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2016/03/22

#394国立名人会(2016/3/21)

第394回「国立名人会」
日時:2016年3月21日(月)13時
会場:国立演芸場
<  番組  >
前座・柳家小かじ『たらちね』
柳家甚語楼『長屋の花見』 
桃月庵白酒『首ったけ』               
古今亭志ん橋『天災』   
―仲入り―
柳家喜多八『やかんなめ』 
江戸家小猫『ものまね』     
柳家権太楼『試し酒』

白酒がマクラで入門当時(1992年)の客席の風景を語っていたが、
・客が少ない、満員になることは稀
・圧倒的に男性
だった。アタシの当時の印象もほぼ同じだ。
女性客が増え始めたのは2000年に入ったあたりからで、その後の落語ブームあたりから客席の男女が逆転するようになってきた。
つまり全体としてはコアの男性ファンはあまり変わらず、女性ファンのみが上積みされたような恰好だと思う。
昔の寄席というのは夕方から始まり夜の10時過ぎに終わっていたらしい。そんな時間に女性が一人歩きするのは難しかったから、客はほとんどが男性だった。
客層の変化というのは、大衆芸能である落語の内容にも影響を与えるし、女性に「受ける」噺家に人気が集まることになる。
いま演じられている古典落語にしても時代とともに内容や演出が変ってきた。今後は女性客が増えた影響も当然受けることになろう。
喬太郎から白酒、三三を経て一之輔に至る高座をみていると、その変化を先取りしているかのように見える。

小かじ『たらちね』、容貌は師匠・三三に似てないが、滑らかな語り口は師匠譲りだねと思った。

甚語楼『長屋の花見』、この日初めて福岡で桜の開花宣言が行われて季節感ピッタリの演目となった。明るい芸風が特長で着実に力をつけてきている。

白酒『首ったけ』、志ん生親子以来、あまり高座にかからなかったネタだったが、白酒によってすっかり復活した感がある。もはや十八番と言って良いだろう。
吉原の廻し部屋に独りでほったらかしにされというのは落語では毎度のパターンだが、このネタの主人公である辰つぁんは怯まない。大声を出して敵娼(あいかた)の紅梅や中どんを呼び出し文句をいう。最初は花魁も辰の言い分を聞いていたが、座敷に上げているのは大事な客だからもう少し辛抱してと説得しても辰は聞く耳を持たない。ここから先は痴話喧嘩の様相を呈してくる。二人の間に入った中どんは懸命に辰をなだめようとするが、これがいちいち癇に障り火に油をそそぐ結果となって、辰は捨てセリフを残して店を出る。この3者の口論の場面でのセリフ回し、表情の変化が白酒は巧みなのだ。
深夜に店を飛び出した辰だが、このまま帰るわけにもいかず、向かいの店に上がろうとする。しかし他の馴染を店に上げるのは吉原の御法度。辰はもう前の店には戻らぬと約束すると、実はこの店の若柳という花魁が以前から辰にトンと来ているという。渡りに船とはこのことで、辰はすっかり若柳の馴染となって通うことになった。辰もそうそう金が続かず、稼ぎのためにしばらくは仕事に精を出していた。そんなある日、吉原で火事が起きる。若柳が心配になって辰が駆けつけると、お歯黒どぶに落ちて溺れている花魁を一人見つける。救いの手を伸ばすと、相手は紅梅。
「なんでえ、てめえか。よくもいつぞやは、オレをこけにしやがったな。ざまあみやがれ。てめえなんざ沈んじゃえ」
「辰つぁん、そんなこと言わずに助けとくれ。今度ばかりは首ったけだよ」
でサゲ。
ここで噺は終ってるのだが、たぶん辰は紅梅を助けるんでしょうね。そういう男なんだ、辰はきっと。だからもてるんだね。紅梅としてもこれがヨリを戻すチャンスと見たんだろう。
吉原の人間模様や、客と花魁の意地の張り合いを白酒は上手に描いていた。

志ん橋『天災』、押したり引いたりしない真っ直ぐな語り口が特長だが、メリハリがなく単調になってしまった感がある。この日の客層には受けなかったようだ。

喜多八『やかんなめ』、もうこの人の健康状態についてあれこれ言うのはよそう。
マクラで民間療法として癪の合い薬は、男のマムシ指で患部を押すとか、または男の下帯(ふんどし)で患者の身体を縛るとかいうことが紹介される。これが本編で侍が嬉しそうに親指を立てて見せたり、家来の可内のフンドシを解かせようとしたりといった場面に生かせている。可内のフンドシの長さが6尺と5寸ほど余るのは、包みの部分が多少大きい事を示しているのだろう。侍は、それで足りなきゃ拙者の越中フンドシで頬かぶりをと言い出す。どうやら癪の治療法というのは性的な暗示が有効だったようだ。
喜多八の描く侍はとにかく愛嬌があって可愛らしい。奥様のお供の女中の必死さとの対比が楽しい。

小猫『ものまね』、研究熱心さに加え、トークも上手くなった。今や動物物真似の第一人者と言って良いだろう。

権太楼『試し酒』、清蔵の盃の空け方、次第に酔って行くさま、いずれもお見事と言うしかない。どんなネタを演じても、まるでブラックホールのように権太楼の世界に取り込んでしまう。これは正しく権太楼の『試し酒』だ。

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コメント

>どんなネタを演じても、まるでブラックホールのように権太楼の世界に

考えてみれば、これは凄いことですよね。
ヒトは自分を確立したくても出来ない場合の方が多いですから。

白酒にもその資質がありますが、
巷間伝えられる権さんの白酒に対する厳しい態度は、もう少し精進してからにせいよ、というメッセージでしょうか。

福様
権太楼のように、常に自分の世界をしっかりと保っている人は、珍しいと思います。そこが最大の魅力と言えます。
白酒に対する時に厳しい態度は期待値の裏返しの様にも思えます。

この日の喜多八のことを人から聞きました。
もう怖くて聴きに行けないような気がします。

佐平次様
喜多八の状態について論究しないと書いたのは、もはや現実をそのまま受け容れるしかないと感じたからです。もう心配なんかせずに、楽しんだ方が良いと。

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