フォト
2023年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  
無料ブログはココログ

« 2015年11月 | トップページ | 2016年1月 »

2015/12/31

2015年12月記事別アクセスランキング

当ブログの12月アクセス数のTOP10は以下の通り。

1 「ニセ有栖川宮」事件の闇
2 「オレアナ」(2015/11/9)
3 落語家の廃業
4 落語なんだから間違ったっていい?
5 三田落語会「一朝・扇辰」(2015/12/19昼)
6 柳家喬太郎独演会(2015/12/18)
7 桂吉坊の了見(2015/12/1)
8 野坂昭如ノーリターン
9 【ツアーな人々】消えた添乗員
10 池袋演芸場12月下席昼の部(2015/12/23)

今月の特徴は数年前に掲載した記事にいきなり多数のアクセスが集まったことだ。
1位の記事は10年前で、アクセス数は数日で1700以上におよび、単体の記事への1ヶ月のアクセス数では最高記録となった。原因は調べてみたらTV番組でこの事件が採りあげられたからの様で、改めてメディアの影響力の大きさを感じた。
3位の記事も数年前に掲載したもので、突然アクセスが増加した理由は不明だ。多くの方に閲覧して貰えるのは嬉しいが、理由が判然としないと何だか気持ちが悪い。
2位は劇評としては過去最高のアクセス数となった。芝居としても良く出来ていた様に思う。
4位は落語家に関する雑文。
8位は今月亡くなった野坂昭如氏の追悼記事で、9位は旅行関連の記事で何だか分からないが毎月の常連。
5,6,7,10位は寄席や落語会の感想。12月後半に行った落語会の記事へのアクセスは1月にずれ込むと思われる。
ランク外になったが、消費税の軽減税率に対する批判記事や、時節がら忠臣蔵の謎に関する記事にアクセスが集まった。

さて、今年もこれで最後になります。
相変わらず役に立たない事をグダグダと書いてきましたが、この1年お付き合い頂いた方々に感謝致します。
来年1月は6日から再開し、1月中旬から3週間程度ブログを休む予定にしています。

今年は安保法案の成立など、暗い将来を予見させられるような事も続きました。
落語や芝居に行けるのも、世の中が平和で自分や家族が健康でいられるからです。
末筆ながら皆様のご健勝をお祈り申し上げます。

2015/12/30

ベスト演劇2015

今年は26回の演劇鑑賞を行ったが、この中でベストだった芝居は次の通り。

こまつ座公演・紀伊國屋書店提携「父と暮せば」
日時:2015年7月11日(土)17時
会場:紀伊国屋サザンシアター
作 :井上ひさし
演出:鵜山仁
<  キャスト  >
辻萬長 :福吉竹造
栗田桃子:娘・福吉美津江

何度も再演され映画化もされたので観た方も多いだろうが、今回初めて舞台に接した。
1945年8月6日の広島への原爆投下で父親は死亡し、一人残された娘は様々な困難を抱えながら暮らしていた。好きな人が出来たが、父親や親友の死を目の当たりにして自分だけ幸せになってはいけないと躊躇う娘の前に父親の幽霊が現れる。
その娘に対して父はこう言う。「人間のかなしいかったこと、たのしいかったこと、それを伝えるんがおまいの仕事じゃろうが」「そいがお前に分からんようなら・・・・ほかの誰かをかわりに出してくれいや・・・・わしの孫じゃが、わしのひ孫じゃが」。
そうした父の言葉に背中を押され、一歩一歩前に進もうとする娘の姿を描いて芝居は終る。
広島の原爆投下により、一瞬にしておよそ30万人もの命が奪われた。助かった人もいるが、それはいくつかの偶然が重なり生死を分けた。亡くなった人間の無念さと、生き残った人の罪悪感。これが本作品のテーマだ。残された人たちもその後に次々と発生する被爆の症状に悩まされる。加えて、当時の周囲は必ずしも被爆者に同情的ではなかったという事情も重なる。もちろん被爆の実態を隠そうとしていたアメリカ占領軍の意向もあった。
本作品はそれらの諸事情全てを、父娘の会話だけで再現させようとしたものだ。
登場人物は二人だけで上演時間は90分という芝居だが、観る者に戦争の悲惨さ、核兵器使用の残酷さを訴え、改めて怒りと悲しみがこみ上げてくる。
久々に芝居で泣いてしまった。
数多くの井上ひさしの戯曲の中でも最高傑作といって良い。

My演芸大賞2015

当ブログ年末恒例の「My演芸大賞」、2015年の受賞者は下記の通りとなった。
【大賞】
露の新治『中村仲蔵』4/24「まいどおおきに露の新治です」
【優秀賞】
五街道雲助『お直し』3/6「雲助蔵出しぞろぞろ」
柳家権太楼『らくだ』5/1「鈴本演芸場5月上席」
桂雀々『鶴満寺』5/6「雀々・生志・兼好 密会」
桂南光『百年目』7/12「南光・南天 ふたり会」
桂吉坊『三十石夢乃通路(通し)』12/1「吉坊ノ会」

【選評】
今年、各種落語会や寄席に出掛けた回数は70回以上と例年に比べ多かった。その中から授賞者を選んだので厳しい審査となった。
大賞、優秀賞を合せて6人だったが、内訳は東京2人上方4人となり、上方落語の充実ぶりが眼についた。

大賞となった露の新治『中村仲蔵』は2度の高座を観たが、いずれも水も漏らさぬ緻密は構成と作品の完成度の高さで群を抜いていた。
東京版に比べ仲蔵夫婦の情愛により重点が置かれていたのと、仲蔵が芝居に失敗したと思い込んで上方へ向かおうとした時に仲蔵を褒めている客に出会い「ああ、ありがたい!広い世間にたった一人だけ、おれの芸をいいと言ってくだすった方がいる」という一言は胸を打つ。この客は仲蔵の趣向だけではなく今までの定九郎の演じ方や扮装に違和感があった。仲蔵の芝居を見て、その謎の絵解きが出来たと喜んでいたのだ。仲蔵の工夫と、それを受け止める客の存在とが相俟って芝居の成功に結びついたという設定に納得させられた。素晴らしい高座だった。

優秀賞の五街道雲助『お直し』では、好きで夫婦になった男が甲斐性なしで、花魁から仕舞にはケコロにまで転落してゆく女の哀れさに温かい眼を注ぎ、最下層に生きる男女の深い情愛を描いていた。駄目な男と分かっていても魅かれる女と、それに依存してしか生きて行けない男という組合せには普遍性がある。まるで川島雄三の映画の世界を観ているような結構な高座だった。

柳家権太楼『らくだ』では、この噺に出て来る主な登場人物は江戸時代の士農工商という階級からも外れた人たちだ。権太楼の高座は、そうした蔑まれた貧民層の人々の怒り、苦しみと同時に、仲間への思い遣りや優しさを主人公の屑屋に象徴させていた。このネタに新たな視点を与えてくれた高座として高く評価したい。

桂雀々『鶴満寺』は、今年最も面白かった高座と言える、涙が出るほどの抱腹絶倒。しかし雀々の噺の中には笑いの陰にどこか哀しみがある。砂糖に少量の塩を加えるとより甘味が増す、そういう演じ方だと思った。

桂南光『百年目』、このネタの決め手は店の旦那の描き方、とりわけ風格が出せるかどうかだ。番頭の行状を知った主人が驚きと怒り、今まで気付かなかった自責の念を抱えたまま店に戻り、一晩かけて帳簿を調べる。しかし不正は一切見つからなかった。翌朝に番頭を呼んでチクリと皮肉を交えながらも、「旦那」の故事を引きながら部下の奉公人にもっと露を降ろすよう諭す。南光の高座ではこの旦那の器量の大きさが十分に表現されていた。番頭が花見で遊び呆ける場面ではこの人の明るさが発揮されていた。

桂吉坊『三十石夢乃通路(通し)』、手元にあるCDで桂米朝がこのネタを演じたのは60歳の時で、マクラでもうこれが最後だと語っている。1時間近くの口演になるので体力がついて行けないとのことだった。この演目は『東の旅』の最終章となるもので、東山側から京都に入り中心部を観光した後に伏見に向かい、そこから三十石船で大阪に戻るまでを描く。従って通しで演じないと意味が薄れてしまうが、大半の口演は船宿から始まり三十石の船が漕ぎ出すまでで切っている。吉坊の高座はほとんど米朝の語り通りであったが、長講に一切の乱れがなく演じ切った。芸と気力と体力が全て備わっていなければ出来ない業だ。

2015/12/29

2015年下半期佳作選

今年下期に聴いた高座の中から優れたものを以下に列記する。

三遊亭小遊三『船徳』7/2「国立演芸場7月上席」
古今亭文菊『鰻の幇間』7/4「四の日昼席」
桂南光『百年目』7/12「南光・南天 ふたり会」
立川談春『小猿七之助』7/23「立川談春もとのその一」
桂かい枝『稽古屋』9/10「西のかい枝・東の兼好」
入船亭扇遊『三井の大黒』9/19「朝日名人会」
三遊亭兼好『能狂言』10/21「三遊亭兼好独演会」
三遊亭遊雀『文七元結』10/27「遊雀まつり」
桂吉坊『三十石夢乃通路(通し)』12/1「吉坊ノ会」
桂文之助『餅つき(尻餅)』12/4「文之助上方落語の会」
春風亭一朝『二番煎じ』12/19「第41回三田落語会」
三遊亭兼好『一分茶番』12/26「第34回大手町落語会」
柳家小のぶ『火焔太鼓』12/27「師走四景」
柳家小満ん『よかちょろ』12/27「師走四景」

参考までに2015年上半期佳作選で採りあげた高座は下記の通り。
桂文我『吉野狐』1/16「桂文我新春二夜連続落語会」
春風亭一之輔『芝浜』1/20「鈴本演芸場正月二之席」
三遊亭萬窓『花見小僧』2/5『第28回四人廻しの会』
桂吉坊『猫の忠信』2/9「第4回吉坊・一之輔二人会」
桂かい枝『胴乱の幸助』2/13「第21回西のかい枝・東の兼好」
春風亭一朝『包丁』2/21「第36回三田落語会」
桂梅團冶『鴻池の犬』3/3「第18回文我・梅團冶二人会」
五街道雲助『お直し』3/6「雲助蔵出しぞろぞろ」
桃月庵白酒『子別れ(上)強飯の女郎買い』4/3「第43回白酒ひとり」
露の新治『中村仲蔵』4/24「まいどおおきに露の新治です」
柳家権太楼『らくだ』5/1「鈴本演芸場5月上席」
桂雀々『鶴満寺』5/6「雀々・生志・兼好 密会」
桂枝光『紙屑屋』5/9「第45回上方落語会」
入船亭扇辰『団子坂奇談』5/21「扇辰・白酒二人会」
露の新治『紙入れ』6/27「第38回三田落語会」

以上の作品の中から2015年のMy演芸大賞として大賞1点、優秀賞を数点選ぶことにする。

2015/12/28

滋味あふれる高座が続いた「師走四景」(2015/12/27)

「師走四景」
日時:2015年12月27日(日)17:00
会場:浅草見番
<  番組  >
柳亭市童『出来心』
五街道雲助『辰巳の辻占』
柳家小のぶ『火焔太鼓』
~仲入り~
柳家小里ん『言訳座頭』
柳家小満ん『よかちょろ』

最近は浅草見番での「雲助蔵出し」の後に、引き続き別の落語会が行われる。年末のこの日は雲助と5代目小さん門下のベテラン3人が顔を揃えるという豪華な顔ぶれ。

市童『出来心』、実力では兄弟子たちを追い越す様な勢い。物怖じしない高座スタイルも良い。
雲助『辰巳の辻占』、水商売の女性の手練手管、男性なら多少とも経験があるだろう(反省!)。彼女たちからしてみれば客をおだてて虜にしなければ生きて行けない。そこで男の自惚れをコチョコチョっとくすぐるわけだ。無尽に当たった男が女郎から金を預かると言われる。訝った男の叔父が女の心情を試すために心中話しを持ち掛けるよう勧める。大川へ身投げすると言って、女が欄干に足でも掛けたら二人を夫婦にしてやると叔父から言われた男が深川(辰巳)の女郎屋へ出向き、誤って人を殺したので心中してくれと持ち掛ける。いよいよ橋の上に来るとハナからその気がない女は身代りに大川へ石を投げ込む。男も命が惜しくなって同じように石を投げて女郎屋へ戻る。その玄関先で二人がバッタリ。
「あっ、てめえ」
「あーら、ご機嫌よう」
「この野郎。太ェアマだ」
「娑婆で会って以来ねェ」
でサゲ。お定まりの筋だがサゲが洒落ているのと、男が女郎屋の二階で女を待つ間に煎餅に入っている辻占を読む場面がこのネタの特色。
雲助の高座は最初は一途だったが女の態度から疑心暗鬼になってゆく男の心情と、嫌々ながら心中話に乗っかりどこで逃げようかと思案する女郎の強かさとの対比を軽妙に描いていた。
師匠・10代目馬生の十八番だったが、今こういうネタを演らしたら雲助の右に出る者はいないだろう。
小のぶ『火焔太鼓』、初見。ほぼ志ん生の演出通りの高座だったが、やたら可笑しかった。
マクラで「おじゃん」の語源が半鐘から来ていて、火事で何もかも失うという所から生まれた言葉だと解説があったが、親切だ。
上半身が良く動く人で、これが会話やリアクションを際立たせる。例えば前半の道具屋夫婦の会話で女房が亭主をなじる時に身を乗り出して小言をいうのだが、女房のイライラが伝わってくる。太鼓が売れて驚き喜ぶ道具屋の亭主の動きも大きく、300両の受け取りを震えながら書くというのはリアリティがある。50両ずつの包みを懐に入れる際には、金包み一つ一つに目を輝かせながらぎこちなく懐に収めるという演じ方も初めて見た。このネタって、こんなに面白かったっけと再認識させられた高座だった。
普段あまり寄席に出ない人だそうだが、これだけの芸があるのに勿体ない。
小里ん『言訳座頭』、柳家小さん代々のお家芸ともいうべきネタで、師匠・5代目小さんも得意としていた。大晦日の掛取りをめぐるネタだが、『掛取萬歳』や『睨み返し』に比べ高座にかかる機会が少ない。
マクラで大晦日に因む川柳「大晦日もうこれまでと首くくり」「大晦日とうとう猫は蹴飛ばされ」などを披露しネタに入る。
大晦日を迎えて借金で首が回らぬ貧乏夫婦。近所に口の上手い座頭が住んでいるので借金の言い訳を頼むことにした。座頭が言うのは、相手が来る前にこちらから出かけてツケが返せないと説明する方が効果的と。二人は掛取りの相手の店に出向き、座頭はある店では店先に座りこみ、別の店では「さあ、殺せ!」と居直り、他の店では泣き落としという具合に次々と言い訳(実際は脅迫に近いのだが)をして夫婦の借金の支払いを免れる。そこに除夜の鐘。今度は座頭が「これから家へ帰って自分の言い訳をしなくちゃならねえ」でサゲ。相手によって言い訳の手口を変えるのと、それに対する店の主たちの反応を見せ所にして、小里んの高座は先代小さんを彷彿とさせる。佇まいも芸風も益々師匠に似てきた。
小満ん『よかちょろ』、マクラで先日「永青文庫」で開催された春画展に行った時の感想が語られた。女性客が多かったので驚いたと言ってが、際どい話もしていた。そんな色っぽい話題から吉原へ入りびたりの若旦那が主人公のネタへ。8代目文楽の十八番だったが、死後しばらくは演じ手がいなかった。
落語には多くの若旦那が出てくるが、これほど厚かましくて野放図なのは他にいない。客先から受け取った200円をすっかり吉原で使い、注意する番頭に向かって花魁のノロケを語る。番頭が花魁と父親とどちらが大事かと問われれば迷うことなく花魁だと答える。果ては「おやじというのは人間の脱け殻で、死なないように飯をあてがっとけばいいんです」と言い出す始末。それも父親に聞こえるような大声で。堪りかねた父親が部屋へ呼びつけ200円の使い道を訊くと、若旦那が先ずは床屋に5円、続いて「よかちょろ」に45円かかったと。父親がその「よかちょろ」って何だと尋ねると若旦那が手拍子で、
「女ながらもォ、まさかのときはァ、ハッハよかちょろ、主に代わりて玉だすきィ、しんちょろ、味見てよかちょろ、しげちょろパッパ」
と歌い出す。呆れた父親がとうとう倅を勘当する。
この噺のキモである遊び人である若旦那の「艶」をタップリと見せた小満んの高座は見事だった。

4人4様、それぞれが10代目馬生、5代目志ん生、5代目小さん、8代目文楽の十八番を演じ、その神髄を引き継ぐ高座を見せてくれた。
1年の終りに相応しい、味わい深い会だった。

2015/12/27

#34大手町落語会(2015/12/26)

第34回「大手町落語会~師走の競演~」
日時:2015年12月26日(土)13:00
会場:日経ホール
<  番組  >
前座・柳家小はぜ『道灌』
柳家やなぎ『饅頭怖い』
柳家さん喬『ちりとてちん』
春風亭小柳枝『井戸の茶椀』
~仲入り~
三遊亭兼好『一分茶番』
柳家権太楼『富久』

ここ数年恒例として、年末は大手町落語会へ来ることにしている。
さん喬と権太楼、今や落語協会の二枚看板といって良いだろう。都内で行われる定例の各種落語会でも二人の内どちらかの名前が出ているケースが多い。とりわけこの会ではさん喬と権太楼(トリはこの人が多い)二人を中心として番組が組まれているようだ。大手町落語会の常連の方々にとっては恐らくネタを見て、二人がどの様に演じるかはおよそ察しがつくのではあるまいか。どんなネタを演じてもこの二人なら期待通りの高座を見せてくれるから安心だし、それは心地良さにつながるのだと思う。

小はぜ『道灌』、師匠・はん冶の前座名を継いだ。前半の会話で「賤の女」を言い忘れてしまった。もっともこの少女は道灌も知らない古歌で切り返したのだから、決して「身分の卑しい女」ではなかった筈だが。
やなぎ『饅頭怖い』、マクラの部分での「もう」の連発は聞き苦しい。怒鳴る時の声の音量が大きすぎるのが不快だった。
さん喬『ちりとてちん』、手堅いながらも要所ではきっちり笑いを取っていたのは、さすが。ただ、東京の噺家はこのネタではなく、オリジナルの『酢豆腐』を演じて欲しい。たまには「こんつわ」や「すんちゃん」が聞きたいじゃないの。
小柳枝『井戸の茶椀』、マクラで江戸の町を流していた売り声を披露した。「おいなりさん」の売り声は初めて聴いたが奇妙な節回しだ。この演目の着目点は主な3人の男の描写だ。千代田卜斎は年齢が50歳前後で浪人をしているが武士の誇りを失っていない人物、高木作左衛門は25歳前後の正義感溢れる武士、清兵衛は40歳前後の正直な屑屋、と三者三様だ。小柳枝の高座はこの人物たちの演じ分けがしっかりと行われており、無駄を排したテンポの良い筋運びで好演。
兼好『一分茶番』、マクラで歌舞伎や能、狂言の形態模写をしていたが、これがなかなか堂に入っていた。この流れからネタに入って、特に後半の芝居の場面が丁寧に演じられた。このネタは前半で切って『権助芝居』のタイトルで演じられる事が多いのだが、大事なのは後半だ。兼好の新たな面が感じられた一席。
権太楼『富久』、この人が『富久』を演じればこうなるだろうなと予測した通りの高座と言える。前半の久蔵が富籤を買って寝込むまでがダレ気味だったが、後半の久蔵の「禍福は糾える縄の如し」運命の変転を山場にして客席を引き込んだ。

2015/12/26

宗教を「商品化」したのは誰?

以下、共同通信の記事から引用。
【インターネット通販大手アマゾンジャパンのサイトで、法事・法要で読経する僧侶を手配するサービス「お坊さん便」が始まったことを受け、全日本仏教会(東京都港区)の斎藤明聖理事長は24日、「宗教行為をサービスとして商品にしている」と批判する談話を発表した。
斎藤理事長は「お布施はサービスの対価ではない。諸外国の宗教事情を見ても、このようなことを許している国はない」と指摘。「アマゾンの宗教に対する姿勢に疑問と失望を禁じ得ない」とした。仏教会はサービスの取り扱いを中止するようアマゾンに要請することも検討している。】

問題の「お坊さん便」については、下記の朝日の記事が詳しい。
【アマゾンは今月上旬、葬儀社紹介サイト運営の「みんれび」(東京)が提供する僧侶の手配サービス「お坊さん便」をサイトに掲載しはじめた。サービス自体はみんれびが2年前に始めたもので、定額・追加料金なしで僧侶を法事や法要に仲介する。登録する僧侶は約400人で、主な宗派をそろえているという。仲介の実数は公表していないが、2014年は前年の3倍の受注があったとしている。
みんれびはサービスを広げようとアマゾンに「出品」した。売買されるのは僧侶の手配を約束するチケット(手配書)で、基本価格は税込み3万5千円。クレジットカード決済もできる。アマゾンやみんれびの手数料を除いた分が僧侶に「お布施」として入る。アマゾン経由でみんれびに10件以上の申し込みがあった。】

記事から分かる事は、元々「みれんび」という葬儀社が行っていた僧侶の手配サービスをアマゾンに出品したというものだ。
葬儀社による僧侶の手配は他でも既に行われており、全日本仏教会がクレームするなら先ず葬儀社にすべきだろう。それが出来ないのは仏教寺院と葬儀社が持ちつ持たれつの関係にあるからだ。アマゾンへの抗議は八つ当たりの様に見える。
第一、葬儀を商品化したのは仏教界ではなかったか。死者に戒名を与え、対価としてお布施を数十万円、それも戒名にランク付けまでして受け取る、それこそ「商品化」ではないか。
こうした戒名制度は日本だけのもので、日本の仏教の特異性を示している。
「拝観料」というのも良く分からない。料金を取るなら僧侶が文化財の案内や解説をしてくれるのが筋だろう。ただ入り口で金を取るだけなら、それは「入場料」だ。
アジアの仏教国であるラオスでは寺院や僧侶はお布施として現金を受け取らない。お布施は食料や衣類、建築材料などのモノに限られる。
現地で日本人の戦没者慰霊碑にお参りした際に近くの寺から声がかかり、座敷に招かれてお茶と茶菓子の接待と受けた。もちろん謝礼は受け取らない。
ラオスでは僧侶が尊敬され、飛行機の搭乗でも僧侶が優先なのは納得がいく。
京都で由緒ある寺にも拘らず、観光コースから外れているある寺院を訪れた際に、僧侶から収蔵している文化財について丁寧な説明を受けた。帰りに感謝の気持ちからいくばくかの謝礼をお渡ししたが、これが本来の「拝観料」だと思う。

仏教会が宗教の商品化を批判するのは当然だろうが、先ずは自らを省みるべきではなかろうか。

2015/12/24

池袋演芸場12月下席昼の部(2015/12/23)

池袋演芸場12月下席昼の部3日目
前座・柳家寿伴『出来心』
<  番組  >
柳家かゑる『弥次郎』
柳家三語楼『河豚鍋』
金原亭馬治『片棒』
アサダ二世『奇術』
春風亭百栄『露出さん』
橘家圓太郎『唖の釣り』
―仲入り―
鈴々舎馬るこ『時そば』
桃月庵白酒『新版三十石』
昭和こいる『漫談』
柳家小せん『御神酒徳利』

12月23日(祝日)は池袋演芸場へ。振り返ると過去も池袋には下席に来ている。他の寄席では鈴本と国立が多く、共通しているのは入れ替え制ではないという点だ。寄席は開演から終演まで見るので昼夜の通しとなると9時間近く居続けることになる。今では体力的に難しい。かといって昼の部だけで帰ると何だか損をしたような気分になるし(貧乏性だからね)、夜の部だけだと途中入場した様な感じだ。そういう分けで末広亭や浅草には足が遠のく。結果として芸協の芝居を見るのが相対的に少なくなる、という問題が残る。それでも落協所属の人で見たことがないというケースも少なくない。久しく見てないなという人もいる。
この日でいえば、
初見:三語楼、かゑる
久々:小せん、馬るこ
となり、この4人がお目当てだった。

寿伴『出来心』、自己紹介で「『さんじゅ』の弟子の寿伴です」と言ったのだが、その「さんじゅ」って誰かが出てこない。名前さえ思い浮かばない。家に戻ってから調べたら柳家三寿とあった。1971年に入門とあるからかなりのベテランだ。寿伴だが、滑り出しは良かったが途中で息切れしていた。
かゑる『弥次郎』、かゑるというとどうしても当代鈴々舎馬風を思い出すが、師匠は柳家獅堂なので馬風の孫弟子にあたる。体も声も大きくアクの強そうな所は大師匠似だ。下ネタを入れて客席から受けていたが、好みが分かれるかな。
三語楼『河豚鍋』、本来はこの人がトリだが、この日は都合で浅い出番。師匠は馬風で、そうか、今日は馬風一門が多いのか。当代は4代目だが、初代は多くの噺家に影響を与えた大物で、とりわけ5代目志ん生は初代の影響を強く受けていたので有名だ。3代目は当代小さんだし、期待が大きいんだろう。ネタは時節に因んだもので、河豚を食べる所を丁寧に描いていた。
馬治『片棒』、時間の関係からか(序)で終わったが、師匠の当代馬生譲りの端正な芸を見せていた。欲をいえばもう少し高座に色気が欲しい。
百栄『露出さん』、露出狂の爺さんが、永年街頭で露出を繰り返している内に誰も驚いてくれなくなり、寂しい思いをするという内容の新作。さして面白いものでは無かったが、この人のトボケタ味は出ていた。
圓太郎『唖の釣り』、テーマの関係でメディアでは流せず専ら寄席でしか聴けないネタ。上手い人だが語彙の一つ一つが強すぎて洗練さに欠けるのが欠点。この日のネタは個性と良く合っていた。
馬るこ『時そば』、独自のクスグリを詰め込んで熱演だったが、チョイとクドイ。ソバが胃にもたれそうだ。
白酒『新版三十石』、東北訛りの浪曲師が森の石松・三十石を唸るというだけのストーリーだが、客席は爆笑。膝前の軽いネタで沸かせる所がこの人の実力。
こいる『漫談』、相方のこいるが複雑骨折で入院中だそうで、年齢からしても長引きそうだ。漫才は独りで演るもんじゃないと語っていたが、やはり寂しそうだった。ファンが贔屓の芸能人にプレゼントを贈っても本人は持って帰らないという逸話は、以前隣家にいた歌手から聞いていた。持ち帰りは現金だけだそうなので、ファンの方々は心して下さい。
小せん『御神酒徳利』、もう何年ぶりか、久々だ、以前に比べ華やかな印象になった。短縮版だったが最後のサゲまで演じ、要所要所は丁寧に演じていた。こういうサッパリした高座はいいね。

外の寒さを吹きとばすかの様な熱演が続いた池袋の12月下席だった。

2015/12/20

三田落語会「一朝・扇辰」(2015/12/19昼)

第41回三田落語会・昼の部「一朝・扇辰二人会」
日時:2015年12月19日(土)13時30分
会場:仏教伝道センタービル8F
<  番組  >
前座・入船亭辰のこ『たらちね』
春風亭一朝『尻餅』
入船亭扇辰『藪入り』
~仲入り~
入船亭扇辰『雪とん』
春風亭一朝『二番煎じ』
(お囃子:太田その)

いよいよボケが進んだようで、この日のチケットは2か月前に買っていたにも拘らず、同日の朝日名人会のチケットを2枚も購入してしまった。仕方なく向こうは妻と娘に譲ってこちらへ来ることにした。
なお朝日名人会の感想だが、二人ともトリの雲助『掛取万歳』がとても良かったとのこと。三三は期待した程ではなく、市馬の高座は二人とも寝てしまったそうだ。手厳しいね。

今年最後の三田落語会、昼の部は「一朝・扇辰 二人会」。一朝は17回目の出演で最多ではなかろうか。持ちネタが多いのと、人柄が良いので誰とでも合う、といった所から自然と回数が増えているのだろう。
現役の東京の噺家の中で最も江戸落語らしさを残しているのは一朝だと思う。最大の特徴は「軽み」で、これが「粋」に通じる。近ごろやたら大声を発したりオーバーアクションしたりという見掛け熱演タイプの人だの、無理な筋の改変や余計なクスグリを入れて「受け」を狙う人もいるが、一朝には全くそうした気配がない。どんなネタを演じても本寸法で粋な高座を見せる。この点で雲助と一朝は双璧だ。

辰のこ『たらちね』、いいね、既に落語家の語りになっている。扇辰の弟子は粒ぞろいだ。

一朝『尻餅』、この日の2席はいずれも年末に相応しいネタで、かつ8代目可楽の十八番だ。だからどうしても可楽と比べてしまう。
可楽の演出と比べ尻餅を搗く場面の描写が丁寧だ。主が一人三役演る所とか祝儀をはずみ酒までふるまう所は上方の演出に近い。それでいてサラリと演じる所が一朝の特長だ。最初は渋々で始めた主の餅つきの真似が、次第に興に乗って楽しげになってゆく。「お前の尻をこうしみじみ見たのは初めてだ」という亭主の言葉も嫌らしさを感じない。バカバカしいストーリーだが、歳の瀬を迎えた貧乏夫婦の情愛も感じられた1席。

扇辰『藪入り』、マクラでこのネタのオチを理解するための説明があり、扇辰特有の丁寧な語りで聴かせたが、一本気な父親の性格付けが弱く感じられたのと、時間がかかり過ぎくどかったのが欠点。
ただ、アタシはこの噺が苦手だ。テーマの「君には忠、親には孝」という儒教臭が強すぎて好きになれない。これだけは好みの問題なので致し方ない。

扇辰『雪とん』、後席の高座はテンポが良く、いい出来だったと思う。
この娘さん、年が17,8と言ってたので(当時は「数え」)現在では16,7っていうことになるわけだが、積極的に男を引き入れるなんざぁ随分と早熟ですね。昔の未通女(おぼこ)は大胆だったのか。今ならお祭り佐七は淫行罪で逮捕ですよ。昔が大らかだったのか、現在が厳しすぎるのか。

一朝『二番煎じ』、火の回りから番小屋に戻って来てからの描写が優れていた。炭を足して息を吹くと火の粉が舞い上がり、それを手で振り払う箇所では外で冷えた身体を急いで温めようとする姿が眼に浮かぶ。燗をつけた酒をリーダーが一人一人に慰労の言葉をかけながら注いで行く個所では、責任者の気遣いが感じられた。今では各人それぞれ別の職業に就いているが、昔ながらの幼馴染。宴会はまるで同窓会のように盛り上がって行く。茶碗酒の飲み方、シシ鍋のつつき方も堂に入ってる。見ていて、生唾が出そうになる。
強面と思われて役人も、酒でコロリと柔らかに。
一朝の高座は客席も温めていた。
今年最後の会ということで、余興に(と言ってもプロ級の腕前だが)笛を披露。
①お囃子の太田そのさんの三味線と唄(美声!)に合わせて長唄『連獅子』
②舞踊『隅田川』の最後で、子を失った女が月を見上げて嘆く場面で吹かれる『空笛』
③祭り囃子の『鎌倉』から『屋台囃子』に移るまで
最高のクリスマスプレゼントだった。

2015/12/19

柳家喬太郎独演会(2015/12/18)

第327回県民ホール寄席「柳家喬太郎独演会」
日時:2015年12月18日(金)19:00
会場:神奈川県民ホール 小ホール
<  番組  >
柳家喬の字『動物園』
柳家喬太郎『寝床』
~仲入り~
一龍斎貞寿『赤垣源蔵徳利の別れ』
柳家喬太郎『カマ手本忠臣蔵』

喬太郎本人も言ってたが、東京周辺での独演会は珍しい。2000年代にはかなり頻繁に独演会を開いていたが、2010年代になった頃から東京や横浜では開催が少なくなった。寄席を除けば、00名人会だの00落語会だの、誰かとの二人会やゲスト出演が圧倒的だ。県民ホール寄席では2年ぶり。
この日は2席ということで、古典と新作を1席づつと思っていたら予想通りだった。

喬の字『動物園』、口調ははっきりしているが、若いのにクスグリで言うことぁ古いね。

喬太郎『寝床』
高座に上がる足取りが変だと思ったら膝を悪くしているそうで、小さな腰当を用意していた。おまけに風邪も引いていて最悪のコンディションと。
不摂生でしょう。体重をもう少し絞らないとこれからも膝で悩むことになる。売れてる噺家は休みが少なく、体調が悪くても簡単に休演できないという事情がある。なら、日頃から健康管理をしっかりやれば良いのだろうが、職業柄か、暴飲暴食夜更かし3点セットなんて生活を送ることが多いのだろう。
他の芸能分野では舞台や高座で体調不良を訴えるのを聞いた事がないが、噺家だけは多い。芸人と客との垣根が低くそれが許される職業だとも言えるが、それに甘えているとも言えよう。
初代三平の口癖じゃないが「身体だけは大事にして下さい」。
公演での旅先のエピソードなどの長いマクラからネタへ。
『寝床』の演出は、基本は師匠・さん喬に準じたもので、
・8代目文楽の演出、旦那の喜―怒―喜―怒という感情変化を基本にして
・志ん生の笑いの要素、【例】奉公人の一人が「旦那の義太夫の会がある」と聞いて屋根から落ちる。奥さんが実家に帰る。
・桂枝雀の笑いの要素、【例】師匠が弟子の良い所を無理に誉める。旦那の稽古中の声を聞かせる。繁蔵が母一人子一人だと言って泣き、最後は覚悟を決めて居直る。
といった、いいとこ取りの内容だ。
喬太郎の高座は下手な義太夫を無理やり聞かされる店子たちのオーバーアクションで客席を沸かせていたが、喬太郎の『寝床』に仕上げるには未だしばらく醸成が必要かも。

貞寿『赤垣源蔵徳利の別れ』、来年には真打昇進だそうで、読みも人物像もしっかりと出来ていた。しかし内容が余りにクサイ。討ち入りの前日に源蔵が別れを告げるために兄を訪ねたが不在だったので、兄の衣装の前で架空の酒盛りをして、そのサインに残った酒が入った徳利を置いて行ったというストーリーだ。そこに余計な逸話を付加し過ぎる。泉岳寺へ引き上げる途中で源蔵が兄の下男に色々な形見の品を託すが、フィクションとしても無理がある。講釈の会ならこういう内容でも良いだろうが、落語会の色物としてはもっとあっさりと演じて欲しい。

喬太郎『カマ手本忠臣蔵』
喬太郎の高座はざっと数えて200席は越えているだろうが、同じネタを何度も聴いているという反面、聴いた事がないネタも結構ある。この日の2席がそうだった。
忠臣蔵に登場する浅野内匠頭、吉良上野介、大石内蔵助を始め主要な人物が皆オカマで、赤穂浪士の吉良邸討ち入りは「情死」で、実際には吉良の家来たちが赤穂浪士たちを殺害した後に吉良の首を討ったというストーリー。いわばアンチ忠臣蔵。
忠臣蔵というのはフィクションが先行していて、史実は謎だらけだ。
発端となる「松の廊下」での浅野の吉良への刃傷事件でも、分からない事が多すぎる。
・勅使接待役として吉良と浅野との組み合わせは二度目で、しかもこの年は吉良が経験を買って浅野を指名していた。浅野が接待の手順が分からなかったというのはあり得ない。
・刃傷事件だが、吉良が他の人と立ち話をしている背後から浅野が吉良の背中を小刀で切り付け、振り向く所をさらに額に切りつけている。傷はいずれも浅く、吉良は治療後に茶漬けを食べて帰宅した。
・問題はなぜ小刀で切りつけたのか、だ。小刀は刺すもので切るものではない。武士なら誰でも知っている。これ以前の過去に殿中での刃傷事件は二度起きていたが、いずれも加害者は相手を刺して殺害している。浅野には殺意が無かったとしか思えない。
・事件後の取り調べでも、浅野は最後まで理由を語らなかった。語りたくなかったのか、それとも語るべき事がなかったのかが分からない。
事件の発端からして謎だらけであり、いかようにも解釈ができる。かなり乱暴ではあるが、喬太郎の創作もその一つだろう。
喬太郎のオカマぶりは、もしかして本人にもそのケがあるのではと思えるほど真に迫っていた。ただ昨今は性意識の少数者に対する差別に厳しい目が向けられて来ているので、こういうネタがいつまで出来るのか。

【陸自教本漏洩は起訴猶予】やっぱり「無理スジ」だった

陸上自衛隊の内部向け教本が在日ロシア大使館の駐在武官に流出した事件で、東京地検は12月18日、自衛隊法(守秘義務)違反の教唆容疑で書類送検された泉一成・元東部方面総監、同大使館のセルゲイ・コワリョフ元武官と、同法(守秘義務)違反などの容疑で書類送検された5人の計7人を不起訴(起訴猶予)とした。
地検は「事案の重大性の程度など、諸般の情状を考慮した」と説明している。

この件は当ブログの記事”【元陸将漏えい】果たして「機密漏えい」と言えるのか”で記した様に、「校本」自体が秘密でもなんでもないので、守秘義務違反には当たらないと指摘してきた。
今回の起訴猶予は当然の措置だ。
明らかな公安の勇み足。
狙いは何かだが、恐らくは秘密保護法への地ならし、国民への脅しだろう。
何を「秘密」とするかは権力側が一方的に決められるという怖ろしさを見せつけられた案件だった。

2015/12/18

【産経記者無罪判決】第三者告発の恐ろしさ

韓国の朴槿恵(パククネ)大統領の名誉を記事で傷つけたとして罪に問われた産経新聞の加藤達也前ソウル支局長に対し、ソウル中央地裁は12月17日、無罪判決(求刑懲役1年6カ月)を言い渡した。李東根(イドングン)裁判長は判決公判の冒頭、韓国外交省が文書を提出し、日本側が善処を求めていることに配慮してほしいと要請してきたことを明らかにした。
判決では大統領としての朴氏について、「うわさを報道されることがあっても言論の自由は幅広く認められなければならない」とし、名誉毀損(きそん)罪は成立しないとした。一方で、私人としての朴氏の名誉は傷つけたと認めた。ただ、記事が「韓国の政治、社会状況を伝えようとしていた」として、名誉を傷つける意図はなかったと認定した。
随分と奥歯にものの挟まった言い方だ。
無罪判決自体は、ここ数か月、ネットでも産経の記事が韓国政府に配慮していると指摘していて(他紙がいっせいに韓国政府を批判する記事を出していたのに産経だけが沈黙していた等)、産経-韓国政府間で取引があったのではという憶測が出ていたので、ある程度予測はされていた。

無罪は当然であり、元々が起訴すること自体が間違っていた。加藤達也前ソウル支局長が書いた記事の肝心な部分は朝鮮日報からの引用だ。その元記事が問題とされず転載された記事だけが起訴されたのは韓国独特の法律によるものだ。
韓国の国内法では名誉棄損については被害者本人以外の第三者が告発できる事になっている。今回の告発は朴大統領自身ではなく市民団体による告発で、これを受けて検察が起訴したものだ。
ここで私たちが考えておかねばならないのは、いま著作権や性犯罪に関して被害者以外が告発できる制度が検討されているという点だ。もしこうした事が法制化されれば、第三者が自由に相手を告発できる様になる。もし不起訴や無罪になったとしても告発されただけで本人の名誉が傷つけられ事は明らかだ。相手方を名誉棄損で訴えても裁判に長い期間がかかり、世間的には告発されたという事実だけが残されてしまう。
著作権や性犯罪の第三者告発という法制度改正は大きな危険性をはらんでいることを指摘しておきたい。

判決で注目すべきは「裁判長は判決公判の冒頭、韓国外交省が文書を提出し、日本側が善処を求めていることに配慮してほしいと要請してきたことを明らかにした」という点だ。
これは司法自らが三権分立を否定したわけで、裁判官の意図が計りかねる。
もっとも政府による司法への介入はわが国でも珍しい事ではなく、米国政府の方針をそのまま反映させた「砂川判決」などはその典型だ。ただ日本の裁判官は決してそういう事は言わないが。

この判決を受けての熊坂隆光産経新聞社長の声明についてだが、「裁判所に敬意を表する」とはまた随分と卑屈な言い方だ。ここは加藤達也が会見で語ったように「無罪判決は当然」とすべきだろう。
「加藤前支局長の当該コラムに大統領を誹謗中傷する意図は毛頭なく」もウソでしょう。だって何かというと韓国を貶め、日韓両国関係を悪化させるのは産経の「社是」ではなかったか。当該コラムもその文脈からアリアリだ。しかしそれは飽くまで言論の自由の範囲であることは言うまでもないけど。

2015/12/17

「新聞協会」への抗議

以下の新聞協会会長談話は、明らかな選挙目当ての自公与党の「軽減税率」を賛美し、これから国会で審議される税制改正を評価するという一方的内容で、新聞の不偏不党、公平な報道を著しく逸脱するものであり、到底容認できない。
断固、抗議する。

白石興二郎・日本新聞協会長の談話
与党の税制改正大綱は、週2回以上の発行で定期購読される新聞を軽減税率の対象とした。新聞は報道・言論によって民主主義を支えるとともに、国民に知識、教養を広く伝える役割を果たしている。このたびの与党合意は、公共財としての新聞の役割を認めたものであり、評価したい。私たちは、この措置に応え、民主主義、文化の発展のために今後も責務を果たしていく所存である。ただ、宅配の新聞に限られ、駅の売店などで買う場合が除かれた点は残念だ。一方、書籍や雑誌については引き続き検討されることとなった。多くの主要国は書籍・雑誌も軽減税率の対象としている。新聞協会は知識への課税強化に反対してきた。あらためて書籍・雑誌も軽減税率の対象に含めるよう要望したい。

ナイロン100℃「消失」(2015/12/15)

ナイロン100℃ 43rd SESSION『消失』
日時:2015年12月15日(火)19時
会場:本多劇場

作・演出:ケラリーノ・サンドロヴィッチ
<  キャスト  >
大倉孝二:チャズ
みのすけ:その弟・スタンリー
犬山イヌコ:その恋人・スワンレイク
三宅弘城:チャズの友人でヤミ医者・ドーネン
松永玲子:チャズ家の下宿人・ネハムキン
八嶋智人:ガス管の保守点検・ジャック
<ストーリー>
舞台はチャズとスタンリー兄弟の自宅。両親は既に離婚し、兄弟二人だけで片寄せあって暮らしてきた。
クリスマスの夜、パーティーの計画を練る兄チャズと弟スタンリー。スタンリーはパーティの招待者に家族の写真を見せようとアルバムを探すが、なぜかそこには自分の写真がない。チャズに訊いても言い逃れするばかり。パーティでスタンリーが思いを寄せるスワンレイクに告白するつもりが、ちょっとした手違いから彼女が食事中にショック状態になり、計画はもろくも崩れ去ってしまう。
翌日、チャズの知り合いであるヤミ医者ドーネンが来て、何やらスタンリーの事でチャズと相談を始める。どうやら二人はある秘密を共有しているらしい。
そこへ独身と称する女性ネハムキンが訪れ、兄弟の2階の部屋を間借りしたいと申し出て、チャズが快諾する。症状が回復したスワンレイクが再訪してくるが、どうやらネハムキンとはかつて会ったことがあるらしい。
部屋のガスレンジが故障したので点検にジャックを呼ぶが、なぜか点検よりこの家に集まっている人々の身元に関心がある様子。
やがて弟のスタンリーの秘密が解き明かされると、この兄弟やニセ医者、スワンレイクとネハムキン二人の女性、そしてジャズそれぞれが抱えていた謎が次々と浮かび上がってくる・・・。

ホームドラマの様なスタートから次第にミステリー風な展開になり、実は以前に大きな戦争があり今も時おり空爆が行われているという社会派的な要素もある。人工の月や人造人間といったSF的な要素や、007みたいなスパイ映画の様な場面展開もある。
登場人物全員が何かの秘密を抱えていて、一見すると何の変哲もない相互の人間関係が秘密が解き明かされると瞬時に崩壊し、タイトル通りの「消失」に至る。
まるでコントの様な軽妙な掛け合いで場内はしばしば笑いに包まれるが、次第に緊張感が高まり、悲劇的結末で終えるケラさんの手腕は相変わらず見事だ。ケラさんは深い所で人間を見ている。

客演の八嶋智人を含めて出演者はいずれも好演。
補助椅子が出る盛況だったのも由ある事だ。
公演は27日まで。

2015/12/16

公明党の公明党による公明党のための「軽減税率」

先ず「軽減税率」という用語じたいがマヤカシだ。現在8%の消費税率を10%に引きあげる際に、一部の商品について8%のまま据え置くというのだから、正確には「据置税率」が正しい。軽減税率というが、現状からは何も軽減はされない。
さて、その軽減税率だが、自公の「線引きゴッコ」により対象品目は、
・酒類を除く食品全般、但し外食は適用外
・新聞、定期購読契約を結んだもので週2回以上発行するものに限定
となっている。
これにより1兆円の財源が必要だが、メドは立っていない。

この結果について自民党内でも不満の声が上がっていて、麻生太郎財務相が「高額所得者も恩恵を受けるわけで、いかがなものか」と発言しているように、この制度で最も恩恵を受けるのは高額な食品を買う人々だ。
それでも軽減税率が押し切られたのは、公明党が選挙公約に掲げていたからだ。報道によれば1兆円規模というのは創価学会と首相官邸との会談で流れが出来たとある。
安倍政権としては来年の参院選(衆院選とのW選挙の可能性もある)に勝利するためには、何としても公明党の協力を得ねばならない。先の安保法制に支持して貰った借りもある。大阪府知事選と市長選では直前に自主投票にして貰い、政権が後押しした候補を勝利に導いた借りもある。
安倍政権としては公明党(&創価学会)の要求を丸呑みせざるを得なかった。
だから「公明党の公明党による公明党のための『軽減税率』」といっても過言ではない。
自公政権というより、実態は首相官邸と公明党との「官公政権」に近い。

この事は「新聞」に対する適用でも狙いは明らかだ。
ちょっと下の数字を見てほしい。
聖教新聞:日刊550万部
公明新聞:日刊80万部(週刊紙日曜版の部数は不明)
しんぶん赤旗:日刊紙24万部、週刊紙日曜版138万部
いずれも公称なので実売ははっきりしないが、「定期購読契約を結んだもので週2回以上発行するものに限定」という条件で恩恵を受けるのは公明党(&創価学会)であり、打撃を受けるのは週刊紙の部数が圧倒的に多い共産党だ。自分の所は有利にして、政敵を叩くという見事な戦略としか言いようがない。
この点でも公明党の圧勝である。
政権としてはこれで新聞協会に恩を売ることになり、その「お返し」が期待できるわけだ。

この件では橋下徹がSNSに「これで完全に憲法改正のプロセスは詰んだ。来夏の参議院選挙で参院3分の2を達成すれば、いよいよ憲法改正。目的達成のための妥協」と投稿。
今回の公明党への大幅譲歩と引き換えに安倍首相が目指す憲法改正に公明党も賛同して実現の可能性が高まるとの見方を示した。
「軽減税率」と「憲法改正」が引き換えですか。
それなら益々「軽減税率」と、その根源である「消費税増税」は阻止せねばなるまい。

2015/12/14

「軽減税率」百害あって一利なし

消費税の軽減税率を巡って、自民・公明両党による対象品目の「線引きゴッコ」が終り、再来年4月の導入時は「外食」を除いた「生鮮食品」と「加工食品」とすることで合意したようだ。この財源は1兆円となる模様で、財源について記者から質問された自民党幹部が「財源なんて、どうにでもなる」と答えていたのが印象的だった。
そう、「財源なんて、どうにでもなる」のだ。だって国民が負担するんだから気楽なもんだ。

当ブログでは一貫して軽減税率に反対してきた。
理由は以下の通り。
第一は、軽減税率の導入は当たり前だが消費税の増税が前提だ。2017年4月から消費税を10%に上げることが決まっているが、法律で決めたことは国会で変えることができる。
なぜ消費税を上げなばならないかというと、政府与党は決まって「高齢化に伴う社会保障費の増加」を口にするが、これは真っ赤なウソなのだ。
消費税の増税は常に法人税減税とセットとなっており、少しデータは古いが1989年度に消費税を導入して以降、消費税額は224兆円で同期間に法人税は208兆円が減税されている。
つまり消費税は常に法人税減税の穴埋めに使われてきた。
大事なことは、私たちが支払っている所得税や消費税は家計が赤字でも徴収される。それに対して法人税は企業の利益に対して課税される。だから世間には有名企業として名の通った会社が、何年も法人税を1銭も払っていないなんて事が起きるのだ。
いま法人税を支払っている企業は全体のおよそ3割程度と言われている。もちろん大企業が主だ。法人税減税で恩恵を受けるのはそれらの儲かっている企業だけで、赤字に苦しむ中小企業にはなんら恩恵がない。
また大企業には様々な優遇税制により、実際に納入している税金は、政府が発表している実効税率よりはるかに低く抑えられているのが現実だ。
この結果、1980年代には全税収に占める法人税の比率が約30%だったのが、2010年には約16%になり、政府はこれを更に引き下げようとしている。
これでは財源が不足するのは当たり前で、それを消費税増税で補おうという魂胆なのだ。
景気が一向に浮上しないし、消費も低迷しているこの時期に、消費税増税を強行すれば経済がどうなるかは火を見るより明らかだ。
食料品の税率を据え置いたところで、所詮は焼け石に水である。

第二に、欧州などの諸外国に比べ日本の消費税率が未だ低いという主張があるが、これは現実を見ていない。我が国の全税収に占める消費税の割合は既に30%近くに達しており、先進諸国の中ではかなり高い方のレベルだ。税率を単純に比較するのではなく、消費者がどれだけの負担をしているかで比較すべきだろう。

第三に自公両党は、食料品の税率据え置きが低所得層に有利と宣伝しているが、むしろ高所得層に有利になるという試算結果も出ている。
試算というのは前提条件でどうにもなるもので、恣意的な試算はあてにならない。

第四に、政府は今回の消費税増税分は全て社会保障費に充てるとしている。この言い分はアテにならぬが仮にそうだとしたら、軽減税率の減収である1兆円は社会保障費から削るか、他に財源に求めることになる。いずれにしろそれは国民負担となってはね返って来るわけで、これでは右のポケットから出したものを左のポケットに収めるだけのことだ。

第五は、軽減税率の対象品目をどれにするかは政府のさじ加減になる所から、新たな利権が生まれるという問題だ。先に消費税を10%に上がる法案が通った際に、朝日から産経まで全国紙はこぞってこれに賛成の論陣をはった。これには予め政府と新聞業界の間で新聞の購読料には軽減税率を適用するとの密約があったと報じられた。これに対して雑誌や出版業界でも同様の動きがあるようだ。この様に軽減税率が、政府与党への利益誘導に利用される恐れがある。

以上の様に軽減税率の線引きゴッコの様な無意味なことをやめ、法人税減税/消費税増税というサイクルを見直し、再来年4月からの消費税10%を阻止することが肝要だ。

【追記12/15】
「新聞業界は『軽減税率』と引き換えに『魂』を売り渡すつもりか」
どうやら昨日の記事の通り、軽減税率に対象に新聞を含める方向で政府が動いているようだ。
これで全国紙がこぞって、消費税増税や軽減税率の導入に賛成ないし無批判の態度をとってきた理由が明らかになったと言える。
新聞業界は2%のために「魂」を売り渡すつもりか。

2015/12/12

バグダッド動物園のベンガルタイガー(2015/12/11)

『バグダッド動物園のベンガルタイガー』
日時:2015年12月11日(金)14時
会場:新国立劇場 小劇場
作=ラジヴ・ジョセフ 
翻訳=平川大作 
演出=中津留章仁
<  キャスト  >
杉本哲太:タイガー 
風間俊介:米軍兵士ケヴ
谷田歩:米軍兵士トム  
安井順平:イラク人通訳ムーサ 
粟野史浩:ウーダイ(サダム・フセインの長男) 
クリスタル真希:イラク人女 
田嶋真弓:イラク人少女/ハディア(ムーサの妹) 
野坂弘:イラク人男

ストーリー
2003年にアメリカがイラクに侵攻し、空爆によって破壊されたバグダッド動物園に1匹のベンガルタイガーが残されていた。檻の前で警護のアメリカ兵二人のうち、トムが腹をすかせたトラに手を噛みちぎられる。直ちに仲間の兵士ケヴがトラはその場で射殺しトムを助け出す。死んだトラは幽霊となって撃った兵士ケヴに取り憑いてしまい、精神に異常を来たしたケヴは自殺。これまた幽霊となり、義手をつけた元相棒トムに取り憑く。フセインの長男ウーダイによって妹ハディアを殺されたイラク人ムーサは、通訳として米兵とイラク人との間で苦しむ。そしてムーサもまた元雇い主であるウーダイに取り憑かれる。
かくしてトラの幽霊、アメリカ兵ケヴの幽霊、さらにはサダム・フセインの息子の幽霊、さまよう女の子の幽霊が次々と出現する。幽霊と現実を生きる人間とが絡み合い、バグダッドに渦巻く欲望と残虐さがあらわになっていく。

2003年9月にバグダット動物園内で米兵がトラを射殺した事件があり、作者はこれに着想を得て本作品を執筆したとある。
現在の中東諸地域の混乱や、ISに代表される破壊的政治勢力が引き起こすテロの世界各地への拡散させた深刻な事態は、いずれもアメリカによるイラク侵攻が根源だ。
当初、米軍がサダム・フセイン一家を一掃しイラクを民主化した際に、イラク人から歓迎されるものと信じていた。しかし米国のイラク占領に対してイラク人の反発を招き、反米闘争も始まる。これを裏切りと見た米軍とイラク人との軍事衝突が頻発するようになり、現在に至るイラク内戦を招いた。

この芝居でもフセインの屋敷に踏み込み、二人の息子を射殺した米兵たちが屋敷の中にあった金銀財宝を持ち出し秘匿するというエピソードを織りこみ、イラク戦争の大義に疑問を投げかけている。
また現地に米兵がイラク人通訳を使用人のように扱い、イラク民間人との板挟みになった苦悩も描かれている。
射殺され幽霊にになったトラが、野生時代に幼い子どもを殺して餌にした事を思い出し、自らの獣性に悩むというシーンもある。
戦争の現実に堪えられず精神に異常をきたし自殺するという米兵の姿をケヴに代表させ、障害を負い本国に帰還してからの生活を考えて財宝に執着する米兵の姿をトムに反映させている。
こうした個々の問題提起に拘らず、私はこの作者が戯曲を通して”要するに何を言わんとしているか”が理解できなかった。この肝心な点が把握できなかったので、見終っての満足感が得られなかった。

出演者では風間俊介の熱演が光る。軽薄で繊細なおよそ兵士には不向きな人間がイラクへ派遣され狂っていく様を演じた。幽霊になってから妙に高尚な人物になる変わり身も面白かった。
他に、哲学的なトラを演じた杉本哲太、米兵とイラク人との間の板挟みに苦しむ通訳を演じた安井順平、徹底した極悪人のウーダイを演じた粟野史浩が好演。

公演期間は12月27日まで。

2015/12/10

野坂昭如ノーリターン

作家の野坂昭如(のさか・あきゆき)氏が12月9日、心不全のため東京都内の病院で死去した。85歳だった。
と言っても野坂の書いた本はあまり読んでないので作家としての思い出は少ない。むしろ歌手の方かな。なかでも最高傑作は「サントリーゴールド900」(1976年)のCMソングだ。

ソ,ソ,ソクラテスかプラトンか
ニ,ニ,ニーチェかサルトルか
みーんな悩んで大きくなった.
(大きいわ 大物よ)
俺もお前も大物だ!
・・・・・・・・・・・・・・・
とんとんとんがらしの宙返り
ギリシア、ドイツ、フランスの哲学者の名前を並べた所に、何となく1970年代の空気を感じる。

これと、大橋巨泉のパイロット万年筆のCM「はっぱふみふみ」(1969年)、
「みじかびの キャプリキ取れば すぎちょびれ すぎ書きすらの はっぱふみふみ」
は、CMの二大傑作だと思う。

野坂本人の歌唱では、モンローの追悼歌と終末思想がくっついた様な「マリリン・モンロー・ノー・リターン」(1971年)があった。

この世はもうじき お終いだ 
あの町この町 鐘が鳴る
切ない切ない この夜を 
どうするどうする あなたなら
マリリン・モンロー・ノー・リターン 
“ノー・リターン ノー・リターン”

同じ年にレコーディングした「黒の舟歌」は、本人歌唱より長谷川きよしのカバーの方がヒットしてしまった。

男と女の 間には
深くて暗い 川がある
誰も渡れぬ 川なれど
エンヤコラ 今夜も 舟を出す
Row and Row Row and Row
振り返るな Row Row

レアものでは1978年4月4日放送のNHK「ビッグ・ショー」で、この回は「山口百恵」だったのだが大のファンである野坂がゲスト出演していた。そこで「おんじょろ節」(以下に歌詞)と「オーシャンゼリゼ」を二人でデュエットした。いつになく野坂が神妙だったのが可笑しかった。

さみしい桜の 昼下がり
細い小指を からませて
行くの それとも行かないの
男と女の けものみち
おんじょろ おんじょろ おんじょろよ
男も女も おんじょろよ
とんびがくるりと 輪をかいた

直木賞を受賞した小説「火垂るの墓」をアニメ化した作品は、何度見ても泣かされる。終戦の年に15歳だった野坂は戦争を経験しており、実際に妹を空襲の後に栄養失調で亡くした体験に基づきこの小説を書いている。
「焼跡闇市派」を自称して政治活動を含め幅広い分野で活躍した野坂昭如氏。
ご冥福を祈る。

ご機嫌なミュージカル「CHICAGO」(2015/12/9マチネ)

ブロードウェイミュージカル『シカゴ』
日時:2015年12月9日(水)14時
会場:東急シアターオーブ

作詞:フレッド・エッブ
作曲:ジョン・カンダー
脚本:フレッド・エッブ&ボブ・フォッシー
初演版演出・振付:ボブ・フォッシー

<   キャスト   >
シャーロット・ケイト・フォックス:ロキシー・ハート/ヴォードヴィルのスターを夢見ながら、ナイトクラブで働く人妻。愛人を殺害し監獄へ。
アムラ=フェイ・ライト:ヴェルマ・ケリー/元ヴォードヴィルダンサー。夫とその浮気相手である実の妹を殺害し監獄へ。
トム・ヒューイット:ビリー・フリン/裁判では一度も負けたことがない、私利私欲に目のない悪徳敏腕弁護士。ヴェルマとロキシーの代理人を務める。
トッド・ブオノパーネ:エイモス・ハート/妻ロキシーに裏切られ続けるお人好しの夫。それでもロキシーを愛す。
ロズ・ライアン:ママ・モートン/ロキシーやヴェルマ達の収監される監獄を取りまとめる女看守。ワイロを貰って収監者の便宜を図る。
D.ラテル:メアリー・サンシャイン/イブニングスター紙の記者。彼女の手に掛かれば瞬時にシカゴの街中がその話題で持ちきりになる。
ニコール・ブノワ:ゴー・トゥ・ヘル・キティ/裁判で有罪、絞首刑になる。
ほか、アメリカ・カンパニー。

<MUSICAL NUMBER>
— ACT1 —
OVERTURE/ザ・バンド
ALL THAT JAZZ/ヴェルマ&カンパニー
FUNNY HONEY/ロキシー
CELL BLOCK TANGO/ヴェルマ&ガールズ
WHEN YOU'RE GOOD TO MAMA/ママ・モートン
TAP DANCE/ロキシー、エイモス、ボーイズ
ALL I CARE ABOUT/ビリー&ガールズ
A LITTLE BIT OF GOOD/メアリー・サンシャイン
WE BOTH REACHED FOR THE GUN/ビリー、ロキシー、メアリー・サンシャイン、カンパニー
ROXIE/ロキシー&ボーイズ
I CAN'T DO IT ALONE/ヴェルマ
MY OWN BEST FRIEND/ロキシー&ヴェルマ
— ACT2 —
ENTR'ACTE/ザ・バンド
I KNOW A GIRL/ヴェルマ
ME AND MY BABY/ロキシー&ボーイズ
MISTER CELLOPHANE/エイモス
WHEN VELMA TAKES THE STAND/ヴェルマ&ボーイズ
RAZZLE DAZZLE/ビリー&カンパニー
CLASS/ヴェルマ&ママ・モートン
NOWADAYS/ロキシー&ヴェルマ
HOT HONEY RAG/ロキシー&ヴェルマ
FINALE/カンパニー

<ストーリー>
舞台は1920年代、禁酒法時代のアメリカ・イリノイ州シカゴ。夫と浮気相手の妹を殺害した元ヴォードヴィルダンサー、ヴェルマ・ケリーが現れ、虚飾と退廃に満ちた魅惑的な世界に観客を引き込む(All That Jazz)。曲の途中、ナイトクラブで働く人妻ロキシー・ハートが浮気相手に銃弾を放つ。
お人好しのロキシーの夫エイモスは、彼女の身代わりとして出頭し、愛すべき夫への想いを吐露するロキシー(Funny Honey)。しかし死んだのは妻の浮気相手だと気付いたエイモスは憤慨して警察に真実を話し、ロキシーは収監される。
そこにはヴェルマをはじめ、自らの犯した罪にそれぞれ勝手な“解釈”を加えて無実を高らかに訴える女性殺人囚たちがいた(Cellblock Tango)。女看守長ママ・モートンは「見返りをくれれば(When You’re Good To Mama)そのお礼をするよ」とロキシーにワイロを要求する。
無罪を勝ち取ってショービズ界へのカムバックしたいヴェルマは、マスコミの注目を奪ったロキシーが気に入らない。ヴェルマの代理人を務める弁護士ビリー・フリンは、金や名声より「愛こそがすべて」(All I Care About)だとうそぶき、ロキシーの弁護を引き受ける。
手始めにビリーは、お涙頂戴ドラマに弱い記者メアリー・サンシャインを利用しようと画策(A Little Bit Of Good)。記者会見を開き、ロキシーの偽りの過去と正当防衛の作り話をでっち上げる(We Both Reached For The Gun)。ビリーの話を信じたマスコミや世間の注目を浴びて大喜びのロキシーは、スターになった自分の晴れ姿を夢見る(Roxie)。
焦ったヴェルマはロキシーに手を組もうと持ち掛けるが(I Can’t Do It Alone)、他でより衝撃的な事件が起き、二人へのマスコミの関心は薄れてしまう。ロキシーとヴェルマは「頼りになるのは自分だけ」と自らに言い聞かせる(My Own Best Friend)。そこでロキシーは「実は妊娠している」と告白すすと、新ネタに狂喜したマスコミは、再び彼女に無数のフラッシュを浴びせる。
ロキシーの嘘に呆れながらも感心すら覚えるヴェルマ(I Know A Girl)と、ありもしない赤ん坊を想像して上機嫌のロキシー(Me And My Baby)。一方、周囲から忘れられたロキシーのエイモスは、自分がセロファンのように透明で目立たない存在だと嘆く(Mister Cellophane)。
名声に溺れて強気になったロキシーに対し、弁護士のビリーは自分こそがすべてを巧みに操る”スター”なのだと自信たっぷり(Razzle Dazzle)。彼の筋書き通り、法廷で社会の被害者を演じるロキシーの様子を聞いたヴェルマとママ・モートンは、道徳や品位(Class)など地に落ちた今の世のありさまを嘆く。
そして判決を迎え、めでたくロキシーは無罪となるが、その瞬間に他のスキャンダラスな殺人事件のニュースが舞い込み、マスコミは彼女に目もくれず飛び出していく。
茫然自失するロキシー、そして同じくマスコミに見放されたヴェルマ。
やがて自由の身になった二人はコンビを組んでナイトクラブのヴォードヴィルダンサーとして歌い踊る(NOWADAYS)(HOT HONEY RAG)。二人は客席からの喝采を浴びて終幕(FINALE)。

ストーリー自体は他愛ないが、とにかく数々ミュージカルナンバーに乗せて繰り出される歌と踊りが素晴らしい。鍛え上げられた身体が躍動する姿はエキサイティングだ。
ミュージカル俳優は「歌えて踊れて演技ができる」事が条件だが、日本の俳優だとこの三拍子が揃う人は稀だ。今回来日したブロードウエイの出演者やアメリカ・カンパニーの面々はその条件が備わっている。
特にヴェルマを演じたアムラ=フェイ・ライトのダイナミックなダンスに魅了させられた。
他には弁護士ビリーを演じたトム・ヒューイットと看守長のママ・モートンを演じたロズ・ライアンの歌唱力、美しい女声を響かせていた新聞記者メアリー役のD.ラテル(実は男性の俳優だった)が印象に残る。
またニコール・ブノワの肢体の美しさにウットリしてしまった。
主役のロキシーを演じたシャーロット・ケイト・フォックスは熱演だったが、いかんせん華奢で線が細い。そのためか踊りのダイナミックさや歌の声量に欠けていたように思う。そこだけが残念だった。

公演は23日まで。

2015/12/08

落語なんだから間違ったっていい?

噺家がよくマクラなどで「落語なんだから少しぐらい間違えたっていい」と言うのを耳にするが、プロなんだから間違えていい筈はない。それは甘えだ。
演劇で役者がセリフを間違えたら批判される。
他の伝統芸能や大衆芸能である歌舞伎、能、狂言、音曲、講談、浪曲などでも間違いは許されない。台本のある芸能は台本通りに演じる。
落語の場合は師匠から教わったオリジナルに自分の工夫を加えた台本があるわけで、それは守らねばなるまい。高座でのアドリブは別だが。
もちろん人間がやることだから間違えはある。しかし結果として間違えるのと、最初から間違えてもいいとするのでは大違いだ。

聴く側からすれば、間違いに気付くと、それに引きずられて高座に入り込めない時がある。落語なんだからそんなに真剣に聴かなくたっていいという意見もあるだろうが、噺家が客に押しつける事柄ではない。
近ごろの落語会の入場料は3千円が相場で、会によっては4千円以上取るケースもある。
これと、出演者やスタッフ・裏方を加えれば数十名の人が関与する演劇に比べると、相対的にはむしろ割高に感じる。ならば、それ相当のパフォーマンスが求められて当然ではあるまいか。

5代目圓楽が落語家を引退する際に、師匠である6代目圓生のことを引き合いにしていた。圓生が亡くなる2,3年前からの高座を見ていて、何度か引退を勧めようとしたが叶わなかったと。落語家は自分で引くしかないと思ったので引退を決意したと語っていた。
確かに圓生の晩年の録音を聴くと、とっさに登場人物の名前が出てこない、裁きの場面で原告と被告の名前を取り違えるなど、圓生の高座とは思えないミスが目立つ。恐らくは弟子の圓楽としては見ていられない気分だったに違いない。
8代目桂文楽が『大仏餅』を演じていて、途中「あたくしは、芝片門前に住まいおりました……」に続く「神谷幸右衛門…」という台詞を思い出せず絶句した。文楽はそのまま「台詞を忘れてしまいました……」「申し訳ありません。もう一度……」「……勉強をし直してまいります」と挨拶し、深々と頭を下げて高座を降り、二度と高座には上がらなかったエピソードはあまりに有名だ。最晩年は、高座で失敗した場合の謝り方までも毎朝稽古していたそうだ。
そこまで厳しいことを求めるつもりはないが、その位の腹積もりで高座に臨んで欲しい。

現役では柳家喬太郎がネタに入って少ししてセリフにミスがあり、その場で客席に謝って別のネタに変えたことがある。この人らしい潔さだと思った。
少なくとも、落語なんだから間違ったっていいなんて気分で高座には上がって欲しくない。

2015/12/06

初めての桂文之助(2015/12/4)

「赤坂倶楽部~文之助上方落語の会~」
日時:2015年12月4日(金)19時15分
会場:赤坂会館
<  番組  >
柳亭市弥『粗忽の釘』
桂文之助『餅つき(尻餅)』
~仲入り~
桂文之助『らくだ』

漫才コンビ「あした順子・ひろし」で活躍した漫才師あしたひろしが11月3日、老衰のため死去した。93歳だった。
順子とは師弟コンビで、「男はあなた、ひろし~」という歌に合わせた順子とのダンスや、鋭く突っ込む順子に弱々しく受けるひろしの姿が笑いを呼び、人気を博した。
浅草演芸ホールでの住吉踊りで、リーダーの志ん朝からイジられていた姿が眼に残る。
ご冥福をお祈りする。

オフィスエムズが主催して毎月4回、赤坂会館で開催の「赤坂倶楽部」。その杮落しの「文之助上方落語の会」に出向く。初見。
文之助が「落語会というより親戚の法事みたい」と言っていた様に、20名足らずのこじんまりとした会だ。
文之助の経歴は以下の通り。
芸歴
1975年3月、二代目桂枝雀に入門して雀松
2013年10月、三代目桂文之助を襲名
受賞歴
1988年 第3回「NHK新人演芸コンクール」優秀賞
1989年 第4回「NHK新人演芸コンクール」大賞
1994年 第60回「国立演芸場花形演芸会」銀賞
1996年 「大阪舞台芸術」奨励賞
2006年 第61回「文化庁芸術祭」演芸部門優秀賞
2012年 第66回「文化庁芸術祭」演芸部門優秀賞
他に「気象予報士」の資格を取得している。
自分では上方落語をランダムに聴いているつもりだが、振りかえってみると枝雀、吉朝、松喬、各門下の噺家が多いことに気付く。

市弥『粗忽の釘』、開口一番で客席を冷やす。勉強し直し!

文之助『餅つき(尻餅)』
通常は『尻餅』というタイトルだが、それだとネタが割れるとして『餅つき』としているようだ。
貧乏で餅がつけないので、せめて餅つきの音だけでも、女房の尻を臼の替りにして亭主が叩いて音を近所に響かせるというストーリー。
東京では8代目可楽が得意としていたが、尻餅をつく場面は比較的あっさりと演じていた。
オリジナルの上方版はもち米を蒸篭(せいろ)で蒸し、手で揉んで、それから餅つきを始める。そこに餅つき職人へのお神酒や祝儀の提供やそれに対するお礼やオベンチャラ、井戸端での職人同士の世間話や作業指示といった細部を亭主一人が演じる。蒸篭で蒸しあがった米を臼まで運ぶのに湯気で前が見えないからと息で吹きながら運ぶ、餅つきも歌を入れながらリズミカルに演じる。
前夜、夫婦で床に入ってから営みを連想させるような演出があり、着物をまくった女房の尻をウットリと眺めるシーンと共に、東京版に比べかなりエロティックな演出となっている。
文之助の高座は一つ一つの所作を丁寧に演じ、歳の瀬の早朝の寒さを感じさせて好演。
冒頭のマクラで気象予報士のネタを振りながら客席を徐々に温めた手腕にも感心した。

文之助『らくだ』
時間の関係からか後半の葬礼の場面をカットし、らくだの遺骸を樽に押し込み屑屋がいい加減なお経をあげる所で切っていた。屑屋が酒に酔うにつけ次第に強気になっていく場面でも、屑屋の身の上話しもカットしていた。
全体にあっさりとした印象だったが、これはこの人のスタイルなのかどうかは分からない。
マクラで、ラクダが初めて日本へ来た時の逸話や、「かんかんのう」の歌詞の紹介などは親切だった。
文之助の高座は、大家宅でのかんかんのう踊りや、ラクダの兄い分と屑屋の酒盛りで力関係が入れ替わり屑屋が兄い分を顎で使う場面を見せ所にして、軽快なテンポで聴かせていた。

せっかくの文之助の東京公演なので、市弥の高座をカットしてでも、タップリと2席を聴きたかった。
それと、高座の出来の割には観客数が寂しく感じられた。

2015/12/05

【元陸将漏えい】果たして「機密漏えい」と言えるのか

以下、読売ニュースから引用。
【陸上自衛隊の内部向けの教本が在日ロシア大使館の駐在武官(当時)に流出した事件で、警視庁公安部は12月4日に、教本を武官に渡した泉一成・元東部方面総監(64)と、ロシア大使館のセルゲイ・コワリョフ元武官(50)を自衛隊法(守秘義務)違反の教唆容疑で書類送検した。
現職陸将ら、泉元総監の依頼で教本を調達した5人も同容疑や同法(守秘義務)違反容疑で書類送検する。今回の事件では、計7人が立件されることになる。
捜査関係者によると、泉元総監は2013年5月、部下だった現職の陸将と女性自衛官、元自衛官の3人に対し、陸上自衛官向けの教本「普通科運用」を調達するよう依頼した疑い。泉元総監は、陸将からもらった1冊を東京都千代田区内のホテルで、コワリョフ元武官に手渡したという。】

この件が果たして「自衛隊法(守秘義務)違反の教唆容疑」にあたるかどうかを考えるうえで、次の2点を確認したい。

1.駐在武官(防衛駐在官)の任務について
防衛省のHPには次の様に書かれている。
【Q2.防衛駐在官の具体的な業務を教えて下さい。
A2. 主な業務は軍事情報の収集であり、各国の軍・国防当局や他国の駐在武官から、軍同士の関係でしか入手できない様々な情報を入手することができます。
わが国では防衛駐在官と呼称していますが、一般的には駐在武官と呼ばれています。駐在武官制度の歴史は古く、19世紀頃には各国で認められるようになったと言われています。】
各国の日本大使館には防衛駐在官が置かれ、その任務は「各国の軍・国防当局や他国の駐在武官から軍同士の関係でしか入手できない様々な情報を入手すること」にある。ロシアの防衛駐在官は日常的にロシア軍関係者から軍人でなければ知り得ない情報を収集している筈だ。
だって、それが任務なんだから。
日本にある各国大使館の駐在武官もまた日本の自衛隊関係者から上記の情報を収集することを任務としている。今回の件もロシアの駐在武官は「軍同士の関係でしか入手できない様々な情報を入手」していたわけだから、自己の任務を遂行しただけとも言える。
つまり自衛隊とロシア軍との間では、一定の情報交換は日常的に行われていると見られる。

2.教範は機密にあたるのか
別のニュース記事では「教範」は自衛隊内部の売店で売られていると書かれていた。
また、あるネットオークションサイトでは、次のような落札結果が書かれている。
【「防衛省 陸上自衛隊 教範 「普通科運用」」が61件の入札で55,000円、「防衛省 陸上自衛隊 教範 高射特科運用」が16件の入札で7,800円、「防衛省 陸上自衛隊 教範「野戦特科運用(試行案)」」が13件の入札で3,800円にて落札されました。このページの落札平均価格は11,213円です。オークションで落札された陸上自衛隊 教範の落札相場をご確認いただけます。】

以上の情報から分かることは、自衛隊とロシア軍との間では駐在武官や防衛駐在官を通じて日常的に一定の情報交換が行われているであろうという事。
情報というのは金品の提供や脅迫を除けば、通常は双方向だ。こちらから情報を出さねば相手からの情報も得られない。
問題の「教範」は隊内の売店で買うことが出来、オークションを使えば誰もが入手できるとするなら、これは「機密」とは言えない。もし「機密」ならオークションに掛けられた段階で公安が押収せねばならない。
以上を勘案すれば、この件で自衛隊法(守秘義務)違反の教唆容疑にするのは無理があろう。
このニュースの第一報はパリでのテロ事件があった翌日だった。あまりにタイミングが良過ぎるのでニュースをフォローしてきた結果がこの通りだ。
今回の自衛隊関係者による機密漏えいに関して、その背景としての政治的意図を強く感じる。

2015/12/03

【街角で出会った美女】中国・西安編

今年8月に中国西部を訪問した際に気が付いた事ですが、一つは入国審査の際に顔写真を撮影されたこと。いつから始まったのかは分かりませんが、気持ちいいものではありません。もっともアメリカでは顔写真撮影と指紋採取があるので、それよりはマシですが。もう一つはホテルの部屋にマッサージ勧誘(実態は売春勧誘)が一度も無かったこと。訪問都市のせいかも知れませんが、習近平の進めている「掃黄」(風俗一掃)政策の結果かとも思われます。これは良くなった点です。
西安は日本でいえば京都のあたる都市で、中国の他の大都市に比べると落ち着いた雰囲気の街です。乗用車とバスなど公共交通機関では燃料を全て天然ガスにしてますし、バイクは全て電動です。ようやく環境改善に力を入れ始めてきたという印象を受けました。
ツアー最終日の夜に「唐歌舞」を鑑賞してきました。唐の時代の衣服や踊り、楽器を再現させた舞踊ショーで、踊り手は全員が女性なので中国版宝塚といった趣きでしょうか。
下の写真はその出演者の舞台を撮影したものなので「街角で出会った」とは言えませんが、中国の美女であることには違いありません。

Photo_3

Photo_4

2015/12/02

桂吉坊の了見(2015/12/1)

「吉坊ノ会 東京」
日時:2015年12月1日(火)19時
会場:伝承ホール(渋谷)
<  番組  >
笑福亭生寿『狸の鯉』
桂吉坊『親子茶屋』、寄席の踊り『ずぼら』
~仲入り~
マグナム小林『バイオリン漫談』
桂吉坊『三十石夢乃通路(通し)』

桂吉坊、37歳。芸歴17年というから人生の半分を落語家として過ごしてきたことになる。
吉坊の芸風を一言で表すなら「真っ直ぐ」だ。近ごろの東京の若手が妙にオリジナリティを出そうとするのか、独自の解釈、独自の演出、独自のクスグリと手を入れたがる傾向が顕著だが、吉坊にはそうした様子が見られない。投手でいえばストレート1本だ。それで押せるということはストレートに威力が無ければできない。変化球に頼らず、ストレートを磨いて一流を目指しているように、私には思える。
この会は11月25日に大阪で、この日は東京で開かれたが、開口一番と色物のゲストは同じメンバーだ。
チラシによると会の名称について吉坊は、「独演会では恐れ多い、勉強会では甘えが出る。」という所から「吉坊ノ会」とした由。
こういう所にこの人の了見を感じる。 
東京ではあまり知名度が高いとは思えないが会場はほぼ一杯の入りだった。着実にファンを増やしているようだ。

吉坊の1席目『親子茶屋』
堅物の大旦那が一代で築いた身代を、夜泊まり日泊りで湯水のごとく散財する若旦那。今日も今日とて丁稚の定吉を呼びに行かせて小言をいうが、若旦那には一向に堪えない。
一通り息子に小言を云った大旦那はお寺参りへ行くと出かけるが、これが息子以上の遊び人で難波新地のお茶屋へ向かう。2階座敷で芸者を上げてのドンチャン騒ぎ。果ては「狐釣り」と云う、扇を顔の前で広げて目隠しをして鬼ごっこをする遊びに興じる。
一方息子は、親爺が出かけたのをこれ幸いと難波新地に向かう。途中で2階座敷で「狐釣り」でドンチャン騒ぎをしている店を見つけ、そんな遊びをしている客と同席したいと店へ申し出る。その代りにお茶代の半分を持つと云われて、根がケチの大旦那は同席を許してしまう。
「釣~ろよ、釣~ろよ」と二人は顔を隠して遊びに興じるが、やがて大旦那が扇を顔から外すと、そこには息子の顔が。
「せがれ! 博打をしてはいかんぞ」でサゲ。
落語には放蕩息子と堅物の大旦那という組合せが大半だが、このネタは珍しく大旦那も遊び人。バレル場面は『百年目』に似ているが、こちらは本物の親子だけによけい体裁が悪い。
吉坊の高座では、最初の店内の場面での大旦那/若旦那/丁稚の掛け合いでは、それぞれの人物像をくっきりと描き分けていた。お茶屋での「狐釣り」の場面では大旦那の風格と、踊る手振りに遊び慣れが感じられ、これも好演。
米朝一門のお家芸ともいうべきネタをしっかりと継承していた。
1席の後の『ずぼら』では、坊さんの姿でのコミカルな踊りで楽しませてくれた。

吉坊『三十石夢乃通路(通し)』
上方落語の代表的演目である『東の旅』の最終章となるネタだが、大ネタなので「通し」が口演されるのは少ない。
この演目は時間が長いだけでなく、京都の三条から四条にかけての名所案内から始まり、伏見の人形店での旅人と店の主との掛け合い、寺田屋の2階での船待ちの人間と番頭との掛け合い、乗船してからの物売りと旅人、船頭と旅人との掛け合いと、様々なシーンでの掛け合いが聴かせ所だ。
船が出てからは遅れて乗船してきた「お女中」とのラブロマンスに胸を膨らませる男の「独り語り」と、お女中がお婆さんだった時の落胆ぶりが次の聴かせ所。
次いで、船頭の舟歌と、船頭と橋の上の女郎との掛け合いが聴かせ所、若い女が船べりで小便をするのを船頭が好色な眼で見つめるシーンもある。
早朝の枚方の農家の様子を描き、ここで船に乗り合わせたスリが50両を盗むが、機転を利かした船頭が船を反転させてスリを捕まえる所で終わる。
多彩な登場人物の演じ分けや、場面に応じた掛け合いの妙。妄想男の独り芝居(『湯屋番』『浮世床』の様な)あり、舟歌ありと、上演には練達な芸が求められる。
桂枝雀や東京では三遊亭圓生の名演があるが、「通し」となると桂米朝の独壇場だった。手元のCDには1986年の口演が録音されているが、吉坊の高座も米朝の高座を忠実になぞったものだ。いくつか言葉の言い間違いがあったのが残念だったが、吉坊の高座は米朝を彷彿とさせるものだった。
今までに何人かの『三十石』を聴いたが、吉坊の口演はずば抜けている。
久々に素晴らしい高座に巡り合えた気分だ。

« 2015年11月 | トップページ | 2016年1月 »