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2016/04/20

【書評】本田靖春「誘拐」

本田靖春(著)『誘拐』(ちくま文庫2005/10/5刊)
今さらこのノンフィクションの傑作をという感もあるが、1964年(昭和39年)の東京オリンピックで沸き立つ世間に大きな衝撃を与えた事件を改めて振りかえってみたいと思ったのだ。
事件とは一般に「吉展(よしのぶ)ちゃん事件」と呼ばれるもので、多くの人が記憶にとどめていると思われる。
事件の概要は次の通り。
1963年3月31日、東京台東区入谷町の村越吉展ちゃん(4つ)が自宅前の公園に遊びに行ったまま行方不明となった。最後に目撃されたのは午後6時15分頃、近所の小学3年生男児が、公園のトイレで水鉄砲の水を入れていた吉展ちゃんに30歳くらいのレインコートを着た男が「坊や、何してんだい。ほう、良い鉄砲だね」と話しかけてきた。暗くなってきたので吉展ちゃんは入り口の方に出て、男もその後を追ったというもの。
午後7時に村越家から警察に捜査願いが出され、まもなく村越家に数度に渡る身代金要求の電話が入る。
4月7日、犯人指定の「品川自動車」に母親が身代金50万円を持っていくが、ここで手違いが起こる。先に5人の捜査員が出発し、受け渡し現場を包囲するはずだったが、母親の運転する車より刑事達の現場到着が2分ほど遅れた。このため身代金は犯人に持ち去られ、吉展ちゃんは戻らなかった。
ミスはまだあり、身代金の1万円札のナンバーもひかえてはいなかった。
当時の警察の誘拐事件への対応はお粗末で、その後の捜査で重要な手掛かりになる犯人の音声も村越家の人たちが録音機をセットして採取したものだ。
もちろん、電話の逆探知も行っていなかった。
警察はこの失態を挽回すべく、特別な捜査態勢をしき大量の捜査員を投入した。
国民の関心も高く、「吉展ちゃんを返して」という看板やポスターが街中に張られた。郵便局や生命保険業界なども捜査に積極的に協力していた。
警察が容疑者としてリストアップした人数は1万3千人にのぼると言われている。
この中で早くから捜査線上に浮かんだ容疑者として時計職人の小原保(1963年当時28歳)がいた。警察が公開していた身代金を要求する犯人の声とよく似ているとの情報提供が保の兄から寄せられた。
しかし、犯人の声を分析した言語学者が年齢が40-50歳と推定していて、保とは年齢が会わなかった。
もう一つ、保は足が悪く、子どもを連れ歩いたり、身代金を素早く奪って逃げるのは無理だと思われた。
さらに保は事件前後に故郷へ戻っていたというアリバイがあり、シロと判定されてしまった。
捜査は行き詰まり2年が経過する。
1965年、警視庁はここに至って捜査陣を一変する。捜査の中心に任ぜられた平塚八兵衛は保の故郷である福島を訪れ、もう一度保のアリバイを洗い直す。
すると保の証言と事実が食い違っていたり、保を見たという証人が日付を勘違いしていた事実などが明らかになり、アリバイが崩れたことを確信する。
平塚刑事により保の3度目の取り調べが始まる。当初はガンとして口を割らなかったが、平塚が新たな情報に基づき保の証言を突き崩してゆき、ようやく自白を得る。
それによると吉展ちゃんはすでに殺害されていたことが判明、荒川区にある円通寺墓地にて遺体が発見された。
1966年、小原保に死刑判決が下され刑が確定する。
1971年、小原保に刑が執行された。

本書の中で永年捜査一課で殺人事件を担当してきた刑事にこう語らせている。
【畢竟、人間というやつは、他の誰かを圧迫しないことには生きられない存在なのであって、犯罪者というのは、社会的に追い詰められてしまった弱者の代名詞ではないのか。】
著者もそうした視点に立ち、本書で犯人である小原保の人生を詳細に追っている。

小原保は福島の片田舎で生まれてがその生活は赤貧洗うがごとき環境で育った。小学校は片道1時間かけ山道を歩いて通学する。履物はワラ草履なので雨や雪の日は裸足て歩かねばならない。足先はアカギレになりそこから黴菌が入って化膿した。きちんとした治療を受けられないまま骨髄炎を患い、足が曲がったままになって片足を引きずって歩くという後遺症に悩まされる。通学もままならず、小学校卒という学歴に終わる。
おまけに小原家の家族や近親者には、癲癇持ちや聾唖者などの先天的障碍者ばかりだった。周囲からは「あの家には悪い血が流れている」と噂され、保は逃げるようにして東京に出てくる。

当時の東京は高度成長の真っ直中で、オリンピックに向けて高速道路や地下鉄の建設などが進められ好況に沸いていた。
しかし保は小卒で、おまけに肉体的ハンディを負っていて、大金を稼げるような仕事に就くのは不可能だった。結局、アメ横の小さな時計店で修理工として働くという都市貧困労働者となってゆく。
扱う時計の中にはブランド品もあり、横流しすればたちまち数万円が手に入る。一方で都会は誘惑が多く、保は寂しさを紛らせるために酒や買春に手を出す。その資金はとても安い給料では賄えず、高級時計の着服や横流しで補てんされる。気が付けば20万円を超す借金となり、日々厳しく返済を迫られる。
仕方なく故郷へ向かい兄弟や親類に融通を頼もうとするが、日頃の不義理から顔を出すことも出来ず悶々として東京に戻ってくる。

追い詰められた保は、先日見た映画『天国と地獄』からヒントを得て、幼児の営利誘拐を思いつく。
身代金が50万円というはいかにも中途半端だと捜査陣が思ったのだが、それは保の借金の返済資金だったからだ。
近所に子ども達がよく遊ぶ姿を見受けた公園に立ち寄り、そこで吉展ちゃんと出会ってしまう。吉展ちゃんの水鉄砲を直してあげるとウソをつき、あっちこっち連れ回した挙げ句疲れて保の膝の上に眠った吉展ちゃんの首をベルトで絞殺した。
本書の後半は平塚刑事に問い詰められ観念して自白する保の姿と、保の自供から吉展ちゃんの遺体が発見され、それを知らされた吉展ちゃんの両親や祖母らの深い怒りと悲しみが描かれる。
そのいずれに対しても、読んでいてやりきれない思いにかられるのだ。

死刑確定から処刑にいたる間に、小原保は独学で短歌を学ぶ。
やがて「土偶短歌会」に加入し、福島誠一というペンネームで投稿を続ける。
その一首。
「明日の死を前にひたすら打ちつづく
 鼓動を指に聴きつつ眠る」
処刑の前日まで短歌を作り続け、辞世の句として最後の投稿が「土偶」の主催者の元へ届いたのは処刑の翌月の1972年1月だった。その年の12月に保の一周忌を期して保の歌集『十三の階段』が参加者に配られた。
「世のためのたった一つの角膜の
 献納願ひ祈るがに書く」
1980年に講談社から刊行された「昭和万葉集」には、福島誠一の名で次の一首が収録されている。
「詫びとしてこの外あらず冥福を
 炎の如く声に祈るなり」

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コメント

読んだはずなのに。
本田のような記者はもう現れないのでしょうか。
最後の闘病記がすごいですね。

投稿: 佐平次 | 2016/04/21 10:56

佐平次様
本田記者は本書の中で「犯罪者というのは、社会的に追い詰められてしまった弱者の代名詞ではないのか」という視点を貫いています。だから読んでいて被害者にはもちろんのこと、犯人にさえ切ない気持ちになります。

投稿: ほめ・く | 2016/04/21 17:07

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