#68扇辰・喬太郎の会(2016/4/28)
第68回「扇辰・喬太郎の会」
日時:2016年4月28日(木)18時30分
会場:国立演芸場
< 番組 >
前座・入船亭辰のこ『十徳』
柳家喬太郎『反対俥』
入船亭扇辰『藁人形』
~仲入り~
入船亭扇辰『紫檀楼古木』*
柳家喬太郎『三軒長屋』*
(*ネタおろし)
ただいま休業中ですが、本日一日だけの臨時営業です。
「扇辰・喬太郎の会」、今回が68回。年に2回開催で各人が1席ずつネタ下しするという企画が好評のようで、毎回チケットは完売。
二人は同期の入門(扇辰の方がやや早い)だが、真打昇進は喬太郎の方が早く従って香盤は上だ。それでも扇辰を上に立てているのは喬太郎の人柄か。静の扇辰に動の喬太郎という対比もこの二人会の魅力だろう。
永続きするには、それだけの理由(わけ)があるのだ。
喬太郎『反対俥』、久々だ。何年か前に喬太郎が腹をさすりながら「もう『反対俥』は出来ません」と言っていた記憶がある。それでも敢えて高座にかけたのはサービス精神か。
座布団の上を跳んだり撥ねたり寝転んだりと奮闘していたが、後から出た扇辰が「売れると芸が荒れる」と評していたように、中身は左程でなかった。
扇辰『藁人形』、扇辰の魅力は語りの確かさと人物描写だ。このネタでもこの人の強みが十分に発揮され、願人坊主の西念、西念を手玉に取る女郎のおくま、西念の甥で元はヤクザの陣吉、それぞれの造形が見事だ。特におくまが上手い事を言って西念から20両をだまし取る場面や、1週間後に訪れて西念を軽くあしらい追い返す場面でのおくまの表情とセリフが良い。
一つだけ注文をつけるとすれば、騙されたと知った時の西念の無念さと憤怒の表情をもっと強調しても良かったように思う。
扇辰『紫檀楼古木』、結論から言うとネタおろしながら完成度が高く、扇辰の持ちネタに成り得ると思った。
アタシが幼年時には未だ父親が煙管でタバコを吸っていて、ラオ屋(羅宇屋)でラオのすげ替えをするのを見た記憶があるが、経験のない人が大半だろう。その頃は既に蒸気でタバコのヤニを取っていたので、すげ替えが終わった煙管を口で吹くような事は無かった。
扇辰がマクラでラオ屋の作業を丁寧に説明していたが、これは親切。
主人公の紫檀楼古木、今は身はやつしていてもかつては大店の主で狂歌の宗匠、その品と風格はきちんと描かれていた。
対する奥方の方だが、女中から言われて窓辺に立ちラオ屋の姿を見て汚いを連発したり、はてはコレラだの赤痢だのと言い立てるのは明らかに行き過ぎ。古木の狂歌に返歌をする程の教養がある奥方なんだから、気品が欲しかった。ここだけがキズ。
喬太郎『三軒長屋』、大ネタのネタおろしというハンディを考慮しても、上出来とは言い難い高座だった。本人も認めていたが、鳶の頭を棟梁と言ってしまったり、人払いを所払いと言ってしまうなどのミスがあり、稽古不足の感が否めない。
冒頭の、鳶の若い者が頭・政五郎のお上さんに家の二階を借してくれと頼む所が長過ぎてダレた。
若い者が二階から、隣家の妾の所の女中をからかう場面は欠かせまい。この腹いせで女中が近所に店立ての噂を流すのだから、省略は出来ないと思う。
吉原に居続けした政五郎が家に戻り、照れ隠しに子分たちに小言を言うのと、その後のお上さんとの会話はもっと丁寧に演じて欲しい。
同様に政五郎が伊勢勘の所へ出向き転宅の話を持ち掛けた時の伊勢勘の応対が、このネタの見所の一つだ。貫録の違いを見せつけ政五郎に頭を下げさせるから、後のサゲが効いてくるのだ。
このネタはストーリーそのものより細部の描写(例えば鳶頭のお上さんは男言葉でしゃべるという勇ましさの中に年増女の色気が必要)が肝要で、それだけによほど練り込んでおかないと高座には掛けられない。
喬太郎には更に稽古を重ね、練り上げてから再度チャレンジして欲しい。
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