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2015/10/30

「自由席での席取り」は止めて欲しい

新幹線の自由席で、後から来る(又は後の駅で乗車する)同行者のために荷物などを置き、席を確保する人がいるというのは新聞紙上でも話題に取り上げられている。
実は、落語会でも同様の「自由席での席取り」が行われている。自由席での席の確保は先着順なので、良い席や見やすい席に座ろうと思うと、早目に会場に着いて並ぶことになる。その際に後から来る友人や仲間のために近くの席を確保する人がいる。
特に目立つのは会場が「湯島天神参集殿」で開かれるケースで、この会場では整理番号順に入場するというルールが多いのだが、先に入った人がポンポンポンと荷物を置くのを頻繁に見かける。
気持ちは分かる。せっかく誘い合って来たのなら隣同士で座りたいだろうし、周囲が知らない人ばかりだと楽しめないという人もいるだろう(私の場合は近くに知った人がいると却って気になるので、独りを好むのだが)。開演前や仲入りで周囲に知り合いがいた方が話は弾むし、終演後の会食についても打ち合わせが容易だ。
しかし「自由席での席取り」はマナー違反だ。なぜなら「割り込み」と同じ行為になるからだ。
実際に他の客から注意されたりトラブルになったのを数回見ている。落語会のことでそうそう目くじらを立てる事も無いのかも知れないが、お互い不快な思いは避けるべきだろう。
隣同士の席で座りたいということなら、後から来た人に合わせて欲しい。
あまり固いことは言いたくないが(言ってるけど)、やはりルールは守ってね。

2015/10/28

遊雀まつり・夜(2015/10/27)

遊雀式番外編「遊雀まつり」夜の部・実りの巻
日時:2015年10月27日(火)18時30分
会場:紀尾井小ホール
<  番組  >
三遊亭遊雀『電話の遊び』*
三遊亭兼好『鈴ヶ森』
立川生志『お見立て』
~仲入り~
三遊亭遊雀『文七元結』*
*)ネタ出し

「遊雀式」という名称の独演会を定期的に開いているが、今回はその番外編としてここ紀尾井小ホールでの昼夜公演、その夜の部に出向く。遊雀のクスグリには昼の部を見てないと理解できないものがあり、客席の反応から昼夜通しという客も少なくないようだった、
このホールはあまり落語会向きとは言えないが、小ぢんまりとして落ち着いた雰囲気の会場だ。

遊雀の1席目『電話の遊び』、2代目桂文之助作だそうで、それを2代目林家染丸が改作、現在は染丸一門によって演じられたいるようだ。この噺を東京に移したのは5代目圓生(通称:デブの圓生)で、現在は雲助の持ちネタになっている。
落語の世界ではたいがい若旦那が遊び好きでこれを大旦那が咎めるのだが、このネタは逆で大旦那が放蕩三昧。若旦那の命令で番頭が監視役になっているので大旦那は遊びに出掛けられない。せめて贔屓の芸者の声を聞くだけでもと電話を使うことを思いつく。大旦那のリクエストに応えて芸者が電話口で囃子に合わせて唄う。電話が度々混線するとその度に大旦那が「話し中」と声をかけ元に戻す。そうして楽しんでいる最中に若旦那が帰宅し、大旦那に向かって意見を始めると、大旦那が「話し中」でサゲ。
電話が普及し始めた時代に混線が多かったという事情が背景にあるのだが、今の人にはピンとこないかも知れない。
遊雀の軽妙なセリフ回しと掛けあいになる囃子(稲葉千秋、美声だった)が達者で、楽しく聴かせていた。遊雀の持つ「軽み」が活かされた一席。

兼好『鈴ヶ森』、後の生志の楽屋入りが遅れているという事で、そのせいかマクラにタップリと時間を掛けたが、これが面白く客席を沸かせていた。ネタはお馴染みの泥棒の親分と間抜けな子分が鈴ヶ森に仕事に出掛け、子分が通行人を脅して金を取ろうとするが相手が怖い人で逆に脅されるという筋。
この日気が付いたのだが、このネタは目の動きが肝心なようだ。兼好はそこが巧みだったし、喜多八が十八番にしているのも目の動きが達者なせいかも知れない。

生志『お見立て』、パリからの夕方羽田に着いてそのまま会場に到着したとあってか、大事なセリフを抜かしたり話が前後してしまったりと、かなり酷い出来だった。
「頼む方なら頼む方で、受ける方も受ける方だ」と兼好が言っていたが、元々のスケジュールに無理があったのだろう。

遊雀の2席目『文七元結』、久々に高座に掛けると言っていたが、結論から言うと期待した以上の出来だった。
先ず、それぞれの登場人物の描き分けが明確であったこと。このネタは吾妻橋での長兵衛と文七のヤリトリが山場になるのだが、大事なのは吉原の大店である佐野槌の女将や、鼈甲問屋・近江屋卯兵衛の演じ方だ。この二人の器量が出せるかどうかで評価が定まる。長兵衛に対する女将の叱責も、彼を真人間にしようとする心情が裏打ちされていなければならぬ。近江屋の文七への説教も同様に文七への愛情が籠ったものであらねばならず、事情を聞かされてから長兵衛宅を訪ねる迄ではいかにも大店の主らしい風格が必要だ。遊雀のこの二人の描写が適確だった。吾妻橋での長兵衛は何とか若者の命を救ってあげたいという気持ちと、娘お久の事を思い浮かべる心情との葛藤も上手に表現されていた。
その他の脇役、長兵衛の女房や佐野槌の若い衆、近江屋の番頭の描写も巧みで、上出来の高座だった。
遊雀が未だ三太楼を名乗っていた頃からこの人の高座を見て来て、いつも7分程度の力で演じているという印象を持っていたが、この日の『文七』では全力を出していたように思う。
遊雀、渾身の一席。

2015/10/27

#62人形町らくだ亭(2015/10/26)

第62回「人形町らくだ亭」
日時:2015年10月26日(月)18時50分
会場:日本橋劇場
<  番組  >
前座・春風亭朝太郎『子ほめ』
隅田川馬石『粗忽の使者』
露の新治『中村仲蔵』
~仲入り~
五街道雲助『持参金』
春風亭一朝『死神』
※前座以外はネタ出し

「人形町らくだ亭」は以前から名前は知っていたが、参加は今回が初めて。過去の履歴を調べてみると偶数月に開催されているようだ。場所柄か勤め帰りの人の姿が目立つ。
落語会の会場はいくつもあるが、この日本橋劇場は落ち着いた雰囲気のある良い会場で好きだ。飲食店が多いので帰りに一杯という人には便利。水天宮が近いのだが安産の神様なのでこちとらにはご縁が無くなってしまった。

朝太郎『子ほめ』、近ごろの前座は良いのが多いね。もしかして共通一次試験をパスしてるんだろうか。
前座の注目点は先ず言葉がはっきりしているか。語りが落語家のしゃべりになっていること。会話や地の語りとセリフとの間の「間」が取れているか、だ。当ブログの記事で前座に触れない場合は「普通」、触れるのは「良い」か「悪い」のいずれかになる。

馬石『粗忽の使者』、落語には数多くの粗忽者が登場するが、この噺に出てくる地武太治部右衛門はその中でもトップクラスだ。自分の名前も忘れるし、つい先ほど出会った人の顔も名前も憶えていない。しかも武士でこれだけ粗忽というのは珍しい。
この人の高座スタイルの特徴は、「ふんわり」という言い方が最も適切なように思う。語りも仕種も柔らかい。その影響からか客席も何かホンワカしてくる。それで滑稽噺から人情噺までこなせるのは語りが確かのせいだろう。

新治『中村仲蔵』、東京でもお馴染みのネタだが上方版は一味違う。
先ず仲蔵を上方の出身で江戸へ出て役者になったという設定だ。
せっかく名題に昇進したのに忠臣蔵で振られた役は5段目の斧定九郎一役。すっかり腐ってこれなら大阪に戻るかという仲蔵を女房が叱咤激励する。仲蔵の夫婦(めおと)物語としての色を濃くしている。
柳島の妙見さまの満願の日、帰りに寄った蕎麦屋で偶然に出会った旗本崩れの成りを見て、これだと思った仲蔵は再び妙見さまに引きかえしオミクジを引くと、天地人の人人人が出た。これで確信を持った仲蔵が定九郎の役作りを開始する。ここの段取りが東京とは異なる。
舞台が成功したと師匠の中村伝九郎から聞かされ、その印に愛用の煙草入れを貰って自宅へ戻る。女房と二人で喜びを分かち合いサゲを付けるのも東京とは異なる。
新治の高座は、5段目の初演の舞台の所作を丁寧に演じ、客が感心して思わず「う~ん」と唸るのを悪落ちと勘違いして気落ちし、上方へ旅立とうして夕刻に芝居小屋近くを通ると、今見終ったばかりの客が5段目の定九郎が良かったという声が耳に入る。ここでの仲蔵の「ああ、ありがたい!広い世間にたった一人だけ、おれの芸をいいと言ってくだすった方がいる」という一言は感動させられる。この客は定九郎の趣向だけを褒めたのではなく、今までの定九郎の扮装に違和感があったが、この仲蔵の芝居を見てその謎の絵解きが出来たと喜んでいたのだ。仲蔵の感激は一入では無かった筈だ。この喜びを女房に伝えたくてもう一度家に戻り、そこで師匠からの使いに出会うという設定にしている。
水も漏らさぬ新治の緻密な高座は実に素晴らしかった。
この人が出てくると、会が締まる。

雲助『持参金』、全体のテンポといいリズムといい、最近聴いた雲助の高座では一番良かった。不器量で身重の女中を10両欲しさに嫁に貰った男が言う、「言われたほど悪くねぇ」の一言はこの女にとって救いだ。と同時に通常はこの女が蔑ろにされたまま終わるのだが、この一言でホッとした気分になる。
短編ながら雲助の実力をいかんなく示した。

一朝『死神』、通常のストーリーで演じたのだが、この人が演るとほのぼのとした噺になる。死神までが可愛らしく映る。一朝の人柄に因るものか。
サゲは、せっかく新しいロウソクに移したのにクシャミで灯を消してしまうというもの。
怖さより滑稽味に溢れた演じ方だった。

4人4席、それぞれ結構な高座でした。

2015/10/25

雲助蔵出しぞろぞろ(2015/10/24)

「雲助蔵出しぞろぞろ」
日時:2015年10月24日(土)14時
会場:浅草見番
<  番組  >
前座・柳家小多け『道具屋』
柳亭市楽『風呂敷』
五街道雲助『身投げ屋』『松曳き』
~仲入り~
五街道雲助『蒟蒻問答』*ネタ出し

開場10分前に着いたが、この日の見番の1階では三味線に合わせて唄の稽古をしていた。その声が響いていて見番の情緒たっぷり。

小多け『道具屋』、小里んの弟子だが、呼び名は小三治の前座名と一緒で(あちらは「小たけ」)、期待が大きいのだろう。昨年前座になったばかりだが、語りがしっかりしていて良い。
市楽『風呂敷』、馬石の物真似が上手かった。先日に見た白酒の馬石の物真似も似ていたら真似しやすいのかな。兄いが諺や教訓を垂れる場面では本人の工夫があり面白かったが、後半の亭主のセリフが酔っ払いに見えない。だから兄いとの会話で二人とも「素」に見えてしまう。肝心な個所が未だ仕上がっていない。

雲助『身投げ屋』、柳家金語楼作で現在は雲助の十八番。金に困った男が始めた仕事が身投げ屋。両国橋の上で念仏を唱えて身投げするふりをしてると、止めてくれる人が現れる。金が無いので死ぬのだといえば、金を恵んでくれるだろうと。この時に大事なのは相手の値踏みだ。最初にいかにも金を持っていそうな男が通りかかり、狙い通り100円を恵んで貰う。次に来たのは職人風の男で金の持ち合わせがなく、くれたのは電車の切符でそれも挟みが入っていた。すると橋の隅で盲目の男と幼い男の子が身投げしようとしている。くだんの男が慌てて止めに入ると金に困って親子心中するのだと言う。結局、先ほど貰ったばかりの100円を親子に渡してしまう。男の姿が見えなくなると、父親が息子に「それじゃ~。今度は吾妻橋でやろう」。
身投げ屋の男と助けた人との金銭をめぐるヤリトリを聴かせ所にしてテンポの良い高座。
雲助のよると圓歌が地方で演じる時は、その地方にある橋の名を使うとのこと。これも営業努力。

引き続き『松曳き』、このネタは弟子の白酒が十八番にしていて何度か聴いているが、雲助では初めて。どうも白酒で馴染んでいるせいか、あちらの方が面白い。白酒の高座ではセリフと地の語り部分との間に切れ間がなく、全体がリズミカルのように思う。

雲助『蒟蒻問答』、2代目林家正蔵作ということで彦六の正蔵が十八番にしていた。CDには志ん生の音源も残されていて、こちらは無言の行の部分はアナウンサーの同時解説を付けている。アタシは元ヤクザで威勢のいい八五郎と、その八が感心する程の度胸を持った権助二人の掛け合いが楽しめる先代柳朝の高座が好きだ。蒟蒻屋の六兵衛があげるインチキお経は正蔵はイロハ、志ん生はカッポレだが、雲助はイロハだった。
代表的な仕方噺で、このネタばかりは見ないと面白さが分からない。

今年に入ってから気になっているのが、雲助の高座で言葉の言い間違いが散見されることだ。この日も何ヶ所かあった。落語なんだから細かいミスは・・・という意見もあろうが、他ならぬ雲助だけにやはり気になるのだ。

2015/10/22

#2三遊亭兼好独演会(2015/10/21)

けんこう一番!第2回「三遊亭兼好独演会」
日時:2015年10月21日(水)19時
会場:国立演芸場
<  番組  >
『挨拶』三遊亭兼好
立川幸之進『狸札』
三遊亭兼好『三枚起請』
~仲入り~
亀井雄二「舞囃子『敦盛』」
三遊亭兼好『能狂言』

当ブログでは数年前から、次代を背負う落語家として「三白一兼」という略称を設けていた。三三、白酒、一之輔、そして兼好の4人を指す。ここ数年を見ると、この中で兼好が一歩遅れているような印象を持っていた。受賞歴からは、専門家もそういう判断なのかなと推察できる。
しかしこの日の高座を観て考えを改めた。他の3人と比べて決して引け劣らない実力を見せていた。会自身も構成が優れており、近ごろでは出色の独演会だった。

幸之進『狸札』、立川流の二ツ目だったが師匠の芸協移行に伴い、現在は芸協で1年限りの前座をつとめている。本人としては忸怩たるものがあるだろうが、頑張って欲しい。

兼好『三枚起請』、一口にいうと非常に説得力のある演出だった。同じ女郎から起請文を貰った3人の人物像が明確だった。最初の男は未だ10代に若造で、とにかく女郎に入れあげ日参しているうちに起請文を受けとった。相手は年上だが姉さん女房も悪くないとのぼせ上っている人物として描かれている。二人目は棟梁で、女とは以前の品川にいた頃から馴染みだ。年が明けたら一緒になろうという言葉を信じて独身を貫いてきた。三人目は女が暮に20円の金が必要で、どうせなら所帯を持つあんたに金を都合して欲しいと頼まれる。だが懐には1銭もなく、やむなく奉公に出ている妹に母親の治療費と偽り着物を借りて質に入れ、足りない分は給金の前借りまでして貰って20円作り女に渡した。
3人共に起請文を貰っていたが、深刻度は違う。3人が揃って女郎の所へ仕返しに出かけるが、深刻度の違いは女への対応の微妙な差となって現れるくる。
こうした人物設定を行うことにより、このネタの深みが増していた。
仕返しされた時の女の開き直りっぷりも良かった。男たちは完全に返り討ちにあったわけだ。
サゲの解説を冒頭のマクラで行っていたので分かり易い。
上出来の高座。

亀井雄二はシテ方宝生流能楽師で、最初に能についての簡単な解説があった。
・能は江戸時代までは武士に好まれ、一般の町民は観ることが出来なかった。謡だけは町民にも普及していた。
・この日披露する「舞囃子」というのは、能のある曲の中の舞所だけを取り出し、シテ一人が面・装束をつけず、紋服・袴のままで、地謡と囃子を従えて舞うものを指す。
・この日舞う『敦盛』について、信長が桶狭間の前に舞った「人間五十年 下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり」を能と勘違いする人が多いが、あちらは「幸若舞」と言い能とは別だ。
この後、「舞囃子『敦盛』」が披露された。
初めて能を見たお客には新鮮に映ったに違いない。

兼好『能狂言』、前の能の背景をそのままにして演じたが、それには理由があり、「能の解説」がそのままこの噺のマクラになっている。更に独特のサゲが能の背景で活かされる。
筋は。
ある小大名が国許に帰国し、江戸で観た能狂言にいたく感服し、領地の祭りで毎年行う「ドジョウ掬い」の代りに能狂言をするよう命じる。
処が、家老以下家来一同、誰一人として能狂言を知っている者がいない。このままでは切腹ものだと焦る家老たちは、藩内一帯に「能狂言を知る者がいたら名乗りでよ」という高札を立てるが効果がないまま祭りの日が近づく。
そこへ江戸では売れなくて地方で稼ごうとやってきた落語家二人。たまたま休んだ茶屋で、能狂言を知ってるとホラを吹いたものだから、城中に引っ立てられる。
家老から詰問された二人は今さら知らないとは言えない。明日が祭りの日だというので、とにかく忠臣蔵五段目の茶番をやってごまかすことにする。
鼓も笛も太鼓も無いので若侍の口真似で演じることにした。謡を含めて一晩中の特訓でいざ当日。鳴物連中の掛け声、口笛、口太鼓の中を、五段目のセリフを謡のように節をつけて、二人は能みたいなものを舞う。
定九郎と与市兵衛の金を渡せ渡さぬというヤリトリがあって、定九郎は刀を抜いて与市兵衛を斬り捨てる。定九郎は「久しぶりなる五十両、これより島原へ女郎買いにまいろう」と言って舞台から引き下がってしまう。お囃子連中も舞台を下がってしまうが能なので幕が下りない。
仕方なく一人取り残された与市兵衛がむっくと起き上がり、「わしを殺して金を取り、女郎買いとは、太てえ野郎。島原へはやるまいぞ。女郎買いには、やるまいぞ、やるまいぞ、やるまいぞー」と言いながら能の恰好で高座から退場。
6代目圓生以来演じ手がいないと言われていた珍しいネタで、兼好はオリジナルを少し変えて藩の祭りの趣向で、恒例の「ドジョウ掬い」の替りに「能狂言」を演じるという設定にし、より笑いの要素を強くした。
本人も能を習っているようで、型がそれなりにサマになっていた。
兼好の新しい面を見た思いで、大変結構でした。

2015/10/21

建築不正は何故なくならないか

横浜市内の大型マンションが傾いた問題で、建設時の杭打ち工事で、建物の基礎となっている複数の杭が強固な地盤に届いておらず、杭打ちのデータに別の工事のデータが転用されていたことに加え、セメント注入量まで偽装されていたことが明らかになった。
デベロッパーは三井不動産レジデンシャル、元請け施工が三井住友建設、下請けが日立ハイテクノロジーズ、杭打ち工事を行った孫請けが旭化成建材と、いずれも日本を代表する企業ないし子会社であり、日本の企業のコンプライアンスが問われる事態に発展している。
昨日、旭化成建材の親会社である旭化成の社長が謝罪の記者会見を開いたが、今後の調査により今回のような不正がどこまで拡がっていくのか、又問題マンションの建替えなど課題は山積みだ。

現在は旭化成一人が悪者になっている様だが(もちろん旭化成建材の不正は許されないが)、本来は元請である三井住友建設が責任を負わねばならない筈だ。なぜなら建築は設計、施工、監理からなるが、その全ての責任は元請が負わねばならないからだ。
孫請けの不正を見抜けなかったとしたら、それは元請の怠慢だ。黙認あるは気が付かないふりをしていたなら、完全に元請の責任となる。
ここで工事の「監理」というのは一般に馴染みがないかと思われるが、以下のようにとても大事な仕事だ。
・設計図通りの施工が進んでいるかチェック
・図面だけでは伝わらない内容の伝達
・建築主の代理となって、工事現場との打合せや指示
・建築主への報告
メーカーでいえば品質管理部門に相当し、工事では建築主の代理人の立場だ。
今回の件も、元請が規定の「監理」を真面目に行っていれば防げた筈なのだ。処が、まるで元請が他人事のようにしている印象があり、違和感を覚える。

今回の不正が旭化成一社だけと思ったら大間違いで、むしろ氷山の一角と見るべきだ。大小含めた不正は恐らく工事現場では日常的に起きているものと思われる。
では何故、建築工事で不正が行われるのだろう。マンション建設を例にいくつか原因を考えてみたい。
1.建築物の不正を居住者が見抜くのは難しい。
これが家庭電器や家具、乗用車などの耐久消費財であれば欠陥は見つけやすい。処が建築物の欠陥というのは簡単には見つからない。不具合を感じてもその原因が建築工事の不正であることを見抜くのは困難な事が多い。集合住宅の場合、不具合が一様に現れることが少ないし、不具合の全く無い住戸もあるからだ。長い期間を経てから不具合が生じてくるというのも建築物の特徴といえる。
2.建築工事は工期とコストが最優先される。
工期を守るのは至上命令であり、赤字は許されない。しかし実際の工事では予期せぬことがしばしば起きる。地盤が脆弱だったり、今回のように地表から岩盤までの距離が予想を遥かに超えていたとう様なケースもある。しかし元請としては工期は絶対に守らねばならないし、予算の超過は許されない。そこで下請けや孫請けに対して「何とかしろ」という指示になる。命じられた側は仕方なく「何とかする」ことになるが、これが不正の元になる。
3.工事では「監理」がおろそかにされる。
これは某設計事務所のサイトからの引用。
【昨今では設計施工の工務店やハウスメーカーによる現場では、監理者は名ばかりで機能しない状態の現場もあります。
なぜなら監理者は品質管理の為に、管理者の意に添わない指示を行う必要があるからです。
しかし設計施工一貫の会社では、会社の利益に反するケースが多く、監理者の立場に矛盾が生じてしまいます。】
つまり品質管理が不十分な製品を消費者が買わされていることになる。
日本の場合、とりわけゼネコンや大手ハウスメーカーの力が異常に強いので、この傾向が顕著だ。
4.居住者側に立たない管理会社が多い。
マンションの売り出し広告を見ると、全て予め管理会社が決められている。又、管理会社のランキングを見ると、殆んどの会社がデベロッパーやゼネコンの子会社だ。だから居住者が苦情を申し出ても、管理会社が建築の欠陥や不正を認めず、むしろ居住者を説得する側に回る事が多いので要注意だ。

いま直ちに建築の不正を根絶するのは難しいだろうが、当面は次のような対応が考えれよう。
それぞれの居住者が自分の住む集合住宅の住み具合に関心を持ち、問題が生じたら管理組合にどんどん声を上げて行く。
必要な場合は第三者の専門家による診断を依頼する。
居住者の立場に立って動いてくれるようなヒモの付かない管理会社に変える。
不正が明らかになり、相手の態度が不誠実であれば、社会的に広くアッピールしてゆく。

2015/10/20

「諸国を遍歴する二人の騎士の物語」(2015/10/19)

テアトル・エコー公演150「諸国を遍歴する二人の騎士の物語」-ドン・キホーテより-
日時:2015年10月19日(月)19時
会場:エコー劇場
作:別役 実 
演出:永井寛孝
<  配役  >
山下啓介/騎士1
沖恂一郎/騎士2
藤原堅一/従者1
川本克彦/従者2
永井寛孝/医者
小野寺亜希子/看護婦
溝口敦士/牧師
薬師寺種子/娘
沢りつお/宿の亭主

テアトル・エコー代表の熊倉一雄さんが2015年10月12日直腸癌のため亡くなった。外国映画の吹き替えやアニメの声優、CMなどで幅広く活躍されていた。テアトル・エコーにあっては演出家として俳優として劇団をリードしてきた。特に『日本人のへそ』を始めとする初期の一連の井上ひさし作品は熊倉一雄とのコンビで上演されている。2010年の井上ひさし追悼公演となった『日本人のへそ』では熊倉が演出し舞台にも出ていた。2014年11月に行われた舞台「遭難姉妹と毒キノコ」が最後の出演となったが、私にとってもこれが見納めになってしまった。
本公演では元々騎士1の役で出演予定だったが直前になって体調を崩して休演、結局亡くなってしまった。私も熊倉の舞台を楽しみにしていただけにとても残念だ。
ご冥福をお祈りする。

本作品は別役実フェスティバル参加作品の一つとして上演されたもので、「エコー版 不条理コメディ」と銘打っている。
ストーリーは。
荒野の一角にある、移動式簡易宿泊所。
そこへ病人目当ての医者と看護婦、死人目当ての牧師がやってきて、まだ見ぬ客を取りあっている。 宿の亭主が戻り、ここで商売をされては困ると苦言を呈しても請け合う気はない様子。
亭主の娘が「埴生の宿」を歌いながら戻ってくると、それにつられて客がやってきた。荒野を渡る風が吹き、マントをひるがえして疾風のように二人の騎士が従者を連れて、と言いたいが枯れ木のように老いぼれたヨロヨロと現われる。
しかし登場人物たちはこの老騎士二人に次々と殺されてしまう。正確には宿の娘だけは自殺し、従者は巨大な風車に突っ込み消えて行く。
殺人の理由は「殺さないと、殺されるからね」。
最終シーンは、老騎士二人がテーブルを挟んで向かい合って座り、「今は秋かい?」「そうだ、秋だよ」「だとすれば私たちは今、ゆっくり冬の方へ動いているんだ」で終幕。この二人もやがて来る自分たちの死をじっと待っている。

ウ~~ン、分からないなぁ。
こういう芝居を不条理劇ってゆうんだって。
Wikipediaの解説では次の通り。
【リアリズム演劇を含め、従来の演劇では、登場人物たちによる状況の変化を求める行動が、新たな状況を具体的に生み出し、最終的に状況が打開されるか、悲劇的な結末を迎える。このダイナミズムがストーリーの軸となっている。行動とその結果の因果律が明確な世界観と言える。
これに対し、不条理演劇では、登場人物の行動とその結果、時にはその存在そのものが、因果律から切り離されるか、曖昧なものとして扱われる。登場人物を取り巻く状況は最初から行き詰まっており、閉塞感が漂っている。彼らはそれに対しなんらかの変化を望むが、その合理的解決方法はなく、とりとめもない会話や不毛で無意味な行動の中に登場人物は埋もれていく。ストーリーは大抵ドラマを伴わずに進行し、非論理的な展開をみせる。そして世界に変化を起こそうという試みは徒労に終わり、状況の閉塞感はより色濃くなっていく。】
こ解説を読むとナルホドと合点がいく。ドン・キホーテとサンチョ・パンサを思わせる二人の老人が連続殺人を起こすのだが、理由はない。宿の娘の自殺も理由は見当たらない。現実的にもこういう事件は起きているが、極めて稀な例だ。
作者。別役実がこの作品を通して観客に何を訴えたいのか、私には理解できなかった。
どうやら私には不条理劇は無理らしい。それが分かった。

とはいえ、出演者の演技は悪くなかった。というよりは、今まで観たこの劇団の芝居の中ではかなり良かった。とりわけ沖恂一郎の飄々とした演技が印象に残った。
それにつけても、熊倉一雄を見たかったね。

2015/10/18

#19東西笑いの喬演(2015/10/17)

第19回「東西笑いの喬演」~落語の四季~
日時:2015年10月17日(土)18時
会場:国立演芸場
<  番組  >
桂吉坊『正月丁稚』(初春)
笑福亭三喬『天王寺詣り』(春)
柳家喬太郎『重陽』(秋)
~仲入り~
柳家喬太郎『ちりとてちん』(夏)
笑福亭三喬『尻餅』(冬)
*全てネタ出し

この会は「喬太郎・三喬 二人会」として、東京と大阪で各1回の年2回開催で行われている。今回は「落語の四季」という趣向で演目を選んでいる。
公演プログラムに主催者の「みほ企画」代表者・山口一儀氏の桂米朝追悼文が掲載されていて、師の功績の一つに上方落語を全国に広めたことをあげている。ただ東京の落語愛好者の一人から言わせて貰うと、東京に限れば上方落語の紹介者としては2代目桂小文治、三遊亭百生、2代目桂小南の名があがる。この人たちの下地があったから、その後の上方落語が抵抗なく受け容れられてきたのだと思う。

吉坊『正月丁稚』、東京では『かつぎや』あるいは『七福神』というタイトルでお馴染みだが、オリジナルは上方のコッチ。大阪の元旦の情景を描いたもので、若水を汲み一同揃って雑煮を頂き新年の挨拶回りをする。正月らしく主や番頭が目出度いことを言うと、それを丁稚の定吉がいちいち混ぜっ返すというもの。ストーリーより正月を迎える店のしきたりや奉公人たちの姿を描くことに重点が置かれている。客席の反応は今ひとつだったが初春の雰囲気が溢れていて、アタシはこの日の中ではこの吉坊の高座が最も良かった様に思う。

三喬『天王寺詣り』、舞台になる四天王寺は、春と秋の彼岸には祖先の戒名を書いた経木を亀の池に流し、引導鐘をついて供養するために参詣するのだそうだ。この落語は天王寺のガイドにもなっていて、聴いていると行ってみたくなる。
不注意から愛犬を死なせてしまった喜六が知り合いの甚兵衛に案内され、犬の供養のため二人で四天王寺に行く。犬のついでに父親の戒名を経木に書くのだから、昔も今もペット好きの人というのはいたわけだ。境内のあちこちを見て回り、引導鐘をついてもらうと犬の唸り声が聞こえてきた。喜六は坊さんに「三遍目はわたいに突かせておくんはなれ」と頼み、鐘をつくと「クワーン!」と犬の鳴き声が聞こえた。「ああ。無下性(乱暴)にはどつけんもんや」でサゲ。このサゲは解説が無いと分からないのではなかろうか。6代目松鶴の録音や百生の高座では、もっと天王寺のざわつきが表現されていた記憶があるのだが。

喬太郎『重陽』、原作は上田秋成の『雨月物語』から『菊花の契り』*)だそうで(未読)、それに少し手を加えて落語に仕立てたもの。9月9日は陽の数で最も大きい9が重なるので「重陽の節句」としてお祝いする習慣があった。別名「菊の節句」とも呼ばれ菊の花を愛で菊の香りを移した菊酒を飲んだりして邪気を払い長命を願うというもの。義兄弟の武士の話で、兄が遠く離れた故郷に帰り重陽の節句までには戻ると約束する。重陽の日に首を長くして待つ弟の所へ戻ったのはなんと兄の霊。事情を聞くと君主は代替わりしており、神君は冷酷そうな人物で仕官を断ると城内に監禁される。約束を果たすために切腹して果て霊魂となって家に戻ったと言う。事情を聞いた弟は兄の城下に向かい新君と面会して激しく面罵するが、刀を抜けぬまま兄の遺骨を抱いて帰って行く。新君が弟の義を讃え、もし仕えてくれれば「重用」したものをでサゲ。
ピーンと張りつめた様な客席の雰囲気の中で語り切った喬太郎の力は評価するが、筋がどう見ても落語向きとは言えない。怪談噺でも人情噺でもないし、仇討ちでもなく勧善懲悪でもない。それと『菊花の契り』というタイトルからこの義兄弟二人は衆道の関係だったのでは。ちょっと考え過ぎかな。
註*)若鷹軍団さんからの指摘で訂正しました。

喬太郎『ちりとてちん』、後半はガラリと趣向を変えて夏の噺。と言ってもこのネタ、一時期喬太郎は頻繁に高座にかけていた。冒頭の部分でネタが分かった観衆から「エ、エー」という声が上がって、高座の喬太郎が『どうして?チンでいいだろう!』と答える場面もあった程だ。喬太郎の顔芸だけで客席を沸かせていた。
前半の新作が重かったので、後ろは軽いネタにしたようだ。

三喬『尻餅』、貧乏長屋の夫婦が正月用の餅がつけず、せめて音だけもいう事になり、女房の尻を亭主が叩くことで餅つきの音を響かせるというもの。庶民の歳の瀬の風景を描いたものの様だが、どうもバレ噺に見えてしまうのだ。四つん這いになって尻をまくった女房を見て亭主が「うわぁ~、ほぉら立派な臼やなぁ」と感嘆の声を上げるのだが、当時の房事では女性が男性に尻を向けることは無かったようだ。だから亭主にとっては初めて見る光景で、思わず見とれてしまったのだろう。この尻を亭主が叩く続けるのは何となくスパンキングを連想させる。三喬は餅つき職人の姿を丁寧に描いていたが、前半の部分で「アホ、米が買えるぐらいやったらなにも苦労するかい」と言うべき所を、米を餅と言い間違いしてしまったのが残念。
余りの尻の痛さに堪えかねて女房があと幾臼?と訊くと亭主が2臼と答える。そこで女房が「ちょっとこちの人、あとのふた臼は白蒸しで食べといて」でサゲ。白蒸しならもう餅つきの音は不要になるからだ。

圓蔵が提起していた「名跡の在りかた」は傾聴に値する

先日の「8代目橘家圓蔵」追悼記事で書き洩らしたことがあるので付け加えさせて貰う。
それは落語家の「名跡」の在り方についてだ(『圓鏡から圓蔵へ』より)。
圓蔵によれば落語家の亡くなるとその名跡はその家に所属する。具体的には亡くなった落語家の未亡人が管理することが多いのだそうだ。だから名跡を継ごうと思えばその管理者の承諾が要る。言い換えると、管理者の意思で名跡が継承されてしまう。
圓蔵が言うには、落語家の女房には、亭主の功績をまるで自分の力の様に勘違いしている人が多いという。こういう人たちが名跡を管理しているのは問題があると言うのだ。
圓蔵の主張は、名跡を名乗った落語家が死去した後は名跡は協会に返すルールにしたらどうかと。そして以後の名跡管理は協会が行うことにする。圓蔵自身は自分の場合は名跡は協会に返上するつもりだと語っていた。
襲名で苦労した圓蔵の言葉は重い。

8代目圓蔵は圓鏡、圓蔵の2代の襲名に苦労している。
圓蔵の襲名の経緯はこうだ。
圓蔵の名跡は6代目三遊亭圓生が預かっていた。それを一代限りと言う一冊を入れて圓生から借り、7代目圓蔵は襲名をしている。従って7代目圓蔵の死後、名跡の権利は元の圓生に戻されていた。圓生の死後は未亡人が権利を継承していた。
8代目円蔵を襲名するにあたり、先ず圓生の未亡人に内諾を得た後に、改めて当時落語協会会長だった5代目柳家小さんに同行して貰い、圓生未亡人宅を訪れて圓蔵襲名の許可を得た。
圓蔵談によれば、この時は菓子折り一つで済んだとのこと。ということは、他では金銭が絡むケースもあるのだろう。
こうした慣習は現在も続いているようだ。
11代目馬生襲名の披露口上では、一門を代表して伯楽が「10代目馬生の奥様の意向」で決まったと明言していた。
正蔵や三平の名跡の権利は今でも根岸が管理しているのだろう。

こうした悪しき慣習を見直すためにも、落語界全体として是非この圓蔵の提案を検討して欲しい。

2015/10/17

こまつ座『マンザナ、わが町』(2015/10/15)

こまつ座 第113回公演『マンザナ、わが町』
日時:2015年10月15日(木)18時30分
会場:紀伊国屋ホール
作=井上ひさし 
演出=鵜山仁
【  キャスト  】
土居裕子/ソフィア岡崎(ジャーナリスト)
熊谷真実/オトメ天津(浪曲師)
伊勢佳世/サチコ斎藤(マジシャン助手)
笹本玲奈/リリアン竹内(歌手)
吉沢梨絵/ジョイス立花(女優)

1942年3月、真珠湾攻撃以来“排日”の気運が高まる中、アメリカ西部に住んでいたおよそ12万人の日系アメリカ人が、急造された10カ所の収容所に強制収容される。その1つカリフォルニア州の「マンザナ収容所」の一室に5人の女性たちが集められる。所長は彼女たちに「マンザナは強制収容所ではなく、日系人たちの自治によって運営される一つの町なのだという内容の朗読劇『マンザナ、わが町』を上演するよう命令を下す。
メンバーは演出の経験のあるジャーナリスト、米国各地を巡業してきた浪曲師、ハリウッド女優、歌手、そしてマジシャン助手という、いずれも舞台経験のある女性たちだ。しかし彼女らは同じ日系といっても1世あり2世あり、国籍も日本人ありアメリカ人あり、年齢も経歴も経済状況も全て異なる。稽古が進むうちにお互いの違いが浮き彫りになり、時に対立も起きる。また与えられたシナリオも強制収容所という実態を覆い隠し、あたかも自治が実現しているかの様な内容で、彼女たちは納得がいかない。
5人がそれぞれの身の上話を交わすうちに、マジシャン助手と自己紹介していた女性の挙動に疑いの目が向けられ、やがて彼女の正体が暴かれるが・・・。

太平洋戦争の開戦と同時にアメリカに居住していた全ての日系人12万人は10か所の強制収容所に収容された。日本からの移民だった1世には当時アメリカは国籍を与えす、2世3世の米国籍を持つ人間でも日系というだけで収容されてしまった。財産は没収、外部との連絡は遮断、もちろん言論の自由は無しという、米国憲法に明らかに違反するものだった。その実態はナチスの強制収容所と大差ないものだった。
米国への忠誠心がテストされ、アメリカ国籍も持ち忠誠心が高いと判断された若者の一部は米軍の配属され、激戦地に配置された。
この状態は終戦になるまで続いた。
これには続きがある。
戦後の公民権運動の高まりの中で先ず日系1世の米国籍取得が実現するようになり、1980年代には強制収容に対する補償運動が盛んになる。
こうした運動が実り、1988年8月10日、当時のレーガン大統領は戦時中の日系アメリカ人強制収容に対し、人種的偏見と政治的指導力の欠如を正式に謝罪した。同時に一人につき2万ドルの補償金と教育資金12億5000万ドルを支払うことを決定した。1990年の当時のブッシュ大統領が発表した公式謝罪文にはこう書かれていた。
「お金や言葉だけでは、失われた歳月は償えないし、つらい記憶を消し去ることはできない。」

この芝居では登場人物に戦争前から日系人に対する人種差別があった事がエピソードとして語られたいる。例えばハリウッドでは日系人の女優の役は必ずといって良いほど芸者で、人間的に優れたアメリカ人を慕って恋仲になるがやがてアメリカ人は帰国し、芸者は失意のまま自殺するというストーリーになっていた。そして日系人の役者はアメリカ人にやたらペコペコと頭を下げる。あるいは米国俳優の下男や女中としてこき使われた。彼女らは言う、同じ移民でも東海岸からの移民と西海岸からの移民とでは態度が全く違うのだと。そうした下地があったからこそ、戦時中の日系人に対する強制収容という違法な事が出来たのだのだろう。
ジャーナリストの女性が大統領宛に出す手紙で、米国における日系人強制収容所の実態はナチスのそれと同一であり、ルーズベルト大統領とヒトラーは同じことをしていると告発する。鋭い指摘だ。
劇中ではアメリカの黒人差別、アジア人差別を批判しているだけでなく、日本人による中国人、朝鮮人に対する蔑視、差別についても批判の眼を向けている。
5人の女性たちが激しい討論のすえ心を一つにしていく中で人間としての尊厳が保たれ差別のない世の中への希望を胸に、芝居の幕を閉じる。

井上作品らしく難しいテーマを採りあげながら、劇中ではユーモア溢れる会話や歌ありダンスありの音楽劇風の仕立てになっていて、正味3時間の舞台は飽きることがない。
ただ問題の深刻さに比べ、終幕が甘すぎたように思えた。最後の公演を終えてからジャーナリストのソフィア岡崎は他の収容所に移されて行くというエンディングもありかなと。
こまつ座の舞台には珍しく出演者がセリフを噛む個所が何度かあり気になった。
浪曲師を演じた熊谷真実の熱演が目立ち、まるで彼女の奮闘公演の様だった。
歌手役の笹本玲奈の歌声が舞台に華をそえる。

公演は25日まで。

2015/10/16

お断わり

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過去2年間に1件も寄せられなかったので、不要と判断しました。

8代目橘家圓蔵の死去

10月7日に落語家の8代目橘家圓蔵が亡くなった。81歳だった。
最後に見たのは数年前の鈴本演芸場の高座で、3年ほど前から高座には上がっていない事には気付いていたが、亡くなっていたのはちょっと驚きだ。
経歴は次の通り。
1952年12月 4代目月の家圓鏡(後の7代目橘家圓蔵)に入門。前座名は橘家竹蔵。
1955年3月 二つ目昇進。橘家舛蔵と改名。
1965年3月 真打昇進。5代目月の家圓鏡を襲名。
1982年10月 8代目橘家圓蔵を襲名。
明るいキャラクターとアドリブが得意な所からラジオやTVの番組で活躍していた。決して上手い人とは言えなかったが、高座に上がるだけで会場の空気を一気に変える魅力を持っていた。

手元のCDに『圓鏡から圓蔵へ』というタイトルの噺がある。落語というより自伝を語る内容で貴重なものだ。
最初、両親に落語家になりたいと言い出した時に、母親は猛反対したが父親は賛成してくれた。後年分かったのだが、父親は一時期新富町で幇間をしていた事があった。そう考えると圓蔵の芸は父譲りなのかも知れない。
入門してから師匠に連れられて大師匠の8代目桂文楽の家に挨拶に行った。当時、文楽の弟子に前座がいなくて孫弟子の前座が交代で文楽の世話をしていた。圓蔵は元々が文楽に憧れていたので嬉しくて仕方がなかった。そこでお上さんに気に入られるよう立ち回った所、期待通り「この子に来て貰う」となって、約2年間文楽の内弟子扱いとなった。家では家事を手伝い、高座に行く文楽のカバン持ちを2年間やれたというのがその後の財産になる。文楽の家の女中をしていた「せつ子」との馴れ初めもこの内弟子時代だった。女中部屋を風呂に改造するので一時期「せつ子」と圓蔵が同じ部屋で寝起きするようになり、ついつい・・・、という事らしい。
二ツ目の舛蔵時代には「安くて便利な橘家舛蔵、回数券1枚でどこへでも」で売っていた。
やがて師匠の前名である5代目月の家圓鏡の襲名をめぐってひと騒動ある。師匠の惣領弟子は初代林家三平だった(この経緯も複雑なのだが長くなるので割愛)ので、三平が真打昇進の話が出た時に圓鏡を襲名させようとした。処が三平の家族は襲名に反対、恐らくは将来正蔵を襲名させるつもりだったんだろう。困った三平が圓蔵の所に相談に来て、自分からどうしても圓鏡を継ぎたいと師匠に頼んでくれと懇願された。仕方なく師匠に「圓鏡は私に継がせて下さい」と言ったら、師匠から「生意気いうな、このクズのような噺家が!」と蹴飛ばされた。今度は三平と二人で師匠に頭を下げて師匠を説得し、真打昇進時に月の家圓鏡の襲名という運びに至った。
こうした事もあってか、圓蔵は師匠が嫌いだったと、この高座で語っている。
本人としては圓鏡で売れたのでこのままと思っていたし、もし師匠が亡くなってもその時は惣領弟子の三平が継ぐだろうと予想していたら、その三平が早逝したため圓蔵を襲名することになった。
先輩の金馬から「お前、襲名なんかすると損するぞ。俺ん時は、小金馬から金馬になった途端に仕事がガタンと減った」と忠告を受けたが、圓蔵は「そりゃ兄さん、実力ですよ」と応じて「コノヤロー」と叱られたというエピソードを語っている。
とにかく圓蔵は橘家の止め名である大名跡だから、本人としては名誉な事だったに違いない。

典型的な爆笑派で『猫と金魚』の様な軽い噺を得意としたが、『幇間(たいこ)腹』では父親のDNAを感じさせ、『寝床』を演らせると大師匠の文楽の型をそのまま踏襲した高座を見せていた。
ご冥福を祈る。

2015/10/15

日テレの「南京事件 兵士たちの遺言」

以下は毎日新聞のニュースから引用。
【菅義偉官房長官は12日のBSフジの番組で、国連教育科学文化機関(ユネスコ)が世界記憶遺産に「南京大虐殺」に関する資料を登録したことを受け、ユネスコ運営のために拠出している分担金について「政府として停止・削減を含めて検討している」と述べた。
菅氏は「(登録は)密室で行われ、法律に基づくものでもない。透明性や公平性をもっと出すべきだ」と述べ、ユネスコに制度見直しを求める考えを示した。南京事件に関しては「確かに南京で非戦闘員殺害とか略奪行為があったことは否定できないが、(犠牲者の)人数にはいろんな議論がある」とも語った。】

今回の件に関連して思い出すのは広島の原爆ドームが世界遺産に登録された時の経過だ。
当初、日本政府は原爆ドームの世界遺産登録には消極的だった。アメリカ政府を刺激したくなかったからだ。しかし全国的な署名活動が進む中で、国民世論に押される形で1995年9月に原爆ドームを世界遺産に推薦した。原爆ドームの登録審議は同年12月に世界遺産委員会会合において行われたが、アメリカは原爆ドームの登録に強く反対した(中国は審議を棄権した)。
原爆投下は正義だったと信じるアメリカにとってその象徴たる原爆ドームの登録は極めて不本意だったし、日本国民の間に反米意識が高まることを懸念したのだ。
審議の結果、原爆ドームは文化遺産として登録された。

世界記憶遺産へのシベリア抑留資料の登録について、「ユネスコを政治利用する試みだ」とロシア側が日本を批判している。
ロシアのユネスコ委員会のオルジョニキゼ書記はロシア通信に対し、日本のシベリア抑留資料が世界記憶遺産に登録されたことをめぐり、「ユネスコを政治利用する試みで、我々は反対だ」との見解を示した。
さらに、「日本はパンドラの箱を開けた。なぜならシベリア抑留資料の登録を申請し、2国間で解決すべき政治問題をまたもやユネスコに持ち込んだからだ」と批判した。またオルジョニキゼ氏は、ロシアが日本側に対し、登録申請をしないようすでに働きかけていたことを明らかにしている。
こうなると政治利用はお互い様だという事になる。

また菅官房長官が言うように記憶遺産の登録が密室で行われ透明性や公平性に欠けているとしたら、日本が申請・登録した案件(今回を含め5件が登録)についても同様にいい加減な審査で決められた事になる。これでは自らを貶める事になる。


もし南京虐殺が全くの虚偽であったなら、これは日本政府としてユネスコに抗議して然るべきだ、
しかし日本政府の見解は菅官房長官も言ってるように、「日本軍の南京入城後に非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないとしつつ、被害者の具体的な人数については諸説あり、政府としてどれが正しい数かを認定することは困難である」との立場だ。つまり事実は認めるが被害者の人数については正確に決められないということだ。
処が、今ネットの世界の中では南京事件そのものが無かった、あれは中国のデッチ上げだという主張が平気でなされている。
この件では、10月4日放送の「NNNドキュメント」(日本TV)で「南京事件 兵士たちの遺言」というタイトルの番組が放映された。深夜放送だったので見逃した方も多かったと思われるが、幸い”LETERA”というサイトで内容の書き起こしをしているので以下に紹介する(文書の仮名遣いは現代文に改めている)。

番組では「支那事変日記帳」というタイトルがつけられた日誌が紹介されて。陸軍歩兵第65聯隊と行動を共にした、山砲兵第19聯隊所属の上等兵が書いた日記で、昭和12年9月から南京が陥落するまでの3ヶ月間、ほぼ毎日書かれている。
〈10月3日午後6時ごろ、いよいよ上陸して支那の地を踏んだ。空襲となり我が優軍の打ち出す高射砲機関銃は火花を散らし、これが本当の戦争かと思った〉
〈11月16日、食料の補給は全然なく、支那人家屋より南京米、その他の者を徴発して一命を繋ぎ、前進す〉
〈11月17日、「ニャー」(注:中国人女性)を一人連れてきたところ、我らの目を盗んで逃げたので、ただちに小銃を発射し、射殺してしまう〉
〈11月25日、実に戦争なんて面白い。酒の好きなもの、思う存分呑む事ができる〉
12月13日、南京陥落。上等兵たちの部隊は、武器を捨てて降伏してきた多くの中国兵を捕虜にする。
〈12月16日、捕虜せし支那兵の一部五千名を揚子江の沿岸に連れ出し、機関銃をもって射殺す〉
〈その後、銃剣にて思う存分に突刺す〉
〈自分もこのときばかりと支那兵を三十人も突き刺したことであろう〉
〈山となっている死人の上をあがって突刺す気持ちは鬼をもひがん勇気が出て力いっぱいに突刺したり〉
〈うーんうーんとうめく支那兵の声。一人残らず殺す。刀を借りて首をも切ってみた〉
番組では、1994年にこの上等兵にインタビューしたときの映像も放映された。彼はこう語っていた。
「機関銃を持ってきてバババーッと捕虜に向かって撃っちゃったんだ。捕虜はみんな死んだけれども、『なかに弾に当たんねえみたいなのがいるかもしれないから着剣して死骸の上を突いて歩け』と。ザッカザッカ突いて歩いた。おそらく30人くらい突いたと思うが。何万という捕虜を殺したのは間違いねえ」

同じ12月16日の記録について、番組取材班は上記日記のウラを取るべく他の資料にもあたった。
〈一万七千二十五名の三分の一を引き出し射殺す〉(歩兵第65聯隊第八中隊少尉の日記)
〈揚子江畔にて銃殺〉(山砲兵第19聯隊第八中隊伍長の日記)
当時、機関銃の引き金をひいたという元日本兵の音声がある。
「この方(捕虜)を“お客さん”て言うんだよね。『今晩はお客さんが来て、お客さんを処理するんだ』と。そして“ピー”という呼び子の、将校の呼び子の合図で、一斉射撃。ダダダダダダダと始まる」(歩兵第65聯隊元第三機関銃隊兵士)

翌17日も“処刑”は続いた。揚子江の別の河川敷で、65聯隊の伍長が後日スケッチした絵には、日本兵の機関銃が河原に集められた捕虜を半円形に囲んでいた。その余白にはこう書かれていた。
〈このときの撃たれまいと人から人へと登り集まる様、すなわち人柱は丈余(3メートル以上)になっては崩れ、なっては崩れした。その後片はしから突き殺して、夜明けまでそのところに石油をかけて燃やし、柳の枝をかぎにして1人1人ひきずって川の流れに流したのである〉
同じ現場にいたという、2人の元二等兵の証言もこれと一致する。
「とにかく1万人も(捕虜を)集めるっちゅんだから。相当広い砂原だったね」「有刺鉄線か何かを周囲に張ったでなかったかな」(歩兵隊65聯隊元第一大隊本部行李系二等兵)
「機関銃を載せて高くしてね。砂で、砂を積んで盛って」「サブロクジュウハチ……200発ぐらい撃ったのかな」「ダダダダダダダ、一斉に死ぬんだから」(歩兵第65聯隊元第一機関銃隊二等兵)

当時18歳だった元海軍兵は、南京戦に参加した際、揚子江岸での銃殺を目撃していたという。それは12月18日のこと。“処刑場”はまた別の揚子江沿岸部だった。
「12月18日、午後の2時ごろに、突然機関銃の射撃音が響いてきて。河川敷のなかに火を噴く機関銃と、倒れてわいわい……」「いわゆる陸軍のね、重機関銃の銃座が片っ方にあって。河川敷にトラックで運ばれてきた25人か30人程度の人が重機関銃の標的にされて、撃ち殺されてたということですね」「はじめはダダダンダダダンダダダンと」「やがてはダダダン、ダダダン、ダーン、ダーン……ともう、残り少なくなった弾を一発でボン、ボンと狙い撃ちしているようなのが……音聞いてわかるというふうに慣れてしまった」
この元海軍兵は南京戦の後、日本へ戻ると、海軍士官からある注意を受けたと証言した。
「南京で見たことは決して口外するな、ということを注意されましたね」

読んでいて気分が悪くなるが、上記の資料や証言から12月16-18日にかけての3日間だけでも、相当の人数の中国人捕虜が揚子江沿岸で殺害され、死体を川に流して処理していたこと想定される。

「虐殺」あるいは「大虐殺」という用語が不適切だという意見もあるが、これは受け取り方の問題だと思う。
もう30年以上前になるがアメリカのボストンのフリーダムトレイル付近を歩いていたら、、「ボストン虐殺地跡」というのがあった。この虐殺事件というのは、1770年3月5日にマサチューセッツ植民地だったボストンで、イギリス軍がアメリカの民間人5人を射殺した事件のことだ。その時は被害者が5人で虐殺かとも思ったが、米国側から見ればそうなのだ。しかしイギリス側からすれば「虐殺」とは認めがたいだろう。現に裁判では係わった大半の兵士は無罪となり、二人の兵士が親指に烙印を押されただけで済ましている。

不都合な事実は切り捨て、捏造だデッチ上げだと決めつけるのは誤りだ。

2015/10/14

国立10月中席(2015/10/13)

「国立演芸場10月中席・3日目」
前座・三遊亭わん丈『寄合酒』
<  番組  >
柳家ほたる『転失気』
松旭斉美智・美登『奇術』
柳家燕弥『時そば』
宝井琴調『徂徠豆腐』
柳家小満ん『あちたりこちたり』
~仲入り~
柳家我太楼『大安売り』
柳家〆治『池田大助』
ぺぺ桜井『ギター漫談』
柳家権太楼『死神』

国立演芸場では毎月「公演ガイド」というパンフレットを発行していて、現在、保田武宏氏による「東都噺家百傑伝」というコラムが連載されている。今月は4代目古今亭志ん生(通称が鶴本の志ん生)について書かれていて、その改名の軌跡だけ以下に抜書きする。
明治10年 (2代目今輔に入門し)古今亭今之助
明治29年 2代目むかし家今松
明治37年 (5代目助六門下に移り)雷門小助六
明治43年 初代古今亭志ん馬
大正元年 6代目金原亭馬生
大正13年 4代目古今亭志ん生
問題は、6代目馬生を襲名した時点で大阪に5代目馬生がいたので、名古屋以西では馬生を名乗らない約束で6代目を襲名した。処が、その5代目が後に東京に出て来たので話はややこしくなった。馬生が二人になったのだ。仕方なくビラの字の色で区別することにして、赤馬生が5代目、黒馬生を6代目にした。この状態が4,5年続いたが黒馬生が4代目志ん生を襲名して解消したとある。

一方Wikipediaの「金原亭馬生」の項では、この部分は次の様になっている。
・5代目金原亭馬生 - オモチャ屋馬生。元は柳亭小燕路。本名は宮島市太郎。
・6代目金原亭馬生 - 鶴本の馬生。後の4代目古今亭志ん生。元は古今亭志ん馬。本名は鶴本勝太郎。
6代目の死後、7代目が馬生を襲名する前に、大阪にいた5代目の弟子であった金原亭馬きん(本名:小林捨吉)が馬生に改名している。この馬きん改め馬生は後に帰京したが既に8代目馬生がいたため、一旦浅草亭馬道と改名し、8代目の死後改めて9代目馬生を襲名した。
・7代目金原亭馬生 - 後の5代目古今亭志ん生。元は古今亭志ん馬。本名は美濃部孝蔵。
・8代目金原亭馬生 - ゲロ万の馬生。元は金原野馬の助。本名は小西万之助。
・9代目金原亭馬生 - 元は浅草亭馬道。かつて上方で馬生を名乗っていた。本名は小林捨吉。
・10代目金原亭馬生 - 元は古今亭志ん橋。5代目古今亭志ん生の長男。3代目古今亭志ん朝の兄。本名は美濃部清。
ここでは「二人馬生」は6代目馬生(4代目志ん生)の死後の事となっていて、大阪から東京に出て来たのは保田氏の記述とは異なり5代目馬生の弟子で、上京後は浅草亭馬道に改名、後に9代目馬生を襲名した事になっている。これだと赤馬生と黒馬生は存在していなかった事になるわけだ。

果たしてどちらの記述が正しいのだろうか。それほど遠い昔の話ではない筈だが。
当時の落語家の改名というのはそれ程混乱していたのかも知れないが。
この日のトリの柳家権太楼は3代目だ。
初代は戦前に東宝名人会の大看板として人気を博したが、戦後は病魔に侵され1955年に死去している。
2代目柳家権太楼は初代三語楼門人で、名跡のみの襲名。落語家としての実績は殆どなかったとされている。この人の詳しい記述は見当たらない様だ。

以下に当日の高座の短い感想を。
前座のわん丈『寄合酒』、数日前に見たばかりだが、この日は古典。語りが良いし「間」も取れている。
ほたる『転失気』、初見。珍念の描写が良く出来ていた。年配に見えたが入門が遅かったのだろうか。
美智・美登『奇術』、奇術の後で『風流深川唄』を踊った。この踊りが大好きなのだが最近は寄席で踊る人が少ない。久々に楽しかった。
燕弥『時そば』、ソバをすする音で拍手が起きていたが、アタシにはウドンに見えたけどな。テンポは良かった。
琴調『徂徠豆腐』、この人の講釈は落語と講談の中間を行っている。読み方が柔らかく、いい意味で寄席の色物向きだ、
小満ん『あちたりこちたり』、自作のようだ。粗筋は、浴衣で石鹸箱を手に銭湯へ行った男が、銭湯から居酒屋、寿司屋からキャバレーとハシゴして歩く。その様子を酔った男が女房相手に語るというもの。間に挟む駄洒落と、酔った男の軽妙な喋りっぷりが聴かせ所。銭湯のロッカーの鍵の番号が18番で堀内と同じなんてシャレは今どき通じないかも。客席の反応が今ひとつだったのはそのせいか。

我太楼『大安売り』、相撲取りが贔屓に「勝ったり負けたり」と言うが、訊いてきたら全敗だったという小咄。よく相撲ネタのマクラに使われるが、タイトルはこれ。入門前は床山だったというからピッタリのネタだが、滑舌の悪さが気になる。
〆治『池田大助』、初見。小三治の惣領弟子だが今までご縁がなかった。淡々と語る高座スタイル。このネタは通常は四郎吉と佐々木信濃守との問答を描く『佐々木政談』のタイトルで演じられるが、3代目金馬は四郎吉が後に大岡越前守の懐刀・池田大助となるという設定の『池田大助』で演じていた。その流れだろうか。
ぺぺ桜井『ギター漫談』、トリの権太楼がネタの中で、死神退散の呪文で「ペペ桜井はいい年だ」を入れていた。
権太楼『死神』、このネタは初だったので儲かった気分。この人は気分が顔に出るタイプで、この日は端から機嫌が良さそう。「皆様の前で落語を演れるのが何よりに幸せ」と言ってたが本音だろう。年間600席をこなすのだから好きでなくては出来ない。「スマホは良くない」と、何でも直ぐに正解が出てくるじゃ会話が成り立たないと語っていたが、確かにそういう面がある。
筋書きはオーソドックスで、サゲも圓生の演出通りで蝋燭が消え男が前にのめって終わる。権太楼が演じると、ただただ金銭欲に憑りつかれた主人公の男が可愛らしく見え、こうしたネタでもカラッと明るい噺に感じられるから不思議だ。

2015/10/11

笑福亭福笑独演会(2015/10/10)

「笑福亭福笑独演会」
日時:2015年10月10日(土)14:00
会場:横浜にぎわい座
<  番組  >
前座・三遊亭わん丈『ぼんぼん』
笑福亭たま『弥次喜多地獄旅行』
笑福亭福笑『二人ぐせ』
~仲入り~
春風亭一之輔『茶の湯』
笑福亭福笑『憧れの甲子園』

一之輔をゲストに迎えた今回の「笑福亭福笑独演会」、2階席にも客が入っていた。客席の反応を見ると”たま”お目当ての人もいるようだ。
その笑福亭たまがマクラで、天満繁盛亭で桂福若が右翼と対談する会があって、上方落語協会に抗議があったという話題に触れていた。
調べてみたら今年8月に桂福若独演会というのが繁盛亭で開かれていて、そこに中曽千鶴子という人物が出演していたようだ。福若自身も「憲法改正に取り組んでいる落語家」として産経に紹介されている位だから、そのケがあるんだろう。
中曽千鶴子は徳島県教組襲撃事件で1審2審で有罪判決が出ている(現在は上告中のようだ)。またYOUTUBEでは、集会やデモで「シナ人たたき出せ!」「朝鮮人を射殺しろ!」「辻元清美射殺しろ!」と叫んでいる映像が公開されている所を見ると、レッキとしたレイシストだ。
もっとも本人のサイトではレイシストであることを否定しているが、世の中「私は泥棒です」と公言しながら泥棒するヤツはいないからね。この人物のツイッターには立川キウイの名も見え、落語家にも色々なのがいるんだなと思った。 
たまによれば、当日は右翼で会場は満員だったというオチを付けていたが。

前座のわん丈『ぼんぼん』、声としゃべりは良いが、ネタは退屈。

たま『弥次喜多地獄旅行』、アタシがブログを始めた10年前に落語を中心とした記事を掲載していた女性がいて(現在は閉鎖)、彼女は東京の人だったが既に上方の「たま」に注目していた。その関係からこの人の高座を何度か観ているが、とにかく面白い。新作を掛けることが多いようだが、アタシはこの人の古典が好きだ。どうアレンジするかが楽しみなのだ。古典をそのまま演じるのではなく自分流に変えるという点では一之輔と同じだが、変え方が異なるように思う。
この日の演目は『地獄八景』の短縮版だったが、得意の時事ネタを織り込んで楽しく聴かせていた。

福笑『二人ぐせ』、東京では「のめる」というタイトルでお馴染みだが、米朝の記録を読む限りでは上方もほとんど同じ筋の運びだ。だが福笑の演じ方はかなり違う。「吞める」を口癖にしている男がアホなのだ。「つまらん」を口癖にしている男と、口癖を言ったら千円払う約束をした途端に、相手が葬式に行くと言う度に「一杯呑める」を連発し、終いには千円札を差し出しながら「一杯呑める」という始末。甚兵衛さんのアドバイスで田舎から大根100本送ってきてというと、相手の男は「田舎ってどこや?」と訊くと「沖縄や」と答える。沖縄で大根がとれるのかと突っ込まれると「天然記念物や」と答えてしまう。これじゃ相手は引っ掛からない。最後の詰め将棋でようやく相手に「つまらん」を言わせる所は通常通りだが、そこまでの両者の会話がとにかく可笑しい。会話に独特のリズムがあり、それが効果的。

一之輔『茶の湯』、最初にこのネタを聴いた時は一之輔が未だ二ツ目で、長屋の豆腐屋と鳶頭、寺子屋の3人の引越し騒ぎをカットした以外はオーソドックスな演じ方だった。以後聴く度に、中身を変えている。今では小僧の定吉の人格が荒廃し、まるでヤクザのようだ。茶の湯の客の来手が無くなると、往来を歩いている人を拉致してきて、口からホースで茶の湯を流し込むのだ。隠居といえば若い頃に芝居に凝ってついつい小僧を斬り殺し、針に凝って幇間を血だらけにしたという過去を持つ。もはやホラーだね。これを涼しい顔で語るんだから、やはりタダモノじゃない。心配なとこもあるけどね。

福笑『憧れの甲子園』、甲子園児の話しを思いきや、監督の独り語りだ。初の甲子園に出場したチームが、開会式の直後の1回戦初戦で16対0で負けてしまう。宿に戻った生徒の前で、監督が酒を呑みながら語る。最初は生徒たちを慰めるのだが、次第に怒り、ボヤキに変ってゆく。果ては校風にまで怒りが及び、「何が質実剛健じゃい、みなヤンキーやないか! 何が良妻賢母じゃい、まるで風俗養成所やないか!」とキレまくる。終いには生徒に酒を勧め「ルールは守れ、でもお前たちは未成年だから法律は守る必要はない」と言い出す。やがて酒瓶1本を空け、「こえで一升(一勝)や!」でサゲ。
文章で書いても可笑しさは伝わらない。高座を観るしかない。福笑の語り口、セリフの間、声の高低、表情が絶妙で、恐らくは他の演者がやってもこの面白さは出せないだろう。
上下(かみしも)を振らない独特の高座スタイルが活きていた。

2015/10/09

「紙屋町さくらホテル」(2015/10/8)

演劇集団土くれ 第64回公演『紙屋町さくらホテル』
日時:2015年10月8日(木)18時30分
会場:麻布区民センターホール
井上ひさし:作   
石塚幹雄:演出
<  キャスト  >
奥山規子:神宮淳子(さくらホテルのオーナー、櫻隊隊員) 
小林朝子:熊田正子(同共同経営者、隊員) 
小林真命:浦沢玲子(女学生、隊員)
相場宏:丸山定夫(新劇俳優、隊長) 
斉城薫:園井恵子(宝塚女優、隊員)  
橋本勇一:大島輝彦(大学助教授、隊員)  
小沼武司:戸倉八郎(特高、隊員)  
安原昇:針生武夫(傷痍軍人実は陸軍将校、隊員)  
川村富雄:長谷川清(薬売り実は海軍大将、隊員) 

この演劇に出てくる「櫻(さくら)隊」について簡単に紹介する。
前身は丸山定夫らによって結成された苦楽座で、宝塚を退団した園井恵子も参加していた。苦楽座解散後に桜隊と改称して日本移動演劇連盟に組み込まれ、地方への慰問巡演活動をはじめる。太平洋戦争末期に劇団の地方疎開に際して広島に15人が疎開、中国地方の慰問公演を受け持つ。原爆投下により広島市内の宿舎兼事務所にいた丸山定夫ら9人は8月下旬までに全員死亡した。
目黒区の五百羅漢寺境内に「移動劇団さくら隊原爆殉難碑」が建てられている。
櫻隊に関しては書籍や映画もある。

ストーリーは。
昭和20年5月、広島市紙屋町にある「さくらホテル」が舞台。日増しに戦況が悪化する中、軍都広島に「移動演劇隊さくら隊」がやってきた。2日後の広島宝塚劇場公演に向けて稽古に励む隊員たちだが、近く広島にB29の爆撃があるという噂が広まり隊員が集まらない。そこでホテルのオーナーと共同経営者、大学の助教授や女学生も参加し、傷痍軍人や富山の薬売りが現れ誘われるままに隊員となる。しかしこの二人の身元はどこか怪しい。ホテルのオーナーが日本人でありながらアメリカ国籍だったのでスパイの嫌疑がかかり、彼女に特高が監視につく。監視のためには一瞬たりとも目が離せず、ついに特高までが隊員となって稽古に参加する。
プロの俳優は新劇の團十郎と異名を取る丸山定夫と、映画『無法松の一生』でヒロインを演じて人気が高まった園井恵子のふたりで、他は素人たちだったが、猛稽古の末次第に演技が板についてくる。
しかし薬売りの長谷川という男は実は海軍大将で、天皇の密使として全国を行脚していた。傷痍軍人を称していた男は針生という陸軍中佐で、長谷川海軍大将を監視し、場合によっては刺殺する任務を持っていた。稽古の陰では戦争の終結を巡って両者の対決が起きる。
米国国籍の神宮が無事に舞台に立てられるか。
待望の公演は果たして幕が開くのか・・・・・。

井上ひさしの戯曲の多くは太平洋戦争中に何が起きていたのか、そして戦争責任は誰が負うべきかというテーマで貫かれている。なかでも本作品はその点が最も色濃く出ていると云って良い。
・劇中に登場する長谷川清は正三位、勲一等、功一級の海軍大将。昭和20年2月、軍事参議官の長谷川は海軍特命戦力査閲使に任命され火薬廠・鎮守府・水中水上特攻関係を査察し、6月12日に海軍戦備は士気は高いが物資不足で不備であることを天皇に報告した。この報告が終戦のきっかけの一つになったと言われている。終戦後はA級戦犯として巣鴨プリズンに服役。
・陸軍は最後の最後まで本土決戦を捨てなかった。子どもと年寄りを除く全国民が命がけで米軍との決戦に臨むという計画で、劇中では2000万人の日本人が犠牲になれば米軍は手を引くだろうと針生陸軍中佐に言わせている。
・米国に住む日本人たちは敵性外国人として強制収容所に収容されたが、2世や3世でアメリカに生まれ育ったアメリカ国籍のある者も日系ということで収容されてしまった。
・日本でも英米人に対しては同様のことが行われたが、対象はドイツ人などの同盟国の人たちも収容された。また外国人に日本国籍を与えるのは極めて稀な例だった。この作品ではホテルのオーナーである神宮がその対象となる。
・全ての俳優は当局の「鑑札」が無いと舞台に立てない。劇中では滝沢修に鑑札が下りないのは彼がアカだからと特高に言わせている。
・大島助教授の教え子が「N音の法則」を発見するくだりがある。人間が相手を否定する際に出てくる言葉は必ず「N音」になり、これは全世界共通だという。なぜなら人はN音を発音する時には唇を閉じ人間の内部と外部を遮断してしまうからだと。この教え子は特攻隊員となり戦死する。形見の手帳を大島が読み上げ、このような前途ある若者を失う戦争は断じて許せないと嘆く場面は、本作品のクライマックスの一つとなっている。実際に学徒出陣で多くの優秀な若者が戦死した。
・隊員たちが灰田勝彦の『新雪』を合唱していると針生が止めようとする場面があるが、灰田がハワイ生まれという事で軍部から睨まれていたという事実を踏まえている。
・戦時中、特高や憲兵などをやっていた人間の中に、戦後GHQの下請けとなって戦犯の洗い出しをした人間がいたのも事実だ。
・他に築地小劇場の新劇や宝塚の演技手法についての批判が丸山や園井によって行われている。

余りにテーマが多すぎてやや重点の置かれ方が希薄な印象もあったが、さくら隊のメンバーが心を一つにして3日間の夢のような時間を過ごしたという点はよく理解できた。私たちは彼らが原爆によって亡くなるのを知っているだけに、観ていて熱いものがこみ上げてくる。
井上作品らしい歌や踊りが随所に挟まれ、楽しい舞台に仕上がっていた。
「劇団土くれ」のHPを見ると、劇団員が演出を含め16人のようだ。この規模でよくこれだけの大舞台が演じられたかと感心する。役柄の年齢とのギャップやセリフのトチリはあったが、全員がこの芝居に打ち込んでいた事は十分に伝わってきた。
園井恵子を演じた斉城薫は清楚な印象で、どこか本人とも似ているなと感じた。他に針生を演じた安原昇の悪役ぶりが目に付いた。

2015/10/08

「1億総活躍相」って何やるんだい

一昨日、会社の同僚だった3人が集まり新宿の居酒屋で会食。もっともあまり食べずに飲む一方だったから「会飲」かな。話題は安倍首相が打ち出した「1億総活躍社会」に。「1億ってことは俺たちも入ってるんだよな」「今さらなに活躍すりゃいいんだ」「鉄砲担いで外国に行くのは無理だしな」「出来るのは竹槍ぐらいか」なんてしゃべっていた。
昨日発足した安倍改造内閣では側近の加藤勝信が1億総活躍相に就任したが、会見では具体的に何をやるのかは不明確だった。要は中身の無いままスローガンだけ決めたようだ。
今までに「一億」が入った標語を思いつくまま。

「進め一億火の玉だ」
最初に頭に浮かんだのは戦時中の「進め一億火の玉だ」で、大政翼賛会のスローガンだった。同じタイトルの戦時歌謡も作られていて、歌詞の最後は
進め一億 火の玉だ
行くぞ一億 どんと行くぞ
となっていた。
当時の日本人の人口は1億に満たず、統治していた朝鮮と台湾の人口を合せた数だった。戦闘員も銃後の人間も一丸となって闘おうというスローガンだ。
最後は「一億玉砕」というスローガンまで現れた。

「一億総懺悔」
戦争に敗れた日本では敗戦責任が問題となった。そこで日本敗戦直後の東久邇稔彦内閣は「一億総懺悔(ざんげ)」による天皇への敗戦の謝罪を唱えた。負けたのは私たち国民全員が悪かったのだという主張で、戦争責任をアイマイにしたわけだ。
やがて東京裁判が始まると、こちらは開戦責任が問題視された。
「一億総懺悔」はトンデモ理論であるが、今でもこうした主張に共感する人は少なくない。

「一億総白痴化」又は「一億白痴化」
この言葉は「週刊東京」1957年2月2日号における、以下の評論が広まったものとのことだ。
【テレビに至っては、紙芝居同様、否、紙芝居以下の白痴組が毎日ずらりと列んでいる。ラジオ、テレビという最も進歩したマスコミ機関によって、『一億白痴化運動』が展開されていると言って好い。】
大宅以外にも同様の発言を行った人もいて。要は「テレビというメディアは非常に低俗なものであり、テレビばかり見ていると、人間の想像力や思考力を低下させてしまう」という意味合いだ。
もしかすると「スマホばかりしてると」、同様の危険性があるかも知れない。

どうやら「一億」が含まれる標語や警句は否定的なものが多そうだ。

2015/10/06

「伊勢音頭恋寝刃」(2015/10/5)

近松徳三=作
通し狂言『伊勢音頭恋寝刃』(いせおんどこいのねたば)三幕八場       
序幕  第一場 伊勢街道相の山の場
    第二場 妙見町宿屋の場
    第三場 野道追駆けの場
    第四場 野原地蔵前の場
    第五場 二見ヶ浦の場
二幕目 御師福岡孫太夫内太々講の場
大詰  第一場 古市油屋店先の場
    第二場 同奥庭の場
日時:2015年10月5日(月)12時
会場:国立劇場
<  主な配役  >
中村梅玉:福岡貢
中村東蔵:叔母・お峰
中村鴈治郎:正直正太夫/油屋料理人・喜助
中村魁春:油屋仲居・万野
中村壱太郎:油屋・お紺
中村松江:油屋・お鹿
市川高麗蔵:今田万次郎
中村亀鶴:奴・林平
大谷桂三:徳島岩次実ハ藍玉屋北六
澤村由次郎:藍玉屋北六実ハ徳島岩次

歌舞伎は大衆芸能だ。でも客席に若い人が少ない。なんとなく難しそうで敷居が高い、入場料が高い、といった辺りが主な理由だと思う。入場料の件はどうにもならないが、芝居の中身についてはとにかく面白いし、理屈抜きで楽めるから一度は足を運んで貰いたいと願っている。        
だから劇評は、楽しさが伝わるように書いていきたい。

今月の国立劇場での芝居は『伊勢音頭恋寝刃』の「通し」となている。一部は度々歌舞伎でも上演されているが、「通し」というのは珍しく国立劇場でも初の上演となる。
歌舞伎の演目というのは、その当時に実際にあった事件を元にしたものが多い。こういうのを「際物」(きわもの)と呼ぶが、今風にいえば実録物といったところ。この芝居は、1796年(寛政8)5月に伊勢古市(ふるいち)の「油屋」で医師孫福斎(まごふくいつき)がなじみの女のことで9人を殺傷した事件を脚色したもので、同年7月に大坂で初演されている。速攻ですね。
舞台となった伊勢は当時の大人気スポットで、全国の人々は一生に一度は伊勢神宮に参拝に行くことが夢だった。この芝居の中で伊勢の名所のいくつかが紹介されていて、名所案内を兼ねていたわけだ。
歌舞伎の演目の特長の一つに「お家騒動」がある。悪者がお家乗っ取りを謀り、忠義の者たちがこれを阻み最後は悪を滅ぼすという至って単純なストーリーだ。歌舞伎の場合、善玉と悪玉とではメイクが異なるので一目見てどっちかが分かる仕組みとなっている。その大筋に家族や男女の愛憎と、笑いと涙を散りばめるというのが作劇の基本だ。この芝居では阿波の蜂須賀家のお家騒動が物語のきっかけとなっている。
もう一つ歌舞伎の題材に使われるのが「名刀」だ。名刀がしばしば権力の象徴として扱われ名刀を巡って善玉と悪玉の争奪戦が繰り広げられる。この芝居では「青江下坂」(あおいしもさか)という名の名刀とその「折紙」(折紙、鑑定書を指す)が善玉と悪玉の間を行ったり来たりする。

スートリーは、蜂須賀家の家老の息子・今田万次郎が、せっかく手に入れた名刀・青江下坂と折紙を、お家乗っ取りを策す徳島岩次一味によって奪われる。家来である奴の林平が一味の後を追いかけるのだが、これが昔のドタバタ劇と同じで喜劇仕立て。ここでかつては蜂須賀家に仕えていて今は伊勢神宮の「御師」(おんし、伊勢神宮の教えを広める役割をする下級神官)である福岡貢が登場し、一味の連中から陰謀を書いた密書を奪う。ここでは同じ二枚目ながら軟弱で滑稽味を帯びた「つっころばし」の万次郎と、柔らかいなかにも芯の通った「ぴんとこな」の貢の二人を対比させている。ここまでが序幕。
二幕目の「太々講」(だいだいこう)では、貢が太々講の金を盗んだ罪を着せられようとするのを伯母お峰に救われる話で、金を盗んだ正直正太夫のウソがばれるシーンや、貢に会いに来た油屋のお紺を貢が自分の叔母だと紹介しているうちに本物の叔母が現れるシーンなどが「チャリ場」(笑わせる場面)となっている。叔母のお峰が青江下坂を手に入れて貢に渡すのだが、全体として序幕と二幕目までは喜劇の作りだ。
大詰の「油屋」は単独でも上演される名場面で、青江下坂を入手した貢がsの名刀を万次郎に渡すために油屋を訪れるが、仲居の万野に意地悪をされた挙げ句、お梶という女から多額の金を借りながら返済しないと言い立てられ万座の中で恥をかかさえる。おまけに結婚まで約束をしていたお紺にまで愛想をつかされる。これを「縁切り」といい、歌舞伎ではしばしば使われる。怒りに震えながら必死に自分を抑える貢が役者の腕の見せ所だ。この間、名刀を藍玉屋北六がナマクラとすり替えたり、元は蜂須賀家と縁のある料理人の喜助が見破って元の通りに戻すという場面もある。お紺の愛想づかしは、実は名刀の「折紙」を北六から奪うための偽装で、お紺は貢に入手した「折紙」を渡す。余りの酷い仕打ちに怒った貢は、遂に青江下坂の刀で北六や仲居万野など多くの人を斬り殺し切腹しようとするが、お紺と喜助に止められ、刀と折紙を持って万次郎のもとへ向かう。この場面の殺陣は歌舞伎には珍しく凄惨なもので、スプラッターなシーンが展開される。

この様に『伊勢音頭恋寝刃』は見所満載の楽しい芝居となっている。
主役の貢を演じた梅玉に上品な色気があり、万野を演じた魁春の悪役ぶりが際立っていた。
他に雁治郎がコミカルな役と忠臣を演じ分け、奴林平の亀鶴の奮闘が印象に残った。

2015/10/04

鈴本演芸場10月上席・夜席(2015/10/3)

(前座は省略)
<   番組   >
柳亭こみち『饅頭こわい』
翁家勝丸『太神楽曲芸』  
柳家一琴『転失気』
春風亭百栄『鮑のし(序)』
のだゆき『音楽』
春風亭一之輔『普段の袴』
ホンキートンク『漫才』
古今亭文菊『権助提灯』
~仲入り~
アサダ二世『奇術』
柳家小三治『一眼国』

鈴本の10月上席夜の部はトリが小三治で、その3日目に出向く。この日は土曜日で代演が少なかったせいか満員。隣席の人が前日も来ていたが、可成り余裕があったそうだ。2日は代演が多かったのが響いたか。大半のお客のお目当ては小三治だろうが、それでも他の顔づけも入りに影響されるのかも。
以下に、いくつか感想を。
こみち『饅頭こわい』、唄や踊りを習っているせいか姿勢が良い。落語家のしゃべりも身に着けているので女流として期待がもてる。
勝丸『太神楽曲芸』、ああ度々ボールを落としていたんじゃシャレにならない。プロとして恥ずかしい。
一琴『転失気』、転失気を屁と知らされた時の小坊主の表情が良く、その顔だけで笑いと取っていた。
一之輔『普段の袴』、小三治が会長時代に抜擢で真打昇進させたのは、一之輔、文菊、志ん陽の3人だ。この中で文菊と志ん陽は小三治好みと言えそうだが、一之輔の芸風は小三治とは対極的といって良い。それでも評価したのは実力を認めたからだろうと推測する。このネタを聴くのは3度目か4度目だと思うが、細部のクスグリまで含め中身を変えていない。完成度が高いと判断してるんだろう。袴を借りに大家の家に行った男が、その分けを説明するのに祝儀と不祝儀が道路の角でぶつかって喧嘩になったと言う、通常であればここは大家がツッコミを入れる所だが、一之輔は大家に「楽しませて貰ったから、袴を貸してやれ」と言わせる。こういうセンスが今の人に受けるんだろう。
百栄『鰒のし(序)』、上手いか下手かと訊かれれば、この日に出た真打の中では最も下手だと答えるだろう。滑舌が良いとは言えないし喋りもモッチャリしている。だけどどこか不思議な可笑しさがある。「ふら」があるからかな。
文菊『権助提灯』、この日の口演で気が付いたのだが、嵐の日に本妻が主人に、こういう日は妾の家で泊るように勧めるのは嫉妬心が無いからではなく、むしろ当てつけだったのではないか。だから妾もそう感じて旦那の受け入れを拒んだのだと思う、その先は双方の意地の張り合いで旦那は両家の間を行ったり来たり。その様子を皮肉な目で見る権助。チョットした心理劇を見てるような気がした。文菊は軽いネタを丁寧に演じていた。
アサダ二世『奇術』、小箱に腕時計を入れて外から鍵をかけ、その腕時計をパンの中から取り出して見せると言う、この人には珍しい本格的なマジックを見せていた。
小三治『一眼国』、浅草奥山での見世物小屋の風景から、「オオザル、コザル」「ベナ」のインチキ見世物をマクラに本題へ。客が入らず困った見世物小屋の男が六部を呼んで珍しい話しを聞かせると頼む。初めは炊き立ての白米に鰻を付けると言うのだが、六部が妙案が出ないと知ると冷や飯に水を掛けて食えと態度を変える。通常の高座ではカットされる事の多いこの導入部を演じた。後は飯を食いながら六部が思い出した「一つ眼」を話を信じて教えられた場所に向かい、まんまと一つ眼の少女を攫おうとするが逆に見つかり、というお馴染みの筋。ネタのせいなのか、あまり小三治らしさは感じられなかった1席。

2015/10/03

この分じゃ寄席の楽屋は「国宝」だらけになっちまう

三遊亭圓楽が「桂歌丸を人間国宝に」とよびかけ、ネットで署名運動を始めたと報じられた。署名は文部科学省に提出するようだ。
まあ、なんですな、もし歌丸が人間国宝になったら、いずれ寄席の楽屋は人間国宝だらけになりますね。「蝶々蜻蛉も鳥のうち」なんてね。
落語家も若いうちはマスメディアに出演して名前を売るのは良いことだ。知名度を上げファン層を拡げる効果が期待されるからだ。ただ、ある年齢に達したらメディアとは距離を置き、本業の芸一本に打ち込むべきだと思う。米朝も、志ん朝も、談志も、皆そうしてきた。
いつまで経ってもTVのバラエティ番組に出ているようじゃ芸人としては大成しない。先代の圓楽しかり、当代の文枝、歌丸も又、しかりだ。
芸を磨き極めるというのは、そんな簡単なもんじゃない。
第一、署名で人間国宝にするなんて、聞いたことがない。
本人たちは「笑点」の番組宣伝のつもりかも知れないが、軽率な話しだ。

2015/10/02

映画の中の「イヌ」

ここのとこ日々、古い映画のDVDを観ている。最も古いものだと私が生まれるはるか前の1930年のものから、新しい映画では1950年代、つまり私が小学生上級から高校生になる頃までの青春期(なにせ早熟だもんで)に公開されたものだ。名画座とよばれた映画館で観たものもあれば見損なったもの、その後にTV放映で観たものもある。今の所はフランスやイタリアなどヨーロッパ映画が中心だが、これからもう少し範囲を広げるつもりだ。
1930年代の映画となると時間の流れがユッタリとしている。まるで5代目柳家小さんの落語を、それよりは3代目三遊亭小圓朝の世界に近いか。むろんモノクロだが画面の美しさに感心する。カメラアングルや影の写し方が巧みなのだ。当時の街並みや人々の息遣いまで聞こえてきそうになる。
古いフランス映画を観ていて思ったのは、イヌが出てくるケースが多いのと、これが実に効果的に使われていることだ。
先ずは『禁じられた遊び』から。
監督と脚本は巨匠ルネ・クレマン、映画全編に流れる音楽はナルシソ・イエベス、主演の幼い少女ポーレットをブリジッド・フォッセー、そして少年ミッシェルをジョルジュ・プージュリーが演じた映画史上に残る名画だ。1952年の作品。
この作品だが、映画館で観たのは10代前半だったと思う。12歳年上の兄から勧められ新橋の名画座で観たが、2本立てだった。1本がこれで、もう1本が『真昼の決闘』。ところが期待した『禁じられた遊び』はサッパリ面白くなく、ついでに観た『真昼の決闘』の方がやたら面白かった。
今になってこの理由を考えてみると、一つは私の年齢が低すぎて良さが理解できなかったこと。もう一つは『禁じられた』を途中入場して後半を、『真昼』を全編観てからまた『禁じられた』の前半をという具合に切れ切れになってしまった事があげられる。だからストーリーも頭に入ってないし、面白さも分からなかったのだ。その印象だけが残って今に至り、今回もう一度観かえしたという次第。
そうしたら、これが素晴らしいのだ。ご存知の方も多いだろうから解説は省くが、これほど静かに「反戦」を訴えた映画は他にあるまい。そして二人の子役の演技もこれ又映画史上に残る名演だ。
さてイヌの話しだが。
第二次世界大戦中の1940年、ナチスドイツの進攻を逃れ、都市から逃げてきた難民の列が南フランスの田園地帯で列をなしていた。それを狙ったドイツ空軍が爆弾の雨を降らせる。幼いポーレットを連れた両親は物陰に隠れるが、ポーレットが抱いてイヌが飛び出してしまい、ポーレットがそれを追いかける。両親が後を追うと、そこに敵機の機銃掃射が襲いかかる。少女をかばおうとした両親は背中を打ち抜かれ死亡、犬も打たれたのか痙攣している。
立ち上がり 一人歩くポーレットは後ろから来た馬車に乗せられた。乗っていた女はポーレットの抱く犬を見て、「死んでるよ」 犬を川に放り投げた。その犬の死骸を、馬車から抜け出たポーレットが追いかける。犬を拾い上げ、そのまま犬の死骸を抱いたポーレットは田舎道を歩く。
牛を追ってきた近くの農家の少年ミッシェルがポーレットに出会った。
「・・・どうしたの?」 
「・・・犬が死んだの」 
「どこから来たの?」 
「あっち」 
「ママは?」 
「死んだ」 
「パパは?」 
「死んだの」
ミッシェルは犬をそこへ捨てさせ「別の犬をやるよ」と言って、ポーレットを家に連れ帰った。
そのままポーレットはその農家に住むことになる。貧しいが親切な家族はポーレットを可愛がってくれる。
ある日、ポーレットはミッシェルから死んだ人は埋葬され、お祈りを捧げられることを教えられる。
「私のママとパパは?」
「もう穴に埋められてるよ」
「雨が降っても濡れないように?」
「そう」
「私のイヌは濡れちゃうわ」
翌朝、ポーレットは捨てた犬を拾いに行き、ミッシェルと一緒に廃墟になった水車小屋の中に穴を掘った。水車小屋には主のようなフクロウがいて、ミッシェルはそのエサのモグラの死骸を持ってきて犬と一緒に埋めてやった。ポーレットが、イヌが一人では寂しいからと言うので。
「・・・父と子と聖霊の名によりて、彼と天国に迎えたまえ・・・」 ミッシェルは村の司祭から教わったお祈りを奉げた。ポーレットも真似をして胸に十字をきりながら土を被せていく。
「十字架を立てよう」 
「十字架って?」 
「神様だよ」 
枝を折り、十字架にして土の上に立てた。二人は虫などの死骸を見つけては墓に埋め十字架を次々と立てる。こうして二人だけの秘密の墓地が出来上がるのだが・・・。
そうか、最初に墓を掘り十字架を立てたのは愛犬のためだったのだ。それもイヌの死骸が雨に濡れると可哀想だからという理由で。
この悲しみを通して観客は戦争に対する怒りが湧いてくる。

もう1本は、ジャン・ギャバン主演の『霧の波止場』で、監督はマルセル・カルネ、1938年の作品だ。
脱走兵の主人公ジャンは逃げる途中でトラックに乗せて貰う。夜道にイヌが飛び出してきて危うく轢きそうになるが、ジャンが運転手からハンドルを奪い咄嗟によける。怒った運転手からジャンは車から降ろされるが、くだんのイヌが後から付いてくる。ジャンが何度も石を投げて追い払おうとするが、イヌはジャンから離れようとしない。ある日、ジャンは街で女性と知り合うが、彼女は孤児で、引き取られた先の名付け親の男からしつこく迫られていた。見かねたジャンが男を脅し、女から引き離す。やがてジャンは知り合った医師の紹介で南米行きの船に乗れる事になるが、出航寸前になって女性の事が気になり家に向かうと、果たしてそこに名付け親の男が来ていた。ジャンと男は格闘になり、男は銃でジャンを射殺してしまう。
船室ではジャンとずっと行動を共にしてきたイヌが待っていたが、ジャンは戻って来ない。いよいよ出航の汽笛が鳴り船が出発する寸前になって、イヌは船室を飛び出し桟橋を駆け抜け、ジャンにいる家に向かって一目散に走って行く。これがラストシーンだ。
脱走兵と野良犬との触れ合いが巧みに描かれ、ラストのイヌが桟橋を駆け抜けるシーンによってこの物語の悲劇性をより際立たせていた。
もしこのイヌがいなければ、もっと平凡な作品になったに違いない。陰の主人公だと言える。

2015/10/01

2015年9月の人気記事ランキング

菅義偉官房長官が9月29日のフジテレビの番組に出演し、福山雅治と吹石一恵の結婚公表を受け、「この結婚を機に、ママさんたちが一緒に子供を産みたいとか、そういう形で国家に貢献してくれたらいいなと思っています。たくさん産んで下さい」と述べたことが問題となっている。
もちろん、この発言は安倍晋三首相が9月24日の会見で掲げた「1億総活躍社会」「希望出生率1.8の実現」のスローガンを受けたもので、フジTVという応援媒体の中だから気を許し、ついつい首相にヨイショしたくなったんだろう。さ・菅官房長官、軽い男だね。
戦前じゃあるまいし、「国家のために子どもを産んで欲しい」なんて実に嫌な発想だが、主要閣僚がこういう言葉を簡単に口にするいうのも現在の安倍政権の体質の表れだ。

さて当ブログ9月の人気記事ランキング、TOP10は以下の通り。

1 【ツアーな人々】消えた添乗員
2 これにて休会とは実に残念!#19「らくご」古金亭(2015/9/12)
3 #152朝日名人会(2015/9/19)
4 #67扇辰・喬太郎の会(2015/9/5)
5 扇辰・白酒二人会(2015/9/15)
6 【ツアーな人々】当世海外買春事情
7 「出囃子」は生演奏で
8 国立演芸場「上方落語会」(2015/8/29)
9 こまつ座「國語元年」(2015/9/3)
10 ザ・柳家権太楼Ⅱ(2015/9/26)

1,6位は毎月の常連記事、9位は劇評、それ以外の7本はいずれも落語関係だ。2位の記事では「古金亭」の休会を惜しむ声が強かった。8位は8月に続くランクインで上方落語に対する関心の高さをうかがわせる。落語関連で7位だけが落語会の感想以外の記事だ。詳しい方からいくつか誤りを指摘され訂正したが、不勉強を恥じる次第。

なおcocolog-niftyでは、いくつかアクセス解析のツールがあり、その中には男女比というのもある。むろん推測値だが、
男性:80-90%
女性:10-20%
という傾向はずっと変わらない。愛読者は圧倒的に男性で、裏返せば女性には不人気ということだ。反省。

年代ではこれも推測値だが、
30-40代:75%
50代以上:5%
程度となっている。50代以上が意外に少ないという結果だ。

地域別は比較的正確なデータの様だが、9月は以下の様な結果となっている。
東京都が全体の45%程度を占める
東京を含む首都圏で60%近くを占める
対人口比率で最も高いのは宮城県
大阪や京都など近畿圏は少ない
全国で佐賀県だけはほぼゼロに近い
と圧倒的に関東が多い。恐らくは東京落語を記事にしているせいかと思われる。近畿圏からのアクセスが多少増えてきたのは、ここ最近上方落語をとりあげている為か。

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