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2015/09/25

「出囃子」は生演奏で

落語家にとって出囃子はいわばテーマソングで、客は自分が好きな噺家の出囃子が鳴りはじめるとそれだけで気分がウキウキしてくる。
この出囃子、寄席や落語会では通常は「囃子」「下座」と呼ばれる人たちが演奏するのだが、落語会によっては録音(テープ又はCD)が使われる。小規模の会場なら仕方ないが、時には300人近い会場でも録音が使用されることがあり、興醒めする。
落語家によって出囃子は決まっているのだが、その日のネタにより曲を変えることがある。2席演じる時、最初は通常の出囃子で出て、2席目は別の曲で出ることも珍しくない。「三下り中の舞」のように出演者にかかわりなく、寄席のトリや落語会、独演会の最後の出番の時に使われる曲もある。
出囃子のテンポも一様ではない。年配の人になるとユッタリとしたテンポで演奏されたりする。会場の広さもテンポに影響する様に思う。
太鼓と三味線だけの時もあれば、笛、当り鉦が加わることもある。寄席や落語会に行く客にとって、出囃子を聴くのも楽しみの一つだ。またネタの中では囃子を使う場合もあるので、生演奏がないとネタが制限されてしまう。
だから、ある程度の規模の会なら極力生演奏でお願いしたい。

以前に『落語家の出囃子一覧』という記事を思いつくままに書いたが、今は一之輔は真打昇進時から出囃子を「さつまさ」に変えているし、志らくは「花嫁人形」を使っている。
出囃子の中で「一丁入り」は5代目古今亭志ん生が使っていたが、その後は息子の10代目金原亭馬生が晩年に使っていたぐらいで今は使用している人はいない。このままだと6代目志ん生が誕生するまでは「欠番」扱いになるのか。
他の昭和の名人では、6代目三遊亭圓生の「正札附」は現在三遊亭鳳楽が(上方では4代目林家染丸が)使っている。
8代目桂文楽の「野崎」は東京、上方を通じて「桂」の亭号の噺家により幅広く使われている。
5代目柳家小さんの「序の舞」や古今亭志ん朝の「老松」は今のとこ使用している人がいないので、「欠番」扱いになるんだろうか。
出囃子は二ツ目に昇進した段階から使えるので、本人の希望で決められるケースもあるようだ。だからといって、「一丁入り」や「老松」をリクエストするのは難しいのだろう。
出囃子に使われる曲は長唄や俗曲が多いので特に著作権は無いが、有名な曲になると使っていた本人や継承者の承諾が要るのかもしれない。その場合、「鞍馬」の様に10代目馬生と4代目三遊亭小円馬が(現在は金原亭伯楽、立川談春が使用)、「二上りカッコ」の様に10代目柳家小三治と4代目三遊亭小圓遊が、それぞれ同時期に使っていたようなケースでは、誰に承認を求めるのかという問題も生じるだろう。
名跡を継承した場合に出囃子も継承するケースもあれば(典型的なのは上方の桂文我)、出囃子は別というケースもある。「さつまさ」の様に5代目春風亭柳朝から孫弟子の一之輔に継承された例もある。

今日は出囃子のあれこれということで。

【再訂正9/27】トシ坊さんからのご指摘で、「鞍馬」に伯楽を追加しました。また「正札附」は、現在は鳳楽が出囃子で使用しているとの事なので、本文を一部訂正しました。

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寄席・落語」カテゴリの記事

コメント

これからの噺家は笛や太鼓をちゃんとやれるようになるのでしょうか。
とくに落語協会^^。

佐平次様
太鼓の修業は前座の基本なので大丈夫でしょう。それより音曲や踊り、歌舞伎の所作といった素養を身に着けることが噺家として大切だと思います。

鳳楽師は正札附使っているかと思いますが、変えたのでしょうか?
鞍馬は談春師だけでなく伯楽師が馬生師から受け継いで使っています。(継承というなら、伯楽師が正当だと思いますが。)
野崎も文楽師が元ではなく、二代目春団治師に許可を得て、関西以外で使用してはずです。

トシ坊様
ご指摘有難うございます。
①鳳楽は「松の太夫」と「正札附」の併用かと思われますが、間違っているでしょうか?
②伯楽はご指摘の通りですので、本文訂正致します。
③「野崎」は春団治が元という認識は持っていましたので、記事中でも「文楽が元」とは書いておりません。過去に遡れば初代小文治、2代目小南、9代目文治らが「野崎」を使っていましたが、この記事は東京落語の現状を中心に置いていますのでそこまで拡げず、割愛しました。

ご返信、拝読しました。
野崎の件は本文中で染丸師と文我師を取り上げているので「?」と思い書いた次第です。
鳳楽師は、併用というものもありますが、最近発売された東京かわら版の「東西寄席演芸家名鑑」では、正札附(本文中では正札付)と記載されています。
この本のプロフィールは本人に確認を取っていると聞いておりましたので、公式には正札附なのではないかと思っております。
また、今回でのブログでは、「6代目三遊亭圓生の「正札附」も現在は使われていない(上方では4代目林家染丸が使用)。」となっており、この書き方では誰も自身の出囃子としては、東京で使っている者がいないとしか読めないように思います。

トシ坊様
重ねてのご指摘有難うございます。
「東西寄席演芸家名鑑」を見ておりませんので、ご指摘の通りであれば訂正致します。
一般に噺家の出囃子というのは必ずしも固定したものでなく、例えば3代目金馬は「本調子カッコ」となっていますが、かなりの割合で「二上りカッコ」で上がっています。圓生にしても古い録音では「正札附」以外の出囃子を使っている例があったと記憶しています。「一丁入り」は今では誰も使っていないと書きましたが、「古金亭」という落語会では雲助が使っています。厳密にどこまで書くかというのは悩ましい所ではあります。

たびたび失礼します。
圓生師はもともと「つくま」であったものが、三木助師の台頭・移籍で「正札附」になったのだと思います。
古金亭の雲助師のように、自身の師匠・一門ゆかりのもの(川柳師が湯屋番を演じたときは正札附だったことなんてのもあります)を使うことはありますから、まあ、気にしないで良いかと思いますが。

トシ坊様
圓生は「つくま」でしたか。出囃子に係わるエピソードだけでも1冊の本が書けそうですね。とても当方の力には余りますが。

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