原節子の死去に思う
昨日、原節子の死去が報じられた。亡くなったのは今年の9月5日で95歳だった。原は1963年の女優引退後は一度も世間に現れず伝説的な存在となっていた。また生涯を独身で通したことから「永遠の処女」という綽名が付けられていた。2000年に発表された『キネマ旬報』の「20世紀の映画スター・女優編」で日本女優の第1位に輝いた所から、原節子を知らない世代の人でも名前は聞いたことがある方は多いだろう。
かく言う私もその一人だ。
原が出演した映画公開時にみたのは2本だけで、母に連れられてみた『晩春』と、小学校の講堂でみた『ノンちゃん雲に乗る』である。前者は小学校入学前後だったと思うが、娘を嫁がせ一人残った父親がリンゴの皮を剥くシーンだけが印象に残っていて、原が出演していた事さえ憶えていない。後者では原は主人公の母親役で印象は薄く、こちらはノンちゃんを演じた鰐淵晴子の可愛さ、それもバレーを踊るシーンでパンツが見える場面だけ鮮烈に記憶しているという、なんたる不謹慎。
原節子の代表的作品を観たのは成人後のTV放映やビデオだった。終戦の年には25歳だったから、いわゆる娘役は戦前の作品になるのだろう。戦後の原の役柄は学校なら教師、家庭なら行き遅れの娘(当時の結婚適齢期を過ぎていた)や嫁、後半になると母親役が増えてくる。
その原が最も美しく輝いて見えたのは『お嬢さん乾杯!』(1949年)だと思う。没落した上流階級の令嬢役だったが、上品な中に戦後の溌剌とした女性像が描かれていて、彼女を見ているだけでウットリしてしまう。
同じ年に公開された『青い山脈』では女教師役で、こちらも戦後の自立した女性像が描かれていた。ただ映画としてはそれほど優れた作品とはいえず、むしろ主題歌の『青い山脈』の方が印象に残っている。藤山一郎と奈良光枝のデュエット曲として大ヒットした。横道に外れるが奈良光枝は美人歌手として人気があり、美貌を買われて映画『或る夜の接吻』の主役に抜擢された。主題歌の『悲しき竹笛』は大ヒットとなり、デュエットした近江俊郎もスターダムにのし上げた。
なお映画『青い山脈』の挿入歌である『恋のアマリリス』(私はこっちの方が好きだ)は二葉あき子の歌でヒットし、当時のレコードでA面B面が両方ともヒットしたという記録が残されている。
1949年は原節子の当たり年で、小津安二郎監督と初めて組んだ『晩春』も公開されている。リアルタイムでの感想は前に記した通りだが、後年になって改めて観ると初老の父親が行き遅れの娘を嫁にやる悲哀というテーマはその後の一連の小津安二郎作品の出発点になっている。自分が娘を持って初めて分かったことだが、父親というのは娘には特別の感情を抱くものだということ。
このテーマは小津と原のコンビの代表作である『東京物語』では父親と戦死した息子の嫁という関係に置き換えられているが、双方の感情は父と娘そのものだ。
こうして見ていくと、戦後に原節子が演じた役は新時代に相応しい積極的で自立した女性像と、戦後に残る古い家族制度の中で生きてゆく女性像という、相反する二つの女性像を演じている。それが何の矛盾もなく納まっている所に彼女の個性や演技力があるのだろう。
原節子という女優の特長を一言で表せば「清楚」だと思う。何を演じてもそこにあるのは「清楚」だ。
それは彼女の長所でもあり、限界でもあったのではなかろうか。引退後は世間に出ず伝説となったのは、彼女にとっては正解だったと思われる。
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