国立10月中席(2015/10/13)
「国立演芸場10月中席・3日目」
前座・三遊亭わん丈『寄合酒』
< 番組 >
柳家ほたる『転失気』
松旭斉美智・美登『奇術』
柳家燕弥『時そば』
宝井琴調『徂徠豆腐』
柳家小満ん『あちたりこちたり』
~仲入り~
柳家我太楼『大安売り』
柳家〆治『池田大助』
ぺぺ桜井『ギター漫談』
柳家権太楼『死神』
国立演芸場では毎月「公演ガイド」というパンフレットを発行していて、現在、保田武宏氏による「東都噺家百傑伝」というコラムが連載されている。今月は4代目古今亭志ん生(通称が鶴本の志ん生)について書かれていて、その改名の軌跡だけ以下に抜書きする。
明治10年 (2代目今輔に入門し)古今亭今之助
明治29年 2代目むかし家今松
明治37年 (5代目助六門下に移り)雷門小助六
明治43年 初代古今亭志ん馬
大正元年 6代目金原亭馬生
大正13年 4代目古今亭志ん生
問題は、6代目馬生を襲名した時点で大阪に5代目馬生がいたので、名古屋以西では馬生を名乗らない約束で6代目を襲名した。処が、その5代目が後に東京に出て来たので話はややこしくなった。馬生が二人になったのだ。仕方なくビラの字の色で区別することにして、赤馬生が5代目、黒馬生を6代目にした。この状態が4,5年続いたが黒馬生が4代目志ん生を襲名して解消したとある。
一方Wikipediaの「金原亭馬生」の項では、この部分は次の様になっている。
・5代目金原亭馬生 - オモチャ屋馬生。元は柳亭小燕路。本名は宮島市太郎。
・6代目金原亭馬生 - 鶴本の馬生。後の4代目古今亭志ん生。元は古今亭志ん馬。本名は鶴本勝太郎。
6代目の死後、7代目が馬生を襲名する前に、大阪にいた5代目の弟子であった金原亭馬きん(本名:小林捨吉)が馬生に改名している。この馬きん改め馬生は後に帰京したが既に8代目馬生がいたため、一旦浅草亭馬道と改名し、8代目の死後改めて9代目馬生を襲名した。
・7代目金原亭馬生 - 後の5代目古今亭志ん生。元は古今亭志ん馬。本名は美濃部孝蔵。
・8代目金原亭馬生 - ゲロ万の馬生。元は金原野馬の助。本名は小西万之助。
・9代目金原亭馬生 - 元は浅草亭馬道。かつて上方で馬生を名乗っていた。本名は小林捨吉。
・10代目金原亭馬生 - 元は古今亭志ん橋。5代目古今亭志ん生の長男。3代目古今亭志ん朝の兄。本名は美濃部清。
ここでは「二人馬生」は6代目馬生(4代目志ん生)の死後の事となっていて、大阪から東京に出て来たのは保田氏の記述とは異なり5代目馬生の弟子で、上京後は浅草亭馬道に改名、後に9代目馬生を襲名した事になっている。これだと赤馬生と黒馬生は存在していなかった事になるわけだ。
果たしてどちらの記述が正しいのだろうか。それほど遠い昔の話ではない筈だが。
当時の落語家の改名というのはそれ程混乱していたのかも知れないが。
この日のトリの柳家権太楼は3代目だ。
初代は戦前に東宝名人会の大看板として人気を博したが、戦後は病魔に侵され1955年に死去している。
2代目柳家権太楼は初代三語楼門人で、名跡のみの襲名。落語家としての実績は殆どなかったとされている。この人の詳しい記述は見当たらない様だ。
以下に当日の高座の短い感想を。
前座のわん丈『寄合酒』、数日前に見たばかりだが、この日は古典。語りが良いし「間」も取れている。
ほたる『転失気』、初見。珍念の描写が良く出来ていた。年配に見えたが入門が遅かったのだろうか。
美智・美登『奇術』、奇術の後で『風流深川唄』を踊った。この踊りが大好きなのだが最近は寄席で踊る人が少ない。久々に楽しかった。
燕弥『時そば』、ソバをすする音で拍手が起きていたが、アタシにはウドンに見えたけどな。テンポは良かった。
琴調『徂徠豆腐』、この人の講釈は落語と講談の中間を行っている。読み方が柔らかく、いい意味で寄席の色物向きだ、
小満ん『あちたりこちたり』、自作のようだ。粗筋は、浴衣で石鹸箱を手に銭湯へ行った男が、銭湯から居酒屋、寿司屋からキャバレーとハシゴして歩く。その様子を酔った男が女房相手に語るというもの。間に挟む駄洒落と、酔った男の軽妙な喋りっぷりが聴かせ所。銭湯のロッカーの鍵の番号が18番で堀内と同じなんてシャレは今どき通じないかも。客席の反応が今ひとつだったのはそのせいか。
我太楼『大安売り』、相撲取りが贔屓に「勝ったり負けたり」と言うが、訊いてきたら全敗だったという小咄。よく相撲ネタのマクラに使われるが、タイトルはこれ。入門前は床山だったというからピッタリのネタだが、滑舌の悪さが気になる。
〆治『池田大助』、初見。小三治の惣領弟子だが今までご縁がなかった。淡々と語る高座スタイル。このネタは通常は四郎吉と佐々木信濃守との問答を描く『佐々木政談』のタイトルで演じられるが、3代目金馬は四郎吉が後に大岡越前守の懐刀・池田大助となるという設定の『池田大助』で演じていた。その流れだろうか。
ぺぺ桜井『ギター漫談』、トリの権太楼がネタの中で、死神退散の呪文で「ペペ桜井はいい年だ」を入れていた。
権太楼『死神』、このネタは初だったので儲かった気分。この人は気分が顔に出るタイプで、この日は端から機嫌が良さそう。「皆様の前で落語を演れるのが何よりに幸せ」と言ってたが本音だろう。年間600席をこなすのだから好きでなくては出来ない。「スマホは良くない」と、何でも直ぐに正解が出てくるじゃ会話が成り立たないと語っていたが、確かにそういう面がある。
筋書きはオーソドックスで、サゲも圓生の演出通りで蝋燭が消え男が前にのめって終わる。権太楼が演じると、ただただ金銭欲に憑りつかれた主人公の男が可愛らしく見え、こうしたネタでもカラッと明るい噺に感じられるから不思議だ。
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「あちたりこちたり」は大好きです。
この噺の(語りの)面白さは今の人にはつうじないのかもしれないですね。
投稿: 佐平次 | 2015/10/14 11:18
佐平次様
客席の反応は二手に分かれていたようで、年配の人でないと分かり辛かったかも知れません。
投稿: ほめ・く | 2015/10/14 12:10
燕弥は権太楼の弟子で、右太楼と言っていた時代から注目していました。
ウドンですか・・・一層の精進が求められますね。
投稿: 福 | 2015/10/14 20:26
福様
すする音が太く感じるんです。小さんの領域には未だ未だかと。語りはテンポが良かったと思いました。
投稿: ほめ・く | 2015/10/14 23:15