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2016/03/26

圓太郎ばなし(2016/3/24)

第11回「圓太郎ばなし~橘家圓太郎独演会~」
日時:2016年3月24日(木)18:30
会場:日本橋劇場
<  番組  >
桂三木男『真田小僧』
橘家圓太郎『馬の田楽』
柳家喬太郎『路地裏の伝説』
~仲入り~
橘家圓太郎『富久』

かなり以前のことになるが、圓太郎が小朝の弟子だと知って驚いた。あまりに芸風が違うのと、圓太郎の口から師匠の名をきいたことが無かったからだ。雲助がなにかのマクラで、前座名が”あさり”だった圓太郎が二ツ目に昇進した時に師匠が”はまぐり”と改名させようとしたら、本人がそれだけは勘弁してくれと断ったというエピソードを紹介したことがあった。
キレの良い江戸っ子口調は、むしろ大師匠の先代柳朝の方に近いようにも思える。あまり押したり引いたりしない語り方だが、声を裏返しさせながら登場人物の感情表現をさせるのが特徴といえよう。
会場の1階は一杯の入りだった。

先ずゲストの喬太郎『路地裏の伝説』から
父親の3回忌で帰郷していた男の家にかつての同級生たちが集まり昔話に花を咲かせる。話題は子どもの頃に流行った都市伝説に。そこから自分たちの周囲にあった都市伝説について思い出を語り合う。夜遅く道を歩いていると向こうから子ども恰好をしたオヤジが近づいてきて、「風邪ひくぞ」と忠告して直後に姿が消えて行くというもの。あれは一体誰だったんだろうと言っている時に、この家の男が父親の形見の日記を引っ張り出して読み始め、「風邪ひくぞ」オジさんの正体がこの父親だったことが分かる。
1980年前後に流行した「口裂け女」や「なんちゃってオジサン」などの都市伝説をベースにしたミステリー仕立ての作品で、喬太郎は頻繁に高座に掛けている。喬太郎の話芸だけで聴かせるネタだ。
公演プログラムで圓太郎が「喬太郎は怪物だ」と言ってるが、その通りだろう。古典と創作の二足の草鞋で、その古典もレパートリーが広く完成度の高さを示した噺家は、彼以外にそうはいない。

圓太郎の1席目『馬の田楽』、元々は上方のネタで3代目小さんが東京に移し、近年では5代目小さんや弟子の小三治が得意としている。
「馬方船頭御乳(おち)の人」という諺があり、意味は「弱みにつけこんで法外なねだりものをする卑劣な者のたとえ」とあるが、落語の世界では「言葉は荒いが性根はやさしい」という様な意味で使われることが多い。
この噺の主人公の馬方はその典型で、馬を叱りつけたり近くで遊んでいる子どもを注意したりと強面を見せる反面、馬がいなくなったら重い荷物を背負ったまま駆け出して背骨でも痛まないかと心配し、周囲の人に馬の行方を聞き回る。
あまり面白い噺ではないと思っていたが、圓太郎はいくつか手を入れて爆笑編に変えていた。
先ず、味噌樽を積んだ馬を三州屋の店先につなぐ場面で、近くでメンコ遊びをしていた子どもに馬にイタズラしてはいけないと注意するのだが、この時の馬子と子どもとの会話の繰り返しが可笑しい。
馬の姿が見えないので一人残っていた子どもに経緯をたずねる場面では、言い訳をしながら馬にイタズラしたことを白状する子どもの造形が可愛らしい。
馬の行方をたずねるのに、最初に耳の遠いお婆さんとの会話が珍妙。このお婆さんはどうやら「盛り」が付いているようで、「馬乗りになっても構わない」などと言い出し、馬方はほうほうの態で逃げ出す。同時にここで田楽問答があり、最後のサゲにもつながっていく。
馬方が畑の真ん中に立っているお百姓に訊くと、これが延々と釣りの話をした挙げ句、釣りをするには天気が大事なのでさっきからずっと空を見上げていたので馬は見てないと言う。焦る馬方と、ノンビリとしたお百姓との対比が際だつ。
最後は知り合いの虎十郎に出会い、馬方が「味噌つけたウマ知らねえか」ときくと、酔っぱらっている虎十郎が「味噌つけたウマだあ。はっはっは、おらあこの年になるまでウマの田楽は食ったことがねえ」でサゲ。
通常より長めの口演時間だったが、民話風のストーリー展開と圓太郎の語りとが良く合っていて、独自の工夫とも相俟って楽しい1席にまとめ上げていた。

圓太郎の2席目『富久』、芝の旦那を酒でしくじった幇間の久蔵、収入が無いと知れたとたん、年の暮で借金取りが押し寄せてきて仕方なく周囲に内緒で浅草三軒町の裏長屋に引きこもるという設定だ。これは最後のサゲへの布石と見られる。酒でしくじったから禁酒にしていると言ってる傍から、購入した富札を神棚に上げたまま御神酒を下げて飲んでしまいごろ寝。久蔵の意志の弱さが現れている。同じ長屋の住人が火事で芝金杉あたりだと教えてくれたので、深夜、久蔵は芝まで駆けつける。旦那は久蔵を一目見るなり「よく来てくれた、向後、出入りを許す」と言う。この辺りはアウンの呼吸とも言うべきで、旦那の方も久蔵を許すタイミングを見計らっていたようだ。鎮火した後に取引先から火事見舞いが届くのだが、圓太郎の高座では見舞いの品はみな酒だ。冬場だから暖が取れる酒が重宝したのだろう。久蔵は酒を気になって仕方がない。傍にいた番頭に酒を勧めるが乗ってこない。見かね旦那が許すと久蔵は煽るように酒を飲みだす。仕舞には番頭に絡みだす始末に、旦那の鶴の一声で寝床へ。そこへ又火事の知らせ、今度は浅草三軒町付近とのことで、起こされた久蔵は長屋に駆けつけるが全焼。茫然として芝へ戻る久蔵を旦那は暖かく迎え入れ、久蔵はそのまま居候。衣食住を与えられ気楽な暮しが続くのだが、やはり久蔵としてはこのままではいけないと考えるようになる。あてもなく散歩に出かけると何やら人だかり、この日が椙森神社での富籤の日だ。駆けつけた久蔵は自分の札が千両富に当たっていたことを知る。天にも昇る気持ちでいると、富札が燃えてしまって千両が手に走らない事を知る。悄然として歩いていると長屋の頭にバッタリ出会う。聞けば久蔵の家にあった神棚を火事から救い出し家に保管してあるとのこと。神棚の扉をあけて当たり籤を見つけ狂喜乱舞する久蔵。
「へえ、これも大神宮様のおかげです。近所にお払いをいたします」でサゲ。
こうして見ると久蔵は借金の事がずーと頭にあったのだ。いい加減な所と律儀な処が同居しているのはいかにも江戸っ子らしい。
もう少し冬の寒さが強調されても良かったかと思われるのと、久蔵と番頭が火事見舞いを帳づけする場面がやや間延びしていたが、「禍福は糾える縄の如し」の久蔵の心理が十分に表現されていた。

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コメント

今月号のかわら版、一之輔が喬太郎から「くたびれない?飽きない?」と訊かれる。
同じ道を辿っていると感じられているのかもしれない。でも一之輔は喬太郎ほど真面目ではないから根を詰めて悩んだりしない。
と語っています。
感じが分かります。

佐平次様
一之輔は創作をほとんど手掛けてない点で喬太郎と異なります。また一之輔の場合はナマの高座で噺を完成させるタイプなので、この点も違います。二人とも怪物ではありますが。

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