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2016/02/28

雲助蔵出し(2016/2/27)

「雲助蔵出しぞろぞろ」
日時:2016年2月27日(土)13時
会場:浅草見番
<  番組  >
前座・柳家小多け『子ほめ』
古今亭志ん松『長短』
五街道雲助『五人廻し』
~仲入り~
五街道雲助『寝床』

「三田落語会」と並んでこの「雲助蔵出し」、ここ数年は皆勤賞とまではいかないが欠かさず出かけるようにしている会だ。共通しているのは客層が良い事。知り合いはいないのだが、いつもの人と一緒にいるような気分に浸れる、そこが魅力だ。
もちろん、最大の魅力は雲助が毎回気分良さそうに語る高座にあることは言うまでもない。

志ん松『長短』、このネタには二つの型がある。一つは3代目三木助や5代目小さんに代表されるお馴染みの型。
もう一つは8代目雷門助六が演じていた、気長な男は上方、短気な男は東京という設定でストーリ自身はほぼ同じ。違うのは気長な男が静岡の知人から土産にもらった烏賊の塩辛を短気の男の家に持参してくること。もう一つは気長な男が短気な男に着物の余り切れがあるかどうかたずね、あると知ってから袂の火を注意する所だ。現役ではたい平がこの型で演じているのを聴いたことがあるが、志ん松もこの型だった。
ポイントは、気長の男が京都出身なので柔らかな京都弁で語る必要がある。ここが出来てない。

雲助『五人廻し』、このネタも大別して二つの型に別れる。登場人物のうち職人らしき江戸っ子、半可通、官吏、地方訛りのある自称江戸っ子の4人は、人物の入れ替えや登場する順序は異なる事があるが、ほぼ共通。
一つの型は最後に喜瀬川おいらんが田舎大尽の杢兵衛だんなの部屋に居続けていて、「中どん」の喜助が窮状を訴えると杢兵衛が文句を言ってる客の玉代4人分を喜助に渡す。喜瀬川もねだって玉代を受け取りそれを杢兵衛に返し「これ持って、おまはんも帰っとくれ」でサゲ。
もう一つは、5人目に相撲取りが登場し、部屋で四股を踏んで喜瀬川が来ないと怒る。そこで喜助が「廻しを取って振る花魁には敵いません」でサゲ。花魁の「廻し」と相撲の「まわし」、花魁が客を袖にするの「振る」と相撲で相手を「振る」を掛けている。雲助は後者で演じた。
この噺は明治期だろうと思われる。その時代の「色」を出すのが最大のポイントだ。
雲助の高座は、胸のすくような啖呵を切る江戸っ子、気色の悪い半可通、やたら漢語を連発し威張りくさる官吏(薩長出身か)、情人を気取る田舎大尽といった当時の廓の風俗や時代を見事に描き出していた。
この点が先日聴いた一之輔の高座との決定的な違いであり、芸の年輪、深さの違いである。

雲助『寝床』、意外だが雲助はこのネタをしばらく高座に掛けていなかったそうだ。理由は8代目文楽、志ん生、圓生、3代目金馬、それに3代目小さんの速記など、それぞれ皆型が異なり、どの型で演じようかと迷うとのこと。この日はそうした型を全て織りこみ、『綜合寝床』『寝床チャンチャカチャン』で演じていた。
確かに聴いていて、ここは黒門町、ここは志ん生、そっちは圓生かな、金馬はどこだ、なんて想像しながら聴く楽しみがあった。
通常の演出と大きく異なっていたのは、義太夫を始めるにあたり店子が大家にこの日の演目を問うと、大家が代表的な義太夫の演目を紹介しながらサワリの部分を一節語る場面が加わっていたこと。これを長時間聴かされたら、そりゃ病気になる人も出るだろうとリアルに納得した。
雲助のサービス精神溢れる、そして恐らくこの会でなければ聴けない貴重な1席だった。

今回も満足した。

2016/02/25

桂佐ん吉独演会(2016/2/24)

NHK新人落語大賞受賞記念「桂佐ん吉独演会」
日時:2016年2月24日(水)19時
会場:内幸町ホール
<  番組  >
開口一番・桂團次郎『動物園』
桂佐ん吉『堪忍袋』
桂佐ん吉『立ち切れ線香』
~仲入り~
春風亭一之輔『堀の内』
桂佐ん吉『愛宕山』

米国大統領選のトランプ旋風を嗤うなかれ。日本では既にアベ・シンゾウが首相になっているではないか。もっとも、あちらの方は米国のイラク戦争を誤りだったと批判しているし、社会保障の充実を公約に掲げているだけマトモだけど。
まあ、プロレスラーが文科大臣やる国だからね。職業の貴賤を言ってるんじゃない、かの業界と暴力団の関係の事を言っているのだ。それが学校教育ってか、冗談言っちゃいけねぇ。

家を出る時家族から「今日は誰の会?」、「桂佐ん吉」と答えたら「なんか段々マニアックになってる」と言われてしまった。
桂佐ん吉、知る人ぞ知る、だから知らない人は知らない。亡くなった桂吉朝の6番弟子で、2011年に芸術祭新人賞、2015年にはNHK新人落語大賞を受賞した若手の実力派。過去2回は開口一番での高座だったが、今回は独演会、それも初だそうだ。
東京でのいつもより広い会場、ゲストに一之輔を迎えての自分の会となれば、気負うのは当たり前。この日の高座ではそれが前面に出てしまい、緊張から「あがる」もあったのか、カム場面が散見された。最後のネタではミスも出て全体に本領発揮というわけには行かなかったようだ。

先ずはゲストの一之輔『堀の内』、ここんとこ良く逢いますね。決してオッカケじゃないんだけど。
こういう会のゲストっていうのは結構難しいと思う。以前ある会で、ゲストが40分の大ネタを掛けそれも受けてしまったもんだから、ゲストだけが印象に残ったなんて事もあった。あれ、誰の会だっけ?なんてね。だから主役を食っちゃいけない。そうかといってゲストに呼ばれたんだから存在価値は認めさせねばならない。その「程の良さ」が大事だ。この日のネタは先日聴いたばかりだが、程の良さが出ていた。

佐ん吉の1席目『堪忍袋』、マクラで一之輔を称賛していたが、くどすぎて卑屈に聞こえた。自分の会なんだからもっと堂々として欲しい。東京へのコンプレックスみたいな事もあまり強調しない方が良いと思う。
この噺は東京でもしばしば高座にかかるが、上方の方が断然面白い。夫婦喧嘩の原因が亭主の弁当のおかずを梅干しから塩昆布に変えると女房が言ったこと。仲裁に入った男がなんでそんな事で派手な喧嘩なんかすすのかと問いただすと、これが根の深い話となってゆく。泣きながら事の次第を語る女房の表情が実に良い。二人の馴れ初めを語る場面ではチラリと色気も感じられ、後半の御料さんの気品と一変する表情変化も巧みだった。佐ん吉の実力を示した1席。

佐ん吉の2席目『立ち切れ線香』、前半の最大の見せ場は、勘当話に怒り狂った若旦那を番頭が諭す場面だ。毒づく若旦那を前にして煙草を一服吸い、決然として「乞食になりなはれ」と命じる番頭。この仕種と科白で若旦那はヘナヘナになる、大店の大番頭の肚の見せ所だ。印象としてはもう少しゆっくり時間を掛けた方が良かった様に感じた。
100日経って若旦那が蔵から出て、神社への願ほどきと称して小糸の元に向かう際に番頭がそっと財布を渡す場面は良かった。この番頭の厳しさと優しさが表現されている。以後ミナミのお茶屋で小糸の死を知り、周囲の女性と共に嘆き悲しむ場面は心を打つ。小糸の霊が弾く三味線を聞きながら盃を口にする若旦那の表情には心情が溢れていた。
1席目とは対照的にしっとりと聴かせてくれた。

仲入り後の佐ん吉の3席目『愛宕山』、NHK新人落語大賞の時の作品だ。前かたに上がった一之輔が佐ん吉は2席終えて楽屋でホッとしていると言っていたが、その影響からか。あるいはマクラが滑った影響からか。出だし今ひとつエンジンが掛かっていない様子だった。そのせいか、弁当を広げる場面で大きなミスをしてしまった。そこから立ち直り、カワラケ投げから一八が谷へ降りる後半は本来の実力を見せていた様に思う。個々の人物像では室町の旦那にもう少し風格が欲しかった。

いろいろ厳しい事も書いてきたが、期待の裏返しである。
また機会を見て東京で開かれる会に行こうと思う。

2016/02/24

【書評】不破哲三「スターリン秘史―巨悪の成立と展開〈3〉」~ヒトラーとスターリンによる世界分割~

Photo不破哲三(著)「スターリン秘史―巨悪の成立と展開<3>大戦下の覇権主義(上)」(新日本出版社 2015/5/16初版)

不謹慎な言い方を許して貰えればこの本はとても面白い。第二次世界大戦中のスターリン及びソ連の外交政策をここまで冷徹に批判した歴史書は珍しいと思う。それも日本共産党の最高幹部だった不破哲三によって書かれている事がとても興味深い。
【第二次世界大戦】は「大辞林」には以下に様に要約されていて、我々も学校の授業ではこうし内容で教わった様に記憶している。
「世界恐慌後,世界再分割をめざす後進資本主義国である日・独・伊のファシズム枢軸国と,米・英・仏・ソ連・中国などの連合国との間に起こった全世界的規模の戦争。1939年ドイツのポーランド侵入が発端となって開始され,41年日本の対米開戦による太平洋戦争の勃発とドイツの独ソ不可侵条約破棄による独ソ戦争により戦乱は一挙に全世界に拡大した。当初は枢軸国が優勢であったが,42年後半から形勢は逆転し,43年スターリングラードの戦いでドイツが大敗して以後,43年9月イタリアが降伏,45年5月ドイツ,続いて8月日本が無条件降伏し,戦争は終結した。」
つまり日独伊3国のファシズム枢軸国と米英ソを中心とした連合国との世界規模の戦争というのが一般的な理解だと思われる。
しかし本書によれば開戦からドイツによるソ連侵攻に至るまでの間は、ソ連は完全に枢軸国側の一員であった事が明らかにされている。その原因の全てはスターリンの覇権主義からきたもので、ヒトラーと手を結んで世界支配を目論んでいたというものだ。
二次大戦がドイツのポーランド侵攻によって開戦になったのは間違いないのだが、それは予めソ連との間の約束に従ったものだった。1939年に「独ソ不可侵条約」と「秘密議定書」が結ばれ、東欧から北欧に至る地域をヒトラーとスターリンの合意により、ドイツとソ連両国で分割支配しようという協定が行われる。その協定に従って先ずドイツがポーランドの西側から侵入し、ついで遅れてソ連が東側から侵入する手筈にしてあった。分かり易く言えば芝居の立ち回りのようにドイツがこう切り、ソ連はこう受けるという形が最初から決まっていたのだ。
開戦を契機にして独ソ両国は「約束」通り、東欧から北欧にいたる国々を支配下に収めてゆく。
問題はソ連がそれまではナチスドイツをファシズムと規定し反ファッショを世界に呼び掛けていたことだ。そこでスターリンは屁理屈をこねて開戦の責任は英仏などの連合国側にあり、彼らとの戦いを主要な目的とするよう指示し方向転換する。以後のソ連は一方でドイツの進撃を称賛するとともにドイツへの物資提供を行う。ソ連の支えがなければ二次大戦の初戦におけるドイツの勝利は不可能だったとも推定されているほどだ。

ドイツが西欧の大半を手に入れ英国との戦争を始める頃になると、イギリスの敗北を確信したヒトラーは矛先を大きく転換する。彼の本来の目標であるソ連への侵攻の準備にかかる。
しかし当時のドイツとソ連の支配地域の国境線は長大で、相手に気付かれぬように戦闘を準備することは至難の業だ。
そこでヒトラーはソ連を欺くための策略を練る。
最初に手掛けたのは「日独伊三国同盟」の締結だった。当時の日本は西欧諸国がドイツの支配下に入ったのを絶好の好機とみて、彼らが支配していた南洋の地域に侵出することを目指していた。これにドイツがお墨付きを与えるという内容に飛びついた。ドイツという勝ち馬に乗る「バスに乗り遅れるな」という日本政府内の気風も大きく影響した。
次にヒトラーが打った手は「日独伊三国同盟」を基にソ連と交渉し、ソ連を引き込んだ「四国同盟」の結成だ。つまりアメリカ大陸を除く、アフリカ大陸を含む全ユーラシア地域を独ソ日伊の四国で分け合おうという協定だ。この同盟が実現すれば、ソ連は念願の地中海、インド洋、アラビア海への進出が可能になるとあって、スターリンはこの提案を受諾する。
ここにソ連は日独伊の枢軸国と同盟を結び、連合国とは対決する立場になる。

しかし、これはヒトラーがソ連にまいたエサであり、煙幕だった。1940年12月の、四国同盟の提案にスターリンが同意する旨の回答があった直後に、ヒトラーはドイツ軍の幹部を集め対ソ軍事作戦の準備を指示する。開戦は1941年5月と設定した。ただ既に対英国との戦闘は膠着状態に入っており、ドイツの快進撃には影が差しつつあったのだが。
ヒトラーの最終目標は熟知していたスターリンとしても、ドイツに対して全くの無警戒ではなかった。大戦前に大量の軍幹部を粛清していたことや、装備の機械化が遅れていてヨーロッパ諸国に比べ軍備が大幅に劣っていた事から、軍備を増強し軍の体制を立て直す時間が必要だった。ソ連としても四国同盟によって一定期間は時間稼ぎができるというメリットがあったわけだ。
四国同盟を受けて1941年、日本の松岡外相が独伊ソ三国を訪問する。そこでスターリンから思いがけない提案がなされる。「日ソ中立条約」の提案だった。ソ連が日本の満州支配を承認し、その代りにソ連のインド侵出は認めるというものだ。日本としては先に南洋への侵出はドイツが承認し、ソ連が満州国の承認をしてくれれば、後顧の憂いなく南洋へ侵出が出来るわけだ。併せてこの条約があれば当面はソ連との軍事衝突が避けられるのも利点だった。そうした思惑からドイツの警告を無視して(ドイツは対ソ戦を決めていたので日ソ間の条約は好ましくなかったが、真意を日本に伝えるわけには行かなかった)、1941年日本はソ連との間で「日ソ中立条約」を締結する。
かくしてソ連は、枢軸国以外で満州を正式に承認した最初で最後の国になる。
日ソ両国ともに「腹にイチモツ、手にニモツ」というわけで、お互いの真意を隠したまま見掛け上の友好条約を結ぶ事にあいなった。

第3巻はここまでだ。
本書で不破は、従来の歴史書に比べヒトラーとスターリンをより狡猾な人物として描いているようだ。1940年の独ソによるベルリン会談と、それに引き続く独伊日ソ四国同盟の評価について従来の評価とは異なる結論を出しているが、最近になって公開された当時の資料やその後の戦況を見ると、不破の指摘が当っているように思える。
冒頭に記した様に、とにかく面白い本なので、興味のある方にはご一読を薦めたい。

2016/02/21

#42三田落語会「新治・一之輔」(2016/2/20)

第42回三田落語会夜席「露の新治・春風亭一之輔」
日時:2016年2月20日(土)18時
会場:仏教伝道センタービル8F
<  番組  >
前座・柳家小かじ『道具屋』
露の新治『猿後家』
春風亭一之輔『子別れ・中下』
~仲入り~
春風亭一之輔『堀の内』
露の新治『中村仲蔵』

プログラムに石井徹也氏が書いた、露の新治が昨年の芸術祭優秀賞を受賞したことへの賛辞が挟まれていた。受賞演目である『中村仲蔵』が彦六の正蔵から師匠の露の五郎兵衛を経て新治に受け継がれていたことなどが記載されている。新治の芸の特徴として仕科(こなしorしぐさ)の決め方、鳴り物の間の取り方、芝居がかりの科白(せりふ)廻しをあげている。そして「はんなり」という上方ならではの持ち味と、東京落語の洗練が見事に融合していると評価している。
露の新治という噺家の特長を端的にとらえた文章で感心した。

三田落語会は二人会という形式になっている。組合せはかなり自由のようで、恐らくはこの会でしか見られない二人会も多い。
この日の新治・一之輔の二人会も他の会ではまずあり得ないだろうし、芸風からいえば両極端のように思える。
新治の高座は練って練って練り込んで完成した作品として高座に掛けているように見受ける。対する一之輔は鋭い感性で古典を改変し高座にかけているように映る。同じネタを二日続けて聴いたら翌日は少し変えていたという事もあった。
ファンにとってはそれぞれが魅力なのだ。

小かじ『道具屋』、口跡が良い。期待できる。

新治『猿後家』、上方のこのネタを聴くのは始めてだった。猿の様な顔の後家さん、容貌コンプレックスが強くて綺麗と言われれと上機嫌になるが、ひとたび「さる」という言葉を口にした途端怒り心頭、出入り差し止めになる。そんな後家さんの元にオベンチャラを言って小遣いを貰おうという男が現れ、後家さんを褒め称えて良い気分にさせ大成功と思わせるが、最後についうっかり「さる」と口を滑らせてしくじるというストーリー。他愛ない話だ。上方版は手が込んでいて、太兵衛という男がお伊勢参りの土産話の序に奈良の名所案内を語る。途中までは良かったが最後に「猿沢の池」と言ってしまい怒りを買う。名誉挽回とばかり店の番頭の助言で古今東西の美女の名を並べ後家さんにそっくりと煽てる。せっかくご機嫌が治った所で
「唐では玄宗皇帝の想い者で・・・」
「一体誰に似てると言うのや?」
「へイ、楊妃妃(ようけヒヒ)に似てます」
でサゲ。
圧巻は新治の奈良名所案内で、立て板に水の如く、しかもリズムがとても宜しい。こういう所が磨き抜かれた芸の力だ。

一之輔『子別れ・中下』
弔いの帰りに酔った勢いで吉原に行ったところ、昔の馴染の花魁にばったり出会い調子にのって3日も居続けて帰宅した大工の熊五郎。最初はしおらしく女房に謝るが次第に図にのって花魁のノロケ話を始める。愛想が尽きた女房が倅の亀吉を連れて家を出る。熊はこれ幸いと年季が明けた馴染みを女房にするが、これが家事は一切せず酒を飲んでは一日中ゴロゴロしている。嫌気がさして所で女の方が自分から出て行き、熊は独り身になる。
そこで初めて目が覚め、女房の有難味と息子への思いを募らせる。
ここまでが子別れ「中」で、この先は毎度お馴染みの「下」である「子は鎹」となる。
普段の高座では「中」は要約のみで「下」に入る事が多く、アタシもナマで「中」を聴くのは久々だ。熱演であったが正直ダレた。中下連続口演なら、「下」の番頭と熊の会話はもっとあっさりでも良かったのと、亀吉と出会った際に亀の口から夫婦の馴れ初めを語らせる場面は余計だったと思う。ここが間延びした分、亀吉が熊と逢ったと母親に白状する以後にタメがなく端折り気味だったのが残念。
一之輔はこうした人情噺を聴かせる力量を十分に示していただけに、キズが惜しまれる。

一之輔『堀の内』、後席は一転して弾けた高座。他の演者に比べ主人公は粗忽に能天気がプラスされている。最後は風呂屋の鏡を取り外して持ち去るサゲ。どこまで行くんだ、一之輔。

新治『中村仲蔵』、今回で3度目となるが、何度聴いても実に素晴らしい。評価は冒頭に引用した石井徹也氏の文章通りだ。このネタは本来は東京のものだが、今や東西を通じて新治がベストだろう。

2016/02/20

春風亭一之輔独演会(2016/2/19)

みなと毎月落語会「春風亭一之輔 独演会」
日時:2016年2月19日(金)19時
会場:赤坂区民センター
<  番組  >
前座・立川うおるたー『子ほめ』
春風亭一之輔『徳ちゃん』『五人廻し』
~仲入り~
春風亭一之輔『妾馬』

先ずはゲスなおウワサから。
桂文枝(72)が20年にわたって演歌歌手の紫艶(38)と不倫をしていたと、19日発売の週刊誌が報じた。所属している吉本は当然の事ながら事実を否定している。
アタシはかなり以前に上方落語の関係者から「三枝(当時)には女がいましてね」と聞いていた。「そりゃ、そうでしょうね」とアイヅチを打ったくらいだから全く驚かなかった。周囲の人は皆知っていただろうし、アタシ同様に当たり前だと思っていたのでは。それこそ「ウラヤマシイ~」とか。
今ごろになって表沙汰になったのは別れ話のもつれか、今しか記事にするタイミングが無かったのか。
だからあまりニュース価値がないんじゃないの。歌丸だったらちょっとビックリポンだけどね。

この会場、3回続けて席が同じだった。考えたらスゴイ確率だ。定員が400名だから単純に計算すると16万分の1になる。宝くじ買おうかな。
前座の立川うおるたー、志らくの20番目の弟子だそうだ。こんなに弟子集めてどうするの。やがて立川流を数で乗っ取り、家元を狙ってるのか。この会の前座は主催者(立川企画)が選んでいるそうで、それで立川流の人が多いのか。

一之輔を初めて観たのは10年前の2006年、未だ二ツ目だったが上手かった。それ以上に驚いたのは物怖じでずに客席を「飲んでかかる」高座だったことだった。悪く言えば「ふてぶてしい」。それ以後、ざっと数えて80席近く聴いているが、その印象は変らない。この人が「上がってるな」と思ったのは、鈴本での真打披露興行の高座だけだった。
この日のネタも以前に聴いたものばかりだが、中身は変えている。それも稽古に稽古を重ねて練って練って高座に掛けているのではなく、考えた事をそのまま高座で表現させているという印象なのだ。「逸材」の「逸材」たる由縁である。
もしかしたら、陰で血の滲むような努力を重ねているのかも知れないけど。そんな事ぁないか。


一之輔『徳ちゃん』と、続けて『五人廻し』。敢えて「ツク」噺を2席並べたのだろう。
徳ちゃん』、「噺家は世間のあらで飯を食い」で、今年はその「あら」が豊作だからマクラの話題には事欠かない。
このネタは、いわゆる「ちょんの間」と呼ばれる最下層の売春宿の物語。好事家に聞いた所では今でもあるそうです。大正時代に実際に経験したことを落語にしたそうで、初代・柳家三語楼あるいは初代・柳家権太郎の作とされる。
現役では雲助・白酒師弟が得意としていたが、一之輔も度々高座にかけている。
徳ちゃんともう一人の二人連れの噺家が安宿に上がり、徳ちゃんは離れに行き、残った一人が通された部屋というのは布団は遺体をくるんだもの、毛布は軍馬の背中に掛かっていたを払い下げたものという誂え。しかも5畳の部屋をべニアで仕切った2畳半で、隣の部屋ではロシア人が真っ最中。これじゃ日露戦争だというギャグも時代を表している。そこに現れた女郎は相撲取りの様な体格の大した御面相の女。体力で抑え込まれ客が悲鳴をあげる。一之輔は「足抜き」でサゲ。
爆笑のうちに引き続き『五人廻し』、前回は未だ二ツ目時代に聴いたのだが、かなり練り上げていた。最初の職人の吉原の由来を説明する際の啖呵は切れ味を増し、二人目の「通人」の気持ち悪さははより強調され、三人目の薩長の武士と思しき男では女房が病気で夫の要求に応えられないからと吉原に送り出されたのに・・・このまま帰れるかと涙ながらに叫ばせ、四人目の田舎生まれの江戸っ子は妙なアクセントで江戸弁をしゃべる。五人目を相撲取りにして相撲の「まわし」と花魁の「廻し」を掛けたサゲを付けていた。
2席ともかなり際どい所もあるのだが、そこはサラリと演じていた。
それぞれの人物像がより鮮明になっていて好演だった。

仲入りを挟んで『妾馬』、登場人物の年齢だが、おつるは20歳未満だろう。八五郎はその兄で未婚だから20代前半、八が長男なら母親は40代半ばってぇとこで思ったより若い。殿様は年齢不詳だが20代半ばから後半といった辺りか。三太夫は家老職で何となく年配のイメージがあるから50歳前後か。
そんな年齢設定で考えると、一之輔の演じる三太夫は若過ぎる。もうちょっと風格が出ている方が八にどづかれたり殿に注意されたりする場面が際立つように思う。
屋敷に上がってからの八五郎の奔放さは志ん生を彷彿とさせる。

満員の客席は3席とも終始笑いに包まれ、満足された方が多かっただろう。

2016/02/18

本能寺の「変?」と、NHK大河ドラマの「罪」

明智憲三郎(著)「本能寺の変 431年目の真実」(文芸社文庫、2013/12/3刊) がベストセラーになっている。著者は名前から察せられるように明智光秀の末裔だ。本能寺の変で主君・織田信長を討った逆臣として描かれてきた祖先の汚名を晴らすべく当時の文献資料を漁って、「本能寺の変」に関する新説を打ち立てたものだ。
強引な論理も目立つが、著者の執念が感じられて一気に読ませる。
要約すれば織田信長が天下取りを目前にして「織田家長期政権構想」を練っていた。具体的には家臣に与えていた領地を取り上げ織田家の後継者に分配する領地替えだ。領地を取り上げられた家臣たちを新たな領地獲得へと駆り立て、その先には「唐入り」、つまり中国へ侵攻しそこを新たな領地として家臣たちに与えるという構想だ。それにはかなりの抵抗が予想されるので、予め障害を取り除いておこうと考えた信長は徳川家康を本能寺に呼び出し、明智光秀に暗殺させようと計画していた。命令された光秀が家康と通じて信長を討ち、その後に家康と同盟しながら明智政権を目論んだというのが「本能寺の変」の真実だという。
確かに本能寺での信長警備があまりに薄かったとか、用心深い家康が僅か34名の家臣を連れて京都に向かったといった理由が、これだと説明がつく。
光秀/家康連合に組していた細川幽斎が裏切って羽柴秀吉に密告したため、秀吉の「大返し」が容易に成功したという説も説得力を持つ。本能寺の変の後に家康が少数の手勢で大阪から岡崎に無事に帰還できた「伊賀越え」も、予め準備していたからという主張も納得できる。
信長が果たせなかった「唐入り」を秀吉が継承し、彼らの失敗を教訓に家康は「唐入り」をやめ「改易」を選んだのだという。
いずれも当時の資料と突き合わせた推論であることは評価できる。
ただ、光秀と同盟したとされる大名が誰一人として戦闘に加勢しなかったので本能寺の変が光秀の単独行動に終わってしまった事や、あの慎重な家康が果たして光秀と連合という賭けに出ただろうかといった、大きな疑問が残る。
有力な説ではあるが、本能寺の変に関する解釈の一つと考えた方が良さそうだ。
より詳しく知りたい方は著作をどうぞ。

従来知られている「本能寺の変」の「定説」について、著者によれば事件4か月後に秀吉が口述筆記させた『惟任退治記』に書かれたものが基になっているという。「惟任(これとう)」とは光秀の別名で、この書では秀吉が望んだ本能寺の変の「真相」の流布と、併せて信長から秀吉への政権移管の「正統性」を天下に知らしめる事を目的としていた。当然の事ながら秀吉について不利な内容には一切触れず、信長や光秀の欠点については大袈裟に書かれている。これを種本として江戸時代に書かれたのが各種「太閤記」で、内容はフィクションだ。しかしこれに尾ひれをつけた軍記物や講談、そして戦前の尋常小学校の教科書にまでこの「定説」が掲載され国民に教育されてきた。秀吉の「唐入り」が軍部の「中国への侵攻」政策と結び付き利用されたのだ。
かくして聖域となった定説は吉川英治ら国民的人気作家の著作によって拡大再生産され、いよいよ権威が増してゆく。

さらに後押ししてきたのはNHK大河ドラマだろう。秀吉、信長、家康とその周辺を描いた作品は数知れず、その多くに本能寺の変のシーンが出てくるが(現在放映中の「真田丸」にもあった)、内容はいずれも「定説」に基づいたものだ。もちろんドラマはフィクションだが、視聴者の中には歴史的事実と受け止めている人もいるのではあるまいか。「定説」の国民的普及に一役かっている。
これが「水戸黄門」や「暴れん坊将軍」、「大岡越前」なら実在の人物を扱っていてもフィクションだと誰もが分かるのだが、大河ドラマとなると事実と混同されてしまう可能性がある。
これは何も「太閤記」に限った事ではなく、「赤穂事件」はフィクションの「忠臣蔵」として独り歩きしている。
通常のドラマでは終りに「この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません」というテロップが流されるが、なぜか時代劇には流されない。
NHK大河ドラマにも「この物語はフィクションであり・・・」のテロップは必要ではあるまいか。

2016/02/15

「志ん輔・吉坊 二人会」(2016/2/14)

座・高円寺寄席「古今東西 挑むは、はんなり若旦那」
日時:2016年2月14日(日)18時
会場:座・高円寺2
<  番組  >
前座・春風亭一猿『寿限無』
古今亭志ん輔『火焔太鼓』*
桂吉坊『胴乱の幸助』*
~仲入り~
桂吉坊『胴斬り』
古今亭志ん輔『文七元結』
(*ネタ出し)

今年で第6回目となる「高円寺演芸まつり」の最終日、座・高円寺2で開かれた「志ん輔・吉坊 二人会」へ。タイトルの「挑むは、はんなり若旦那」は吉坊で、挑まれるのは志ん輔ということになる。
上方落語の吉坊だが、ここ1年位で東京の各種落語会に名前を見ることが多くなり、東京でもお馴染みになりつつあるようだ。端正な高座スタイルとソフトな語り口が東京向きなのだろう。

志ん輔『火焔太鼓』、古今亭のお家芸であり志ん輔の十八番のネタ。志ん生―志ん朝という芸の継承の上に立った高座。太鼓の値段が300両と聞いて甚兵衛が驚く場面では動作をスローモーションにして強調させていた。

吉坊『胴乱の幸助』、当方は東京生まれの東京育ちなので上方弁の知識はないのだが、吉坊の語る言葉が本物の上方弁なんだろうと想像できる。それほど言葉が心地よく聞こえるのだ。
主人公の幸助は丹波の山奥から文字通り裸一貫で大阪に出てきて、脇目をふらず働き通し一代の身代を築いた男、趣味も持たずにきたので世情の事は分からない。唯一の趣味が喧嘩の仲裁という変わった人物だ。
話は変るが、その昔アタシの上司だった人が東大卒で5ヶ国の言語なら辞書なしで読め、ヒヤリングもできるという才人だった。ある時、出張先の宿でTVを見ていたら、「00君、この”てんちしんり”ってどんな人?」と訊いてきた。TV画面を見たら字幕で「天地真理」と出ていた。当時全盛期だった彼女をこの人は全く知らなかったのだ。これこれですよと教えてあげたら、「君はどうでもいい事は良く知ってるね」と感心されてしまった。こういう人っていうのは今も昔もいるんですね。
喧嘩の仲裁先を探していた幸助がたまたま通りかかった稽古屋で、浄瑠璃の『桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ)』、通称『お半長』の『帯屋の段』の稽古に出会ってしまう。継母の『おとせ』が『長右衛門』とその妻『お絹』を責め立てている場面だった。
この浄瑠璃は当時よほど有名だったらしく、子供でも知ってるというのだ。明治期の話のようだが、当時の上方の人の教養レベルはよほど高かったと見える。
しかし世間知らずの幸助はこれを事実と思い込み、今から京都に行って仲裁してくると言い出す。最初は呆れる稽古屋の師匠たちだったが、面白いから行かそうと笑いを堪えながら幸助を送り出す。
三十石の夜船で京都に早朝に着いた幸助、さっそく柳馬場押小路虎石町の西側に帯屋長右衛門を訪ねると、偶然にも帯屋が一軒あった。ここでも番頭との珍妙なヤリトリからサゲまでが最大の聴かせ所だ。
吉坊の高座は稽古屋の場面で『帯屋』の一節を語るのだが、こういう所に日頃の鍛錬の成果が出てくる。幸助が京の帯屋の店先で煙草を一服する所の形がとても良い。
最初のニセ喧嘩の男たちを始めとして多彩な登場人物の演じ分けも見事で、ここ数年で聴いた『胴乱の幸助』ではこの日の吉坊の高座がベストだ。

吉坊『胴斬り』、侍の新刀の試し切りにあって上半身と下半身が真っ二つに分かれてしまった男の話。東京では『首提灯』のマクラに使ったり、寄席の短い出番で演じられることが多い。
上半身は風呂屋の番台で、下半身は「麩」を踏む仕事に就いていて、両方とも重宝されている。
友だちが会いに行くとそれぞれ言付を頼まれ、上半身は「近頃目がかすむから、足に三里に灸をすえてくれ」、下半身「あまり茶ばかり飲むな、小便が近うていけない」。
このネタでも吉坊の上方弁のリズムが活きていて好演だった。

志ん輔『文七元結』、この噺の左官の長兵衛という男はどうしょうもない人間だ。仕事せず博打ばかり打つ日々を送り、それも負け続けなもんだから女房や娘の着物まで質入れして元に替える始末。おまけに負けると不機嫌になり、女房を殴る蹴る。要するに今なら人間のクズみたいな奴だ。
さて、こういう人間が改心して真人間に立ち返るというのは余程の事だろう。果たして娘が吉原に身を沈める程度のことで改悛するのだろうか。そうした疑問がどうしても残ってしまう。アタシがこのネタで談春の演出を買うのは、ここで佐野槌の女将が博打打ちの仕組みを解き明かし長兵衛の目を醒まさせるという演じ方に説得力を感じるからだ。後半の長兵衛の性格付けも談春は自然だ。
とにかく、通常は長兵衛がすっかり真人間に、かつ優しい人になって50両を懐に家に向かう。
もう一つ、この噺の難点は娘お久が吉原に身を沈めて50両の金をこさえるという場面が、吾妻橋での文七とのヤリトリと、文七が「近江屋」に戻り店の主に事情を説明する場面で、再三繰り返されることだ。観客としては同じ話を3回聴くことになる。それも「かくかくしかじかで」なんて省略できないから詳しく説明するのだ。彦六の正蔵はそこを避けるためだろう、いきなり長兵衛が吉原の大門をくぐって吾妻橋へ向かう所から始めている。ただこの演出だと、長兵衛が最初から恰好いい江戸っ子の職人に映ってしまうという欠点がある。
一長一短だ。
志ん輔の高座は長兵衛が博打でスッテンテンになり自宅に戻る場面から、最後の大団円までノーカット、フルバージョンで演じた。50分近い高座だったが最後まで間然とした所がなく熱演だった。
ただ、前半の荒々しい長兵衛と、中盤から後半のやたら涙もろい長兵衛とのギャプに違和感が消えなかったが、これは好みの問題である。

2016/02/13

2月文楽公演第三部『義経千本桜』(2016/2/12)

日時:2016年2月12日(金)17時30分
会場:国立劇場 小劇場
『義経千本桜』

「渡海屋・大物浦の段」
口 豊竹靖大夫 
  竹澤宗助
中 豊竹睦大夫
  野澤錦糸
奥 竹本千歳大夫
  豊澤富助
<人形役割>
渡海屋銀平実ハ中納言知盛:桐竹勘十郎
女房おりう実ハ典侍局:豊松清十郎
娘お安実ハ安徳天皇:桐竹勘次郎
相模五郎:吉田玉佳
源義経:吉田玉輝
武蔵坊弁慶:吉田清五郎
ほか

「道行初音旅」
静御前 竹本津駒大夫 
狐忠信 豊竹芳穂大夫
竹澤團七
鶴澤清志郎
ほか
<人形役割>
静御前:吉田文昇
忠信実ハ源九郎狐:吉田勘彌

久々の文楽公演だ。妻が「人形浄瑠璃というものを未だ一度も見たことがない」と言い出し急遽出かけることに。こっちも3回目位なのだが引率者として同行。2月は「女房孝行特別強化月間」である。ゲス不倫野郎、少しは見習えよ。
3部制だったがお馴染みの演目ということで第3部の『義経千本桜』へ。浄瑠璃の三大名作の一つとして度々上演されているようだ。夜の部だったが客の入りは良かった。以前に橋下徹前大阪市長がなんだかだとケチを付けていたが、根強いファンに支えられているのがよく分かる。
『義経千本桜』は歌舞伎でも当たり狂言で、タイトルに「義経」が付いているが寧ろ狂言回し的な存在で、実際の主役は別の人物だ。

「渡海屋・大物浦の段」の主な登場人物は、尼ケ崎(現在の兵庫県尼崎市)の大物浦にある船問屋「渡海屋」の主人・銀平と、女房おりうの二人。ここに兄・源頼朝に追われ、海路で九州を目指す源義経主従4人が滞在している。
そこへ、北条家の家来という相模五郎が訪れ、義経主従を追うために舟を出すように命じる。留守の銀平に代わりおりうが応対し、先客がいることを理由に申し出を断るが、怒った五郎は店の奥に踏み込もうとする。そこに銀平が戻り、五郎を打ち据え追い返す。
奥で様子を窺っていた義経主従は、狼藉者を追い返した銀平に感謝する。空模様を心配する義経主従に、銀平は天気が良くなることを約束し船出を勧めて、義経らを送り出す。
義経一行を見送ったおりうは、娘のお安を傍らに呼び、店の奥にいる銀平に声を掛ける。現われたのは白い鎧を身に纏った銀平で、実は銀平は西海の合戦で死んだとされていた平家の大将・中納言平知盛だった。そして、お安は安徳帝、おりうは帝の乳人である典侍局(すけのつぼね)だった。知盛と典侍局は、西海の合戦で敗れた平家一門の復讐を果たすために、大物浦で義経を待ち伏せていた。先ほどの五郎も知盛の家来であり、義経たちを信頼させるためにわざと狼藉を働かせたもの。嵐の海へ義経一行を送り出し海上で討つという知盛の策略だった事が明らかになる。知盛は長刀を手に義経一行を追って行く。
海上で義経一行と知盛らとの戦闘が行われる。
渡海屋では、知盛からの吉報を待っていた安徳天皇と典侍局のもとに、知盛の軍勢が危ないとの知らせが入る。義経は予め知盛たちの計略を察知し準備をしていたのだ。戦に敗れたことを覚った典侍局は、安徳帝を抱いて海に身を投げようとするが、戻ってきた義経に止められる。
手負いとなり戻ってきた知盛の目の前に、安徳帝を保護した義経が現われる。最後の力を振り絞り、義経への復讐を果たそうとする知盛だったが、安徳帝に諭され自分を助けた義経を恨まぬよう言い渡される。それを聞いた典侍局は自らの運命を悟り自害する。
知盛は今までの艱難を嘆きつつ、義経に安徳帝の供奉を託し、碇を背負って海中に身を投げる。

「道行初音旅」では、九州に向かった義経一行は会場で嵐にあい漂着し、今は吉野にいるとの噂を聞いた静御前は、家来の佐藤忠信を伴い吉野に向かう。
静御前が義経より託された初音の鼓を鳴らすと、どこからともなく白い狐が現れる。狐の姿が見えなくなると忠信が現れる。実は、忠信は狐が化けていた姿だった。
忠信は過ぎし日の壇ノ浦での源平合戦の思い出を語り、兄継信が義経の矢面に立ち身代わりとなって落命した経緯を語る。
やがて静御前と忠信の道行は、一面の桜に彩られた美しい吉野に到着する。

前段ではドラマチックな物語の展開と知盛の悲劇的な最期が描かれ、後段では一転して華やかな曲と人形の舞いが見られた。
久々の文楽に堪能し、文楽が初めての妻は浄瑠璃の語りと三味線の美しさ、人形遣いの動きに感嘆し、すっかり虜になったようだ。

2016/02/11

国立演芸場2月上席(2016/2/10)

国立演芸場2月上席・千秋楽

三遊亭馬ん長『道灌』
<  番組  >
神田松之丞『和田平助正勝』
ナイツ『漫才』
桂枝太郎『寝床』
三遊亭遊馬『蒟蒻問答』
神田松鯉『那須与一 扇の的』
~仲入り~
瞳ナナ『奇術』
山遊亭金太郎『家見舞い』
ザ・ニュースペーパー(山本天心・浜田太一)『コント』
三遊亭小遊三『替り目』

国立演芸場2月上席は落語芸術協会の芝居で、その楽日へ。国立の寄席は口演時間が約20分なのでじっくり聴ける利点があるのと、シルバー料金が1300円と今どき超格安なのが魅力だ。その割には普段はガラガラの時が多いのだが、この日は満席だった。なぜ分かるかと言うと、アタシが最後の1席だったからだ。混むのが事前に分かっていればネットや電話で予約しておくのだが普段が普段なので油断していた。入場できずに怒っていた方もいたが、アタシも経験があるので気持ちは分かるが、こればかりは致し方ない。電話で満席と言われてダメモトで行ってみたら、キャンセルが出て入れたなんて事もある。
近くの常連さんが言ってたが、やはり客の入りが良い時は芸人も熱演する。この日も熱演が続いた。
色物が充実しているのも芸協の強みだ。

松之丞『和田平助正勝』、以前にお江戸日本橋亭で見た時に比べ、随分と弾けた高座だった。内容はともかく和田平助なんて名前の剣術の名人がいた事に驚く。「和田平助」を下から読めば分かるように、昔はスケベの隠語で使っていた記憶がある。
ナイツ『漫才』、7,8年前にブレークした頃は言葉遊びで売っていたが、現在は通常のシャベクリ漫才スタイルに近くなっている。漫才の場合、芸能ネタが多くなるので今年はネタに不自由しなくて楽だろう。
枝太郎『寝床』、持ち時間20分でこのネタを掛ける勇気を買いたい。一口で言うと不思議な芸風だ。語りにあまり抑揚がなく東北訛りを残している点も特徴だ。サゲまで付いたフルバージョンだったが面白く聴かせていた。クセになりそうな芸風だ。当代は3代目だが、2代目は俗に「インテリの枝太郎」と称され新作で売っていた。飄々とした、変った芸風だったのを憶えている。
遊馬『蒟蒻問答』、芸協の若手実力派の一人。時間の関係からか一部をカットしていたが、相変わらずの本寸法の高座を見せていた。イロハニホヘトでお経を読む場面では拍手が起きていたが、専門だからね(仏教系の学校を出ている)。
松鯉『那須与一 扇の的』、そうか、那須与一の矢が扇の要の下を狙ったので、扇が中天高く舞い上がったのかと得心した。凄い腕前だったんだね。名調子に乗って、やっぱり本格的な講談はこうでなくっちゃ。当代は3代目だが、談志の『源平』を聴くとこの場面を講釈で2代目の物真似で演じていて、これが良く似ている。
瞳ナナ『奇術』、寄席の奇術には珍しくイルージョンを見せてくれる。箱の中と外の人物が入れ替わるマジックはいつ見てもお見事。最前列にいると、男性諸君には目の保養にもなりますよ。
金太郎『家見舞い』、この人のトボケタ味わいとネタが良く合っていた。安孫子には面白い人が多いそうだ。
ザ・ニュースペーパー『コント』、のっけから菅官房長官役がメディア統制の話題から入る。これがジョークで済まないご時世になっているから怖ろしい。次にオバマ大統領役が出てきて、米軍基地に反対する人を批判。客席の反応が悪いので「ここは反政府組織の人が多いですか?」。政治風刺コントは健在だ。
小遊三『替り目』、小遊三は「陽」の人だ。高座に上がるだけで周囲を明るくする、そこが一番の値打ちである。この日もいかにも気分良さそうに酔っ払いを演じていたが、この男がとても可愛らしく見える。さぞかし勝気な女房の母性愛本能をくすぐるんだろうと、妙に納得した。

2016/02/09

「西のかい枝・東の兼好」(2016/2/8)

第23回にぎわい倶楽部「西のかい枝・東の兼好」
日時:2016年2月8日(火)19時
会場:横浜にぎわい座
<  番組  >
前座・雷門音助『たらちね』
桂かい枝『私がパパよ』
三遊亭兼好『紀州』*
~仲入り~
三遊亭兼好『置き泥』
桂かい枝『茶屋迎い』*
(*ネタ出し)
23回目を迎えた「かい枝・兼好 二人会」、毎回充実した内容で楽しみにしている。その割には客の入りが今ひとつの感があるのは残念だ。
兼好に言わせると、この位の入りの方が芸人としてはもっと頑張って次回はもっと沢山の人に来て貰おうという気になるとの事だが、是非そうなって欲しい。

前座の雷門音助、アタシの知る限りでは現在イチオシの前座だった。この11日より二ツ目に昇進し、この日が前座としての最後の高座だった。
冷たい様だが、前座でダメな人は先に行ってもパッとせずに終わる。途中で化ける例もあるかも知れないがアタシは見たことがない。
昨年二ツ目になった柳亭市童や音助は期待が出来ると思うし、一層の精進を望みたい。

かい枝『私がパパよ』は新作。初めての出産に立ち会う父親の姿を描いたもので、期待と不安が交差する心境が表現されていた。主人公の父親は53歳で45歳の妻が初の出産だ。同じ待合室にいた21歳の男は妻が19歳で3人目の出産。父親としては先輩の若い男から色々なアドバイスを貰う場面を中心に演じていた。お互いの家が近いので、小学校の運動会で一緒になるなぁなどと想像する処が面白い。
ほのぼのとした1席。

兼好『紀州』、ストーリー自身は他愛ないもので、『源平』同様に専ら間に挟む小咄やクスグリで笑わせるネタ。落語家の襲名の話で、兼好が7代目圓生に「そーっとなっちゃおうかな」と言ってたが、多少の本音が含まれている気がした。もし今の圓楽一門から出すなら兼好は候補の一人だ。圓生となると人情噺に挑戦する必要があろうが、絶対条件ではない気がする。いま大名跡を継いでいる噺家を見ると、正蔵、文楽、小さん、金馬といった人たちは先代の芸を継承しているわけではない。昨年亡くなった円蔵も先代とは異質の芸だった。そうなると人情噺をやらない圓生もありかと。
この高座で気になったのは、通常は尾州公が登城の途中で鍛冶屋の鍛鉄の音を「天下取る天下取る」と聞いて気を良くするというものだが、ここをカットしていた。もしかするとこの仕込みを忘れていたのではと心配になった。下城の際に鍛冶屋の音を「天下取る天下取る」と聞くので齟齬は無いのだが、尾州公が登城の時に聞いて心が弾むという常法の演じ方の方が良かったと思う。

兼好『置き泥』、別の『夏泥』というタイトルで演じられる事もある。兼好の高座では季節は寒い時期だ。
最初はドスを突き付け金を出せと脅す泥棒だが、男からどうせ死のうと思ってたんだからさあ殺せと居直られ、男の言うままに金を出して行く過程を楽しく描く。
手元に兼好の『置き泥』のDVDがあるが、途中で間延びした感があった。この日の高座ではよりテンポが良くなり面白さが増していた。
最近の兼好を見ていると、ワンステップ上がったかなという印象を受ける。

かい枝『茶屋迎い』、以下に粗筋を紹介する。
大阪の船場、丹波屋という商家。旦那が息子の放蕩に頭を悩ませている。ここ数日息子の顔が見えないので番頭に訊くと、番頭が帳面を付けているところへ若旦那が現われ、集金に行くと請求書の束を持って出かけたっきり5日経っても戻らないという。
番頭が言うのには、どうも集めた金を持って新町の茨木屋に上がりこみ、居続けているらしい。わけを知った親旦那は、手代の久七を迎えに行かせるが5日待っても戻らない。堅物の杢兵衛をやるがこれ又戻らない。責任を感じた番頭が自ら説得に出掛けるが、これも5日経っても帰って来ない。
業を煮やした旦那は、ならば自分が行って来ると、飯炊きの権助から汚れた筒袖の着物を借り新町の茨木屋に向かう。
茨木屋の2階では若旦那が集まった奉公人たちと共に宴会の真っ最中。そこへ女中が新たな迎いが来た事を告げる。恰好からすると権助らしい。それなら1階の小部屋で酒でも飲ませておけと命じる。
狭い部屋で独酌をする旦那だが、2階の派手な宴会の音が響いてくる。ついつられて小唄を歌うと、女が部屋を間違えて入って来る。その女・小雪はかつて丹波屋が世話していたことがあり、故あって8年前に別れていた。小雪は今は独り身、そこで焼けぼっくいに火がついてしまう。
「これからチョイチョイ寄せてもらうわ。」
「んまぁ~、嬉しぃ。」
「そぉか、一人でいてんのんかいな、もぉちょっと、お前こっちおいでぇな。」
「あん、えぇのん?」
「来たらえぇがな。」
と、ここで旦那が小雪をぐっと引き寄せ、片方の手を襟元から中へ・・・。
突然、女中が現れ、
「あの、お迎いの方、若旦那お帰りでっせ」
「えー? 帰るてか? いや、その、いや・・・、親不幸者め。」

ストーリーを読んで分かる通り、東京での『木乃伊取り』と『不孝者』という二つのネタの元になっている。
改めてかい枝の高座を聴くと、やはりこの演目は上方のものだ。船場の商店の旦那と、大阪の新町(東京吉原、京都島原と並ぶ三大遊郭)の芸者という組合せが自然だ。
芸者の描き方も東京の『不孝者』がやや湿っぽいのに対し、上方の方は明るくずっと色っぽい。
かい枝の高座では丹波屋の親旦那が店ではいかにも堅物にふるまうが、新町に来てからはかつての遊び人の風情を表していた。芸者の小雪はセリフを言う時に髪をかき上げたり身体をくねらしたりさせて、親旦那を誘う手練手管を表現させた。これでは旦那がグッと引き寄せたくなる気も分かる。
親旦那が息子の放蕩を憂い妻にあれは自分の本当の息子かと嘆くと、妻が「あの子だけはあなたの子です」と切り返すのだが、昔の女遊びを皮肉っているように聞こえた。
若旦那や奉公人たちの人物の演じ分けも上々、お囃子との呼吸もぴったりで、かい枝の実力を示した高座となっていた。

4席とも結構で、今回も満足のいく充実の高座が見られた。

2016/02/07

ザ・桃月庵白酒その2(2016/2/6)

大手町独演会「ザ・桃月庵白酒 其の二」
日時:2016年2月6日(土)13時
会場:よみうり大手町ホール
<  番組  >
桃月庵白酒『花見の仇討ち』
桃月庵白酒『千両みかん』*
~仲入り~
桃月庵白酒『寝床』
桃月庵白酒『富久』*
(*ネタ出し)

大手町独演会は柳家さん喬、柳家権太楼、桃月庵白酒3人による不定期の独演会で、既に1巡目が終り2巡目に入っている。今回は白酒の2回目。
3人の人選だが、さん喬と権太楼については異論がなかろうが、3人目に白酒を選んだのは実力と人気の両面から判断したものだろう。若手で、一人でこの会場(定員501名)を一杯に出来る集客力を持つ人は限られているから。
この会の特長は4席演じ、各演目も「春夏秋冬」それぞれの季節に因んだものという趣向だ。
先日の「ザ・権太楼」の時にも感じたが、一人4席、しかも比較的大きなネタを演じるというのは演者にとって負担が大きく、集中力を切らす時があるような気がする。それは客席にも言えることで、3席にとどめておいた方が良いのではと思う。
この日について付け加えれば、前座を使わなかったこと、これは良い。白酒の別の独演会でもこうしたケースに出会うが、是非他の会、他の演者も見習って欲しいところだ。
以下に短い感想を述べる。

春に因んだ『花見の仇討ち』、春の季節になると『長屋の花見』と共に頻繁に高座にかかる。同じ花見の仇討ちを扱ったものでも『高田馬場』は演じる人が少ないし(アタシはこっちの方が好きだが)、花見がついたタイトルでも『花見小僧』や『花見酒』は高座にかかる回数が少ない。白酒の演出では巡礼の二人の内の片方を泣き虫にして違いを明確にさせていた。「親の仇」を「マヤの遺跡」「山のマタギ」に言い換えたり、悪役の浪人者の名前を清原和博にするなどのクスグリで受けていたが、全体としては平凡な印象。

夏に因んだ『千両みかん』、志ん生の古い録音を聴くと、「噺家にとって損な噺」と語っているので、以前は時間が長い割には受けないという事だったんだろう。その志ん生の演出では、金物屋から「主殺しのハリツケ」の場面を番頭が聞かされて腰を抜かすくだりを入れて爆笑編に仕立てていた。以後の人たちは志ん生の演じ方を踏襲している。白酒の高座ではこの場面で金物屋は嬉しそうにリアルに語るので、より番頭の恐怖心を際立たせていた。ミカンが一つ千両と聞いて驚く番頭だが、店の主人や息子は全く驚かない。そこから番頭の価値観の混濁が起きるという解釈なのだろう。この番頭の造形が良く出来ていた。
太平洋戦争を境にして貨幣価値がガラリと変わってしまった。アタシの両親の持っていた国債は紙クズになり、永年掛けていた郵便局の簡易保険は戦後に満期になったら下駄を一足買って終りだったそうだ。そんな戦後の価値変動を経験した人にとっては、このネタはより現実味があったかも知れない。

秋に因んだ『寝床』、と言ってもこのネタを秋に結びつけるのはちと強引。落語の中でも明らかに秋に因んだ噺は少ない。『目黒の秋刀魚』は定番だが、『秋刀魚火事』や『秋刀魚芝居』はタイトルは知っていても実際に聴いた事がない。他は『笠碁』ぐらいか。噺の中のある場面だけは秋と言うのはあるだろうが、全体に秋の季節感が溢れるとなると、数が限られるだろう。
白酒の高座だが、長屋の住人が旦那の浄瑠璃の会を欠席する理由を通常とは大きく変えていて、具体的な商売も通常とは異なるものだった。唯一通常と同じ職業の提灯屋も法事などでと言ってたが、法事ではそれほど多くの提灯は作るまい。ここは常法に従いお祭り提灯で良いのでは。前に演じた『花見の仇討ち』や『千両みかん』の人物を無理やり話しの中に入れていたが、成功したとは思えない。奉公人が一致して旦那の義太夫が下手で迷惑していると繁蔵に言わせるという設定も疑問が残る。繁蔵を一番番頭と混同している様子が見られ、これも気になった。
全体として、不満の残る高座だった。

冬に因んだ『富久』、入場の際に配られたチラシで白酒が「私は久蔵の浮き沈みを見せるために、削る所は削ってポンポンと30分位でやると噺の魅力が生きて・・・」と語っているが、その通りだと思う。極め付けと言われる8代目文楽の口演時間は26分で、スピード感が要るネタだと思う。その点では白酒の高座は良かった。ただ気になったのは、久蔵が富籤を買う時にもし富が当たったら半分を富籤を売った男にあげると申し出ていた事だ。こういう設定は初めてだし、『宿屋の富』に似ている。この申し出を後半でどう処理するのかずっと関心を持って聴いていたが、最後まで何も起きなかった。久蔵として単なるリップサービスだったのなら、あのセリフは不要だ。これがマイナス要素となってしまった。

総体として、今ひとつ白酒の力を出し切れなかったという印象に終わった。

2016/02/06

桂春団治の訃報

旅行中だったのでこの訃報を見落としていて、小言幸兵衛さんのブログで知った次第。
落語界の大御所の一人で、戦後衰退していた上方落語を復興させた「四天王」の最後の一人だった三代目桂春団治さんが1月9日、心不全のため大阪市内の病院で死去した。85歳だった。
CDやDVDでは聴いていたが、ライブでは残念ながら高座は一度しか接していない。ただその印象は強烈で今も鮮明に憶えている。
2011年2月11日に横浜にぎわい座で行われた第32回上方落語会での高座で、演目は十八番の『野崎詣り』だった。81歳の時の高座だ。
その時の記事を以下に再録する。

ライブで初めて観たのだが、上方落語の重鎮らしい佇まいと上品な色気。若いころはよほど祇園辺りで修行してこられたのだろう。そうでなけりゃ、あれだけの色気は出て来ない。
噺は大阪から野崎詣りに出かけた二人が船に乗り、土手を行く人に口喧嘩を売ると言う他愛ない筋書。演者の話芸だけで聴かせるネタで、こういうのが上方ではトリ根多なんだろう。
春団治のひとつひとつの所作が実に綺麗だ。例えば日傘をさして歩く姿など観ていて惚れ惚れする。小便をする仕草さえ粋なのだ。
初夏の野崎の風景が浮かんでくる。ふと、人形浄瑠璃「新版歌祭文 野崎村」を思いだした。そういえば春団治の出囃子も「野崎」だ。
そして何より会話の軽妙洒脱さ、それほど面白い事を喋っているわけではないのに、客席は笑いの渦。
久々に名人芸を見られたという満足感で一杯になり、この1席だけで来た甲斐があった。

ご冥福を祈る。

2016/02/04

「吉ちゃん、惚れたか!」二月大歌舞伎・夜(2016/2/3)

「二月大歌舞伎・夜の部」
日時:2016年2月3日(水)16時30分
会場:歌舞伎座

一、ひらかな盛衰記
源太勘當
<  配役  >
梶原源太景季/梅玉
腰元千鳥/孝太郎
横須賀軍内/市蔵
茶道珍斎/橘太郎
梶原平次景高/錦之助
母延寿/秀太郎

二、籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)
序幕 吉原仲之町見染の場
二幕目立花屋見世先の場
大音寺前浪宅の場
三幕目兵庫屋二階遣手部屋の場
同  廻し部屋の場
同  八ツ橋部屋縁切りの場
大詰 立花屋二階の場
<  配役  >
佐野次郎左衛門/吉右衛門
兵庫屋八ツ橋/菊之助
下男治六/又五郎
兵庫屋九重/梅枝
同  七越/新悟
同  初菊/米吉
遣手お辰/歌女之丞
絹商人丹兵衛/橘三郎
釣鐘権八/彌十郎
立花屋長兵衛/歌六
立花屋女房おきつ/魁春
繁山栄之丞/菊五郎

三、小ふじ此兵衛 浜松風恋歌(はままつかぜこいのよみびと)
<  配役  >
海女小ふじ/時蔵
船頭此兵衛/松緑

2月の歌舞伎座は夜の部へ。目的は明確で吉右衛門が出る『籠釣瓶花街酔醒』を観るためだ。
未だ小学生時分に、初代吉右衛門の舞台を観ていた。と言っても低学年だったから実際の舞台はほとんど憶えていない。小学生の頃から何度か親に連れられ歌舞伎に行ったが、ストーリーが理解できたのは高学年になってからで、10歳以下では無理だ。
ただこの芝居ではとても印象に残っている事がある。それは佐野次郎左衛門が吉原の花魁・八ツ橋を見染める場面で、花道の七三辺りで八ツ橋が振り向いてニッコリ微笑みかける。これを見た次郎左衛門が魂を抜かれた様な表情になり、ウットリと花魁の後姿を追い続けるのだが、ここで大向こうから「吉ちゃん、惚れたか!」と声が掛かった。場内は爆笑と拍手でこれを迎えた、この掛け声だけが記憶に残っている。この場合の「吉ちゃん」は初代中村吉右衛門でしかあり得ない。
幼い時の記憶とはそんなものかも知れない。
そして今までに聞いた大向うではこれが最高傑作だ。
歌舞伎の掛け声というと屋号で掛けると良く言われるが、住んでいる地名で掛けるケースもあり(この日なら尾上松緑の「紀尾井町!」)、時には先の様なウィットに富んだ掛け声もある。大向うは芝居の花であり、これも歌舞伎見物の楽しみの一つだ。

『籠釣瓶花街酔醒』についてざっと解説する。
江戸時代の享保年間に起きた「吉原百人斬り」事件をもとにした、三代目河竹新七(黙阿弥の門人)の作。
粗筋は、田舎のお大尽が江戸の吉原で一目見た花魁の美しさに魅かれ通い詰め、身請けを申し出る。花魁には言い交した間夫(本命)がいて、間夫からの強い要請でお大尽に対し身請けの件を断ると同時に、二度と来ないでくれと「縁切り」を宣言される。満座の中で恥をかかされたお大尽が怒りを募らせ、手にした妖刀で花魁を斬殺するという物語だ。
こう書くとミもフタもなくなるので、もう少し見所を紹介する。

序幕「吉原仲之町見染の場」では八ツ橋の花魁道中の華やかさが見もの。禿、新造を従えての花魁道中は夢の様な美しさ。佐野の絹商人、佐野次郎左衛門がすの姿に見とれていると、八ツ橋が振り向いて微笑む。ここですっかり魂を奪われた次郎左衛門はすっかり呆けて持っていた羽織も傘も落してしまう。
モナリザじゃないがここでの八ツ橋の微笑みは「謎」なのだが、有頂天になっている男は自分への好意だと信じてのぼせ上ってしまう。男性なら、多少覚えがあるだろう。
八ツ橋の元にせっせと通い詰める次郎左衛門に八ツ橋も誠意を尽くし、身請けの話まで進んで行く。
処が八ツ橋に親代わりという釣鐘権八という遊び人がいて、揚げ屋の立花家を通して次郎左衛門から金を引き出そうとするが断られる。その腹いせに昔からの八ツ橋の情夫(いろ)である繁山栄之丞に、このままでは八ツ橋が身請けされてしまうと告げ口し、栄之丞を焚きつける。怒った栄之丞は八ツ橋の座敷に乗り込み、次郎左衛門との縁切りを迫る。
三幕目「八ツ橋部屋縁切りの場」では、次郎左衛門が商売仲間を引き連れて座敷で待っていると、現れた八ツ橋は「ぬしと口をきくと病が起こる」と言い出し、次郎左衛門に「縁切り」を宣告する。あまりの変身に戸惑う次郎左衛門だが、仲間の前で受けた恥辱に堪えながら体を傾けこらえる。
爆発しそうになる怒りや恨みをぐぐっと飲み込みながらの次郎左衛門のセリフ、「花魁、そりゃ、あんまりそでなかろうぜ」が痛切に響く。
八ツ橋から自分には間夫がいると聞かされた次郎左衛門は諦め、傷心を抱えて故郷に帰る。
大詰「立花屋二階の場」では、数か月後に再び江戸に戻った次郎左衛門は立花屋を訪れ、八ツ橋と再会する。最初はわだかまりが解けたかに見えたが、やがて次郎左衛門は持参してきた妖刀籠釣瓶で、一刀の元に八ツ橋を斬り絶命させる。
座敷には「籠釣瓶は切れるなぁ」という次郎左衛門の言葉だけが虚ろに響く。

中村吉右衛門の演技が圧巻だった。序幕のいかにも田舎者らしい男の姿から、吉原に通い詰めるうちに次第に洗練されてゆき、有頂天になってゆくさま。そして満座の中での思いもかけぬ花魁からの縁切りに最初は戸惑いながら、恥ずかしさと怒りに堪えに堪えて行く姿を全身で表現していた。
男の可愛らしさ、色気、忍耐、そして最後の狂気のさままで、これは吉右衛門以外では演じることが出来まい。
菊之助の八ツ橋は初役と思われるが、女形としての美しさは当代屈指。次郎左衛門がメロメロになるのも無理はない。ただ縁切りの場での表情では、次郎左衛門に対し心の中では詫びていたのか、それとも情夫の手前割り切って縁切りしたのか、そこが窺えなかった。
それと八ツ橋役は代々成駒屋のお家芸だった筈だが、適役が不在だったのだろうか。

他にも書きたい事があるが、長くなったので終りにする。

2016/02/02

プライム落語・東京(2016/2/1)

「プライム落語」東京公演
日時:2016年2月1日(月)19時
会場:大田区民ホール アプリコ
<  番組  >
前座・三遊亭けん玉『雑俳』
三遊亭兼好『高砂や』
柳家三三『粗忽の釘』
~仲入り~
出演者全員『お喋り』
林家たい平『紙屑屋』
桂雀々『ガマの油』

定年を迎えた時に、これからはお互い干渉せず好きな事をしようという事にした。以後、夫婦揃って出かけるなんて事は年に数回となった。私はネットをしているが妻はほとんどしない。そうなると情報格差が生まれ、結果として私の単独行動だけが増えている、という風に妻には映るらしい。「あんたばっかり」という不満の声がチラホラ聞こえてくるのだ。
たまには夫婦で落語会に、というわけでこの日の「プライム落語」へ。主催はBSフジ。観客は1000人は超えていたか。

以前にも何度か書いたが、こういう会に前座を出す意味がどこにあるのか分からない。遅れて来る人のために時間調整? 会場全体を温める役割というのも聞いたことがあるが、温める前座なんて稀だ。むしろ冷やす方が多いくらい。寄席の様に開演前に出すなら分かるが、慣習だからというなら止めて貰いたい。
この日の番組でいうなら、開演直後に『お喋り』のコーナーを設ければ良かったのだ。そうすれば空いた時間がトリに振り分けられ、雀々の長いネタが聴けたのにと思ってしまう。
この会に限らず、落語会の主催者に一考して欲しい。

兼好『高砂や』、毒舌を交えながらのマクラで客席を一気に温めて自分の懐に取り込む技術は、さすがである。アルバイトで行ってきた結婚式の話題からネタに入る。
八五郎が大店の結婚式の仲人になるまでの過程をカットし、八が大家にご祝儀の「高砂や」を教わる所から始める。大家から紋付袴を借りる場面を加える以外は定番の運びだが、豆腐屋の声色から高砂やを練習する場面や、婚礼での高砂やの繰り返しはあっさりと演じ、その分全体がスピードアップされていた。
婚礼の席で高砂やを謡う風習などとっくに無くなった今日、かなり古色蒼然としたネタになってしまった。今の観客に受け容れられる様にするには、こうした工夫が必要なのだろう。

三三『粗忽の釘』、引越しの亭主が前の家から荷物を担いで出て行ったきり迷子になってようやく新しい家にたどり着くまでをカットし、この亭主が鉄瓶を持って家の周りをグルグル回っているうちに引越しが終わったという設定から入る。釘が出ていないかと粗忽者の亭主がお向かいの家を訪れる場面では、傍で腹を抱えて笑い転げるオカミさんを登場させ、さらにこのオカミさんは粗忽者の似顔絵を描いて回覧するという念の入りようだ。
間違いに気付いた粗忽の亭主が隣を訪れて「落ちつかせてもらいます」と部屋へ上がりこみ、女房との馴れ初めを語る所は定番だが、一時期夫婦仲が悪くなった時に友人の忠告で亭主が女房の尻に敷かれていれば家庭円満になると諭され、その通りにしていると、亭主がしみじみ語る所は独自の工夫か。この時の亭主の表情や煙草を吸う仕種が良い。
緩急を付けながらもテンポ良く運び、上々の高座だった。

たい平『紙屑屋』、「笑点」ネタのかなり長いマクラを振っていた。「笑点」メンバーでも高座で番組の事はほとんど触れない人もいるが、たい平は必ずといって良いほどこのネタを入れてくる。だが私の様に「笑点」を見てない人にはチンプンカンプンだしね。
本題へ入って、本来この噺には音曲の素養が必要になるが、たい平は亡くなった團十郎の声色や花火の物真似、虎造の浪曲(これはあまり似てなかった)など得意の芸を織りこんで演じていた。
たい平は器用だし、客を笑わせる術を心得ているのが強みだ。しかし進歩が見られない。結局このまま行くのかな、というのが率直な感想だ。

雀々『ガマの油』、このネタはやっぱり東京のものだと思う。一気にまくしたてる立て板に水の如き口上がポイントなので、上方には不向きな感じがする。雀々も2,3言いよどむ個所があり、口上の流れを悪くしていた。ざこばや枝雀の酔っ払いの形態模写を入れて面白く聴かせたが、雀々なんだから本来の上方落語のネタを聴きたかった。

2016/02/01

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1月の大半はエントリーを休載していたので、普段とは様子が異なる、但し、アクセス総数は通常の月と比べ大きくは変っていない。
1位の記事、過去に書いたものだが異常な位にアクセスが集まった。理由はサッパリ分からない。
2位は寄席の初席の記事で、3位は先月末、4位、5位、10位はいずれも過去に掲載した落語関係の記事。
6位は歌舞伎の新春公演、7位は「ベッキー騒動」を批判したもの、9位はランキングの常連。
8位は数年前に掲載したシモネタだが、なぜか今ごろになってアクセスが集まってしまった。まこと慙愧に堪えない。

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