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2016/04/16

鈴本演芸場4月中席・昼(2016/4/15)

鈴本演芸場4月中席・昼の部(中日)
前座・柳家寿伴『たらちね』
<  番組  >
春風亭ぴっかり『動物園』
鏡味仙三郎社中『太神楽曲芸』
柳亭左龍『長短』
三遊亭歌武蔵『後生鰻』
すず風 にゃん子・金魚『漫才』
三遊亭萬窓『悋気の独楽』
春風亭一之輔『夏泥(置き泥)』
三遊亭小円歌『三味線漫談』
春風亭小朝『お見立て』
─仲入り─
江戸家小猫『ものまね』
桂文雀『桃太郎』
三遊亭歌奴『子ほめ』
林家二楽『紙切り』
五明樓玉の輔『船徳』

鈴本4月中席昼の部の中日へ。この日は小朝一門会の態で(圓太郎だけ休演だった)、小朝が久々の中トリ、玉の輔がトリを務める。予測に反して入りは最終で7分程度か。10年以上前だったら一杯だったに違いない。
2001年に志ん朝が亡くなった時、5代目圓楽がインタビューで「志ん朝亡き後現役では誰が一番上手いか?」という質問に迷わず「小朝でしょう」と答えていた。疑問には思ったが、そういう見方もありかなと。
現在はどうだろう。一番上手い人が小朝と答える落語ファンは稀だと思う。
ここ15年で落語界に占める小朝の位置は変ってきた。
手元に1998年録音の小朝のCDがあるが、そのライナーノーツで本人が改名を真剣に考えていると書いている。小朝の名前が身の丈に合わなくなってきていると。真偽のほどは分からないが、小朝に圓朝を襲名させるという噂が当時あった。あるいは改名の件は、その事を指していたかも知れない。何かの事情でその望みがかなわず現状維持となった時に、ある種の割り切りがあったのではなかろうか。自分が前面に出るよりは、裏方、プロデュースに徹すると言うような。
たまに独演会へ行っても、面白いけど心に残らない高座に出会うようになり、足が遠のいてしまった。
それと小朝が語るマクラが、時代と微妙にずれてきていた。これは桂文枝も同様だけど。
例によって短い感想を。

ぴっかり『動物園』、前座に成りたての頃はもっと上手くなると期待していたが、それ程でもなかったか。
左龍『長短』、この日の中では最も出来が良かったと思う。語りのリズム、セリフの間の取り方が巧みで客席をとらえていた。
歌武蔵『後生鰻』、赤ん坊を川に投げるという所が避けられるのか、あまり高座に掛からないネタだ。こういうブラックユーモアも落語なればこそ。
にゃん子・金魚『漫才』、見てて辛くなるのはアタシだけ?
萬窓『悋気の独楽』、本寸法の高座で小僧の定吉が可愛い。
一之輔『夏泥(置き泥)』、この人は何を演らせても上手い。驚くのはレパートリーの広さで、恐らく覚えたネタを直ぐに高座に掛けられるのだろう。やはり特別な才能だ。
小円歌『三味線漫談』、『野崎』の出囃子を間違えちゃいけない。前座の太鼓は良かった。
小朝『お見立て』、軽く軽~~くまとめて、客席を沸かせて引っ込む。この人はアルチザンだね。少なくともアルチストではない。
文雀『桃太郎』、元小朝の弟子。今の師匠・桂文生譲りの明るい芸風で、スタンダード版(小朝版ではない)の『桃太郎』だった。
歌奴『子ほめ』、膝前は真打による前座噺が続く。笑いのツボをしっかり押えていた。
玉の輔『船徳』、ここ鈴本では頻繁に顔を見る人で、比較的浅い出番で『宮戸川』や『マキシム・ド・吞兵衛』といったネタを得意としている。
アタシがよくお世話になっている「落語あらすじ事典 千字寄席」というサイトで、「 落語家の偏差値」という記事が掲載されている。落語の上手さだけに注目して偏差値を付けているのだが、玉の輔は47.5とされている。これは三三、扇辰、兼好と同列であり、志の輔や談春より上位にランクされている。そうした評価のある一方、各種落語会や名人会に名を連ねることは少なく、若手と自称しながら数年前より協会の理事を務めており、何となく中途半端な印象なのだ
さて、『船徳』だが全体としてはオーソドックスな筋の運びだった。早いテンポの軽い語りで、個々の人物の演じ分けが不鮮明だという印象を受けた。徳が船頭になるのを親方が渋った時に、それなら船宿の船に”万景峰号(マンギョンボンごう)”と書いちゃうというクスグリは感心しなかった。
反面、徳が鉢巻をしながら見得を切る所や、棹を右に左に恰好をつけて扱う所、船を石垣につけて客が文句を言うと徳が逆切れする場面などは、この人らしさが出ていた。

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コメント

小朝は時事ネタを織り交ぜ、しかも、古典の本筋を失わないで語ることができます。
腕の良い板前のように、手際よく。
それが十分に発揮されたのが「七段目」です。

逆に言うと、志ん朝を聴いた時のようなプラスアルファ(例えば、笑った後に漂う哀れさなど)には乏しいのかもしれません。

福様
>腕の良い板前のように
というご指摘はその通りだと思います。
志ん朝との比較についても、この『お見立て』で言えば小朝の高座はただ面白いだけで終わってしまう。志ん朝の高座では面白さの中に哀れさがあります。

小朝についての評言、同感です。
にゃんこ金魚の痛々しさにも。
昨日末廣亭は蝠丸が「動物園」、虎からアザラシ、マツの木になるというひねり、初めて聴きました。
芸協のどくとくのしゃべり方は寿輔などの指導とか楽屋で先輩たちのを聞いているうちにああなるのか、悪くない、滋味に通じる地味でした。

佐平次様
15日は末広亭か鈴本か迷ったあげく通いなれた鈴本にしました。同じ古典でも落協、芸協それぞれに演じ方の違いがあるのは面白いですね。落協のベテラン漫才が高座に出られなくなり、近ごろは人材が枯渇しているという印象です。

初めまして、忍冬です。

小朝は「達者」だと思います。時として「悪達者」になりかねない。
客としては非常に巧く「あしらわれている」感じがするところがあります。

忍冬様
ようこそ。小朝、器用で芸達者です。『稽古屋』や『紙屑屋』ではその力をいかんなく発揮しています。その器用さが却って芸を表面的な印象にしているような気がしています。

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