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2015/12/02

桂吉坊の了見(2015/12/1)

「吉坊ノ会 東京」
日時:2015年12月1日(火)19時
会場:伝承ホール(渋谷)
<  番組  >
笑福亭生寿『狸の鯉』
桂吉坊『親子茶屋』、寄席の踊り『ずぼら』
~仲入り~
マグナム小林『バイオリン漫談』
桂吉坊『三十石夢乃通路(通し)』

桂吉坊、37歳。芸歴17年というから人生の半分を落語家として過ごしてきたことになる。
吉坊の芸風を一言で表すなら「真っ直ぐ」だ。近ごろの東京の若手が妙にオリジナリティを出そうとするのか、独自の解釈、独自の演出、独自のクスグリと手を入れたがる傾向が顕著だが、吉坊にはそうした様子が見られない。投手でいえばストレート1本だ。それで押せるということはストレートに威力が無ければできない。変化球に頼らず、ストレートを磨いて一流を目指しているように、私には思える。
この会は11月25日に大阪で、この日は東京で開かれたが、開口一番と色物のゲストは同じメンバーだ。
チラシによると会の名称について吉坊は、「独演会では恐れ多い、勉強会では甘えが出る。」という所から「吉坊ノ会」とした由。
こういう所にこの人の了見を感じる。 
東京ではあまり知名度が高いとは思えないが会場はほぼ一杯の入りだった。着実にファンを増やしているようだ。

吉坊の1席目『親子茶屋』
堅物の大旦那が一代で築いた身代を、夜泊まり日泊りで湯水のごとく散財する若旦那。今日も今日とて丁稚の定吉を呼びに行かせて小言をいうが、若旦那には一向に堪えない。
一通り息子に小言を云った大旦那はお寺参りへ行くと出かけるが、これが息子以上の遊び人で難波新地のお茶屋へ向かう。2階座敷で芸者を上げてのドンチャン騒ぎ。果ては「狐釣り」と云う、扇を顔の前で広げて目隠しをして鬼ごっこをする遊びに興じる。
一方息子は、親爺が出かけたのをこれ幸いと難波新地に向かう。途中で2階座敷で「狐釣り」でドンチャン騒ぎをしている店を見つけ、そんな遊びをしている客と同席したいと店へ申し出る。その代りにお茶代の半分を持つと云われて、根がケチの大旦那は同席を許してしまう。
「釣~ろよ、釣~ろよ」と二人は顔を隠して遊びに興じるが、やがて大旦那が扇を顔から外すと、そこには息子の顔が。
「せがれ! 博打をしてはいかんぞ」でサゲ。
落語には放蕩息子と堅物の大旦那という組合せが大半だが、このネタは珍しく大旦那も遊び人。バレル場面は『百年目』に似ているが、こちらは本物の親子だけによけい体裁が悪い。
吉坊の高座では、最初の店内の場面での大旦那/若旦那/丁稚の掛け合いでは、それぞれの人物像をくっきりと描き分けていた。お茶屋での「狐釣り」の場面では大旦那の風格と、踊る手振りに遊び慣れが感じられ、これも好演。
米朝一門のお家芸ともいうべきネタをしっかりと継承していた。
1席の後の『ずぼら』では、坊さんの姿でのコミカルな踊りで楽しませてくれた。

吉坊『三十石夢乃通路(通し)』
上方落語の代表的演目である『東の旅』の最終章となるネタだが、大ネタなので「通し」が口演されるのは少ない。
この演目は時間が長いだけでなく、京都の三条から四条にかけての名所案内から始まり、伏見の人形店での旅人と店の主との掛け合い、寺田屋の2階での船待ちの人間と番頭との掛け合い、乗船してからの物売りと旅人、船頭と旅人との掛け合いと、様々なシーンでの掛け合いが聴かせ所だ。
船が出てからは遅れて乗船してきた「お女中」とのラブロマンスに胸を膨らませる男の「独り語り」と、お女中がお婆さんだった時の落胆ぶりが次の聴かせ所。
次いで、船頭の舟歌と、船頭と橋の上の女郎との掛け合いが聴かせ所、若い女が船べりで小便をするのを船頭が好色な眼で見つめるシーンもある。
早朝の枚方の農家の様子を描き、ここで船に乗り合わせたスリが50両を盗むが、機転を利かした船頭が船を反転させてスリを捕まえる所で終わる。
多彩な登場人物の演じ分けや、場面に応じた掛け合いの妙。妄想男の独り芝居(『湯屋番』『浮世床』の様な)あり、舟歌ありと、上演には練達な芸が求められる。
桂枝雀や東京では三遊亭圓生の名演があるが、「通し」となると桂米朝の独壇場だった。手元のCDには1986年の口演が録音されているが、吉坊の高座も米朝の高座を忠実になぞったものだ。いくつか言葉の言い間違いがあったのが残念だったが、吉坊の高座は米朝を彷彿とさせるものだった。
今までに何人かの『三十石』を聴いたが、吉坊の口演はずば抜けている。
久々に素晴らしい高座に巡り合えた気分だ。

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コメント

ストレート、同感です。
せんじつの小はんは老獪なストレートを感じました。
志ん輔もそうかなあ。

投稿: 佐平次 | 2015/12/03 11:22

佐平次様
落語という話芸には歌舞伎についての知識、音曲や踊りの修練が不可欠だと思います。若い内にそうした技能を磨いて置くことが大事で、その点に吉坊の了見を感じるのです。

投稿: ほめ・く | 2015/12/03 16:31

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