フォト
2023年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  
無料ブログはココログ

« 2015年10月 | トップページ | 2015年12月 »

2015/11/30

2015年11月アクセスランキング

当ブログの11月の記事別アクセス数TOP10は以下の通り。

1 H27年度NHK新人落語大賞の感想
2 コミュニケーションの難しさ!「オレアナ」(2015/11/9)
3 落語家の逮捕と、ついでに落語家の講演料について
4 「自由席での席取り」は止めて欲しい
5 【ツアーな人々】消えた添乗員
6 #12雀昇ゆかいな二人(2015/11/10)
7 「通し狂言 神霊矢口渡」(2015/11/5)
8 「桜の園」(2015/11/13)
9 【ツアーな人々】機内で隣りの席に大きい人が
10 チェコ・フィル「新世界より」に感動

TOP10の内訳は落語関連4本、劇評3本、コンサート評1本、ツアー関連が2本となった。
特徴的なのは劇評が3本入ったことで、特に「オレアナ」は劇評として過去最高のアクセス数を記録した。歌舞伎の劇評が毎回コンスタントなアクセスを獲得しているのは書き手が少ないからだろう。
クラシック音楽の評がランクインしたのは初だ。それだけチェコ・フィル「新世界より」の演奏が素晴らしかったという証明だと思う。
落語関連でライブの評が1本だけというのも珍しい。反面、数十年ぶりに見たTVの「NHK新人落語大賞」の記事の多くのアクセスが集まったのには驚いた。メディアの影響力の大きさを再認識させられた。
「自由席での席取り」や「機内で隣りの席に大きい人が」については同じ思いをした方が少なくなかったものと推察する。
ランクインこそしなかったが「テロとの戦い」に関する記事に関心が寄せられたのは喜ばしい。

2015/11/28

「菊地直子への無罪判決」から「公正な裁判」について考える

オウム真理教が1995年に起こした東京都庁郵便小包爆発事件で、爆薬の原料を運んだとして殺人未遂幇助などの罪に問われた元信徒・菊地直子被告(43)の控訴審判決が11月27日東京高裁であった。大島隆明裁判長は「被告に犯行を助ける意思があったと認めるには合理的な疑いが残る」と述べ、懲役5年とした一審・東京地裁の裁判員裁判による判決を破棄し、被告を無罪とした。
昨年6月の一審判決は、被告が事件前に「劇物」などと記された薬品を運んでいたことなどから、「人の殺傷に使われる危険性を認識していた」と認定。爆発物取締罰則違反の幇助罪の成立は認めなかったが、殺人未遂の幇助罪は成立するとした。
しかし、この日の高裁判決は「危険な物であっても、直ちにテロの手段として用いられると想起することは困難」と指摘。被告は教団幹部ではなく、他の一般信徒と同様に教団の指示や説明に従うしかない立場だったことなどから、「教団が大規模なテロを計画していると知っていたとは言えない」と述べた。
一審では教団元幹部の井上嘉浩死刑囚(45)が法廷で証言し、当時の被告とのやりとりから「テロの計画を被告は理解していると思った」などと語った。一審判決はこれらの証言を有罪の根拠の一つとしていたが、高裁は「多くの人が当時の記憶があいまいになっているなか、証言は不自然に詳細かつ具体的だ」と述べ、証言は信用できないと判断した。
菊地被告は1995年に警察庁から特別手配され、2012年6月に警視庁により逮捕された。特別手配中の被告と同居していた男性(44)は、犯人蔵匿などの罪で執行猶予付きの有罪判決を受けている。

この裁判の争点は、菊地被告が爆発物の原料であることを知っていて運搬していたかどうかだ。一審では菊地被告が認識していたという判断だったが、高裁は被告にはそうした認識はなかったと判断した。
その違いは、証人の井上嘉浩死刑囚の証言が信用できるかどうかが分かれ道になっていた。都庁郵便小包爆発事件は井上が計画したもので、主犯である井上の証言は決定的といえる。井上は既に死刑が確定しており、司法取引は考えにくい。そうした所から一審では信用がおけるとしたのだろう。
これに対して高裁では、井上証言があまりに詳細で具体的過ぎるから信用できないと真逆の判断をした。

また、一審が裁判人裁判だったことから、この制度の意味が問われることになる。
これを機に、制度の廃止を考えた方が良いだろう。

菊地直子被告は17年間逃走した理由については、「出頭すれば真実が曲げられると思った」と説明していた。私はこれこそが今回の無罪判決の大きなポイントだと見ている。
もしこの裁判が事件のおきた20年前の直後であったら、菊地は間違いなく有罪だったろう。当時はオウムの関係者であれば、微罪であってもかなり厳しい判決が下された。
一連のオウム真理教の事件は単なる刑事事件ではない。政府の転覆を謀ったという公安案件だった。だから他の刑事事件と比較しても量刑は厳しかった。また世論もオウムに対しては厳刑を求めていた。
しかし、20年経った今では、そうした空気は薄れている。菊地の裁判でも「疑わしきは被告人の利益に」という刑事事件の裁判の原則が守られたと見てよい。
見方を変えれば菊地直子の「逃げ得」という結果になった。
裁判の行方を左右する要因として、
・政府(政権)の意向
・世間の空気
がある事は否定できない。
この度の判決から、「公正な裁判」とは何か、それは実現可能なのか、という問題を改めて考えさせられた。

2015/11/27

【憧れの映画スター】ジーナ・ロロブリジーダ

Lollobrigida

少年時代の最大の娯楽は映画だった。母親が映画好きだったので、小学校就学前後あたりから邦画に連れて行ってもらった。多分、私の入場料は無料だったのだろう。ただ小学生には内容が難しくてあまり面白くはなかった。小学校の中学年になると学校の友人たちや親戚の人と一緒にターザン映画やチャンバラ映画を見に行くようになり、こちらは楽しかった。
小学校の高学年になる頃から洋画を見るようになった。一つは隣家に住む同級生の母親が新宿武蔵野館のモギリをしていて、その友人と一緒だとタダで入れた。もう一つは12歳年上の兄が税務署に勤めていたのだが、入場税の係りだったので管内の映画館だと兄が一緒なら無料で入れた(今なら問題になるだろうけど)。そんな事情からせっせと映画館通いができた。
小学生ボウズといえども男の端くれ、洋画ではついつい女優たちの姿に眼が行ってしまう。その頃に見た映画に『空中ぶらんこ』(Trapeze)がある。ハリウッドの人気スターだったバート・ランカスターとトニー・カーチスが主演だったが、助演のジーナ・ロロブリジーダの美しさに目を奪われた。

Photo

世の中にこんな綺麗な人がいるのかと。美人なのは勿論のこと、日本人とは体形が違い見とれてしまった。後からDVDなどで確認すると空中ブランコのシーンはスタントを使っているが、簡単なロープを使った芸やトランポリンでの回転などは本人が演じている。
題名通りのサーカスの空中ぶらんこ乗りの物語で、通俗的なストーリーながら娯楽作品としては良く出来ていたが、この作品はジーナの魅力抜きでは語れない。
スチールを見ると近ごろの女優やタレントに比べるとふっくらとしているけど、私は女性の美しさは曲線美だと信じている。なにか割り箸を並べたような足を見せて「美脚」を押し売りする傾向があるが、本当の美脚はジーナの様な足を言う。
その後、彼女が映画『美女の中の美女』(La donna più bella del mondo)に主演していると聞いて、タイトル通りだと思った。この作品の中では歌手の役で歌を披露している。吹き替えの様だが、ジーナは歌手としてもショーやTV番組に出演しており、歌には自信があったのだろう。
『ノートルダムのせむし男』(Notre-Dame de Paris)ではエスメラルダ役で広場でのダンスシーンがあるが、官能的で見事な踊りを見せている。  
エキゾチックで野性的な魅力から、『ノートルダム・・』や『花咲ける騎士道』(Fanfan la Tulipe)(初期の初々しいジーナの姿が見られる)ではジプシー娘を、『パンと恋と夢』(Pane, amore e fantasia)では逞しい村娘を演じているが、後年の作品に比べこれら初期の作品の方が彼女の魅力が際立っていたように思う。  
ソフィア・ローレンと並んでイタリアの国民的映画女優であるジーナ・ロロブリジーダは80歳過ぎた今も健在で、youtubeなどでは可愛らしいオバアさんの姿が見られる。

2015/11/26

原節子の死去に思う

昨日、原節子の死去が報じられた。亡くなったのは今年の9月5日で95歳だった。原は1963年の女優引退後は一度も世間に現れず伝説的な存在となっていた。また生涯を独身で通したことから「永遠の処女」という綽名が付けられていた。2000年に発表された『キネマ旬報』の「20世紀の映画スター・女優編」で日本女優の第1位に輝いた所から、原節子を知らない世代の人でも名前は聞いたことがある方は多いだろう。
かく言う私もその一人だ。
原が出演した映画公開時にみたのは2本だけで、母に連れられてみた『晩春』と、小学校の講堂でみた『ノンちゃん雲に乗る』である。前者は小学校入学前後だったと思うが、娘を嫁がせ一人残った父親がリンゴの皮を剥くシーンだけが印象に残っていて、原が出演していた事さえ憶えていない。後者では原は主人公の母親役で印象は薄く、こちらはノンちゃんを演じた鰐淵晴子の可愛さ、それもバレーを踊るシーンでパンツが見える場面だけ鮮烈に記憶しているという、なんたる不謹慎。
原節子の代表的作品を観たのは成人後のTV放映やビデオだった。終戦の年には25歳だったから、いわゆる娘役は戦前の作品になるのだろう。戦後の原の役柄は学校なら教師、家庭なら行き遅れの娘(当時の結婚適齢期を過ぎていた)や嫁、後半になると母親役が増えてくる。
その原が最も美しく輝いて見えたのは『お嬢さん乾杯!』(1949年)だと思う。没落した上流階級の令嬢役だったが、上品な中に戦後の溌剌とした女性像が描かれていて、彼女を見ているだけでウットリしてしまう。
同じ年に公開された『青い山脈』では女教師役で、こちらも戦後の自立した女性像が描かれていた。ただ映画としてはそれほど優れた作品とはいえず、むしろ主題歌の『青い山脈』の方が印象に残っている。藤山一郎と奈良光枝のデュエット曲として大ヒットした。横道に外れるが奈良光枝は美人歌手として人気があり、美貌を買われて映画『或る夜の接吻』の主役に抜擢された。主題歌の『悲しき竹笛』は大ヒットとなり、デュエットした近江俊郎もスターダムにのし上げた。
なお映画『青い山脈』の挿入歌である『恋のアマリリス』(私はこっちの方が好きだ)は二葉あき子の歌でヒットし、当時のレコードでA面B面が両方ともヒットしたという記録が残されている。
1949年は原節子の当たり年で、小津安二郎監督と初めて組んだ『晩春』も公開されている。リアルタイムでの感想は前に記した通りだが、後年になって改めて観ると初老の父親が行き遅れの娘を嫁にやる悲哀というテーマはその後の一連の小津安二郎作品の出発点になっている。自分が娘を持って初めて分かったことだが、父親というのは娘には特別の感情を抱くものだということ。
このテーマは小津と原のコンビの代表作である『東京物語』では父親と戦死した息子の嫁という関係に置き換えられているが、双方の感情は父と娘そのものだ。
こうして見ていくと、戦後に原節子が演じた役は新時代に相応しい積極的で自立した女性像と、戦後に残る古い家族制度の中で生きてゆく女性像という、相反する二つの女性像を演じている。それが何の矛盾もなく納まっている所に彼女の個性や演技力があるのだろう。

原節子という女優の特長を一言で表せば「清楚」だと思う。何を演じてもそこにあるのは「清楚」だ。
それは彼女の長所でもあり、限界でもあったのではなかろうか。引退後は世間に出ず伝説となったのは、彼女にとっては正解だったと思われる。

2015/11/25

だから言わんこっちゃない「トルコによるロシア機撃墜」

先日トルコで行われたG20では各国が「テロとの戦い」で合意した。これに対して当ブログでは”今後「テロとの戦い」を理由として本来の目的以外の、こうした「ドサクサ紛れ」の行動が各国に拡がる可能性がある”と指摘した。何故ならテロに対する定義が各国バラバラなので、いかようにも解釈が出来るからだ。国によっては自国に反対する勢力は全てがテロであり、それに対する攻撃を合法化する恐れさえある。
その具体的事象が今回の「トルコによるロシア機撃墜」と言える。

先ずシリアをめぐるロシアとトルコの思惑を見てみよう。
現在のシリアのアサド政権に対しトルコや欧米諸国はこれを打倒すべく反政府勢力を援助してきた。しかし反政府勢力側が分裂し、今ではいわゆる反政府勢力とISとの別れてしまった。そこでトルコや欧米諸国はシリアの反政府勢力を支援しながら、同時にシリア政府とIS双方を叩くことになった。
ロシアはシリアのアサド政権を支援しているから、ISを含む反政府勢力は全てテロリストだ。エジプトでのロシア民間機の撃墜とG20の合意を受けてロシアはシリアへの空爆を強めているが、対象はISだけではなく反政府勢力全体に拡大させている。というより、むしろIS攻撃を口実にして反政府勢力を標的にしているというのが実情だ。

トルコ軍の発表によると、11月24日午前にトルコ南部上空を侵犯していた国籍不明機に繰り返し退去するよう警告したが、領空侵犯を続けたため撃墜。機体はシリア北部ラタキア県クズルダー付近に落ちたという。ドアン通信によると、ロシア機は撃墜される前、シリアのトルコ系少数民族トルクメン人の居住地域を爆撃していたという。パイロット二人はパラシュートで脱出したものの、反政府勢力によって射殺されたもようだ。
ロシアのプーチン大統領は同日、トルコのF16戦闘機に撃墜されたことを認めた上で領空侵犯を否定し、「テロの共犯者による背後からの攻撃で(ロシア兵の命が)失われた」とトルコを強く批判した。
トルコはロシア軍機が「領空侵犯した」としているが、ロシア国防省は、領空侵犯していなかったことを示す客観的なデータがあると主張している。
プーチン氏は、攻撃がトルコ国境まで約1キロのシリア領内で行われたとして「我々はトルコを脅かしてはいなかった」と強調。その上で「今日起きた悲劇は、ロシア・トルコ関係に深刻な影響を残すだろう」と強い不快感を示した。

一見するとロシアとトルコの主張は正反対だが、真相は単純だと思う。ロシアはいつもの通り反テロを口実として、反政府勢力の拠点の一つであるシリアのトルコ系少数民族トルクメン人の居住地域を爆撃していたのだろう。一方この勢力を支援してきたトルコにとっては見逃すことが出来ない。トルコの領空を侵犯したとしてロシア機を撃墜した。実際に領空を侵犯したかどうかはパイロットが死亡した以上、死人に口なしだ。
ロシアのプーチンは戦闘機が撃墜され乗務員までが殺害されとあっては黙ってはいられぬ。トルコをテロの共犯者だとして最大限の非難を行った。
トルコからすれば、テロとは無縁の住民に対して一方的な空爆を行ったロシアこそテロリストだ。
またプーチンは、ISの資金源とされる石油の密売を念頭に「我々は(シリアの)占領されている地域から、膨大な石油と石油製品がトルコ領に運ばれている事実を長期間つかんでいる」と指摘。トルコのISに対する甘い姿勢が、欧州などでのテロを許す一因となっているとの見方を示した。欧米がシリア政府を打倒するため反政府勢力を援助した際に、支援物資はトルコからシリア領内に運ばれた。そのルートが今はISの密売ルートとして使われているのは事実だろうし、トルコ政府がある程度黙認している可能性もある。
つまりトルコもロシアもそれぞれ主張している事は間違っていない。要はどちら側から見るかの問題だ。Aから見ればBはテロリストであり、Bから見ればAがテロリストだ。
米国とEU諸国はトルコ側を支持する事になろう。

テロの定義を曖昧にしたままG20で合意した「テロとの戦い」が意に反して、世界の争乱に拍車をかける要因になりかねない。
日本も今後、集団的自衛権の名の元にその一方に軍事的加担をすれば、相手側にテロの共犯者呼ばわりされる可能性がある。
今回の件を対岸の火事とせず、十分に行方を注視せねばなるまい。

【加筆】11/26
ロシアのパイロットのうち一人はその後生存が確認され、トルコからの警告は無かったと証言している。
またロシアはシリア領内にミサイルを配備する計画を発表したが、この事件を受けてのものと見られる。
欧米諸国は予想通りトルコ側を支持しているようだが、トルコとISとの密売ルートについては沈黙している。

2015/11/23

落語家の逮捕と、ついでに落語家の講演料について

落語家が事件のニュースにとりあげられる事は稀で、しかもそれが脱税事件とあっては注目せざるを得ない。以下、産経ニュースより引用。
【「“偽造遺言書”で寄付装い5億円脱税 容疑で男7人逮捕 大阪地検特捜部」(見出し)
和歌山県の社会福祉法人「敬愛会」に巨額の寄付がなされ、直後に出金されて使途不明になっていた事件で、相続した遺産を同法人に寄付したように装い、約4億9500万円を脱税したなどとして、大阪地検特捜部は22日、相続税法違反などの容疑で不動産管理業、高木孝治容疑者(73)=大阪府東大阪市=や会社役員、帖佐勝也容疑者(37)=大阪市北区=ら7人を逮捕した。特捜部はいずれも認否を明らかにしていない。
他に逮捕されたのは、税理士の岩上順容疑者(63)=同=や落語家の桂小軽(おかる)容疑者(64)(本名・西裏文雄)=東大阪市=ら。7人の逮捕容疑は共謀し平成26年9月、高木容疑者が死亡した兄から約10億5千万円相当の遺産を相続したのに2億円以外は敬愛会に寄付するとした虚偽の遺言書を税務署に提出。相続税約4億9500万円を脱税したとしている。複数の関係者によると、高木容疑者は帖佐容疑者や桂容疑者らを通じて、共犯として逮捕された敬愛会元理事、榎森広高容疑者(48)=堺市南区=と接点を持った。岩上容疑者は税理士として一連の寄付に関与したとみられる。
高木容疑者は今月中旬、産経新聞の取材に「自分はだまされただけ。(税務署側と)追って納税する約束をした」と話していた。
関係者の告発などで不正寄付が発覚。国税当局と特捜部が先月21日以降、関係先を家宅捜索し、関係者から事情を聴いていた。】

遺産が10億も入ったが税金を払いたくないので社会福祉法人へ8億ほど寄付したかのように装って、その分の税金を脱税したというのが今回の事件の構図。税理士だのくだんの社会法人の元理事だのがグルになって仕組んだものと思われるが、落語家がどう関与したのかイマイチこの報道だけでは分からない。

逮捕された桂小軽の経歴はwikiによると、ざっと以下のようだ。
1950年12月23日生れの大阪市出身の落語家。吉本興業所属。上方落語協会協会員。出囃子は『大拍子』。
子供のころNHK大阪児童劇団で活動。
1968年4月 - 関西大学経済学部入学。
1971年3月 - 5代目桂文枝(当時:桂小文枝)に入門。5番弟子。
1972年 - 関西大学経済学部卒業。
1977年2月6日に放送された桂三枝(現・6代桂文枝)司会の『いたずらカメラだ!大成功』の番組でライオンがいる檻の中に何も説明も無いまま放り込まれライオンに襲われ怪我をした事で一躍有名になった。
他にもラジオ関西「テレテレ三度笠!」のパーソナリティーを小山乃里子、露の小治郎(後の五所の家小禄)等と務めた。
1980年代、吉本を離れ廃業していた時期があり東京で劇団を作ったり、司会業などをしていた。
1992年、吉本復帰。
本人によると「尼崎などでお年寄り招待の会をしています」とある。
落語家としての実績が書かれていない所をみると、あまり売れてないのかな。

もう少し調べていくと、講演依頼というサイトに桂小軽が登録されていた。講演テーマとして教育、母子家庭、夫婦、男と女、ことばと並んで「社会福祉」とあり、「落語を通じての年寄りとのふれあいで感じた秘話や体験談」と書かれている。
もしかしたら、この関係で今回の社会福祉法人を舞台とした脱税事件に関与したのかも。
なお、講演料は15万円(税、交通費別)で、結構取るんだね。

このサイトには沢山の噺家が登録されていて、「笑点」出演者では歌丸と昇太を除く5人に座布団運びの山田君まで登録されいる。講演料は非公開とあるが、きっと高いんだろうね。
他にも大勢の落語家が登録されていて、公開されている講演料は次の通り。
三遊亭白鳥:17万円
桂かい枝:29万円
林家うん平:20万円
三遊亭右紋:30万円
三遊亭らん丈:15万円
などなど、だ。落語家としての実績とはリンクしてない感じがするけど。
噺家のギャラがいくらか知らないが、きっと講演料の方が高いのだろう。
聴いた事がないので何とも言えないが、枕にケが生えた程度の内容であれば、大して参考にはなるまい。
永年、寄席や落語会に通ってるが、人生の参考になったことなど記憶に無いしね。
あまり書くと営業妨害になるので、この辺りでお開き。

2015/11/21

「テロとの戦い」を理由とした「ドサクサ紛れ」と「ワル乗り」

前回の記事で「テロとの戦い」というのは立場によって解釈が異なり、それが悪用される危険性を指摘したが、この事が決して杞憂に終わらない事を示すニュースがあった。

在英のシリア人権監視団は11月20日付の声明で、ロシア軍がシリア空爆を開始した9月30日以降、同軍の攻撃による死者数は1331人に達したと発表した。
監視団はその内訳として
・民間人が403人
・国際テロ組織アルカイダ系の「ヌスラ戦線」など反体制派が547人
・過激派組織ISのメンバーが381人
それぞれ死亡したと伝えている。
今回のロシアによる空爆は、先日起きたISの犯行とみられる航空機の爆破に対する報復と見られるが、それならISのみを対象にすべきだろう。むしろ人数からいえばISよりロシアが支援するシリア政府と対立している反政府勢力を「ドサクサ紛れ」に標的にしていた可能性が高い。まして戦闘とは無縁の民間人を400人以上殺害した罪は極めて重い。
「腹いせ」と「ワル乗り」行為と言っても過言ではない。
犠牲者からすればロシア軍こそテロリストである。

もう一つは中国の動きだ。
今月トルコで開催されたG20を前にした16日、中国の王毅外相は、新疆ウイグル自治区の過激派との戦いも世界的な「テロとの戦い」の重要な一部との見解を示していた。その理由として、新疆では暴力事件が頻発しているが、それら全てが東トルキスタン・イスラム運動(ETIM)が主導するイスラム過激派の仕業だと断定している。そのETIMがアルカイダとつながっていると中国は主張している。
しかし、これらについていずれも明白な根拠は示されていない。
新疆(この呼称も中国政府の一方的なもの)地域は歴史的中央アジアとの結びつきが強く、過去に何度も東トルキスタン共和国として独立の動きがあり、その度に清国、中華民国や現在の中国政府によって抑えられてきた。現在も独立運動は続けられていて、これが中国にとっては目障りで仕方ない。そこで「テロとの戦い」を口実にして一気に叩くつもりなのだ。
果たして中国の国営メディアは11月20日、新疆ウイグル自治区で警察が「テロリスト集団」のメンバー28人を射殺したと報じた。1人は投降したという。
また同自治区の政府系サイト「天山網」によると、警察は9月に同自治区アクス地区の炭鉱が襲撃され16人が死亡した事件の容疑者らを、56日間にわたって追っていた。警察は「さまざまな民族からなる」1万人を動員して今月12日までに複数の一斉検挙を行ったと報じている。
これに先立ち、米当局が出資する放送局ラジオ・フリー・アジア(RFA)は、政府筋らの情報として女と子供を含む17人の容疑者を当局が殺害したと報じた上で、「テロとの戦いにおける偉大な勝利」と述べた公安当局の声明が速やかに削除されたと伝えていた。
これまた「テロとの戦い」のドサクサに紛れた「ワル乗り」と見ていいだろう。

今後「テロとの戦い」を理由として本来の目的以外の、こうした「ドサクサ紛れ」の行動が各国に拡がる可能性がある。もちろん我が国でも。

2015/11/19

「テロとの戦い」って何だろう

フランスのパリで起きた一連のテロに対して世界中が湧きたっている。直後に行われたG20でも共同でテロとの戦いを行うことで一致した。今の所、パリでの襲撃事件はISIL(Islamic State in Iraq and the Levantの略、ISともいう)の犯行によるものとされているが、それなら「対ISとの戦い」で良いのではないか。なぜテロ一般に広げる必要があるのだろうか。そこに参加各国の思惑を感じてしまう。

この問題でロシア連邦チェチェン共和国のラズマン・カディロフ首長は、自身のInstagramのブログの中で次の様な主張をしている。
【私は、パリでの武器を持たぬ人々の殺害を断固非難する。しかし一方で、これは、反イスラム感情に火をつけるため何者かによって計画された行動ではないのか、あるいは、他の何らかの差し迫ったグローバルな問題から注意をそらそうとの試みではないかとの、疑いも持っている。
我々は、パリで世界の大国のリーダー達が心を一つにして、テロを非難した事を歓迎する。しかし、彼らは、いかなるテロリズムを非難したのだろうか? 世界中のテロリズムなのだろうか、それともフランスだけを襲ったテロリズムだろうか?
なぜ大統領や国王、首相らは一度も、何十万ものアフガン人やシリア人、エジプト人、リビア人、イエメン人、イラク人の死に抗議して、行進の先頭に立たなかったのだろう?
なぜ彼らは、チェチェンの首都グローズヌィで政府庁舎が爆破された時、北オセチアのベスランで学校が襲撃され占拠された時、モスクワのドゥブロフカで劇場が占拠された時、沈黙していたのだろう。昨年12月にグローズヌィで起きた新聞・雑誌会館と学校占拠事件では、50人以上の死傷者が出たにもかかわらずである。もし世界全体が、在野勢力支援を装って、一連の国々全体で、テロリストに武器や資金を与え、彼らを育てるならば、世界中の国々の首都が安全になる事はない。フランスでのことは、テロリズムとの戦いをしているように装うようで自分は気に入らない。】
このカディロフ首長というのはプーチン大統領を手を結び、チェチェン人を弾圧しているイカガワシイ人物だという評判があり、全面的に主張を受け容れるつもりはないが、欧米諸国が何十万ものアフガン人やシリア人、エジプト人、リビア人、イエメン人、イラク人の死には冷淡であるというのは事実だ。
日本政府もまた然り。
そうした国々が唱える「テロとの戦い」のスローガンに疑問を持つのは当然といえる。
もっともプーチンなどはさしずめテロの親玉みたいに見えてしまうのだが。

ナチスドイツが欧州各国を侵略し占領した際に、それぞれの国で抵抗運動が起きた。今ではそれを私たちはレジスタンスと呼ぶが、ナチスは彼らをテロリストと呼んでいた。
テロリズムあるいはテロリストという定義も、どちら側から見るかによって180度変わってくる。
中東諸国ではテロというとアメリカやイスラエルを指すことが多い。
アメリカによるイラク侵攻などは正に国際的テロ行為と呼んでもおかしくない。ISの勢力拡張はイラク戦争を抜きには語れない。さらには、シリアの反政府勢力への軍事援助が、結果としてISの武装を助長してしまった。トルコを通しての武器供給ルートが今ではISの密売ルートと化している。
しかし、ISを生み育てたというアメリカの責任は棚上げだ。

私たちは戦争を始めとするあらゆる殺戮や暴力には毅然として対峙すると同時に、これに乗じて国家による国民抑圧を強める火事場泥棒的な政策(例えばフランスの憲法改正や日本での共謀罪設立の動きなど)には十分に眼を光らせる必要がある。

2015/11/18

政治家の「しっかり(と)」などを禁句に

近ごろの政治家、特に総理を始めとした大臣や自民党の役員たちが乱発する言葉に「しっかり(と)」がある。私の記憶では第一次安倍政権辺りから乱用が始まり、それを民主党政権が受け継ぎ、現在の安倍政権に至ってさらに増幅しているように感じられる。
特に安倍首相がこの言葉を好み、記者会見や国会での質疑では常套句のようになっている。総理や大臣が「しっかり(と)」職務を果たすのは当たり前のことだ。とりわけ強調したければ特別な時だけ使うべきで、のべつ使っていたのでは全く意味がない。
想像するに、やるべき事や主張が明確になっていない(or明確にしたくない)場合に、言葉だけは何となく取り繕いたくて使っているのだろう。本人の自己満足のためだ。
それともう一つ気に障るのが「緊張感をもって」というフレーズだ。「今後は緊張感をもってしっかりと対応して参りたい」と言う表現は、記者から突っ込まれたり、野党から追及を受けた時の決まり文句になっているが、何をするのかは意味不明だ。
これ以外にも「きちっと」や「あらゆる事態を想定し」がある。やはり言わずもながの余計な表現だ。重要な役職に就いている者が「あらゆる事態を想定し」「きちっと」職務を果たすのは当然のことなのだ。
大事なのは具体的に何をしたいのかであって、余計な修飾語は不要だ。
政治家は言葉で生きているのだから意味の無い言葉や表現は使うべきでない。
いっそのこと、会見や国会質疑では「しっかり(と)」、「緊張感をもって」、「きちっと」、「あらゆる事態を想定し」の4つのフレーズを禁句にしたらどうか。そうすれば今よりは多少なりとも実のある論戦が出来るだろう。

2015/11/16

【街角で出会った美女】中国・新疆ウイグル

新疆ウイグルはチベットっと並んで中国の喉に刺さったトゲだ。両方ともに少数民族問題と宗教問題が絡んでいるだけに根が深い。
新疆ウイグル自治区は面積が日本の4.5倍と広大で、その3分の1は砂漠だ。住民の3分の2はウイグル族などの少数民族で、多くはイスラム教徒だ。この地域は昔から中国より中央アジアとの結びつきが強く、東トルキスタン地域とも呼ばれる。過去に何度か独立の動きがあったが、その度に中国により抑えられてきた。
最近では2009年にウイグル人と漢民族の対立が激化、ウイグル騒乱が発生し多数の死者を出している。
また2013年には、ウイグル族家族がガソリンを積んだ自動車で北京の天安門に突入し自爆する事件が起きた(天安門広場自動車突入事件)。この事件を機に中国政府はテロ取り締まりを強化したため、ウイグル族の女子供が警官隊に射殺される事件も増えていた2014年にも、ウルムチ市内で暴漢による無差別な殺傷事件が発生している。
「中国シルクロードの旅」などと銘打った国内各旅行社のツアーには新疆ウイグル地域が含まれるため、ここ数年は中断していたが、ようやく今年辺りから再開となりこの8月に参加してきた。
中国当局の厳しい治安対策と、高速鉄道や空港の建設といったアメとムチで、現在は落ち着いているように見えた。主要都市であるウルムチには超高層ビルが立ち並び、中国の他の都市と同様の光景が広がる。
ただ中央支配の強化には反発する声も根強いようだ。
中国政府としては簡単にこの地区を手放すわけにはいかないというのは、石油や天然ガスが埋蔵されているからだ。中国で産出する石油と天然ガスの3割はこの地域からで、今後もさらに増える可能性がある。
今後も当局はアメとムチを使い分けながら新疆地域を支配し続けるだろうが(この辺りの事情は日本における沖縄と似ている)、地底にたまるマグマはいつまた爆発するか分からない。
写真は新しく出来た新疆高速鉄道(新幹線)の車内で撮った車掌さん、エキゾチックな容貌は通常の中国人とは異なる。可愛い顔に似合わず威圧的でカメラを向けると叱られた。何かの拍子にチラリと笑顔をのぞかせたのはこの時だけ。ピンボケなのはそのためで、ご容赦のほどを。
Photo

2015/11/14

「桜の園」(2015/11/13)

「桜の園」
日時:2015年11月13日(金)13時
会場:新国立劇場 小劇場
[作]アントン・チェーホフ
[翻訳]神西清
[演出]鵜山仁
<   キャスト   >
ラネーフスカヤ:女地主/田中裕子
アーニャ:その娘/山崎薫
ワーリャ:その養女/奥村佳恵
ガーエフ:ラネーフスカヤの兄/石田圭祐
シャルロッタ:アーニャの家庭教師/宮本裕子
エピホードフ:執事/大谷亮介
ドゥニャーシャ:小間使い/平岩紙
フィールス:老僕/金内喜久夫
ヤーシャ:若い従僕/木場允視
ロパーヒン:商人/柄本佑
トロフィーモフ:大学生/木村了
ピーシチク:近郊の地主/吉村直
浮浪者/田代隆秀

一応芝居好きを自認し、新劇から歌舞伎まで幅広く観てきたつもりだったが、振りかえってみると西洋の古典的な演劇はほとんど鑑賞していない。例えばチェーホフの作品。そこで代表作である「桜の園」を見に行くことにした。
結論は素晴らしい作品だった。19世紀末のロシア社会とそこに生きる人々を活写しながら、ロシアの将来をも予見するような内容だ。
【ストーリー】
ラネーフスカヤが娘・アーニャの付き添いでパリから5年ぶりに自分の土地へ戻る。帰還を喜ぶ兄・ガーエフ、養女・ワーリャや屋敷の使用人たち。
しかしラネーフスカヤは夫や恋人からは金を巻き上げられ一文無しの状態で、かつてのように裕福な暮らしはもはや望めず金に困る一家。屋敷や庭園の桜の園は借金返済のため売りに出されている。商人・ロパーヒンは土地の一部を別荘用地として貸し出せば借金は返済できるし競売は避けられると助言する。しかしラネーフスカヤは散財する癖が抜けず、破産の危機も真剣に受け止めようとしない。
結局、桜の園は競売にかけられることになり、兄のガーエフと商人のロパーヒンが会場に出向く。
ラネーフスカヤは不安な気持ちを抱えたまま別れたパリの恋人とよりを戻すことを考えており、金を巻き上げられるだけだと警告したトロフィーモフと口論になる。
そこへガーエフが泣きながら帰宅、ロパーヒンが現れて自分が桜の園を買ったと宣言する。この一家の農奴の息子だった身分から桜の園の地主にまで出世したことに感動するロパーヒン。
一家は屋敷を出て行く事になる。
ラネーフスカヤはパリへ戻り、ガーエフ達は町へ引っ越すことになった。アーニャは新しい思想を持ったトロフィーモフに憧れ、自立して働くことを決意する。ロパーヒンはワーリャへのプロポーズを決意するが、土壇場でやめてしまう。
誰もいなくなった屋敷に、ロパーヒンが別荘建設のため桜の樹の伐採を命じていた斧を打ち込む音だけが響く。

この物語は19世紀末のロシア社会―農奴制の廃止、貴族社会の崩壊と新しいブルジョア層の勃興―の縮図を描いたものだ。
借金まみれになり屋敷まで売りに出しているのに浪費癖が治らず、一家が離散に追い込まれる貴族の典型が主人公ラネーフスカヤ。
彼らの経済力の低下は使用人たちの態度にも影響が出始め、若い従僕は時に反抗的な態度さえ示す。反対に古くからの使用人たちは相変わらず主への絶対服従の態度を保つ。
その一方で勃興するブルジョアジーの代表がロパーヒンだ。彼の父親の代まではこの一家の農奴だった。農奴解放で農夫となり、息子ロパーヒンは自らの商才で財を築き、ついにはかつての主の屋敷や土地を手に入れてしまう。
ラネーフスカヤの子どもの家庭教師だったトロフィーモフは大学生となり、新しい思想を身に着ける新興インテリの典型として登場する。
「桜の園」は社会が大きく転換してゆく時代の、各階層の人々の姿を鮮やかに描いた作品だ。
ロシアではこの後20世紀に入ってからロシア革命が起き、20世紀後半にはソ連の崩壊と市場経済への移行という大きな動きがある。それぞれの変革期にこの作品と同様の事態が現出されていただろう。今なおこの演劇がロシアにおいて、また日本においても共感され上演されているのはその為と思われる。
医師で作家だったチェーホフは19世紀末の人々の暮らしをリアルに把握していたのだろう。この作品にはそうしたチェーホフの人々への冷静かつ温かい眼差しが感じられる。

主役ラネーフスカヤの田中裕子は年齢を感じさせぬ若さと美しさで演技も良かったが、ロシア貴族夫人としての気品があまり感じられなかった。
商人ロパーヒンの柄本佑は好演だったが、大事なとこで2度ほどセリフを噛んだのが惜しまれる。
養女ワーリャの奥村佳恵は品があり、木村了と平岩紙が熱演、金内喜久夫と吉村直の渋い演技が印象に残った。
他に宮本裕子の手品の腕前と、ワンちゃんの演技に拍手。

公演は29日まで。

2015/11/12

#12雀昇ゆかいな二人(2015/11/10)

桂雀三郎・春風亭昇太 第十二回「雀昇ゆかいな二人」
日時2015年11月10日(火)19時
会場:横浜にぎわい座 芸能ホール
<  番組  >
桂米輝『小倉船』
春風亭昇太『猿後家』
桂雀三郎『代書屋(代書)』
春風亭昇太『二番煎じ』
~仲入り~
桂雀三郎『崇徳院』

旅行先などで落語が好きだと言うと、先方は必ず「笑点」の話題を振ってくる。「ほとんど見た事が無いので」 と答えるとビックリする。正確には談志や三波伸介が司会をしていた頃は見ていたので、もうかれこれ30年ほど見ていない事になる。ただ出演者は誰かは知っているし、ナマの高座はみな観ている。
「笑点」に台本があると言うと驚かれる人が多い。これは番組の創始者である談志が「笑点の出演者の言葉は全てが台本」と認めているので間違いない。
演芸ではなくバラエティだ。だが決して「笑点」を貶めるつもりはない。TV番組なんだから台本があって当たり前なのだ。台本がありリハーサルもして、それをあたかもアドリブで演じているように見せているのが出演者の「芸」だ。
次に訊かれるのは、出演者の中で誰が一番落語が上手いと思うかという質問だ。「昇太でしょうね」と答えると、これも驚かれる。どうも番組の視聴者にはそう見えないらしい。
昇太には適当な時期に「笑点」を降板して欲しい。たい平もそうだ。いつまでも出続けていると落語家としては大成しない。5代目圓楽の二の舞になっちまう。

この「桂雀三郎・春風亭昇太 二人会」も今回で12回、ということは10年間続いている事になる。二人とも古典・新作の両方をこなす爆笑派だ。

米輝『小倉船』、米團治に入門して4年目だが老けて見える。船の中で問答する噺だが声と語りが明るくて良い。

昇太『猿後家』、この人の好さは愛嬌と勢いだ。愛嬌というのは噺家の大事な要素で、人気のバロメーターにもなる。よく実力はあるんだけど人気がないという落語家がいるが、大概は愛嬌に欠けているケースが多い。逆に芸はないが愛嬌だけで飯を食ってる人もいる。こればかりは天性が左右し、稽古で身に着くものではないだけに厄介だ。
お約束の「笑点」ネタと独身ネタをマクラで沸かせ(これが目的の客も多かったようだ)、ネタは顔がサルに似ていて劣等感を持つ大店の未亡人を、店に出入りの男が褒美欲しさに煽てる失敗するというストーリー。しゃべってはいけないと意識すると却ってしゃべってしまう心理を描いている。昇太の高座は未亡人の表情の変化で魅せていた。

雀三郎『代書屋(代書)』、ほぼ師匠・枝雀の演出に沿った高座だった。代書を依頼しに来た男の綽名が身体が小さく利口なので「太閤はん」。本名はと訊かれると「豊臣秀吉!」と答えるギャグは可笑しかった。ただこのネタを十八番としている当代春団治や枝雀に比べ、代書屋と男の表情の対比が弱く感じられた。
昇太『二番煎じ』、このネタの見所は2カ所あり、
・辰つぁんが良い喉で「火の用心、さっしゃりやしょう~」を聞かせた後で。若い頃吉原で火の見回りをしていた頃を語り出し、「キセルの雨がふるようだ」と見得を切る所。
・見廻りの役人に酒を呑んだのを咎められると、月番がその度に「それはこの宗助さんが・・・」と言い訳をする所。
昇太の高座ではこの2カ所がカットされていて、このネタの味わいを薄くしていた。昇太の弱点といえる多彩な登場人物の演じ分けが不十分だった事もあり、あまり良い出来ではなかった。

雀三郎『崇徳院』、東京版とはいくつか内容が異なる。
・茶店でお嬢さんが若旦那に短冊を渡すのではなく、紙に筆で崇徳院の和歌の上の句だけ書いて渡す。
・お嬢さんの居所を探せる羽目になった男が1日目に自宅に帰るのではなく店に戻り、見つからなかった事を大旦那に報告する。叱れて3日間だけの猶予を貰う事になり、ここで初めて見つけた褒美として長屋をくれるという約束が交わされる。
雀三郎の高座はテンポ良く、登場人物一人一人の演じ分けも出来ていて好演。特に人探しで疲れはてた男が煙草を吸うシーンが良かった。

2015/11/10

コミュニケーションの難しさ!「オレアナ」(2015/11/9)

パルコ・プロデュース公演「オレアナ」
日時:2015年11月9日 (月)
会場:パルコ劇場
作:デイヴィッド・マメット
翻訳:小田島恒志
演出:栗山民也
<  キャスト  >
田中哲司:大学教師ジョン
志田未来:女子学生キャロル

ストーリーは次の通り。ネタバレ有り。
大学教師ジョンは、大学の終身在職の内定を受け新居を買おうとしていた。そこへ教え子の女子学生キャロルが彼の研究室を訪れ、授業についていけないとパニックに陥り、どうか単位を取らせて欲しいと涙を浮かべて懇願する。
当初ジョンはキャロルを冷たくあしらうが、彼女の熱心さに押されて彼の理論を説明するのだが、キャロルは全く理解できず増々パニックに陥る。
そこでジョンは視点を変えて自分の身の上話しから教育論、果ては大学教育そのものに対する不信感を延々と説き、何とかキャロルをなだめようとする。キャロルは憧れて入学した大学での教育が否定されているような気がしてますます感情的になってゆく。
この二人の会話の間に、度々ジョンは妻からの電話が入り会話が中断される。どうも新居の契約で問題が発生し、その処理を相談しているらしい。その中断が二人の会話の進行を妨げ、苛立たせる。
ジョンはキャロルに、これから何回か二人だけで授業をしてキャロルの成績はAにすると言う。そうしてジョンは彼の昇進を祝うパーティに出席するために部屋を出る。
ここまでが前半。
後半は同じジョンの研究室だが、前半とは状況が一変する。今度はジョンがキャロルを部屋に呼んでいた。その理由は、キャロルがジョンの言動に対し終身在職審査会に訴状を出したのだ。その件について二人で話し合いたいと言う。キャロルは全て訴状に書かれていると言う。そこにはジョンが彼の研究室内でキャロルと二人だけにさせて、自らの知識や権威を誇示しながらキャロルを見くだし、性差別や卑猥な発言、セクハラ行為があったと書かれている。その告発は彼女一人の問題ではなく、彼女の仲間全体の問題なのだと指摘するキャロル。ジョンは反論するが、キャロルは以前とは違って論理的にジョンに反論し彼を追い詰めてゆく。今回もジョンは妻からの電話で度々二人の会話が中断させられるが、電話の内容はより深刻になっている様子だ。苛立つジョン。キャロルの言うことが理解できないと言うジョンに、キャロルが帰ろうとするがジョンが追いかけ止めようとする。キャロルは悲鳴をあげる。
再びキャロルがジョンの研究室を訪れた時は、既に大学側の裁定が下っておりジョンは昇進はおろか教師を失職することになった。さらにキャロルから暴行とレイプで刑事告訴されたことが告げられる。
キャロルは訴えを取り下げても良いと言いだし、その条件として本のリストと声明書へのサインをジョンに求める。しかし本のリストではジョンの著作を禁書とすることとしていて、声明書はジョンにとって極めて屈辱的な内容だった。キャロルは高笑いし、怒りを爆発させたジョンは彼女を殴り倒し、傍にあった椅子を振り上げる。

この芝居では3つの形態の異なったコミュニケーションが採りあげられている。
一つはメインのコミュニケーションで、大学教師とその教え子である女学生とのコミュニケーション。ジョンがいくら誠意をもって接していたと思っていても、キャロルには全く通じない。一方、キャロルの主張はジョンにとっては全く理解できない。双方のコミュニケーションは最後まで成立せずに終わる。
二つ目は、ジョンと妻とのコミュニケーションで、ジョンの昇進に伴い新居を購入しようとするが、どうやら契約でもめているようだ。後半になるとジョンが失職して自宅に帰らないのを心配し、かつ新居の契約も上手く行ってないらしい。切実な問題に直面する妻だがジョンとは電話でしか相談できない。一方のジョンからすれば、キャロルからの訴えでそれどころじゃない。ジョンと妻とのコミュニケーションも不成立だし、妻の電話はジョンとキャロルとの会話を中断させている。
三つ目は、舞台には登場しないがキャロルと彼女が仲間と呼んでいるグループの人たちとのコミュニケーションだ。その結果キャロルは覚醒し、ジョンとも論理的に争えるほどの理論武装をする。こちらのコミュニケーションは成功したようだ。

私たちは生活のあらゆる場で人に接しコミュニケーションを図っている。しかし本当のコミュニケーションが成立しているかどうかは疑わしい。早い話が家族間のコミュニケーションだ。夫婦の間で、親子の間で。祖父母と孫の間で、会話はあってもコミュニケーションが出来ているとは言い難いというのが実感だ。
ましてこれが会社の上司と部下、学校の教師と生徒、習い事の師匠と弟子といった上下関係がある場合は絶望的と言ってよいほどだ。男女間の性差もまた然り。男性優位の社会は依然として変わらない。
この劇ではそれを中年の大学の男性教師と、成績が劣り単位を落としそうになっている女子学生との対話を通じて、コミュニケーションの難しさを鮮やかに見せている。
観客は見ているうちにジョンかキャロルのどちらかに肩入れし、共感したくなる。
私はもちろんジョンに共感した。教師としてはかなり誠実に接し、キャロルの悩みに親身になって応対している。身分の安定や家族の幸せを望むのもごく当たり前のことだ。唯一の弱点は、女性に対する態度が時代の変化に追い付いていないという点だ。それは欠点ではあるが、違法とは言えまい。
キャロルはどうか。主張している内容は間違っていない。最大の問題は根底に悪意を感じるのだ。正義感と言うよりは相手を引っ掛けてやろう、社会的評価を落としてやろうという復讐心を強く感じる。
だから最終シーンでジョンが切れるのを、ある種痛快な気分で見られた。
無論、そうじゃない人もいるだろう。それもまた正しいのだ。
そういう芝居なのだ。敢えてネタバレのストーリーを紹介したが、筋は分かっていてもこの芝居は十分に楽しめる。

田中哲司と志田未来の二人は長大なセリフを淀みなく語り熱演。
田中はしゃべり方、風貌、身のこなし、全てがいかにも大学教師らしい雰囲気を醸し出していた。
志田の外観は、パッと見は小学生かと思われるほどで、それが(女性的でないという意味で、これもセクハラ?)却って役柄の効果を上げていた。
終演後の水無田気流さん(詩人・社会学者)と、小田島恒志さん(英文学者・「オレアナ」翻訳)とのアフタートークも、とても参考になった。内容は、教えてあげない。

東京公演は29日まで、その後は各地で。

2015/11/09

そこまでして米国に尻尾を振りたいのか

11月3日に2015年の秋の叙勲が発表されたが、なかに見過ごせない名前があった。外国人叙勲では最高の旭日大綬章5人がアメリカ人だったが、問題の一人はドナルド・ラムズフェルド元国防長官で、もう一人はリチャード・リー・アーミテージ元国防次官補である。二人の受賞理由は日本・アメリカ合衆国間の関係強化及び友好親善に寄与とある。

先ずラムズフェルドだが、イラク戦争の時の国防長官であり、ネオコンのリーダーとしてイラク戦争を主導した、いわばイラク戦争のA級戦犯だ。今日では「大量破壊兵器の保有」を理由としたイラク戦争が間違っていた事は明白となっているし、今に至る中東の混乱を招いた無謀な戦争だった。
日本政府は彼らの命じるままにイラク戦争を支持し積極的に支援、未だにその誤りを認めようとしない。

もう一人のアーミテージもまたネオコンで、ジャパンハンドラーの代表的人物として日本にああしろこうしろと指示してきた人物だ。
特に彼が直接関与した「第3次アーミテージ・ナイレポート」では、日本に対して次のような主旨の提言を行っている。
・原発の再稼働
・平和への脅威に対する多国間の努力への積極的、継続的な関与
・TPPへの参加
・日米韓3か国の軍事的関与の継続
・印、豪、比、台、各国とのパートナーシップ
・安全保障の各段階を通じての米軍と自衛隊の全面的な協力
・ホルムズ海峡への掃海艇の派遣
・日米共同での南シナ海における監視活動
・日本及び日米間の国家機密の保護の法制化
・日本のPKOが他国のPKO要員及び部隊を防護できるような法制化
これらの項目を見ていくと、安倍政権は外交、安全保障、経済など諸政策をこのレポート通り忠実に実行している事が分かる。

ラムズフェルドもアーミテージも私たち国民にとり百害あって一利なしの存在だ。
こんな人間に旭日大綬章って、そこまでして彼らに尻尾を振りたいのか。

2015/11/08

【ツアーな人々】機内で隣りの席に大きい人が

CNNニュースで、航空機内で隣の人があまりに大きく席からはみ出したので、客がほぼ「立ちっ放し」となる被害を受けたと報じている。
以下は記事の引用。

【米大手航空のUSエアウェイズのフライトで57歳の男性乗客が隣に座った体の大きい乗客に自席の半分を占領され、着陸までの7時間の間、ほぼ「立ちっ放し」となる被害を受けた。
米北西部アラスカ州のアンカレジ発、米東部フィラデルフィア行きの直行便で今年7月起きた出来事で、思わぬ災難に遭ったアーサー・バーコウイッツさんが消費者保護運動家のブログ上で明らかにした。米連邦航空局(FAA)の報道担当者はフライトの間、ずっと立ち続けるのは規定違反と説明している。
同航空は体のサイズが過大な乗客に対しては延長したシートベルト着用を求めるか、別の便に搭乗させるかの規定を持っている。これらの措置が不可能な場合は、隣席の追加購入を依頼している。バーコウイッツさんの場合は、USエアウェイズのカウンター係がこの内規を守らなかったことが災いのもととなった。
バーコウイッツさんによると、隣席は当初空いていたが、遅れて搭乗してきた乗客の体の大きさは立ち上がるためにはひじ掛け両方下ろさなければならないほどだった。ただ、この男性は非常に礼儀正しい物腰で、自らが招いている状況に恐縮していたという。
バーコウイッツさんは席を半分占領されてシートベルトも締められない苦境を乗務員に伝え、ビジネスクラスへ移ることも求めたが機内は満席の状態だった。乗務員用の席に座ることも許されないため、フライトの間、機内を歩いて時間をつぶしたという。】

飛行機だけに「飛んだ災難」なんて洒落てる場合じゃない。立ちっ放しでは急な揺れで怪我をすることもあり危険極まりない。
この航空会社では身体のサイズが大きい人に対しは、事前に二人分のチケットを購入するか別の便に搭乗して貰うかといった措置を取ることになっていたようだが、カウンター係がこの規定を守らなかったとしている。しかし乗客が必ずしもカウンターでチケットを買ったり搭乗券を受け取るとは限らないし、チケットを購入する際に客の身体のサイズを申告させるわけにもいかないだろう。
そうすると今回の様なケースは今後も避けられない。

私もこの記事ほどではなかったが、隣に大きい人が座って窮屈な思いをしたことがある。
成田―シカゴ直行便のエコノミーで、窓側から2列の並び席だった。搭乗したら既に窓側の席に外国人が座っていた。肥った人ではなく体格のいい人でアメフトの選手のような逆三角形の体形だった。座席にはちゃんと収まっていたのだが、肩が私の席にかなりはみ出していた。普通に着席しようとすると肩がぶつかってしまう。仕方がないので私の方は体を斜めにして座ることになった。CAを呼んで事情を説明し他の席に移らせて欲しいと申し出たのだが、満席で席の移動は出来ないと断られてしまった。
仕方なく体を斜めにして座る姿勢のままシカゴまで約12時間我慢したが、後にも先にも機内であれほど辛い思いをしたことは無かった。
身体の大きな人はビジネスを取って欲しいと思ったが、こればかりは本人に自覚に任せるしかない。
何か良い知恵はないものだろか。

2015/11/06

気になるニュース「漂白剤混ぜたコーヒーを母親に、中3男子を逮捕」

以下、FNNニュースから。
【アイスコーヒーに漂白剤を入れて、母親を殺害しようとした疑いで、警視庁は14歳の長男を逮捕した。
殺人未遂の疑いで逮捕された東京・板橋区に住む中学3年の14歳の長男は、2015年9月、母親が飲むアイスコーヒーの紙パックの中に漂白剤を入れ、殺害しようとした疑いが持たれている。
母親は、アイスコーヒーを飲み、嘔吐(おうと)して病院に搬送され、全治1週間の軽症を負った。
長男は、冷蔵庫にあったアイスコーヒーに、台所用の漂白剤2種類を混入し、冷蔵庫に戻していたという。
長男は、母親と義理の父親との3人暮らしで、調べに対し、「母親を殺すためにやった」、「自分が万引きした時の話を蒸し返してくる母親の性格が嫌いだった」と供述している。】

これだけ読むと、なんとヒドイ中学生だろうと思うかも知れないが、私にはこの男の子がなぜそこまで追い詰められたのか、また両親がなぜ警察に通報したのか(又は通報を許したのか)、そこが気になる。
と言うのは、私の中学時代の大の親友が母親を殺そうとした事があるからだ。

その親友M君は中学の生徒会長もしていて、教師や同級生からも人望があった。ただ生母が幼い時に死亡、その後父親が再婚したのだが、継母との折り合いが悪かった。
私から見てもヒドイ母親で、実子である妹を溺愛する一方、M君にはいつも辛く当っていた。今で言えばイジメである。顔を合せれば叱ってばかりいたようだ。
私とは付きあうなと何度も言われていたそうだ。私が学年一つ下だったのだが、M君は日ごろから年下と貧乏人とは付きあわないように母親から命じられたいた。私が年下で貧乏だったから、母親から見れば忌むべき人間に映ったのだろう。
そんな生活が何年も続き、家出までして悩んでいたM君は、出刃包丁で母親を殺害しようと決心した。ここが未だ子どもだと言えるのだが、その訓練に日々出刃包丁を手裏剣の様に投げて家の柱に刺していた。そのうち上手く当る様になり、ある日本当に母親に出刃包丁を投げつけた。幸い母親は怪我をせずに済んだのだが、この事が起きてから父親がようやく事態の深刻度をのみ込み、M君を祖父母の実家に預けたのだ。
今もM君の母親は健在で、M君との親子関係は良好になっている。M君が大人になってから当時の母親のイライラが夫の浮気が原因だった事を知り、許す気になったのだ。母親の方は、M君を虐めていたという自覚さえ無くなっているとの事だ。
長い親子の関係には色々な出来事がある。特に子どもが多感な年ごろには親とぶつかったり、時には憎み合う事もある。私自身にも覚えがある。
だから親は子どもに対し長い目で見て欲しいのだ。
この中学生は母親が再婚のようで、もしかするとM君の様な事情を抱えていたかもと思うと、とても切なくなる。
私の近所で親子喧嘩があり、怪我をした父親が我が家に逃げ込んできて警察への通報を頼んだが、私は必死で止めたことがある。通報したら親子関係は修復が難しいからと説得した。
詳しい事情が分からずに無責任なことを言うかも知れないが、警察に逮捕させるのを避ける方策は無かったのだろうか。

「通し狂言 神霊矢口渡」(2015/11/5)

国立劇場「通し狂言 神霊矢口渡(しんれいやぐちのわたし)」四幕
福内鬼外=作
序幕  東海道焼餅坂の場
二幕目 由良兵庫之助新邸の場
三幕目 生麦村道念庵室の場
大詰  頓兵衛住家の場
<  主な配役  >
中村吉右衛門/由良兵庫之助
中村歌六/渡し守・頓兵衛
中村又五郎/南瀬六郎
中村歌昇/新田義岑
中村種之助/六蔵
中村米吉/傾城うてな
中村錦之助/竹沢監物、新田義興の亡霊
中村芝雀/頓兵衛の娘・お舟、筑波御前
中村東蔵/兵庫之助の妻・港

「神霊矢口渡」は元は人形浄瑠璃。福内鬼外(平賀源内)作で1770年の初演。通称「矢口渡」で、通常は四段目の「頓兵衛内」の場のみ上演される事が多く、通し狂言としては初代吉右衛門が上演して以来100年ぶりとなる。
この芝居の物語は太平記を基にして足利尊氏との戦で新田義興が尊氏の家来らによる計略で横死したのを、義興の弟・義岑らの苦心により新田家の再興を計るというもの。

見所は大きく分けた前半の、かつて新田義興の家来で今は足利尊氏の配下となっていた由良兵庫之助が、敵を欺き義興の遺児・徳寿丸の命を救う場面だ。足利の家来の竹沢監物の命令により兵庫之助が徳寿丸の首を討つのだが、実は我が子・友千代を身代りにしていたというもの。兵庫之助が真実を妻・港に打ち明け、悲しみを堪えながら高笑いする。亡き主君の夫人である筑波御前に対し冷たくあしらい、忠臣の南瀬六郎を討ったのも全ては亡君への忠義のためだった。兵庫之助役が肚を見せる場面が見所になっている。

もう一つは後半の矢口渡の場面で、義興が乗った舟の船底の栓を抜いて溺死させたのはここの渡し守・頓兵衛だった。足利の家来の竹沢監物の命令によるもので、たんまりと褒美をせしめた。今はやはり監物によって落人となった義岑を殺害するよう命じられている。
そうとは知らず渡し守の頓兵衛宅の家に一夜の宿を求めて、新田義峯と恋仲の傾城うてなの二人がやって来る。応対に出た頓兵衛の娘お舟は義峰に一目惚れし、思いを打ち明け口説く。そこへお舟に方恋慕している頓兵衛の下男・六蔵が義峯の正体を見抜き暗殺しようとするが、事情を知ったお舟が色仕掛けで六蔵を思い留まらせる。かなわぬ恋と知りながら、追手の足利方に味方する父を裏切って、お舟は義峯ら二人を逃してしまう。それを知った頓兵衛は説得のため立ちふさがるお舟を切り捨て、二人の後を追って行く。瀕死のお舟は駆けつけた六蔵に切りかかり、合図の太鼓をたたいて追っ手を欺むく。追いすがる頓兵衛に、義興の亡霊が放った新田家重宝の矢(水破兵破)が貫き絶命。終幕となる。
この幕では、お舟のクドキが大きな見所となっている。未通女(おぼこ)の田舎娘が恥ずかしさを押し殺しながら大胆かつ執拗に口説くのだが、この姿が実に愛らしい。と同時にこのシーンだけが近代的なのだ。
もう1ヶ所は、強欲のために二人を殺害すべく追う父親の頓兵衛と、これを防ごうとするお舟の凄まじい死闘だ。欲のためには娘の命さえ省みない父親と、叶わぬ恋と知りながら命を賭けて義峯を助けようする父娘の対比が鮮やかに描かれる。

通し狂言として100年も上演されなかったには理由があるのだろう。ツマラナイからだ。見所はやはり「頓兵衛住家の場」で、ここでのお舟の演技は数ある歌舞伎の女形の中でも出色だと思う。
今回の舞台でいえば、芝雀の狂おしいまでの一途な娘の心情を描いた演技が全てだった。
稀代の悪党である頓兵衛を演じた歌六の立ち回りや「蜘蛛手蛸足」と称される花道での引っ込みは迫力十分。
この所の吉右衛門の衰えが気になる。今回もかなりプロンプターがセリフを付けていた。
序幕で相撲取りを演じた役者が早速、五郎丸の例の「カンチョウ!」みたいな指先を真似ていたが、大衆演劇としての歌舞伎の一面を見せていた。
歌舞伎を何か芸術の様に思ってる人もいるようだが、もし芸術なら「ワンピース」を演りませんよ。

2015/11/04

チェコ・フィル「新世界より」に感動

「イルジー・ビエロフラーヴェク指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
ヴァイオリン:庄司紗矢香」
日時:2015年11月3日(火・祝)14時
会場:横浜みなとみらいホール 大ホール
<   プログラム  >
スメタナ:シャールカ ~連作交響詩「わが祖国」より
メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲 op.64 (ヴァイオリン:庄司紗矢香)
~休憩~
ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」op.95
≪   アンコール曲   ≫
J.S.バッハ/無伴奏ヴァイオリンソナタ第3番より「ラルゴ」*)
スメタナ/オペラ《売られた花嫁》3つの舞曲より「スコーチュナ」
メンデルスゾーン/交響曲第5番より第3楽章
ドヴォルザーク/スラヴ舞曲第9番
*)庄司紗矢香のソロ

以前にこのホールでD席を取って聴きに行ったら、ヴァイオリン協奏曲で肝心のヴァイオリニストの姿が見えなかったという悲劇に遭遇した。これに懲りて今回はC席のチケットを取ったが、これが当り! オーケストラの向かて左側中央の最前列で、指揮者の表情や楽器の動きが手に取るように分かる。特等席ですね。臨場感がまるで違う。唯一の欠点は協奏曲の時にヴァイオリン奏者の表情が分からなかった事だ。

先ず、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」が素晴らしかった。クラシックのコンサートでこれ程感動したのは久々だ。音楽は門外漢なので技術的な事は分からないが、作曲家が機械文明のアメリカから抱いた遥かに祖国ボヘミアへの郷愁の思いがヒシヒシと伝わる。隣の席の女性は何度かハンカチで涙を拭っていたし、同行の妻は演奏終了時に思わず立ち上がって拍手しようと思ったと言っていた。

メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲は、美音でヴァイオリンに泣かせるような演奏が私の好みなので、この日の庄司紗矢香の演奏には物足りなさを感じた。もっとも当方の席がちょうど彼女の背中を見ている場所なので、前方の席の観客には別の印象を与えたかも知れない。

本題から外れるが、こうしたクラシックコンサートでいつも思う事だが、演奏家は食べていけるのだろうかと心配になる。入場料を楽団員の頭数で割ると大した金額にはならない。一方、彼らがここまでなるに費やした費用は相当なものだろう。楽器も驚くほど高いに違いない。
弟子の教授料などの副収入もあるんだろうが、生活は楽ではないのかも。
そこいくと、ホール落語で入場料を数千円も取る噺家は何と恵まれているかと。コストは着物と扇子と手拭いと足代だけだ。
落語家の入門希望者が増えるわけだ。

2015/11/02

2015年10月記事別アクセスランキング

当ブログの10月の記事別アクセスTOP10は以下の通り。

1 鈴本演芸場10月上席・夜席(2015/9/3)
2 8代目橘家圓蔵の死去
3 圓蔵が提起していた「名跡の在りかた」は傾聴に値する
4 笑福亭福笑独演会(2015/10/10)
5 #2三遊亭兼好独演会(2015/10/21)
6 【ツアーな人々】消えた添乗員
7 国立10月中席(2015/10/13)
8 【ツアーな人々】当世海外買春事情
9 この分じゃ寄席の楽屋は「国宝」だらけになっちまう
10 #62人形町らくだ亭(2015/10/26)

上位10本中、落語関連が8本、旅行関連が2本となった。
旅行関連の2本は毎月の常連だが、何でこれほど人気があるのか分からない。
落語関連では10月に8代目橘家圓蔵が死去したが、その追悼記事と、圓蔵がかつて提起していた落語家の名跡の在りかたについてもアクセスが集まった。やはりご本人の芸と人柄が愛されていた証拠だろう。
4位に”笑福亭福笑独演会”がランクインしたのは、東京における上方落語への関心の高さを示している。
9位の”この分じゃ寄席の楽屋は「国宝」だらけになっちまう”は圓楽が進めていた”歌丸を国宝に”という署名活動を「笑点」の番宣と切って捨てた記事で、同感の方が多かったのだと思われる。
なお選外になったが、”「自由席での席取り」は止めて欲しい”がもう数日早くアップしていたら、上位にランクされていただろう。コメントに見られるように、仲間の「席取り」に不快な思いをしている人が少なくないので、心当たりのある人は是非やめて欲しい。
TOP10からは外れたが、下記の政治関連の記事がいずれも多くののアクセスを集めた。
・日テレの「南京事件 兵士たちの遺言」
・建築不正は何故なくならないか
・「1億総活躍相」って何やるんだい
この中で”日テレの「南京事件 兵士たちの遺言」”は優れたドキュメンタリー番組で、まだまだマスコミも捨てたもんじゃないと感じた。ただ放映が深夜だったというのが気に入らないけどね。
「建築不正」問題については旭化成建材の不正は氷山の一角で、建築業界の構造的な欠陥によることを明らかにした。大手メディアもようやくそうした視点に立った報道を行っているようだが、元請(ゼネコン)の責任に触れているものは少ない。
安倍政権が何に向けて国民を「1億総活躍」せせようとしているのか、今後も注視する必要がある。

2015/11/01

H27年度NHK新人落語大賞の感想

10月31日に放映された「平成27年度 NHK新人お笑い大賞・NHK新人落語大賞」を見た。普段TVの演芸番組を見ることが無いのとチャンネル権を妻に奪われている関係から、この番組を見るのは20数年ぶり(桂文我が優秀賞を取って以来)となる。
従って従来との比較がどうのといった事は書けないので、今年の番組に対する感想のみを述べることにする。
本選の出場者は5人で東京から3名、上方から2名、いずれも二ツ目相当(上方には二ツ目が無いので)のキャリアの持ち主で、東京は3名とも芸協所属だ。また上方の二人はナマの高座を見ていない。
以下、出演順に。

笑福亭べ瓶『太閤の白猿』
桂佐ん吉『愛宕山』
瀧川鯉八『俺ほめ』
柳亭小痴楽『真田小僧』
春風亭昇々『湯屋番』

鯉八のみ新作で、他は古典。古典の4席はいずれもダイジェストだったが、新作は不明。
全体的な感想だが、予選の中からこの5人を選んだ方向性が良く分からない。古典落語は本寸法に向いているのか、今風に崩して笑いを取る方向に向いているのか、審査の基準が理解できない。
あるいは上手い、下手だけで選らんだのかも知れないが、予選の顔ぶれが分からないので何とも言えないが、恐らくはこの人たちより上手い人は他にもいただろう。
個々の感想では、鯉八『俺ほめ』がつまらなかった。会場からは笑いが起きていたが、面白さが理解不能。
他の4名はそれぞれ面白かった。べ瓶『太閤の白猿』は良くまとまっていたが、他のネタではどうだろうか。昇々は悪達者にならねば良いが。
審査結果として佐ん吉が大賞受賞、1票差で小痴楽は先ずは順当なとこだろう。
審査員に一言、相手は未だ若手なんだからもっと厳しく。権太楼を除けば講評が甘すぎる。

« 2015年10月 | トップページ | 2015年12月 »