中村梅之助の訃報
ブログを休んでいる間にいくつかの訃報に接した。なかでも心に残ったのは前進座の中村梅之助さんの訃報だ。1月18日に肺炎のため死去。85歳だった。
前進座創立メンバーで名優の三代目中村翫右衛門の長男に生まれ、1938年に初舞台を踏み、翌年に四代目中村梅之助を襲名。1945年に前進座に入座。
前進座創立メンバーだった翫右衛門や五代目河原崎国太郎亡き後は、いわゆる第二世代の代表者として前進座のリーダー的な存在として活躍してきた。
舞台では「勧進帳」の弁慶や「俊寛―鬼界ケ島の場」の俊寛などを当たり役としていたが、世話物でも良い味を出していた。
ここ数年は体調が思わしくなく脇役で粋な舞台を見せていたが、数年前に前進座劇場で観た「俊寛」は素晴らしかった。島に独り取り残された俊寛が岩に登り沖に遠ざかって行く船を見送るシーンは鬼気迫るものがあった。恐らく、梅之助の俊寛としては最後の舞台であったと思われる。
TV番組では「遠山の金さん捕物帳」「伝七捕物帳」などで胸のすくような演技を見せて人気が高かったが、この点でも前進座を大いに助けたと思う。
先に長男の梅雀が退座しており、いま梅之助を失った前進座にとって大きな痛手であることは間違いない。立役のスターがいないのだ。女形として六代目河原崎國太郎が著しい進境を見せていて、彼を中心とした演目が多い昨今の前進座だが、これからいかに立役のスターを作り上げるかが課題となるだろう。
中村梅之助さんの今までの奮闘に敬意を表するとともに、心よりお悔やみ申し上げます。
他では、同じ1月18日に「ホテル・カリフォルニア」などのヒット曲で知られるアメリカのロックバンド、イーグルスのメンバー、グレン・フライが亡くなった。まだ67歳の若さだ。
1995年11月のイーグルス東京ドーム公演には家族で出かけた。ロックコンサートは最初で最後(多分)になるが、背筋がゾクゾクするほど興奮した。アンコールでは椅子に立ちあがり思わず踊ってしまった。たった1度の出会いだったが、イーグルス、そしてギターのグレン・フライ、最高の思い出を作ってくれた。
ありがとう。
« お知らせ | トップページ | 「小保方晴子」だけが悪かったのか »
「ニュース」カテゴリの記事
- 小室夫妻がそんなに気になるのか(2022.11.01)
- 英国エリザベス女王の死去(2022.09.09)
- 「ひろゆき」って意外に世間知らずだね(2022.08.29)
- 安倍晋三元首相への国会の追悼演説の人選(2022.07.28)
- 派閥の長が統一協会票を割り振っていた(2022.07.21)
中村梅之助の訃報を聞いてとても残念です。
『遠山の金さん』の人情味のある演技が印象に残っています。
子供時代、大人に混じってその勧善懲悪とツメの名場面を楽しみました。
余談ですが、子息の梅雀、声がそっくりなのに吃驚しました。
投稿: 福 | 2016/01/30 07:24
福様
『遠山の金さん』、毎週見てました。事件が解決した後、仲間が集まって「ヨヨヨイ、ヨヨヨイ、ヨヨヨイヨイ」と手締めし、金さんが「めでてぇな」とポンと胸を叩く所が痛快でした。
梅雀はますます父親そっくりになりましたね。
投稿: ほめ・く | 2016/01/30 11:30
大学に入ってすぐ「歌舞伎研究会」に入りましたらこの人が話に来ていたような記憶があります。
会の方は歓迎コンパの会費が高いのに驚いてすぐやめました。
お坊ちゃまたちの会だったのですね。
投稿: 佐平次 | 2016/01/30 22:20
佐平次様
学生で歌舞伎を研究しようなんて言う人はきっとハイクラスなのでしょう。落語研究会とは大違い。
投稿: ほめ・く | 2016/01/31 07:53
ほめ・くさんのブログで、イーグルスのことを読めるなんて、嬉しい!
学生時代に、初来日の大阪でのコンサートに行きました。
大好きな「ならず者」を中心にした構成で、感激したことを思い出します。
私は、バーニー・リードン在籍時のカントリー色の残る時代が好きです。
今日は、ポール・カントナーの訃報・・・・・・。
投稿: 小言幸兵衛 | 2016/02/02 17:44
小言幸兵衛様
初来日というと約40年ほど前になりますか。なにせ最初で最後のロックコンサートの経験なので他と比較は出来ないんですが、3度目の来日コンサートは素晴らしかった。先日床屋の大将とたまたまこの時の話題が出て、あれは良かったねなんて盛り上がりました。
投稿: ほめ・く | 2016/02/02 22:07