圓蔵が提起していた「名跡の在りかた」は傾聴に値する
先日の「8代目橘家圓蔵」追悼記事で書き洩らしたことがあるので付け加えさせて貰う。
それは落語家の「名跡」の在り方についてだ(『圓鏡から圓蔵へ』より)。
圓蔵によれば落語家の亡くなるとその名跡はその家に所属する。具体的には亡くなった落語家の未亡人が管理することが多いのだそうだ。だから名跡を継ごうと思えばその管理者の承諾が要る。言い換えると、管理者の意思で名跡が継承されてしまう。
圓蔵が言うには、落語家の女房には、亭主の功績をまるで自分の力の様に勘違いしている人が多いという。こういう人たちが名跡を管理しているのは問題があると言うのだ。
圓蔵の主張は、名跡を名乗った落語家が死去した後は名跡は協会に返すルールにしたらどうかと。そして以後の名跡管理は協会が行うことにする。圓蔵自身は自分の場合は名跡は協会に返上するつもりだと語っていた。
襲名で苦労した圓蔵の言葉は重い。
8代目圓蔵は圓鏡、圓蔵の2代の襲名に苦労している。
圓蔵の襲名の経緯はこうだ。
圓蔵の名跡は6代目三遊亭圓生が預かっていた。それを一代限りと言う一冊を入れて圓生から借り、7代目圓蔵は襲名をしている。従って7代目圓蔵の死後、名跡の権利は元の圓生に戻されていた。圓生の死後は未亡人が権利を継承していた。
8代目円蔵を襲名するにあたり、先ず圓生の未亡人に内諾を得た後に、改めて当時落語協会会長だった5代目柳家小さんに同行して貰い、圓生未亡人宅を訪れて圓蔵襲名の許可を得た。
圓蔵談によれば、この時は菓子折り一つで済んだとのこと。ということは、他では金銭が絡むケースもあるのだろう。
こうした慣習は現在も続いているようだ。
11代目馬生襲名の披露口上では、一門を代表して伯楽が「10代目馬生の奥様の意向」で決まったと明言していた。
正蔵や三平の名跡の権利は今でも根岸が管理しているのだろう。
こうした悪しき慣習を見直すためにも、落語界全体として是非この圓蔵の提案を検討して欲しい。
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コメント
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圓蔵は提言者でもあったんですね。
今の圓生の問題にも通じる話だと思います。
売れている頃はクタクタで、針を足に刺して目を覚ますくらいだったそうです。
ユーチューブで『湯屋番』を聴いて偲んでおります。
投稿: 福 | 2015/10/19 07:16
福様
本人が亡くなると未亡人が権利を持つという慣習はおかしいです。遺産相続じゃあるまいし。名跡の襲名で圓蔵がそれだけ苦労したという事でしょう。
投稿: ほめ・く | 2015/10/19 11:18