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2016/02/15

「志ん輔・吉坊 二人会」(2016/2/14)

座・高円寺寄席「古今東西 挑むは、はんなり若旦那」
日時:2016年2月14日(日)18時
会場:座・高円寺2
<  番組  >
前座・春風亭一猿『寿限無』
古今亭志ん輔『火焔太鼓』*
桂吉坊『胴乱の幸助』*
~仲入り~
桂吉坊『胴斬り』
古今亭志ん輔『文七元結』
(*ネタ出し)

今年で第6回目となる「高円寺演芸まつり」の最終日、座・高円寺2で開かれた「志ん輔・吉坊 二人会」へ。タイトルの「挑むは、はんなり若旦那」は吉坊で、挑まれるのは志ん輔ということになる。
上方落語の吉坊だが、ここ1年位で東京の各種落語会に名前を見ることが多くなり、東京でもお馴染みになりつつあるようだ。端正な高座スタイルとソフトな語り口が東京向きなのだろう。

志ん輔『火焔太鼓』、古今亭のお家芸であり志ん輔の十八番のネタ。志ん生―志ん朝という芸の継承の上に立った高座。太鼓の値段が300両と聞いて甚兵衛が驚く場面では動作をスローモーションにして強調させていた。

吉坊『胴乱の幸助』、当方は東京生まれの東京育ちなので上方弁の知識はないのだが、吉坊の語る言葉が本物の上方弁なんだろうと想像できる。それほど言葉が心地よく聞こえるのだ。
主人公の幸助は丹波の山奥から文字通り裸一貫で大阪に出てきて、脇目をふらず働き通し一代の身代を築いた男、趣味も持たずにきたので世情の事は分からない。唯一の趣味が喧嘩の仲裁という変わった人物だ。
話は変るが、その昔アタシの上司だった人が東大卒で5ヶ国の言語なら辞書なしで読め、ヒヤリングもできるという才人だった。ある時、出張先の宿でTVを見ていたら、「00君、この”てんちしんり”ってどんな人?」と訊いてきた。TV画面を見たら字幕で「天地真理」と出ていた。当時全盛期だった彼女をこの人は全く知らなかったのだ。これこれですよと教えてあげたら、「君はどうでもいい事は良く知ってるね」と感心されてしまった。こういう人っていうのは今も昔もいるんですね。
喧嘩の仲裁先を探していた幸助がたまたま通りかかった稽古屋で、浄瑠璃の『桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ)』、通称『お半長』の『帯屋の段』の稽古に出会ってしまう。継母の『おとせ』が『長右衛門』とその妻『お絹』を責め立てている場面だった。
この浄瑠璃は当時よほど有名だったらしく、子供でも知ってるというのだ。明治期の話のようだが、当時の上方の人の教養レベルはよほど高かったと見える。
しかし世間知らずの幸助はこれを事実と思い込み、今から京都に行って仲裁してくると言い出す。最初は呆れる稽古屋の師匠たちだったが、面白いから行かそうと笑いを堪えながら幸助を送り出す。
三十石の夜船で京都に早朝に着いた幸助、さっそく柳馬場押小路虎石町の西側に帯屋長右衛門を訪ねると、偶然にも帯屋が一軒あった。ここでも番頭との珍妙なヤリトリからサゲまでが最大の聴かせ所だ。
吉坊の高座は稽古屋の場面で『帯屋』の一節を語るのだが、こういう所に日頃の鍛錬の成果が出てくる。幸助が京の帯屋の店先で煙草を一服する所の形がとても良い。
最初のニセ喧嘩の男たちを始めとして多彩な登場人物の演じ分けも見事で、ここ数年で聴いた『胴乱の幸助』ではこの日の吉坊の高座がベストだ。

吉坊『胴斬り』、侍の新刀の試し切りにあって上半身と下半身が真っ二つに分かれてしまった男の話。東京では『首提灯』のマクラに使ったり、寄席の短い出番で演じられることが多い。
上半身は風呂屋の番台で、下半身は「麩」を踏む仕事に就いていて、両方とも重宝されている。
友だちが会いに行くとそれぞれ言付を頼まれ、上半身は「近頃目がかすむから、足に三里に灸をすえてくれ」、下半身「あまり茶ばかり飲むな、小便が近うていけない」。
このネタでも吉坊の上方弁のリズムが活きていて好演だった。

志ん輔『文七元結』、この噺の左官の長兵衛という男はどうしょうもない人間だ。仕事せず博打ばかり打つ日々を送り、それも負け続けなもんだから女房や娘の着物まで質入れして元に替える始末。おまけに負けると不機嫌になり、女房を殴る蹴る。要するに今なら人間のクズみたいな奴だ。
さて、こういう人間が改心して真人間に立ち返るというのは余程の事だろう。果たして娘が吉原に身を沈める程度のことで改悛するのだろうか。そうした疑問がどうしても残ってしまう。アタシがこのネタで談春の演出を買うのは、ここで佐野槌の女将が博打打ちの仕組みを解き明かし長兵衛の目を醒まさせるという演じ方に説得力を感じるからだ。後半の長兵衛の性格付けも談春は自然だ。
とにかく、通常は長兵衛がすっかり真人間に、かつ優しい人になって50両を懐に家に向かう。
もう一つ、この噺の難点は娘お久が吉原に身を沈めて50両の金をこさえるという場面が、吾妻橋での文七とのヤリトリと、文七が「近江屋」に戻り店の主に事情を説明する場面で、再三繰り返されることだ。観客としては同じ話を3回聴くことになる。それも「かくかくしかじかで」なんて省略できないから詳しく説明するのだ。彦六の正蔵はそこを避けるためだろう、いきなり長兵衛が吉原の大門をくぐって吾妻橋へ向かう所から始めている。ただこの演出だと、長兵衛が最初から恰好いい江戸っ子の職人に映ってしまうという欠点がある。
一長一短だ。
志ん輔の高座は長兵衛が博打でスッテンテンになり自宅に戻る場面から、最後の大団円までノーカット、フルバージョンで演じた。50分近い高座だったが最後まで間然とした所がなく熱演だった。
ただ、前半の荒々しい長兵衛と、中盤から後半のやたら涙もろい長兵衛とのギャプに違和感が消えなかったが、これは好みの問題である。

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コメント

志ん朝も文七元結の肝は女将さんが長兵衛を諭すところだと言ってた由、でも私はそこはもうわかっている聴衆として一挙に橋の上からというのが好きです。
逆に「らくだ」ではさいごの冷やまで聴きたい。
とちゅうの口説きを減らしてでも^^。

投稿: 佐平次 | 2016/02/16 11:10

佐平次様
以前は長兵衛は博打好きの左官屋という描き方だった様に記憶していますが、前半部分の描写が増えるにつれて荒々しい人物にされてきたのでは。長兵衛が佐野槌に向かう時に女房の着物を無理やり剥いで着ていったり、お久に「母さんに乱暴しないで」と言わせたりするのは、この作品の良さを殺しているように感じるのです。

投稿: ほめ・く | 2016/02/16 16:14

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