【書評】不破哲三「スターリン秘史―巨悪の成立と展開(5)」~ソ連のバルカン侵出~
不破哲三「スターリン秘史―巨悪の成立と展開(5)大戦下の覇権主義(下)」(新日本出版社刊2015/12/15初版)
シリーズ5巻はドイツ降伏後のヨーロッパ、とりわけバルカン半島諸国がどの様な運命をたどったのかがテーマになっている。ただ1章を日本の降伏にあてているので、この部分は次回の記事にまわす。
うたごえ運動はなやかなりし頃のソ連の曲で「バルカンの星の下に」という歌があった。
♪黒きひとみいずこ わがふるさといずこ
ここは遠きブルガリア ドナウのかなた
ここは遠きブルガリア ドナウのかなた♪
以前からこの歌詞のブルガリアを歌った曲になぜ「バルカン・・・」のタイトルを付けたのか、ずっと疑問だったが、この本を読んで理由が分かって気がする。ドイツを破ったソ連が東欧に侵出し傘下におさめて行くのだが、バルカン半島ではブルガリアで行き止まりになってしまった。その先のユーゴやギリシアには手が届かなかったのだ。
1944年10月9日にモスクワで英国のチャーチルとソ連のスターリンの会談が行われるが、ここでチャーチルが下記のメモをスターリンに提示する。
・ルーマニア ロシア90% 他国10%
・ギリシア イギリス90% ロシア10%
・ユーゴスラビア 50/50%
・ハンガリー 50/50%
・ブルガリア ロシア75% 他国25%
チャーチルはここで戦後の東欧の、ソ連とイギリスとの分配を提案した。
このメモを見たスターリンは黙って青鉛筆で印をつけた。チャーチルは「これで万事決まり」と。
続いてチャーチルは、数百万人の運命をこんな形で決めるのはシニカルなのでメモは焼こうと提案するが、スターリンは一言「いや、取っておこう」と答えた。
この1枚のメモが戦後の各国の運命を決定づけることになる。
ドイツ占領下でその初期の段階から全国的な抵抗運動が起きたのは、ユーゴスラビア1国だった。ドイツの侵攻に対して無抵抗だった国王と政府首脳はイギリスに亡命していて現地で亡命政府を作っていた。ユーゴには政府軍が残っていたが、ドイツの占領政策に協力していた。チトーを指導者とする解放運動側はドイツ軍と政府軍の双方と戦い、やがて人民政府の樹立を宣言する。
しかしユーゴの亡命政府を承認していたイギリスは亡命政府をユーゴに帰国させたうえ、そこに政府軍と解放運動の指導者を参加させるという構想を打ち出す。そして意外なことにスターリンもこの構想を支持してしまう。
チトーはユーゴスラビア共産党の指導者でもあり、ユーゴの解放運動はスターリンが唱えた反ファッショ統一戦線の手本になるべき運動だったにも拘らずだ。
その原因の一つは先のチャーチル/スターリン会談での「ユーゴスラビア 50/50%」という合意をスターリンとしては無視できなかった。
もう一つの要因は、スターリンとしてはいずれユーゴもソ連支配下に置くと言う野望を持っていた。その際に解放運動の存在はむしろ邪魔になり、亡命政府の支配下の方が崩し易いという計算があった。
この構想は1945年の米英ソ三国首脳により「ヤルタ会談」で合意され、チトーらに伝達される。
ここで彼らが偉いのは、そうした外圧を撥ね退けユーゴ国内で自由選挙を実施し、新たな憲法と人民共和国の樹立を宣言してしまう。
ここに至っては米英ソ三国も同意せざるを得なかったのだ。
ユーゴの隣国ギリシアでも、ドイツ・イタリア占領下で抵抗運動が起きてギリシャ共産党を中心とした民族解放戦線が結成される。運動が全国に拡がりドイツ・イタリア軍の撤退の見通しが付き始めた段階でイギリスの画策によって、イギリスに亡命していたギリシア亡命政府に解放運動の指導者が加わる連合政府ができる。
しかしイギリス軍がギリシアに上陸してから様相は一変する。イギリス軍が解放軍の掃討を開始する。解放戦線側はソ連に助けを求めるが、スターリンはこれを拒否する。先の英ソ会談での「ギリシア イギリス90% ロシア10%」の合意、つまりイギリスのギリシア支配をスターリンが認めてしまったからだ。
実はもう一つ、この件ではスターリンの深謀遠慮があった。
それはこの後に起きるソ連による東欧各国支配についてイギリスに「貸し」を作ったのだ。イギリスが抗議すると、「あんただってギリシアで同じことをしたではないか」と反論するためだ。
かくしてソ連軍が東欧に侵出し、ハンガリー、チェコスロバキア、ルーマニア、ブルガリアに傀儡政権を作り次々と支配下に収めてゆく。具体的な手口は本書の書かれているので、興味のある方は本書を読んでください。
パリ講和条約が締結され戦後処理がほぼ終わった1947年3月、米国のトルーマン大統領教書の演説が行われる。いわゆる「トルーマン・ドクトリン」である。骨子は次の通り。
①世界は全体主義か自由主義に別れ、そのいずれを選ぶかが全ての国に求められている。アメリカは自由主義国を守る責務を負っている。
②アメリカは全体主義から各国を守るため経済援助を行う。
「ソ連封じ込め」と、東西の「冷戦」の対決を宣言したわけだ。
この「トルーマン・ドクトリン」の効果は絶大で、先ずフランスとイタリアでそれまで連立内閣に加わっていた共産党の閣僚が全員排除される。
アメリカ本国では「赤狩り」が始まり、社会各分野で「赤狩り」が荒れ狂うことになる。
日本でも米軍占領下で進めらてた一連の民主化に急ブレーキがかかり、やがて「逆コース」から「レッドパージ」へと拡がってゆく。
一般的には資本主義対社会主義、あるいは自由主義対全体主義という呼ばれ方がされるが、不破によれば「帝国主義と覇権主義との対決」だと断じている。ソ連は社会主義国ではなく覇権主義国だったというわけだ。
次回は本書の中の日本の降伏についての項を紹介する。
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コメント
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殺伐とした戦のなかで歌われたのに(から?)美しい曲ですね。
私も歌声喫茶でラブソングみたいな気持ちでうたっていました。
投稿: 佐平次 | 2016/03/08 09:18
佐平次様
「バルカンの星の下に」「カチューシャ」「灯(ともしび)」など、皆ソ連の戦時歌謡です。メロディが美しかったので、私もよく歌っていました。
投稿: ほめ・く | 2016/03/08 09:54