月15日(水)18時30分
会場:日本橋劇場
<  番組  >
前座・柳亭市丸『寿限無』
桃月庵白酒『だくだく』
入船亭扇辰『田能久』
~仲入り~
入船亭扇辰『目黒のさんま』
桃月庵白酒『風呂敷』

9月15日、少年にたばこを売ったコンビニ店の運営会社と店員の双方を無罪とした高松高裁判決が出たが、当たり前だ。未成年にタバコを売ったぐらいで起訴したり裁判にかけたりすること自体がおかしいのだ。日本の司法当局はそんなにヒマなのか。それともあれか、当局は国民全員が常に身分証明の携帯を義務付けるつもりか。
立川こはるが言ってたが、落語家仲間と居酒屋に入って酒を注文したら身分証明書の提示を求めれたそうだ。周囲が店員に「こいつ、ババアだよ」と言っても受け付けてくれなかったとか。異常だね。
落語に『喜撰小僧』っていうのがあるが、定吉が店の主人と一緒に酒を呑む場面がある。「これはなかなかいい酒ですね」なんて言いながら吞んでいる小僧は14歳(数えだから今なら13歳)。アタシなんぞも小学生の頃から正月や花見には酒を呑んでいた。以前、記事でこう書いたら、「それだから、あなたみたいな人が出来るんです」とお叱りのコメントを書いてきたのがいた。放っといてくれ!
警察も検察も、もっと悪い事してる上の方ががウヨウヨいるだろうに。そっちに眼を向けてくれよ。地検特捜部なんてぇのは何をしてるんだ。毎日、タダ飯を食ってるだけじゃないのか。

扇辰・白酒ともにマクラで9月6日の謝楽祭を話題にしていた。第1回目ということもあってか随分と盛況だったようだ。張り切り過ぎて2日後にダウンした噺家もいたようだ。扇辰が、名前は言えないが「立ち飲み屋文左衛門」の店を出していた人と。参加したお客もいたようで客席からは共感の反応もあったが、一度もソノテの催しに行った事が無いこちとらにはチンプンカンプン。
落語は好きだが落語家が好きというわけじゃないので、高座以外は興味が無い。我ながら偏屈な客だ。やっぱり、子どもの頃からの酒の影響で性格がネジ曲がっちゃったのかね。

前書きが長くなったのは中身が薄いから。
先ず、扇辰の2席。
扇辰の1席目『田能久』、5日の喬太郎との二人会でネタおろししたばかり。完成度が高く持ちネタになると褒めたが又ここで聞かさせるとは思わなかった。この日初めての人には新鮮で良かったのだろうが。
扇辰『目黒のさんま』、マクラの出だしでネタが分かってしまった。毎度お馴染みでもう何度聴いただろう。時期的に旬といえば旬の演目なので文句は言えないが、他の噺を聴きたかったなぁ。

白酒の2席。
白酒の1席目『だくだく』、この人らしい力技が冴えて良い出来だった。男が槍で突いたつもり、泥棒は突かれて痛むつもり、男がさらに槍を深くねじり込むつもり、泥棒が苦悶の表情で血がだくだくっと出たつもり、の各表情が良かったし、テンポも良かった。やはりこのネタは終盤のたたみ込むような語りが勝負だ。
白酒『風呂敷』、志ん生以来の古今亭のお家芸ともいうべきネタだが、トリネタとしては物足りない。それに珍しく言葉の言い間違いが何度か続いた。集中力を欠いていたんだろうか。

まあ、こういう日もあるさ。

2015/09/14

中国旅行を終えての感想

「いま中国国民は毛沢東をどう思っていますか?」と質問すると、それ迄にこやかだった現地ガイドの顔がこわばった。明らかに緊張しているのが分かる。
「皆、尊敬してます。」
「しかし、文化大革命は誤りだった事は中国政府が公式に認めてるし、文革の中心人物は毛沢東だったよね。それでも尊敬してる?」
「でも、毛沢東は良い事もしています。」
「その良い事って何ですか?」
ここで現地ガイドは言葉が詰まり、しばらく沈黙が続いた。どう説明しようか迷ったんだろう。
「文革は確かに誤りでした。しかし当時の人たち(敵視され失脚した人たち)は名誉回復されてます。中国の人はいつまでも過去に拘ることなく、未来を大事にしています。」
中国の長い歴史から見れば、文革の誤りなんぞ取るに足らないのかも知れないが、私から見れば文化大革命の誤りに正面から向き合わねば、これからの中国の正常な発展は無いと思う。
文革の本質が、毛沢東に対する個人崇拝を批判していた当時の指導部に対する毛沢東側のクーデターだったのは明らかだ。彼個人の欲望によって多数の犠牲者と長期にわたる国内の混乱を招いた、その責任は計り知れない。その後、鄧小平や周恩来らによって混乱は収拾され、やがて「改革開放」路線へと転換してゆく。
しかし彼らの改革は毛沢東への個人崇拝を棚上げにし、文革への反省を中途半端に終わらせてしまった。
その結果、後に生じた中国国内の民主化運動を潰し、経済格差を拡大させ、今日に至っている。
私が皮肉半分に「そうか、文革があったから改革開放が出来たと考えれば、毛沢東も良い事をしたってわけか?」と言うと、現地ガイドは苦笑いを浮かべていた。
これ以上議論を拡げるのは中国国内では無理なことは分かっていたので、現地ガイドとの会話もそのまま終わらせた。
中国共産党は現状を社会主義への発展過程と見ているようだが、過去も現在も中国は社会主義や共産主義とは全く無縁な社会である。もはや「共産党」という党名は変えるべきだろう。

中国への旅行は今回が5回目(香港を含めれば6回)となる。観光で4回、仕事で1回。
8月中旬から8日間のツアーで、中国の西安-ウルムチ-トルファン-敦煌と周ってきた。現地のメディアは「対日戦勝記念日」一色でアウェイ感一杯だったが、旅行中特に嫌な気分を味わうこともなかった。
正確にいえば嫌な事はあったが、それは毎度の事で特別ではない。

その嫌な事というのはいくつかあるが、一つは旅行中やたらにパスポートの提示が求められることだ。
ホテルのチェックインでは必ずで、時にはフロントに預けて翌朝に返還なんて事すらある。飛行機に乗る時は仕方ないが、高速鉄道(日本でいう新幹線)の乗車の際にもパスポートの提示が求められる。加えて、主な観光地に入場する際にもパスポートの提示が必要だ。入場券にパスポート番号が表示されていて、入場の際に入場券とパスポートが照合されるケースもある。
目的は唯一つで、外国の旅行者の動静を把握するためだろう。これだけパスポートの記録をしておけば、旅行者個々人の日々の動きが当局には手に取るように分かる仕組みだ。
これは聞いた話だが、中国国内の旅行は人民解放軍が掌握しているとのことだ。数十年前までは現地ガイドは観光客を監視する役目を負っていたらしい。観光客が乗る車両には公安が張りつき、動きに眼を光らせていた時期もあったと聞く。
今はさすがにそういう事は無い様だが、何となく不気味な感じがする。
それと係員が官吏のせいか、やたら高圧的なのも気に障る。

二つ目は観光とショッピングの境界がアイマイなことだ。ツアーの日程表に「00博物館の見学」とか「00工場の見学」と書かれていたら、見学は付け足しでメインはショッピングだ。
それだけではない。観光施設でも案内の途中や終りには必ず売店に案内され、商品の購入を勧められる。
レストランで食事でも、食事が終了した頃を見計らって店の特産品の売込みがある。
見分け方は簡単で、日本語を話す人が出てきて説明を始めたら、最終目的はショッピングだと思えばいい。例えその人が学者だろうと研究者だろうと専門ガイドだろうと、最後は販売員になる。
そう割り切ってしまえば良いんだろうが、何となく騙された様に気分になって嫌だ。買い物好きな人は良いのかも知れないが、30分以上も一ヶ所にとめられ商品を勧められるのは苦痛でしかない。
中国には魅力的で行ってみたい場所が未だいくつかあるのだが、以上の事が気になって行くのが憚れるのだ。

もし中国がこれから多くの旅行者を呼び込もうと思うなら、上記の点は改善した方が良い。

前回(9年前)に比べて良くなった点もある。
①以前に比べれば全体にトイレがキレイになった。
②ホテルの部屋へのマッサージ(実態は売春)勧誘が無くなった。これは恐らく習近平政権の「黄掃」(フーゾク一掃)政策の結果と思われる。
③空港でスーツケースにバンド掛けして10元のチップを要求するという光景が無くなった。これも政権の意向かも知れない。
④西安市でいえばバイクは全て電動に変り、バスと乗用車の燃料は全て天然ガスに変るなど、環境対策が進んでいる。
以前に比べ全体的に浄化されつつあるようだが、経済にどのような影響が出るか注視する必要があろう。

以上が中国旅行の感想だ。異論もあろうが、それは人それぞれという事で。

2015/09/13

これにて休会とは実に残念! #19「らくご」古金亭(2015/9/12)

第19回「らくご古金亭」
日時:2015年9月12日(土)17:30
会場:湯島天神参集殿1階ホール
<   番組   >
前座・金原亭駒松『手紙無筆』
金原亭馬治『へっつい幽霊』
隅田川馬石『粗忽の使者』
春風亭一朝『小言幸兵衛』
金原亭馬生『笠碁』
~仲入り~
古今亭菊志ん『三味線栗毛』
柳家小里ん『五人廻し』
五街道雲助『庚申侍』

この会が今回をもって休会となるとの発表があった。5代目志ん生と10代目馬生が掛けたネタだけを、雲助と当代馬生が中心となって演じると言う貴重な落語会だった。お客のほとんどが常連で、しかも良い客だったためか、いつも雰囲気の良い会でもあった。この日の演目にあるように、公演時間が3時間半という長丁場を出演者それぞれがトリネタを演るという点でも他に無い会であった。
次回のスケジュールや出演者、ネタまで公表されていたので、恐らくは主催者に特別の事情があったものと推察される。休会は残念だが、主催者の方には心より謝意を伝えたい。

馬治『へっつい幽霊』
志ん生親子の口演は記憶になく、このネタは3代目三木助の十八番で、その後も三木助を超える高座に出会った事がない。
馬冶の高座は三木助の演出に比べ登場人物も少なく短縮されていたが、幽霊に愛嬌があり男の言葉に反応する時の仕種が可愛らしい。

馬石『粗忽の使者』
これも古今亭というよりは、5代目小さんの極めつけだ。
特にクスグリを入れるでもなく小さんを忠実に踏襲していたのだが、とにかく可笑しかった。この人独特の語りの「間」が良いんだろう。
馬石は人情噺から滑稽噺まで幅広くこなしていて、弟子の中では最も師匠の芸風に近い。
ここ数年での進歩が著しく、これから益々楽しみな存在である。

一朝『小言幸兵衛』
古今亭のお家芸なら『搗屋幸兵衛』になるだろうが、志ん朝はその両方を得意としていた。
口うるさい上に妄想癖があり、家を借りに来た男に最後は心中話しにまで膨らませ芝居の場面で切るという(本当はこの後にもう一人空き家を借りに来る男がいて、サゲが付く)、圓生の演出を踏襲していた。
一朝らしい丁寧な高座でありながら十分に楽しませていたのは、芸の力。

馬生『笠碁』
極め付けだった師匠譲りのユッタリとした語り、碁敵同士の心理を描く。近ごろこのネタでやたら笑いを取ろうとする人もいるが、やはりこの噺はこうした緩やかなテンポで語るのが本寸法だと思う。
           .
菊志ん『三味線栗毛』
3代目小圓朝や志ん生、4代目円馬が得意としていたが、あまり面白い噺ではないという事で暫く途絶えていた。最近になって再び演じられるようになったのは、喬太郎がオリジナルを少しアレンジした『錦木検校』を高座にかけてからだと思う。菊志んの高座は錦木が肩療治をしながら小咄をするクスグリを入れた以外はほぼオリジナルに沿った演出だったが、良い出来だった。
先日このネタは三三のものを聴いたが、菊志んの方が上だ。この人は上手いのだ。ただマクラで時おり顔を出す「青さ」で損をしている様に思う。

小里ん『五人廻し』
いつまで待っても来ない花魁に焦れる5人の男、恐らくは職人だろう威勢のいい男、無粋な薩摩男、江戸近郊の田舎者、通人を気取った男、田舎のお大尽らの5人の演じ分けが見事。特に最初の男が親の墓参りや女房の事を思いながら「来なきゃ良かったなぁ」を繰り返し、若い衆の生意気な言葉にキレて啖呵を切る場面は上出来だった。
上手いんだなぁ、この人は。

雲助『庚申侍』
その昔、庚申待ちという風習があり、庚申(かのえさる)の夜には、三尸(さんし)という腹中の虫が天に昇ってその人の罪過を告げるので、人々は徹夜で宴を開き寝ずにいた。宿屋で集まった連中、宴も終り退屈だからそれぞれが面白い話しを披露し合うという事になり、やがて一人が人を斬って50両を盗んだという自慢噺を始める。それを聞いた隣室の侍が、その殺された男こそ自分の兄で、この場で敵討ちをすると言い出す。そう、設定は異なるが「宿屋の仇討ち」とそっくりのストーリーなのだ。
志ん生が手掛けていたがその後途絶えていたのを、雲助が復活させたものらしい。
こうした珍しいネタを聴けるのも、この会ならでは。

休会前の最後の会も、以上の通り充実したものだった。
どなたか継承して頂けるなら、これに勝る喜びは有りませんが、いかがでしょうか?

2015/09/11

#22西のかい枝・東の兼好(2015/9/10)

第22回「西のかい枝・東の兼好」
日時:2015年9月10日(木)19時
会場:横浜にぎわい座
<  番組  >
前座・雷門音助『狸札』
三遊亭兼好『犬の目』
桂かい枝『稽古屋』
~仲入り~
桂かい枝『たけのこ』
三遊亭兼好『付き馬』

大雨による洪水被害にニュースを見ながら、日本という国は至る所に災害の危険性があるということを実感させられる。台風18号自身は小型台風だったのだが、目下の秋雨前線を刺激し西日本から東北にかけて甚大な被害を与えてしまった。地震や台風に加え近ごろでは竜巻も各地で多発している。
今回の栃木での堤防決壊については以前から危険性が指摘されていた個所から決壊している。つまりある程度は事前に予防策がとれた筈ということだ。私たちに差し迫った安全上の脅威は自然災害だということを改めて感じた。
未だ行方が不明の方、取り残されて救助を待つ方も沢山おられる。ご無事を祈るばかりである。

音助『狸札』、声よし、様子よし、語りもよし。将来性を感じさせる期待の若手。

兼好『犬の目』、マクラで政治家や官僚の金銭感覚がマヒしてると言っていたが、その通り。彼らには根本的に国民の税金を使っているという自覚が無い。
軽いネタだが、眼医者のアライ・シャボン先生がメモ好きでしかも駄洒落好きという設定で、結構受けていた。

かい枝『稽古屋』、東京の高座にもお馴染みのネタだが、オリジナルの上方版はストーリーが異なる。
喜六が甚兵衛に、女にもてないのだが何かいい知恵はないかとたずねる。金、容姿、性格、などいろいろ聞いてみるがどれも皆ダメ。特技はというと「宇治の名物蛍踊り」(全裸になり全身を真っ黒に塗り尻の穴に火のついた蝋燭を挟んで踊り、最後に屁で火を消す)だと言う。呆れた甚兵衛は喜六に知り合いの稽古屋を紹介する。
言われるままに喜六、町内の稽古屋のところにやってくると、折しも踊り「娘道成寺」や清元の「喜撰」の稽古のまっ最中。喜六は面白がって表からさんざんに茶々を入れ、「甚兵衛はんの紹介できましたんや。今日からあんたの手下や。」と上がりこむ。喜六は女にもてる芸を教えてくれと頼み、師匠は唄の本を渡し、高い所を稽古してくるように指示する。
喜六は家に帰り、高い所だからと屋根に上がり「煙が立つ」と大声で稽古する。通りかかった人が「何、煙が立つ!てえへんだぜ。火事だ。火事だ。お~い。火事はどこだ~。」と大騒ぎ。喜六が続けて「海山越えて~」歌うので、「そんなに遠けりゃ大丈夫だ。」でサゲ。
この噺は前半で切って「色事根問」というタイトルで演じられる。又、上方落語の本来のサゲは、喜六が女にモテる踊りをと頼むと、師匠が断り「色は指南の他でおますがな。」でサゲる。
かい枝はオチの部分は東京版で演じた(今では上方でもこのオチで演るのかも知れないが)。
この噺はストーリーそのものより、稽古屋のシーンでの踊りや唄の演じ方がポイントで、「はめもの」との呼吸と踊りの振り付けなど、高度な邦楽の要素が求められる。
かい枝は師匠仕込みの見事な所作を披露し、特に師匠に色気があった。この人の芸の深さが感じられた一席。

かい枝『たけのこ』、米朝作の小品。隣家の塀越しに頭を出した筍を、侍が自分の土地に出て来たのだから食べようとするが、一応隣家の侍に断りを入れるべく家来を遣わし、当家に闖入した不届きな筍を成敗したと伝言させる。隣の侍もさるもので、手討ちは致し方ないが遺体はこちらで引き取ると申し出る。
困った家来が戻ってくると、主の侍は再度家来に命じて口上を言わせる。
家来「けしからん筍は既に当方において手討ちにいたしました。遺骸はこちらにて手厚く腹の内へと葬ります。骨は明朝、高野へ納まるでございましょ~。これは筍の形見でございます」と言って筍の皮をバラバラ、バラバラバラ。
隣家の侍「いやはや、お手討ちに相成ったか。あぁ、可哀いや、皮ぁ嫌。」でサゲ。
なかなか洒落た噺で、かい枝のテンポの良い運びで楽しめた。

兼好『付き馬』、この人の特長は何しろ明るいこと。高座に登場するだけで、会場全体が明るい雰囲気になる。テンポの良さと独自のクスグリ(このネタでいえば、早桶屋の主の女房を登場させ、笑いを作る)で客席を沸かせる。
欠点は何かというと、描く人物像が不明確になることだ。例えば前半の客と牛太郎との掛け合いだが、二人が同質で双方の位置関係が明きらかになっていない。男が牛太郎を観音様の境内を連れ回す際の、牛太郎の反応がはっきりしない。
後半になって早桶屋の場面が良かっただけに、前半から中盤にかけての男と牛太郎との演じ分けが不十分だった点が残念だった。

2015/09/10

【街角で出会った美女】エストニア編

エストニアはバルト三国の中で最も豊かな国です。首都タリンと対岸のヘルシンキとは高速艇で結ばれていて簡単に渡れます。タリンは今、ヨーロッパからバルト三国への玄関口になっていて観光業が盛んです。加えてIT教育に力を入れていて、skype(スカイプ)はエストニアで開発されたものです。
フィンランドとエストニアとの物価差が大きく(ビールだと3倍近く違う)、わざわざヘルシンキからタリンに買出しに来る客もいて、こうした事も経済を潤しているようです。
ラエコヤ広場はタリンの中心部で、14世紀の建築物に周囲を囲まれている広場です。レストランやショップが軒を連ね、夜になるとまるでお祭りの様に賑やかになります。
各店は、下の写真の様な看板娘を店頭に立たせ呼び込みをしていました。

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2015/09/09

【又もや政権の悪巧み】食料品の軽減税率、マイナンバーで還付

安倍政権の悪巧みはとどまる所を知らず。今度は2017年4月に消費税率が現行の8%から10%に引き上げられるのに合わせて導入される「飲食料品」への軽減税率に、国民全員に番号を割り振るマイナンバー制度を活用する案が浮上している。
麻生太郎副総理・財務相は2015年9月8日、閣議後の記者会見で飲食料品などへの軽減税率をめぐり、「われわれとしては最終的に年度末なり年末なり、(負担増分が)戻ってくる還付方式をやる」と、消費税の負担軽減分を後日、消費者に還付する仕組みの導入を検討していることを明らかにした。その還付方法に、2016年1月から運用がはじまるマイナンバー制度を活用しようというのだ。
具体的な運営方法は、
1,消費者が飲食料品を買い物するたびに小売店にICチップを搭載したマイナンバーカードを提示
2,ICチップか、あるいは小売店の照合機を通じて還付金額などの買い物情報を記録
3,確定申告か年末調整のときに還付金としてまとめて登録した金融機関に振り込む
とのことだ。

マイナンバー制度というのは一口にいえば、国民一人一人の個人情報を政府が管理するというものだ。先ずは預貯金や証券、債権などの資産が一元的に管理される。次に年金や健保などの社会保障から生保、介護などの個人データも全て管理されることになる。もちろん犯罪歴も。最終的には文字通り「揺りかごから墓場まで」の個人データを政府が掌握し管理することになるだろう。
現に国民背番号制度の先進国であるスウェーデンでは、背番号コード(PIN)によりPIN(背番号コード)、氏名、住所、管理教区、本籍地、出生地、国籍、婚姻関係、家族関係、所得税賦課額、本人・家族の所得額、本人・家族の課税対象資産、保有する居住用不動産、不動産所在地の県の地域番号、建物の類型、不動産の評価額、ダイレクトメール送付の是非、このファイルの最終変更日付などが記録されている。
スウェーデンのミステリーを読むと、警察は先ず容疑者のPINを調べて、捜査方法を検討している。

今回の財務省案が実現すれば、以上に加えて政府が国民一人一人の買い物内容が掌握出来ることになる。買い物の中身が分かるということは、その人の生活内容が分かるということだ。
政府としては軽減税率をエサに、極めて有益な情報が入手できるわけで、これは堪えられないだろう。
軽減税率の還付を受けるためにはマイナンバーカード(本来は任意)を取得せねばならず、悪名高いマイナンバー制度を一気に普及させるチャンスともなるわけだ。

こんな悪巧みを許すわけにはいかない。

2015/09/06

#67扇辰・喬太郎の会(2015/9/5)

第67回「扇辰・喬太郎の会」
日時:2015年9月5日(土)18時30分
会場:国立演芸場
<  番組  >
前座・入船亭辰まき『子ほめ』
入船亭扇辰『たがや』
柳家喬太郎『抜けガヴァドン』
~仲入り~
柳家喬太郎『三年目』*
入船亭扇辰『田能久』*
(*ネタおろし)

前座だが、この日の様な出演者の弟子というケースもあるが、前座の中にはあちこちの落語会で頻繁に姿を見る人がいる。落語会によっては前座をレギュラー化していて二ツ目になるまで同じ人が務めるなんてケースも珍しくない。それと反対の前座もいるわけで、前座といえども格差は存在する。
出演する前座は誰が選ぶんだろうとチョイト気にはなる。主催者が選ぶケースもあるだろうし、会の出演者が選ぶケースもあるだろう。選ぶ側からすれば、
・良く気が利く
・囃子(太鼓や笛)が上手い
なんてぇ事が評価の基準になるのだろう(自分が出演者ならそうする)。
「あいつ、下手なくせに良く出てくるな」なんて思う前座もいるが、そうした事情もあるんだろう。
出演機会が多ければ舞台度胸もつくし師匠方の芸も吸収しやすいから上達も早い。ちょっと噺が上手い、美形だ、なんて事になればファンや追っかけが出来るかも知れない。さすれば二ツ目になった時点でスタートに差が生じてくるわけだ。

「扇辰・喬太郎の会」だが、二人は入門は同期だが真打昇進は喬太郎が2年早く、香盤も上だし協会でも理事だ。しかしこの会では喬太郎は常に扇辰を立てているし、扇辰もそれを当然の事としている様子だ。喬太郎はやはり香盤が下の白鳥にも「師匠」や「兄さん」付けをして敬意を表している。
落語家は個人業だが、寄席や各種落語会では他者と共演するので、やはり気配りとか如才なさ、人付き合いなんてことも大切だ。一緒に行動するにも楽しくない人よりは楽しい人の方が好まれるに決まってる。
噺家も本来の芸だけではなく、そうしたプラスαも大事なんだろうな。

さて、この会の主催者が音協から「いがぐみ」に変った。と言っても担当者が独立してそのまま引き継いでいるので、会の趣旨や運営には変更は無いようだ。年2回開催で、二人それぞれが必ず1席ネタ下しを披露するという趣向だ。人気が高く、今回も前売り即完売となったようだ。

扇辰『たがや』、本人によればネタおろししたばかりで、この日が2度目とか。花火の掛け声を「たまや」と言う所を「たがや」と言ってしまったのはご愛嬌だが、全体として完成途上に思えた。
扇辰の高座は丁寧なのが特徴だが、それが時には「くどさ」に感じる。このネタは両国の川開きの状況と、たがやが侍相手に威勢のいい啖呵を切って、最後は侍を切り捨てる(実際にこんな事があったら大変だが)という爽快さがキモだ。だから歯切れよくトントントンと話を運ばなくてはいけない。扇辰は随所に解説を挟むのだが、これが噺の流れを止め、却って聴き手が感情移入できなくなる。
もっとあっさりと演じて欲しい。

喬太郎『抜けガヴァドン』、この日もマクラで立ち食いソバを話題にしていたが、喬太郎、実はかなりの食通ではなかと睨んでいる。しばしば立ち食いソバを話題にするのはその照れ隠しではないかと。
ネタはタイトル通り『抜け雀』の改作で、雀が怪獣ガヴァドンに替わっただけ。
「ガヴァドン」を調べてみたら、 ムシバというあだ名の少年が、宇宙線研究所の近くにあった土管に書いた落書きがなにかしらの宇宙線を浴びて実体化した存在だそうだ。それを知らないと面白さが分からないのだろうが、喬太郎が演じると何となく可笑しい。
ガヴァドンだけに客席は「土管、土管」と受けていた。

喬太郎『三年目』、冒頭の主人と病の奥さんとのヤリトリがくどく感じた。あそこは圓生や志ん朝の演じ方のように医師と主の会話を聞いてしまった奥さんが死期を悟って、後妻との婚礼に晩に幽霊になって出るという約束を果たす所まで、テンポよく聞かせた方が良いと思った。
今では亡くなった人の髪を剃るという習慣が見られず、この噺も分かり難くなった(『らくだ』も同じだが)。夫の前では恥ずかしので、髪が伸びるまで3年待ったという女性の心情も今では理解しがたいだろう。
喬太郎の高座はこの夫婦の情愛の深さが表現されていて、持ちネタに成り得ると思った。

扇辰『田能久』、6代目圓生が十八番としていたが、扇辰の演出もほぼ圓生を踏襲したものだった。
扇辰のしっかりした語りと丁寧な描写が活きていて、ネタおろしとは思えない完成度の高さだった。
金貨が8畳の間にまかれて「狸のキンは8畳敷き」のサゲは、扇辰の工夫だろうか。

2015/09/04

こまつ座「國語元年」(2015/9/3)

こまつ座公演・紀伊國屋書店提携『國語元年』
作/井上ひさし
演出/栗山民也
<   キャスト   >
八嶋智人/南郷清之輔-文部省学務局の四等出仕の官吏、長州出身。
朝海ひかる/南郷光- 重左衛門の娘で清之輔の妻、薩摩出身。
久保酎吉/南郷重左衛門- 清之輔の義父で、薩摩出身。
那須佐代子/秋山加津-女中頭、江戸山の手出身。
佐藤誓/築館弥平-車夫、遠野出身
土屋裕一/広澤修二郎-書生、尾張名古屋の出身。
後藤浩明/江本太吉-記憶喪失者で無口、津軽出身らしい。(ピアノ演奏者)
竹内都子/御田ちよ-女中、大阪河内出身。元女郎。
田根楽子/高橋たね- 女中、江戸下町出身。
森川由樹/大竹ふみ- 女中、米沢出身。
たかお鷹/裏辻芝亭公民-公家出の国学者、京都出身。
山本龍二/若林虎三郎-強盗、会津出身。
【ストーリー】
明治七年(1874)、幕藩体制が崩壊し、日本は近代国家の道を歩み始めたが、国民の話し言葉は地方によってバラバラだった。明治政府はこれではまずいという事で、田中閣下から文部省学務局の南郷清之輔に「全国統一の話し言葉を制定せよ」という命令が下った。
清之輔が住む麹町番町の自宅だが、婿入りした清之輔は長州だが妻と義父は薩摩といった具合に家族も使用人も言葉はバラバラで、日本の縮図を現していた。
清之輔は皆のお国言葉の観察を始めるが、統一させる大変さが分かってくる。そこへ成功させるためには自分が必要と国学者という裏辻芝亭が居候として入ってくる。清之輔は軍隊で言葉が混乱すると国家の大事と騒ぐが、容易ではない。さらに若林が押し込み強盗に入ってくるが、自分の財布を忘れて取りに戻り、そのまま居候となる。清之輔はさまざまな言葉を混ぜて統一言葉を作ろうとするが、維新の逆賊の言葉が含まれていると田中閣下から叱責される。次に清之輔は「文明開化語」を考えだす。原形は「す」で終わり、過去形は「すた」、否定は「ぬ」、疑問は「か」、命令は「せ」を動詞につけるというものだ。試しにこれで口説けるかと、ふみを相手に口説いて実験は成功。強盗ができるか若林が実験するが、警官に捕まり、獄舎の中から「万人の言葉を変えるのは個人の力ではどうにもならない」と書いてよこす。清之輔は「文明開化語」を田中閣下に上申するが、既に学務局が廃止され、机もなくなっていた。

私がいた会社での社員教育で、工場現場の従業員を集めてディスカッションをしたら、岩手工場の人と大分工場の人では互いに話が通じなかった。そこで三重工場の人が通訳で間に入ったという笑い話しがあった。
まして明治初めの頃では、さぞかし言葉が通じなかっただろう。この劇中にも様々な方言が飛びかうが全く分からず、字幕が必要だ。だが、これこそが作者が言いたかった事なのだ。
これを主に軍事上に必要から一つにまとめて統一の言語を作ろうというのだが、国家が権力をもって強制的に言葉を統一させようとしても、言葉は人間同様に生き物だから無理があるのだ。
自身が東北出身で言葉に苦労し、何より言葉を大事にしてきた井上ひさしだから書けた戯曲であろう。劇中に出てくる各地の方言を採取するだけでも大変な作業であったに違いない。
芝居は、「小学唱歌」(パロディ)の合唱に乗せて音楽劇のように進行し、とにかく楽しい。

余談になるが、日本に速記が導入されるのは明治10年代になってからで、速記の練習台として寄席に通い、噺家のしゃべる事を速記にしていた。それがあったから、現在の私たちが三遊亭圓朝の口演を読むことが出来る。さらにこれが近代文学の礎になっていく。

主役の八嶋智人と朝海ひかるの周囲を、ベテランの久保酎吉、たかお鷹、山本龍二らが脇を固めるという布陣。他の演者もそれぞれの方言に乗せてリズミカルにセリフを語っていた。
個人的には元女郎役の竹内都子が、私が子ども頃に近くに住んでいた元女郎のオバサンと体形や声がそっくりで、リアリティがあった。

公演は東京が23日まで、その後は各地で。

2015/09/03

再び「『軍』の暴走」が始まるのか

安全保障関連法案を審議する参院特別委員会は9月2日に一般質疑を行ったが、この中で共産党は防衛省の内部資料として、河野克俊統合幕僚長が昨年12月に訪米した際の米軍幹部との会談記録とされる文書を提示した。
委員会で政府は文書の存在を確認した上で今後回答するとした。
同党の仁比聡平氏が示した文書は、昨年12月17-18日に河野統合幕僚長が米国防総省で米軍幹部らと会談した際の記録で、次のような記載がある。

―河野統幕長「集団的自衛権の行使が可能になった場合は、米軍と自衛隊の協力関係はより深化するものと考えている。」
―オディエルノ陸軍参謀総長「現在、ガイドラインや安保法制について取り組んでいると思うが、予定通り進んでいるか? 何か問題はあるのか?」
―河野統幕長「与党の勝利により来年の夏までには終了するものと考えている。」

―ワーク国防副長官「(オスプレイが)初期の事故により不公平な評価を受けることとなり残念である。」
―河野統幕長「オスプレイに関しての不安全性をあおるのは一部の活動家だけである。」
この他、河野はワークに対して日本の防衛予算が「今後も増える傾向にある」と述べている。

―ダンフォード海兵隊司令官「安倍総理は(辺野古への)移設を現行計画通り実施し、沖縄の基地負担を減じる努力をしていくと理解している。」
―河野統幕長「辺野古への移設やキャンプハンセン、キャンプシュワップでの共同使用が実現すれば、米海兵隊と海上自衛隊との協力関係が一層深化すると認識している。これにより沖縄の住民感情も好転するのではないか。」

日本が太平洋戦争に無謀に突き進み、敗戦に至った大きな要因の一つが軍部の暴走であった。
今回の文書を見る限りでは、昨年12月といえば未だ安保法制の「あ」の字も出ていない段階だ。それに対し河野幕僚長は今年の夏までに終了すると明言している。沖縄の軍事基地の日米共同使用もまたしかりだ。防衛予算も増加し続けるとの見通しを述べていた。
河野の発言はまるで総理の発言の様に聞こえる。
河野発言全体からは制服組の舞い上がった気分が伝わってくる。
このままでは再び「『軍』の暴走」か、という嫌な予感がしてくるのだ。

2015/09/02

橋下徹の発言は岸信介のパクリ

一昨日、橋下徹大阪市長が安保関連法案に反対するデモに対して、次のような発言をしている。
「日本の有権者数は1億人。国会前のデモはそのうちの何パーセントなんだ?ほぼ数字にならないくらいだろう。こんな人数のデモで国家の意思が決定されるなら、サザンのコンサートで意思決定する方がよほど民主主義だ」。
これを読んだ時に真っ先に頭に浮かんだのは、60年安保闘争時の岸信介首相の次の発言だ。
「国会周辺は騒がしいが、銀座や後楽園球場はいつも通りである。私には“声なき声”が聞こえる」。

反対デモを嫌悪し、デモの参加者を国民全体のごく一部だと見做し、他のイベントを例に持ち出して(岸は後楽園、橋下はサザン)数を比較する手口は全く同じで、五輪エンブレムと同様パクリであろう。

2015/09/01

2015年8月人気記事ランキング

8月の記事別アクセス数TOP10は以下の通り。

1 鈴本演芸場8月中席夜・初日(2015/8/11)
2 【ツアーな人々】消えた添乗員
3 ある満州引き揚げ者の手記(四)地獄
4 喬太郎「牡丹灯籠~お札はがし」ほか(2015/8/8)
5 #32大手町落語会(2015/8/7)
6 【ツアーな人々】当世海外買春事情
7 「柳家小三治と若手の会」の感想
8 客をナメチャいけません-「六代目柳家小さん襲名披露公演」
9 反対デモへの卑劣な嫌がらせが活発化している
10 国立演芸場「上方落語会」(2015/8/29)

10本の内訳は落語関連6本、旅行関連2本、安保法制関連1本、その他が1本となった。
8月は2週間ほどエントリーを休んだ関係からか、長期にわたってアクセスを集めている記事が目立つ。2,6,8位のランクインがそれに該当する。
3位の「ある満州引き揚げ者の手記」は毎年この時期にアクセスが集中する。一つの記事を7分割して掲載しているので、7回分を合計すればこの記事が断トツの1位となる。近所に住む老婦人が家族のために記録を残そうと長期間にわたりメモしていたものを整理、タイプアップし、ご本人の了承を得てそのまま掲載したもので貴重な記録だ。こうした記事が多くの方に読まれていることはとても嬉しい。
安保法制については昨日も国会前で大集会が開かれたが、国会の論戦が深まれば深まるほどこの法案の危険性が浮き彫りになってきている。政府の答弁も首相と大臣が別々の解釈をしたり(安倍首相自身がこの法案を正確に理解してないという指摘がある)、少しつっこまれると途端に答弁がアヤフヤになるなど、もはや満身創痍の状態で廃案しかない。
この法案に関する記事をいくつか書いたが、反対デモへの嫌がらせについての記事がアクセスを集めた。

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