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2016/03/31

平成27年度花形演芸大賞受賞者

国立演芸場のサイトによると、3月28日付で平成27年度「花形演芸大賞」の受賞者が下記のとおりに決定した。
【大賞】
蜃気楼龍玉(落語)
【特別賞】
神田阿久鯉(講談)
【金賞】
三遊亭萬橘(落語)
笑福亭たま(上方落語)
ロケット団(漫才)
【銀賞】
ホンキートンク(漫才)
桂吉坊(上方落語)
瀧川鯉橋(落語)
古今亭文菊(落語)

参考までに、平成26年度花形演芸大賞の受賞者は下記の通りだった。
【大賞】
ポカスカジャン(ボーイズ)
【金賞】
三遊亭歌奴(落語)
三遊亭萬橘(落語)
U字工事(漫才)
【銀賞】
笑福亭たま(上方落語)
柳家小せん(落語)
古今亭志ん陽(落語)
立川志ら乃(落語)
桂宮治(落語)

今年度の大賞受賞者である蜃気楼龍玉は、ここ数年圓朝作の人情噺を連続口演するなど意欲的な高座を見せており、平成25年度には文化庁芸術祭新人賞を受賞していた。先ずは順当な受賞といえる。
上方落語から笑福亭たま、桂吉坊が、それぞれ金賞、銀賞に名を連ねているが、来年度は大賞を狙える位置にいるのではと期待している。

訃報で、ウグイスなどの声帯模写を得意とした落語家の4代目江戸家猫八が、3月21日に進行胃がんのため亡くなった事が報じられた。66歳だった。
実は3月21日の「国立名人会」に出演予定だったのが、体調不良ということで長男の小猫が代演していたが、その日に亡くなっていたのだ。
ご冥福をお祈りする。

2016年3月記事別アクセスランキング

3月のアクセス数のTOP10は以下に通り。

1 薔薇とシンフォニー(2016/2/29)
2 国立演芸場3月上席(2016/3/3)
3 【ツアーな人々】消えた添乗員
4 落語協会真打披露in鈴本(2016/3/23)
5 #394国立名人会(2016/3/21)
6 「焼肉ドラゴン」(2016/3/15)
7 男が「風俗」へ行く時
8 「らくご・古金亭ふたたび」(2016/3/14)
9 圓太郎ばなし(2016/3/24)
10 まるで「チーママ」みたいな女流作家たち

落語関係の記事が5本と半数を占めた。毎度の傾向だが通常の落語会より定席の記事の方がアクセスが多い傾向にある。他に上方落語会の記事が2本あったが、アクセスは伸びなかった。
1位は当ブログでは珍しい歌謡曲歌手のコンサート記事だが、500アクセスを超えた。大した内容の記事ではなかったのだが、この歌手のフアンが多いせいなのか。
3位はTOP10常連の記事で、年間のアクセス数をカウントすれば第1位は間違いない。
6位に劇評が入ったのは、この芝居が素晴らしかったからだろう。
10位は雑誌記事の紹介だったが、アクセスが伸びたのはタイトルのお蔭か。
7位の様に昔書いた記事に突然アクセスが集まるのは、あまり嬉しくない。

お知らせです。
4月後半から6月初めにかけて、家族の事情や家の内装工事やらで、1週間単位で記事の更新を中断することがありますので、ご了承ください。

2016/03/30

テアトル・エコー「8人の女」(2016/3/29)

テアトル・エコー SIDE B 『8人の女』
日時:2016年3月29日(火)14時
会場:恵比寿・エコー劇場
<スタッフ>
作:ロベール・トマ 
翻訳:上原一子 
上演台本・演出:小山希美
<キャスト>
南風佳子/ギャビー:この家の主マルセルの妻
寺川府公子/シュゾン:長女
おまたかな/カトリーヌ:次女
丸山裕子/マミー:母親
小野寺亜希子/オーギュスティーヌ:マミーの娘
渡辺真砂子/シャネル:年配のメイド
中芝綾/ルイーズ:若いメイド
薬師寺種子/ピエレット:マルセルの妹

【ストーリー】
舞台は1950年代のフランス。
雪に閉ざされた山奥の邸宅に、長女シュゾンが休暇のためイギリスから帰ってきた。皆が再会を喜ぶ中、この家の主マルセルの姿だけ見えない。 メイドのルイーズが朝食を部屋に持っていくと、マルセルは背中を刺されて死んでいた
マルセルは経営者で資産家。彼の死は、この屋敷にいる8名の女性全員に何らかの利害関係を生じる。おまけに外部から侵入した形跡がなく、犯人はこの8名の女性の誰かに絞られる。
お互いが疑心暗鬼のなか、それぞれが抱えていた秘密が次々と暴かれてゆき、それぞれが殺人の動機を持っていることが明らかになる。
やがて事件の意外な真相が・・・。

ミステリー劇である。雪に閉ざされた山奥の一軒家での密室殺人とくれば、かつてのミステリーの定番だった。
作者のロベール・トマの作品は「笑いとサスペンス」「終幕のどんでん返し」が特徴とのことだが、本作品もその特徴が十分に生かされている。
ここに登場する女性たちは年齢が10代の娘からその祖母までと幅広い。母親世代の中年女性たちも富豪と結婚し幸せな生活を送る者、結婚できずに独身でいる者、身を持ち崩して金に困っている者と、立場が異なる。
二人の娘も長女の方は英国に留学、次女はいつまでも子ども扱いされ不満を抱えている。
メイドの二人も、主人夫妻に長く仕え忠実な者と、最近雇われてきた奔放な性格の者と別れる。
祖母はといえば、老後の資金を抱えていて子供たちに渡そうとしない。
現代に生きる女性たちも、そのどれかに当てはまりそうな設定になっている。国も時代も違うが、観客にとっては共感が得られるだろう。
また劇には登場しないが、屋敷の主マルセルとその共同経営者の男性もミステリアスな存在だ。
いかにも「テアトル・エコー」らしい楽しい舞台を見せてくれた。

出演者では妻のギャビー役のいかにも資産家の奥方らしい南風佳子の演技と、メイドのルイーズ役の中芝綾のコケティッシュな演技が光る。

公演は30日まで。

2016/03/27

「記念碑」(2016/3/26)

現代カナダ演劇・最新作連続公演『記念碑 [The Monument] 』
日時:2016年3月26日(土)14時
会場:劇「小劇場」
作:コリーン・ワグナー 
翻訳:吉原豊司
演出:小笠原響
<  キャスト  >
寺十吾:ステッコ
森尾舞:メイラ

下北沢駅周辺にはいくつもの小劇場があり、今回はそのうちの『劇「小劇場」』で行われた「記念碑」を観劇。1995年にカナダで初演以来、欧州各国、米国、オーストラリア、ルワンダで演されている。なかでも注目されるのは中国でも上演されたことだ。民族浄化を題材にした本作品がよくぞ検閲に通ったものだ。
【ストーリー】
舞台は時代も地域も特定されていないが、恐らくは1990年代のボスニア紛争での民族浄化をモデルにしたものと思われる。
戦地で23人の女性を強姦殺人し電気椅子に座らされた男ステッコの前に、女性尋問官のメイラが現れる。
メイラはステッコに対し、一生いうことを聞くか、 そのまま死ぬか選択をせまる。ステッコはメイラの言うことを聞くを選び、首に鎖をつながれた犬か奴隷にような扱いを受ける。メイラはステッコが犯した犯罪について少しずつ自白させ、やがて彼が遺体を埋めた森に連れ出す。何体かの遺体を掘り起こすうちに、その内の1体がメイラの娘であることを確認する。メイラに真実を語るよう迫られたステッコは具体的な殺害状況を語り出す。あまりの凄惨な内容に激怒したメイラはステッコを殺そうとするが果たせず、二人で手を取り合って故郷へ帰るところで終幕。

電気椅子にしばられたステッコが叫ぶ冒頭のシーン、「人を殺すのが犯罪なら、どうしていつまでも戦争を続けているのだ!」。これが本作品のテーマだ。
ステッコは英雄だった。23人もの女性を強姦して殺したのも上官の命令だった。下級兵士に勇敢に突撃させるための度胸試しにやらされた。彼はそれに応えただけだと言う。戦場では誰もがやっていた事だと言う。そこには同情も憐れみもなかったのだと言う。
メイラはステッコの命を救う代わりに、彼の犯した罪を思い起こさせる。彼は被害者のことを少しずつ思い出すが、それは人としてではなく記号だった。メイラは怒りに燃えてステッコを殺そうとすると、ステッコはこう叫ぶ、「あんただって一緒じゃないか」。
メイラからステッコの恋人もまた強姦され殺されたことを告げられ、ステッコは苦しむ。その姿を見てメイラは彼を赦す気持ちになってゆく。
戦争は全ての倫理観を吹っ飛ばす。日常的には悪事とされることが、例えば殺人や略奪など、正当化され英雄視される。その戦争が今も世界各地で行われている。その不条理さを訴えた芝居だからこそ、世界各地で上演されてきたのだろう。
日本は幸いなことにこの70年あまり、直接参戦することなく、とにかく平和が保たれてきた。それと同時に戦争に対する実感も薄れてきているのも事実だ。昨年、戦争法案ともよぶべき法律が成立し、着々とその施行が準備されつつある。安倍政権は憲法改正を声高に主張し始め、産経などのメディアやネットの一部では好戦的な主張も行われている。
こうした時期に「記念碑」のような作品が上演されたことは意義のあることだと思う。

二人の出演者、寺十吾(ジツナシ サトル)と森尾舞(モリオ マイ)は、文字通り泥まみれの奮闘で、観ていて背筋が寒くなった。

公演は、本日27日まで。

2016/03/26

圓太郎ばなし(2016/3/24)

第11回「圓太郎ばなし~橘家圓太郎独演会~」
日時:2016年3月24日(木)18:30
会場:日本橋劇場
<  番組  >
桂三木男『真田小僧』
橘家圓太郎『馬の田楽』
柳家喬太郎『路地裏の伝説』
~仲入り~
橘家圓太郎『富久』

かなり以前のことになるが、圓太郎が小朝の弟子だと知って驚いた。あまりに芸風が違うのと、圓太郎の口から師匠の名をきいたことが無かったからだ。雲助がなにかのマクラで、前座名が”あさり”だった圓太郎が二ツ目に昇進した時に師匠が”はまぐり”と改名させようとしたら、本人がそれだけは勘弁してくれと断ったというエピソードを紹介したことがあった。
キレの良い江戸っ子口調は、むしろ大師匠の先代柳朝の方に近いようにも思える。あまり押したり引いたりしない語り方だが、声を裏返しさせながら登場人物の感情表現をさせるのが特徴といえよう。
会場の1階は一杯の入りだった。

先ずゲストの喬太郎『路地裏の伝説』から
父親の3回忌で帰郷していた男の家にかつての同級生たちが集まり昔話に花を咲かせる。話題は子どもの頃に流行った都市伝説に。そこから自分たちの周囲にあった都市伝説について思い出を語り合う。夜遅く道を歩いていると向こうから子ども恰好をしたオヤジが近づいてきて、「風邪ひくぞ」と忠告して直後に姿が消えて行くというもの。あれは一体誰だったんだろうと言っている時に、この家の男が父親の形見の日記を引っ張り出して読み始め、「風邪ひくぞ」オジさんの正体がこの父親だったことが分かる。
1980年前後に流行した「口裂け女」や「なんちゃってオジサン」などの都市伝説をベースにしたミステリー仕立ての作品で、喬太郎は頻繁に高座に掛けている。喬太郎の話芸だけで聴かせるネタだ。
公演プログラムで圓太郎が「喬太郎は怪物だ」と言ってるが、その通りだろう。古典と創作の二足の草鞋で、その古典もレパートリーが広く完成度の高さを示した噺家は、彼以外にそうはいない。

圓太郎の1席目『馬の田楽』、元々は上方のネタで3代目小さんが東京に移し、近年では5代目小さんや弟子の小三治が得意としている。
「馬方船頭御乳(おち)の人」という諺があり、意味は「弱みにつけこんで法外なねだりものをする卑劣な者のたとえ」とあるが、落語の世界では「言葉は荒いが性根はやさしい」という様な意味で使われることが多い。
この噺の主人公の馬方はその典型で、馬を叱りつけたり近くで遊んでいる子どもを注意したりと強面を見せる反面、馬がいなくなったら重い荷物を背負ったまま駆け出して背骨でも痛まないかと心配し、周囲の人に馬の行方を聞き回る。
あまり面白い噺ではないと思っていたが、圓太郎はいくつか手を入れて爆笑編に変えていた。
先ず、味噌樽を積んだ馬を三州屋の店先につなぐ場面で、近くでメンコ遊びをしていた子どもに馬にイタズラしてはいけないと注意するのだが、この時の馬子と子どもとの会話の繰り返しが可笑しい。
馬の姿が見えないので一人残っていた子どもに経緯をたずねる場面では、言い訳をしながら馬にイタズラしたことを白状する子どもの造形が可愛らしい。
馬の行方をたずねるのに、最初に耳の遠いお婆さんとの会話が珍妙。このお婆さんはどうやら「盛り」が付いているようで、「馬乗りになっても構わない」などと言い出し、馬方はほうほうの態で逃げ出す。同時にここで田楽問答があり、最後のサゲにもつながっていく。
馬方が畑の真ん中に立っているお百姓に訊くと、これが延々と釣りの話をした挙げ句、釣りをするには天気が大事なのでさっきからずっと空を見上げていたので馬は見てないと言う。焦る馬方と、ノンビリとしたお百姓との対比が際だつ。
最後は知り合いの虎十郎に出会い、馬方が「味噌つけたウマ知らねえか」ときくと、酔っぱらっている虎十郎が「味噌つけたウマだあ。はっはっは、おらあこの年になるまでウマの田楽は食ったことがねえ」でサゲ。
通常より長めの口演時間だったが、民話風のストーリー展開と圓太郎の語りとが良く合っていて、独自の工夫とも相俟って楽しい1席にまとめ上げていた。

圓太郎の2席目『富久』、芝の旦那を酒でしくじった幇間の久蔵、収入が無いと知れたとたん、年の暮で借金取りが押し寄せてきて仕方なく周囲に内緒で浅草三軒町の裏長屋に引きこもるという設定だ。これは最後のサゲへの布石と見られる。酒でしくじったから禁酒にしていると言ってる傍から、購入した富札を神棚に上げたまま御神酒を下げて飲んでしまいごろ寝。久蔵の意志の弱さが現れている。同じ長屋の住人が火事で芝金杉あたりだと教えてくれたので、深夜、久蔵は芝まで駆けつける。旦那は久蔵を一目見るなり「よく来てくれた、向後、出入りを許す」と言う。この辺りはアウンの呼吸とも言うべきで、旦那の方も久蔵を許すタイミングを見計らっていたようだ。鎮火した後に取引先から火事見舞いが届くのだが、圓太郎の高座では見舞いの品はみな酒だ。冬場だから暖が取れる酒が重宝したのだろう。久蔵は酒を気になって仕方がない。傍にいた番頭に酒を勧めるが乗ってこない。見かね旦那が許すと久蔵は煽るように酒を飲みだす。仕舞には番頭に絡みだす始末に、旦那の鶴の一声で寝床へ。そこへ又火事の知らせ、今度は浅草三軒町付近とのことで、起こされた久蔵は長屋に駆けつけるが全焼。茫然として芝へ戻る久蔵を旦那は暖かく迎え入れ、久蔵はそのまま居候。衣食住を与えられ気楽な暮しが続くのだが、やはり久蔵としてはこのままではいけないと考えるようになる。あてもなく散歩に出かけると何やら人だかり、この日が椙森神社での富籤の日だ。駆けつけた久蔵は自分の札が千両富に当たっていたことを知る。天にも昇る気持ちでいると、富札が燃えてしまって千両が手に走らない事を知る。悄然として歩いていると長屋の頭にバッタリ出会う。聞けば久蔵の家にあった神棚を火事から救い出し家に保管してあるとのこと。神棚の扉をあけて当たり籤を見つけ狂喜乱舞する久蔵。
「へえ、これも大神宮様のおかげです。近所にお払いをいたします」でサゲ。
こうして見ると久蔵は借金の事がずーと頭にあったのだ。いい加減な所と律儀な処が同居しているのはいかにも江戸っ子らしい。
もう少し冬の寒さが強調されても良かったかと思われるのと、久蔵と番頭が火事見舞いを帳づけする場面がやや間延びしていたが、「禍福は糾える縄の如し」の久蔵の心理が十分に表現されていた。

2016/03/24

落語協会真打披露in鈴本(2016/3/23)

鈴本演芸場3月下席・夜の部は、「落語協会真打昇進襲名披露興行」。今春に真打に昇進した5名の昇進披露だが、お馴染みなのは林家たけ平だったので、3日目に出向く。この日は満席だった。
<  番組  >
古今亭志ん吉『からぬけ』
伊藤夢葉『奇術』
三遊亭歌奴『佐野山』
ニックス『漫才』
林家正雀『開帳の雪隠』
五明樓玉の輔『マキシム・ド・のん兵衛』
林家正楽『紙切り』
鈴々舎馬風『漫談』
柳亭市馬『親子酒』
─仲入り─
『披露口上』、高座下手から、司会の玉の輔、小朝、たけ平、正蔵、馬風、市馬と並ぶ。
翁家社中『太神楽』
春風亭小朝『目薬』
林家正蔵『鼓ヶ滝』
林家あずみ『三味線漫談』
林家たけ平『徂徠豆腐』

真打披露興行というのはお祭りみたいなもので、、じっくり噺を聴く場ではない。持ち時間もトリや中トリを除けば10分程度だから短いネタに限られる。その中でどう観客にアピールするかが腕の見せ所となる。この日の各演者にはそれぞれの工夫が見られた。

志ん吉『からぬけ』、何度か観てきたが期待の若手だ。以前はやや硬さが見られたが、それも良くなった。身体の軸がブレない処がいい。
歌奴『佐野山』、声と体を活かした十八番の相撲ネタ、場内がパッと明るくなる。
ニックス『漫才』、女性同士の漫才っていうのはどうも面白くないね。
正雀『開帳の雪隠』、海外では有料トイレは当たり前だが日本では逆に珍しい。この噺によると江戸時代には我が国でも有料トイレで儲けようとした人がいたらしい。正雀は、浪花千栄の本名が南口キクノだったのでオロナイン軟膏の看板になったというエピソードからネタに入っていた。
玉の輔『マキシム・ド・のん兵衛』、白鳥作だが、この人の十八番。
市馬『親子酒』、想定内の出来。
披露口上』、たけ平への期待度の高さが窺われる口上が続いた。馬風の強制で市馬が「相撲甚句」、正蔵と玉の輔が小咄を演らされていた。馬風は口上だけは上手い。
翁家社中『太神楽』、プロなんだから失敗はダメよ。
小朝『目薬』、得意の逃げ噺。マクラからネタに入るタイミングが絶妙。何度聴いても笑える。
正蔵『鼓ヶ滝』、小朝が正蔵ほど努力している人は他にいないと語っていたが、その通りなんだろう。こぶ平時代に比べたら隔世の感がある。上方のネタを東京に移したものだが、西行法師にもう少し歌人としての風格が欲しかった。
あずみ『三味線漫談』、時間の短いのが良かった。
たけ平『徂徠豆腐』、以前にも聴いているので、このネタを得意にしているのだろう。
元々のストーリーは忠臣蔵外伝のような形式になっていて、物語は義士の討ち入りと並行して進行するのだが、たけ平の演出はその部分を外して豆腐屋と荻生徂徠との人情ものに仕立てている。簡潔である反面、物語に奥行きが失われる。徂徠を偉い先生と言うのだが、どう偉いのかがこの演じ方では分からない。
同じ義理立てでも武士と町民とでは表し方が異なるという、この噺の大きなテーマも割愛されてしまう。
せっかくの熱演であったが、今ひとつ心に響かない高座だった。

2016/03/22

#394国立名人会(2016/3/21)

第394回「国立名人会」
日時:2016年3月21日(月)13時
会場:国立演芸場
<  番組  >
前座・柳家小かじ『たらちね』
柳家甚語楼『長屋の花見』 
桃月庵白酒『首ったけ』               
古今亭志ん橋『天災』   
―仲入り―
柳家喜多八『やかんなめ』 
江戸家小猫『ものまね』     
柳家権太楼『試し酒』

白酒がマクラで入門当時(1992年)の客席の風景を語っていたが、
・客が少ない、満員になることは稀
・圧倒的に男性
だった。アタシの当時の印象もほぼ同じだ。
女性客が増え始めたのは2000年に入ったあたりからで、その後の落語ブームあたりから客席の男女が逆転するようになってきた。
つまり全体としてはコアの男性ファンはあまり変わらず、女性ファンのみが上積みされたような恰好だと思う。
昔の寄席というのは夕方から始まり夜の10時過ぎに終わっていたらしい。そんな時間に女性が一人歩きするのは難しかったから、客はほとんどが男性だった。
客層の変化というのは、大衆芸能である落語の内容にも影響を与えるし、女性に「受ける」噺家に人気が集まることになる。
いま演じられている古典落語にしても時代とともに内容や演出が変ってきた。今後は女性客が増えた影響も当然受けることになろう。
喬太郎から白酒、三三を経て一之輔に至る高座をみていると、その変化を先取りしているかのように見える。

小かじ『たらちね』、容貌は師匠・三三に似てないが、滑らかな語り口は師匠譲りだねと思った。

甚語楼『長屋の花見』、この日初めて福岡で桜の開花宣言が行われて季節感ピッタリの演目となった。明るい芸風が特長で着実に力をつけてきている。

白酒『首ったけ』、志ん生親子以来、あまり高座にかからなかったネタだったが、白酒によってすっかり復活した感がある。もはや十八番と言って良いだろう。
吉原の廻し部屋に独りでほったらかしにされというのは落語では毎度のパターンだが、このネタの主人公である辰つぁんは怯まない。大声を出して敵娼(あいかた)の紅梅や中どんを呼び出し文句をいう。最初は花魁も辰の言い分を聞いていたが、座敷に上げているのは大事な客だからもう少し辛抱してと説得しても辰は聞く耳を持たない。ここから先は痴話喧嘩の様相を呈してくる。二人の間に入った中どんは懸命に辰をなだめようとするが、これがいちいち癇に障り火に油をそそぐ結果となって、辰は捨てセリフを残して店を出る。この3者の口論の場面でのセリフ回し、表情の変化が白酒は巧みなのだ。
深夜に店を飛び出した辰だが、このまま帰るわけにもいかず、向かいの店に上がろうとする。しかし他の馴染を店に上げるのは吉原の御法度。辰はもう前の店には戻らぬと約束すると、実はこの店の若柳という花魁が以前から辰にトンと来ているという。渡りに船とはこのことで、辰はすっかり若柳の馴染となって通うことになった。辰もそうそう金が続かず、稼ぎのためにしばらくは仕事に精を出していた。そんなある日、吉原で火事が起きる。若柳が心配になって辰が駆けつけると、お歯黒どぶに落ちて溺れている花魁を一人見つける。救いの手を伸ばすと、相手は紅梅。
「なんでえ、てめえか。よくもいつぞやは、オレをこけにしやがったな。ざまあみやがれ。てめえなんざ沈んじゃえ」
「辰つぁん、そんなこと言わずに助けとくれ。今度ばかりは首ったけだよ」
でサゲ。
ここで噺は終ってるのだが、たぶん辰は紅梅を助けるんでしょうね。そういう男なんだ、辰はきっと。だからもてるんだね。紅梅としてもこれがヨリを戻すチャンスと見たんだろう。
吉原の人間模様や、客と花魁の意地の張り合いを白酒は上手に描いていた。

志ん橋『天災』、押したり引いたりしない真っ直ぐな語り口が特長だが、メリハリがなく単調になってしまった感がある。この日の客層には受けなかったようだ。

喜多八『やかんなめ』、もうこの人の健康状態についてあれこれ言うのはよそう。
マクラで民間療法として癪の合い薬は、男のマムシ指で患部を押すとか、または男の下帯(ふんどし)で患者の身体を縛るとかいうことが紹介される。これが本編で侍が嬉しそうに親指を立てて見せたり、家来の可内のフンドシを解かせようとしたりといった場面に生かせている。可内のフンドシの長さが6尺と5寸ほど余るのは、包みの部分が多少大きい事を示しているのだろう。侍は、それで足りなきゃ拙者の越中フンドシで頬かぶりをと言い出す。どうやら癪の治療法というのは性的な暗示が有効だったようだ。
喜多八の描く侍はとにかく愛嬌があって可愛らしい。奥様のお供の女中の必死さとの対比が楽しい。

小猫『ものまね』、研究熱心さに加え、トークも上手くなった。今や動物物真似の第一人者と言って良いだろう。

権太楼『試し酒』、清蔵の盃の空け方、次第に酔って行くさま、いずれもお見事と言うしかない。どんなネタを演じても、まるでブラックホールのように権太楼の世界に取り込んでしまう。これは正しく権太楼の『試し酒』だ。

2016/03/20

人は独りでは生きていけない

「図書」2016年3月号に、国際保健学が専門の山本太郎(アノ人ではありません)長崎大学教授の『人は独りでは生きていけない―受け継ぐもの、手渡すもの』という文章が掲載されている。
なんだか人生論みたいなタイトルだが、中身はヒトに常在している細菌のことだ。
近代医学は感染症が微生物によって引き起こされ病気であり、ワクチンや抗生物質によって制御できることを明らかにした。
抗生物質のお蔭で感染症で亡くなる人は激減したが、それがいま新たな問題を私たちに突きつけているというのだ。

人間というものはこれまで、一個の独立した存在と考えられてきたが、どうやらそれは間違いであるらしい。「私」は、実は「私」に常在する細菌とともに「私」を構成しているというのだ。こうした常在細菌叢のことを「マイクロバイオータ」と呼ぶのだが、「私」は「マイクロバイオーター」との相互作用を通して、生理機構や免疫を作動させ、「私」たちヒトを形づくる。
そうか、私たちは、私たちにくっ付いている細菌類とともに生きているのか。「さいきん」まで知らなかったなぁ。
そのマイクロバイオータだが、種類は1000種類を超え、数は数百兆個(WOW! ちなみにヒトの細胞の数は約60兆個)、総重量は数キログラムに達する。遺伝子総数は約300万個で、ヒトの遺伝子のおよそ30倍の数の遺伝子が、私たちの身体の中で常に発現している。
ウ~ン、数からいったら細菌がヒトに常在しているというより、ヒトが細菌に常在しているという方が近いかな。
その大事なマイクロバイオータが今、大きな攪乱に見舞われている。
・抗生物質の過剰使用
・帝王切開の乱用
・伝統的食生活の変化
によって、である。

マイクロバイオータを大まかに分類すると、三分の一が人類に共通で、三分の一が人種や地域に共通で、三分の一が個人で異なる。
そうした細菌叢は祖母から母、母から子、子から孫へと受け継がれ、3歳までに微生物の骨格相が決まる。
乳幼児期における抗生物質の過剰投与や帝王切開はその骨格を動揺させ、長く受け継がれてきた細菌叢の多様性を消失させ、希少だが重要な細菌(中枢細菌)の喪失を引き起こす。それが病気の発症リスクを増大させるらしい。
抗生物質がヒトの常在細菌叢へ影響することはなんとなく分かるが、帝王切開はどうなんだろう。少し難しいのだが、こういう事らしい。
妊娠中に母の膣内では乳酸桿菌が優位になる。出産とともにそれまで無菌状態だった児は、羊膜の破裂とともに膣内に存在していた乳酸桿菌と接触する。これによって母の細菌が児に移植される。人類は長くこの営みを繰り返してきた。児は、こうして新たな命を始めるために必要な細菌を獲得していたのだ。
ところが帝王切開の場合はこの過程を通らないため、児は乳酸桿菌と接触せず、母親の細菌が児に移植されないのだ。

ヒトに常在する細菌は決して偶然の産物ではない。祖母から母へ、母から娘へ、娘から孫へと受け継がれてきた長い進化の過程で、私たちはヒトに役立つ細菌を選択してきた。そうした細菌の喪失は人類にとって大きな損失となる。
一度失われた種や細菌が再び回復することはない。
細菌種の喪失は、私たちの身体の中の生態系を回復不可能にし、病気を引き起こす。
肥満や糖尿病、自閉症、食物アレルギー、炎症性腸疾患、ガンなど、いずれもここ30年で大きく増加した「現代病」と呼ばれる。
マイクロバイオータの多様性や、中枢細菌の喪失がその発症リスクを高めているというのだ。
もちろん、抗生物質や帝王切開は多くの命を救ってきた。問題はその乱用だ。

どうやら私たちは細菌とともに生きている、と言うよりは細菌によって生かされているらしい。
しかも遺伝子は人間とともに、細菌の遺伝子も脈々と受け継がれているというのだ。
考えさせられるなぁ。

2016/03/19

まるで「チーママ」みたいな女流作家たち

【「林君、僕はね、すごい発見をしたんだよ。女を歓ばすには、挿入なんて何の意味もないってことをね。」
「はあ・・・」
「君だってそうだろ。ヘンなものが体の中に入ってくるよりも、指でじっくり愛してもらった方がずっといいだろ。」】

言っておくが、これはスナックのチーママと客のオッサンとの会話ではない。「林君」と呼びかけているのが先年亡くなった作家・渡辺淳一であり、相手は作家の林真理子。
林は続けてこう書いている。
【先生(註:渡辺淳一のこと)は最後に、
「女とちゃんとヤルこと」
を徹底的に追求したこの小説を遺作として、あの世にいかれた。『愛 ふたたび』は、到達した者だけが書ける寓話なのである。】
この文章は渡辺淳一の『愛 ふたたび』(幻冬舎文庫、2015年)の林真理子による解説の一部だ。
(【】内は引用、以下同じ)

月刊誌『図書』2016年3月号で、斎藤美奈子女史による『文庫解説を読む』では、渡辺淳一の作品の文庫解説を採りあげている。斎藤によれば渡辺の小説はソフトポルノであり中身はスカスカとのこと。だから論評の対象になるかというと、なかなか難しいだろうとしている。
それでも膨大な数の作品が文庫化されており、それにはいちいち解説がついているというわけだ。最近は解説も女流作家によるものが多いそうだ。

『ひとひらの雪』(集英社文庫、2009年)解説は唯川恵。
【「君はちゃんと恋愛をしているかね」
ある時、渡辺さんがおっしゃった。
渡辺さんは大ベストセラー作家であり、同時に文壇の大御所であるという驚異的存在の方だが、私のような者にも時折、声を掛けてくださる。
「まさか、私なんかが、恋愛なんてもう無理です」
「人間が死ぬ時、思い出すのはどれだけお金を儲けたとか、高い地位を手に入れたかじゃない。かつて好きだった人と、ふたりで歩いていた時、空がきれいだった、そういうことだよ」
どう答えていいかわからず、言葉を探していると、呆れたように笑われた。
「そんなことじゃ、いいものが書けないよ」】

『化身』(集英社文庫、2009年)解説は村山由佳。
【以前、文学賞のパーティーでお目にかかったときのこと。私はちょうど性愛をテーマにした『W/F ダブル・ファンタジー』という小説を上梓したばかりだった。渡辺氏から、今度の作品はいいよ、よくあそこまで書けたね、どうしたの? と訊かれ、じつは少し前に別れて独りになりました、と答えてところ、おお、と破顔して肩を叩かれた。
「それは良かった! 素晴らしいことだよ、おめでとう」】

『うたかた』(集英社文庫、2009年)解説は林真理子。
【「林君、小説家にとって、いちばんおもしろくて難しいことは、男と女の情痴を書き尽すことなんだよ」
渡辺先生がそうおっしゃたのは、ある文学賞(註:直木賞と思われる)の選考会でご一緒した、札幌でのことだったと思う。(中略)ちょうど先生は『失楽園』の準備を始めていらした頃だったはずだ。】

どうやら渡辺淳一という人はパーティーで女性作家に出会えば、肩を叩いて性的な話題をふるというクセがあったようだ。一般社会ならこれはセクハラと呼ばれる。女性作家の方も心得たもので、適当な相槌を打ち渡辺を喜ばせていたわけだ。
これが「文壇」というものなら、スナックの客とチーママ(一般のホステスより少しは高級かなと)との会話と区別がつかない。
チーママは以下のように客をおだてることに長けている。

『愛の流刑地』(幻冬舎文庫、2007年)解説は谷村志穂。
【著者こそが、本来は、どっかりと根を生やして、「存在する女たち」の生理を、もっともよく知るお一人であろう。】

『くれなゐ』(文春文庫、2012年)解説は桜木紫乃。
【女は旅行者(トラベラーズ)で、男は観光客(ツーリスト)―。
そう考えると、男が性愛の相手を違えたがる理由に、ある種の理屈が生まれてくる。】

『くれなゐ』(集英社文庫、2009年)解説は角田光代。
【近著『欲情の作法』で渡辺さんは、その区別を「挿入する性」と「される性」と表現されている。これほど明確な区別はない。】

『失楽園』(講談社文庫、2000年)解説は高樹のぶ子。
【このエロティシズムと死の文学は、長く記憶され続けるだろう。】

ここまでくると、解説というよりは単なるヨイショだ。「あら、ナベちゃん、様子がいいわ」ってなもんだ。
チーママに徹する、これが渡辺淳一の作品に対する女性作家の解説の秘訣のようだ。
もっとも作品がスカスカだから解説もスカスカにならざるを得なかったのかもね。

2016/03/17

素晴らしい!「焼肉ドラゴン」(2016/3/15)

鄭義信三部作vol.1「焼肉ドラゴン」
日時:2016年3月15日(火)13時
会場:新国立劇場 小劇場 THE PIT

脚本、演出/鄭義信
<   キャスト   >
ハ・ソングァン/焼肉ドラゴン店主:金龍吉
ナム・ミジョン/妻:高英順
馬渕英俚可/長女:金静花
中村ゆり/次女:金梨花
チョン・ヘソン/三女:金美花
大窪人衛/長男:金時生
高橋努/梨花の夫:李哲男
キム・ウヌ/静花の婚約者:尹大樹
大沢健/美花の恋人、クラブ支配人:長谷川豊
あめくみちこ/長谷川豊の妻:美根子&その妹:寿美子
櫻井章喜/ドラゴンの常連:呉信吉
ユウ・ヨンウク/信吉の親戚:呉日白
朴勝哲/アコーディオン演奏
山田貴之/太鼓演奏

新国立劇場では今年の3-6月にかけて、鄭義信が日本の影の戦後史を描いた三部作の一挙上演を企画している。朝鮮戦争が始まった1950年代を描いた『たとえば野に咲く花のように』、60年代半ばの九州のとある炭鉱町での在日コリアンの家族を描いた『パーマ屋スミレ』、そして大阪での在日コリアンの家族を描いた『焼肉ドラゴン』の3作品だ。全て鄭義信が新国立劇場のために書き下ろした作品群。
この内、現在上演中の「焼肉ドラゴン」を観劇。

舞台は高度成長期1970年前後の大阪。その片隅に在日朝鮮・韓国人たちが暮らすバラック建ての家が並び、「焼肉ドラゴン」の赤提灯の下、今夜も常連客が飲めや歌えや。この店主は戦争で片腕を失っているが淡々として生きてきた。先妻との間にできた長女と次女、後妻の連れ子である三女と二人の間に生まれた長男と家族6人が片寄せあって暮らしている。次女には夫がいるが仕事もせずに居候の身の上で、おまけに足の悪い長女への思いが断ち切れないからヤヤコシイ。三女は歌手志望でクラブ支配人の男の好意で店で歌わせて貰っており、二人は男女関係だ。長男は両親の思いから私立中学に通わせて貰っているが、虐めにあっているらしく学校は休みがちだ。両親はただただ子供たちの幸せだけを願って店を切り盛りしている。
しかしこの店やここに通う常連たちの生活にも高度成長の波が押し寄せる。彼らの多くは日本の炭鉱で働いていたが政府のエネルギー政策の転換により炭鉱は閉山。やむなく大阪の空港拡張工事の仕事を求めてこの地にやってきたが、それも今は終ってしまった。在日に対する差別があってなかなかまともな仕事に就けず、養豚の手伝いやら砂利の運搬やらの日雇い生活だ。
更に大きな問題は、彼らの住んでいる土地が国有地で撤去が迫られる。焼肉ドラゴンの店主は佐藤という人からこの土地を買ったと主張するが役所はとりあってくれない。ここを退去させられたら暮らして行けないと抵抗するが、やがて強制撤去が行われてしまう。
三人の娘たち(長男は自殺してしまう)はそれぞれパートナーを見つけ、長女は折からの帰国運動に乗って北朝鮮へ、次女は相手の故郷の韓国へ、三女は日本人と結婚し、それぞれの道を歩むことになる。そして幸せを願う両親との辛い別れで終幕。
一つだけ気になったのはストーリーの展開に既視感があって、帰宅してから思い出したのだが「屋根の上のバイオリン弾き」に骨格が似ている気がした。作品に影響があったのかどうかは作者に訊いてみないと分からないが。

戦後の経済成長の中で日本人は豊かになった。しかしその影には取り残された人たちもいた。社会的差別を受けてきた在日朝鮮・韓国人の人たちや被差別部落の人たちだ。
東京でもかつては中央線から見える場所にスラムがあった。小説や映画にも描かれた見慣れた風景だったが、東京オリンピックを機会にキレイに撤去されてしまった。いま考えたらあの人たちはどこへ行ったんだろう。
この芝居はそうした経済発展の影の部分を描いている。
と同時に、登場人物たちの溢れるエネルギーが舞台を駆け回る。開演前から舞台の焼肉店では歌や踊りが披露され、喧嘩となれば男女を問わず派手な乱闘シーンが繰り広げられる。
どんな悲惨な場面でも常に笑いがあり、大笑いの後に泣けるシーンが出てくる(会場からすすり泣きの声が聞こえてくる)。舞台のテンションがそのまま客席に伝わってくるのだ。これだけは実際に劇を観ないと分からない。
とにかく、素晴らしい作品だ。

この芝居の背景には大きな政治問題も横たわっている。例えば焼肉店主の故郷が済州島だが、ここでは戦後「四・三事件」という大虐殺事件が起きている。なんの罪もない村人たちが公称で3万人(実際はもっと多数と見られる)もの人が殺害された事件だ。店主が親類縁者が皆殺されてしまい故郷に帰れないと言ったのはこの事だ。
日本政府が奨励した北朝鮮帰国運動がどういう結末になったのかは、世間が知るところだ。
1965年の日韓会談に基き「在日韓国人の地位協定」が締結され、在日韓国人に対する一定の優遇措置が取られたが、これが在日朝鮮人の間に溝が作られてしまった。これも劇中に出て来る。

出演者では焼肉店の夫婦を演じた韓国人俳優ナム・ミジョンとハ・ソングァンの演技が素晴らしい。彼らのセリフの多くはハングル語だが、聴いていて胸にジーンと来る(日本語字幕が出るのを知らなかった)。3人の娘たちを演じた馬渕英俚可、中村ゆり、チョン・ヘソンの演技も良く、悲しみが伝わってくる。他では常連客の一人を演じた櫻井章喜の演技が光る

在特会とやらを中心に在日の人々に対する差別を煽るような傾向が続いている今、多くの方々に観て欲しい芝居である。
公演は3月17日まで。

2016/03/16

待ってまっした!「らくご・古金亭ふたたび」(2016/3/14)

第1回「らくご・古金亭ふたたび」
日時:2016年3月14日(月)18時30分
会場:お江戸日本橋亭
<  番組  >
前座・金原亭小駒『元犬』
隅田川馬石『替り目(通し)』
金原亭馬生『百川』
~仲入り~
五街道雲助『幾代餅』

昨秋から中断していた「らくご・古金亭」が再開となった。会場は以前の湯島天神参集殿からお江戸日本橋亭へとダウンサイジングしたが、前売り完売の満席。この小屋がこれほど入ったのは初めてみた。会場のアチコチで会話が交わされ、いかに多くのファンがこの会の再開を待ち望んでいたのか分かる。
・5代目志ん生と10代目馬生の演じたネタだけを演じる
・トリと中トリを雲助と当代馬生が交互に務める
という明確なテーマを持った珍しい会だ。
トリの雲助が語っていたが、今後は中規模の会場で出来るようにと、お囃子を入れたい(この日は出囃子が録音)とのことで、早く実現できる事を期待したい。

前座の金原亭小駒、何となく場馴れしていると思ったら10代目馬生の次女の息子さん、つまりは孫だ。祖父が馬生、曽祖父が志ん生とくればこの会のテーマにピッタリ。大叔父が志ん朝になるわけでDNA的には申し分ない。口調も明解で良い。

馬石『替り目(通し)』、マクラで今日は前座に気を遣ってしまったと笑わせてネタに。この演目は通常は酔っ払いの男が女房におでんを買いに行かせ、出掛けと思って女房に感謝の言葉を言ってたら未だ家にいた所で切る。これだとタイトルがなぜ『替り目』だか分からない。この後、亭主が酒を飲もうとすると冷やなので、通りかかったウドン屋に酒の燗を頼む。ウドン屋がウドンを勧めると男は金を持ってないので断り、ウドン屋は悄然として去って行く。その後に新内流しが来て都々逸を唄わせたりしていると女房が戻り、酒に燗がしてあることに気付く。男にどうしたの?と訊くと、ウドン屋の燗をつけさせてウドンは断ったと答える。気の毒がった女房がさっきのウドン屋を大声で呼ぶがウドン屋は知らん顔。近くの人が注意すると「ちょうど今ごろ銚子の替り目です」でサゲ。
この酔っ払いの男は一銭も持っていないクセに俥に乗り、ウドン屋に燗をつけさせ、新内流しに芸をさせたりのやりたい放題。女房が全てフォローしている。男にはどこか可愛いげがあるからだろう。馬石の高座はそうした微笑ましい夫婦の姿を見せながら、流しの演奏でカッポレを踊ったり、ウドン屋がひどい悪声だったりといった笑いの要素も入れて楽しくまとめていた。
尤も志ん生の高座では途中の「元帳を見られちゃった」で切るのが特徴だったが。

馬生『百川』、馬生のユッタリとした語りに魚河岸連中の歯切れのいい啖呵と百兵衛の訥々とした喋りの対比を軸に、それぞれの登場人物の演じ分けが鮮明になっていて、上出来の高座だった。このネタに関しては先代より当代の方が上だ。

雲助『幾代餅』、マクラでこの会は我儘な馬生を心の広い雲助が受け止めているので保っていると言っていたが、この二人は本当に仲が良さそうだ。
このネタは先日聴いたばかりで、雲助の高座では清蔵が幾代に真実を告白する場面をあっさりと描いているが、この演じ方の方が好ましい。なんてたってこの噺は花魁の再就職の物語りなんだから。幾代餅の店が栄えたのは全て幾代のお蔭なのだろう。『替り目』同様に賢妻の物語りでもある。

2016/03/13

国立能楽堂3月「空腕・田村」(2016/3/12)

3月普及公演「空腕(そらうで)・田村」
日時:2016年3月12日(土)13時
会場:国立能楽堂
一昔前になるが、
♪東京の屋根の下に住む
若い僕等は幸せ者♪
という歌が流行った。確かに東京周辺に住んでいると幸せだと感じるのは色々な催し物が自由に見られるという事だ。歌舞伎を見に行くと遠く離れた地域から飛行機や新幹線で来ている方に出会う。宿泊を伴う事もあって、入場料より交通費の方が遥かに高いだろう。そういう点では東京周辺に住んでいる人はとても恵まれているわけだ。そうした地の利を生かさぬ手はない。
数年前に初めて能・狂言を見に行き、年に1度くらいのペースで国立能楽堂に足を運んでいる。知識は全くなく理解できない所も多いのだが、それでも魅力を感じたからだ。
歌舞伎同様に、劇評といったものでなく(元々書けないし)、能や虚言の魅力を少しでも伝えることが出来たらという思いで記事を書いている。
<   番組  >
『解説・能楽あんない 春の「勝修羅」―「田村」と清水寺縁起』  
田中貴子(甲南大学教授)
『狂言 空腕』(大蔵流)
シテ/太郎冠者:大藏千太郎
アド/主   :大蔵喜誠
『能 田村』(喜多流)
前シテ/童子
後シテ/坂上田村麿:大村定
ワキ/旅僧    :高井松男
アイ/清水寺門前の者:善竹大二郎
笛 :松田弘之
小鼓:曽和鼓堂
大鼓:亀井実
ほか

『狂言 空腕』のあらすじは「ジャポニカ」より引用
【太郎冠者狂言。暮れ方、主人は太郎冠者(シテ)に淀で魚を求めてくるよう言いつける。臆病な太郎冠者は主人の太刀を借りて出かけるが、京都市中を出外れると、ちょっとした物影にもおびえ、人のいない闇へ太刀を差し出して助けを請う始末である。あとをつけてきた主人がこれを見て太刀を取り上げ、扇で打つと冠者は気を失ってしまう。やがて正気に戻った冠者は帰宅して主人を呼び出し、淀へ行く途中大ぜいの賊に会い、さんざん戦ったが、太刀が折れたので逃げ帰ってきたと、でたらめの武勇談を並べ立てる。事実を知っている主人は存分にしゃべらせたのちに、太刀を見せて、冠者の臆病ぶりをしかる。冠者の仕方話による空腕立(そらうでだて)(偽りの武勇自慢)が見どころ。】
狂言は昔のコントと思えば良い。笑いをテーマにしているので初心者でも分かり易く楽しめる。
現在でも武勇伝を人に語りたがるヤツがいるが、大抵はホラ話が多い。そういう時に事実を知っていて鼻を明かしてやったらさぞかし痛快だろうなと思う。だから今に置き換えても十分に通用するシチュエーションだ。
ただ、この主と太郎冠者の主従はお互いが理解し合っている間柄なので、見ていても微笑ましい。
太郎冠者の前半の臆病ぶりt、後半の奮戦ぶりの所作の対比が面白い。

『能 田村』のあらすじは「the能ドットコム」の演目紹介より引用
【東国の僧が都に上り、春のある日、清水寺を訪れました。そこで箒を持った少年と出会い、聞けば、地主権現に仕える者であると応えます。清水寺の来歴を尋ねる僧に、少年は、坂上田村麿が建立した謂れを語りました。また問われるまま、少年が近隣の名所を挙げるうちに日は暮れ、やがて月が花に照り映える春の宵を迎えます。少年と僧は「春宵一刻値千金」の詩文を共に口ずさみ、清水寺の桜を楽しみます。少年は折からの景色を讃えながら舞いを添え、田村麿ゆかりの田村堂という建物に入っていきました。
残された僧の前に清水寺門前の者が現れて、清水寺の縁起を語り、少年は田村麿の化身だろうと述べ、回向を勧めます。夜半、僧が法華経を読誦していると、武者姿の田村麿の霊が現れます。田村麿はかつて、鈴鹿山の朝敵を討ち、国土を安全にせよ、との宣旨を受けて、軍勢を率いて観音に参り、願をかけたことを語ります。その後、見事に賊を討ち果たした有様を見せて、これも観音の仏力によるものだと述べて、物語を終えます。】
私にとっての能の最大の魅力は「囃子」を聴くことだ。この日は笛、小鼓、大鼓の3拍子だったが、この音とリズムが何とも言えない。正直云って途中で眠ることもあるが、この音だけは耳に響いているのが不思議だ。夢と現実を流離いながら音だけは常に聴いているという世界が、私のとっての「能」だ。
ストーリーを理解するには舞台を観ただけでは分からない。事前にストーリーや見所を調べておいた方が良い。
この演目は勝修羅の一つだそうで、「勝修羅」とは勝ち戦の武将を主人公とする修羅能のこと。
前半と後半で大きく分かれ、前半は清水寺の花景色「春宵一刻」の景色が描かれる。後半は一転して武者姿の田村麿が登場し敵をなぎ倒した往時の勢いを物語る。
舞も前半は優雅に、後半は勇壮な舞が楽しめる。

そういう訳で、一度能楽堂に足を運び「能・狂言」を楽しんでください。

2016/03/11

【書評】不破哲三「スターリン秘史―巨悪の成立と展開(5)」~「シベリア抑留」は日ソの合作~

不破哲三「スターリン秘史―巨悪の成立と展開(5)大戦下の覇権主義(下)」(新日本出版社刊2015/12/15初版)
第5巻では1章をさいて日本の敗戦について記述している。ヤルタ会談から和平工作、そしてポツダム宣言からソ連の対日参戦と在留日本人の状況について詳述されている。ここでは特に大戦末期の日本政府による和平交渉と、日本軍兵士のシベリア抑留及び在満邦人が辿った過酷な運命について要約する。
長文になるが、ソ連崩壊後に新たに発掘された文書などによって明らかになった史実もあり、私自身も初めて知ったことが多い。

ドイツが無条件降伏し沖縄戦が終結しつつあった1945年6月9日になって、内大臣木戸幸一が戦局の収拾を昭和天皇に言上する。内容は天皇の親書を奉じて仲介国を通じて和平交渉臨むというもの。その仲介国としてソ連が妥当とするものだ。天皇はその場で木戸提案を受け入れ、速やかに時局収拾に着手するよう述べた。
6月22日には天皇は最高戦争指導者会議のメンバーとの懇談会でも同様の趣旨の発言を行っている。ここからソ連の外交ルートを通じて交渉が始まるが埒があかず、最後の手段として天皇の特使として近衛元首相をモスクワに派遣することを決める。これをソ連に伝達したのは7月13日、つまり米英ソ首脳によるポツダム会談の2日前というのだからあまりに遅きに失した感がある。
しかも近衛特使の訪ソの目的を相手に明確に伝えなかったのと、メッセージの宛先が書かれていなかったため、ソ連側から不可という返事がくる。慌てて東郷外相が特使の任務は戦争終結のためにソ連に仲介を頼むという内容である事をソ連側に伝えるが、相手に届いたのはポツダム宣言の2日後とあっては議論の対象にならなかった。
ソ連に仲介を頼んだことの是非は別として、最初の木戸の発案からソ連に意図が届くまで1か月半かかり、空振りに終わってしまったという危機意識の無さは驚くしかない。

では、近衛が特使としてソ連に行くにあたっての基本態度はどういうものだったのか。それは近衛が天皇に拝謁した直後に近衛が中心となってまとめたもので「和平交渉に関する要綱」という文書だ。
前掲の様な事情から先方には提出しなかったものだが、その内容はこの後の終戦から講和条約に至る日本の運命を決定づけると言っても過言でないほど重要な事が記されている。というのは、対英米交渉においてもこの要綱によるものとするとしていたからだ。
最初に掲げたのは「国体の護持は絶対にして、一歩も譲らざること」という方針だ。ここで「国体の護持」とは「皇統を確保し天皇政治を行う」ことと解説されている。
このための条件として以下に国土の範囲、行政司法、陸海空軍軍備、国民生活について項目毎に条件が書かれている。いわば降伏にあたっての交換条件である。
「止むを得ざる場合」の条件を要約すると次の様になる。
1.日本の「固有の領土」から沖縄、小笠原、樺太を捨て、千島は南半分を保有する。
2.海外の軍隊の一部、特に若い将兵を日本に帰国させず、戦勝国が労務に利用することを認める。また賠償として一部の労力を提供することに同意する。
3.日本の国土の割に人口が過剰なので、この是正のために必要な条件の獲得に努める。
最後の3項がなぜ講和条件に含まれるのか不明確だが、具体的には満州に在住していた日本人の現地土着を認めて欲しいという意味だったようだ。
この「和平交渉に関する要綱」に書かれた諸条件が重要だと思われるのは、この後に日本の戦後処理からサンフランシスコ講和条約に至る道筋がほぼこの要綱に沿って進められているからだ。言い方を変えれば、日本はポツダム宣言を受諾し無条件降伏した事になっているが、実際には終戦直前の日本指導部が考えた講和条件に沿って進行していたと言える。

1945年7月26日にポツダム宣言が発表され日本政府に通知される。翌27日にはこの対応のために最高戦争指導会議とそれに続く閣僚会議が開かれる。この席上、東郷外相は宣言を拒否すると極めて重大な結果を招きので当面は意思表示しない事を提案し、了承を得た。
ところが翌日の28日に宮中で開かれた情報交換会議で、軍部から宣言を黙殺するよう迫られる。軍部の勢いに押された鈴木貫太郎首相は正式な会議にかけることなく「黙殺」声明を記者会見で発表してしまう。しかも鈴木首相は黙殺だけでなく「戦争の完遂に邁進するのみ」という戦争継続宣言までしてしまう。
その結果はどうなったのか。
8月6日 アメリカによる広島への原爆投下
8月8日 ソ連の対日参戦
8月9日 アメリカによる長崎への原爆投下
終戦というと昭和天皇の「御聖断」だけにスポットが当てられるが、それよりポツダム宣言発表後の7月27-28日にかけての戦争指導部の無為無策、無分別な迷走が一連の大きな悲劇を生んだ事こそ重視せなばならない。

終戦後に様々な悲劇が待ち受けていて、その全貌は本書を読んで貰うしかないが、ここでは日本軍将兵の「シベリア抑留」問題に焦点をあてて内容を紹介する。
関東軍の兵士の処遇について、モスクワから時期が異なる二つの指令が出されていた。
第一の指令は8月16日に、「軍事捕虜はソ連領土に運ぶことはしない、捕虜収容所は武装解除の場所として組織する」というもの。
第二の指令は8月24日に、「極東及びシベリアでの労働に耐えられる軍事捕虜を50万人確保し、指示した場所へ輸送させる」というもの。
つまり8日間で全く正反対の指令が出されたことになる。
この謎を解くカギはこの間の関東軍の対ソ交渉にあった。この交渉で重要な役割を演じるのが大本営の浅枝繁春参謀だ。勅命を奉じて関東軍に派遣されるのが、その時に勅命をもって大本営より命じられた命令書は次のような要旨であった(朝枝が起案して大本営、最後には天皇の允裁を得ている)。
1.米ソ対立抗争という国際情勢を作り出すために、ソ連軍を速やかに朝鮮海域に進出させる。裏返せば満州や朝鮮の防衛など考えるなということだ。
2.大陸にいる日本人は出来るだけ多く大陸に残留させる。
朝枝が命令書に基き、軍使としてソ連軍幹部に面会し会談したのが8月21日だ。この面談の詳細は明らかでないが、ソ連軍側からは文書の形で陳情書を出すよう求められた。
この交渉を経て朝枝は8月26日付で「関東軍方面停戦状況に関する実現報告」という文書を大本営宛に提出する。この文書は斉藤六郎全国捕虜抑留者協会会長がソ連国防省公文書館で見つけたものだ。この中に「大陸に在留する邦人及び武装解除後の軍人をソ連の庇護下で満鮮に土着せしめて生活させるよう依頼する」という主旨の一項がある。
この「実現報告」にはソ連との交渉中の諸事項が書かれており、同じ内容が8月21日の朝枝軍使とソ連軍幹部との会談で話し合われた事は容易に推定されよう。
ソ連も署名したポツダム宣言には「日本国軍人は武装解除後に各自の家庭に復帰させ」とされていて、当初はソ連側も止むを得ず日本軍の兵士は日本に戻すという指令を出していたのだろう。
しかし日本側から現地土着の申し入れがあったので、これ幸いとソ連の労役に使うことに方針を切り替えたものと思われる。
かくしてソ連に抑留され強制労働させられた日本軍将兵は64万人に達した(日本以外ではドイツ人が238万人と最も多く、合計では世界24か国、417万人の人たちがソ連で強制労働させられた)。

8月29日には関東軍総司令部からソ連のワシレフスキー元帥あてに「陳情書」が提出されている。大本営から関東軍に派遣されていた瀬島龍三参謀によって書かれたもので、内容は先の朝枝が提出した「実現報告」書をさらに補強したものだ。
この中で総計135万人にのぼる在留邦人について「これらの大部は元来満州に居住し一定の生業を営みあるものにて、その希望者はあなるべく在満の上貴軍の経営に協力せしめ・・・」と書かれている。
これは日本政府がソ連に和平の仲介を頼んだ時の「和平交渉に関する要綱」に書かれた「現地土着方針」そのものだ。在満邦人は国家によって棄てられた「棄民」となってしまった。
この結果、満州で亡くなった一般日本人は24万5千人とされている。当時在満の一般日本人は135万人とされているので、率にして18%にのぼる。
但し、この24万5千人という数字は中国寄稿者問題同友会という民間団体が、生き残った関係者の記憶などから推定したもので、正確な数字かどうかは分からない。
長野県のある開拓団では詳細な調査を行っていて、その資料によれば死亡・未帰還・行方不明者の割合は約60%となっている。
ここから満州で亡くなった方の数は24万5千人を大きく上回ると想定されるが、日本政府による調査は行われていない。

在満邦人及び関東軍兵士の捕虜が辿った運命は筆舌に尽くしがたい過酷なものだった。
その原因がソ連による一方的な対日参戦にあることは言うまでもない事だが、今まで見て来た様に日本の戦争指導部による「合作」によって引き起こされた悲劇であったことも忘れてはならない。
本シリーズ5巻までで不破は冷静に筆を進めてきたが、こと日本に関係するこの章の記述だけは怒りに燃えて書いている。
日本の政治家の著作だから当然であるが。

2016/03/10

#6米紫・吉弥ふたり会(2016/3/9)

第6回「米紫・吉弥 ふたり会」
日時:2016年3月9日(水)19時
会場:横浜にぎわい座 芸能ホール
<  番組  >
米紫&吉弥『オープニングトーク』
桂吉弥『餅屋問答』
桂米紫『厩火事』*
~仲入り~
桂米紫『大安売り』
桂吉弥『不動坊』*
(*ネタ出し)

桂米紫、東京の方にはお馴染みがないかも知れないので、略歴を紹介する。
1994年3月 桂都丸(現4代目桂塩鯛)に入門。「桂とんぼ」と命名。
1997年3月 芸名の表記を「桂都んぼ」に改める。
1999年「NHK新人演芸大賞」落語部門で大賞を受賞。
2005年「なにわ芸術祭」で新人奨励賞を受賞。
2009年「文化庁芸術祭」大衆芸能部門で新人賞を受賞。
2010年8月 4代目桂米紫を襲名。
さこばの孫弟子にあたる。桂吉弥とは同期だが入門は8ヶ月程早い。芸風は吉弥のスマートな高座に対して米紫は上方のコッテリとした味わいで対照的だ。

『オープニングトーク』ではやはりあの話題、桂文枝の不倫騒動が採りあげられていた。吉本の圧力からか関西では放送でこの話題に触れるこては厳禁だそうだ。二人も言ってたが文枝に愛人がいるなんて、驚いた人がいるだろうか。大方の人は「やっぱり」か「そうだろうな」という感想だっただろう。「きっと一人じゃないよね」と思った人も多いだろう。1月に亡くなった春団治などは若い頃には手帳に100人の女性の連絡先が書かれていたというエピソードが残っている。そういう世界なのだ。
文枝を擁護する気はサラサラないが、情事をメディアに暴露する愛人の(玄人なんだから)倫理観を問いたい位だ。

閑話休題。
広島県府中町立、府中緑ケ丘中学校3年の男子生徒が自殺した件が大きな問題になっている。進路指導のおりに担任から、生徒が1年生の時に万引きをしたとする誤った記録をもとに、生徒が志望した私立高校への学校長の推薦はできないと告げていた。生徒はこのことが親に伝えられた日に自殺していた。
痛ましい事件だし担任の教師も責められて当然ではある。しかしネットでは担任を吊し上げるかの様な風潮があるが、一番悪いのは学校側だ(校長又は教育委員会)。1年生の時の万引き、それも補導歴もなく店に謝罪して収まっていた件を理由にして、推薦しないと決めた学校にこそ問題がある。これは名前の取り違い以前の問題だ。学校は教育の場であるという意識が根本的に欠如している。

本題に戻って。
吉弥『餅屋問答』、タイトルから分かる通り東京の『蒟蒻問答』を上方に移したもの。関西では蒟蒻が生産されていないので餅屋としたのだろう。ストーリは東京のものと同じで、寺男が和尚に寺の符牒を教える所や問答を避けるため自分の故郷へ逃げようと和尚に勧める場面がカットされていた。吉弥の高座はスピーディな展開は良かったが、イロハニホヘトのお経が下手だったのが難点。

米紫『厩火事』、東京でもお馴染みのネタでストーリーも同じ。但し米紫の演じ方は東京とは大きく違う。
マクラで落語における女性の動作について解説があり、特長は「斜めの動き」と言っていたが、この主人公のお崎さんは確かに斜めに動いていた。お崎さんの動作やセリフ一つ一つにキレがあり、それがやたら可笑しい。米紫が描くお崎さんは亭主が可愛くて愛しくて仕方がない。傍目にはブラブラ遊んでばかりいるダラシナイ亭主だが、そんな欠点は一向気にしてない。そうした特定のタイプの女性の姿や心情を見事に描き出していた。
このネタでこれほど笑えたのは初めてかも知れない。米紫、恐るべし。
蛇足ながら我が家は「モロコシの孔子」です。

米紫『大安売り』、東京の寄席だと短い時間での小咄や相撲ネタのマクラに使われるが、上方では1席の噺として演じられているようだ。内容は東京の相撲に出ていた大阪の力士が客から成績を訊かれて「勝ったり負けたり」と答える。中身を聞くと全敗で、相手が勝ったり自分が負けたりだと言う。相撲を諦め商売を始める、ついては名前を大安売りにするという。誰にも負けるからでサゲ。相撲に負けると、値段をまけるに掛けている。
仲入りと同様に米紫の高座は所作やセリフにキレがあり、楽しく聴かせていた。

吉弥『不動坊』、吉弥の良さは本寸法でありながら芸に艶があることだ。これは芸人として最も必須な愛嬌が身に着いており、たぶん天性のものだろう。このネタは利吉が風呂屋で独白する場面や、独り者たちが利吉の家の屋根で復讐の準備をする場面でダレル事があるのだが、吉弥はそれぞれのシーンで強弱を付けて引き締まった高座を見せていた。
力量を十分に発揮した上出来の高座だった。

2016/03/09

#19「桂文我・桂梅團治二人会」(2016/3/8)

第19回「桂文我・桂梅團治二人会」
日時:2018年3月8日(火)18時30分
会場:国立演芸場
<  番組  >
前座・桂小梅『平林』
桂文我『癪の合薬』
桂梅團治『野崎詣り』
~仲入り~
文我&梅團治『爆笑対談』
桂梅團治『昭和任侠伝』
桂文我『住吉駕籠』
(二人の4席はネタ出し)

昨年に米朝そして今年1月には春団治が亡くなり、上方落語四天王は皆鬼籍に入ってしまった。後継者と期待された吉朝、枝雀は早逝してしまい、当代文枝は新作専門。南光、文我、雀々といった人気も実力もある人たちが上方落語協会を抜けている。こちらから見ると今の上方落語界に芯になる人がいない様にも思える。一方で有能な中堅若手は目白押しで、群雄割拠の中、誰が抜け出すのか注目される。
この二人会だが、文我は東京でも度々会を開いているが、梅團治は本人が言ってるように東京ではこの会だけ。在京のファンにとっては唯一の機会だ。
同じ上方の噺家でも文我はサラリとしており、梅團治の方はコッテリとでも言おうか、芸風は対照的だ。

前座の小梅は梅團治の長男とのこと。落語家の二代目は成功例が少ないが、果たしてどうなるか。

文我『癪の合薬』、元々は『茶瓶ねずり』という上方落語で、東京では『やかんなめ』。以前は珍しいネタだったが喜多八がかなり頻繁に高座に掛けていて、東京で今ではすっかりお馴染みの演目になってしまった。
ストーリーは東京とほぼ同じで、舞台が船場の嬢(いと)はんが娘さんを連れて、箕面(みのお)の滝に向かう途中という設定だ。文我の噺で嬢さんが癪を起した時になめるヤカンはアカ(銅製)とのこと。とすれば表面は酸化して緑青になっている可能性がある。緑青はかつては猛毒とされていたが、今では否定されている。主成分は銅の炭酸塩なので、もしかすると気付薬の効果-ある種のアレルギー反応による-があるのかも知れないと思った。
文我の高座は、舐めさせてくれと頼まれた侍の怒りと戸惑いを、お供の可内(べくない)の嘲笑によって際立たせていた。

梅團治『野崎詣り』、このネタを聴くのは師匠・春団治の高座に次いで2度目となる。春団治の正に春風駘蕩ともいうべき高座とは随分と違った印象だったが、舟の上の喜六と清八二人のドタバタぶりがより強調されていて、これはこれで面白かった。土手の上を歩く相合傘の男の粋さは師匠には敵わない。

文我&梅團治『爆笑対談』、やはり中身は亡くなった春団治に関する思い出やエピソードが主となった。29歳で3代目を襲名した春団治に、酔った米朝が春団治を継ぐならもっと持ちネタを増やせと説教した事があったそうだ。酔って寝込んだ米朝が眼を覚ますと枕元に春団治が正座しており、ネタを教えてくれと頭を下げた。それに応えて米朝はいくつかネタを教えたが、その一つが米朝一門の門外不出とされていた『代書』だった。春団治が十八番にすると米朝は高座に掛けなくなったそうだ。同様のネタに『親子茶屋』『皿屋敷』などがある。上方落語四天王と呼ばれた方たちの友情と切磋琢磨ぶりを伝えるエピソードである。
春団治といえば羽織であるが、綺麗に脱ぐために羽織の袖を長めにしていたそうだ。一流の芸人を目指すならそうした細かな事まで工夫をせねばならないのだろう。

梅團治『昭和任侠伝』、プログラムには2代目桂春蝶の新作と書かれているが、調べてみると桂音也(アナウンサーで枝雀の弟子だった事がある)の創作のようだ。
ストーリーは、男が東映の任侠映画を見過ぎてすっかり任侠道に憧れ、高倉健まがいの恰好で街を闊歩するが一向にサマにならない。ヤクザは彫り物をしなくっちゃと刺青を入れに行くがあまりの痛さに逃げ帰る。刑務所に入らなくては箔が付かないとわざわざ窃盗をするが、バナナ1本じゃ警察の相手にしてくれない。しかも男の家は八百屋ときてる。これじゃ任侠になれないと家に戻ると真っ暗だ。
「ああ、おっ母さん、 右も左も真っ暗闇じゃあござんせんか」
「アホンダラ! 今停電じゃ」
でサゲ。
健さんや鶴田浩二、藤純子(『緋牡丹お竜』が色っぽかったね)らが活躍した任侠映画のパロディになっているので、若い人にはピンと来ないかも知れない。
主人公の男と梅團治が二重写しになっているようで、楽しい高座だった。

文我『住吉駕籠』、手元にある桂吉朝のCDとほとんど同じ演出で、このネタの教科書の様な高座だった。

最後に謎かけ、「文我の独演会」と掛けて「インドネシアの民謡」と解きます。
そのココロは、「ブンガサンソロ」。
くだらねぇ。

2016/03/07

【書評】不破哲三「スターリン秘史―巨悪の成立と展開(5)」~ソ連のバルカン侵出~

Photo不破哲三「スターリン秘史―巨悪の成立と展開(5)大戦下の覇権主義(下)」(新日本出版社刊2015/12/15初版)
シリーズ5巻はドイツ降伏後のヨーロッパ、とりわけバルカン半島諸国がどの様な運命をたどったのかがテーマになっている。ただ1章を日本の降伏にあてているので、この部分は次回の記事にまわす。
うたごえ運動はなやかなりし頃のソ連の曲で「バルカンの星の下に」という歌があった。
♪黒きひとみいずこ わがふるさといずこ
ここは遠きブルガリア ドナウのかなた
ここは遠きブルガリア ドナウのかなた♪
以前からこの歌詞のブルガリアを歌った曲になぜ「バルカン・・・」のタイトルを付けたのか、ずっと疑問だったが、この本を読んで理由が分かって気がする。ドイツを破ったソ連が東欧に侵出し傘下におさめて行くのだが、バルカン半島ではブルガリアで行き止まりになってしまった。その先のユーゴやギリシアには手が届かなかったのだ。

1944年10月9日にモスクワで英国のチャーチルとソ連のスターリンの会談が行われるが、ここでチャーチルが下記のメモをスターリンに提示する。
・ルーマニア ロシア90% 他国10%
・ギリシア イギリス90% ロシア10%
・ユーゴスラビア 50/50%
・ハンガリー 50/50%
・ブルガリア ロシア75% 他国25%
チャーチルはここで戦後の東欧の、ソ連とイギリスとの分配を提案した。
このメモを見たスターリンは黙って青鉛筆で印をつけた。チャーチルは「これで万事決まり」と。
続いてチャーチルは、数百万人の運命をこんな形で決めるのはシニカルなのでメモは焼こうと提案するが、スターリンは一言「いや、取っておこう」と答えた。
この1枚のメモが戦後の各国の運命を決定づけることになる。

ドイツ占領下でその初期の段階から全国的な抵抗運動が起きたのは、ユーゴスラビア1国だった。ドイツの侵攻に対して無抵抗だった国王と政府首脳はイギリスに亡命していて現地で亡命政府を作っていた。ユーゴには政府軍が残っていたが、ドイツの占領政策に協力していた。チトーを指導者とする解放運動側はドイツ軍と政府軍の双方と戦い、やがて人民政府の樹立を宣言する。
しかしユーゴの亡命政府を承認していたイギリスは亡命政府をユーゴに帰国させたうえ、そこに政府軍と解放運動の指導者を参加させるという構想を打ち出す。そして意外なことにスターリンもこの構想を支持してしまう。
チトーはユーゴスラビア共産党の指導者でもあり、ユーゴの解放運動はスターリンが唱えた反ファッショ統一戦線の手本になるべき運動だったにも拘らずだ。
その原因の一つは先のチャーチル/スターリン会談での「ユーゴスラビア 50/50%」という合意をスターリンとしては無視できなかった。
もう一つの要因は、スターリンとしてはいずれユーゴもソ連支配下に置くと言う野望を持っていた。その際に解放運動の存在はむしろ邪魔になり、亡命政府の支配下の方が崩し易いという計算があった。
この構想は1945年の米英ソ三国首脳により「ヤルタ会談」で合意され、チトーらに伝達される。
ここで彼らが偉いのは、そうした外圧を撥ね退けユーゴ国内で自由選挙を実施し、新たな憲法と人民共和国の樹立を宣言してしまう。
ここに至っては米英ソ三国も同意せざるを得なかったのだ。

ユーゴの隣国ギリシアでも、ドイツ・イタリア占領下で抵抗運動が起きてギリシャ共産党を中心とした民族解放戦線が結成される。運動が全国に拡がりドイツ・イタリア軍の撤退の見通しが付き始めた段階でイギリスの画策によって、イギリスに亡命していたギリシア亡命政府に解放運動の指導者が加わる連合政府ができる。
しかしイギリス軍がギリシアに上陸してから様相は一変する。イギリス軍が解放軍の掃討を開始する。解放戦線側はソ連に助けを求めるが、スターリンはこれを拒否する。先の英ソ会談での「ギリシア イギリス90% ロシア10%」の合意、つまりイギリスのギリシア支配をスターリンが認めてしまったからだ。
実はもう一つ、この件ではスターリンの深謀遠慮があった。
それはこの後に起きるソ連による東欧各国支配についてイギリスに「貸し」を作ったのだ。イギリスが抗議すると、「あんただってギリシアで同じことをしたではないか」と反論するためだ。
かくしてソ連軍が東欧に侵出し、ハンガリー、チェコスロバキア、ルーマニア、ブルガリアに傀儡政権を作り次々と支配下に収めてゆく。具体的な手口は本書の書かれているので、興味のある方は本書を読んでください。

パリ講和条約が締結され戦後処理がほぼ終わった1947年3月、米国のトルーマン大統領教書の演説が行われる。いわゆる「トルーマン・ドクトリン」である。骨子は次の通り。
①世界は全体主義か自由主義に別れ、そのいずれを選ぶかが全ての国に求められている。アメリカは自由主義国を守る責務を負っている。
②アメリカは全体主義から各国を守るため経済援助を行う。
「ソ連封じ込め」と、東西の「冷戦」の対決を宣言したわけだ。
この「トルーマン・ドクトリン」の効果は絶大で、先ずフランスとイタリアでそれまで連立内閣に加わっていた共産党の閣僚が全員排除される。
アメリカ本国では「赤狩り」が始まり、社会各分野で「赤狩り」が荒れ狂うことになる。
日本でも米軍占領下で進めらてた一連の民主化に急ブレーキがかかり、やがて「逆コース」から「レッドパージ」へと拡がってゆく。
一般的には資本主義対社会主義、あるいは自由主義対全体主義という呼ばれ方がされるが、不破によれば「帝国主義と覇権主義との対決」だと断じている。ソ連は社会主義国ではなく覇権主義国だったというわけだ。

次回は本書の中の日本の降伏についての項を紹介する。

2016/03/04

国立演芸場3月上席(2016/3/3)

国立演芸場3月上席の3日目へ。落協の芝居で顔づけが良いのと、この日は休演代演がいなかったからだ。平日の昼だが客の入りは良かった。
入り口で雛あられが配られ、今日は雛祭りだったんだと気付く。客席から「これが目当てで来たのよ」という声が聞こえた。やはり3月になると何となく華やいだ気分になる。

前座・桃月庵はまぐり『堀の内』
<  番組  >
古今亭志ん八『狸賽』
隅田川馬石『金明竹』
柳家紫文『俗曲』
入船亭扇辰『道灌』
柳家小里ん『二階ぞめき』
─仲入り─
花島世津子『奇術』
金原亭馬の助『相撲小咄&百面相』
ロケット団『漫才』
五街道雲助『幾代餅』

同じ落語を聴きに行くんでも「00落語会」「00独演会」というと噺を聴きに行く、「寄席」となると楽しみに行く、或いは芸人を見に行くという風に、目的が違ってくる。
但し、この日の様な顔づけとなるとやや噺を聴く方に傾いてしまう。

志ん八『狸賽』、「ほんわか」と形容したくなる独特の語り口で客席をなごませる。この人の古典は初めて聴いたが味わいがあって良い。
馬石『金明竹』、兄弟子の白酒が物真似をするが、身体を前のめりにして手を前に伸ばすポーズが特長。こちらは「ふんわり」という形容が当てはまるようだ。本来は道具七品の口上を立て板に水に様に言い立てる所が見せ場だが、馬石だとテンポがやや緩やかになる。後半の主人と女房とのトンチンカンなヤリトリにこの人のトボケタ味が出て受けていた。
扇辰『道灌』、前座が『堀の内』を掛けたせいか真打の前座噺が続く。もっともこのネタも扇辰クラスが演ると俄然恰幅が良くなる。
小里ん『二階ぞめき』、手元にあるCDで談志がマクラで小里んの高座を誉めているのがある。1980年の高座だから小里んは二ツ目時代だ。師匠の芸を引き継いでおり「これで(師匠の)小さんはいつ死んでもいい」と憎まれ口を叩いていた。およそ談志とは正反対の芸に思えるのだが、それだけ小里んへの評価が高かったのだろう。アタシはというと、この人に着目し出したのは最近になってからだ。風貌も語りも5代目小さんによく似てるが、廓噺や芝居噺を得意としている。この日も志ん生流のマクラで吉原の情景やしきたり、「素見」を「ひやかし」と読ませる語源の解説から入り、若旦那の道楽が女郎買いではなく吉原のひやかし(騒き)にあると分かって番頭がカシラに頼んで2階に吉原の街並みを設えるというストーリー。江戸風の粋な世界を描いているので語りにもう少し艶が欲しいと思った。
花島世津子『奇術』、全身縛られたまま客のスーツと入れ替わるマジックはお見事。
馬の助『相撲小咄&百面相』、百面相なんて、今どきこの人ぐらいしかやらないだろうね。
ロケット団『漫才』、久々だったが以前に比べ覇気が薄れたような気がした。
雲助『幾代餅』、中トリの小里んのネタと呼応したような演目だった。『紺屋高尾』と類似のストーリーだがこちらは古今亭のお家芸。いずれも実話とされている。夢の様な物語に見えるが、十分にリアリティがある。いずれも来年には年季が明けるのだが身の振り方が決まっていない。このまま吉原に留まろうとするならスタッフとして残るか、或いはグレードを落とした店で花魁を続けるかしかないのだろう。金持ちのお囲い者になるのも気が向かないしと思っていたら、一途な思いの若者が現れた。よし、思い切って堅気の女房の道を選ぼうと決心したのも肯ける。高尾も幾代も相手を選ぶ眼に狂いはなかったわけだ。かくして二人とも幸せな人生を歩みましたとさ、というサクセスストーリーなのだ。
雲助の高座では清蔵から真実を打ち明けられた幾代が割合あっさりと清蔵の嫁にしてくれと申し出るが、上記の事情を考慮すれば無理はない。しかし告白された清蔵はそれこそ天にも登る気持ちですっかり腑抜けになってしまう。男って純情だね。
相変わらず人物の演じ分けも巧みに、雲助は楽しい高座を見せてくれた。

2016/03/02

【書評】不破哲三「スターリン秘史—巨悪の成立と展開(4)」~独ソ同盟から英ソ同盟への転換~

Photo不破哲三(著)「スターリン秘史—巨悪の成立と展開〈4〉大戦下の覇権主義(中)」(新日本出版社刊 2015/9/10初版)
3巻で独ソ同盟の成立と、ヒトラーとスターリンによる世界分割構想について触れたが、独ソ関係が表面上は安定していたかに見えたがヒトラーはその陰でソ連への侵攻を着々と準備していた。「我が闘争」に見られるように元々ヒトラーは熱烈な反共主義者であり、ソ連を潰すことを最終目標に置いていた。ドイツが対イギリスとの戦争が膠着状態になっていた1941年6月にソ連への侵攻を開始する。ナチスドイツにとっては対ソ戦争は絶滅戦争としており、他と異なる特別の戦争という位置づけだった。
ドイツが約半年間かけて戦争準備をしていて、その情報はイギリスのチャーチル首相からスターリンへの親書や、日本にいたスパイ・ゾルゲからの電信により刻々と伝えられたにも拘らず、なぜかスターリンはこうした情報を握り潰し、周囲にはドイツが攻めてくることは有り得ないと断言していた。そのため初戦においてはドイツ軍は一方的な勝利を得る。
スターリンが準備を怠った原因として不破の分析によれば、
1,独ソによる世界分割を夢見ていて、ドイツの動きを見誤った。スターリンのとって当時の主敵はイギリスであり、ドイツの対英戦争を支持していたので、ドイツ軍の動きを全て対英作戦と見做していた。
2,スターリン自身は元々は反ファシズムだったのにヒトラーと手を結んでしまった。つまりイデオロギーより実利を優先したわけだ。それならヒトラーも同じ発想に違いないと勝手に解釈していた。
ともかくスターリンの甘い見通しのせいで初戦は大敗を喫したソ連軍だったが、徐々に攻勢に転じ、1942年のスターリングラードでの戦闘で勝利し、最終的にはドイツを降伏させる。
戦後にソ連のフルシチョフ首相(当時)が初めてスターリン批判を行うが、この中でスターリンは戦争指導者として無能だったと決めつけている。この点に関して不破はスターリンと直接会談した英米関係者の証言からして決して無能ではなく、むしろ優秀な指導者だったと結論づけている。不破は本書のシリーズ全6巻でスターリンの覇権主義、非情な人民支配を暴いているが、長所は長所として認めており公正な見方をしているなと感じる。

昨日の敵は今日の友、昨日まではこの戦争は帝国主義同士の戦争であり最も悪いのはイギリスだと言ってきたスターリンは、独ソ開戦と同時に180度路線を転換しイギリスと同盟を結びドイツを主敵とする反ファシズム闘争を全世界に呼び掛ける。イギリスとしてもドイツが東部戦線に集中していれば、英国本国への攻撃の手が緩むわけで、ソ連と同盟せねばならない分けがあった。
当時の共産主義運動というのはコミンテルンという最高司令本部があり、そこから世界各国の共産党に指示が出されていた。当時のコミンテルンの議長はディミトロフでスターリンとは頻繁に会談しており、また彼が日々詳細な日記をつけていた。この日記の発見により謎の多かったスターリンの言動も明らかになっている。本書でも不破は度々ディミトロフ日記を引用し、スターリンの姿を伝えている。かくしてコミンテルンからの指示が180度変わったので各国の共産党の運動も大混乱に陥った。例えばイギリス共産党へは従来は政府を戦うことを指示していたが、これからは政府と協力するよう変更になった。またドイツに占領されていた国々の共産党にはドイツ軍と戦うように命じられた。
スターリンの野望はドイツに勝つだけにとどまらず、ソ連の領土や支配地域を獲得することに向けられてゆく。

ドイツとの戦争で勝利が見えてきたスターリンの最大の関心事はポーランド問題だった。西側との緩衝地帯として是非ともポーランドをソ連支配下に置きたかった。一方イギリスにとってはポーランドとの同盟が第二次大戦の引き金になっていたので、ソ連の言い分で引き下がっていたんじゃメンツが潰れる。両者の主張は真っ向から対立した。
1944年に行われた米英ソ三首脳によるヤルタ会談は対独、対日戦争の処理について話し合われた事でよく知られるが、最も大きな論争点はポーランド問題で、8回の会談のうち7回にポーランド問題が議題となった。結論は戦前のポーランド領土の東側を削り(ソ連側に組み込み)、その代替として東側のドイツ領の一部をポーランドに組みこむ事で合意した。これはイギリス側にとっては一方的な譲歩になってしまった。なぜチャーチルはスターリンに屈したかというと、大きな要因としてソ連がドイツを追い詰めていたという実績がモノを言ったのだ。英国にとってドイツとの戦いに勝つにはソ連が東部戦線でドイツを破ることが必須条件であるし、米国は日本に勝つためにはソ連の対日参戦が是非とも必要だと考えていたので、ソ連の主張に反対しきれなかったのだ。

スターリンにとってはドイツのソ連侵攻は青天の霹靂だったに違いないのだが、それを逆手に取って自らの覇権主義に基づく領土拡張を図ってゆくことになる。
本書は独ソ戦争の全体像と、スターリンの独ソから英ソ同盟への大転換、そしてポーランドをめぐる東西対立を活写していて興味が魅かれた。

2016/03/01

2016年2月人気記事ランキング

2016年2月の記事別アクセス数のTOP10は以下の通り。

1 ザ・桃月庵白酒その2(2016/2/6)
2 プライム落語・東京(2016/2/1)
3 「三田落語会『大感謝祭』・夜」(2016/1/30)
4 国立演芸場2月上席(2016/2/10)
5 「西のかい枝・東の兼好」(2016/2/8)
6 #42三田落語会「新治・一之輔」(2016/2/20)
7 「志ん輔・吉坊 二人会」(2016/2/14)
8 春風亭一之輔独演会(2016/2/19)
9 【ツアーな人々】消えた添乗員
10 桂佐ん吉独演会(2016/2/24)

2月のランキング10位までの内、9本が落語会、寄席関係だった。もう1本が月末の記事だたので2月のアクセスには一部しかカウントされなかったもので、実質は10本全てが落語関係となっていたと思われる。
落語に関係した記事が広く読まれるというのは嬉しいことだが、逆から見ればそれ以外の記事はあまり読まれていないという事になる。
管理人としては忸怩とした思いもある。

薔薇とシンフォニー(2016/2/29)

「薔薇とシンフォニー~Time and space of a luxurious songs~」
日時:2016年2月29日(月)12時30分
会場:EX THEATER RPPONGI
出演:姿月あさと、島津亜矢

2月末日、「女房孝行特別強化月間」の最後を飾って、姿月あさと・島津亜矢ジョイントコンサートへ。1ヶ月前から妻がカラオケ、それも「ヒトカラ」に通いだした。どうやらその関係から歌謡曲のコンサートに行きたいと思い立ったらしい。当方としては気が進まなかったのだが、付きあうことに相成った。
演劇とくれば様々なジャンルの芝居を観てきたが、こと宝塚だけは行く気がしない。コンサートやライブには行くが、歌謡曲(「演歌」という言葉が嫌いなので)歌手のコンサートに行ったのは人生で3度しかない。島津亜矢については歌は上手い割には大きなヒット曲がない歌手という印象しかなかった。
気が進まなかったのはそうした理由からだ。

当日の楽曲は、
デユエット:5曲(うち1曲は10曲メドレー)
姿月あさと:10曲(うちオリジナル1曲)
島津亜矢:10曲(うちオリジナル2曲)
アンコール:3曲
ジャンルは歌謡曲が多く、他にJ-POP、海外の曲など。

全体の印象としては、声量、歌唱力ともに島津亜矢が圧倒していた。特に高音の伸びが素晴らしくマイクを通すと耳に刺さるような気がする程だ。一音一音に至るまで音程の狂いがなく、歌に情感がある。
ばってん荒川の曲をカバーした「帰らんちゃよか」には胸が打たれた。
「I WILL ALWAYS LOBE YOU」や「My Way」といった海外の曲も上手に歌いこなしていた。
感心したのはどの曲を歌っても自分の世界を持っていることだ。歌謡界のことは良く知らないが、恐らく現役の歌手の中で歌唱力はトップクラスだろう。
反面、都はるみや石川さゆりの様な歌手の名前と曲名が直ちに結びつくような大ヒット曲を持っていないのは、曲に恵まれなかったのか、それとも他に理由があるのか。そこが課題かな。

とにかく妻は大喜び。これにて「女房孝行特別強化月間」は無事終了!

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