「菊地直子への無罪判決」から「公正な裁判」について考える
オウム真理教が1995年に起こした東京都庁郵便小包爆発事件で、爆薬の原料を運んだとして殺人未遂幇助などの罪に問われた元信徒・菊地直子被告(43)の控訴審判決が11月27日東京高裁であった。大島隆明裁判長は「被告に犯行を助ける意思があったと認めるには合理的な疑いが残る」と述べ、懲役5年とした一審・東京地裁の裁判員裁判による判決を破棄し、被告を無罪とした。
昨年6月の一審判決は、被告が事件前に「劇物」などと記された薬品を運んでいたことなどから、「人の殺傷に使われる危険性を認識していた」と認定。爆発物取締罰則違反の幇助罪の成立は認めなかったが、殺人未遂の幇助罪は成立するとした。
しかし、この日の高裁判決は「危険な物であっても、直ちにテロの手段として用いられると想起することは困難」と指摘。被告は教団幹部ではなく、他の一般信徒と同様に教団の指示や説明に従うしかない立場だったことなどから、「教団が大規模なテロを計画していると知っていたとは言えない」と述べた。
一審では教団元幹部の井上嘉浩死刑囚(45)が法廷で証言し、当時の被告とのやりとりから「テロの計画を被告は理解していると思った」などと語った。一審判決はこれらの証言を有罪の根拠の一つとしていたが、高裁は「多くの人が当時の記憶があいまいになっているなか、証言は不自然に詳細かつ具体的だ」と述べ、証言は信用できないと判断した。
菊地被告は1995年に警察庁から特別手配され、2012年6月に警視庁により逮捕された。特別手配中の被告と同居していた男性(44)は、犯人蔵匿などの罪で執行猶予付きの有罪判決を受けている。
この裁判の争点は、菊地被告が爆発物の原料であることを知っていて運搬していたかどうかだ。一審では菊地被告が認識していたという判断だったが、高裁は被告にはそうした認識はなかったと判断した。
その違いは、証人の井上嘉浩死刑囚の証言が信用できるかどうかが分かれ道になっていた。都庁郵便小包爆発事件は井上が計画したもので、主犯である井上の証言は決定的といえる。井上は既に死刑が確定しており、司法取引は考えにくい。そうした所から一審では信用がおけるとしたのだろう。
これに対して高裁では、井上証言があまりに詳細で具体的過ぎるから信用できないと真逆の判断をした。
また、一審が裁判人裁判だったことから、この制度の意味が問われることになる。
これを機に、制度の廃止を考えた方が良いだろう。
菊地直子被告は17年間逃走した理由については、「出頭すれば真実が曲げられると思った」と説明していた。私はこれこそが今回の無罪判決の大きなポイントだと見ている。
もしこの裁判が事件のおきた20年前の直後であったら、菊地は間違いなく有罪だったろう。当時はオウムの関係者であれば、微罪であってもかなり厳しい判決が下された。
一連のオウム真理教の事件は単なる刑事事件ではない。政府の転覆を謀ったという公安案件だった。だから他の刑事事件と比較しても量刑は厳しかった。また世論もオウムに対しては厳刑を求めていた。
しかし、20年経った今では、そうした空気は薄れている。菊地の裁判でも「疑わしきは被告人の利益に」という刑事事件の裁判の原則が守られたと見てよい。
見方を変えれば菊地直子の「逃げ得」という結果になった。
裁判の行方を左右する要因として、
・政府(政権)の意向
・世間の空気
がある事は否定できない。
この度の判決から、「公正な裁判」とは何か、それは実現可能なのか、という問題を改めて考えさせられた。
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この判事は立派だと思います。
今でも有罪圧力はすごいのではないかと思いますよ。
投稿: 佐平次 | 2015/11/28 11:06
佐平次様
この裁判では、菊地被告に対して純然たる刑事事件として扱ったという印象です。あの当時もしこうした観点に立っていたなら、事件後にオウム関係者に出された判決はかなり違った結果となったでしょう。
投稿: ほめ・く | 2015/11/28 16:28