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2016/06/26

#44三田落語会「一朝・三三」(2016/6/25)

第44回三田落語会・昼席「春風亭一朝・柳家三三」
日時:2016年6月25日(土)13時30分
会場:仏教伝道センタービル8F
<  番組  >
前座・柳家小かじ『道灌』
柳家三三『釜泥』
春風亭一朝『三枚起請』
~仲入り~
春風亭一朝『麻のれん』
柳家三三『鰍沢』

この会のプログラムの冒頭に「喜多八師匠と三田落語会」という喜多八の追悼文が掲載されていた。喜多八が「粋」そのものだと書かれている。うん、でもあれは「東京山手の粋」だね。経歴には練馬区の出身となっているが、マクラで本人は高田馬場の近くで育ったといって、よく少年の頃の周辺の思い出を語っていた。早稲田全線座でストリップショーをしていて、最後に出る踊り子が『都の西北 早稲田の森に』の曲で脱いでゆくというエピソードを紹介していたっけ。馬場といえば師匠の小三治の名前が浮かぶが、あちらも「山手の粋」だ。
芸人の中には芸に対する評価は高いが、仲間内では評判の悪い人もいる。多くの芸人仲間たちの追悼の弁を聞くと、喜多八は客からも芸人仲間からも愛され尊敬されていたんだなと、改めて思う。
「三田落語会」には28回出演し、50席を超える高座を務めたとあり、最大の功労者と言える。

三三『釜泥』
三田落語会は本寸法の古典落語がテーマなので、それに相応しい噺家が毎回出演している。それでも主催者の人選によるのか、噺家本人の意向によるのか分からないが、なぜあの人が出ないんだろうと疑問に思うことがある。その一人が三三だった。それに雲助が出ないのも解せない。喬太郎が初出演の時に、いきなり「本寸法って、オレじゃないんじゃねーの? 三三じゃねーの?」と語っていたように、名前が出なかったのが不思議だった。
その三三、ようやく昨年4月になって初登場、今回が2回目となる。
ネタは、いわゆる「月夜に釜を抜かれる」という諺から発したもののようで、釜が盗まれぬよう釜の中に座った豆腐屋の主が、いつか寝入ってしまった。そうとは知らず釜盗人が盗み出し、深夜に二人で担いでいうと釜の中で大きな声がして、驚いて釜を放り出して逃げていく。後に残った主が釜の蓋を取ると月夜が見える。
「しまった。今夜は家を盗まれた」でサゲ。
小噺に毛の生えた程度の軽いネタで、三三の高座もか~るく演じていた。

一朝『三枚起請』
マクラで、喜多八と名古屋で一緒に仕事したのが最後と、若い頃のエピソードも紹介し、喜多八を偲んで得意としていたこのネタを選んだと説明。この人の優しさを感じる。
気持ちが入っていたせいか、高座は上出来だった。花魁に騙された3人の男の描写が鮮明だ。それぞれの性格づけをしながら、人が良くて、ちょいとおっちょこちょいという江戸っ子の風情が描かれていた。半公が持っていた起請文を棟梁や清公が見てから、一度懐に手を入れて自分の起請文を確かめてから、「おめぇ、これ、どこかで拾わなかったか?」と半公に訊く所は丁寧な演出だ。
3人の男に囲まれて最初は当惑する花魁が、途中から居直り、最後は啖呵を切るという切り替えも鮮やか。
サゲが分かりやすいように、初めに熊野権現のお使いとしての烏や、「三千世界の烏を殺し、主と朝寝がしてみたい」という戯れ唄を説明しておいたのは親切だ。
アタシは、以前はこのネタより『文違い』の方が好きだったが、最近になってこの噺の面白さを再認識するようになった。

一朝『麻のれん』
季節にあった夏のネタで、扇橋以来入船亭一門の持ちネタになっている。一朝のものは初めて聴いたが、按摩の杢市がより可愛いらしく見え、一晩中蚊に食われた杢市があまり怒りを面に表さずに帰宅していく辺りに、一朝の人柄が出ていた。
一朝の高座は、いつも聴き終ってから気分が良い。

三三『鰍沢』
マクラを含めてほぼ6代目圓生の高座をなぞっていた。『鰍沢』といえば圓生の極め付だが、家にこのCDが2枚ある内の片方は名演だが、もう片方はあまり出来が良くない。名人圓生にしてもこれだけ出来にバラツキがある位だから、難しいネタなんだろう。
三三の高座は全体としては良くまとまっていたが、いくつか不満があった。一つは間に挟むクスグリだが、陰気な噺なので少し息抜きさせようという意図は分かるが、流れを壊している。もう一つは男が、女が昔吉原で敵娼(あいかた)に出た花魁だったと知って、ちょいと気を緩める場面が圓生には見られるが、三三にはなかった。男女のこうした微妙な関係が表現されているかどうかは、このネタの勘所だと思う。
アタシの三三に対する全般的な評価だが、上手いとは思うが心を打たないのだ。グサッと来るものがないので、常に物足りなさが残ってしまう。

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コメント

三三にもうひとつ訴えるものが欠ける、同感です。
上手くやろうとし過ぎているのか。

佐平次様
これは三三に限らず今の若手に共通する問題でもありますが、上手く演じよう、客に受けようという気持ちが先に行き過ぎて、訴える力が弱く感じます。ここを突破できるかどうかが、鍵でしょう。

良い顔付けですが行けなかったので、ほめ・くさんと、佐平次さんのブログで、疑似体験ができました。
一朝の人柄の良さが、伝わります。

三三、もちろんまだ若い・・・しかし、末広亭で師匠の代バネを務めることはできるだけの噺家です。
しかし、今日も市馬が、昼も夜も主任とのこと・・・おかしいですね。

小言幸兵衛様
三三は確かに上手いです。しかし噺が上手いかどうかは決定的な要素ではなく、肝心なのは観客の心に響くかどうかだと思います。その点に不満を感じていますが、素質は十分。いずれ師匠の域に近づくものと期待しています。

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