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2016/04/11

不破哲三『スターリン秘史―巨悪の成立と展開(6)~朝鮮戦争の真実~』

6不破哲三『スターリン秘史―巨悪の成立と展開(6)戦後の世界で』(新日本出版社2016/3/5初版)
「スターリン秘史」シリーズは6巻目で最終巻をむかえる。第二次世界大戦終了後の世界にスターリンがどのような影響を及ぼしたのか―もっぱら悪事だが―が書かれている。
本書の内容を大きく分けると、
1.世界各国の共産党に対してスターリンはどのような干渉を行ったか
2.中国革命と新中国の成立にスターリンはどのような態度を取ったか
3.朝鮮戦争へのスターリンが果たした役割
の3点にまとめられる。
では、各項目ごとに内容を紹介する。

第二次大戦中にコミンテルンを解散させたスターリンだが、それに代わるものとして欧州の主要な共産党の情報交換を行う「情報局」、コミンフォルムを結成させる。本来、この組織には各国共産党に指示を与える権利はないのだが、スターリンはコミンフォルムを利用して支配を図る。
第二次大戦後に東欧各国でソ連主導による社会主義国家が誕生するが、唯一ユーゴスラビアだけがソ連の直接的な援助なしに社会主義を目指す。その進め方もソ連のいわゆる「プロレタリアートの執権」抜きに社会主義へ移行するというもので、スターリンの教義に反するものだった。このためスターリンは、ユーゴスラビアはアメリカ帝国主義に手先で反ソ活動を行っていると非難し、国際共産主義運動から排除する。同時に各国共産党首脳部の中のユーゴスラビアの同調者をあぶり出し、でっち上げ裁判を行わせる。世界大戦前に行った恐怖政治の再現である。
スターリンはまた各国共産党の中にソ連の同調者を作り出すために、秘密資金網の創設を企む。ソ連と他の社会主義国が分担し、合計200万ドルの資金を集め、これを各国のソ連内通者へバラマイタのだ。その内通者を通してソ連は各党に干渉を行うのだが、日本共産党でいえば野坂参三がこれにあたる。
余談になるが、1950年にスターリンの支持の元、野坂が中心となって日本共産党を分裂させ、その片方が一方的に非合法活動を宣言し武装闘争の方針を掲げてしまうという事態を招いたが、こうした工作資金に使われた。

前にも紹介したが、スターリンは一貫して中国の蒋介石にシンパシーを感じており、国共内戦も国民党が勝利すると信じていた。意外に思われるかも知れないが、スターリンは自らが係わらない社会主義国など認めたくなかったのだ。
もう一つスターリンの野望は、満州(中国東北部)をソ連に組み込みたいというというもので、これには相手が蒋介石の方が組み易いと考えたのだ。
だから中国で最終的に共産党が勝利し、新中国が誕生したのはスターリンにとっては計算外だった。中国共産党の内部にもソ連の内通者を置き、工作を行うのだが失敗に終り満州のソ連編入を断念する。
ここに至ってスターリンは新中国と友好関係を結び、逆にソ連の世界戦略に中国を利用しようと考える。変わり身の早さである。

1950年に開戦となった朝鮮戦争におけるソ連の動きには大きな謎が残されている。戦争そのものは北朝鮮の金日成による南進政策として始まったものだが、これにはソ連の了解無しには踏み切れなかった。北の南進については当初スターリンは反対していた。それがある時期から南進にGOサインを出す。同時にソ連からの軍事援助も約束する。だが、ソ連はここで不可解な行動に出る。
1.開戦の直前になって何故かソ連は国連をボイコットしてしまう(その後に復帰する)。これによって朝鮮戦争に参戦する米軍が国連軍という肩書を得る。
2.朝鮮戦争が始まればいずれ中国の参戦は避けられないと見ていた(事実はその通りとなった)にも拘らず、開戦直前まで中国に対して秘密にしていた。
また朝鮮戦争開始後、北朝鮮側が一方的に勝利していた期間に、中国から再三にわたって米軍の参戦に注意を払うよう警告があった。毛沢東は米軍が仁川から上陸して、北の補給路を断つに違いないという具体的な警告を行っている(その通りとなった)。しかし、スターリンはこれらの警告を無視し続けたのだ。
こうしたスターリンの一連の動きは不可解で謎とされてきた。
この謎に直接疑問を抱き、スターリンに真意をただした人物がいた。それはチェコスロバキアのゴトワルト大統領だった。
これに回答したスターリン書簡は極秘とされ、ソ連崩壊後に発見され2008年に公表された。スターリンの回答の要旨は次の通り。
1.ソ連が安保理をボイコットすることにより、米国にフリーハンドを与え、安保理での多数を利用して更なる愚行(米軍の出兵を指す)を提供するため・・・。
2.さらに、米国が現在ヨーロッパから極東にそらされていることは明らかである。国際的なパワーバランスからいって、これは我々に利益を与えているだろうか。もちろん与えている。
つまりスターリンにとって朝鮮戦争は、アメリカの眼をアジアにそらせ疲弊させることにより、ヨーロッパでの社会主義の発展のために必要な時間を確保することにあった。
そう考えればソ連の国連ボイコットも、中国を蚊帳の外に置き米国参戦の忠告を無視し続けたことも説明がつく。

1953年2月28日の深夜に別荘でスターリンは倒れ、意識不明のまま床に放置されていたのを3月1日の朝に発見される。直ちに最高幹部たちが別荘に駆けつけるのだが、そのまま放置され、医師が呼ばれて治療が始まるのは20時間以上経過した3月2日になってからだ。
幹部たちはスターリンの病状などそっちのけで、スターリン後の指導体制を協議し、結論が出た3月5日に別荘を訪れスターリンの死亡を確認するのである。ここで巨悪は幕を閉じる。
独裁者の最後というのは、揃って惨めなものだ。

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コメント

復権とまではいかないかもしれませんが、プーチンはスターリンを否定しないようですね。

佐平次様
ロシアの代々の指導者は「大ロシア主義」の呪縛から抜け切らないようです。プーチンのクリミア介入などその典型でしょう。

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