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2016/04/29

#68扇辰・喬太郎の会(2016/4/28)

第68回「扇辰・喬太郎の会」
日時:2016年4月28日(木)18時30分
会場:国立演芸場
<  番組  >
前座・入船亭辰のこ『十徳』
柳家喬太郎『反対俥』
入船亭扇辰『藁人形』
~仲入り~
入船亭扇辰『紫檀楼古木』*
柳家喬太郎『三軒長屋』*
(*ネタおろし)

ただいま休業中ですが、本日一日だけの臨時営業です。
「扇辰・喬太郎の会」、今回が68回。年に2回開催で各人が1席ずつネタ下しするという企画が好評のようで、毎回チケットは完売。
二人は同期の入門(扇辰の方がやや早い)だが、真打昇進は喬太郎の方が早く従って香盤は上だ。それでも扇辰を上に立てているのは喬太郎の人柄か。静の扇辰に動の喬太郎という対比もこの二人会の魅力だろう。
永続きするには、それだけの理由(わけ)があるのだ。

喬太郎『反対俥』、久々だ。何年か前に喬太郎が腹をさすりながら「もう『反対俥』は出来ません」と言っていた記憶がある。それでも敢えて高座にかけたのはサービス精神か。
座布団の上を跳んだり撥ねたり寝転んだりと奮闘していたが、後から出た扇辰が「売れると芸が荒れる」と評していたように、中身は左程でなかった。

扇辰『藁人形』、扇辰の魅力は語りの確かさと人物描写だ。このネタでもこの人の強みが十分に発揮され、願人坊主の西念、西念を手玉に取る女郎のおくま、西念の甥で元はヤクザの陣吉、それぞれの造形が見事だ。特におくまが上手い事を言って西念から20両をだまし取る場面や、1週間後に訪れて西念を軽くあしらい追い返す場面でのおくまの表情とセリフが良い。
一つだけ注文をつけるとすれば、騙されたと知った時の西念の無念さと憤怒の表情をもっと強調しても良かったように思う。

扇辰『紫檀楼古木』、結論から言うとネタおろしながら完成度が高く、扇辰の持ちネタに成り得ると思った。
アタシが幼年時には未だ父親が煙管でタバコを吸っていて、ラオ屋(羅宇屋)でラオのすげ替えをするのを見た記憶があるが、経験のない人が大半だろう。その頃は既に蒸気でタバコのヤニを取っていたので、すげ替えが終わった煙管を口で吹くような事は無かった。
扇辰がマクラでラオ屋の作業を丁寧に説明していたが、これは親切。
主人公の紫檀楼古木、今は身はやつしていてもかつては大店の主で狂歌の宗匠、その品と風格はきちんと描かれていた。
対する奥方の方だが、女中から言われて窓辺に立ちラオ屋の姿を見て汚いを連発したり、はてはコレラだの赤痢だのと言い立てるのは明らかに行き過ぎ。古木の狂歌に返歌をする程の教養がある奥方なんだから、気品が欲しかった。ここだけがキズ。

喬太郎『三軒長屋』、大ネタのネタおろしというハンディを考慮しても、上出来とは言い難い高座だった。本人も認めていたが、鳶の頭を棟梁と言ってしまったり、人払いを所払いと言ってしまうなどのミスがあり、稽古不足の感が否めない。
冒頭の、鳶の若い者が頭・政五郎のお上さんに家の二階を借してくれと頼む所が長過ぎてダレた。
若い者が二階から、隣家の妾の所の女中をからかう場面は欠かせまい。この腹いせで女中が近所に店立ての噂を流すのだから、省略は出来ないと思う。
吉原に居続けした政五郎が家に戻り、照れ隠しに子分たちに小言を言うのと、その後のお上さんとの会話はもっと丁寧に演じて欲しい。
同様に政五郎が伊勢勘の所へ出向き転宅の話を持ち掛けた時の伊勢勘の応対が、このネタの見所の一つだ。貫録の違いを見せつけ政五郎に頭を下げさせるから、後のサゲが効いてくるのだ。
このネタはストーリーそのものより細部の描写(例えば鳶頭のお上さんは男言葉でしゃべるという勇ましさの中に年増女の色気が必要)が肝要で、それだけによほど練り込んでおかないと高座には掛けられない。
喬太郎には更に稽古を重ね、練り上げてから再度チャレンジして欲しい。

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2016/04/25

お知らせ

10日間ほど休載します。
再開は5月6日を予定しています。

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2016/04/24

#43三田落語会・昼「権太楼・喜多八」(2016/4/23)

第43回三田落語会・昼席「権太楼・喜多八」
日時:2016年4月23日(土)13時30分
会場:仏教伝道センタービル8F
<  番組  >
前座・春風亭一花『金明竹』
柳家権太楼『笠碁』
柳家喜多八『居残り佐平次』
~仲入り~
柳家喜多八『愛宕山(後半)』
柳家権太楼『死神』

以前の記事で、喜多八の健康状態について何か言うのをやめようと書いたが、やはり触れずにはいられまい。この会場は幕も緞帳もないので、板付きができない。私も含めて多くの観客の眼が、喜多八がどうやって高座に上がってくるのか注視していた。身体の大きな前座に支えれるようにしてゆっくりと高座に上がり、支えられながら腰を下ろし、介添えの前座が下りてからお辞儀をして口演が始まる。場内は一瞬、溜め息の後に盛大な拍手で迎えた。
冒頭に、薬のせいで食欲がなく食べられないと言っていたが、この日はさらに痩せて見えた。声がややかすれ気味で、少し聞き取りづらい部分もある。座り続けるために尻の下にトイレットペーパーのロールを敷いていると、本人から説明があった。
恐らく、行き着く所まで高座を続ける心算だろう。ファンは、それをじっと見守るしかない。

権太楼『笠碁』
マクラで来年に70歳になることに触れ、年を取ると若い頃に熱中してものがどんどん無くなってゆくと語っていた。そう言えば志ん朝も晩年同じ様な事を言ってたっけ。今は盆栽いじりに興味を持ち、すっかり爺さんになってしまったとか。
『笠碁』の演じ方には2種類あり、喧嘩別れした相方の主が家の前をウロウロするのをもう片方の主が目で追う演じ方が一つ。もう一つは編み笠をかぶった相方の主が雨に濡れながら相手の玄関先を往ったり来たりする演じ方だ。権太楼の高座は師匠・5代目小さん譲りの後者で、さらに相手の主の表情が気になって首を左右に振りながら往復するという演じ方を採っている。その分、権太楼らしい笑いの多い演出だ。
この噺をする時のポイントに、演者が碁が打てるかどうか石の置き方で分かるという説があるが、果たして権太楼はどうだったか。

喜多八『居残り佐平次』
体力的にやや心配だったが、ノーカットでサゲ(サゲは通常とは異なる)まで演じ切った。佐平次と若い衆のヤリトリでは少々息切れを感じたが、後半の佐平次がお客に取り入り人気者になってゆくくだりでは、喜多八の愛嬌が存分に示された。

喜多八『愛宕山(後半)』
体力か、あるいは時間の関係からか、身体を使う前半をカットし、後半のカワラケ投げからサゲまで演じた。このネタでも幇間の一八の造形が良く、楽しく聴かせていた。

権太楼『死神』
マクラで、若い頃は志ん朝や談志に憧れああいう噺家になりたいと願っていたが、70歳近くなって見ると今は圓歌や金馬のようになりたいと思うようになったとか。「長生きも芸のうち」とは歌人の吉井勇(権太楼は久保田万太郎と言ってたが誤りだ)が8代目文楽に贈った言葉だが、権太楼のそういう域に達したようだ。
このマクラは喜多八を意識したものだったようにも思われた。
ネタに入って貧乏神を追い払う呪文の最後に「圓歌と金馬は長生きだ」を付け加えていた。
全体としてオーソドックスな演じ方で、サゲは圓生流だった。権太楼の手に掛かると貧乏神まで可愛く見えてくる。

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2016/04/22

四月大歌舞伎・昼(2016/4/21)

四月大歌舞伎・昼の部
日時:2016年4月21日(木)11時
会場:歌舞伎座

一、『松寿操り三番叟』(まつのことぶきあやつりさんばそう)
< 配役 >
三番叟/染五郎
後見/松也

二、『不知火検校』(しらぬいけんぎょう)
宇野信夫 作・演出
今井豊茂 脚本
「沖津浪闇不知火」
浜町河岸より横山町の往来まで
<   配役   >
按摩富の市後に二代目検校/幸四郎
生首の次郎後に手引の幸吉/染五郎
奥方浪江/魁春
指物師房五郎/錦之助
湯島おはん/孝太郎
手引の角蔵/松江
丹治弟玉太郎/松也
若旦那豊次郎/廣太郎
娘おしづ/児太郎
富之助/玉太郎
魚売富五郎/錦吾
初代検校/桂三
因果者師勘次/由次郎
夜鷹宿おつま/高麗蔵
検校女房おらん/秀調
岩瀬藤十郎/友右衛門
鳥羽屋丹治/彌十郎
母おもと/秀太郎
寺社奉行石坂喜内/左團次

三、新古演劇十種の内『身替座禅』(みがわりざぜん)
岡村柿紅 作
<  配役  >
山蔭右京/仁左衛門
太郎冠者/又五郎
侍女千枝/米吉
同 小枝/児太郎
奥方玉の井/左團次

4月の歌舞伎座は松本幸四郎と片岡仁左衛門を中心とした芝居で、その昼の部へ。
一、松寿操り三番叟
三番叟というのは元々は能からきたもので、歌舞伎では一幕ものの歌舞伎舞踊として演じられる。
この演目は「操り三番叟」で、操り人形に似せて踊るコミカルなもので、糸が切れたり縺れたりしながら軽快に踊る。
寄席が好きな人なら雷門助六の操り踊りを連想すれば分かり易い。
二、不知火検校
江戸時代の按摩は細かな階級に別れており、その階級も金銭で上級に進むことが出来たらしい。加えて幕府が盲人の自立を図るため彼らに高利貸しを許した。按摩の最高位である検校も修行というよりは高利貸しで稼いだ人物が資格を得るケースがあったようだ。
芝居に出てくる按摩がしばしば悪役なのはそのためと思われる。
「世の中の人の心を分析すれば 色気三分に欲七分」という都々逸があるが、この演目の主人公である富の市は文字通り色欲と金銭欲の塊りだ。歌舞伎に出て来る悪人は数あれど、これほど冷酷で徹底した悪人は少ない。
生れながらの盲人である富の市は不知火検校の弟子となって按摩の修行に励むが、金銭欲と色欲のために無法者の生首の次郎や鳥羽屋丹治・玉太郎兄弟の手を借りながら悪事を重ね、遂には師匠であり親代わりでもあった不知火検校夫婦を殺害し、財産を奪う。やがて2代目不知火検校となって権力と富を手に入れ、意中の女・おはんを恋人房五郎から奪い妻にする。おはんが房五郎への思いを断ち切れないと知るやこの二人も殺害。次いで江戸城の金蔵を破ろうと番がしらの藤十郎に近づき、その奥方だった浪江も殺害する。
しかし数々の悪行は寺社奉行の知る所となり、不知火検校は仲間と共に捕縛されてしまう。
終幕で,捕縛された検校が群衆に石を投げつけられ血まみれになりつつ,「・・・お前達はちっぽけな胆っ玉に生まれついたばっかりに己のような真似ができず,せいぜい祭りを楽しむのが関の山…」と嘲笑する場面が印象的だ。
典型的なアンティヒーローで、歌舞伎狂言ではお馴染みの儒教精神を逆さまにした人物として描かれている。
検校を演じた幸四郎は舞台に「悪の華」を見事に咲かせていた。また新内の弾き語りを聞かせたり、座頭市の真似を見せたりの大サービス。
三、「身替座禅」
元は「花子」(はなご)と言う狂言だが、歌舞伎に取りいれられて「松羽目物」(まつばめもの)の所作事として演じられる。舞台の背景が能舞台と似た松の木が描かれ、衣装も狂言と同様のものが使われる。
大名の山蔭右京は、愛人の花子がはるばる都へやって来たことを知り、なんとか会いたいと思うが、奥方の玉の井が片時もそばを離れようとしない。そこで右京は一計を案じ、邸内の持仏堂で一晩座禅する許しを得ると、家来の太郎冠者を自分の身替りにして花子の元へと向う。しかし、この事が玉の井に知られてしまい、今度は玉の井が太郎冠者と入れ替わる。翌朝、花子の元から戻ってきた右京は昨夜の楽しみをタップリ語ると、なんと座禅していたのは奥方の玉の井。怒りに燃える奥方の前でただただ恐怖に震える右京。
ここでは二枚目の立役が多い仁左衛門のコミカルな演技が見ものだ。

目出度い踊りの後は悪の華の芝居、そして最後はコミカルな所作事と演目のバランスが取れていた。
何より「不知火検校」の幸四郎の演技が素晴らしかった。

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2016/04/20

募金は黙ってすべし

この度の熊本地方を中心とする大地震の被害について、全国から支援が寄せられていることが報じられている。
ボランティア活動などで現地に向かう人々には本当に頭が下がる思いだ。
多くの方が今すぐにでも出来ることは募金かと思う。
ただ一つ気になるのは、タレントなどの有名人〇〇が〇百万円を募金したというニュースに接することだ。募金を受けた側が氏名を公表することは無い筈なので、恐らくは本人がSNSなどを通じて公表しているものと思われる。
なぜ募金したことや金額を公表する必要があるのだろう。募金は極めて私的な行為であって、天下に喧伝するような性質のものではない。
これではせっかくの善意が売名行為と受けとられかねないのでは。
募金は黙ってすべし、である。

【追記】4/22
被災者への支援は様々な形式があると思う。
私の親戚の中に、東日本大震災の時にボランティアで、毎週土曜日の早朝に車で出発し日曜の深夜に帰ってくるという活動を続けた人がいた。それも数か月にわたって。健康を害さないかと家族が心配していたほどだ。因みに年齢は60歳代の人である。彼はその事を周囲に一切公表してこなかった。私も随分と後になってから知った次第。
そうした匿名の勇気ある行動こそ賞賛に値するのでは。
こういう無数の人々によって被災者の方々は支えられたのだと思う。
今回の熊本地震の被災地でも、そうした多くの方の努力が行われていくのだろう。

だから、自分は〇百万円義援金を送りましたなんて世間に喧伝することに違和感を持つのだ。
もし私だったら、恥ずかしくて出来ない。

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【書評】本田靖春「誘拐」

本田靖春(著)『誘拐』(ちくま文庫2005/10/5刊)
今さらこのノンフィクションの傑作をという感もあるが、1964年(昭和39年)の東京オリンピックで沸き立つ世間に大きな衝撃を与えた事件を改めて振りかえってみたいと思ったのだ。
事件とは一般に「吉展(よしのぶ)ちゃん事件」と呼ばれるもので、多くの人が記憶にとどめていると思われる。
事件の概要は次の通り。
1963年3月31日、東京台東区入谷町の村越吉展ちゃん(4つ)が自宅前の公園に遊びに行ったまま行方不明となった。最後に目撃されたのは午後6時15分頃、近所の小学3年生男児が、公園のトイレで水鉄砲の水を入れていた吉展ちゃんに30歳くらいのレインコートを着た男が「坊や、何してんだい。ほう、良い鉄砲だね」と話しかけてきた。暗くなってきたので吉展ちゃんは入り口の方に出て、男もその後を追ったというもの。
午後7時に村越家から警察に捜査願いが出され、まもなく村越家に数度に渡る身代金要求の電話が入る。
4月7日、犯人指定の「品川自動車」に母親が身代金50万円を持っていくが、ここで手違いが起こる。先に5人の捜査員が出発し、受け渡し現場を包囲するはずだったが、母親の運転する車より刑事達の現場到着が2分ほど遅れた。このため身代金は犯人に持ち去られ、吉展ちゃんは戻らなかった。
ミスはまだあり、身代金の1万円札のナンバーもひかえてはいなかった。
当時の警察の誘拐事件への対応はお粗末で、その後の捜査で重要な手掛かりになる犯人の音声も村越家の人たちが録音機をセットして採取したものだ。
もちろん、電話の逆探知も行っていなかった。
警察はこの失態を挽回すべく、特別な捜査態勢をしき大量の捜査員を投入した。
国民の関心も高く、「吉展ちゃんを返して」という看板やポスターが街中に張られた。郵便局や生命保険業界なども捜査に積極的に協力していた。
警察が容疑者としてリストアップした人数は1万3千人にのぼると言われている。
この中で早くから捜査線上に浮かんだ容疑者として時計職人の小原保(1963年当時28歳)がいた。警察が公開していた身代金を要求する犯人の声とよく似ているとの情報提供が保の兄から寄せられた。
しかし、犯人の声を分析した言語学者が年齢が40-50歳と推定していて、保とは年齢が会わなかった。
もう一つ、保は足が悪く、子どもを連れ歩いたり、身代金を素早く奪って逃げるのは無理だと思われた。
さらに保は事件前後に故郷へ戻っていたというアリバイがあり、シロと判定されてしまった。
捜査は行き詰まり2年が経過する。
1965年、警視庁はここに至って捜査陣を一変する。捜査の中心に任ぜられた平塚八兵衛は保の故郷である福島を訪れ、もう一度保のアリバイを洗い直す。
すると保の証言と事実が食い違っていたり、保を見たという証人が日付を勘違いしていた事実などが明らかになり、アリバイが崩れたことを確信する。
平塚刑事により保の3度目の取り調べが始まる。当初はガンとして口を割らなかったが、平塚が新たな情報に基づき保の証言を突き崩してゆき、ようやく自白を得る。
それによると吉展ちゃんはすでに殺害されていたことが判明、荒川区にある円通寺墓地にて遺体が発見された。
1966年、小原保に死刑判決が下され刑が確定する。
1971年、小原保に刑が執行された。

本書の中で永年捜査一課で殺人事件を担当してきた刑事にこう語らせている。
【畢竟、人間というやつは、他の誰かを圧迫しないことには生きられない存在なのであって、犯罪者というのは、社会的に追い詰められてしまった弱者の代名詞ではないのか。】
著者もそうした視点に立ち、本書で犯人である小原保の人生を詳細に追っている。

小原保は福島の片田舎で生まれてがその生活は赤貧洗うがごとき環境で育った。小学校は片道1時間かけ山道を歩いて通学する。履物はワラ草履なので雨や雪の日は裸足て歩かねばならない。足先はアカギレになりそこから黴菌が入って化膿した。きちんとした治療を受けられないまま骨髄炎を患い、足が曲がったままになって片足を引きずって歩くという後遺症に悩まされる。通学もままならず、小学校卒という学歴に終わる。
おまけに小原家の家族や近親者には、癲癇持ちや聾唖者などの先天的障碍者ばかりだった。周囲からは「あの家には悪い血が流れている」と噂され、保は逃げるようにして東京に出てくる。

当時の東京は高度成長の真っ直中で、オリンピックに向けて高速道路や地下鉄の建設などが進められ好況に沸いていた。
しかし保は小卒で、おまけに肉体的ハンディを負っていて、大金を稼げるような仕事に就くのは不可能だった。結局、アメ横の小さな時計店で修理工として働くという都市貧困労働者となってゆく。
扱う時計の中にはブランド品もあり、横流しすればたちまち数万円が手に入る。一方で都会は誘惑が多く、保は寂しさを紛らせるために酒や買春に手を出す。その資金はとても安い給料では賄えず、高級時計の着服や横流しで補てんされる。気が付けば20万円を超す借金となり、日々厳しく返済を迫られる。
仕方なく故郷へ向かい兄弟や親類に融通を頼もうとするが、日頃の不義理から顔を出すことも出来ず悶々として東京に戻ってくる。

追い詰められた保は、先日見た映画『天国と地獄』からヒントを得て、幼児の営利誘拐を思いつく。
身代金が50万円というはいかにも中途半端だと捜査陣が思ったのだが、それは保の借金の返済資金だったからだ。
近所に子ども達がよく遊ぶ姿を見受けた公園に立ち寄り、そこで吉展ちゃんと出会ってしまう。吉展ちゃんの水鉄砲を直してあげるとウソをつき、あっちこっち連れ回した挙げ句疲れて保の膝の上に眠った吉展ちゃんの首をベルトで絞殺した。
本書の後半は平塚刑事に問い詰められ観念して自白する保の姿と、保の自供から吉展ちゃんの遺体が発見され、それを知らされた吉展ちゃんの両親や祖母らの深い怒りと悲しみが描かれる。
そのいずれに対しても、読んでいてやりきれない思いにかられるのだ。

死刑確定から処刑にいたる間に、小原保は独学で短歌を学ぶ。
やがて「土偶短歌会」に加入し、福島誠一というペンネームで投稿を続ける。
その一首。
「明日の死を前にひたすら打ちつづく
 鼓動を指に聴きつつ眠る」
処刑の前日まで短歌を作り続け、辞世の句として最後の投稿が「土偶」の主催者の元へ届いたのは処刑の翌月の1972年1月だった。その年の12月に保の一周忌を期して保の歌集『十三の階段』が参加者に配られた。
「世のためのたった一つの角膜の
 献納願ひ祈るがに書く」
1980年に講談社から刊行された「昭和万葉集」には、福島誠一の名で次の一首が収録されている。
「詫びとしてこの外あらず冥福を
 炎の如く声に祈るなり」

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2016/04/19

良質のコメディ!「フォーカード」(2016/4/18)

劇団青年座第221回公演『フォーカード』
日時:2016年4月18日(月)14時
会場:紀伊國屋ホール
作=鈴木聡
演出=宮田慶子
<  キャスト  >
【劇団「新流」養成所同期】
増子倭文江/横山千鶴
横堀悦夫/谷義人
大家仁志/中込彰
野々村のん/神崎由佳里
【喫茶店のマスターと従業員】
名取幸政/榎本治郎
小暮智美/小池仁美
【喫茶店に集う人々】
五味多恵子/久米藤子
小豆畑雅一/久米春樹
有馬夕貴/内田裕子
那須凜/星野沙紀
高松潤/松宮徹
尾身美詞/小野真理子
【資産家】
山野史人/立花秀雄

ストーリー。
舞台は都内の喫茶店。店内の客の会話がゲス不倫やSMAPの解散などが話題になっているので、時は現在。
今から20数年前、劇団「新流」の俳優養成所を卒業した横山千鶴、谷義人、中込彰、神崎由佳里の同期4人が、さる理由から劇団員にはなれず、俳優を断念し今はそれぞれ違う道を歩いている。
ある日、千鶴の呼びかけにより昔馴染みの喫茶店で4人は再会した。
それは、ある人物から大金を騙し取るためにペテンの片棒を担がないかという相談だった。当初、他の3人は断ろうとするが、4人ともそれぞれ経済的に困っていて現金が必要だった。そこに「ペテンは演技力。かつて養成所のフォーカードと呼ばれた4人が集まれば必ず成功する!」という千鶴の「激」で、かつての俳優魂に火がついた。不審と不安が渦巻く中、3人はこの提案を受け入れる。
一方、この喫茶店の常連客は3組で、課長と部下の不倫、先輩と後輩の女性社員、嫁と折り合いの悪い老母とその息子だ。
3組のペアの人生ドラマと交錯しながら4人の計画は進み、その稽古にも熱がこもる。ターゲットは資産家に投資話を持ちかけ1億円を詐取すること。舞台はこの喫茶店。
いよいよ4人によるコンゲーム(信用詐取)の日が来た。4人(フォーカード)は大勝負に出るが・・・。

人間は誰しも日常生活の中で演技をしている。
自分を振りかえっても、会社に行けば社員になり、妻の前では良き夫、子どもの前では厳格な父親、近所の人には良き隣人、といった具合だ。親しい友人の前では会社や家庭では決して見せない顔にもなる。そうして演技していかないと精神的に壊れてしまうからだ。
この芝居でも元劇団員の4人が再会し互いに現状報告する場面や、他の3組の人たちの会話では、そうした日常の演技が披露される。
それに対して俳優が演じる演技は違う。与えられた状況下で自分とは全く異なる人間を人生を演じるわけだ。
この芝居は、そうした俳優としての演技に魅せられた4人が、その演技力を武器に再び同じ舞台で一世一代ともいうべき演技を披露するという物語だ。
映画「スティング」の主題歌にのって次第にコンゲームにはまり込み熱中する4人の悲喜劇、そして最後のどんでん返しも鮮やかに幕を閉じた。
彼らの芝居は終って日常が残る。その日常はきっと大変なのだ。
演者が真剣になればなるほど、客席の笑い声が大きくなる。良質のコメディである。

出演者はいずれもハマリ役に見えた。
この劇団の層の厚さを示す。

公演は24日まで。

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2016/04/16

鈴本演芸場4月中席・昼(2016/4/15)

鈴本演芸場4月中席・昼の部(中日)
前座・柳家寿伴『たらちね』
<  番組  >
春風亭ぴっかり『動物園』
鏡味仙三郎社中『太神楽曲芸』
柳亭左龍『長短』
三遊亭歌武蔵『後生鰻』
すず風 にゃん子・金魚『漫才』
三遊亭萬窓『悋気の独楽』
春風亭一之輔『夏泥(置き泥)』
三遊亭小円歌『三味線漫談』
春風亭小朝『お見立て』
─仲入り─
江戸家小猫『ものまね』
桂文雀『桃太郎』
三遊亭歌奴『子ほめ』
林家二楽『紙切り』
五明樓玉の輔『船徳』

鈴本4月中席昼の部の中日へ。この日は小朝一門会の態で(圓太郎だけ休演だった)、小朝が久々の中トリ、玉の輔がトリを務める。予測に反して入りは最終で7分程度か。10年以上前だったら一杯だったに違いない。
2001年に志ん朝が亡くなった時、5代目圓楽がインタビューで「志ん朝亡き後現役では誰が一番上手いか?」という質問に迷わず「小朝でしょう」と答えていた。疑問には思ったが、そういう見方もありかなと。
現在はどうだろう。一番上手い人が小朝と答える落語ファンは稀だと思う。
ここ15年で落語界に占める小朝の位置は変ってきた。
手元に1998年録音の小朝のCDがあるが、そのライナーノーツで本人が改名を真剣に考えていると書いている。小朝の名前が身の丈に合わなくなってきていると。真偽のほどは分からないが、小朝に圓朝を襲名させるという噂が当時あった。あるいは改名の件は、その事を指していたかも知れない。何かの事情でその望みがかなわず現状維持となった時に、ある種の割り切りがあったのではなかろうか。自分が前面に出るよりは、裏方、プロデュースに徹すると言うような。
たまに独演会へ行っても、面白いけど心に残らない高座に出会うようになり、足が遠のいてしまった。
それと小朝が語るマクラが、時代と微妙にずれてきていた。これは桂文枝も同様だけど。
例によって短い感想を。

ぴっかり『動物園』、前座に成りたての頃はもっと上手くなると期待していたが、それ程でもなかったか。
左龍『長短』、この日の中では最も出来が良かったと思う。語りのリズム、セリフの間の取り方が巧みで客席をとらえていた。
歌武蔵『後生鰻』、赤ん坊を川に投げるという所が避けられるのか、あまり高座に掛からないネタだ。こういうブラックユーモアも落語なればこそ。
にゃん子・金魚『漫才』、見てて辛くなるのはアタシだけ?
萬窓『悋気の独楽』、本寸法の高座で小僧の定吉が可愛い。
一之輔『夏泥(置き泥)』、この人は何を演らせても上手い。驚くのはレパートリーの広さで、恐らく覚えたネタを直ぐに高座に掛けられるのだろう。やはり特別な才能だ。
小円歌『三味線漫談』、『野崎』の出囃子を間違えちゃいけない。前座の太鼓は良かった。
小朝『お見立て』、軽く軽~~くまとめて、客席を沸かせて引っ込む。この人はアルチザンだね。少なくともアルチストではない。
文雀『桃太郎』、元小朝の弟子。今の師匠・桂文生譲りの明るい芸風で、スタンダード版(小朝版ではない)の『桃太郎』だった。
歌奴『子ほめ』、膝前は真打による前座噺が続く。笑いのツボをしっかり押えていた。
玉の輔『船徳』、ここ鈴本では頻繁に顔を見る人で、比較的浅い出番で『宮戸川』や『マキシム・ド・吞兵衛』といったネタを得意としている。
アタシがよくお世話になっている「落語あらすじ事典 千字寄席」というサイトで、「 落語家の偏差値」という記事が掲載されている。落語の上手さだけに注目して偏差値を付けているのだが、玉の輔は47.5とされている。これは三三、扇辰、兼好と同列であり、志の輔や談春より上位にランクされている。そうした評価のある一方、各種落語会や名人会に名を連ねることは少なく、若手と自称しながら数年前より協会の理事を務めており、何となく中途半端な印象なのだ
さて、『船徳』だが全体としてはオーソドックスな筋の運びだった。早いテンポの軽い語りで、個々の人物の演じ分けが不鮮明だという印象を受けた。徳が船頭になるのを親方が渋った時に、それなら船宿の船に”万景峰号(マンギョンボンごう)”と書いちゃうというクスグリは感心しなかった。
反面、徳が鉢巻をしながら見得を切る所や、棹を右に左に恰好をつけて扱う所、船を石垣につけて客が文句を言うと徳が逆切れする場面などは、この人らしさが出ていた。

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私たちが住んでいる国

木曜日の夜以降に起きた熊本を震源とする大地震の惨状を、TV画面や新聞のニュースをただ茫然と見ている。
悲しさと、もどかしさと。
私たちは何という国土の上に生活しているんだろう。
阪神・淡路、東日本、そして今回の熊本と、この間にはこれ以外にも大きな被害の出た震災がいくつもあった。そして時期は分からぬが、関東や東海地方でもいずれ大きな地震に見舞われるのは避けられまい。
こうした環境とどう折り合いをつけ、被害を最小限に食い止め、国民の生命を守っていくのか、それこそが政治の最大課題なのだ。
やれミサイル攻撃だの、テロ対策だのと大騒ぎするけど、より現実的な脅威は自然災害とそこから生じる二次災害だ。
この度の震災で、改めてそのことを再認識せねばなるまい。

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2016/04/13

「社会主義」ソ連という幻想

日本共産党はソ連が崩壊した1991年12月21日に、「歴史的巨悪だったソ連共産党の解体を両手(もろて)を挙げて歓迎する」という声明を出した。世界の共産党の中でソ連崩壊を「両手を挙げて歓迎」したのは日本共産党だけと思われる。
ソ連の強い影響を受けていたヨーロッパ各国の共産党が大混乱におちいり、解党したり党名を変えたりしたのとは対照的だ。かつてユーロコミュニズムとして欧州を席巻していた面影はない。
社会主義を目指す党が社会主義国の崩壊を歓迎するというには論理矛盾とも思えるが、不破哲三「スターリン秘史」全6巻を通読して納得した。
ソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)成立直後から戦後にいたる時期にソ連を支配したのはスターリンだった。そのスターリンが目指したものは、一口にいうと帝政ロシア時代の版図を回復することにあった。彼の意図は、第二次世界大戦が終結を記念した集会での演説で明解に語られている。
スターリンは「覇権主義者」だったわけだ。
スターリン死後の後継者たちも、スターリンの負の遺産を克服することが出来なかった。
それならソ連という国も「覇権主義国家」と呼ぶのが相応しいだろう。

以上はソ連という国家の問題だが、これとは別にスターリンは各国共産党の幹部の中に、ソ連共産党の命令を忠実に実行するような内通者を作り出し、資金援助を行ってきた。そうした幹部は党内に分派を作り、誤った路線を持ち込んだり、時には党を分裂させたりしてきた。
日本共産党も何度かこうした被害を受けてきた。なかでも1950年に、スターリンの指示の下で徳田や野坂が主導した武装闘争方針は深刻な影響を及ぼした。
欧州共産党が総崩れになった原因の一つは、党や幹部がソ連から資金提供を受けていたことが発覚したからだ。
こうした事からも、「ソ連の崩壊=ソ連共産党の崩壊」は歓迎すべき事だった。

さて、ソ連は本当に社会主義国だったのだろうかという疑問がわいてくる。
ソ連の社会主義の特長をまとめると、こうなるだろう。
1.生産手段の公有化(国有化)
2.計画経済(統制経済)
3.プロレタリア独裁(一党支配)
この中で社会主義として必須なのは生産手段の公有化だけだ。他の二つは必ずしも必須条件とは言えず、ソ連独特の制度と考えた方がいい。
第二次大戦中のドイツをナチスあるいはファシズムと呼んでいるが、それらは蔑称で、彼らは自からを「国家社会主義」と自称していた。
それと同様にソ連の実態は、対外的には「覇権主義国」、国内的には「全体主義国」であり、「社会主義国」は自称に過ぎなかったのではなかろうか。
私たちは歴史の教科書でソ連は社会主義国と教えられてきたが、正しくは社会主義を目指したが全く別の社会体制に移行してしまった国家とするのが妥当だと思う。
この点は今の中国や北朝鮮(朝鮮労働党の党規約からは既に「共産主義」が放棄されている)も同様である。
「自由民主党」を自称している政党が、自由や民主主義に反する政策に突き進んでいるのはご存知の通りだ。

ソ連が社会主義を自称し、それが定着してしまったのは不幸としか言いようがない。
社会主義国は未だこの地球上には一国も現出せず、その実現には長い道のりを要すると考えた方が良さそうだ。

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2016/04/12

これは大人の我がままだ「保育園の子供の声がうるさい」

毎日新聞の記事からの引用。
【千葉県市川市で4月に開園予定だった私立保育園が「子供の声でうるさくなる」などの近隣住民の反対を受け、開園を断念していたことが分かった。同市の待機児童は373人で全国市区町村で9番目に多い(昨年4月時点)。説明会に同席するなどして地域の理解を求めてきた市の担当者は「(住民の反対で)開園が延期したケースは東京都内などであるそうだが、断念は聞いたことがない。残念だ」と言う。】

待機児童問題の解決が急務になっている一方で、子どもの声がうるさいという理由で保育園の開設に反対するというケースが全国に起きているらしい。
子どもの声ってそんなに気になるものだろうか。
私の住んでいる共同住宅の玄関は、狭い道路を挟んで小学校の正門と向き合っている。開門までに数十人の生徒が集まり会話が弾む。開門と同時に教師と当番の生徒が、登校してくる生徒一人一人に元気に「お早うございます」と声をかける。休み時間ともなれば校庭で遊ぶ子供たちの声が聞こえる。
共同住宅のすぐ脇に小さな公園が隣接していて、近くの保育園の子供たちの運動場になっている。
だから我が家には一日中子供たちの声が聞こえるのだ。
それをウルサイとか騒音だとか、一度も思ったことはない。
ここに引っ越す前のアパートは閑静な住宅街の中にあって、子どもの声を聞くことはなかった。
環境は一変しているわけだが、他の音ではない。子どもの声なのだ。それを騒音だの迷惑だの主張する人の神経が分からない。
その人は子どもの頃、声を立てずに静かにしていたのだろうか。

それは、大人の我がままというものだ。

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2016/04/11

不破哲三『スターリン秘史―巨悪の成立と展開(6)~朝鮮戦争の真実~』

6不破哲三『スターリン秘史―巨悪の成立と展開(6)戦後の世界で』(新日本出版社2016/3/5初版)
「スターリン秘史」シリーズは6巻目で最終巻をむかえる。第二次世界大戦終了後の世界にスターリンがどのような影響を及ぼしたのか―もっぱら悪事だが―が書かれている。
本書の内容を大きく分けると、
1.世界各国の共産党に対してスターリンはどのような干渉を行ったか
2.中国革命と新中国の成立にスターリンはどのような態度を取ったか
3.朝鮮戦争へのスターリンが果たした役割
の3点にまとめられる。
では、各項目ごとに内容を紹介する。

第二次大戦中にコミンテルンを解散させたスターリンだが、それに代わるものとして欧州の主要な共産党の情報交換を行う「情報局」、コミンフォルムを結成させる。本来、この組織には各国共産党に指示を与える権利はないのだが、スターリンはコミンフォルムを利用して支配を図る。
第二次大戦後に東欧各国でソ連主導による社会主義国家が誕生するが、唯一ユーゴスラビアだけがソ連の直接的な援助なしに社会主義を目指す。その進め方もソ連のいわゆる「プロレタリアートの執権」抜きに社会主義へ移行するというもので、スターリンの教義に反するものだった。このためスターリンは、ユーゴスラビアはアメリカ帝国主義に手先で反ソ活動を行っていると非難し、国際共産主義運動から排除する。同時に各国共産党首脳部の中のユーゴスラビアの同調者をあぶり出し、でっち上げ裁判を行わせる。世界大戦前に行った恐怖政治の再現である。
スターリンはまた各国共産党の中にソ連の同調者を作り出すために、秘密資金網の創設を企む。ソ連と他の社会主義国が分担し、合計200万ドルの資金を集め、これを各国のソ連内通者へバラマイタのだ。その内通者を通してソ連は各党に干渉を行うのだが、日本共産党でいえば野坂参三がこれにあたる。
余談になるが、1950年にスターリンの支持の元、野坂が中心となって日本共産党を分裂させ、その片方が一方的に非合法活動を宣言し武装闘争の方針を掲げてしまうという事態を招いたが、こうした工作資金に使われた。

前にも紹介したが、スターリンは一貫して中国の蒋介石にシンパシーを感じており、国共内戦も国民党が勝利すると信じていた。意外に思われるかも知れないが、スターリンは自らが係わらない社会主義国など認めたくなかったのだ。
もう一つスターリンの野望は、満州(中国東北部)をソ連に組み込みたいというというもので、これには相手が蒋介石の方が組み易いと考えたのだ。
だから中国で最終的に共産党が勝利し、新中国が誕生したのはスターリンにとっては計算外だった。中国共産党の内部にもソ連の内通者を置き、工作を行うのだが失敗に終り満州のソ連編入を断念する。
ここに至ってスターリンは新中国と友好関係を結び、逆にソ連の世界戦略に中国を利用しようと考える。変わり身の早さである。

1950年に開戦となった朝鮮戦争におけるソ連の動きには大きな謎が残されている。戦争そのものは北朝鮮の金日成による南進政策として始まったものだが、これにはソ連の了解無しには踏み切れなかった。北の南進については当初スターリンは反対していた。それがある時期から南進にGOサインを出す。同時にソ連からの軍事援助も約束する。だが、ソ連はここで不可解な行動に出る。
1.開戦の直前になって何故かソ連は国連をボイコットしてしまう(その後に復帰する)。これによって朝鮮戦争に参戦する米軍が国連軍という肩書を得る。
2.朝鮮戦争が始まればいずれ中国の参戦は避けられないと見ていた(事実はその通りとなった)にも拘らず、開戦直前まで中国に対して秘密にしていた。
また朝鮮戦争開始後、北朝鮮側が一方的に勝利していた期間に、中国から再三にわたって米軍の参戦に注意を払うよう警告があった。毛沢東は米軍が仁川から上陸して、北の補給路を断つに違いないという具体的な警告を行っている(その通りとなった)。しかし、スターリンはこれらの警告を無視し続けたのだ。
こうしたスターリンの一連の動きは不可解で謎とされてきた。
この謎に直接疑問を抱き、スターリンに真意をただした人物がいた。それはチェコスロバキアのゴトワルト大統領だった。
これに回答したスターリン書簡は極秘とされ、ソ連崩壊後に発見され2008年に公表された。スターリンの回答の要旨は次の通り。
1.ソ連が安保理をボイコットすることにより、米国にフリーハンドを与え、安保理での多数を利用して更なる愚行(米軍の出兵を指す)を提供するため・・・。
2.さらに、米国が現在ヨーロッパから極東にそらされていることは明らかである。国際的なパワーバランスからいって、これは我々に利益を与えているだろうか。もちろん与えている。
つまりスターリンにとって朝鮮戦争は、アメリカの眼をアジアにそらせ疲弊させることにより、ヨーロッパでの社会主義の発展のために必要な時間を確保することにあった。
そう考えればソ連の国連ボイコットも、中国を蚊帳の外に置き米国参戦の忠告を無視し続けたことも説明がつく。

1953年2月28日の深夜に別荘でスターリンは倒れ、意識不明のまま床に放置されていたのを3月1日の朝に発見される。直ちに最高幹部たちが別荘に駆けつけるのだが、そのまま放置され、医師が呼ばれて治療が始まるのは20時間以上経過した3月2日になってからだ。
幹部たちはスターリンの病状などそっちのけで、スターリン後の指導体制を協議し、結論が出た3月5日に別荘を訪れスターリンの死亡を確認するのである。ここで巨悪は幕を閉じる。
独裁者の最後というのは、揃って惨めなものだ。

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2016/04/09

「たとえば野に咲く花のように」(2016/4/8)

鄭義信 三部作 vol.2『たとえば野に咲く花のように』
日時:2016年4月8日(金)13時
会場:新国立劇場小劇場 THE PIT
< スタッフ >
作=鄭義信 
演出=鈴木裕美
<    キャスト    >
大石継太/伊東諭吉:「エンパイア」店主 
ともさかりえ/安田(安)満喜:「エンパイア」店員 
黄川田将也/安田(安)淳雨:その弟 
池谷のぶえ/珠代:「エンパイア」店員  
小飯塚貴世江/鈴子:「エンパイア」店員 
猪野学/菅原太一:「エンパイア」の客、海上保安庁の船員  
山口馬木也/安部康雄:「白い花」オーナー 
石田卓也/竹内直也:「白い花」支配人 
村川絵梨/四宮あかね:安部康雄の婚約者 
吉井一肇/李英鉄:活動家

【あらすじ】
舞台は朝鮮戦争のさなか、1951年の福岡の港町にある寂れたダンスホール「エンパイア」。中央にダンスフロアがあり、両側のテーブルで女性店員がアルコール類を提供する。2階には寝室があり、彼女たちはホステスであり踊り子でもあり時には男性客も取る。
そこには戦争で失った婚約者を想いながら働く満喜と、珠代、鈴子の3人が働いている。客は殆んどいなくて、海上保安庁の船員である菅原太一が足繁く通ってくる程度だ。そんな店の状況に店主の伊東諭吉だけが頭を悩ましている。
満喜の弟・淳雨もこの店に同居している。姉弟は朝鮮人で、淳雨が戦争中憲兵をしていたため朝鮮に戻れず、差別の中で職もないまま革命運動に関わっている。
そうした中、表通りに出来たダンスホール「白い花」のオーナー安部康雄と支配人の竹内直也の二人が店に飛び込んでくる。「白い花」に火炎瓶を投げた犯人がここに逃げ込んだというのだ。もしかしたら淳雨の仲間かも知れない。家探しした直也が犯人を見つけるが取り逃がしてしまう。
そんな騒動の中、満喜を一目見て康雄が恋に落ちる。しかし康雄には戦前からの婚約者・四宮あかねがおり、あかねは康雄に結婚を迫る。
ここから劇はいくつかの恋模様を中心に展開してゆく。
康雄は満喜に結婚を迫るが満喜は拒否。
その康雄にあかねが結婚を迫るが康雄は拒否。
そのあかねに直也が恋心を抱く。
珠代は常連客の太一と相思相愛。
鈴子は淳雨に恋愛感情を抱く。
こうした恋模様が、朝鮮戦争の激化を背景に朝鮮戦争による特需や日本(特に北九州)の米軍前線基地化、それに反対する暴動、海上保安庁による朝鮮半島の機雷掃海、太平洋戦争におけるガダルカナル島の悲惨な状況とその傷跡といった当時の世相と絡めて舞台は進行して行く。
果たして彼ら彼女らの恋の行方は・・・。

芝居は朝鮮戦争下での在日朝鮮人が置かれた状況、片方では皮肉にも特需の恩恵を受ける人もいれば、米軍の軍事行動を阻止するために反体制運動に加わり過激な行動を起こす人もいた。
海上保安庁が米軍に協力し、本来は禁止されていた機雷の掃海の任務にあたり、数十名の犠牲が出ていたという件も採りあげられている。
太平洋戦争でガ島のように大きな犠牲が出た戦場で、生き残って生還した人たちが心に負った傷が描かれている。
ただ、それらが深く突っ込まれておらず、表面的に処理されているきらいがある。例えば淳雨が革命運動に身を投じながら、その運動を放棄した過程は描かれていない。
恋人がガ島で戦死したと思われる満喜が、そのガ島で自らが生き延びるために瀕死の日本兵士から食糧を奪った事を告白した康雄の求愛を受け容れた理由が不明確だ。
終幕は大団円になるのだが、康雄のフィアンセのあかねや部下の直也の運命がどうなったのかが示唆されていない。もしかして彼らの犠牲の上に満喜と康雄の幸せがあるのではと、後味の悪さが残った。
そのため、全体としては「風俗小説」風な印象が否めない。
もし同じ作者の『焼肉ドラゴン』を先に見てなければ評価は違っていたかも知れないが、あの作品を見た後では厳しい評価にならざるを得ない。

出演者では珠代役の池谷のぶえの演技が素晴らしい。あの当時の水商売の女性の姿を彷彿とさせていた。
四宮あかね役の村川絵梨の狂乱ぶりも真に迫っていた。私が康雄だったら彼女の愛の方を採っただろう。
他では、大石継太と猪野学の軽妙な演技が光る。

公演は24日まで。

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2016/04/07

#4一之輔・文菊二人会(2016/4/6)

第4回「春風亭一之輔・古今亭文菊 二人会」
日時:2016年4月6日(水)18時30分
会場:日本橋劇場
<  番組  >
前座・林家たま平『道灌』
古今亭文菊『締め込み』
春風亭一之輔『くしゃみ講釈』
~仲入り~
春風亭一之輔『近日息子』
古今亭文菊『明烏』

ここんとこ1日置きにこの会場に来ている。人形町までの定期券でも買おうかな。
さて、一之輔のキャッチコピーにしばしば「鬼才」が使われている。先日の落語会でもさん喬が「鬼才、一之輔」と言っていた。
鬼才、辞書で調べるとこうある。

【鬼才】人間のものとは思われぬほどのすぐれた才能。また,その才能をもつ人。 〔同音語の「奇才」は世にも珍しいすぐれた才能のことであるが,それに対して「鬼才」は人間とは思われないほどのすぐれた才能をいう〕
その優秀さが正統的な部分から外れる場合に多く用いる。そうでない場合は奇才や機才を使用する。

いくら何でも一之輔の才能が「人間離れ」しているとは思えず、「その優秀さが正統的な部分から外れる」方に該当していると考えるべきか。
これに対して文菊の芸は「正統」そのものだ。楷書体の芸と言ってもいいだろう。余計なクスグリを入れず古典を真っ当に演じ、話芸の力だけで聴かせるタイプだ。
反面、高座に上がった時の姿をいかに綺麗に見せるかに神経を払っている。高座に上がる時の歩き方、お辞儀、羽織の脱ぎ方、高座からの降り方など、常に観客の眼を意識していると思われる。
それから、これはアタシの勝手な推測にすぎないが、女性修行は文菊の方が場数を踏んでいると思う。

たま平『道灌』、根岸の4代目、落語界の江戸家猫八。いずれ落語も一子相伝になるのかね。

文菊『締め込み』、ドジな泥棒が親方から説教され空き巣に行かされる所はカットし、その代り普段は途中で切ることが多い後半のサゲまで演じた。
このネタの主人公は泥棒だが、聴かせ所は風呂敷包をめぐる夫婦の痴話喧嘩だ。この家の女房のお福、泥棒が糠味噌をかき回していないと指摘したように家庭の中のことを細々するタイプじゃなさそうだ。器量が良くて人付き合いのいい女房の様だ。だから風呂敷包を見た亭主が即座に男と駆け落ちすると推測したのだろう。夫婦喧嘩の場面では、お福が二人の馴れ初めを語り、男が包丁を片手に「ウンと言うか、さもなければ出刃包丁で刺す。ウンか出刃か、ウン出刃か」と結婚を迫る所が山場。
文菊の描くお福は、ちょいと婀娜っぽく可愛らしい女で、これじゃ亭主がヤキモチを焼くのも無理はない。早合点の亭主や間抜けな泥棒の造形も良く出来ていた。

一之輔『くしゃみ講釈』、以前はオリジナルの上方版と東京版との別れていたが、今では東京の噺家も上方版で演じている。一之輔もそう。このネタを掛けるにあたって、一つは講釈の稽古、もう一つは覗きカラクリの語りの稽古が必須だろう。東京で3代目金馬がこのネタを得意としていたのは、金馬が一時期講釈師をしていて本職に近かったからだ。
一之輔は講釈もカラクリもあまり上手くなかった。それでもこのネタを高座に掛ける勇気は、正に「鬼才」の面目躍如。

一之輔『近日息子』、上方のネタを東京に移したもので、戦後は3代目桂三木助の独壇場だった。筋に大きな違いはないが、上方の場合長屋の住人が悔やみに行く前に知ったかぶりをする男を別の男が咎める場面が入る。例えば洋食屋に入って男が、「焼けたさかいソース持って来い」を「焼けたさかいホース持って来い」と言い間違えたために、店員が火事と間違え店じゅうにホースの水を掛けてしまった、と言うようなエピソードが挟まれる。余談だが現役では上方の桂文華が絶品です。
一之輔はこの部分を上方の演じ方に倣って、独自のクスグリを入れていた。先日の『人形買い』でもそうだったが、一之輔はこうした上方落語の演じ方を採り入れるのが上手い。

文菊『明烏』、古典に忠実な演じ方ながら、時次郎の初々しさや茶屋の女将の色気の表現はさすが。翌朝の花魁にもててすっかりふやけた時次郎と、振られてすっかり腐った源兵衛と太助の対比も鮮明に描いていた。疑問なのは、時次郎の敵娼(あいかた)である浦里の名前が最後まで出なかったことだ。想像だが、お床入りの前の所で「そんな初々しい若だんななら、ワチキの方から出てみたい」と浦里の方からお見立てになるという箇所を抜かしてしまったのではなかろうか。この噺のタイトルが『明烏』だから、浦里の名は省けない筈だ。この点が惜しまれる。

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2016/04/06

#65人形町らくだ亭(2016/4/4)

第26回「人形町らくだ亭」
日時:2016年4月4日(火)18時50分
会場:日本橋劇場
<  番組  >
前座・古今亭今いち『手紙は笑う』
柳家やなぎ『松竹梅』
春風亭一之輔『お見立て』
柳家さん喬『抜け雀』
~仲入り~
五街道雲助『花見の仇討』
(前座以外は全てネタ出し、さん喬と雲助はこの会のレギュラー)

今いち『手紙は笑う』、あれ、以前のこの会でも同じネタを演ったよね。繰り返し掛けるネタでもないけど。

やなぎ『松竹梅』、前座の時代からどうやら喬太郎を目指しているようだと感じていた。センスが違うんだけどね。

一之輔『お見立て』、この人のこのネタ、CDは持っているがナマは初めて。先ずは注意だが、この噺の主人公・喜助は遊女屋の二階を専門に働く若い衆なので、「中どん」又は「二階番」と呼ばれていた。一之輔は「牛太郎」と言っていたが、それは店の前で客引きをしたり客から集金したりする人だ。間違いなので、誰か注意してあげた方が良い。
このネタは遊女・喜瀬川の我儘と、しつこい客の田舎大尽の間に立って右往左往しながら追い詰められてゆく喜助の姿が描かれるのだが、一之輔が演じる喜助にはそうした悩む姿は希薄だ。むしろ楽しんでやってると思われる程で、ウソの涙を流す際にはコヨリで鼻の穴をつついて見せる。その図太さは一之輔自身の反映かとも思われる。テンポの良い楽しい『お見立て』に仕上げていた。
ただ、アタシの好みでは志ん朝流の「面白うて やがて悲しき」の演じ方が正解だと思う。ふと、この噺の先に『お直し』があるのではと思ってしまうのだ。

さん喬『抜け雀』、何となく勝手に『竹の水仙』と思い込んでいて、噺が始まってからコッチかと気付く。志ん生が極め付けの古今亭のお家芸だが、さん喬の高座は上方の米朝の演じ方に近い様に思えた。
志ん生流の笑いの要素より絵師親子の人物像に重点を置いていて、いかにもさん喬らしい爽やかな演じ方だった。

雲助『花見の仇討』、毎度お馴染みのネタだが、何度聴いても面白い。東京の桜も満開でタイムリー。筋は、花見の茶番を仕掛けた江戸っ子が失敗するというものだが、洒落の通じない武士への皮肉も加わっている。
雲助は4人の江戸っ子と二人の武士、それぞれの人物を描き分けていて、相変わらずお見事。

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2016/04/05

親もベビーカーの安全には注意を払うべきだ。

3月4日午後3時ごろ、東京都千代田区の東京メトロ半蔵門線九段下駅で、中央林間発押上行き列車のドアにベビーカーの車輪を挟んだまま発車する事故が起きた。ベビーカーはホーム上を引きずられるなどして大破。子どもは乗っておらず、けが人はいなかった。
東京メトロ広報部によると車掌が安全を十分確認しないまま発車の合図を出した上、出発直後に車内の非常通報ブザーが鳴っていたのに停止を指示しなかった。同部は「規則にのっとり厳正に処分する。安全確認を確実に実行するよう乗務員の指導を徹底する」としている。
一歩間違えば大事故につながりかねないミスで、厳正な処分と再発防止対策を講じるのは当然だ。

この件とは離れるかも知れないが、ベビーカーの乗降には見ていてヒヤヒヤすることがあるのも確かだ。
ドアが閉まりかけているのにベビーカーを先に押し込もうとする人もいる。
電車とホームの間が大きく開いているのに、ベビーカーを先にして降車しようとして、車輪が間に挟まって動けなくなっているのを見たことがある。この時は私が車輪を持ち上げて無事に降車できたが、もしベビーカーが傾きでもしたらとゾッとする。こういう時は後ろ向きベビーカーを引いて降りる方が安全だ。
もっと危険だと思ったのは、ホームの黄色い線と端のわずかなスペースを、ベビーカーで疾走している人がいたことだ。もし人と接触したらベビーカーごとホームから転落しただろう。こうなると自殺行為だ。
私も電車で子どもを保育園に送っていたので、ベビーカーの安全にはいつも気を使っていた。だからベビーカーを無神経に扱う親を見ると腹が立つのだ。

子どもの命がかかっているのだから、もっと親たちもベビーカーには注意を払って欲しい。

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一之輔に言いたい事

春風亭一之輔は、しばしばマクラでこういう事を言う。

落語なんか真剣に聴かないで、と言った後で客席でメモをとる人の事を話題にする。
噺に入ってすぐにネタ(落語のタイトル)を書く人などがヤリ玉にあげられる。他にはプログラムの出演者名の上に〇やXをつけたり、点数らしき数字を書いたりといった例があげられる。
そうした人々を揶揄し、笑いを取る。
で、落語はノンビリと聴いて欲しい、でシメ。

どうやら一之輔は、客席でメモをとる人に嫌悪感を抱いているようだ。
こう言われて笑いの対象にされると、メモに対する圧力さえ感じるのだ。
寄席には色々な人がいる。初めから終いまで爆睡している人、高座を見ないで本や新聞、チラシを読んでいる人、最近はさすがに見られなくなったが携帯をチェックする人、様々だ。
基本的には演者や周囲に迷惑さえかけなければ許される(携帯は音と光を発するのでNGだが)。
客席でメモをとる人というのは、大半はアタシ同様にネタを書いている。それぐらいは書かずに覚えろよと言われるかも知れないが、記憶力に自信がないからメモをとってしまうのだ。
これが悪い事なのだろうか。

「ノンビリと聴いてほしい」というのも僭越ではあるまいか。
ノンビリ聴こうと、真剣に聴こうと、それは客の勝手だ。演者が要求するのは筋違いだ。
以前にも書いたが、寄席や落語会の入場料も近ごろでは3千円台、時には4千円というケースもある。
アタシがよく見に行く演劇では、歌舞伎などを除けば入場料は概ね4~6千円台だ。演劇の場合、出演者に加えて舞台装置、大道具、小道具、衣装など数十名のスタッフから成り立っている。
そう考えれば、落語会の入場料は決して安いとは言えない。
演劇同様、真剣に見る客がいても不思議ではない。

寄席や落語の世界というのはユルイ世界だ。
だからお互い、あまりウルサイ事は言わずに、メモをとる程度は大目にみて欲しい。

好漢、自重すべし。

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2016/04/03

新聞の「株式市況」欄ってムダじゃねえの

新聞にはさまざまなジャンルの記事が掲載されている。人によって関心の度合いは異なるから、熱心に読むページもあればサラリと読みすごすページもある。
この中で、少なくともこの20年間に一度も読んだことがないページがある。
それは、「株式市況」欄だ。
日本の上場企業の数は2016年4月1日現在で3520社ある。新聞にはこの各企業(銘柄)ごとの日々の株価が掲載されている。新聞社によって多少の違いはあるが、左から銘柄、始値、高値、安値、終値、前比、出来高の数字が並んでいる。およそ1ページ半のスペースを使用しているが、何せ銘柄数が多いので字が細かく、虫眼鏡が要りそうだ。
いったい誰が読むのだろう。

株式市況に関心のある人というのは、およそ次のケースだろう。
1.保有している持ち株の株価をチェック
2.株式の買い増しや新規購入のために、購入予定の銘柄の株価をチェック
3.自社、あるいは同業者、取引先などの特定企業の株価のチェック
4.経済欄の記事でとりあげられた企業の株価のチェック
つまり株式市況全体を把握するのではなく、いずれも特定の企業(銘柄)のデータを求めているわけだ。
この内の1と2のケースでは証券会社に口座を持っている人が大半だろうから、その証券会社のHPで簡単に検索できる。
株式の売買をしようと思えば新聞記事のデータだけでは不十分で、企業の実績や利益予想、チャートと呼ばれる一定期間の株価や出来高の推移などが最低限必要だ。新聞の株式市況欄だけでは役に立たない。
また3や4の様なケースで、特定企業の株価をウオッチしようとしても、はやり新聞から探すのは容易なことではない。
一方、証券会社のHPや日経netを使えば、上記の各データは日々容易にチェックできる。
株式に関心のない人は元々市況欄なぞ見ないだろう。
こうして見ていくと、新聞の株式市況欄というには完全にムダではあるまいか。
ネットの時代になって、もう役目は終わったのだ。

株式市況欄を廃止し、あまったスペースでもっと有効な記事を掲載して欲しい。

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2016/04/02

「夢一夜~一之輔・夢丸二人会~」(2016/4/1)

「夢一夜~一之輔・夢丸二人会~」
日時:2016年4月1日(土)18時45分
会場:日本橋劇場
<  番組  >
柳家小多け『子ほめ』
春風亭一之輔『人形買い(序)』
三笑亭夢丸『干物箱』
~仲入り~
三笑亭夢丸『アンケートの行方』
春風亭一之輔『百年目』

小多け『子ほめ』、なにしろ小三治の前座名が「小たけ」で同じ読みなんだから、期待大だろう。学習院大出だそうだが、もはやどこの大学卒だろうと驚かない。先代の枝太郎が学卒だった所から「インテリの枝太郎」と呼ばれていたのが嘘のようだ。落語家の社会的地が上がったのか、大学のレベルが下がったのか。
小里んの弟子だ。
そう言えば1昨年末ごろに喬太郎が弟子と取ったという情報が流れたが、あれはどうなったんだろう。どなたかご存知の方がいたら教えてください。

一之輔『人形買い(序)』、こういうネタも一之輔の手にかかると中身は変容してしまう。内容は大きく3つに分かれる。
1.長屋の住人の初節句の祝いに五月人形を二人で買いに行く。5円を集金したのだが人形を4円で買って1円浮かせ冷奴で一杯呑もうという算段だ。買い物下手の人間が女房の勧めで買い物上手の人間に同行を願い、人形店の若旦那と交渉して10円の人形を4円にまでまけさせる。ここまでの所を一之輔は『壺算』風に演じる。
2.人形は2種類あり、長屋の住人に意見でどちらかに決めるという段取り。2つの人形の包みを背負って店の小僧が二人についてくるのだが、この小僧が大変なおしゃべり。この人形は実は一昨年の売れ残りで処分に困り、だんなが「店に出しておけばどこかの馬鹿が引っかかって買っていく」といった代物だった。悔しがる二人。おまけに小僧は若旦那と女中との情事までしゃべり始める始末。この部分は本来の『人形買い』に沿って一之輔は演じていた。
3.ここから噺が急に変わる。片方の男がすごい恐妻家で、怖ろしい女房の行状を語り出す。女房の言いつけで焼き豆腐を買いに行かされ間違えて里芋を買って帰る。怒った女房は男に灸をすえ、熱がると井戸端にひきづって行き頭から水を浴びせる。冷たいと言うとまた灸をすえ、熱いと言うと井戸で水を浴びせる。これを繰り返しているうちに男が、「ああ、買い物は焼き豆腐だった」でサゲ。この部分は上方落語の『船弁慶』から持ってきたものと思われ、一之輔はここで切り。後半の2つの人形を長屋の易者と講釈師に見せて選んで貰い初節句の家に届けるという箇所は全てカットしていた。
恐らくこのネタを初めて聴いた人はこういう筋なんだろうと納得し、一之輔の仕掛けに気が付かなかったのではなかろうか。それほど自然に演じていた。
そして、オリジナルよりこっちの方が面白いのだから、お見事としか言いようがない。

夢丸『干物箱』、マクラで落語家は時には1000人以上の会場で演じることもあれば、数十名という寄席で演じることもある。こういう演芸は落語しかないと言っていたが、その通りだろう。小朝クラスがホール落語だとギャラが100万円という話をきいたことがある。でも寄席なら数千円だろう。珍しい業界ではある。
ネタに入って、若旦那に身代わりを頼まれた善公が2階に上がってからの弾けぶりが良かった。夢丸は以前のしゃべり急ぐという傾向が改まり、着実に腕を上げている。きっとこの会が良い刺激になっているのだろう。

夢丸『アンケートの行方』、後席の時間配分が夢丸10分、一之輔35分となっているので変ったネタをと。当代の枝太郎の創作で、サラリーマンの父親と小学生の男の子が、それぞれ会社と学校から出されたアンケートを取り違えて提出してしまう騒動を描いたもの。
突っ込み所満載のストーリーだが、夢丸のテンポのよい運びで客席を沸かせていた。

一之輔『百年目』、冒頭の番頭が小僧に小言をいう場面で『百年目』と分かり、おおっと思った。このネタはある程度の年になった大看板が演じるというイメージがあるからだ。上方では米朝が極め付け、東京では圓生の独壇場だった。あの志ん朝でさえ、このネタの出来は良く無い。
噺の主人公は番頭の冶兵衛だが、難しいのは寧ろ大旦那の演じ方だと思う。大旦那の語る昔話から察すると冶兵衛が40歳位とすれば大旦那は60歳近いと推定される。偶然に番頭の派手な遊びを見てしまった大旦那の心の動き、番頭への肚の見せ方、こうした描写が出来るのは演者がある程度の年齢に達していないと難しいのだと思う。
だから一之輔の様な若手が高座にかけるのはかなりの冒険だと思ったのだ。一之輔は2階に上がった番頭が眠れずウトウトとして、自分は小僧に格下げ、小僧が番頭に格上げされた夢を見て、眠りから覚めると早朝に店の前を掃除し始めるという箇所を加えた程度で、ほぼ圓生の演じ方を踏襲していた。
全体として若さ(大旦那も番頭も若く見えてしまう)という制約はあるものの、良い出来だったと思う。

ベテランの味わいのある高座ももちろん魅力だが、伸び盛りの若手の高座もまた楽しい。女性も噺家も相手を選り好みしない事にしてるんです、アタシは。

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